喜多川拓郎

  • 橋の下

    山本周五郎

    「あれは刀のようだが」とやがて若侍が訊いた、「御老人はもと武家だったのか」
    「これ」と老人は妻女に云った、「おまえもうひと眠りするがいい、かゆが出来たら起こしてやる、それまで横になっておいで」
     妻女はなにかを片づけていた。
    「立町の国分という材木問屋の主人が亡くなって、ゆうべ通夜がございました」と老人は若侍に云った、「残り物があるから取りに来い、と云われたものですから、頂戴にいってさきほど戻ったところでございます」
     妻女は口の欠けた土瓶どびんと、湯呑を二つ、塗のげた盆にのせて、老人の脇に置くと、よく聞きとれない挨拶を述べ、石垣と橋との隙間へ、緩慢な動作でいあがっていった。老人はまた若侍のようすを見た。彼は黒い無紋の袖の羽折を重ねていたが、着物も下衣も白であった。
    「寒くはないか」と老人は振返って妻女に呼びかけた、「えりをよく巻いておくんだぞ」
     妻女が低い声でなにか答え、老人はまた若侍の着物を見た。その白い着物が、老人になにごとか思いださせたらしい、焚火に枯枝をくべながら、老人はゆっくりとうなずいた。
    「さよう、私はもと侍でございました」と老人は云った、「国許くにもとは申しかねますが、私までに八代続いた家柄だそうで、その藩主に仕えてからも四代になり、身分も上位のほうでございました」
     老人は土瓶の中を見た。それから、たぎり始めた湯沸しをおろし、土瓶に注いで、二つの湯呑に茶をれると、茶といえるようなものではないが、もし不浄と思わなかったら飲んでもらいたい、と云ってすすめた。若侍は礼を述べて、湯呑を受取った。
    「その」と若侍が云った、「こんなことを訊いては失礼かもしれないが」
     老人は静かにさえぎった、「いや、失礼などということはありません、ごらんのとおりなりはてたありさまですから、いまさら身の恥を隠すにも及びますまい、それにまた、聞いて頂くほどの話もないのです」
     若侍は茶をすすり、湯呑を両手でつかんで、老人の話しだすのを待った。老人は湯沸しを鉤に掛け、自分の湯呑を持って、大事そうに啜りながら、やや暫く黙っていた。
    「さよう、じつのところ、申上げるほどの話ではない、私は四十年ほどまえに、一人の娘のために親しい友を斬って、その娘といっしょに出奔しました、つづめて云えばそれだけのことです」
     老人は茶を啜り、それからゆっくりと続けた、「その友達とは幼年のころから親しかった、私のほうが一つ年下でしたし、友達の家は徒士かちにすぎなかったが、二人は兄弟よりも親しかったといってもいいでしょう、さよう、――いちどこんなことがありました、たしか十一か二のときだったでしょう、のちにあらそいのたねになった娘のことで、私がひどく怒り、三人でなにかしていたのを放りだして、私だけさっさとそこをたち去りました」
     老人は唇に微笑をうかべ、さもたのしそうに、頭を左へ右へと振った。
    「三人でなにをしていたのか、場所がどこだったか、私がなんで怒ったのか、いまではすっかり忘れてしまいました、うろおぼえに落葉の音を覚えています、私は落葉を踏んで歩いていました、するとまもなく、うしろでも落葉を踏む音が聞える、その音がずっと私のあとからついて来るのです、私はてっきり娘が追って来たものと思い、振返ってみると友達でした。
     ――ついて来るな、帰れ。
     私はそうどなって、もっといそぎ足に歩き続けたのです、友達はやはりついて来ますし、私は二度も三度もどなりました」
     老人は自分で静かに頷き、茶をひとくち啜った、「その友達は躯も小柄でしたし、眉は濃いが、まる顔で頭がとがっているため、握り飯のような恰好にみえるので、みんなから黙りむすびと呼ばれていました、黙りむすび、私にとってはなつかしいあだ名です、――彼は口かずが少なく、ふだんはごく温和おとなしいが、いざとなると決してあとへはひかぬ性分でした、三度もどなりつけたので、もう帰るかと思うとやっぱりついて来る、なんにも云わずに、黙ってうしろからついて来るのです、私は振返ってまた云いました。
     ――どうしてついて来るんだ。
     すると彼は答えました。
     ――だって、友達だもの」
     老人は口をつぐみ、眼をつむって暫く沈黙した。若侍はそっと老人を見たが、すぐにその眼をそらし、両手で持っている湯呑を静かにまわした。
    「だって、友達だもの」と老人はくり返し、それからまた続けた、「もし正確にいうなら、二人が兄弟より親しくなったのは、それからあとのことだったでしょう、彼は学問もよくできましたし、武芸でもめきめき腕をあげました、十五六のころから家中かちゅうの注目を集め、将来ぬきんでた出世をするだろうと云われたものです、そして彼もまた、その世評の正しいことを立証したのですが、――」
     老人は焚火の上から湯沸しをおろし、脇にある鍋を取って掛けた。使い古した鉄鍋で、もとのつるこわれたのだろう、つるの代りに麻の細引が付けてあった。老人は薪をくべ、火のぐあいを直した。すると煙が立って、いっときほのおが隠れ、それから急に明るく燃えあがり、※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)のさきが鍋底をめた。
    「私がどんなふうだったか、ということは申しますまい、私も私なりにやっておりました」と老人は云った、「もし私が、彼に嫉妬しっとしていたとお考えになるなら、それは間違っています、私は少しも嫉妬は感じませんでした、ことによるとそれは、私の家柄がよく、身分もずっと上だったからかもしれません、私はむしろ彼を尊敬していたといってもいいくらいです、いい時代でした、家があり、家族があり、若さと力を自分で感ずることができ、そしてよき友達をもっている、――さよう、二十一の年まで、私はそのように安定した、満足な生活に恵まれていました。それが父の死を境にして、狂いだしたのです」
     老人は土瓶に湯を注いで、若侍のほうへさしだした。若侍は首を振り、老人は自分の湯呑に茶を注いだ。
    「つまらない話で、御退屈ではありませんか」
    「いや、うかがっています」と若侍が答えた、「どうぞ続けて下さい」
    「父が病死したあと、私にすぐ縁談が始まりました」と老人は云った、「二十一の冬のことですが、私はまえからそのつもりでいた娘を、自分の嫁にと望みました、娘の家は番がしら格で、彼女の年は十七歳、もちろん当人も私の妻になることを承知していたのです、しかし、その申入れは断わられました」

