2017年12月
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宮沢賢治「水仙月の四日」喜多川拓郎朗読
25.23
Nov 12, 2017水仙月の四日
宮沢賢治
雪婆んごは、遠くへ出かけて居りました。
猫のやうな耳をもち、ぼやぼやした灰いろの髪をした雪婆んごは、西の山脈の、ちぢれたぎらぎらの雲を越えて、遠くへでかけてゐたのです。
ひとりの子供が、赤い毛布にくるまつて、しきりにカリメラのことを考へながら、大きな象の頭のかたちをした、雪丘の裾を、せかせかうちの方へ急いで居りました。
(そら、新聞紙を尖つたかたちに巻いて、ふうふうと吹くと、炭からまるで青火が燃える。ぼくはカリメラ鍋に赤砂糖を一つまみ入れて、それからザラメを一つまみ入れる。水をたして、あとはくつくつくつと煮るんだ。)ほんたうにもう一生けん命、こどもはカリメラのことを考へながらうちの方へ急いでゐました。
お日さまは、空のずうつと遠くのすきとほつたつめたいとこで、まばゆい白い火を、どしどしお焚きなさいます。
その光はまつすぐに四方に発射し、下の方に落ちて来ては、ひつそりした台地の雪を、いちめんまばゆい雪花石膏の板にしました。
二疋の雪狼が、べろべろまつ赤な舌を吐きながら、象の頭のかたちをした、雪丘の上の方をあるいてゐました。こいつらは人の眼には見えないのですが、一ぺん風に狂ひ出すと、台地のはづれの雪の上から、すぐぼやぼやの雪雲をふんで、空をかけまはりもするのです。
「しゆ、あんまり行つていけないつたら。」雪狼のうしろから白熊の毛皮の三角帽子をあみだにかぶり、顔を苹果のやうにかがやかしながら、雪童子がゆつくり歩いて来ました。
雪狼どもは頭をふつてくるりとまはり、またまつ赤な舌を吐いて走りました。
「カシオピイア、
もう水仙が咲き出すぞ
おまへのガラスの水車
きつきとまはせ。」
雪童子はまつ青なそらを見あげて見えない星に叫びました。その空からは青びかりが波になつてわくわくと降り、雪狼どもは、ずうつと遠くで焔のやうに赤い舌をべろべろ吐いてゐます。
「しゆ、戻れつたら、しゆ、」雪童子がはねあがるやうにして叱りましたら、いままで雪にくつきり落ちてゐた雪童子の影法師は、ぎらつと白いひかりに変り、狼どもは耳をたてて一さんに戻つてきました。
「アンドロメダ、
あぜみの花がもう咲くぞ、
おまへのラムプのアルコホル、
しゆうしゆと噴かせ。」
雪童子は、風のやうに象の形の丘にのぼりました。雪には風で介殻のやうなかたがつき、その頂には、一本の大きな栗の木が、美しい黄金いろのやどりぎのまりをつけて立つてゐました。 -
芥川龍之介「妙な話」石丸絹子朗読
17.13
Nov 08, 2017妙な話
芥川龍之介
ある冬の夜、私は旧友の村上と一しょに、銀座通りを歩いていた。
「この間千枝子から手紙が来たっけ。君にもよろしくと云う事だった。」
村上はふと思い出したように、今は佐世保に住んでいる妹の消息を話題にした。
「千枝子さんも健在だろうね。」
「ああ、この頃はずっと達者のようだ。あいつも東京にいる時分は、随分神経衰弱もひどかったのだが、――あの時分は君も知っているね。」
「知っている。が、神経衰弱だったかどうか、――」
「知らなかったかね。あの時分の千枝子と来た日には、まるで気違いも同様さ。泣くかと思うと笑っている。笑っているかと思うと、――妙な話をし出すのだ。」
「妙な話?」
村上は返事をする前に、ある珈琲店の硝子扉を押した。そうして往来の見える卓子に私と向い合って腰を下した。
「妙な話さ。君にはまだ話さなかったかしら。これはあいつが佐世保へ行く前に、僕に話して聞かせたのだが。――」君も知っている通り、千枝子の夫は欧洲戦役中、地中海方面へ派遣された「A――」の乗組将校だった。あいつはその留守の間、僕の所へ来ていたのだが、いよいよ戦争も片がつくと云う頃から、急に神経衰弱がひどくなり出したのだ。その主な原因は、今まで一週間に一度ずつはきっと来ていた夫の手紙が、ぱったり来なくなったせいかも知れない。何しろ千枝子は結婚後まだ半年と経たない内に、夫と別れてしまったのだから、その手紙を楽しみにしていた事は、遠慮のない僕さえひやかすのは、残酷な気がするくらいだった。
