2018年10月
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夏目漱石「三四郎」三・後半 山口雄介朗読
2018年10月10日 46:52
野々宮の家はすこぶる遠い。四、五日前大久保へ越した。しかし電車を利用すれば、すぐに行かれる。なんでも停車場の近辺と聞いているから、捜すに不便はない。実をいうと三四郎はかの平野家行き以来とんだ失敗をしている。神田の高等商業学校へ行くつもりで、本郷四丁目から乗ったところが、乗り越して九段まで来て、ついでに飯田橋まで持ってゆかれて、そこでようやく外濠線へ乗り換えて、御茶の水から、神田橋へ出て、まだ悟らずに鎌倉河岸を数寄屋橋の方へ向いて急いで行ったことがある。それより以来電車はとかくぶっそうな感じがしてならないのだが、甲武線は一筋だと、かねて聞いているから安心して乗った。
大久保の停車場を降りて、仲百人の通りを戸山学校の方へ行かずに、踏切からすぐ横へ折れると、ほとんど三尺ばかりの細い道になる。それを爪先上がりにだらだらと上がると、まばらな孟宗藪がある。その藪の手前と先に一軒ずつ人が住んでいる。野々宮の家はその手前の分であった。小さな門が道の向きにまるで関係のないような位置に筋かいに立っていた。はいると、家がまた見当違いの所にあった。門も入口もまったくあとからつけたものらしい。
台所のわきにりっぱな生垣があって、庭の方にはかえって仕切りもなんにもない。ただ大きな萩が人の背より高く延びて、座敷の椽側を少し隠しているばかりである。野々宮君はこの椽側に椅子を持ち出して、それへ腰を掛けて西洋の雑誌を読んでいた。三四郎のはいって来たのを見て、
「こっちへ」と言った。まるで理科大学の穴倉の中と同じ挨拶である。庭からはいるべきのか、玄関から回るべきのか、三四郎は少しく躊躇していた。するとまた
「こっちへ」と催促するので、思い切って庭から上がることにした。座敷はすなわち書斎で、広さは八畳で、わりあいに西洋の書物がたくさんある。野々宮君は椅子を離れてすわった。三四郎は閑静な所だとか、わりあいに御茶の水まで早く出られるとか、望遠鏡の試験はどうなりましたとか、――締まりのない当座の話をやったあと、
「きのう私を捜しておいでだったそうですが、何か御用ですか」と聞いた。すると野々宮君は、少し気の毒そうな顔をして、
「なにじつはなんでもないですよ」と言った。三四郎はただ「はあ」と言った。
「それでわざわざ来てくれたんですか」
「なに、そういうわけでもありません」
「じつはお国のおっかさんがね、せがれがいろいろお世話になるからと言って、結構なものを送ってくださったから、ちょっとあなたにもお礼を言おうと思って……」
「はあ、そうですか。何か送ってきましたか」
「ええ赤い魚の粕漬なんですがね」
「じゃひめいちでしょう」
三四郎はつまらんものを送ったものだと思った。しかし野々宮君はかのひめいちについていろいろな事を質問した。三四郎は特に食う時の心得を説明した。粕ごと焼いて、いざ皿へうつすという時に、粕を取らないと味が抜けると言って教えてやった。
二人がひめいちについて問答をしているうちに、日が暮れた。三四郎はもう帰ろうと思って挨拶をしかけるところへ、どこからか電報が来た。野々宮君は封を切って、電報を読んだが、口のうちで、「困ったな」と言った。
三四郎はすましているわけにもゆかず、といってむやみに立ち入った事を聞く気にもならなかったので、ただ、
「何かできましたか」と棒のように聞いた。すると野々宮君は、
「なにたいしたことでもないのです」と言って、手に持った電報を、三四郎に見せてくれた。すぐ来てくれとある。
「どこかへおいでになるのですか」
「ええ、妹がこのあいだから病気をして、大学の病院にはいっているんですが、そいつがすぐ来てくれと言うんです」といっこう騒ぐ気色もない。三四郎のほうはかえって驚いた。野々宮君の妹と、妹の病気と、大学の病院をいっしょにまとめて、それに池の周囲で会った女を加えて、それを一どきにかき回して、驚いている。
「じゃ、よほどお悪いんですな」
「なにそうじゃないんでしょう。じつは母が看病に行ってるんですが、――もし病気のためなら、電車へ乗って駆けて来たほうが早いわけですからね。――なに妹のいたずらでしょう。ばかだから、よくこんなまねをします。ここへ越してからまだ一ぺんも行かないものだから、きょうの日曜には来ると思って待ってでもいたのでしょう、それで」と言って首を横に曲げて考えた。
「しかしおいでになったほうがいいでしょう。もし悪いといけません」
「さよう。四、五日行かないうちにそう急に変るわけもなさそうですが、まあ行ってみるか」
「おいでになるにしくはないでしょう」
野々宮は行くことにした。行くときめたについては、三四郎に頼みがあると言いだした。万一病気のための電報とすると、今夜は帰れない。すると留守が下女一人になる。下女が非常に臆病で、近所がことのほかぶっそうである。来合わせたのがちょうど幸いだから、あすの課業にさしつかえがなければ泊ってくれまいか、もっともただの電報ならばすぐ帰ってくる。まえからわかっていれば、例の佐々木でも頼むはずだったが、今からではとても間に合わない。たった一晩のことではあるし、病院へ泊るか、泊らないか、まだわからないさきから、関係もない人に、迷惑をかけるのはわがまますぎて、しいてとは言いかねるが、――むろん野々宮はこう流暢には頼まなかったが、相手の三四郎が、そう流暢に頼まれる必要のない男だから、すぐ承知してしまった。
下女が御飯はというのを、「食わない」と言ったまま、三四郎に「失敬だが、君一人で、あとで食ってください」と夕飯まで置き去りにして、出ていった。行ったと思ったら暗い萩の間から大きな声を出して、
「ぼくの書斎にある本はなんでも読んでいいです。別におもしろいものもないが、何か御覧なさい。小説も少しはある」
と言ったまま消えてなくなった。椽側まで見送って三四郎が礼を述べた時は、三坪ほどな孟宗藪の竹が、まばらなだけに一本ずつまだ見えた。
まもなく三四郎は八畳敷の書斎のまん中で小さい膳を控えて、晩飯を食った。膳の上を見ると、主人の言葉にたがわず、かのひめいちがついている。久しぶりで故郷の香をかいだようでうれしかったが、飯はそのわりにうまくなかった。お給仕に出た下女の顔を見ると、これも主人の言ったとおり、臆病にできた目鼻であった。
飯が済むと下女は台所へ下がる。三四郎は一人になる。一人になっておちつくと、野々宮君の妹の事が急に心配になってきた。危篤なような気がする。野々宮君の駆けつけ方がおそいような気がする。そうして妹がこのあいだ見た女のような気がしてたまらない。三四郎はもう一ぺん、女の顔つきと目つきと、服装とを、あの時あのままに、繰り返して、それを病院の寝台の上に乗せて、そのそばに野々宮君を立たして、二、三の会話をさせたが、兄ではもの足らないので、いつのまにか、自分が代理になって、いろいろ親切に介抱していた。ところへ汽車がごうと鳴って孟宗藪のすぐ下を通った。根太のぐあいか、土質のせいか座敷が少し震えるようである。
三四郎は看病をやめて、座敷を見回した。いかさま古い建物と思われて、柱に寂がある。その代り唐紙の立てつけが悪い。天井はまっ黒だ。ランプばかりが当世に光っている。野々宮君のような新式の学者が、もの好きにこんな家を借りて、封建時代の孟宗藪を見て暮らすのと同格である。もの好きならば当人の随意だが、もし必要にせまられて、郊外にみずからを放逐したとすると、はなはだ気の毒である。聞くところによると、あれだけの学者で、月にたった五十五円しか、大学からもらっていないそうだ。だからやむをえず私立学校へ教えにゆくのだろう。それで妹に入院されてはたまるまい。大久保へ越したのも、あるいはそんな経済上のつごうかもしれない。……
宵の口ではあるが、場所が場所だけにしんとしている。庭の先で虫の音がする。ひとりですわっていると、さみしい秋の初めである。その時遠い所でだれか、
「ああああ、もう少しの間だ」
と言う声がした。方角は家の裏手のようにも思えるが、遠いのでしっかりとはわからなかった。また方角を聞き分ける暇もないうちに済んでしまった。けれども三四郎の耳には明らかにこの一句が、すべてに捨てられた人の、すべてから返事を予期しない、真実の独白と聞こえた。三四郎は気味が悪くなった。ところへまた汽車が遠くから響いて来た。その音が次第に近づいて孟宗藪の下を通る時には、前の列車よりも倍も高い音を立てて過ぎ去った。座敷の微震がやむまでは茫然としていた三四郎は、石火のごとく、さっきの嘆声と今の列車の響きとを、一種の因果で結びつけた。そうして、ぎくんと飛び上がった。その因果は恐るべきものである。
三四郎はこの時じっと座に着いていることのきわめて困難なのを発見した。背筋から足の裏までが疑惧の刺激でむずむずする。立って便所に行った。窓から外をのぞくと、一面の星月夜で、土手下の汽車道は死んだように静かである。それでも竹格子のあいだから鼻を出すくらいにして、暗い所をながめていた。
すると停車場の方から提灯をつけた男がレールの上を伝ってこっちへ来る。話し声で判じると三、四人らしい。提灯の影は踏切から土手下へ隠れて、孟宗藪の下を通る時は、話し声だけになった。けれども、その言葉は手に取るように聞こえた。
「もう少し先だ」
足音は向こうへ遠のいて行く。三四郎は庭先へ回って下駄を突っ掛けたまま孟宗藪の所から、一間余の土手を這い降りて、提灯のあとを追っかけて行った。
五、六間行くか行かないうちに、また一人土手から飛び降りた者がある。――
「轢死じゃないですか」
三四郎は何か答えようとしたが、ちょっと声が出なかった。そのうち黒い男は行き過ぎた。これは野々宮君の奥に住んでいる家の主人だろうと、後をつけながら考えた。半町ほどくると提灯が留まっている。人も留まっている。人は灯をかざしたまま黙っている。三四郎は無言で灯の下を見た。下には死骸が半分ある。汽車は右の肩から乳の下を腰の上までみごとに引きちぎって、斜掛けの胴を置き去りにして行ったのである。顔は無傷である。若い女だ。
三四郎はその時の心持ちをいまだに覚えている。すぐ帰ろうとして、踵をめぐらしかけたが、足がすくんでほとんど動けなかった。土手を這い上がって、座敷へもどったら、動悸が打ち出した。水をもらおうと思って、下女を呼ぶと、下女はさいわいになんにも知らないらしい。しばらくすると、奥の家で、なんだか騒ぎ出した。三四郎は主人が帰ったんだなと覚った。やがて土手の下ががやがやする。それが済むとまた静かになる。ほとんど堪え難いほどの静かさであった。
三四郎の目の前には、ありありとさっきの女の顔が見える。その顔と「ああああ……」と言った力のない声と、その二つの奥に潜んでおるべきはずの無残な運命とを、継ぎ合わして考えてみると、人生という丈夫そうな命の根が、知らぬまに、ゆるんで、いつでも暗闇へ浮き出してゆきそうに思われる。三四郎は欲も得もいらないほどこわかった。ただごうという一瞬間である。そのまえまではたしかに生きていたに違いない。
三四郎はこの時ふと汽車で水蜜桃をくれた男が、あぶないあぶない、気をつけないとあぶない、と言ったことを思い出した。あぶないあぶないと言いながら、あの男はいやにおちついていた。つまりあぶないあぶないと言いうるほどに、自分はあぶなくない地位に立っていれば、あんな男にもなれるだろう。世の中にいて、世の中を傍観している人はここに面白味があるかもしれない。どうもあの水蜜桃の食いぐあいから、青木堂で茶を飲んでは煙草を吸い、煙草を吸っては茶を飲んで、じっと正面を見ていた様子は、まさにこの種の人物である。――批評家である。――三四郎は妙な意味に批評家という字を使ってみた。使ってみて自分でうまいと感心した。のみならず自分も批評家として、未来に存在しようかとまで考えだした。あのすごい死顔を見るとこんな気も起こる。
三四郎は部屋のすみにあるテーブルと、テーブルの前にある椅子と、椅子の横にある本箱と、その本箱の中に行儀よく並べてある洋書を見回して、この静かな書斎の主人は、あの批評家と同じく無事で幸福であると思った。――光線の圧力を研究するために、女を轢死させることはあるまい。主人の妹は病気である。けれども兄の作った病気ではない。みずからかかった病気である。などとそれからそれへと頭が移ってゆくうちに、十一時になった。中野行の電車はもう来ない。あるいは病気が悪いので帰らないのかしらと、また心配になる。ところへ野々宮から電報が来た。妹無事、あす朝帰るとあった。
安心して床にはいったが、三四郎の夢はすこぶる危険であった。――轢死を企てた女は、野々宮に関係のある女で、野々宮はそれと知って家へ帰って来ない。ただ三四郎を安心させるために電報だけ掛けた。妹無事とあるのは偽りで、今夜轢死のあった時刻に妹も死んでしまった。そうしてその妹はすなわち三四郎が池の端で会った女である。……
三四郎はあくる日例になく早く起きた。
寝つけない所に寝た床のあとをながめて、煙草を一本のんだが、ゆうべの事は、すべて夢のようである。椽側へ出て、低い廂の外にある空を仰ぐと、きょうはいい天気だ。世界が今朗らかになったばかりの色をしている。飯を済まして茶を飲んで、椽側に椅子を持ち出して新聞を読んでいると、約束どおり野々宮君が帰って来た。
「昨夜、そこに轢死があったそうですね」と言う。停車場か何かで聞いたものらしい。三四郎は自分の経験を残らず話した。
「それは珍しい。めったに会えないことだ。ぼくも家におればよかった。死骸はもう片づけたろうな。行っても見られないだろうな」
「もうだめでしょう」と一口答えたが、野々宮君ののん気なのには驚いた。三四郎はこの無神経をまったく夜と昼の差別から起こるものと断定した。光線の圧力を試験する人の性癖が、こういう場合にも、同じ態度で表われてくるのだとはまるで気がつかなかった。年が若いからだろう。
三四郎は話を転じて、病人のことを尋ねた。野々宮君の返事によると、はたして自分の推測どおり病人に異状はなかった。ただ五、六日以来行ってやらなかったものだから、それを物足りなく思って、退屈紛れに兄を釣り寄せたのである。きょうは日曜だのに来てくれないのはひどいと言って怒っていたそうである。それで野々宮君は妹をばかだと言っている。本当にばかだと思っているらしい。この忙しいものに大切な時間を浪費させるのは愚だというのである。けれども三四郎にはその意味がほとんどわからなかった。わざわざ電報を掛けてまで会いたがる妹なら、日曜の一晩や二晩をつぶしたって惜しくはないはずである。そういう人に会って過ごす時間が、本当の時間で、穴倉で光線の試験をして暮らす月日はむしろ人生に遠い閑生涯というべきものである。自分が野々宮君であったならば、この妹のために勉強の妨害をされるのをかえってうれしく思うだろう。くらいに感じたが、その時は轢死の事を忘れていた。
野々宮君は昨夜よく寝られなかったものだからぼんやりしていけないと言いだした。きょうはさいわい昼から早稲田の学校へ行く日で、大学のほうは休みだから、それまで寝ようと言っている。「だいぶおそくまで起きていたんですか」と三四郎が聞くと、じつは偶然、高等学校で教わったもとの先生の広田という人が妹の見舞いに来てくれて、みんなで話をしているうちに、電車の時間に遅れて、つい泊ることにした。広田の家へ泊るべきのを、また妹がだだをこねて、ぜひ病院に泊れと言って聞かないから、やむをえず狭い所へ寝たら、なんだか苦しくって寝つかれなかった。どうも妹は愚物だ。とまた妹を攻撃する。三四郎はおかしくなった。少し妹のために弁護しようかと思ったが、なんだか言いにくいのでやめにした。
その代り広田さんの事を聞いた。三四郎は広田さんの名前をこれで三、四へん耳にしている。そうして、水蜜桃の先生と青木堂の先生に、ひそかに広田さんの名をつけている。それから正門内で意地の悪い馬に苦しめられて、喜多床の職人に笑われたのもやはり広田先生にしてある。ところが今承ってみると、馬の件ははたして広田先生であった。それで水蜜桃も必ず同先生に違いないと決めた。考えると、少し無理のようでもある。
帰る時に、ついでだから、午前中に届けてもらいたいと言って、袷を一枚病院まで頼まれた。三四郎は大いにうれしかった。
三四郎は新しい四角な帽子をかぶっている。この帽子をかぶって病院に行けるのがちょっと得意である。さえざえしい顔をして野々宮君の家を出た。
御茶の水で電車を降りて、すぐ俥に乗った。いつもの三四郎に似合わぬ所作である。威勢よく赤門を引き込ませた時、法文科のベルが鳴り出した。いつもならノートとインキ壺を持って、八番の教室にはいる時分である。一、二時間の講義ぐらい聞きそくなってもかまわないという気で、まっすぐに青山内科の玄関まで乗りつけた。
上がり口を奥へ、二つ目の角を右へ切れて、突当たりを左へ曲がると東側の部屋だと教わったとおり歩いて行くと、はたしてあった。黒塗りの札に野々宮よし子と仮名で書いて、戸口に掛けてある。三四郎はこの名前を読んだまま、しばらく戸口の所でたたずんでいた。いなか物だからノックするなぞという気の利いた事はやらない。「この中にいる人が、野々宮君の妹で、よし子という女である」
三四郎はこう思って立っていた。戸をあけて顔が見たくもあるし、見て失望するのがいやでもある。自分の頭の中に往来する女の顔は、どうも野々宮宗八さんに似ていないのだから困る。
うしろから看護婦が草履の音をたてて近づいて来た。三四郎は思い切って戸を半分ほどあけた。そうして中にいる女と顔を見合わせた。(片手にハンドルをもったまま)
目の大きな、鼻の細い、唇の薄い、鉢が開いたと思うくらいに、額が広くって顎がこけた女であった。造作はそれだけである。けれども三四郎は、こういう顔だちから出る、この時にひらめいた咄嗟の表情を生まれてはじめて見た。青白い額のうしろに、自然のままにたれた濃い髪が、肩まで見える。それへ東窓をもれる朝日の光が、うしろからさすので、髪と日光の触れ合う境のところが菫色に燃えて、生きた暈をしょってる。それでいて、顔も額もはなはだ暗い。暗くて青白い。そのなかに遠い心持ちのする目がある。高い雲が空の奥にいて容易に動かない。けれども動かずにもいられない。ただなだれるように動く。女が三四郎を見た時は、こういう目つきであった。