  • トンボの死

    山川方夫

     二人が知りあったのは、青年の夏休みのアルバイトからだった。彼女はそのビルの一階にある喫茶店のウエイトレスをしていた。そして青年は、同じビルの四階と五階にひろいフロアをもつ電器会社に、夏休みのあいだだけやとわれた給仕だということだった。
     ときどき彼女が注文をうけたコーヒーやジュースを運んで行ったり、青年のほうでも喫茶店にやってきたりして、やがて彼女の仲間のウエイトレスたちは、彼女がちょいちょい青年のことを話題にしたがるのに気づいた。
    「あの人はね、とっても可哀そうなの」
     と、よく彼女はいった。
    「なんでもお母さんが継母ままははで、お父さんは死んじゃってて、弟や妹からもバカにされるし、親戚もだれもかまっちゃくれないんですって。でも苦学して、いっしょうけんめいアルバイトしながら夜間大学に行っているの。だけど、からだが疲れちゃって、やっぱり成績も悪いらしいのね。可哀そうなのよ、とっても」
     相手がからかうと、彼女は真赤になって怒った。
    「ひどいわ、ひどいわ。そんなんじゃないのよ。結婚だなんて、そんなこと私ができないこと、あんただって知ってるじゃない」
     たしかに、彼女には母と病気の弟と、まだ小さな妹とがいた。一家のただ一人の働き手である彼女は、まだ十九だった。
     夏休みが終ると、青年は電器会社には来なくなった。が、喫茶店にはときどき姿をみせ、彼女にコーヒーをおごられては、きまって小さな封筒に入ったなにかを受けとって帰って行くのだった。その青年の後ろ姿をぼんやりとみつめながら、彼女はいつもひどく幸福そうな表情をうかべていた。
    「なにを渡しているの? いつも」
     あるとき同僚の一人がきくと、彼女はニコニコして答えた。
    「あれ? あれはね、トンボのエサ」
     ふしぎがる同僚に、彼女は善良そのものの顔で説明するのだった。
    「あの人ね。小さな鳥カゴの中に二匹のトンボを飼っているの。オスのほうは太郎、メスはエミ子っていう名前なのよ。とっても可愛いくって、名前を呼ぶと羽ばたきして近寄ってくるんだって、ただね、あの人、働かなくちゃならないんで、エサをとってきてやるひまがないのよ。それで、私がかわりにいっしょうけんめいハエをとって、その死骸をああして封筒に入れて渡したげることにしてるの。……あの人、とっても感謝しているのよ」

