和辻哲郎「停車場で感じたこと」駒形美英朗読

和辻哲郎「停車場で感じたこと」駒形美英朗読

Jan 31, 2018

ある雨の降る日、私は友人を郊外の家に訪ねて昼前から夜まで話し込んだ。遅くなったのでもう帰ろうと思いながら、新しく出た話に引っ張られてつい立つことを忘れていた。ふと気づいて時計を見ると、自分が乗ることにきめていた新橋発の汽車の時間がだいぶ迫っている。で、いよいよ別れることにして立ち上がろうとした。その時またちょっとした話の行きがかりでなお十分ほど尻を落ち付けて話し込むような事になった。それでも玄関へ降りた時には、さほど急がずに汽車に間に合うつもりであった。で、玄関に立ったまま、それまで忘れていた用事の話を思い出して、しばらく話し合った。
電車の停車場の近くへ来ると、ちょうど自分の乗るはずの上り電車が出て行くのが見えた。「運が悪いな、もう二三分早く出て来たら。」と思った。待合へはいってから何げなしに正面の大時計を見ると、いつのまにかたいへん時間がたっている。変だなと思って自分の時計を出して見る。自分のは十分ほど遅れている。午前には確かに合っていたのだが二時ごろ止まっていたのを友人の家のと合わせた時に、遅れた時間と合わせたわけなのだろう。これでは汽車の時間にカツカツだ、まずくすると乗り遅れるかも知れない、あの時時計が止まってくれなければよかった、などと思う。しかし電車はすぐ来た。それがまた思ったよりも調子よく走る。人の乗り降りがあまりないので停車場などは止まったかと思うとすぐ出る。時計を出して見ると三分くらいで一丁場走っている。このぶんならたいてい大丈夫だと安心した気持ちになる。
しかし時間はいっぱいだった。市街電車へ乗り換える所へ来て、改札口で乗越賃を払おうとすると、釣銭がないと言って駅夫が向こうへ取りに行く。釣銭などでグズグズしてはいられないのでそのまますぐ駈け出したくなる。しかしあとから駅夫が大声を出して追い駈けて来たりすると気の毒だと思ってちょっと躊躇する。その間に駅夫が釣銭を持って来る。わずか一分ほどの間だったが、そのためイライラさせられたので、急いで泥道を駈け出した。見ると停留場に電車がとまっている。よい具合だと思って速力を増して駈ける。五六間手前まで行くと電車は動き初めた。しまッたと思いながらなお懸命に追い駈けて行く。電車はだんだん早くなる。それを見てとても乗れまいという気がしたので、私はふと立ち留まった。その瞬間にあれに乗らなければ遅れるかも知れないと思った。それですぐまた全速力で飛び出せば無理にのれない事もなかった。しかしその時ほんの一秒か二秒の間躊躇した。そうしてアアア電車が遠ざかって行くと思いながら、その後ろ姿をながめた。そのわずかな間に電車がまた四五間も走ったので、追いつける望みはすっかり消えてしまった。
振り向いて見ると、あとの電車は影も見えない。また時計を出して見る。やはりあれに乗らなければだめだったと思う。電車はまだついそこに見えているので、もう一度飛び出したくなる。くやしくなって足を踏みならす。歯ガミをする。拳に力がはいって来るが、それのやり場がない。後ろを見るとまだ次の電車は見えない。また先の電車を見る。見まもっている内に次の停留場で止まってまた動き出す。やがて坂をおりてだんだん見えなくなる。あれに乗っていればもうあんなに遠く行っているのだ。これだけ距離の差があれば汽車に二つくらい乗り遅れるには充分だなどと思う。
次の電車がはるか向こうに見えた。時計を見ると三分たっている。早く来ればいいと思うがなかなかやって来ない。やっと前まで来る。乗る。時計を見る。もう五分たっている。時計とにらめくらしていると電車が走るわりに時のたつのが遅いのでいくらか気丈夫にもなるが、しかし窓から外を見るごとにまだこんな所かと思う。それでもまだ全然間に合わないとは思えないので、熱心に時計に注意している。平生は十分も二十分もかかると思っている所を、電車は五分ぐらいで走ってしまう。