ちょうどその時分の事だった。ある日、――そうそう、あの日は紀元節だっけ。何でも朝から雨の降り出した、寒さの厳しい午後だったが、千枝子は久しぶりに鎌倉へ、遊びに行って来ると云い出した。鎌倉にはある実業家の細君になった、あいつの学校友だちが住んでいる。――そこへ遊びに行くと云うのだが、何もこの雨の降るのに、わざわざ鎌倉くんだりまで遊びに行く必要もないと思ったから、僕は勿論僕の妻も、再三明日にした方が好くはないかと云って見た。しかし千枝子は剛情に、どうしても今日行きたいと云う。そうしてしまいには腹を立てながら、さっさと支度して出て行ってしまった。 -
夏目漱石「こころ」下 47 48 山口雄介朗読
14.63
Nov 07, 2017「私はそのまま二、三日過ごしました。その二、三日の間Kに対する絶えざる不安が私の胸を重くしていたのはいうまでもありません。私はただでさえ何とかしなければ、彼に済まないと思ったのです。その上奥さんの調子や、お嬢さんの態度が、始終私を突ッつくように刺戟するのですから、私はなお辛かったのです。どこか男らしい気性を具えた奥さんは、いつ私の事を食卓でKに素ぱ抜かないとも限りません。それ以来ことに目立つように思えた私に対するお嬢さんの挙止動作も、Kの心を曇らす不審の種とならないとは断言できません。私は何とかして、私とこの家族との間に成り立った新しい関係を、Kに知らせなければならない位置に立ちました。しかし倫理的に弱点をもっていると、自分で自分を認めている私には、それがまた至難の事のように感ぜられたのです。
私は仕方がないから、奥さんに頼んでKに改めてそういってもらおうかと考えました。無論私のいない時にです。しかしありのままを告げられては、直接と間接の区別があるだけで、面目のないのに変りはありません。といって、拵え事を話してもらおうとすれば、奥さんからその理由を詰問されるに極っています。もし奥さんにすべての事情を打ち明けて頼むとすれば、私は好んで自分の弱点を自分の愛人とその母親の前に曝け出さなければなりません。真面目な私には、それが私の未来の信用に関するとしか思われなかったのです。結婚する前から恋人の信用を失うのは、たとい一分一厘でも、私には堪え切れない不幸のように見えました。
要するに私は正直な路を歩くつもりで、つい足を滑らした馬鹿ものでした。もしくは狡猾な男でした。そうしてそこに気のついているものは、今のところただ天と私の心だけだったのです。しかし立ち直って、もう一歩前へ踏み出そうとするには、今滑った事をぜひとも周囲の人に知られなければならない窮境に陥ったのです。私はあくまで滑った事を隠したがりました。同時に、どうしても前へ出ずにはいられなかったのです。私はこの間に挟まってまた立ち竦みました。
五、六日経った後、奥さんは突然私に向って、Kにあの事を話したかと聞くのです。私はまだ話さないと答えました。するとなぜ話さないのかと、奥さんが私を詰るのです。私はこの問いの前に固くなりました。その時奥さんが私を驚かした言葉を、私は今でも忘れずに覚えています。
「道理で妾が話したら変な顔をしていましたよ。あなたもよくないじゃありませんか。平生あんなに親しくしている間柄だのに、黙って知らん顔をしているのは」
私はKがその時何かいいはしなかったかと奥さんに聞きました。奥さんは別段何にもいわないと答えました。しかし私は進んでもっと細かい事を尋ねずにはいられませんでした。奥さんは固より何も隠す訳がありません。大した話もないがといいながら、一々Kの様子を語って聞かせてくれました。
奥さんのいうところを綜合して考えてみると、Kはこの最後の打撃を、最も落ち付いた驚きをもって迎えたらしいのです。Kはお嬢さんと私との間に結ばれた新しい関係について、最初はそうですかとただ一口いっただけだったそうです。しかし奥さんが、「あなたも喜んで下さい」と述べた時、彼ははじめて奥さんの顔を見て微笑を洩らしながら、「おめでとうございます」といったまま席を立ったそうです。そうして茶の間の障子を開ける前に、また奥さんを振り返って、「結婚はいつですか」と聞いたそうです。それから「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません」といったそうです。奥さんの前に坐っていた私は、その話を聞いて胸が塞るような苦しさを覚えました。 -
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吉川英治「三国志」 義盟 朗読岡田慎平