     冷房がそろそろ不要になりはじめた秋のある日だった。喫茶店に、彼女あてに署名のない手紙が来ていた。それを読むと、彼女は蒼白になり、手紙を引き破いた。
    「……バカな人」といって、そして泣きはじめた。
     心配する同僚たちに、彼女はいった。
    「あの人はね、ウソつきなの。あの人、ほんとはあの電器会社の社長さんの一人息子なのよ。私、会社の人たちが話しているのを聞いて、はじめから知ってたのよ。来年大学を出たらすぐアメリカに留学するんで、事業の内容を実地に知るために夏休みをつぶしてたの。もちろん継母なんかじゃないし、だれからもかまわれないどころか、みんなからチヤホヤされて育てられて、でもあの人は家での役目も将来もキチッときまっていて、そのコースから逃げだすことができないのよ。そんな自分から解放されたくって、あの人は私にでたらめばかり話して聞かせてたんだわ。……でも私、あの人のウソを信じてあげるふりをしてたの。だって、私がなにかしてあげられるのは、ウソのあの人でしかないんだし、あの人と私とでは、あの人のそんなウソのなかにしか、いっしょに住める場所がないんですもの。だから、せめて来年、あの人がアメリカへ行って、私から消えてしまうまで、私は本気でずっとあの人のウソを信じてあげるつもりだったの。あの人のウソの中で、いっしょに暮したいと思ってたの。……それを、いまごろ、ダマすのが気がとがめて、だなんて、……」
     泣きつづける彼女の汚れたハンド・バッグの口がひらき、ふくらんだいつもの小さな封筒がころげ落ちて、そこからなにかが床にこぼれた。同僚たちは、一瞬それをハエの死骸と見あやまったが、じつは、それは湿った麦茶の出ガラだった。
     彼のウソの生命をのばすために、それがけんめいに彼女がいつも運んでいたウソのエサなのだった。
    「……あの人、やっぱり一ぺんも開けてみなかったのね」
     と、低く彼女はいった。おそい秋の街に顔を向け、そしてつぶやくようにくりかえした。
    「そうね。……きっと、もう、トンボも死んでしまったのね」