とてもそう早くは行くまいと思っていた時間で、感心にも電車は土橋の停留場まで来た。時計を見ると汽車がちょうど出る時刻である。しかしプラットフォームには汽車の影が見えない。汽車だって一分ぐらい遅れる事はあるし、自分の時計だって一分ぐらい進んでいないとは限らないなどと思いながら停車場へはいって行くと、そこの大時計はちょうど汽車よりも二分先へ出ていて、駅夫が次の汽車の時間を改札口の上に掲示している所であった。
「あああと一時間と四十分だ。電車に乗る時のわずか一二秒のために、何というヘマだろう。否、その前に停車場を出る時釣銭を取らなければよかったのだ。否もう一つ前に友人の家から出た時もっと早く歩けばよかった。そういえば友人の所をもう五分早く出れば問題はなかった。しかしこんな事を言ってもキリがない。とにかくすべてがまずかった。『何か』が俺にいたずらをしやがったのだ。」――こんなふうに腹のなかでつぶやきながら私はヤケに土間を靴で踏みつけた。
やがて私は未練らしく頭の上の時刻表を見上げた。そうして「おや」と思った。そこには次の汽車との間に今までなかったはずの汽車の時間が掲げてあるのである。私はいくらか救われたような感じであたりを見回した。なるほど大きな掲示が出ている。その臨時汽車はすぐ前日から運転し始めたのだった。「こいつは運がいい。」と私は思った。しかし時間を勘定してみてやはり一時間ばかり待たなければならない事がわかると、私の心はまた元へ戻り始めた。「何だ、こんな事で埋め合わせをするのか、畜生め。」私は仕方なく三等待合室へはいって行った。見ると質朴な田舎者らしい老人夫婦や乳飲み児をかかえた母親や四つぐらいの女の子などが、しょんぼり並んで腰を掛けている。朝からそのままの姿でじっとしていたのではないかと思わせるくらい静かに。その眼には確かに大都会の烈しさに対する恐怖がチラついている。私は引きつけられてじっとその一群を見まもった。そうして、遠くへ行くのろい三等の夜汽車のなかの光景を思い浮かべた。それは老人や母親にとって全く一種の拷問である。しかし彼らには貧乏であるという事のほかになんにも白状すべきことがない。彼らは黙って静かにその苦しみに堪える。むしろある遠隔な土地へ行くためにはその苦しみが当然であることを感じている。たとえ眠られぬ真夜中に、堅い腰掛けの上で痛む肩や背や腰を自分でどうにもできないはかなさのため、幽かな力ない嘆息が彼らの口から洩れるにしても。
私はこんな空想にふけりながら、ぼんやり乳飲み児を見おろしている母親の姿をながめ、甘えるらしく自分により掛かってくる女の子を何か小声で言いなだめているらしい、老婆の姿をながめ、見るともなく正面を見つめている老爺の悲しむ力をさえ失ったような顔をながめた。私の心は急にしみじみとして和らいで来た。何という謙虚な人間の姿だろう。それに比べて私の心持ちは、何という空虚な反撥心にイラ立っているのだ。あたかも自分の上に降りかかった小さな出来事が何か大きい不正ででもあるかのように。――あの人たちを見ろ。静かに運命の前に首を垂れているあの人たちを見ろ。あれが人間だ。
ある暗示が私の胸に沁み入った。私は何かを呪うような気持ちになった先ほどの自分を恥じた。もしその何かが神だったら! 恐らく神といえども、もっともっと比べものにならないほどの苦しみを私の上に置く事もあるだろう。しかも恐らく私を愛するゆえに。不遜なる者よ。きわめて小さい不運をさえも、首を垂れて受けることのできない心傲れる者よ。そんな浅い心にどうして運命の深いこころが感じ得られよう。
私は固い腰掛けに身を沈めて、先ほどまでの小さい出来事を思い返した。一々の瞬間にそうならなければならないある者がひそんでいるようにも思えた。すべての条件が最後の瞬間を導き出すように整然たる秩序の内に継起したようにも感じられた。そうして私は自分を鞭打った。私は自分の運命を愛しているつもりでいたが、しかし私はまだほんとうにヨブの心を解していないのだ。運命に対するあの絶対の信仰と感謝の心を。あわせてまた「運命を愛せよ」というあの金言の真の深さと重さをも。

青空文庫 名作文学の朗読

2018年3月1日

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