三四郎はこの表情のうちにものうい憂鬱と、隠さざる快活との統一を見いだした。その統一の感じは三四郎にとって、最も尊き人生の一片である。そうして一大発見である。三四郎はハンドルをもったまま、――顔を戸の影から半分部屋の中に差し出したままこの刹那の感に自らを放下し去った。
「おはいりなさい」
女は三四郎を待ち設けたように言う。その調子には初対面の女には見いだすことのできない、安らかな音色があった。純粋の子供か、あらゆる男児に接しつくした婦人でなければ、こうは出られない。なれなれしいのとは違う。初めから古い知り合いなのである。同時に女は肉の豊かでない頬を動かしてにこりと笑った。青白いうちに、なつかしい暖かみができた。三四郎の足はしぜんと部屋の内へはいった。その時青年の頭のうちには遠い故郷にある母の影がひらめいた。
戸のうしろへ回って、はじめて正面に向いた時、五十あまりの婦人が三四郎に挨拶をした。この婦人は三四郎のからだがまだ扉の陰を出ないまえから席を立って待っていたものとみえる。
「小川さんですか」と向こうから尋ねてくれた。顔は野々宮君に似ている。娘にも似ている。しかしただ似ているというだけである。頼まれた風呂敷包みを出すと、受け取って、礼を述べて、
「どうぞ」と言いながら椅子をすすめたまま、自分は寝台の向こう側へ回った。
寝台の上に敷いた蒲団を見るとまっ白である。上へ掛けるものもまっ白である。それを半分ほど斜にはぐって、裾のほうが厚く見えるところを、よけるように、女は窓を背にして腰をかけた。足は床に届かない。手に編針を持っている。毛糸のたまが寝台の下に転がった。女の手から長い赤い糸が筋を引いている。三四郎は寝台の下から、毛糸のたまを取り出してやろうかと思った、けれども、女が毛糸にはまるで無頓着でいるので控えた。
おっかさんが向こう側から、しきりに昨夜の礼を述べる。お忙しいところをなどと言う。三四郎は、いいえ、どうせ遊んでいますからと言う。二人が話をしているあいだ、よし子は黙っていた。二人の話が切れた時、突然、
「ゆうべの轢死を御覧になって」と聞いた。見ると部屋のすみに新聞がある。三四郎が、
「ええ」と言う。
「こわかったでしょう」と言いながら、少し首を横に曲げて、三四郎を見た。兄に似て首の長い女である。三四郎はこわいともこわくないとも答えずに、女の首の曲がりぐあいをながめていた。半分は質問があまり単純なので、答に窮したのである。半分は答えるのを忘れたのである。女は気がついたとみえて、すぐ首をまっすぐにした。そうして青白い頬の奥を少し赤くした。三四郎はもう帰るべき時間だと考えた。
挨拶をして、部屋を出て、玄関正面へ来て、向こうを見ると、長い廊下のはずれが四角に切れて、ぱっと明るく、表の緑が映る上がり口に、池の女が立っている。はっと驚いた三四郎の足は、さっそく歩調に狂いができた。その時透明な空気の画布の中に暗く描かれた女の影は一足前へ動いた。三四郎も誘われたように前へ動いた。二人は一筋道の廊下のどこかですれ違わねばならぬ運命をもって互いに近づいて来た。すると女が振り返った。明るい表の空気の中には、初秋の緑が浮いているばかりである。振り返った女の目に応じて、四角の中に、現われたものもなければ、これを待ち受けていたものもない。三四郎はそのあいだに女の姿勢と服装を頭の中へ入れた。
着物の色はなんという名かわからない。大学の池の水へ、曇った常磐木の影が映る時のようである。それはあざやかな縞が、上から下へ貫いている。そうしてその縞が貫きながら波を打って、互いに寄ったり離れたり、重なって太くなったり、割れて二筋になったりする。不規則だけれども乱れない。上から三分一のところを、広い帯で横に仕切った。帯の感じには暖かみがある。黄を含んでいるためだろう。
うしろを振り向いた時、右の肩が、あとへ引けて、左の手が腰に添ったまま前へ出た。ハンケチを持っている。そのハンケチの指に余ったところが、さらりと開いている。絹のためだろう。――腰から下は正しい姿勢にある。
女はやがてもとのとおりに向き直った。目を伏せて二足ばかり三四郎に近づいた時、突然首を少しうしろに引いて、まともに男を見た。二重瞼の切長のおちついた恰好である。目立って黒い眉毛の下に生きている。同時にきれいな歯があらわれた。この歯とこの顔色とは三四郎にとって忘るべからざる対照であった。
きょうは白いものを薄く塗っている。けれども本来の地を隠すほどに無趣味ではなかった。こまやかな肉が、ほどよく色づいて、強い日光にめげないように見える上を、きわめて薄く粉が吹いている。てらてら照る顔ではない。
肉は頬といわず顎といわずきちりと締まっている。骨の上に余ったものはたんとないくらいである。それでいて、顔全体が柔かい。肉が柔かいのではない骨そのものが柔かいように思われる。奥行きの長い感じを起こさせる顔である。
女は腰をかがめた。三四郎は知らぬ人に礼をされて驚いたというよりも、むしろ礼のしかたの巧みなのに驚いた。腰から上が、風に乗る紙のようにふわりと前に落ちた。しかも早い。それで、ある角度まで来て苦もなくはっきりととまった。むろん習って覚えたものではない。
「ちょっと伺いますが……」と言う声が白い歯のあいだから出た。きりりとしている。しかし鷹揚である。ただ夏のさかりに椎の実がなっているかと人に聞きそうには思われなかった。三四郎はそんな事に気のつく余裕はない。
「はあ」と言って立ち止まった。
「十五号室はどの辺になりましょう」
十五号は三四郎が今出て来た部屋である。
「野々宮さんの部屋ですか」
今度は女のほうが「はあ」と言う。
「野々宮さんの部屋はね、その角を曲がって突き当って、また左へ曲がって、二番目の右側です」
「その角を……」と言いながら女は細い指を前へ出した。
「ええ、ついその先の角です」
「どうもありがとう」
女は行き過ぎた。三四郎は立ったまま、女の後姿を見守っている。女は角へ来た。曲がろうとするとたんに振り返った。三四郎は赤面するばかりに狼狽した。女はにこりと笑って、この角ですかというようなあいずを顔でした。三四郎は思わずうなずいた。女の影は右へ切れて白い壁の中へ隠れた。
三四郎はぶらりと玄関を出た。医科大学生と間違えて部屋の番号を聞いたのかしらんと思って、五、六歩あるいたが、急に気がついた。女に十五号を聞かれた時、もう一ぺんよし子の部屋へあともどりをして、案内すればよかった。残念なことをした。
三四郎はいまさらとって帰す勇気は出なかった。やむをえずまた五、六歩あるいたが、今度はぴたりととまった。三四郎の頭の中に、女の結んでいたリボンの色が映った。そのリボンの色も質も、たしかに野々宮君が兼安で買ったものと同じであると考え出した時、三四郎は急に足が重くなった。図書館の横をのたくるように正門の方へ出ると、どこから来たか与次郎が突然声をかけた。
「おいなぜ休んだ。きょうはイタリー人がマカロニーをいかにして食うかという講義を聞いた」と言いながら、そばへ寄って来て三四郎の肩をたたいた。
二人は少しいっしょに歩いた。正門のそばへ来た時、三四郎は、
「君、今ごろでも薄いリボンをかけるものかな。あれは極暑に限るんじゃないか」と聞いた。与次郎はアハハハと笑って、
「○○教授に聞くがいい。なんでも知ってる男だから」と言って取り合わなかった。
正門の所で三四郎はぐあいが悪いからきょうは学校を休むと言い出した。与次郎はいっしょについて来て損をしたといわぬばかりに教室の方へ帰って行った。 -
森鴎外「じいさんばあさん」石丸絹子朗読
Sep 12, 2018
じいさんばあさん
森鴎外
文化六年の春が暮れて行く頃であった。麻布竜土町の、今歩兵第三聯隊の兵営になっている地所の南隣で、三河国奥殿の領主松平左七郎乗羨と云う大名の邸の中に、大工が這入って小さい明家を修復している。近所のものが誰の住まいになるのだと云って聞けば、松平の家中の士で、宮重久右衛門と云う人が隠居所を拵えるのだと云うことである。なる程宮重の家の離座敷と云っても好いような明家で、只台所だけが、小さいながらに、別に出来ていたのである。近所のものが、そんなら久右衛門さんが隠居しなさるのだろうかと云って聞けば、そうではないそうである。田舎にいた久右衛門さんの兄きが出て来て這入るのだと云うことである。
四月五日に、まだ壁が乾き切らぬと云うのに、果して見知らぬ爺いさんが小さい荷物を持って、宮重方に著いて、すぐに隠居所に這入った。久右衛門は胡麻塩頭をしているのに、この爺いさんは髪が真白である。それでも腰などは少しも曲がっていない。結構な拵の両刀を挿した姿がなかなか立派である。どう見ても田舎者らしくはない。
爺いさんが隠居所に這入ってから二三日立つと、そこへ婆あさんが一人来て同居した。それも真白な髪を小さい丸髷に結っていて、爺いさんに負けぬように品格が好い。それまでは久右衛門方の勝手から膳を運んでいたのに、婆あさんが来て、爺いさんと自分との食べる物を、子供がまま事をするような工合に拵えることになった。
この翁媼二人の中の好いことは無類である。近所のものは、若しあれが若い男女であったら、どうも平気で見ていることが出来まいなどと云った。中には、あれは夫婦ではあるまい、兄妹だろうと云うものもあった。その理由とする所を聞けば、あの二人は隔てのない中に礼儀があって、夫婦にしては、少し遠慮をし過ぎているようだと云うのであった。
二人は富裕とは見えない。しかし不自由はせぬらしく、又久右衛門に累を及ぼすような事もないらしい。殊に婆あさんの方は、跡から大分荷物が来て、衣類なんぞは立派な物を持っているようである。荷物が来てから間もなく、誰が言い出したか、あの婆あさんは御殿女中をしたものだと云う噂が、近所に広まった。
二人の生活はいかにも隠居らしい、気楽な生活である。爺いさんは眼鏡を掛けて本を読む。細字で日記を附ける。毎日同じ時刻に刀剣に打粉を打って拭く。体を極めて木刀を揮る。婆あさんは例のまま事の真似をして、その隙には爺いさんの傍に来て団扇であおぐ。もう時候がそろそろ暑くなる頃だからである。婆あさんが暫くあおぐうちに、爺いさんは読みさした本を置いて話をし出す。二人はさも楽しそうに話すのである。
どうかすると二人で朝早くから出掛けることがある。最初に出て行った跡で、久右衛門の女房が近所のものに話したと云う詞が偶然伝えられた。「あれは菩提所の松泉寺へ往きなすったのでございます。息子さんが生きていなさると、今年三十九になりなさるのだから、立派な男盛と云うものでございますのに」と云ったと云うのである。松泉寺と云うのは、今の青山御所の向裏に当る、赤坂黒鍬谷の寺である。これを聞いて近所のものは、二人が出歩くのは、最初のその日に限らず、過ぎ去った昔の夢の迹を辿るのであろうと察した。
とかくするうちに夏が過ぎ秋が過ぎた。もう物珍らしげに爺いさん婆あさんの噂をするものもなくなった。所が、もう年が押し詰まって十二月二十八日となって、きのうの大雪の跡の道を、江戸城へ往反する、歳暮拝賀の大小名諸役人織るが如き最中に、宮重の隠居所にいる婆あさんが、今お城から下がったばかりの、邸の主人松平左七郎に広間へ呼び出されて、将軍徳川家斉の命を伝えられた。「永年遠国に罷在候夫の為、貞節を尽候趣聞召され、厚き思召を以て褒美として銀十枚下し置かる」と云う口上であった。
今年の暮には、西丸にいた大納言家慶と有栖川職仁親王の女楽宮との婚儀などがあったので、頂戴物をする人数が例年よりも多かったが、宮重の隠居所の婆あさんに銀十枚を下さったのだけは、異数として世間に評判せられた。
これがために宮重の隠居所の翁媼二人は、一時江戸に名高くなった。爺いさんは元大番石川阿波守総恒組美濃部伊織と云って、宮重久右衛門の実兄である。婆あさんは伊織の妻るんと云って、外桜田の黒田家の奥に仕えて表使格になっていた女中である。るんが褒美を貰った時、夫伊織は七十二歳、るん自身は七十一歳であった。――――――――――――――――
明和三年に大番頭になった石川阿波守総恒の組に、美濃部伊織と云う士があった。剣術は儕輩を抜いていて、手跡も好く和歌の嗜もあった。石川の邸は水道橋外で、今白山から来る電車が、お茶の水を降りて来る電車と行き逢う辺の角屋敷になっていた。しかし伊織は番町に住んでいたので、上役とは詰所で落ち合うのみであった。
石川が大番頭になった年の翌年の春、伊織の叔母婿で、やはり大番を勤めている山中藤右衛門と云うのが、丁度三十歳になる伊織に妻を世話をした。それは山中の妻の親戚に、戸田淡路守氏之の家来有竹某と云うものがあって、その有竹のよめの姉を世話したのである。
なぜ妹が先によめに往って、姉が残っていたかと云うと、それは姉が邸奉公をしていたからである。素二人の女は安房国朝夷郡真門村で由緒のある内木四郎右衛門と云うものの娘で、姉のるんは宝暦二年十四歳で、市ヶ谷門外の尾張中納言宗勝の奥の軽い召使になった。それから宝暦十一年尾州家では代替があって、宗睦の世になったが、るんは続いて奉公していて、とうとう明和三年まで十四年間勤めた。その留守に妹は戸田の家来有竹の息子の妻になって、外桜田の邸へ来たのである。
尾州家から下がったるんは二十九歳で、二十四歳になる妹の所へ手助に入り込んで、なるべくお旗本の中で相応な家へよめに往きたいと云っていた。それを山中が聞いて、伊織に世話をしようと云うと、有竹では喜んで親元になって嫁入をさせることにした。そこで房州うまれの内木氏のるんは有竹氏を冒して、外桜田の戸田邸から番町の美濃部方へよめに来たのである。
るんは美人と云う性の女ではない。若し床の間の置物のような物を美人としたら、るんは調法に出来た器具のような物であろう。体格が好く、押出しが立派で、それで目から鼻へ抜けるように賢く、いつでもぼんやりして手を明けていると云うことがない。顔も觀骨が稍出張っているのが疵であるが、眉や目の間に才気が溢れて見える。伊織は武芸が出来、学問の嗜もあって、色の白い美男である。只この人には肝癪持と云う病があるだけである。さて二人が夫婦になったところが、るんはひどく夫を好いて、手に据えるように大切にし、七十八歳になる夫の祖母にも、血を分けたものも及ばぬ程やさしくするので、伊織は好い女房を持ったと思って満足した。それで不断の肝癪は全く迹を斂めて、何事をも勘弁するようになっていた。
翌年は明和五年で伊織の弟宮重はまだ七五郎と云っていたが、主家のその時の当主松平石見守乗穏が大番頭になったので、自分も同時に大番組に入った。これで伊織、七五郎の兄弟は同じ勤をすることになったのである。
この大番と云う役には、京都二条の城と大坂の城とに交代して詰めることがある。伊織が妻を娶ってから四年立って、明和八年に松平石見守が二条在番の事になった。そこで宮重七五郎が上京しなくてはならぬのに病気であった。当時は代人差立と云うことが出来たので、伊織が七五郎の代人として石見守に附いて上京することになった。伊織は、丁度妊娠して臨月になっているるんを江戸に残して、明和八年四月に京都へ立った。
伊織は京都でその年の夏を無事に勤めたが、秋風の立ち初める頃、或る日寺町通の刀剣商の店で、質流れだと云う好い古刀を見出した。兼て好い刀が一腰欲しいと心掛けていたので、それを買いたく思ったが、代金百五十両と云うのが、伊織の身に取っては容易ならぬ大金であった。
伊織は万一の時の用心に、いつも百両の金を胴巻に入れて体に附けていた。それを出すのは惜しくはない。しかし跡五十両の才覚が出来ない。そこで百五十両は高くはないと思いながら、商人にいろいろ説いて、とうとう百三十両までに負けて貰うことにして、買い取る約束をした。三十両は借財をする積なのである。
伊織が金を借りた人は相番の下島甚右衛門と云うものである。平生親しくはせぬが、工面の好いと云うことを聞いていた。そこでこの下島に三十両借りて刀を手に入れ、拵えを直しに遣った。
そのうち刀が出来て来たので、伊織はひどく嬉しく思って、あたかも好し八月十五夜に、親しい友達柳原小兵衛等二三人を招いて、刀の披露旁馳走をした。友達は皆刀を褒めた。酒酣になった頃、ふと下島がその席へ来合せた。めったに来ぬ人なので、伊織は金の催促に来たのではないかと、先ず不快に思った。しかし金を借りた義理があるので、杯をさして団欒に入れた。
暫く話をしているうちに、下島の詞に何となく角があるのに、一同気が附いた。下島は金の催促に来たのではないが、自分の用立てた金で買った刀の披露をするのに自分を招かぬのを不平に思って、わざと酒宴の最中に尋ねて来たのである。
下島は二言三言伊織と言い合っているうちに、とうとうこう云う事を言った。「刀は御奉公のために大切な品だから、随分借財をして買っても好かろう。しかしそれに結構な拵をするのは贅沢だ。その上借財のある身分で刀の披露をしたり、月見をしたりするのは不心得だ」と云った。
この詞の意味よりも、下島の冷笑を帯びた語気が、いかにも聞き苦しかったので、俯向いて聞いていた伊織は勿論、一座の友達が皆不快に思った。
伊織は顔を挙げて云った。「只今のお詞は確に承った。その御返事はいずれ恩借の金子を持参した上で、改て申上げる。親しい間柄と云いながら、今晩わざわざ請待した客の手前がある。どうぞこの席はこれでお立下されい」と云った。
下島は面色が変った。「そうか。返れと云うなら返る。」こう言い放って立ちしなに、下島は自分の前に据えてあった膳を蹴返した。
「これは」と云って、伊織は傍にあった刀を取って立った。伊織の面色はこの時変っていた。
伊織と下島とが向き合って立って、二人が目と目を見合わせた時、下島が一言「たわけ」と叫んだ。その声と共に、伊織の手に白刃が閃いて、下島は額を一刀切られた。
下島は切られながら刀を抜いたが、伊織に刃向うかと思うと、そうでなく、白刃を提げたまま、身を飜して玄関へ逃げた。
伊織が続いて出ると、脇差を抜いた下島の仲間が立ち塞がった。「退け」と叫んだ伊織の横に払った刀に仲間は腕を切られて後へ引いた。
その隙に下島との間に距離が生じたので、伊織が一飛に追い縋ろうとした時、跡から附いて来た柳原小兵衛が、「逃げるなら逃がせい」と云いつつ、背後からしっかり抱き締めた。相手が死なずに済んだなら、伊織の罪が軽減せられるだろうと思ったからである。
伊織は刀を柳原にわたして、しおしおと座に返った。そして黙って俯向いた。