  • 橋の下

    山本周五郎

     練り馬場と呼ばれるその広い草原は、城下から北へ二十町あまりいったところにある。原の北から西は森と丘につづき、東辺に伊鹿野川が流れている。城主が在国のときは、年にいちどそこで武者押をするため、練り馬場と呼ばれるようになったと伝えられている。
     いま一人の若侍が、その草原へはいって来た。月は落ちてしまって見えない、空はいちめんの星であるが、あたりはまだまっ暗で、原の南東にある源心寺の森がひどく遠く、ぼんやりと、墨でぼかしたようにかすんでいた。
    「少し早かったな」とその若侍はつぶやいた、「しかしもうすぐ明けてくるだろう」
     彼は周囲を眺め、空を見あげた。年は二十四五歳で、眼鼻だちのきりっとした顔が、寒さのためであろうか、仮面のように硬ばって白く、無表情にみえた。彼は東の空を見やり、それから首を振った。
    「いや、そんな筈はない」と彼は呟いた、口は殆んど動かず、誰かほかの者が呟くように聞えた、「間違える筈はない、たしかに七つの鐘を聞いて起きたのだ、たしかに七つだった」
     彼は自分をおちつかせようとして、腹に力をいれた。そしてゆっくりと、往ったり来たりし始めた。きっちりとはいた草鞋わらじの下で、こおった土や枯草がみしみしときしみ、そこから寒さがはいあがってきた。寒さは足をはいのぼって腹にしみとおり、からだしんからふるえが起こった。彼はまた東の空を見あげたが、そこには朝のけはいさえなく、さっきよりは一段と星が明るくなったように思えた。
     その若侍のおちつかない動作は、眼に見えないなにかに追われているか、または追いかけているようにみえた。白く硬ばった顔は硬ばったままで、感情の激しい動揺をあらわしているようであり、歩きまわる足どりや、絶えまなしに左右を見やる眼つきには、追いつめられたけものが逃げ場を失ったときの、恐怖にちかい絶望といった感じがあらわれていた。
    「なにを、いまさら」と彼は呟いた、「もう考える余地はないじゃないか、これでいよいよけりがつくんだ、もうなにも思い惑うな、なんにも考えるな」
     腹部から胸のほうへと、ふるえが波を打ってこみあげ、歯と歯がこまかく触れあった。彼は歯をくいしばり、足に力をこめて歩きまわった。やがて、源心寺で鐘が鳴りだした。彼はうわのそらで聞いていたが、ぼんやり七つ(午前四時)かぞえたのでわれに返った。
    「七つじゃないか」と彼は云った、「捨て鐘をべつにして、たしかに七つだった、すると刻を間違えたのか」
     家で聞いた刻の鐘が七つだと思ったが、それではあれは八つ(午前二時)だったのか、と彼は思った。空のもようでみても、いま七つが正しいらしい。約束の六つ半まではたっぷり三時間ちかくある。ばかな間違いをした、あがっていたんだな、と彼は思った。
    「どうしよう」寒さのためにふるえながら、彼は自分に問いかけた、「帰って出直すわけにもいかない、そうはできない、といって、ここにこうしていれば躯が凍えてしまう」
     彼は舌打ちをし、両手の指をんだり、擦りあわせたりしながら、川のほうへと足を向けた。自分がどっちへ歩いているのかも知らず、川の岸まで来てようやく気がつき、おどろいて立停った。――伊鹿野川は冬になると水が少なくなる。幅三十間ばかりの川が、半ば以上もかわいて、広くなった河原を、細く二た条に分れた水が、うねうねと蛇行しているのだが、いまはそれも冰っており、星明りの下でかすかに白く、いかにも冷たげに見えていた。
     岸のところで立停った彼は、なにかに眼をひかれてふと右の、川上のほうへ振向いた。およそ三十間ばかり先に、焚火たきびの火らしいものが小さく見えた。そのちらちらする火が彼の眼をとらえたのであろう、彼はちょっとためらっていたが、すぐにそちらへ向って歩きだした。
     火は岸の下で燃えていた。水のない河原の岸よりで、近づいてみると、そこは土合橋の下であった。若侍はもっと近づいてゆき、そこに人のいるのを見て、河原へおりた。焚火は土合橋の下で燃えており、その脇で二人の老人がなにかしていた。よく見ると一人は男、一人は女で、焚火にはなべがかけてあった。
     老人のほうでも、彼が近づいて来るのを見ていたらしく、彼が立停ると、穏やかな声で呼びかけた。
    「お見廻りでございますか」
    「いや」と彼はあいまいに口ごもった。
     老人は彼のようすを眺め、それからまた云った、「これからがいちばん凍てる時刻です、よろしかったら、こちらへ来ておあたりになりませんか」
     若侍は迷った。かれらが乞食だということがわかったからである。だが、それはただの乞食ではなく、城下では「夫婦乞食」といって、数年まえからかなりひろく知られていたし、彼も幾たびか見かけたことがあった。――かれらはいつも二人いっしょだった。ほかの乞食とはちがって、身妝みなりもさっぱりしており、人の家の勝手口で残った冷飯や菜を貰うほかには、道ばたで物乞いをすることもないし、銭などには決して手を出さなかった。
     ――人柄も悪くない、なにかわけのある夫婦だろう。
     城下の人たちはそう云って、着古した物などを、わざわざ持っていってやる者もある、という話を聞いたこともあった。
    「では、――」と若侍が云った、「邪魔をさせてもらおう」
     老人はどうぞと云い、掛けてある鍋をおろすと、うしろからむしろを取り出して、焚火の脇へ敷いた。蓆は新しいもので、まだ甘ずっぱいようなわらの匂いがしていた。若侍は刀をとってから、その上に腰をおろし、そしてまわりのようすを眺めた。
     頭上には土合橋が屋根になっていた。水の干いた河原に坐って見あげると、おどろくほど高いが、それでも屋根の役をすることはたしかであった。橋のつけねには石が組んであるが、その石垣と橋桁はしげたのあいだに三尺ほどの隙間があり、二三の包の置いてあるのが見えた。おそらく、そこが老人たちの寝場所になるのであろう。若い侍はそう思いながら、ふと眼を細くした。そこに置いてある包の一つから、刀の柄が見えたのである。眼をとめて見ると、それは紛れもなく刀の柄であった。
     老人は焚火に湯沸しを掛けていた。焚火には太い枯枝を三叉に立て、結びめのところにかぎがさがっている。老人はその鉤へ湯沸しを掛けながら、妻女になにか云いつけ、また、それとなく若侍のようすをぬすみ見ていた。

