2015年12月
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朗読カフェSTUDIO、岡田慎平朗読「三国志」桃園の巻吉川英治黄巾賊三
ゆるやかに、江を下ってくる船の影は、舂く陽を負って黒く、徐々と眼の前に近づいてきた。ふつうの客船や貨船とちがい、洛陽船はひと目でわかる。無数の紅い龍舌旗を帆ばしらにひるがえし、船楼は五彩に塗ってあった。
「おうーい」
劉備は手を振った。
しかし船は一個の彼に見向きもしなかった。
おもむろに舵を曲げ、スルスルと帆をおろしながら、黄河の流れにまかせて、そこからずっと下流の岸へ着いた。
百戸ばかりの水村がある。
今日、洛陽船を待っていたのは、劉備ひとりではない。岸にはがやがやと沢山な人影がかたまっていた。驢をひいた仲買人の群れだの、鶏車と呼ぶ手押し車に、土地の糸や綿を積んだ百姓だの、獣の肉や果物を籠に入れて待つ物売りだの――すでにそこには、洛陽船を迎えて、市が立とうとしていた。
なにしろ、黄河の上流、洛陽の都には今、後漢の第十二代の帝王、霊帝の居城があるし、珍しい物産や、文化の粋は、ほとんどそこでつくられ、そこから全支那へ行きわたるのである。
幾月かに一度ずつ、文明の製品を積んだ洛陽船が、この地方へも下江してきた。そして沿岸の小都市、村、部落など、市の立つところに船を寄せて、交易した。朗読カフェSTUDIO、岡田慎平朗読「三国志」桃園の巻吉川英治 黄巾賊四
四
「持っております」
彼は、懐中の革嚢を取出し、銀や砂金を取りまぜて、相手の両掌へ、惜しげもなくそれを皆あけた。
「ほ……」
洛陽の商人は、掌の上の目量を計りながら、
「あるねえ。しかし、銀があらかたじゃないか。これでは、よい茶はいくらも上げられないが」
「何ほどでも」
「そんなに欲しいのかい」
「母が眼を細めて、よろこぶ顔が見たいので――」
「お前さん、商売は?」
「蓆や簾を作っています」
「じゃあ、失礼だが、これだけの銀をためるにはたいへんだろ」
「二年かかりました。自分の食べたい物も、着たい物も、節約して」
「そう聞くと、断われないな。けれどとても、これだけの銀と替えたんじゃ引合わない。なにかほかにないかね」
「これも添えます」
劉備は、剣の緒にさげている琅の珠を解いて出した。洛陽の商人は琅
などは珍しくない顔つきをして見ていたが、
「よろしい。おまえさんの孝心に免じて、茶と交易してやろう」
と、やがて船室の中から、錫の小さい壺を一つ持ってきて、劉備に与えた。
黄河は暗くなりかけていた。西南方に、妖猫の眼みたいな大きな星がまたたいていた。その星の光をよく見ていると虹色の暈がぼっとさしていた。
――世の中がいよいよ乱れる凶兆だ。
と、近頃しきりと、世間の者が怖がっている星である。
「ありがとうございました」
劉備青年は、錫の小壺を、両掌に持って、やがて岸を離れてゆく船の影を拝んでいた。もう瞼に、母のよろこぶ顔がちらちらする。
しかし、ここから故郷の県楼桑村までは、百里の余もあった。幾夜の泊りを重ねなければ帰れないのである。
「今夜は寝て――」と、考えた。
彼方を見ると、水村の灯が二つ三つまたたいている。彼は村の木賃へ眠った。 -
朗読カフェSTUDIO 田中智之朗読 「 競馬」吉川英治
競馬場がふえ、競馬ファンもふえてきた。応接間の座談として、競馬が語られる時代がきた。その中で、時々、知人のあいだにも、“楽しみを楽しまざる人”がまま多い。――競馬を苦しむ方の人である。
このあいだも、某社の、記者としても人間としても、有能な若い人だが、競馬に熱中して、社にも負債を生じ、家庭にも困らせている人があるという話が出て――僕はその若い有能な雑誌記者を惜しむのあまり、その人は知らないが、忠告のてがみを送ろうとおもって、客に、姓名まで書いておいてもらったが、やはり未知の者へ、いきなりそんな手紙をやるのもためらわれ、必ず他にも近頃は同病の士も多かろうとおもって、ここに書くことにした。
――といっても、僕自身、競馬は好きなのであるから、単に、競馬の弊を説くのではない。
しかし、楽しみを楽しむには、害をも、理性にとめていなければなるまい。