柳原は伊織の向いにすわって云った。「今晩の事は己を始、一同が見ていた。いかにも勘弁出来ぬと云えばそれまでだ。しかし先へ刀を抜いた所存を、一応聞いて置きたい」と云った。
伊織は目に涙を浮べて暫く答えずにいたが、口を開いて一首の歌を誦した。「いまさらに何とか云はむ黒髪の
みだれ心はもとすゑもなし」――――――――――――――――
下島は額の創が存外重くて、二三日立って死んだ。伊織は江戸へ護送せられて取調を受けた。判決は「心得違の廉を以て、知行召放され、有馬左兵衛佐允純へ永の御預仰付らる」と云うことであった。伊織が幸橋外の有馬邸から、越前国丸岡へ遣られたのは、安永と改元せられた翌年の八月である。
跡に残った美濃部家の家族は、それぞれ親類が引き取った。伊織の祖母貞松院は宮重七五郎方に往き、父の顔を見ることの出来なかった嫡子平内と、妻るんとは有竹の分家になっている笠原新八郎方に往った。
二年程立って、貞松院が寂しがってよめの所へ一しょになったが、間もなく八十三歳で、病気と云う程の容体もなく死んだ。安永三年八月二十九日の事である。
翌年又五歳になる平内が流行の疱瘡で死んだ。これは安永四年三月二十八日の事である。
るんは祖母をも息子をも、力の限介抱して臨終を見届け、松泉寺に葬った。そこでるんは一生武家奉公をしようと思い立って、世話になっている笠原を始、親類に奉公先を捜すことを頼んだ。
暫く立つと、有竹氏の主家戸田淡路守氏養の隣邸、筑前国福岡の領主黒田家の当主松平筑前守治之の奥で、物馴れた女中を欲しがっていると云う噂が聞えた。笠原は人を頼んで、そこへるんを目見えに遣った。氏養と云うのは、六年前に氏之の跡を続いだ戸田家の当主である。
黒田家ではるんを一目見て、すぐに雇い入れた。これが安永六年の春であった。
るんはこれから文化五年七月まで、三十一年間黒田家に勤めていて、治之、治高、斉隆、斉清の四代の奥方に仕え、表使格に進められ、隠居して終身二人扶持を貰うことになった。この間るんは給料の中から松泉寺へ金を納めて、美濃部家の墓に香華を絶やさなかった。
隠居を許された時、るんは一旦笠原方へ引き取ったが、間もなく故郷の安房へ帰った。当時の朝夷郡真門村で、今の安房郡江見村である。
その翌年の文化六年に、越前国丸岡の配所で、安永元年から三十七年間、人に手跡や剣術を教えて暮していた夫伊織が、「三月八日浚明院殿御追善の為、御慈悲の思召を以て、永の御預御免仰出され」て、江戸へ帰ることになった。それを聞いたるんは、喜んで安房から江戸へ来て、竜土町の家で、三十七年振に再会したのである。 -
夏目漱石「三四郎」三・前半 山口雄介朗読
Sep 12, 2018
学年は九月十一日に始まった。三四郎は正直に午前十時半ごろ学校へ行ってみたが、玄関前の掲示場に講義の時間割りがあるばかりで学生は一人もいない。自分の聞くべき分だけを手帳に書きとめて、それから事務室へ寄ったら、さすがに事務員だけは出ていた。講義はいつから始まりますかと聞くと、九月十一日から始まると言っている。すましたものである。でも、どの部屋を見ても講義がないようですがと尋ねると、それは先生がいないからだと答えた。三四郎はなるほどと思って事務室を出た。裏へ回って、大きな欅の下から高い空をのぞいたら、普通の空よりも明らかに見えた。熊笹の中を水ぎわへおりて、例の椎の木の所まで来て、またしゃがんだ。あの女がもう一ぺん通ればいいくらいに考えて、たびたび丘の上をながめたが、丘の上には人影もしなかった。三四郎はそれが当然だと考えた。けれどもやはりしゃがんでいた。すると、午砲が鳴ったんで驚いて下宿へ帰った。
翌日は正八時に学校へ行った。正門をはいると、とっつきの大通りの左右に植えてある銀杏の並木が目についた。銀杏が向こうの方で尽きるあたりから、だらだら坂に下がって、正門のきわに立った三四郎から見ると、坂の向こうにある理科大学は二階の一部しか出ていない。その屋根のうしろに朝日を受けた上野の森が遠く輝いている。日は正面にある。三四郎はこの奥行のある景色を愉快に感じた。
銀杏の並木がこちら側で尽きる右手には法文科大学がある。左手には少しさがって博物の教室がある。建築は双方ともに同じで、細長い窓の上に、三角にとがった屋根が突き出している。その三角の縁に当る赤煉瓦と黒い屋根のつぎめの所が細い石の直線でできている。そうしてその石の色が少し青味を帯びて、すぐ下にくるはでな赤煉瓦に一種の趣を添えている。そうしてこの長い窓と、高い三角が横にいくつも続いている。三四郎はこのあいだ野々宮君の説を聞いてから以来、急にこの建物をありがたく思っていたが、けさは、この意見が野々宮君の意見でなくって、初手から自分の持説であるような気がしだした。ことに博物室が法文科と一直線に並んでいないで、少し奥へ引っ込んでいるところが不規則で妙だと思った。こんど野々宮君に会ったら自分の発明としてこの説を持ち出そうと考えた。
法文科の右のはずれから半町ほど前へ突き出している図書館にも感服した。よくわからないがなんでも同じ建築だろうと考えられる。その赤い壁につけて、大きな棕櫚の木を五、六本植えたところが大いにいい。左手のずっと奥にある工科大学は封建時代の西洋のお城から割り出したように見えた。まっ四角にできあがっている。窓も四角である。ただ四すみと入口が丸い。これは櫓を形取ったんだろう。お城だけにしっかりしている。法文科みたように倒れそうでない。なんだか背の低い相撲取りに似ている。
三四郎は見渡すかぎり見渡して、このほかにもまだ目に入らない建物がたくさんあることを勘定に入れて、どことなく雄大な感じを起こした。「学問の府はこうなくってはならない。こういう構えがあればこそ研究もできる。えらいものだ」――三四郎は大学者になったような心持ちがした。
けれども教室へはいってみたら、鐘は鳴っても先生は来なかった。その代り学生も出て来ない。次の時間もそのとおりであった。三四郎は癇癪を起こして教場を出た。そうして念のために池の周囲を二へんばかり回って下宿へ帰った。
それから約十日ばかりたってから、ようやく講義が始まった。三四郎がはじめて教室へはいって、ほかの学生といっしょに先生の来るのを待っていた時の心持ちはじつに殊勝なものであった。神主が装束を着けて、これから祭典でも行なおうとするまぎわには、こういう気分がするだろうと、三四郎は自分で自分の了見を推定した。じっさい学問の威厳に打たれたに違いない。それのみならず、先生がベルが鳴って十五分立っても出て来ないのでますます予期から生ずる敬畏の念を増した。そのうち人品のいいおじいさんの西洋人が戸をあけてはいってきて、流暢な英語で講義を始めた。三四郎はその時 answer という字はアングロ・サクソン語の and-swaru から出たんだということを覚えた。それからスコットの通った小学校の村の名を覚えた。いずれも大切に筆記帳にしるしておいた。その次には文学論の講義に出た。この先生は教室にはいって、ちょっと黒板をながめていたが、黒板の上に書いてある Geschehen という字と Nachbild という字を見て、はあドイツ語かと言って、笑いながらさっさと消してしまった。三四郎はこれがためにドイツ語に対する敬意を少し失ったように感じた。先生は、それから古来文学者が文学に対して下した定義をおよそ二十ばかり並べた。三四郎はこれも大事に手帳に筆記しておいた。午後は大教室に出た。その教室には約七、八十人ほどの聴講者がいた。したがって先生も演説口調であった。砲声一発浦賀の夢を破ってという冒頭であったから、三四郎はおもしろがって聞いていると、しまいにはドイツの哲学者の名がたくさん出てきてはなはだ解しにくくなった。机の上を見ると、落第という字がみごとに彫ってある。よほど暇に任せて仕上げたものとみえて、堅い樫の板をきれいに切り込んだてぎわは素人とは思われない。深刻のできである。隣の男は感心に根気よく筆記をつづけている。のぞいて見ると筆記ではない。遠くから先生の似顔をポンチにかいていたのである。三四郎がのぞくやいなや隣の男はノートを三四郎の方に出して見せた。絵はうまくできているが、そばに久方の雲井の空の子規と書いてあるのは、なんのことだか判じかねた。
講義が終ってから、三四郎はなんとなく疲労したような気味で、二階の窓から頬杖を突いて、正門内の庭を見おろしていた。ただ大きな松や桜を植えてそのあいだに砂利を敷いた広い道をつけたばかりであるが、手を入れすぎていないだけに、見ていて心持ちがいい。野々宮君の話によるとここは昔はこうきれいではなかった。野々宮君の先生のなんとかいう人が、学生の時分馬に乗って、ここを乗り回すうち、馬がいうことを聞かないで、意地を悪くわざと木の下を通るので、帽子が松の枝に引っかかる。下駄の歯が鐙にはさまる。先生はたいへん困っていると、正門前の喜多床という髪結床の職人がおおぜい出てきて、おもしろがって笑っていたそうである。その時分には有志の者が醵金して構内に厩をこしらえて、三頭の馬と、馬の先生とを飼っておいた。ところが先生がたいへんな酒飲みで、とうとう三頭のうちのいちばんいい白い馬を売って飲んでしまった。それはナポレオン三世時代の老馬であったそうだ。まさかナポレオン三世時代でもなかろう。しかしのん気な時代もあったものだと考えていると、さっきポンチ絵をかいた男が来て、
「大学の講義はつまらんなあ」と言った。三四郎はいいかげんな返事をした。じつはつまるかつまらないか、三四郎にはちっとも判断ができないのである。しかしこの時からこの男と口をきくようになった。
その日はなんとなく気が鬱して、おもしろくなかったので、池の周囲を回ることは見合わせて家へ帰った。晩食後筆記を繰り返して読んでみたが、べつに愉快にも不愉快にもならなかった。母に言文一致の手紙を書いた。――学校は始まった。これから毎日出る。学校はたいへん広いいい場所で、建物もたいへん美しい。まん中に池がある。池の周囲を散歩するのが楽しみだ。電車には近ごろようやく乗り馴れた。何か買ってあげたいが、何がいいかわからないから、買ってあげない。ほしければそっちから言ってきてくれ。今年の米はいまに価が出るから、売らずにおくほうが得だろう。三輪田のお光さんにはあまり愛想よくしないほうがよかろう。東京へ来てみると人はいくらでもいる。男も多いが女も多い。というような事をごたごた並べたものであった。
手紙を書いて、英語の本を六、七ページ読んだらいやになった。こんな本を一冊ぐらい読んでもだめだと思いだした。床を取って寝ることにしたが、寝つかれない。不眠症になったらはやく病院に行って見てもらおうなどと考えているうちに寝てしまった。
あくる日も例刻に学校へ行って講義を聞いた。講義のあいだに今年の卒業生がどこそこへいくらで売れたという話を耳にした。だれとだれがまだ残っていて、それがある官立学校の地位を競争している噂だなどと話している者があった。三四郎は漠然と、未来が遠くから眼前に押し寄せるようなにぶい圧迫を感じたが、それはすぐ忘れてしまった。むしろ昇之助がなんとかしたというほうの話がおもしろかった。そこで廊下で熊本出の同級生をつかまえて、昇之助とはなんだと聞いたら、寄席へ出る娘義太夫だと教えてくれた。それから寄席の看板はこんなもので、本郷のどこにあるということまで言って聞かせたうえ、今度の土曜にいっしょに行こうと誘ってくれた。よく知ってると思ったら、この男はゆうべはじめて、寄席へ、はいったのだそうだ。三四郎はなんだか寄席へ行って昇之助が見たくなった。
昼飯を食いに下宿へ帰ろうと思ったら、きのうポンチ絵をかいた男が来て、おいおいと言いながら、本郷の通りの淀見軒という所に引っ張って行って、ライスカレーを食わした。淀見軒という所は店で果物を売っている。新しい普請であった。ポンチ絵をかいた男はこの建築の表を指さして、これがヌーボー式だと教えた。三四郎は建築にもヌーボー式があるものとはじめて悟った。帰り道に青木堂も教わった。やはり大学生のよく行く所だそうである。赤門をはいって、二人で池の周囲を散歩した。その時ポンチ絵の男は、死んだ小泉八雲先生は教員控室へはいるのがきらいで講義がすむといつでもこの周囲をぐるぐる回って歩いたんだと、あたかも小泉先生に教わったようなことを言った。なぜ控室へはいらなかったのだろうかと三四郎が尋ねたら、
「そりゃあたりまえださ。第一彼らの講義を聞いてもわかるじゃないか。話せるものは一人もいやしない」と手ひどいことを平気で言ったには三四郎も驚いた。この男は佐々木与次郎といって、専門学校を卒業して、今年また選科へはいったのだそうだ。東片町の五番地の広田という家にいるから、遊びに来いと言う。下宿かと聞くと、なに高等学校の先生の家だと答えた。
それから当分のあいだ三四郎は毎日学校へ通って、律義に講義を聞いた。必修課目以外のものへも時々出席してみた。それでも、まだもの足りない。そこでついには専攻課目にまるで縁故のないものまでへもおりおりは顔を出した。しかしたいていは二度か三度でやめてしまった。一か月と続いたのは少しもなかった。それでも平均一週に約四十時間ほどになる。いかな勤勉な三四郎にも四十時間はちと多すぎる。三四郎はたえず一種の圧迫を感じていた。しかるにもの足りない。三四郎は楽しまなくなった。
ある日佐々木与次郎に会ってその話をすると、与次郎は四十時間と聞いて、目を丸くして、「ばかばか」と言ったが、「下宿屋のまずい飯を一日に十ぺん食ったらもの足りるようになるか考えてみろ」といきなり警句でもって三四郎をどやしつけた。三四郎はすぐさま恐れ入って、「どうしたらよかろう」と相談をかけた。
「電車に乗るがいい」と与次郎が言った。三四郎は何か寓意でもあることと思って、しばらく考えてみたが、べつにこれという思案も浮かばないので、
「本当の電車か」と聞き直した。その時与次郎はげらげら笑って、
「電車に乗って、東京を十五、六ぺん乗り回しているうちにはおのずからもの足りるようになるさ」と言う。
「なぜ」
「なぜって、そう、生きてる頭を、死んだ講義で封じ込めちゃ、助からない。外へ出て風を入れるさ。その上にもの足りる工夫はいくらでもあるが、まあ電車が一番の初歩でかつもっとも軽便だ」
その日の夕方、与次郎は三四郎を拉して、四丁目から電車に乗って、新橋へ行って、新橋からまた引き返して、日本橋へ来て、そこで降りて、
「どうだ」と聞いた。
次に大通りから細い横町へ曲がって、平の家という看板のある料理屋へ上がって、晩飯を食って酒を飲んだ。そこの下女はみんな京都弁を使う。はなはだ纏綿している。表へ出た与次郎は赤い顔をして、また
「どうだ」と聞いた。
次に本場の寄席へ連れて行ってやると言って、また細い横町へはいって、木原店という寄席を上がった。ここで小さんという落語家を聞いた。十時過ぎ通りへ出た与次郎は、また
「どうだ」と聞いた。
三四郎は物足りたとは答えなかった。しかしまんざらもの足りない心持ちもしなかった。すると与次郎は大いに小さん論を始めた。
小さんは天才である。あんな芸術家はめったに出るものじゃない。いつでも聞けると思うから安っぽい感じがして、はなはだ気の毒だ。じつは彼と時を同じゅうして生きている我々はたいへんなしあわせである。今から少しまえに生まれても小さんは聞けない。少しおくれても同様だ。――円遊もうまい。しかし小さんとは趣が違っている。円遊のふんした太鼓持は、太鼓持になった円遊だからおもしろいので、小さんのやる太鼓持は、小さんを離れた太鼓持だからおもしろい。円遊の演ずる人物から円遊を隠せば、人物がまるで消滅してしまう。小さんの演ずる人物から、いくら小さんを隠したって、人物は活発溌地に躍動するばかりだ。そこがえらい。
与次郎はこんなことを言って、また
「どうだ」と聞いた。実をいうと三四郎には小さんの味わいがよくわからなかった。そのうえ円遊なるものはいまだかつて聞いたことがない。したがって与次郎の説の当否は判定しにくい。しかしその比較のほとんど文学的といいうるほどに要領を得たには感服した。
高等学校の前で別れる時、三四郎は、
「ありがとう、大いにもの足りた」と礼を述べた。すると与次郎は、
「これからさきは図書館でなくっちゃもの足りない」と言って片町の方へ曲がってしまった。この一言で三四郎ははじめて図書館にはいることを知った。
その翌日から三四郎は四十時間の講義をほとんど半分に減らしてしまった。そうして図書館にはいった。広く、長く、天井が高く、左右に窓のたくさんある建物であった。書庫は入口しか見えない。こっちの正面からのぞくと奥には、書物がいくらでも備えつけてあるように思われる。立って見ていると、書庫の中から、厚い本を二、三冊かかえて、出口へ来て左へ折れて行く者がある。職員閲覧室へ行く人である。なかには必要の本を書棚からとりおろして、胸いっぱいにひろげて、立ちながら調べている人もある。三四郎はうらやましくなった。奥まで行って二階へ上がって、それから三階へ上がって、本郷より高い所で、生きたものを近づけずに、紙のにおいをかぎながら、――読んでみたい。けれども何を読むかにいたっては、べつにはっきりした考えがない。読んでみなければわからないが、何かあの奥にたくさんありそうに思う。
三四郎は一年生だから書庫へはいる権利がない。しかたなしに、大きな箱入りの札目録を、こごんで一枚一枚調べてゆくと、いくらめくってもあとから新しい本の名が出てくる。しまいに肩が痛くなった。顔を上げて、中休みに、館内を見回すと、さすがに図書館だけあって静かなものである。しかも人がたくさんいる。そうして向こうのはずれにいる人の頭が黒く見える。目口ははっきりしない。高い窓の外から所々に木が見える。空も少し見える。遠くから町の音がする。三四郎は立ちながら、学者の生活は静かで深いものだと考えた。それでその日はそのまま帰った。
次の日は空想をやめて、はいるとさっそく本を借りた。しかし借りそくなったので、すぐ返した。あとから借りた本はむずかしすぎて読めなかったからまた返した。三四郎はこういうふうにして毎日本を八、九冊ずつは必ず借りた。もっともたまにはすこし読んだのもある。三四郎が驚いたのは、どんな本を借りても、きっとだれか一度は目を通しているという事実を発見した時であった。それは書中ここかしこに見える鉛筆のあとでたしかである。ある時三四郎は念のため、アフラ・ベーンという作家の小説を借りてみた。あけるまでは、よもやと思ったが、見るとやはり鉛筆で丁寧にしるしがつけてあった。この時三四郎はこれはとうていやりきれないと思った。ところへ窓の外を楽隊が通ったんで、つい散歩に出る気になって、通りへ出て、とうとう青木堂へはいった。