  • 山川方夫「お守り」朗読カフェ 喜多川拓郎朗読

  • フレッド・M・ホワイト「バブル崩壊」奥増夫訳 朗読カフェ 喜多川拓郎朗読

  • 宮沢賢治「ポラーノの広場」後半 朗読カフェ 喜多川拓郎朗読

  • 宮沢賢治「ポラーノの広場」朗読カフェ 喜多川拓郎朗読
    前十七等官 レオーノ・キュースト誌
    宮沢賢治 訳述

  • 山本周五郎「鼓くらべ」朗読カフェ 喜多川拓郎朗読

    鼓くらべ

    庭先に暖かい小春日の光があふれていた。おおかたは枯れた籬の菊の中に、もう小さくしか咲けなくなった花が一輪だけ、茶色に縮れたた枯れ葉の間から、あざやかに白い花びらをつつましくのぞかせていた。

    お留伊は小鼓を打っていた。加賀国森本で一番の絹問屋の娘で、年は十五になる。目鼻だちは優れてれて美しいが、その美しさはすみ通ったギヤマンの壺のように冷たく、勝ち気な、おごった心をそのままえがいたように見える。ひとみは激しい光を帯び、朱いくちびるを引き结んでけんめいに小鼓を打っている姿は、美しいというよりはすさまじいものを感じさせる。

  • 山本周五郎「屏風はたたまれた」朗読カフェ 喜多川拓郎朗読

    屏風はたたまれた

    山本周五郎

     吉村弥十郎はその手紙を三度もらって、三度とも読むとすぐに捨てた。ちょうど北島との縁談がまとまったところなので、誰かのいたずらだろうと思ったからである。差出人の名はただ「ゆき」とだけで、内容はいつもきまっていた。
     ――自分はさる家の乳母うばであるが、自分のそだてた嬢さまがあなたをみそめ、おもいこがれるあまり病気のようになった。そばにいて見るに見かね、思いきってこういうぶしつけな手紙をさしあげる。どうかいちど嬢さまに逢ってやってもらいたい、むすめ一人のいのちが助かるのである。自分は来てくださるものと信じて、嬢さまといっしょに待っている。さかい町の中村座の茶屋で「ゆき」と云ってくださればわかるようにしてある。
     そして、どうかぜひ来てくれ、こんどこそ来てくれるようにと、くり返し書いてあった。どこのなに者ともわからないが、よその娘にみそめられる、などという機会があったとは思えない。考えてみても、弥十郎にはそんな記憶はないし、書いてあることもあまりに古風であり、型にはまりすぎていた。「ふん」と弥十郎はつぶやいた、「ひまなやつがいるものだ」