41.80
Nov 01, 2017一
桃園へ行ってみると、関羽と張飛のふたりは、近所の男を雇ってきて、園内の中央に、もう祭壇を作っていた。
壇の四方には、笹竹を建て、清縄をめぐらして金紙銀箋の華をつらね、土製の白馬を贄にして天を祭り、烏牛を屠ったことにして、地神を祠った。
「やあ、おはよう」
劉備が声をかけると、
「おお、お目ざめか」
張飛、関羽は、振向いた。
「見事に祭壇ができましたなあ。寝る間はなかったでしょう」
「いや、張飛が、興奮して、寝てから話しかけるので、ちっとも眠る間はありませんでしたよ」
と、関羽は笑った。
張飛は劉備のそばへきて、
「祭壇だけは立派にできたが、酒はあるだろうか」
心配して訊ねた。
「いや、母が何とかしてくれるそうです。今日は、一生一度の祝いだといっていますから」
「そうか、それで安心した。しかし劉兄、いいおっ母さんだな。ゆうべからそばで見ていても、羨しくてならない」
「そうです。自分で自分の母を褒めるのもへんですが、子に優しく世に強い母です」
「気品がある、どこか」
「失礼だが、劉兄には、まだ夫人はないようだな」
「ありません」
「はやくひとり娶らないと、母上がなんでもやっている様子だが、あのお年で、お気の毒ではないか」
「…………」
劉備は、そんなことを訊かれたので、またふと、忘れていた鴻芙蓉の佳麗なすがたを思い出してしまった。
で、つい答えを忘れて、何となく眼をあげると、眼の前へ、白桃の花びらが、霏々と情あるもののように散ってきた。
「劉備や。皆さんも、もうお支度はよろしいのですか」
厨に見えなかった母が、いつの間にか、三名の後ろにきて告げた。
三名が、いつでもと答えると、母はまた、いそいそと厨房のほうへ去った。
近隣の人手を借りてきたのであろう。きのう張飛の姿を見て、きゃっと魂消て逃げた娘も、その娘の恋人の隣家の息子も、ほかの家族も、大勢して手伝いにきた。
やがて、まず一人では持てないような酒瓶が祭壇の莚へ運ばれてきた。
それから豚の仔を丸ごと油で煮たのや、山羊の吸物の鍋や、干菜を牛酪で煮つけた物だの、年数のかかった漬物だの――運ばれてくるごとに、三名は、その豪華な珍味の鉢や大皿に眼を奪われた。
劉備さえ、心のうちで、
「これは一体、どうしたことだろう」と、母の算段を心配していた。
そのうちにまた、村長の家から、花梨の立派な卓と椅子がかつがれてきた。
「大饗宴だな」
張飛は、子どものように、歓喜した。
準備ができると、手伝いの者は皆、母屋へ退がってしまった。
三名は、
「では」
と、眼を見合せて、祭壇の前の蓆へ坐った。そして天地の神へ、
「われらの大望を成就させ給え」
と、祈念しかけると、関羽が、
「ご両所。少し待ってくれ」
と、なにか改まっていった。 -
夏目漱石「こころ」下 45 46 山口雄介朗読
13.73
Oct 31, 2017「Kから聞かされた打ち明け話を、奥さんに伝える気のなかった私は、「いいえ」といってしまった後で、すぐ自分の嘘を快からず感じました。仕方がないから、別段何も頼まれた覚えはないのだから、Kに関する用件ではないのだといい直しました。奥さんは「そうですか」といって、後を待っています。私はどうしても切り出さなければならなくなりました。私は突然「奥さん、お嬢さんを私に下さい」といいました。奥さんは私の予期してかかったほど驚いた様子も見せませんでしたが、それでも少時返事ができなかったものと見えて、黙って私の顔を眺めていました。一度いい出した私は、いくら顔を見られても、それに頓着などはしていられません。「下さい、ぜひ下さい」といいました。「私の妻としてぜひ下さい」といいました。奥さんは年を取っているだけに、私よりもずっと落ち付いていました。「上げてもいいが、あんまり急じゃありませんか」と聞くのです。私が「急に貰いたいのだ」とすぐ答えたら笑い出しました。そうして「よく考えたのですか」と念を押すのです。私はいい出したのは突然でも、考えたのは突然でないという訳を強い言葉で説明しました。
それからまだ二つ三つの問答がありましたが、私はそれを忘れてしまいました。男のように判然したところのある奥さんは、普通の女と違ってこんな場合には大変心持よく話のできる人でした。「宜ござんす、差し上げましょう」といいました。「差し上げるなんて威張った口の利ける境遇ではありません。どうぞ貰って下さい。ご存じの通り父親のない憐れな子です」と後では向うから頼みました。