はいってみると客が二組あって、いずれも学生であったが、向こうのすみにたった一人離れて茶を飲んでいた男がある。三四郎がふとその横顔を見ると、どうも上京の節汽車の中で水蜜桃をたくさん食った人のようである。向こうは気がつかない。茶を一口飲んでは煙草を一吸いすって、たいへんゆっくり構えている。きょうは白地の浴衣をやめて、背広を着ている。しかしけっしてりっぱなものじゃない。光線の圧力の野々宮君より白シャツだけがましなくらいなものである。三四郎は様子を見ているうちにたしかに水蜜桃だと物色した。大学の講義を聞いてから以来、汽車の中でこの男の話したことがなんだか急に意義のあるように思われだしたところなので、三四郎はそばへ行って挨拶をしようかと思った。けれども先方は正面を見たなり、茶を飲んでは煙草をふかし、煙草をふかしては茶を飲んでいる。手の出しようがない。
三四郎はじっとその横顔をながめていたが、突然コップにある葡萄酒を飲み干して、表へ飛び出した。そうして図書館に帰った。
その日は葡萄酒の景気と、一種の精神作用とで、例になくおもしろい勉強ができたので、三四郎は大いにうれしく思った。二時間ほど読書三昧に入ったのち、ようやく気がついて、そろそろ帰るしたくをしながら、いっしょに借りた書物のうち、まだあけてみなかった最後の一冊を何気なく引っぺがしてみると、本の見返しのあいた所に、乱暴にも、鉛筆でいっぱい何か書いてある。
「ヘーゲルのベルリン大学に哲学を講じたる時、ヘーゲルに毫も哲学を売るの意なし。彼の講義は真を説くの講義にあらず、真を体せる人の講義なり。舌の講義にあらず、心の講義なり。真と人と合して醇化一致せる時、その説くところ、言うところは、講義のための講義にあらずして、道のための講義となる。哲学の講義はここに至ってはじめて聞くべし。いたずらに真を舌頭に転ずるものは、死したる墨をもって、死したる紙の上に、むなしき筆記を残すにすぎず。なんの意義かこれあらん。……余今試験のため、すなわちパンのために、恨みをのみ涙をのんでこの書を読む。岑々たる頭をおさえて未来永劫に試験制度を呪詛することを記憶せよ」
とある。署名はむろんない。三四郎は覚えず微笑した。けれどもどこか啓発されたような気がした。哲学ばかりじゃない、文学もこのとおりだろうと考えながら、ページをはぐると、まだある。「ヘーゲルの……」よほどヘーゲルの好きな男とみえる。
「ヘーゲルの講義を聞かんとして、四方よりベルリンに集まれる学生は、この講義を衣食の資に利用せんとの野心をもって集まれるにあらず。ただ哲人ヘーゲルなるものありて、講壇の上に、無上普遍の真を伝うると聞いて、向上求道の念に切なるがため、壇下に、わが不穏底の疑義を解釈せんと欲したる清浄心の発現にほかならず。このゆえに彼らはヘーゲルを聞いて、彼らの未来を決定しえたり。自己の運命を改造しえたり。のっぺらぼうに講義を聞いて、のっぺらぼうに卒業し去る公ら日本の大学生と同じ事と思うは、天下の己惚れなり。公らはタイプ・ライターにすぎず。しかも欲張ったるタイプ・ライターなり。公らのなすところ、思うところ、言うところ、ついに切実なる社会の活気運に関せず。死に至るまでのっぺらぼうなるかな。死に至るまでのっぺらぼうなるかな」
と、のっぺらぼうを二へん繰り返している。三四郎は黙然として考え込んでいた。すると、うしろからちょいと肩をたたいた者がある。例の与次郎であった。与次郎を図書館で見かけるのは珍しい。彼は講義はだめだが、図書館は大切だと主張する男である。けれども主張どおりにはいることも少ない男である。
「おい、野々宮宗八さんが、君を捜していた」と言う。与次郎が野々宮君を知ろうとは思いがけなかったから、念のため理科大学の野々宮さんかと聞き直すと、うんという答を得た。さっそく本を置いて入口の新聞を閲覧する所まで出て行ったが、野々宮君がいない。玄関まで出てみたがやっぱりいない。石段を降りて、首を延ばしてその辺を見回したが影も形も見えない。やむを得ず引き返した。もとの席へ来てみると、与次郎が、例のヘーゲル論をさして、小さな声で、
「だいぶ振ってる。昔の卒業生に違いない。昔のやつは乱暴だが、どこかおもしろいところがある。実際このとおりだ」とにやにやしている。だいぶ気に入ったらしい。三四郎は
「野々宮さんはおらんぜ」と言う。
「さっき入口にいたがな」
「何か用があるようだったか」
「あるようでもあった」
二人はいっしょに図書館を出た。その時与次郎が話した。――野々宮君は自分の寄寓している広田先生の、もとの弟子でよく来る。たいへんな学問好きで、研究もだいぶある。その道の人なら、西洋人でもみんな野々宮君の名を知っている。
三四郎はまた、野々宮君の先生で、昔正門内で馬に苦しめられた人の話を思い出して、あるいはそれが広田先生ではなかろうかと考えだした。与次郎にその事を話すと、与次郎は、ことによると、うちの先生だ、そんなことをやりかねない人だと言って笑っていた。
その翌日はちょうど日曜なので、学校では野々宮君に会うわけにゆかない。しかしきのう自分を捜していたことが気がかりになる。さいわいまだ新宅を訪問したことがないから、こっちから行って用事を聞いてきようという気になった。
思い立ったのは朝であったが、新聞を読んでぐずぐずしているうちに昼になる。昼飯を食べたから、出かけようとすると、久しぶりに熊本出の友人が来る。ようやくそれを帰したのはかれこれ四時過ぎである。ちとおそくなったが、予定のとおり出た。 -
下村千秋「神様の布団」福山美奈子朗読
Sep 09, 2018
むかし、鳥取のある町に、新しく小さな一軒の宿屋が出来ました。この宿屋の主人は、貧乏だったので、いろいろの道具類は、みんな古道具屋から買い入れたのでしたが、きれい好きな主人は、何でもきちんと片づけ、ぴかぴかと磨いて、小ぎれいにさっぱりとしておきました。
この宿屋を開いた最初のお客は、一人の行商人でした。主人は、このお客を、それはそれは親切にもてなしました。主人は何よりも大事な店の評判をよくしたかったからです。
お客はあたたかいお酒をいただき、おいしい御馳走を腹いっぱいに食べました。そうして大満足で、柔らかいふっくらとした布団の中へはいって疲れた手足をのばしました。
お酒を飲み、御馳走をたくさん食べたあとでは、だれでもすぐにぐっすりと寝込むものです。ことに外は寒く、寝床の中だけぽかぽかとあたたかい時はなおさらのことです。ところがこのお客ははじめほんのちょっとの間眠ったと思うと、すぐに人の話し声で目をさまされてしまいました。話し声は子供の声でした。よく聞いてみると、それは二人の子供で、同じことをお互いにきき合っているのでした。
「お前、寒いだろう。」
「いいえ、兄さんが寒いでしょう。」
はじめお客は、どこかの子供たちが暗闇に戸惑いして、この部屋へまぎれ込んだのかも知れないと思いました。それで、
「そこで話をしているのはだれですか?」となるべくやさしい声できいてみました。すると、ちょっとの間しんとしました。が、また少したつと、前と同じ子供の声が耳の近くでするのでした。一つの声が、
「お前、寒いだろう。」といたわるように言うと、
もう一つの声が細い弱々しい声で、
「いいえ、兄さんが寒いでしょう。」というのです。
お客は布団をはねのけ、行灯に灯をともして、部屋の中をぐるりと見回しました。しかしだれもいません。障子も元のままぴったりとしまっています。もしやと思って、押し入れの戸を開けて見ましたが、そこにも何も変わったことはありませんでした。で、お客は少し不気味に思いながら、行灯の灯をともしたままで、また床の中にもぐり込みました。と、しばらくするとまたさっきと同じ声がするのです。それもすぐ枕元で、
「お前、寒いだろう。」
「いいえ、兄さんが寒いでしょう。」
お客は急に体中がぞくぞくとして来ました。もうじっとして寝ていられないような気持ちになりました。でも、しばらくじっと我慢していますと、また同じ子供の声がするのです。
お客はがたがたふるえながら、なおも、聞き耳を立てていますと、また同じ声がします。しかも、その声は、自分のかけている布団の中から出て来るではありませんか。――掛け布団が物を言っているのです。
お客は、いきなり飛び起きると、あわてて着物を引っかけ、荷物をかき集めてはしご段を駆け下りました。そうして、寝ている主人を揺り起こして、これこれこうだと、今あったことを息もつかずに話しました。
しかしあんまり不思議な話なので、主人はそれをどうしても信じることが出来ませんでした。商人はあくまでほんとうだと言い張ります。商人と主人とは、互いに押し問答をしていましたが、とうとうしまいに主人は腹を立てて、
「馬鹿なことをおっしゃるな。初めての大切なお客さまを、わざわざ困らせるようなことをいたすわけがありません。あなたはお酒に酔っておやすみになったので、おおかた、そういう夢でもごらんになったのでしょう。」
と、大きな声で言い返しました。けれどもお客は、いつまでもそんなことを言い合ってはいられないほど、おじ気がついていたので、お金を払うと、とっとと、その宿を出て行ってしまいました。あくる日の晩、また一人のお客が、この宿に泊まりました。このお客も前夜のお客と同じように親切にもてなされて、いい気持ちで寝床につきました。
その夜が更けると、宿の主人はまたもそのお客に起こされました。お客の言うことは、前夜のお客の言ったことと同じでした。このお客は、ゆうべの人のようにお酒を飲んではいませんでしたから、宿の主人も酒のせいにすることは出来ませんでした。で主人は、このお客はきっと、自分の稼業の邪魔しようとしてこんなことを言うのだろうと思いました。で、やっぱり前夜と同じように腹を立てて、大きな声で言い返しました。
「大事なお客様です、喜んでいただこうと思いまして、何から何まで手落ちのないようにいたしました。それだのに縁起でもないことをおっしゃる。そんな評判が立ちましたら私どもの店は立ち行きません。まぁよく考えてからものをおっしゃって下さい。」
そう言われると、お客もたいへん機嫌を悪くして、
「わしはほんとうのことを言っているのです。余計なことを言う前に、自身で調べてみなさるがいい。」と言って、これもお金を払うとすぐに、宿を出て行ってしまいました。
お客が行ってしまってからも、主人は一人でぷりぷり怒っていましたが、とにかく一度その布団を調べてみようと思い、二階のお客の部屋へ上って行きました。
布団のそばにすわってじっと様子をうかがっていると、やがて子供の声がしてきました。それはたしかに一枚の掛け布団からするのでした。あとの布団はみんな黙っています。そこで主人は、これは不思議だと、二人のお客にまでつけつけと言ったことを後悔しながら、その掛け布団だけを自分の部屋へ持って来て、そしてそれを掛けて寝てみました。子供の声はたしかにその掛け布団からするのでした。
「お前、寒いだろう。」
「いいえ、兄さんが寒いでしょう。」
主人は一晩中眠ることが出来ませんでした。
夜の明けるのを待って、主人はその布団を買った古着屋へ行き、その話をくわしくしました。古着屋の主人は、そんな布団のいわれは知らないが、その布団は、出入りの古着商から買ったというのです。そこで宿の主人はその出入りの古着商をたずねて行きますと、その人は、あの布団は、町の場末にあるひどく貧乏な商人から買ったのだと言うのでした。で、宿の主人は布団のいわれを探し出すために、根気よくそれからそれへとたずねて行きました。
やがてとうとう、その布団はもと、ある貧しい家のもので、その家族が住んでいた家の家主の手から、買い取ったものだということがわかりました。そこで宿の主人は、次のような布団の身の上話をきくことが出来ました。その布団の持ち主の住んでいた家の家賃は、その頃ただの六十銭でした。それだけでもどんなにみすぼらしい家かはおわかりでしょう。しかしそれほどの家賃の支払いにも困るほどこの家族は貧乏なのでした。というのも、母親は病気で長い間床についたきりでしたし、そのうえにまだ働くことの出来ない二人の子供――六つの女の子と八つになる男の子があり、父親は体が弱くて思うように働くことが出来なかったからです。またこの家族は、頼るべき親戚や知り合いが鳥取の町中に一人もありませんでした。
ある冬の日のこと、父親は仕事から帰って来て、気分が悪いと言って床についたなり、病は急に重くなって、それきり頭が上がらなくなりました。そして一週間ほど薬ものめずにわずらってとうとう死んでしまいました。二人の子供を残された母親は床の中で毎日泣いていましたが、間もなく病が重くなり、母親もついに亡くなってしまったのです。二人の子供は抱き合って泣いているより外はありませんでした。どちらへ行っても知らぬ他人ばかりで、助けてくれるような人は一人もありません。雪に埋もれた町の中で、子供たちは、働こうにも、何一つ仕事がないのでした。子供たちは、家の中の品物を一つずつ売って暮らしていくより外はなかったのです。
売る物と言っても、もとからの貧乏暮らしですから、そうたくさんあろうはずはありません。死んだ父親と母親の着物、自分たちの着物、布団四、五枚、それから粗末な二つ三つの家具、そういう物を二人は順々に売って、とうとう一枚の掛け布団しか残らないようになってしまいました。そうしてついに何も食べるものがない日が来ました。言うまでもなく、家賃などを支払っているどころではありません。
それは冬でも大寒といういちばん寒い季節でした。この季節になると、この地方は、大人の丈ほどの雪が積もり、それが春の四月頃までとけずにいるのです。二人の子供の食べるものがなくなったその日も朝から雪で、午後からは、ひどい吹雪になりました。二人の子供は外へ出ることも出来ません。空いたお腹を抱えながら二人はたった一枚の布団にくるまって、部屋の隅にちぢこまっていました。あばら家のことですからどこも隙間だらけです。その隙間から吹雪は遠慮なく吹き込んで来ます。二人はぶるぶるふるえながら、しっかりと抱き合って、子供らしい言葉で互いに慰め合うよりしかたがありませんでした。
「お前、寒いだろう。」
「いいえ、兄さんが寒いでしょう。」
二人はそれを互いにくり返して、言い合っていました。
そこへ、家主がやって来たのです。無慈悲な家主は怖い顔をして、荒々しく怒って家賃の催促をしました。二人の子供は驚きと悲しみのあまりものを言うことも出来ませんでした。首をすくめ、目をしばたたいているばかりでした。家主は、家の中を、じろじろ見回していましたが、金目の品物は何一つないのを知ると、らんぼうにも、子供たちがくるまっていた一枚の布団をひったくってしまいました。そのうえ子供たちを家の外へ追い出して、家の戸には錠を下ろしてしまったのです。
追い出された二人の兄妹はもとより行く所はありません。少し離れたお寺の庫裡の窓から暖かそうな灯の光が洩れて見えましたが、雪が子供たちの胸ほども積もっていましたので、そこまでも行くことも出来ません。それに子供たちは一枚の着物しか着ていませんので、体中がこごえてしまって、もう一足も動けそうもありませんでした。
そこで二人は、怖い家主が立ち去ったのを見ると、またもとの家の軒下へこっそりとしのび寄りました。
そうしているうちに二人は、だんだんと眠くなって来ました。長い間あんまりひどい寒さにあっていると、だれでも眠くなるものなのです。兄妹は少しでも暖まろうと、互いにぎっしりと抱き合っていました。そしてそのまま静かな眠りに落ちて行きました。こうして兄妹が眠っている間に、神様は新しい布団――真っ白い、それはそれは美しい、やわらかい布団を、抱き合った兄妹の上にそっと掛けて下さいました。兄妹はもう寒さを感じませんでした。そしてそれから幾日も幾日もそのままで安らかに眠りつづけました。
やがてある雪のやんだ日、近所の人が、雪の中に冷たくなっている二人の兄妹の体を見つけ出しました。兄妹はそうして冷たい体になっても互いにしっかと抱き合っていました。宿屋の主人はこの話を聞いてしまうと、しばらくの間だまって目をつぶって、神様に祈るような風をしていました。それから家へ帰って、ものを言う不思議な布団を持ち出して、二人の兄妹の家の近くのお寺へ行って納めました。そして、そこのお坊さんに頼んで、小さい美しい二人の霊のために、ねんごろにお経をあげてもらいました。
それからその布団は、ものを言うことを止めました。そして宿屋もたいへんに繁昌したということであります。 -
小泉八雲 田部隆次訳 「ろくろ首 ROKURO-KUBI」 小宮千明朗読
Sep 09, 2018
ろくろ首
ROKURO-KUBI
小泉八雲
田部隆次訳
五百年ほど前に、九州菊池の侍臣に磯貝平太左衞門武連と云う人がいた。この人は代々武勇にすぐれた祖先からの遺伝で、生れながら弓馬の道に精しく非凡の力量をもっていた。未だ子供の時から劒道、弓術、槍術では先生よりもすぐれて、大胆で熟練な勇士の腕前を充分にあらわしていた。その後、永享年間(西暦一四二九―一四四一)の乱に武功をあらわして、ほまれを授かった事たびたびであった。しかし菊池家が滅亡に陥った時、磯貝は主家を失った。外の大名に使われる事も容易にできたのであったが、自分一身のために立身出世を求めようとは思わず、また以前の主人に心が残っていたので、彼は浮世を捨てる事にした。そして剃髪して僧となり――囘龍と名のって――諸国行脚に出かけた。
しかし僧衣の下には、いつでも囘龍の武士の魂が生きていた。昔、危険をものともしなかったと同じく、今はまた難苦を顧みなかった。それで天気や季節に頓着なく、外の僧侶達のあえて行こうとしない処へ、聖い仏の道を説くために出かけた。その時代は暴戻乱雑の時代であった。それでたとえ僧侶の身でも、一人旅は安全ではなかった。始めての長い旅のうちに、囘龍は折があって、甲斐の国を訪れた。ある夕方の事、その国の山間を旅しているうちに、村から数理を離れた、はなはだ淋しい処で暗くなってしまった。そこで星の下で夜をあかす覚悟をして、路傍の適当な草地を見つけて、そこに臥して眠りにつこうとした。彼はいつも喜んで不自由を忍んだ。それで何も得られない時には、裸の岩は彼にとってはよい寝床になり、松の根はこの上もない枕となった。彼の肉体は鉄であった。露、雨、霜、雪になやんだ事は決してなかった。