害を、強調する者は、よく、そのために産を破り、不義理をし、家庭をそこね、夜逃げまでするような例をあげて――だから有為な者が、近よるべきでないと云ったりする。
国営になっても、その社会害は、かわらないという。
その通りである。だが、私はそれだけを思わない。
あの競馬場の熱鬧は、そのままが、人生の一縮図だと、観るのである。あの渦の中で、自己の理性を失う者は、実際の社会面でも、いつか、その弱点を、出す者にちがいない。
あの馬券売場の前で、家庭を賭けたり、自分の信用や前途までを、アナ場へ、突ッこんでしまうものは、世間においても、いつか同じ心理のことをやってしまう危険性のある者にちがいない。なぜならば、その人間に、あきらかに、そうした素質があることを、あのるつぼの試練が、実証してみせるからだ。ただ、競馬場は、それを一日の短時間に示し、世間における処世では、それが長い間になされるという――時間のちがいだけしかない。
競馬場のるつぼほど、自分の脆弱な意志の面と、いろいろな自己の短所がはっきり、心の表に、あらわれてくるものはない。自分ですら気づかなかった根性が、ありありと露呈してくるものである。それを意識にとらえて、理性と闘わせてみることは、大きな自己反省のくりかえしになる。そして、長い人生のあいだに、いつか禍根となるべき自分の短所を、未然に、矯正することができるとおもう。理性をもって、自由な遊戯心を、撓め正すなんてことは、それ自体、遊びではなくなるという人もあろうが、人生の苦しみをも、楽々遊びうる人ならいいが、そうでない限り、苦しみは遊びではなくなる――という結論はどうしようもない。
ほんの小費いとして持って行ったものを、負けて帰るさえ、帰り途は、朝のように愉快ではない。だから私は、以前の一レース二十円限度時代に、朝、右のズボンのかくしに、十レース分、二百円を入れてゆき、そのうち、一回でも、取った配当は、左のかくしに入れて帰った。その気もちは、どんな遊戯にも、遊興代はかかるものであるから、あらかじめ、遊興費の前払いとおもう額を、右のポケットに入れて出かけるのである。左のポケットに残って帰る分は、たとえいくらでも、儲かったと思って帰ることなのである。――だから私は、どうです馬券は、と人にきかれると、負けたことはありません、と常に答えた。帰り途も、いつでも、朝の出がけの気もちのまま、愉快に帰るために考えついた一方法である。 -
青空文庫名作文学の朗読 朗読カフェ別役みか朗読 泉鏡花「山の手小景」
山の手小景
泉鏡花
矢來町
「お美津、おい、一寸、あれ見い。」と肩を擦合はせて居る細君を呼んだ。旦那、其の夜の出と謂ふは、黄な縞の銘仙の袷に白縮緬の帶、下にフランネルの襯衣、これを長襦袢位に心得て居る人だから、けば/\しく一着して、羽織は着ず、洋杖をついて、紺足袋、山高帽を頂いて居る、脊の高い人物。
「何ですか。」
と一寸横顏を旦那の方に振向けて、直ぐに返事をした。此の細君が、恁う又直ちに良人の口に應じたのは、蓋し珍しいので。……西洋の諺にも、能辯は銀の如く、沈默は金の如しとある。
然れば、神樂坂へ行きがけに、前刻郵便局の前あたりで、水入らずの夫婦が散歩に出たのに、餘り話がないから、
(美津、下駄を買うてやるか。)と言つて見たが、默つて返事をしなかつた。貞淑なる細君は、其の品位を保つこと、恰も大籬の遊女の如く、廊下で會話を交へるのは、仂ないと思つたのであらう。
(あゝん、此のさきの下駄屋の方が可か、お前好な處で買へ、あゝん。)と念を入れて見たが、矢張默つて、爾時は、おなじ横顏を一寸背けて、あらぬ處を見た。
丁度左側を、二十ばかりの色の白い男が通つた。旦那は稍濁つた聲の調子高に、
(あゝん、何うぢや。)
(嫌ですことねえ、)と何とも着かぬことを謂つたのであるが、其間の消息自ら神契默會。
(にやけた奴ぢや、國賊ちゆう!)と快げに、小指の尖ほどな黒子のある平な小鼻を蠢かしたのである。謂ふまでもないが、此のほくろは極めて僥倖に半は髯にかくれて居るので。さて銀側の懷中時計は、散策の際も身を放さず、件の帶に卷着けてあるのだから、時は自分にも明かであらう、前に郵便局の前を通つたのが六時三十分で、歸り途に通懸つたのが、十一時少々過ぎて居た。