話は簡単でかつ明瞭に片付いてしまいました。最初からしまいまでにおそらく十五分とは掛らなかったでしょう。奥さんは何の条件も持ち出さなかったのです。親類に相談する必要もない、後から断ればそれで沢山だといいました。本人の意嚮さえたしかめるに及ばないと明言しました。そんな点になると、学問をした私の方が、かえって形式に拘泥するくらいに思われたのです。親類はとにかく、当人にはあらかじめ話して承諾を得るのが順序らしいと私が注意した時、奥さんは「大丈夫です。本人が不承知の所へ、私があの子をやるはずがありませんから」といいました。
自分の室へ帰った私は、事のあまりに訳もなく進行したのを考えて、かえって変な気持になりました。はたして大丈夫なのだろうかという疑念さえ、どこからか頭の底に這い込んで来たくらいです。けれども大体の上において、私の未来の運命は、これで定められたのだという観念が私のすべてを新たにしました。
私は午頃また茶の間へ出掛けて行って、奥さんに、今朝の話をお嬢さんに何時通じてくれるつもりかと尋ねました。奥さんは、自分さえ承知していれば、いつ話しても構わなかろうというような事をいうのです。こうなると何だか私よりも相手の方が男みたようなので、私はそれぎり引き込もうとしました。すると奥さんが私を引き留めて、もし早い方が希望ならば、今日でもいい、稽古から帰って来たら、すぐ話そうというのです。私はそうしてもらう方が都合が好いと答えてまた自分の室に帰りました。しかし黙って自分の机の前に坐って、二人のこそこそ話を遠くから聞いている私を想像してみると、何だか落ち付いていられないような気もするのです。私はとうとう帽子を被って表へ出ました。そうしてまた坂の下でお嬢さんに行き合いました。何にも知らないお嬢さんは私を見て驚いたらしかったのです。私が帽子を脱って「今お帰り」と尋ねると、向うではもう病気は癒ったのかと不思議そうに聞くのです。私は「ええ癒りました、癒りました」と答えて、ずんずん水道橋の方へ曲ってしまいました。 -
島崎藤村「三人の訪問者」 物袋綾子朗読
13.43
Oct 29, 2017三人の訪問者
島崎藤村
「冬」が訪ねて来た。
私が待受けて居たのは正直に言うと、もっと光沢のない、単調な眠そうな、貧しそうに震えた、醜く皺枯れた老婆であった。私は自分の側に来たものの顔をつくづくと眺めて、まるで自分の先入主となった物の考え方や自分の予想して居たものとは反対であるのに驚かされた。私は尋ねて見た。
「お前が『冬』か。」
「そういうお前は一体私を誰だと思うのだ。そんなにお前は私を見損なって居たのか。」
と「冬」が答えた。
「冬」は私にいろいろな樹木を指して見せた。あの満天星を御覧、と言われて見ると旧い霜葉はもう疾くに落尽して了ったが、茶色を帯びた細く若い枝の一つ一つには既に新生の芽が見られて、そのみずみずしい光沢のある若枝にも、勢いこんで出て来たような新芽にも、冬の焔が流れて来て居た。満天星ばかりではない、梅の素生は濃い緑色に延びて、早や一尺に及ぶのもある。ちいさくなって蹲踞んで居るのは躑躅だが、でもがつがつ震えるような様子はすこしも見えない。あの椿の樹を御覧と「冬」が私に言った。日を受けて光る冬の緑葉には言うに言われぬかがやきがあって、密集した葉と葉の間からは大きな蕾が顔を出して居た。何かの深い微笑のように咲くあの椿の花の中には霜の来る前に早や開落したのさえあった。
「冬」は私に八つ手の樹を指して見せた。そこにはまた白に近い淡緑の色彩の新しさがあって、その力のある花の形は周囲の単調を破って居た。
三年の間、私は異郷の客舎の方で暗い冬を送って来た。寒い雨でも来て障子の暗い日なぞにはよくあの巴里の冬を思出す。そこでは一年のうちの最も日の短いという冬至前後になると、朝の九時頃に漸く夜が明けて午後の三時半には既に日が暮れて了った。あのボオドレエルの詩の中にあるような赤熱の色に燃えてしかも凍り果てるという太陽は、必ずしも北極の果を想像しない迄も、巴里の町を歩いて居てよく見らるるものであった。枯々としたマロニエの並木の間に冬が来ても青々として枯れずに居る草地の眺めばかりは、特別な冬景色ではあったけれども、あの灰色な深い静寂なシャンヌの「冬」の色調こそ彼地の自然にはふさわしいものであった。 -