横になるや否や、斧と大きな薪の束を脊負うて道をたどって来る人があった。この木こりは横になっている囘龍を見て立ち止まって、しばらく眺めていたあとで、驚きの調子で云った。
「こんなところで独りでねておられる方はそもそもどんな方でしょうか。……このあたりには変化のものが出ます――たくさんに出ます。あなたは魔物を恐れませんか」
囘龍は快活に答えた、「わが友、わしはただの雲水じゃ。それゆえ少しも魔物を恐れない、――たとえ化け狐であれ、化け狸であれ、その外何の化けであれ。淋しい処は、かえって好む処、そん処は黙想をするのによい。わしは大空のうちに眠る事に慣れておる、それから、わしのいのちについて心配しないように修業を積んで来た」
「こんな処に、お休みになる貴僧は、全く大胆な方に相違ない。ここは評判のよくない――はなはだよくない処です。「君子危うきに近よらず」と申します。実際こんな処でお休みになる事ははなはだ危険です。私の家はひどいあばらやですが、御願です、一緒に来て下さい。喰べるものと云っては、さし上げるようなものはありません。が、とにかく屋根がありますから安心してねられます」
熱心に云うので、囘龍はこの男の親切な調子が気に入って、この謙遜な申出を受けた。きこりは往来から分れて、山の森の間の狭い道を案内して上って行った。凸凹の危険な道で、――時々断崖の縁を通ったり、――時々足の踏み場処としては、滑りやすい木の根のからんだものだけであったり、――時々尖った大きな岩の上、または間をうねりくねったりして行った。しかし、ようやく囘龍はある山の頂きの平らな場所へ来た。満月が頭上を照らしていた。見ると自分の前に小さな草ふき屋根の小屋があって、中からは陽気な光がもれていた。きこりは裏口から案内したが、そこへは近処の流れから、竹の筧で水を取ってあった。それから二人は足を洗った。小屋の向うは野菜畠につづいて、竹藪と杉の森になっていた。それからその森の向うに、どこか遥かに高い処から落ちている滝が微かに光って、長い白い着物のように、月光のうちに動いているのが見えた。囘龍が案内者と共に小屋に入った時、四人の男女が炉にもやした小さな火で手を暖めているのを見た。僧に向って丁寧にお辞儀をして、最も恭しき態度で挨拶を云った。囘龍はこんな淋しい処に住んでいるこんな貧しい人々が、上品な挨拶の言葉を知っている事を不思議に思った。「これはよい人々だ」彼は考えた「誰かよく礼儀を知っている人から習ったに相違ない」それから外のものが「あるじ」と云っているその主人に向って云った。
「その親切な言葉や、皆さんから受けたはなはだ丁寧なもてなしから、私はあなたを初めからのきこりとは思われない。たぶん以前は身分のある方でしたろう」
きこりは微笑しながら答えた。
「はい、その通りでございます。ただ今は御覧の通りのくらしをしていますが、昔は相当の身分でした。私の一代記は、自業自得で零落したものの一代記です。私はある大名に仕えて、重もい役を務めていました。しかし余りに酒色に耽って、心が狂ったために悪い行をいたしました。自分の我儘から家の破滅を招いて、たくさんの生命を亡ぼす原因をつくりました。その罸があたって、私は長い間この土地に亡命者となっていました。今では何か私の罪ほろぼしができて、祖先の家名を再興する事のできるようにと、祈っています。しかしそう云う事もできそうにありません。ただ、真面目な懺悔をして、できるだけ不幸な人々を助けて、私の悪業の償いをしたいと思っております」
囘龍はこのよい決心の告白をきいて喜んで主人に云った、
「若い時につまらぬ事をした人が、後になって非常に熱心に正しい行をするようになる事を、これまでわしは見ています。悪に強い人は、決心の力で、また、善にも強くなる事は御経にも書いてあります。御身は善い心の方である事は疑わない。それでどうかよい運を御身の方へ向わせたい。今夜は御身のために読経をして、これまでの悪業に打ち勝つ力を得られる事を祈りましょう」
こう云ってから囘龍は主人に「お休みなさい」を云った。主人は極めて小さな部屋へ案内した。そこには寝床がのべてあった。それから一同眠りについたが、囘龍だけは行燈のあかりのわきで読経を始めた。おそくまで読経勤行に余念はなかった。それからこの小さな寝室の窓をあけて、床につく前に、最後に風景を眺めようとした。夜は美しかった。空には雲もなく、風もなかった。強い月光は樹木のはっきりした黒影を投げて、庭の露の上に輝いていた。きりぎりすや鈴虫の鳴き声は、騒がしい音楽となっていた。近所の滝の音は夜のふけるに随って深くなった。囘龍は水の音を聴いていると、渇きを覚えた。それで家の裏の筧を想い出して、眠っている家人の邪魔をしないで、そこへ出て水を飲もうとした。襖をそっとあけた。そうして、行燈のあかりで、五人の横臥したからだを見たが、それにはいずれも頭がなかった。
直ちに――何か犯罪を想像しながら――彼はびっくりして立った。しかし、つぎに彼はそこに血の流れていない事と、頭は斬られたようには見えない事に気がついた。それから彼は考えた。「これは妖怪に魅されたか、あるいは自分はろくろ首の家におびきよせられたのだ。……「捜神記」に、もし首のない胴だけのろくろ首を見つけて、その胴を別の処にうつしておけば、首は決して再びもとの胴へは帰らないと書いてある。それから更にその書物に、首が帰って来て、胴が移してある事をさとれば、その首は毬のようにはねかえりながら三度地を打って、――非常に恐れて喘ぎながら、やがて死ぬと書いてある。ところで、もしこれがろくろ首なら、禍をなすものゆえ、――その書物の教え通りにしても差支はなかろう」……
彼は主人の足をつかんで、窓まで引いて来て、からだを押し出した。それから裏口に来てみると戸が締っていた。それで彼は首は開いていた屋根の煙出しから出て行った事を察した。静かに戸を開けて庭に出て、向うの森の方へできるだけ用心して進んだ。森の中で話し声が聞えた、それでよい隠れ場所を見つけるまで影から影へと忍びながら――声の方向へ行った。そこで、一本の樹の幹のうしろから首が――五つとも――飛びって、そして飛び
りながら談笑しているのを見た。首は地の上や樹の間で見つけた虫類を喰べていた。やがて主人の首が喰べる事を止めて云った、
「ああ、今夜来たあの旅の僧、――全身よく肥えているじゃないか、あれを皆で喰べたら、さぞ満腹する事であろう。……あんな事を云って、つまらない事をした、――だからおれの魂のために、読経をさせる事になってしまった。経をよんでいるうちは近よる事がむつかしい。称名を唱えている間は手を下す事はできない。しかしもう今は朝に近いから、たぶん眠ったろう。……誰かうちへ行って、あれが何をしているか見届けて来てくれないか」
一つの首――若い女の首――が直ちに立ち上って蝙蝠のように軽く、家の方へ飛んで行った。数分の後、帰って来て、大驚愕の調子で、しゃがれ声で叫んだ、
「あの旅僧はうちにいません、――行ってしまいました。それだけではありません。もっとひどい事には、主人の体を取って行きました。どこへ置いて行ったか分りません」
この報告を聞いて、主人の首が恐ろしい様子になった事は月の光で判然と分った。眼は大きく開いた、髪は逆立った、歯は軋った。それから一つの叫びが唇から破裂した、忿怒の涙を流しながらどなった、
「からだを動かされた以上、再びもと通りになる事はできない。死なねばならない。……皆これがあの僧の仕業だ。死ぬ前にあの僧に飛びついてやろう、――引き裂いてやろう、――喰いつくしてやろう。……ああ、あすこに居る――あの樹のうしろ――あの樹のうしろに隠れている。あれ、――あの肥た臆病者」……
同時に主人の首は他の四つの首を随えて、囘龍に飛びかかった。しかし強い僧は手ごろの若木を引きぬいて武器とし、それを打ちふって首をなぐりつけ、恐ろしい力でなぎたててよせつけなかった。四つの首は逃げ去った。しかし、主人の首だけは、いかに乱打されても、必死となって僧に飛びついて、最後に衣の左の袖に喰いついた。しかし囘龍の方でも素早くまげをつかんでその首を散々になぐった。どうしても袖からは離れなかったが、しかし長い呻きをあげて、それからもがくことを止めた。死んだのであった。しかしその歯はやはり袖に喰いついていた。そして囘龍のありたけの力をもってしても、その顎を開かせる事はできなかった。
彼はその袖に首をつけたままで、家へ戻った。そこには、傷だらけ、血だらけの頭が胴に帰って、四人のろくろ首が坐っているのを見た。裏の戸口に僧を認めて一同は「僧が来た、僧が」と叫んで反対の戸口から森の方へ逃げ出した。
東の方が白んで来て夜は明けかかった。囘龍は化物の力も暗い時だけに限られている事を知っていた。袖についている首を見た――顔は血と泡と泥とで汚れていた。そこで「化物の首とは――何と云うみやげだろう」と考えて大声に笑った。それからわずかの所持品をまとめて、行脚をつづけるために、徐ろに山を下った。
直ちに旅をつづけて、やがて信州諏訪へ来た。諏訪の大通りを、肘に首をぶら下げたまま、堂々と濶歩していた。女は気絶し、子供は叫んで逃げ出した。余りに人だかりがして騒ぎになったので、捕吏が来て、僧を捕えて牢へ連れて行った。その首は殺された人の首で、殺される時、相手の袖に喰いついたものと考えたからであった。囘龍の方では問われた時に微笑ばかりして何にも云わなかった。それから一夜を牢屋ですごしてから、その土地の役人の前に引き出された。それから、どうして僧侶の身分として袖に人の首をつけているか、なぜ衆人の前で厚顔にも自分の罪悪の見せびらかしをあえてするか、説明するように命ぜられた。
囘龍はこの問に対して長く大声で笑った、それから云った、
「皆様、愚僧が袖に首をつけたのではなく、首の方から来てそこへついたので――愚僧迷惑至極に存じております。それから愚僧は何の罪をも犯しません。これは人間の首でなく、化物の首でございます、――それから化物が死んだのは、愚僧が自分の安全を計るために必要な用心をしただけのことからで、血を流して殺したのではございません」……それから彼は更に、全部の冒険談を物語って、五つの首との会戦の話に及んだ時、また一つ大笑いをした。
しかし、役人達は笑わなかった。これは剛腹頑固な罪人で、この話は人を侮辱したものと考えた。それでそれ以上詮索しないで、一同は直ちに死刑の処分をする事にきめたが、一人の老人だけは反対した。この老いた役人は審問の間には何も云わなかったが、同僚の意見を聞いてから、立ち上って云った、「まず首をよく調べましょう、これが未だすんでいないようだから。もしこの僧の云う事が本当なら、首を見れば分る。……首をここへ持って来い」
囘龍の背中からぬき取った衣にかみついている首は、裁判官達の前に置かれた。老人はそれを幾度もして、注意深くそれを調べた。そして頸の項にいくつかの妙な赤い記号らしいものを発見した。その点へ同僚の注意を促した。それから頸の一端がどこにも武器で斬られたらしい跡のない事を見せた。かえって落葉が軸から自然に離れたように、その頸の断面は滑らかであった。……そこで老人は云った、
「僧の云った事は全く本当としか思われない。これはろくろ首だ。「南方異物志」に、本当のろくろ首の項の上には、いつでも一種の赤い文字が見られると書いてある。そこに文字がある。それはあとで書いたのではない事が分る。その上甲斐の国の山中にはよほど昔から、こんな怪物が住んでおる事はよく知られておる。……しかし」囘龍の方へ向いて、老人は叫んだ――「あなたは何と強勇なお坊さんでしょう。たしかにあなたは坊さんには珍らしい勇気を示しました。あなたは坊さんよりは、武士の風がありますな。たぶんあなたの前身は武士でしょう」
「いかにもお察しの通り」と囘龍は答えた。「剃髪の前は、久しく弓矢取る身分であったが、その頃は人間も悪魔も恐れませんでした。当時は九州磯貝平太左衞門武連と名のっていましたが、その名を御記憶の方もあるいはございましょう」
その名前を名のられて、感嘆のささやきが、その法廷に満ちた。その名を覚えている人が多数居合せたからであった。それからこれまでの裁判官達は、たちまち友人となって、兄弟のような親切をつくして感嘆を表わそうとした。恭しく国守の屋敷まで護衛して行った。そこでさまざまの歓待饗応をうけ、褒賞を賜わった後、ようやく退出を許された。面目身に余った囘龍が諏訪を出た時は、このはかない娑婆世界でこの僧ほど、幸福な僧はないと思われた。首はやはり携えて行った――みやげにすると戯れながら。さて、首はその後どうなったか、その話だけ残っている。
諏訪を出て一両日のあと、囘龍は淋しい処で一人の盗賊に止められて、衣類を脱ぐ事を命ぜられた。囘龍は直ちに衣を脱して盗賊に渡した。盗賊はその時、始めて袖にかかっているものに気がついた。さすがの追剥ぎも驚いて、衣を取り落して、飛び退いた。それから叫んだ、「やあ、こりゃとんでもない坊さんだ。おれよりもっと悪党だね。おれも実際これまで人を殺した事はある、しかし袖に人の首をつけて歩いた事はない。……よし、お坊さん、こりゃおれ達は同じ商売仲間だぜ、どうしてもおれは感心せずには居られない。ところで、その首はおれの役に立ちそうだ。おれはそれで人をおどかすんだね。売ってくれないか。おれのきものと、この衣と取り替えよう、それから首の方は五両出す」
囘龍は答えた、
「お前が是非と云うなら、首も衣も上げるが、実はこれは人間の首じゃない。化物の首だ。それで、これを買って、そのために困っても、わしのために欺かれたと思ってはいけない」
「面白い坊さんだね」追剥ぎが叫んだ。「人を殺してそれを冗談にしているのだから、……しかし、おれは全く本気なんだ。さあ、きものはここ、それからお金はここにある。――それから首を下さい。……何もふざけなくってもよかろう」
「さあ、受け取るがよい」囘龍は云った。「わしは少しもふざけていない。何かおかしい事でももしあれば、それはお前がお化けの首を、大金で買うのが馬鹿げていてはおかしいと云う事だけさ」それから囘龍は大笑をして去った。こんなにして盗賊は首と、衣を手に入れてしばらく、お化の僧となって追剥ぎをして歩るいた。しかし諏訪の近傍へ来て、彼は首の本当の話を聞いた。それからろくろ首の亡霊の祟りが恐ろしくなって来た。そこでもとの場所へ、その首をかえして、体と一緒に葬ろうと決心した。彼は甲斐の山中の淋しい小屋へ行く道を見つけたが、そこには誰もいなかった。体も見つからなかった。そこで首だけを小屋のうしろの森に埋めた。それからこのろくろ首の亡霊のために施餓鬼を行った。そしてろくろ首の塚として知られている塚は今日もなお見られる。(とにかく、日本の作者はそう公言する)
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小山清「落穂拾い」海渡みなみ朗読
Sep 03, 2018
仄聞するところによると、ある老詩人が長い歳月をかけて執筆している日記は嘘の日記だそうである。僕はその話を聞いて、その人の孤独にふれる思いがした。きっと寂しい人に違いない。それでなくて、そんな長いあいだに渡って嘘の日記を書きつづけられるわけがない。僕の書くものなどは、もとよりとるに足りないものではあるが、それでもそれが僕にとって嘘の日記に相当すると云えないこともないであろう。僕は出来れば早く年をとってしまいたい。すこし位腰が曲がったって仕方がない。僕はそのときあるいは鶏の雛を売って生計を立てているかも知れない。けれども年寄というものは必ずしも世の中の不如意を託っているとは限らないものである。僕は自分の越し方をかえりみて、好きだった人のことを言葉すくなに語ろうと思う。そして僕の書いたものが、すこしでも僕というものを代弁してくれるならば、それでいいとしなければなるまい。僕の書いたものが、僕というものをどのように人に伝えるかは、それは僕にもわからない。僕にはどんな生活信条もない。ただ愚図な貧しい心から自分の生れつきをそんなに悲しんではいないだけである。イプセンの「野鴨」という劇に、気の弱い主人公が自分の家庭でフリュートを吹奏する場面があるが、僕なんかも笛でも吹けたらなあと思うことがある。たとえばこんな曲はどうかしら。「ひとりで森へ行きましょう。」とか「わたしの心はあのひとに。」とか。まま母に叱られてまたは恋人からすげなくされて、泣いているような娘のご機嫌をとってやり、その涙をやさしく拭ってやれたなら。
誰かに贈物をするような心で書けたらなあ。もはや二十年の昔になるが、神楽坂の夜店商人の間にひとりの似顔絵かきがいた。まだ若い人で、粗末な服装をしていて、不精ひげを生やした顔を寒風にさらしていた。微醺をおびていることもあった。見本に並べてある絵の中にはその人の自画像もあって、それには「ひょっとこの命」と傍書してあった。僕はその頃暖いマントに身を包み、懐ろには身分不相応な小遣いさえ持っていた。その人もいまはあるいは偉い大家になられたかも知れぬのだが、僕はいま自身にひょっとこの命を感じている。
僕はいま武蔵野市の片隅に住んでいる。僕の一日なんておよそ所在ないものである。本を読んだり散歩をしたりしているうちに、日が暮れてしまう。それでも散歩の途中で、野菊の咲いているのを見かけたりすると、ほっとして重荷の下りたような気持になる。その可憐な風情が僕に、「お前も生きて行け。」と囁いてくれるのである。
僕は外出から帰ってくると、門口の郵便箱をあけて見る。留守の間になにかいい便りが届いていはしまいかと思うのである。箱の中はいつも空しい。それでも僕はあけて見ずにはいられないのだ。
こないだF君からハガキが来た。移転の通知である。F君は北海道の夕張炭坑にいる。僕は終戦後、夕張炭坑へ行った。職業紹介所を通じて炭坑夫の募集に応じたのである。F君はそのときの道連れの一人である。僕達は寒い最中に上野を立った。僕達は皆んな炭坑労務者の記号のついた腕章を巻いていたが、誰もが気恥ずかしそうにしていた。汽車の中は窓硝子が無くて代りに板が打ちつけてあるところもあって寒かった。僕は寒さに震えながら、向いに腰かけているF君の防寒用に被っている防空頭巾の内に覗いているその素直な眼差しに、ときどき思い出したように見入った。僕達はその日初めて見知った仲なのだが、F君は僕に云ったのである。「稼いだらまた東京に帰ってきましょうね。」F君のそのなにげない言葉が、そのときの僕の結ぼれていた気持を、どんなに解き放してくれたことか。