樋口一葉「この子」海渡みなみ朗読
26.93
Oct 28, 2017口に出して私が我子が可愛いといふ事を申したら、嘸皆樣は大笑ひを遊ばしましやう、それは何方だからとて我子の憎いはありませぬもの、取たてゝ何も斯う自分ばかり美事な寶を持つて居るやうに誇り顏に申すことの可笑しいをお笑ひに成りましやう、だから私は口に出して其樣な仰山らしい事は言ひませぬけれど、心のうちではほんに/\可愛いの憎いのではありませぬ、掌を合せて拜まぬばかり辱ないと思ふて居りまする。
私の此子は言はゞ私の爲の守り神で、此樣な可愛い笑顏をして、無心な遊をして居ますけれど、此無心の笑顏が私に教へて呉れました事の大層なは、殘りなく口には言ひ盡くされませぬ、學校で讀みました書物、教師から言ひ聞かして呉れました樣々の事は、それはたしかに私の身の爲にもなり、事ある毎に思ひ出してはあゝで有つた、斯うで有つたと一々顧みられまするけれど、此子の笑顏のやうに直接に、眼前、かけ出す足を止めたり、狂ふ心を靜めたはありませぬ、此子が何の氣も無く小豆枕をして、兩手を肩のそばへ投出して寢入つて居る時の其顏といふものは、大學者さまが頭の上から大聲で異見をして下さるとは違ふて、心から底から沸き出すほどの涙がこぼれて、いかに強情我まんの私でも、子供なんぞ些とも可愛くはありませんと威張つた事は言はれませんかつた。 -
江戸川乱歩「屋根裏の散歩者」朗読カフェ 青空文庫名作文学の朗読
104.85
Oct 27, 2017一
多分それは一種の精神病ででもあったのでしょう。郷田三郎は、どんな遊びも、どんな職業も、何をやって見ても、一向この世が面白くないのでした。
学校を出てから――その学校とても一年に何日と勘定の出来る程しか出席しなかったのですが――彼に出来相な職業は、片端からやって見たのです、けれど、これこそ一生を捧げるに足ると思う様なものには、まだ一つも出くわさないのです。恐らく、彼を満足させる職業などは、この世に存在しないのかも知れません。長くて一年、短いのは一月位で、彼は職業から職業へと転々しました。そして、とうとう見切りをつけたのか、今では、もう次の職業を探すでもなく、文字通り何もしないで、面白くもない其日其日を送っているのでした。
遊びの方もその通りでした。かるた、球突き、テニス、水泳、山登り、碁、将棊、さては各種の賭博に至るまで、迚もここには書き切れない程の、遊戯という遊戯は一つ残らず、娯楽百科全書という様な本まで買込んで、探し廻っては試みたのですが、職業同様、これはというものもなく、彼はいつも失望させられていました。だが、この世には「女」と「酒」という、どんな人間だって一生涯飽きることのない、すばらしい快楽があるではないか。諸君はきっとそう仰有るでしょうね。ところが、我が郷田三郎は、不思議とその二つのものに対しても興味を感じないのでした。酒は体質に適しないのか、一滴も飲めませんし、女の方は、無論その慾望がない訳ではなく、相当遊びなどもやっているのですが、そうかと云って、これあるが為に生き甲斐を感じるという程には、どうしても思えないのです。
「こんな面白くない世の中に生き長えているよりは、いっそ死んで了った方がましだ」
ともすれば、彼はそんなことを考えました。併し、そんな彼にも、生命を惜しむ本能丈けは具っていたと見えて、二十五歳の今日が日まで「死ぬ死ぬ」といいながら、つい死切れずに生き長えているのでした。
親許から月々いくらかの仕送りを受けることの出来る彼は、職業を離れても別に生活には困らないのです。一つはそういう安心が、彼をこんな気まま者にして了ったのかも知れません。そこで彼は、その仕送り金によって、せめていくらかでも面白く暮すことに腐心しました。例えば、職業や遊戯と同じ様に、頻繁に宿所を換えて歩くことなどもその一つでした。彼は、少し大げさに云えば、東京中の下宿屋を、一軒残らず知っていました。一月か半月もいると、すぐに次の別の下宿屋へと住みかえるのです。無論その間には、放浪者の様に旅をして歩いたこともあります。或は又、仙人の様に山奥へ引込んで見たこともあります。でも、都会にすみなれた彼には、迚も淋しい田舎に長くいることは出来ません。一寸旅に出たかと思うと、いつのまにか、都会の燈火に、雑沓に、引寄せられる様に、彼は東京へ帰ってくるのでした。そして、その度毎に下宿を換えたことは云うまでもありません。