夕張は山の中の炭坑町である。一年の半分は雪に埋もれている。ひとくちに云って、寂しい処である。僕はそこで心細い困難な月日を送ったという以外、格別なことはなにもなかったのだが、僕は郷愁を感じている。刑務所にいた者は出所してから、旧の古巣のことをふと懐かしく思うことがあるそうである。殊に娑婆の風が冷かったりすると。僕の夕張に対する気持には、それに似たものがあるかも知れない。
土地の気風は概して他国者に親切である。内地から出かけた人の中には国から妻子を呼び寄せたり、または土地の女といっしょになって住み着く人も少くない。
僕は思ったより早く東京へ帰るようになったが、F君は夕張に残った。F君はあらわには云わなかったが、そこで所帯を持つ心づもりらしかった。F君は云った。「どこにふるさとがあるかわかりませんね。」僕達は早い話が内地を食い詰めて出かけて行ったのだが、僕はF君のような大人しい人があんな僻地でどうやら意中の人を見出したらしい様子なので、そのために一層F君を好ましく思った。
F君にはひとと争う心がすこしもなかった。F君はまた「凡の真実は語るに適せぬことを、云わぬがよいことを承知している」人であった。僕はF君となら一つ家に偕に暮らしても、気まずくなる心配はないと思っている。こんなことを云ったら可笑しいだろうが、若しもF君が女だったら、僕はお嫁にもらったかも知れない。
F君からのハガキには、F君が僕達のいた寮を出て、近くに新築された長屋に入ったことを知らせてあった。「私たちも元気です。」とそれだけしか書いてない。F君らしいひかえ目な新生活の報知であった。
夕張の駅は山峡にある。両側の山の斜には炭坑夫の長屋が雛段を見るように幾列も並んでいる。夜、雪の中にこの長屋に灯のついている光景を眺めることは、僕達に旅の愁いを催させたものである。僕はいま追憶の山の上にF君たちの灯を一つ加えた。「秋ふかき隣は何をする人ぞ」僕の家の便所の窓からは塀越しに隣家の庭と座敷が見える。座敷の中には大抵いつも一人の青年が机に向って椅子に腰をかけ本を読んでいる。この家は母親と息子であろうその青年との二人暮らしのようである。母親は五十位の年輩で青年は二十二三位。ひっそり住みなしている感じで、話声が聞えることもない。二人が偕にいるところを見かけることも殆どない。僕は元来物見高い方ではないし、ぶしつけに他人の垣の内を覗くわけではないのだが、便所に入るとつい窓越しに眼に入ってくるのである。縁側の硝子戸が閉まっていて内にカーテンが引かれていることもあるが、大抵いつも独り青年が机に向っている姿が眺められる。そしてそのさまが僕の眼を惹くのである。青年は書物の上に俯いていることが多く、僕に見られていることには気がつかない。僕は便所に入ったとき、青年の姿を見かければ、いつも一寸視線をその顔のうえに止める。僕はなぜその青年の顔が僕の眼を惹くのか、心に問うてみた。一言にして云えば、擦れていないからである。僕はかつて鴎外の「青年」という小説を読んだとき、よくわからなかった。なぜ鴎外はこんな若き燕然とした柔弱児を描いて、而もそれに「青年」という題名をつけたのだろうと不審に堪えなかった。最近読み返して眼のあく思いをした。この作品の冒頭の部分に次のような一行がある。「ませた、おちゃっぴいな小女の目に映じたのは、色の白い、卵から孵ったばかりの雛のような目をしている青年である。」鴎外はこういう青年の像を描こうとしたのである。それはまさしく青年であって、若き燕などと云うものではなかった。泰西名画に「笛を吹く少年」とか「縄とびをする少女」とかいうのがある。隣家の青年は僕にとってはさしずめ「本を読む青年」でしかない。決してその平面図から抜けて出て、僕の生活図形に入ってくることはないであろう。けれどもその静かな生活のたたずまいの中にいる青年の無心なさまを眺めると、たとえば光りを浴び風にそよぐポプラの梢を仰いだときに僕の心の中でなにかがゆれるように、僕の心に伝わってくるものがある。
ときたま道で行き逢うこともある。お互いに隣同士なことは知っているが、僕達は挨拶などはしない。知らん顔をしている。無言で擦れ違うだけである。名前も知らない。標札などには眼を向けて見ないのである。牛乳一合
うどん一斤。
卵二つ。
味噌二百匁。
ほうれん草。僕はいま自炊の生活をしている。それでも七輪や鍋、薬鑵、庖丁、俎板、茶碗などが揃ったのはつい最近のことである。そしてどうやらいまのところはこの生活を維持している。けれども僕の不安定な生活も久しいものである。いつこの生活が突き崩されるか、それは図り知れたものではない。恒産なければ恒心無しと云うではないか。いつどんなへまをしでかすか、僕にはとても自分が信用出来ないのである。所帯道具がふえたじゃないかと笑った人があるが、たとえば僕が一羽の燕であるとすれば、僕にとって七輪や鍋は燕がその巣を造るために口に銜んでくる泥や藁
の類いに相当するであろう。そして僕に養う子燕がないにしても、僕としてはやはり自分の巣は営まなければならない。僕はひとが思うほどには、また自分からひとに話すほどには、薪水の労を億劫にはしていない。そんなにいやでもない。僕の一日などは大抵無為のうちに暮れてしまうのだが、「無為」でないのは睡眠という営みをべつにすれば、その時間だけである。そして僕にはそれに費される時間の長さが有難いのだ。僕はそれをひどくスローモーションにやるわけなのだから。たとえば母親から慰められずに置き去りにされた子供が独りで玩具を弄んでいるうちにいつか涙が乾いてくるように、米を磨いだり菜を刻んだりしていると、僕の気持もようやく紛れてくる。僕はうどんが煮える間を、米が炊ける間を大抵いつも詩集を繙く。小説なんかよりはこの方が勝手だから。こんな詩を見つけたりする。
夕日が傾き
村から日差しが消える時、
村から村へ暗がりを訴える
やさしい鐘の響が伝わってゆく。まだ一つ、あの丘の上の鐘だけが
いつまでも黙っている。
だが今それは揺れ始める。
ああ、私のキルヒベルクの鐘が鳴っている。(マイヤア「鎮魂歌」高安国世訳)この詩はまた僕の心を鎮めることにも役立つ。そして僕の心を遠く志したものに、はるかな希望に繋いでくれる。
僕は一日中誰とも言葉を交さずにしまうことがある。日が暮れると、なんにもしないくせに僕は疲れている。一日だけのエネルギーがやはりつかい果されるのだろう。額に箍を締められたような気分で、そしてふと気がつく。ああ、きょうも誰とも口をきかなかったと。これはよくない。きっと僕は浮腫んだような顔をしているに違いない。誰とでもいい。そしてふたこと、みことでいいのだ。たとえばお天気の話などでも。それはほんの一寸した精神の排泄作用に属することなのだから。
僕は自分では酒は嗜まないが、それでも酒を呑む人の気持がわかるような気がする。人恋しい気持に誘われて、呑み屋の暖簾をくぐって、そこに知った顔を見つけたときの愉しさは格別なものがあろう。
僕にはつい遊びに出かけるような処もない。それに雀の巣に燕が顔を出したとしたら、それは闖入者ということになりはしないだろうか。雀の家庭には雀の家風というものがあるのだろうから。そしてそれはやはり尊重しなければならないのだろうから。それでもお伽噺なんかにはよくあるではないか。雀が燕の訪問を歓迎する話が。
その人のためになにかの役に立つということを抜きにして、僕達がお互いに必要とし合う間柄になれたなら、どんなにいいことだろう。
僕の家から最寄りの駅へ行く途中に芋屋がある。芋屋と云っても専門の芋屋ではない。爺さんが買出しに出かけて担いできたやつを、婆さんが釜で焼いて売っているのだ。僕は人に会いたくなると、ときどきそこへ出かけて行く。小さいバラック建ての店の中に、一人腰かけられる位のところに茣蓙が敷いてあって、客が休めるようになっている。お茶の接待もある。気が置けなくて、僕などには行きやすい。僕は行くといつも芋を百匁がとこ食べて、焙じ茶の熱いやつを大きな湯呑にお代りをする。僕のほかに客があることは殆どなく、その小さい店の中にはお婆さんと僕だけで、僕はとてもアット・ホームな気がして、くつろいでしまう。そのお婆さんがとてもいいのだ。年頃はまだ七十にはなるまい。もしかすると六十を幾つも越していないのかも知れない。髪はそれほど白くはない。それでも腰が少し曲がっているし、顔も萎びかけている。年よりも早く老け込んでしまうような生活を送ってきたのだろう。お婆さんの顔を見ると、その声をきくと、お婆さんがやさしい善良な心根の人だということがすぐわかる。その人の生れつきの性質というものは、年をとっても損われずに残っていて、やはりその人をいちばんに伝えるものではないだろうか。殊に単純で素朴な人達の間では。僕にはお婆さんの顔が正直という徳で縁飾りをされているように見える。お婆さんは秤で芋を計ってくれてから、焙じ茶の入った薬鑵を僕のそばに置いて、田舎なまりのある口調で、「勝手に注いであがって下さいよ。」と云う。お婆さんと向い合っていると僕はとても安気で、お茶をなん杯もお代りして呑む。お金を置くと、「どうも有難うございました。」と云う。人柄というものはおかしなもので、こんななんでもない挨拶にも実意が籠っている。ついぞ相客のあった験はないが、結構商いはあるのだろう。お婆さんが僕に世間話をしかけることもない。僕もまた黙っている。ただ芋を食ってお茶を呑んでくるだけである。それでも僕の気持は慰められている。
いつか夜風呂の帰りにお婆さんに行逢った。やはり風呂に行くところらしく、手拭をさげていた。僕にはもう一軒行くところがある。
僕は最近ひとりの少女と知合いになった。彼女は駅の近くで「緑陰書房」という古本屋を経営している。マーケットの一隅にある小さい床店で、彼女は毎日その店へ、隣町にある自宅から自転車に乗って出張してくるのだ。
彼女は新制高校を卒業してから、上級の学校へも行かずまた勤めにも就かず、自ら択んでこの商売を始めた。父兄の勧めに由ったのではなく、彼女ひとりの見識にもとづいてしたわけで、はたちまえの少女の身としてはまず健気と云っていいだろう。「よくひとりで始める気になったね。」と僕が云ったら、彼女はべつに意気込んだ様子も見せず、「わたしはわがままだからお勤めには向かないわ。」と云った。
紫色の細いバンドで髪を押えているのが、化粧をしない生まじめな顔によく映って、それが彼女の場合は素朴な髪飾りのようにも見える。おそらく快楽好きな若者の目には器量よしには映るまい。自転車に跨っている彼女の姿は宛然働きものの娘さんを一枚の絵にしたようだ。
先年歿したDという小説家は、自分には訪問の能力がないと零していたが、僕などもそのお仲間らしい。第一に他人の家の門口の戸をわが手であけるということが既に億劫だ。彼女の店は商売柄客に対していつも門戸が開放してあるのでつい入りやすいから、僕はときどき立寄って店の営業妨害にならない程度に話をしてくる。
僕はまた彼女の店の顧客でもある。主として均一本の。僕はまだ彼女の店で一度に五拾円以上の買物をしたことはない。僕が初めて、彼女と近づきになったのも、均一本の中に「聖フランシスの小さき花」と「キリストのまねび」を見つけたときだ。彼女は「小さき花」の奥附がとれているのを見て、拾円値引をしてくれて、二冊で五拾円にしてくれた。僕はいまの人が忘れて顧みないような本をくりかえし読むのが好きだ。僕はときどき彼女の店に均一本を漁りに行くようになり、そのうち彼女と話を交わすようにもなった。彼女の気質が素直でこだわらないので、僕としてもめずらしく悪びれずに話すことが出来るのだ。そしてそれが僕には自分でもうれしい。大袈裟に云えば、僕は彼女の眼差しのうちに未知の自分を確認するような気さえしている。こうして僕に思いがけなく新しい交友の領域がひらけた。
彼女と僕が話しているのをよそ目に見たら、大分了解の届いた仲に見えるかも知れない。僕としてもつきあいの短いわりにはお互いに気心が分ったような気がしている。彼女は僕のことをこだわりなく「おじさん」と呼んでいる。彼女から見れば僕などはおじさんに違いない、またおじさん以外の何物でもあるわけがない。彼女からおじさんの御商売は? と訊かれて、僕は小説を書いていると答えた。靴屋ならば靴をこしらえていると答えるだろうし、時計職ならば時計を組立てていると答えるだろう。ただ僕の場合はまだ文芸年鑑にも登録されていないし、一冊の著書さえなく、また二三書いたものを発表したこともあるが、その雑誌もいまは廃刊している。けれども若しそんなことで僕が悪びれたりしたなら、その小さな店で敢闘している彼女に対しても、男子の沽券にかかわることだろう。自分で小説書きを標榜する以上、上手下手はべつとして、僕としては仕事に励む気になっている。それに応じて仕事そのものが精を出してくれたなら、申し分ないのだが。彼女は商売柄、「日々の麺麭」という僕の旧作が載っている雑誌を見つけ出してきて読んだようだが、云うことがいい。「わたし、おじさんを声援するわ。」
僕としては思いがけない知己を得たわけであるが、彼女はどうやら僕を少し買被っている気味がある。僕のことをたいへん苦労をした者のように思い込んでいるふしが見える。僕の書いたつまらないものが、彼女にそんな思い違いをさせたのならば、僕としては後めたい気がする。ひとつは僕の服装の貧しさがなにか曰くありげに見えるのかも知れないが、これはただ僕に稼ぎがないだけの話である。彼女はなかなかの勉強家で店番をしながらロシヤ語四週間などという本を読んでいるが、その本の中に「貧乏は瑕瑾ではない。」という俚諺を見出して云うことには、「わたしね、それを読んで、おじさんのことを聯想したわ。」ひどい買被りである。それは僕にだって、肉体の飢えを精神の飢えに代えて欲しい本を手に入れてそれに読み耽った思い出がないことはない。僕はかつてハムスンの「飢え」という小説を読んだとき、主人公が苦境に在ってよく高邁の精神を失わないことに感心した。僕にはとてもあの真似は出来ない。この俚諺はそのまま熨斗をつけて彼女に返上した方がいい。午前中は自転車に乗って建場廻りをし、店をあけてからは夜九時過ぎまで頑張り、店番の隙には語学を勉強したり、幼い弟の胴着を編んでやったりしている彼女の懸命な生活の姿にこそ、この言葉はふさわしいであろう。
彼女は自分のことを「わたしは本の番人だと思っているの。」と云ったことがある。彼女は商品の本や雑誌をとても丁寧に取扱う。仕入れた品は店に出す前に一冊一冊調べて、鑢紙や消ゴムで汚れを拭きとったり、鏝で皺のばしをしたり、破損している個所を糊づけしたりしている。見ていると、入念に愛撫しているような感じを受ける。
彼女の店の商品の値段は概して安い。「わたし、あまり儲けられないの。本屋って泥棒みたいですわ。」と云っている。たまに掘出しものなんかすると、かえって後で気持が落着かないという。塵も積れば山となる式の細かい商法が好みらしい。彼女の店は月にして約二万円の売上げがあり、儲けは七八千円位だそうである。開店以来六ヶ月にしてようやくそれまでに漕ぎ着けたという。彼女はそのことを、林檎の頬を輝かせて澄んだ眼差しで僕に告げた。僕はそのとき彼女から自己の記録を保持するために懸命の努力をつづけている選手のような印象を受けた。彼女はそのために定期の市のほかに、毎日自転車に乗って建場や製紙原料屋までを馳けずり廻っているのである。僕は一体に男のおおまかよりは女のつましさの方に心を惹かれる。
こないだ彼女から贈物をもらった。
十月四日は僕の誕生日である。僕はそのことをなにかの話のついでに彼女に告げたらしいのだが、彼女は覚えていて、その日ぶらりと彼女の店に立寄った僕に贈物をくれると云うのである。
「均一本のお客様に対してかね。」
「いいえ。一読者から敬愛する作家に対してよ。」
「へえ。なにをくれるの?」
「当ててごらんなさい。わたし、これから薬屋へ行って買って来ますから、おじさん、一寸店番しててね。」
彼女は銭箱から五拾円紙幣を一枚掴み出して店を出て行った。なにをくれるつもりだろう。口中清涼剤だろうか。まさか水虫の薬ではあるまい。待つ間ほどなく彼女は戻ってきて小さい紙包を僕にくれた。
「あけていいかい?」
「どうぞ。」
あけると中から耳かきと爪きりが出てきた。なるほど。僕にはそれがとても気のきいた贈物に思えた。金目のものでないだけに一層。
「これはどうも有難う。折角愛用するよ。」
彼女は笑いながら僕に新聞紙大の紙をひろげて寄こした。見るとその月の少女雑誌の附録で、彼女の指示した箇所には十月生れの画家、詩人、科学者などの名が列記してあって、そのはじめには、「十月四日生。ミレー(一八一四年)、『晩鐘』や『落穂拾い』また『お母さんの心づかい』を描いたフランスの農民画家。」としてあった。以上が僕の最近の日録であり、また交友録でもある。実録かどうか、それは云うまでもない。
青空文庫より -
村山籌子「お猫さん」福山美奈子朗読
Sep 01, 2018
お正月が近づいて来たので、お猫さんのお父さんとお母さんはお猫さんをお風呂に入れて、毛皮の手入れをしなくちやならないと考へてをりました。なぜといつて、お猫さんは白猫さんでしたから。
「お父さん、ここに石けんの広告が出て居ますよ。これを使つたらどうかしら。何しろ、お猫さんは大変なおいたで、ふだんから、お風呂がきらひなので、まるで、どぶねづみみたいによごれてゐますからね。」
「どれ、どれ。成程、これなら大丈夫。これにしましよう。」とお父さんは賛成して、お金を下さいました。
その石けんはラツクスといつて、人間でもめつたには使はない上等の石けんですから、お猫さんの家なんかで使ふのは勿体ないぐらゐです。けれども、お猫さんのためなら、お猫さんのお父さんやお母さんはいくら高くてもがまんをいたしました。
石けんを買つて来たお母さんは、お猫さんをお風呂に入れました。長いあひだはいらないものですから、身体中にしみて、お猫さんはがまんが出来なくて泣きました。けれども、お風呂から上つて、毛がかわくと、それはそれは目もまぶしいくらゐに美しく真白になりました。
お父さんもお母さんも自分の子ながら、あんまり美しいので、思はず、嬉し涙を出したくらゐでした。
ところが、お猫さんのおとなりにお黒さんといふ真黒なお猫さんが住んでゐました。お猫さんのお友達です。そのお黒さんが、お風呂から上つたばかりのお猫さんの所へあそびに来ました。お黒さんも、やはりお風呂から上りたてで、それは美しくピカピカと毛を光らせてをりました。
二人は、いや、二匹はお家をとび出して、町の方へ遊びに出かけました。
「あなたは真白でとてもいいわね。ステキよ。」とお黒さんが言ひました。「あなた真黒で、とてもハイカラよ。」とお猫さんが言ひました。二匹は生れついた色がきらひで、他人のものがよく見えて仕方がありません。人間の子供みたいです。
ところが、町の化粧品やさんで、大売出しをやつてゐました。楽隊がプカプカドンドンと鳴つてゐて、それは面白さうでした。二匹はそこへかけつけて行きました。
化粧品やさんでは、「毛皮の染めかへ」薬を売出してゐました。
「さあ、どなたでも、ためしにお染めかへいたします。売出し中はお金はいたゞきません。さあ、どなたでも。どなたでも。」
お猫さんとお黒さんは胸がドキドキして来ました。「どう? そめてもらはない? たゞだつて」
二匹は顔と顔とを見合はせてモジモジしてゐましたら、化粧品やのおぢさんはすぐに「さあ、染めてあげませう。」と言つて、お猫さんを真黒に、お黒さんを真白に染めかへてくれました。
二人はよろこびました。とてもうれしくて、自慢で、早くお父さんやお母さんに見せようと思つてとんでかへりました。
お猫さんのお父さんお母さんは、お黒さんに言ひました。「お猫さんや。」お黒さんのお父さんやお母さんはお猫さんに「お黒さんや。」と言つて、二匹をとりちがへてしまひました。二匹はおどろいて、わけを話しましたが、どうしてもお父さんやお母さんたちはそれが分りません。二匹はかなしくなつて泣きました。
そこへ近所の犬さんが通りかかつて、匂ひでかぎわけてくれたので、お父さんやお母さんたちは、どれが自分の子供だか、やつと分つたさうです。二匹は胸をなで下しました。お猫さんとお黒さんが毛を染めかへて、白い毛のお猫さんが黒くなり、黒いお黒さんが白くなつてしまつたことは一月号でお話しましたね。
それから一月たちました。二匹の毛の色はだん/\染がはげて来て、二匹とも、ねずみ色になつてしまひました。人間からいふと、ねずみ色といふ色も、なか/\よい色ですけれども、猫の世界では、一番いやな色だと思はれてゐます。猫とねずみは一ばん仲がわるいのですからね。
そこで、お猫さんとお黒さんのお父さんやお母さんたちは、二匹を病院にでもつれて行つて、早く毛の色を落してしまひたいと思ひました。けれども、お猫さんも、お黒さんも、なか/\、病院に行くことを承知いたしません。病院といふところは、こわい所だと思ひ込んでゐましたから。
「なぜ、病院へゆくのはいやなの? 早く毛をきれいにしないと、学校へ上れませんよ。」お母さんたちはかうおつしやいました。
「だつて、お昼間、こんななりして外へ出るのはいやだから。」とお猫さんとお黒さんは申しました。病院がこわいなんていふことは言ひません。人間の子供でもさうですが、猫の子供は本当に心配だと思ふことはいはないくせがあります。
そこで、お父さんやお母さんは、夜の病院をさがしました。幸なことに、鳥山夜間病院といふのがみつかりました。院長さんは、ふくろう先生でした。
お猫さんとお黒さんは、そこへ行くことにきまりました。
「本当は、病院に行くのがいやなの」と、泣いてみましたけれども、もう、仕方がありません。二匹は、病院に入院いたしました。ふくろう先生は二匹を、診察いたしました。そして、色のさめるお薬をぬつて下さいました。一日三回づゝ。
それから一週間たちました。お薬はせつせせつせと、ぬりましたが相変らず、色はなか/\さめません。少しはさめたのですが、まるで、むらになつてしまつて二匹とも、ます/\みつともなくなつて来ました。
お猫さんとお黒さんは泣きました。もうお家へ帰りたいと言つて。お父さんやお母さんたちも泣きました。せつかくかはいらしかつた子供たちがこんなにみつともなくなつたと云つて。二月号には、お猫さんの毛が白くならないので、とう/\お猫さんたちと、お父さんやお母さんたちが、泣き出したところまでお話いたしましたね。
みんながそれ/″\に泣き出したので、さすがのふくろう先生もどうしたらよいかと、さんざん工夫いたしましたが、どうしても思ふやうにまゐりません。けれども、さすがは、病院の院長さんだけあつて、大決心をして、お父さんやお母さんたちに言ひました。
「さて、お子さんの毛については、いろ/\苦心いたしましたが、これはもう普通のことではよくなりません。手術をするより外ありません。」
お父さんやお母さんたちはおどろいて目をまはしさうになりましたけれども、仕方がないと思つたので、
「どうか、その手術をお願ひいたします。」と、泣きながら言ひました。
ふくろう先生は、別の部屋で、早速その手術をいたしました。十五分位ですみました。
「さあ、手術はすみました。」とふくろう先生がおつしやいましたので、お父さんやお母さんたちは手術室へ走つて行きますと、お猫さんと、お黒さんの毛を一本ものこさず、かみそりで、すりおとしてありました。
お父さんやお母さんたちはどんなにうれしかつたでせう。血なんぞ一滴も出てゐないのですから。
それから、ふくろう先生は二匹に毛生薬を沢山ぬりつけて、風邪をひかないやうに、暖い毛布で、二匹を包んで下さいました。二匹は目をパチクリさせながら、
「涼しいやうな、暖いやうな気持がするわ。」と言ひましたので、みんな大笑しました。
それから、十日程の間に、お猫さんには真白な、お黒さんには真黒の毛が立派に生えそろひました。二匹はふくろう先生にお礼を言つて退院いたしました。
お父さんやお母さんたちもやつと安心いたしましたが、なか/\お父さんやお母さんといふものは心配が多いものですね。お猫さんとお黒さんは毛がちやんと元通りに生へそろつたので、もう外にあそびに行けるやうになりました。ところが忽ちのうちに、又々お猫さんの町中のうわさになるやうな事件を引きおこしてしまひました。やれやれ。
その日は丁度、お天気がよくて、暖い日が照つてゐました。お猫さんとお黒さんはお家にゐるのがつまらなくなつて、外へ出かけました。
すると、お隣りのお庭に、それは/\きれいな小さいお家が建つてゐるのに気がつきました。
「あら、あんな所にお家が建つてゐるわ。一体、何でせう?」とお猫さんが言ひました。
「あれは、お隣りの犬のベルさんのお家よ。こないだ、こさへてもらつたばかりよ。」とお黒さんはお母さんにでも聞いたのでせう、仲々いろんな事を知つてをります。
お猫さんは言ひました。
「そんな事ない。ベルさんなんかに、あんな美しいお家など、建る人などないわ。いつだつて、泥だらけの足をしてゐるから。」
そして、お猫さんは遠慮なくその小さいお家の中にはいつてゆきました。お黒さんも仕方なくお猫さんについてゆきました。
お家の中には新しいよい匂ひのする藁が一杯しいてありました。風ははいらないし、暖くて、その上静で、お猫さんとお黒さんは思はず、藁の中にもぐり込んで、寝てしまひました。何時間かたちました。
「もし、もし、お猫さん、お黒さん、起きて下さい。こゝは私の家ですから。」といふ声がしたので二匹は目をさましました。二匹は、横になつたまゝ外を見ると、ベルさんが立つてゐました。お黒さんはお猫さんに言ひました。
「お猫さん、矢張りこれはベルさんの家よ。早く帰りませう。」と言ひましたがお猫さんは動きません。ベルさんは外でうなり初めました。お猫さんは仕方なく起き上つて、いきなりベルさんのお鼻を引つかきました。ベルさんのお鼻の先からは血が出ました。
お猫さんとお黒さんは後も見ずに走つてお家へ帰りましたけれども、晩のごはんもろくにのどに通りませんでした。矢張りわるい事をしたのだといふことは分つてゐましたからね。
その晩中に、ベルさんのお鼻をひつかいたことが、街中に知れわたつてしまひました。何故といつて、ベルさんがお薬屋さんへ行つて、
「お猫さんに引つかかれた時につける膏薬」といふ薬を買つたからです。
「もうお外へ行つてはいけません。」とお猫さんとお黒さんのお母さんはおつしやいました。さて、お猫さんとお黒さんは外に出られなくなりました。もちろん学校へも行けません。
「おとなしくお留守をしていらつしやい。今日一日おとなしくしてゐれば、明日から学校に行かせてあげますから。お三時のチヨコレートを戸棚の中に入れておきますよ。」とお母さんはおつしやいました。そして、二匹をお部屋に残して買物にでかけました。
お猫さんとお黒さんはいたづらつ子でしたけれども仲々学校が好きなものですから、今日はほんとにおとなしくしてゐようと思ひました。
もう一週間も学校を休んでゐるのですからね。
初めのうちは日向ぼつこをしたり、本をよんだりしてゐましたけれども、段々たいくつになつて来て、そこにかけてあつた、お父さんの洋服をお猫さんが着ました。お黒さんはお母さんの着物を引きずる程長く着て、おしろいとほゝ紅をつけました。お猫さんは墨で口ひげをかきました。
「とてもよく似合つてゐるわ。」とお猫さんはお黒さんに云ひました。
「とてもよく似合つてゐるわ。」とお黒さんはお猫さんに云ひました。
二人はすつかり大人になつたつもりで部屋中をゐばつて歩きまはりました。
その時、おげんくわんで、「ご免下さい。」といふ声がきこえました。
お猫さんとお黒さんは二匹そろつて、おげんくわんに出て行きました。まるで、お父さんとお母さんのやうに気取つて。
ところが、二匹はお客さまの顔を見ると、
「いらつしやいませ」とも云はず「キヤーツ」と声を出してお部屋へにげてかへりました。何故といつて、それは学校の先生でしたから。そして、二匹は恥かしくて、ポロ/\と涙を流して泣きました。
お三時ものどに通りません。
お母様がおいしいお夕はんを買つて来て下さつたのですが、それも、食べられません。
お母さんが、
「明日から学校ですよ。早くおねなさい。」といつても、眠りません。可哀さうな二匹ですね。そして二匹が泣きながら、
「学校なんていや。行きたくない。」と云ひました。が、明日になれば、どうしても学校へ行かなければなりません。
身から出たさびとはいひながら、仲々、つらいことですね。「今夜はあひるさんのお誕生日ですから、着物をおきかへなさい。お顔も、手も足もきれいに洗ふのですよ。」とお猫さんとお黒さんのお母さんはおつしやいました。
「はい。」と二匹はお返事しました。そして、顔を洗ひましたが、手と足はめんどくさかつたので洗ひませんでした。
それから二匹はあひるさんところへ行きました。
おごちさうが山ほど出て来ました。
「さあ、ごゑんりよなく、沢山めしあがつて下さい。」とあひるさんが言ひました。
お黒さんとお猫さんは大よろこびで、おいしいおごちさうをいたゞかうとしましたが、何分、おめでたい日なので、電燈は三百燭の明るいのをつけてありましたし、テーブル掛は真白だしするものですから、二匹の手の汚く見えるといつたら二匹は他のお客様が横をむいてゐるうちにそつとおごちさうを頂きました。そして、みんなが前をむいてゐる時には、テーブルの下で、手の泥をこすり落しました。けれども、もう間に合ひません。折角のおごち走ものどに通りません。
やがて、主人のあひるさんが立ち上つて言ひました。「皆さん、どうも今夜はわざ/\おいで下さつてありがたう存じました。ところが、さつきから見てゐますと、お猫さんとお黒さんは少しもおごち走をめし上がりません。さあ、どうぞ御遠慮なく。」と申しました。すると、他のお客様までが一緒になつて、
「さあ、どうぞ、どうぞ。」と言つて、おごち走を二匹の前へ集めました。
二匹は顔を見合はせて泣き出しさうにしました。しかし仕方がありません。真赤な顔をして泥だらけの手を出して、おごち走を頂きました、一人のこらずのお客様が見てゐるなかで。
すると一人のお客様が言ひました。
「まあ、お二人のお手のきれいなこと」
すると、お客様はみんな一度に笑ひました。あひるさんは主人だけあつて、すぐにかう言ひました。
「なに、大したことはありませんさ。石けんで洗へばきれいになるんですからね。」と、そして二匹を洗面所へつれてつて、手を洗はせて下さいました。帰つて来るとお客様たちは笑ひながら言ひました。
「まあ、お猫さんとお黒さんのお手のきれいになつたこと」
二匹は赤い顔をしましたが、それからは大ゐばりで沢山おごち走をいたゞきました。大へん暑くなりました。なにしろ、お猫さんやお黒さんは夏だつて毛がはえてゐるのですから、その暑さときたら、とてもたまつたものではありません。二匹はうだつてしまひさうになりました。
ところが、すぐ近いところにプールが出来ました。お猫さんがそれを見つけて来ました。
「お黒さん、誰にも言つちやだめよ。あんまり沢山ゆくと、プールが満員になつてはいれなくなるから。」とお猫さんは言ひました。二匹は早速でかけました。
途中まで来ると、仔犬を十一匹つれた犬さんに会ひました。
「お猫さんとお黒さん、どこへ行くの? 私たちも一緒にそこまで行きませう。おう、暑いこと。」と、犬さんは言ひました。「犬さん、私たち、汽車の通るのを見に行くの。仔犬さんたちがあぶないことよ。」とお猫さんが言ひました。すると犬さんはあわてゝ仔犬さんたちをつれてむかふへ行つてしまひましたのでお猫さんとお黒さんは顔を見合せて喜びました。
もう少しゆくと、今度は仔豚さんを二十匹つれた豚さんに会ひました。豚さんは、
「お猫さんたち、暑いですね。どこか涼しい所へ一緒に行きませう。」といひました。お猫さんはあわてゝ
「私たちとても暑い所へ行くところなんですから御一緒にまゐれません。」といひました。
それから、にはとりさん、ねずみさんなどにあひましたが、みんなうまいこといつてことはりました。そしてやつとのことでプールへつきました。
水泳の先生のあひるさんが、五六羽、プールの中で、それはそれは上手に泳いでゐましたが、お猫さんとお黒さんの外には、誰一人泳ぎに来てをりません。二匹は泳ぎははじめてですから、とても先生ばかりの中へは、はづかしくてはいつて行けません。
「みんな一緒につれて来るといいのにあなたが勝手にことはつてしまうんだもの。」とお黒さんはブツブツおこりました。「だつて、満員になつたら困ると思つたんだもの。」とお猫さんは言ひかへしました。二匹はフクレツ面をして、顔を見合せましたが、顔といはず、身体といはず、汗が滝のやうに流れ出しました。とても暑くてたまらないので、先生たちが、上へあがつて休んでゐる間に、大いそぎで、ジヤブジヤブと水をはねかへして、およぎました。
そこへ、さつきあつた、仔犬さんをつれた犬さん、仔豚さんをつれた豚さん、にはとりさん、ねずみさん、みんなぞろぞろやつて来ました。お猫さんとお黒さんは、どんなに恥しかつたでせう。でも、着物をぬぐ所を教へてあげたり、仔どもたちに水着を着せてあげたりしたので、誰も二匹を悪くは思ひませんでした。
みんなで夕方までおよぎました。それでやつと涼しくなりました。そろそろ学校の初る九月になりました。お猫さんとお黒さんは学校が大へん好きですから、学校が初るのが待ち遠しくて、夜もなか/\ねむれない位でした。
でも、たうとう八月三十一日になりました。八月三十一日は、学校の始る前の日です。
お猫さんとお黒さんは、本も、帳面も、鉛筆も、洋服も、靴も、みんなよくそろへました。そろへてしまふと、がつたりとつかれました。
二匹はベツトの上にならんで横になつて休みました。そして、二匹は、お互ひの顔をつくづくとながめました。二匹のお顔はまるで、エスキモー犬のやうに毛がのびてゐました。お猫さんはいひました。
「あなたのお顔といつたら、まるでくまそみたいね。毛がもぢやもぢやで。」さういはれたお黒さんはおこつていひました。
「あなたこそくまそみたいぢやないの。」二匹はめいめい自分の顔はみえないものですから、自分の顔はまるで、玉子に目鼻をつけたやうにつる/\と美しいのだと思ひ込んでゐるから大変です。今にも、ひつかき合ひがはじまらんばかりの形勢になつて来ました。お母さんがとんできていひました。さあ、けんかはやめて、床やさんへいらつしやい。そして十銭玉を二つづつ下さいました。
二匹は床やさんへでかけました。途中でも、一言も話をしません。二匹ともカンカンになつておこつてゐたからです。
床やさんに行きますと、床やさんは二匹を見て、あんまりよくはえてゐるので、ゲラゲラ笑ひました。二匹は大変恥しくて、顔が赤くなりさうになりましたが平気な顔をして、椅子の上にあがりました。床やさんはそれはそれは上手に刈りました。二匹は生れかはつたやうに可愛らしいお猫さんになつてゆきました。それで、二匹はちよつと顔を見合はせて、ニツコリと笑ひかけましたが、さつきのけんかを思ひ出して、歯をくひしばりました。その時に、鋏を動かしながら、床やさんがきゝました。
「お二人とも、おそろひの型にお切りしませうね。」と、すると、二匹はいきなり顔を横にふつて、「いやです!」といひました。床やさんの鋏は、その時、ガチヤリと下へそれて、二匹の大事な大事なおひげを、チヨツキンと切り落してしまひました。お猫さんとお黒さんは泣きました。床やさんはあわてました。
そして、切り落したおひげを探しましたが、あひにくなことに、扇風機をかけてゐたので、おひげは風にふきとばされてどこへ落ちたのやら。月日のたつのは早いもので、お猫さんとお黒さんのチヨン切られたおひげも、もう立派に生えそろひました。
そこで、遠くの町にゐる伯母さんのところへ二人であそびに出かけることになりました。
伯母さんは洋服やさんでしたから、二匹が一年に一度づゝ遊びに行つた時に、それはそれは美しい洋服を一着づゝ、二匹に下さることになつてゐました。
二匹は、前の日からそれを楽しみにして、夜があけるとすぐに出かけました。御飯も食べないで。
伯母さんのお家についたのが、朝の六時、まだ、お店の戸さへあいてゐません。二匹は仕方なく、お店の入口によつかかつて待つてゐました。
牛乳やさんが通りました。新聞やさんが通りました。おとうふやさんが通りました。それから、お役所や、会社へ行く人が通りました。みんな二匹の方を見て、「おや、おや、迷ひ猫だ。」と言ひました。
お猫さんとお黒さんはそれから二時間もそこにがんばつてゐましたが、段々にお腹がすいて来ました。のどもかわいてゐました。
それから又二時間もたつて、そろそろお昼になるのに、お店の戸があきません。
朝来たおとうふやさんがお昼のおとうふをかついで、歩いて来ました。
そして、二匹を見て云ひました。
「路を迷つたんですか、お家はどこ?」ときゝました。
「伯母さんところへ来たんだけど、お店があくのを待つてるの。」と二人は言ひました。
おとうふやさんは、
「やれやれ気毒な、『今日は出かけますからお休みです。』とそこにはりつけてありますよ。」
二匹はそれを見て、がつかりしました。それと一緒に、土の上にへたばつてしまひました。お腹がペコ/\になつて、足の骨がグラグラしてゐる所へ、びつくりしたのですから。
おとうふやさんはおどろきました。どうしたらよからうかと思ひました。
「仕方がない。こゝへおはいり。」さう言つておとうふやさんは、二匹の首すじをつまんで空いた方のとうふおけへ入れました。
それから、二匹を家へつれて行つてくれることになりましたが、「とーふ、とーふ」と、おとうふをうりながら行くのですから、その時間のかゝることといつたら。それでも、やつとこさお昼の三時頃にお家の門まで帰りつきました。
「まあ、大変なものに乗つかつて。」と、言つて、お母さんと伯母さんがお家の中からとんで来ました。それで、お母さんは一円出しておとうふやさんへ、お礼の代りにおとうふの残りを全部買つてやりました。伯母さんは二匹が出かけないうちにと、朝のうちにとてもいゝ洋服を持つて来て下すつたのでした。伯母さんは早速、二匹に着せようとしましたが、もともと骨のやわらかいところへ、足がぐらついてゐるお猫さんとお黒さんのことですから、まるで、グニヤ/\になつて、どうしても着せられません。伯母さんとお母さんはお腹をかゝへて笑ひました。それからおこりました。
でも、二匹はどうにもなりませんので、ごはんを、おさじでたべさせて、ベツトへねかしました。
まるで、赤ちやんになつたみたいですね。あんまりせつかちだとこんな事になります。グニヤグニヤになつたお猫さんとお黒さんは一晩ぐつすりねむつたので、すつかり元気を取りもどしました。そして、洋服やさんの伯母さんにいただいた洋服を着て、お友達のあひるさん所へ見せびらかしにでかけてゆきました。
あひるさんはお猫さんとお黒さんの洋服を見ると、すぐに、お母さんに言ひました。
「お母さん、私にも、あんな洋服買つてちようだい。」
お母さんはお猫さんとお黒さんの洋服を前から後からよくながめてから
「ほんとに、よく出来たお洋服ね。うちのあひるさんにも、同じ所で買つてやりませう。どこで買つたの? そして、おねだんはいくらなの?」と聞きました。
お猫さんとお黒さんはいひました。
「おばさん、このお洋服は買つたんぢやないの。私たちの伯母さんがこさへて下さつたの。いくらお金を出しても、ほかの人にはこさへては下さらないわ。」
あひるさんはそれをきくと、メチヤクチヤに泣き出しました。
お猫さんとお黒さんはいひました。
「ほんとにしやうのないあひるさんね。ああ、やかましいこと。」
そして、さつさとお家へ帰つて来ました。なかなかいぢわるですね。
ところが、あひるさんは泣いて泣いて泣き通しました。「あんな洋服がほしい。あんな洋服がほしい。」と、むりもありません。まだ子供なんですから。
そこで、仕方なく、あひるさんのお母さんはお猫さんとお黒さんのお家へいつて、二匹のお母さんにお話いたしました。
「どうか、うちのあひるさんにも、同じ洋服をこさへて下さるやうに、おねがひして下さいませんか。ほんとにお気毒ですけれども。」
お猫さんたちのお母さんは申しました。
「どうぞ、どうぞ、御遠慮なく。その家は、洋服やさんなのですから、どんな御注文でも、よろこんでお仕立て申し上げます。」
あひるさんのお母さんは大へんよろこびました。そして、「早速、注文にまゐります。あひるさんをつれて。」といつて、とんでかへりました。
それをきいてゐたお猫さんとお黒さんは顔を見合はせて、がつかりいたしました。
後で二匹はお母さんに大へん叱られました。
「あんないぢのわるい事を言ふもんぢやありません。」と。
二匹の顔は真赤になりました。が、幸なことに、顔中毛だらけでしたから、ひとには分りませんでした。寒い寒い冬になりました。お黒さんと、お猫さんの毛はむくむくあたたかさうに一ぱい生へそろつて来ました。それはそれは、可愛らしくなりました。
そこで、お猫さんのお母さんは、あひるさんのお母さんに手紙を書きました。
「大変おさむくなりまして、皆々様お変りもございませんか。私ども、鳥やけものは、冬になりますと、羽根や、毛がりつぱに生へそろひ、まことに美しくなるやうでございます。お宅のアー太郎さん、ヒー太郎さん、ルー太郎さんも、さぞ、さぞ、美しくおなりのことと思ひます。宅のお猫さんも、お黒さんも、大さう美しくなりました。それで、今晩ぜひとも、アー太郎さん、ヒー太郎さん、ルー太郎さんをおつれになつて、おいて下さいませ。おごちさうをたべながら、子供たちのじまんをいたしたうございます。かしこ。」
この手紙を出してから、お母さんは二匹をお風呂に入れました。襟アカ、足アカ、手アカ、そんなものはすつかりとれてしまひました。そして、お猫さんには白い粉をふりかけました。お黒さんには黒い粉をふりかけました。実に見とれるばかりの美しさになつたので、お母さんは、すつかりよろこびました。
夜になりました。あひるさんのお母さんは、御自まんのアー太郎、ヒー太郎、ルー太郎さんをみがきたててつれて来ました。
「ガー、ガー、ガー、ガー」とあひるさんたちは大へんな声を出して、元気よく、お猫さんのお家へ来ました。
「まあ、まあ、なんて、お立派な」といつて、お猫さんのお母さんがおどろいた程、あひるさんたちはきれいだつたのです。しかし、心の中では、「うちのお猫さんたちの方がもつときれいだ。」と思ひました。
あひるさんたちは、テーブルにすわりました。おごち走が出ました。
ところが、お猫さんとお黒さんはなかなか出て来ません。
「あの、失礼でございますが、お猫さんとお黒さんはどうなさいました。」とあひるさんのお母さんがきゝました。
「お猫さん、お黒さん、早くでて来たまへ。ガー、ガー、ガー、ガー」とあひるさんの子供たちがさわぎ出しました。
お猫さんのお母さんは、おごち走のおこしらへやら、あひるさんたちへの御あいさつやらで、かんじんのお猫さんたちのことはほとんど忘れてしまつてゐたのです。
お母さんは家中、さがしました。けれども二匹は見つかりません。それで、も一度さがしましたら、二匹はおねまきをきて、ベツドにはいつて、グーグーねてしまつて、どうしても起きません。
「どうも、すみませんが、どうしても起きてまゐりません。なにしろ、今日、お風呂に二時間もはいつてたもんですから、つかれてしまつたんでございませう。」とお猫さんのお母さんが申しました。ずゐぶん情なかつたでせう。
ところが、何やら、あたりが静かになつたと思つたら、テーブルについたまま、アー太郎さん、ヒー太郎さん、ルー太郎さん、みんなグーグーねこんでしまひました。
「どうもすみません。なにしろ、今日、お風呂に二時間もはいつてたもんですから。」とあひるさんのお母さんがおつしやいました。
それで、その晩の、「子供自慢会」はお止めになりました。 -
芥川龍之介「桃太郎」別役みか朗読
Aug 29, 2018
むかし、むかし、大むかし、ある深い山の奥に大きい桃の木が一本あった。大きいとだけではいい足りないかも知れない。この桃の枝は雲の上にひろがり、この桃の根は大地の底の黄泉の国にさえ及んでいた。何でも天地開闢の頃おい、伊弉諾の尊は黄最津平阪に八つの雷を却けるため、桃の実を礫に打ったという、――その神代の桃の実はこの木の枝になっていたのである。
この木は世界の夜明以来、一万年に一度花を開き、一万年に一度実をつけていた。花は真紅の衣蓋に黄金の流蘇を垂らしたようである。実は――実もまた大きいのはいうを待たない。が、それよりも不思議なのはその実は核のあるところに美しい赤児を一人ずつ、おのずから孕んでいたことである。
むかし、むかし、大むかし、この木は山谷を掩った枝に、累々と実を綴ったまま、静かに日の光りに浴していた。一万年に一度結んだ実は一千年の間は地へ落ちない。しかしある寂しい朝、運命は一羽の八咫鴉になり、さっとその枝へおろして来た。と思うともう赤みのさした、小さい実を一つ啄み落した。実は雲霧の立ち昇る中に遥か下の谷川へ落ちた。谷川は勿論峯々の間に白い水煙をなびかせながら、人間のいる国へ流れていたのである。
この赤児を孕んだ実は深い山の奥を離れた後、どういう人の手に拾われたか?――それはいまさら話すまでもあるまい。谷川の末にはお婆さんが一人、日本中の子供の知っている通り、柴刈りに行ったお爺さんの着物か何かを洗っていたのである。……桃から生れた桃太郎は鬼が島の征伐を思い立った。思い立った訣はなぜかというと、彼はお爺さんやお婆さんのように、山だの川だの畑だのへ仕事に出るのがいやだったせいである。その話を聞いた老人夫婦は内心この腕白ものに愛想をつかしていた時だったから、一刻も早く追い出したさに旗とか太刀とか陣羽織とか、出陣の支度に入用のものは云うなり次第に持たせることにした。のみならず途中の兵糧には、これも桃太郎の註文通り、黍団子さえこしらえてやったのである。
桃太郎は意気揚々と鬼が島征伐の途に上った。すると大きい野良犬が一匹、饑えた眼を光らせながら、こう桃太郎へ声をかけた。
「桃太郎さん。桃太郎さん。お腰に下げたのは何でございます?」
「これは日本一の黍団子だ。」
桃太郎は得意そうに返事をした。勿論実際は日本一かどうか、そんなことは彼にも怪しかったのである。けれども犬は黍団子と聞くと、たちまち彼の側へ歩み寄った。
「一つ下さい。お伴しましょう。」
桃太郎は咄嗟に算盤を取った。
「一つはやられぬ。半分やろう。」
犬はしばらく強情に、「一つ下さい」を繰り返した。しかし桃太郎は何といっても「半分やろう」を撤回しない。こうなればあらゆる商売のように、所詮持たぬものは持ったものの意志に服従するばかりである。犬もとうとう嘆息しながら、黍団子を半分貰う代りに、桃太郎の伴をすることになった。
桃太郎はその後犬のほかにも、やはり黍団子の半分を餌食に、猿や雉を家来にした。しかし彼等は残念ながら、あまり仲の好い間がらではない。丈夫な牙を持った犬は意気地のない猿を莫迦にする。黍団子の勘定に素早い猿はもっともらしい雉を莫迦にする。地震学などにも通じた雉は頭の鈍い犬を莫迦にする。――こういういがみ合いを続けていたから、桃太郎は彼等を家来にした後も、一通り骨の折れることではなかった。
その上猿は腹が張ると、たちまち不服を唱え出した。どうも黍団子の半分くらいでは、鬼が島征伐の伴をするのも考え物だといい出したのである。すると犬は吠えたけりながら、いきなり猿を噛み殺そうとした。もし雉がとめなかったとすれば、猿は蟹の仇打ちを待たず、この時もう死んでいたかも知れない。しかし雉は犬をなだめながら猿に主従の道徳を教え、桃太郎の命に従えと云った。それでも猿は路ばたの木の上に犬の襲撃を避けた後だったから、容易に雉の言葉を聞き入れなかった。その猿をとうとう得心させたのは確かに桃太郎の手腕である。桃太郎は猿を見上げたまま、日の丸の扇を使い使いわざと冷かにいい放した。
「よしよし、では伴をするな。その代り鬼が島を征伐しても宝物は一つも分けてやらないぞ。」
欲の深い猿は円い眼をした。
「宝物? へええ、鬼が島には宝物があるのですか?」
「あるどころではない。何でも好きなものの振り出せる打出の小槌という宝物さえある。」
「ではその打出の小槌から、幾つもまた打出の小槌を振り出せば、一度に何でも手にはいる訣ですね。それは耳よりな話です。どうかわたしもつれて行って下さい。」
桃太郎はもう一度彼等を伴に、鬼が島征伐の途を急いだ。鬼が島は絶海の孤島だった。が、世間の思っているように岩山ばかりだった訣ではない。実は椰子の聳えたり、極楽鳥の囀ったりする、美しい天然の楽土だった。こういう楽土に生を享けた鬼は勿論平和を愛していた。いや、鬼というものは元来我々人間よりも享楽的に出来上った種族らしい。瘤取りの話に出て来る鬼は一晩中踊りを踊っている。一寸法師[#ルビの「いっすんぼうし」は底本では「いっすんぽうし」]の話に出てくる鬼も一身の危険を顧みず、物詣での姫君に見とれていたらしい。なるほど大江山の酒顛童子や羅生門の茨木童子は稀代の悪人のように思われている。しかし茨木童子などは我々の銀座を愛するように朱雀大路を愛する余り、時々そっと羅生門へ姿を露わしたのではないであろうか? 酒顛童子も大江山の岩屋に酒ばかり飲んでいたのは確かである。その女人を奪って行ったというのは――真偽はしばらく問わないにもしろ、女人自身のいう所に過ぎない。女人自身のいう所をことごとく真実と認めるのは、――わたしはこの二十年来、こういう疑問を抱いている。あの頼光や四天王はいずれも多少気違いじみた女性崇拝家ではなかったであろうか?
鬼は熱帯的風景の中に琴を弾いたり踊りを踊ったり、古代の詩人の詩を歌ったり、頗る安穏に暮らしていた。そのまた鬼の妻や娘も機を織ったり、酒を醸したり、蘭の花束を拵えたり、我々人間の妻や娘と少しも変らずに暮らしていた。殊にもう髪の白い、牙の脱けた鬼の母はいつも孫の守りをしながら、我々人間の恐ろしさを話して聞かせなどしていたものである。――
「お前たちも悪戯をすると、人間の島へやってしまうよ。人間の島へやられた鬼はあの昔の酒顛童子のように、きっと殺されてしまうのだからね。え、人間というものかい? 人間というものは角の生えない、生白い顔や手足をした、何ともいわれず気味の悪いものだよ。おまけにまた人間の女と来た日には、その生白い顔や手足へ一面に鉛の粉をなすっているのだよ。それだけならばまだ好いのだがね。男でも女でも同じように、はいうし、欲は深いし、焼餅は焼くし、己惚は強いし、仲間同志殺し合うし、火はつけるし、泥棒はするし、手のつけようのない毛だものなのだよ……」
桃太郎はこういう罪のない鬼に建国以来の恐ろしさを与えた。鬼は金棒を忘れたなり、「人間が来たぞ」と叫びながら、亭々と聳えた椰子の間を右往左往に逃げ惑った。
「進め! 進め! 鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!」
桃太郎は桃の旗を片手に、日の丸の扇を打ち振り打ち振り、犬猿雉の三匹に号令した。犬猿雉の三匹は仲の好い家来ではなかったかも知れない。が、饑えた動物ほど、忠勇無双の兵卒の資格を具えているものはないはずである。彼等は皆あらしのように、逃げまわる鬼を追いまわした。犬はただ一噛みに鬼の若者を噛み殺した。雉も鋭い嘴に鬼の子供を突き殺した。猿も――猿は我々人間と親類同志の間がらだけに、鬼の娘を絞殺す前に、必ず凌辱を恣にした。……
あらゆる罪悪の行われた後、とうとう鬼の酋長は、命をとりとめた数人の鬼と、桃太郎の前に降参した。桃太郎の得意は思うべしである。鬼が島はもう昨日のように、極楽鳥の囀る楽土ではない。椰子の林は至るところに鬼の死骸を撒き散らしている。桃太郎はやはり旗を片手に、三匹の家来を従えたまま、平蜘蛛のようになった鬼の酋長へ厳かにこういい渡した。
「では格別の憐愍により、貴様たちの命は赦してやる。その代りに鬼が島の宝物は一つも残らず献上するのだぞ。」
「はい、献上致します。」
「なおそのほかに貴様の子供を人質のためにさし出すのだぞ。」
「それも承知致しました。」
鬼の酋長はもう一度額を土へすりつけた後、恐る恐る桃太郎へ質問した。
「わたくしどもはあなた様に何か無礼でも致したため、御征伐を受けたことと存じて居ります。しかし実はわたくしを始め、鬼が島の鬼はあなた様にどういう無礼を致したのやら、とんと合点が参りませぬ。ついてはその無礼の次第をお明し下さる訣には参りますまいか?」
桃太郎は悠然と頷いた。
「日本一[#ルビの「にっぽんいち」は底本では「にっぼんいち」]の桃太郎は犬猿雉の三匹の忠義者を召し抱えた故、鬼が島へ征伐に来たのだ。」
「ではそのお三かたをお召し抱えなすったのはどういう訣でございますか?」
「それはもとより鬼が島を征伐したいと志した故、黍団子をやっても召し抱えたのだ。――どうだ? これでもまだわからないといえば、貴様たちも皆殺してしまうぞ。」
鬼の酋長は驚いたように、三尺ほど後へ飛び下ると、いよいよまた丁寧にお時儀をした。日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹と、人質に取った鬼の子供に宝物の車を引かせながら、得々と故郷へ凱旋した。――これだけはもう日本中の子供のとうに知っている話である。しかし桃太郎は必ずしも幸福に一生を送った訣ではない。鬼の子供は一人前になると番人の雉を噛み殺した上、たちまち鬼が島へ逐電した。のみならず鬼が島に生き残った鬼は時々海を渡って来ては、桃太郎の屋形へ火をつけたり、桃太郎の寝首をかこうとした。何でも猿の殺されたのは人違いだったらしいという噂である。桃太郎はこういう重ね重ねの不幸に嘆息を洩らさずにはいられなかった。
「どうも鬼というものの執念の深いのには困ったものだ。」
「やっと命を助けて頂いた御主人の大恩さえ忘れるとは怪しからぬ奴等でございます。」
犬も桃太郎の渋面を見ると、口惜しそうにいつも唸ったものである。
その間も寂しい鬼が島の磯には、美しい熱帯の月明りを浴びた鬼の若者が五六人、鬼が島の独立を計画するため、椰子の実に爆弾を仕こんでいた。優しい鬼の娘たちに恋をすることさえ忘れたのか、黙々と、しかし嬉しそうに茶碗ほどの目の玉を赫かせながら。……人間の知らない山の奥に雲霧を破った桃の木は今日もなお昔のように、累々と無数の実をつけている。勿論桃太郎を孕んでいた実だけはとうに谷川を流れ去ってしまった。しかし未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。あの大きい八咫鴉は今度はいつこの木の梢へもう一度姿を露わすであろう? ああ、未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。……