     吉村は九百五十石あまりの中老で、父の伊与二郎は五十八歳になり、やり組と鉄炮てっぽう組を預かっていた。母のさと女は松沢氏の出で、良人おっとより十二歳も下の四十六である。弥十郎の下に小三郎という弟と、みはるという妹がいたが、弟は母の実家の松沢へ養子にゆき、妹は去年十六歳で小島靱負ゆきえにとついだ。松沢は八百石ばかりの寄合番頭ばんがしらで、長男が三年まえに急逝きゅうせいしたため、小三郎が養子にはいったのであった。
     弥十郎は早くから眼立つ存在であった。吉村は五代まえに、ときの藩主の弟を養子に迎えており、そのためによそとは違った家のしきたりが二三あった。いまでも正月の「水垢離ごり」と、長男が十五歳になったときの「みちあけの式」というのが残っていて、家中かちゅうでは筋目の家といわれている。それも条件の一つであろうが、弥十郎は幼いころから頭がよく、また容姿もぬきんでており、十五歳になって「みちあけの式」が済んでからは、それらすべてにみがきがかかったような感じで、際立って人の注意をくようになった。――彼は十四歳のとき、藩主の信濃守しなののかみ政利に論語の講義をした。岡島梅蔭という藩儒の推薦だそうで、講義は一年ちかく続けられ、終ったときには国広の短刀と、銀二十五枚を褒賞ほうしょうされた。むろんそんな例はまれではないし、彼が少しでも誇らしく感じたなどと思っては誤りである。誇らしく思うどころではない、その話がでるたびに、弥十郎は赤面し、ふきげんになった。それが彼の一転機になったらしく、学問より武芸のほうへ身をいれはじめた。学問所へもずっとかよってはいたが、できるだけ自分を眼立たないようにつとめたし、武芸のほうも同様であった。実際にはめざましく上達したけれども、決して他に気づかれず、総試合のときなどでも、つねに中軸の位地を保つようにしていた。
     こういう努力はいちおう役立って、二十歳を越すころには、彼に対する特別な評も消え、秀才扱いもしぜんと解けた。二十二歳までに恋を二度し、二度とも片想いに終った。いずれも同家中の軽輩の娘で、望めば嫁にもらえたかもしれないが、云いだす決心のつかないうちにだめになった。一人はまもなく嫁にゆき、他の一人はこちらの気持が冷えてしまったのである。そのころから縁談が来はじめ、また、年ごろになりかけた妹の友達などにも騒がれだした。彼女たちは妹のみはると同年か、一つ二つ年上の者もいたが、中に一人いさましい娘があって彼に付け文をした。もちろん夢にあこがれるような罪のないものだったろう、彼はその娘とじかに会い、封じたままの手紙を黙って返してやった。娘はあとでひどく泣き、この恋がかなえられないのなら尼になってしまう、と妹のみはるに云ったそうであるが、それから半年と経たぬうちに、他の藩の重職の家へしていった。――北島との縁談はその年の二月にはじまった。北島は五百石ほどの留守役で、男子二人に娘が一人ある。娘は美貌と才芸にたけている点で、まえから家中に知られていた。そういう娘は負担に思えるので、彼は気乗りがしなかったが、江戸家老が仲人に立つと云い、親たちが熱心にすすめるので、どちらでもいいという、なかば投げた気持で承知をした。
     あの(誰かのいたずらだと思える)手紙が来はじめたのは、北島との縁談を承知してからまもなくのことであった。彼はいたずらをしそうな友人の二三を考え、その手には乗らないぞと思った。すると、三度めの手紙が来てからほどなく、「祝言の日どりを少し延ばしてもらいたい」ということを北島から申入れて来た。
     ――娘の健康がすぐれないので、半年ほど養生をさせたいから。
     という理由である。祝言は十一月の約束で、まだ六十日ちかくも先のことだが、医者の注意があったというし、いそぐ必要もないので、承知したと答えた。そのとき、まるでその機会をみまもってでもいたかのように、四度めの手紙が彼の手に届いた。
     ――三度も手紙をさしあげ、願掛けをするおもいで待ったが、三度とも来てはいただけなかった。
     という書きだしで、むりな願いと、ぶしつけな点をくり返しびたうえ、自分が逢わせてさしあげると約束してから、嬢さまのようすは眼にみえて元気になった。もしこれが逢えないとなったら、こんどこそ本当に病気になってしまうだろう。どうかいちどだけでいいから来て頂きたい、自分のこの一心がとおるようにと祈っている。そういう意味のことがめんめんと書いてあった。
    「いたずらにしては念がいりすぎている」弥十郎は呟いた、「とにかく、いちどゆくだけいってみるか」場所はやはり中村座の茶屋である。弥十郎はなお幾らか躊躇ちゅうちょしたが、指定された日になると、ようやく心がきまり、学友に招かれたからと断わって家を出た。
     中村座の茶屋へ着いたのは午後三時ころであった。「ゆき」といってたずねると、年増の女中が出て来て、どうぞこちらへと、すぐに案内した。小屋のほうでは開幕ちゅうとみえ、低い鳴物が聞えるほかはしんとしており、茶屋の廊下にもあまり人の姿はみえなかった。れてゆかれたのは二階のいちばん奥で、女中が声をかけてふすまをあけたとき、弥十郎は初めてどきっとした。
     ――いたずらなら笑って済ませる。
     そうだ、と彼は思った。いたずらならかえっていい、本当だとするとこと面倒になる、これはしまったぞと思った。しかし、襖をあけた女中は去り、中年の婦人が彼に挨拶をしていた。
    「ようこそ」と婦人が云った、「ようこそおいで下さいました、人の眼につくといけません、どうぞおはいり下さいまし」
     弥十郎がはいると婦人は襖を閉め、設けの席を彼にすすめた。
     婦人は自分がゆきであると名のり、ぶしつけの詫びと、来てくれた礼を述べながら、巧みなとりなしで彼に着替えをさせた。彼は着替えなどするつもりはなかったが、あまりに相手のとりなしが巧みで、拒む隙もなかったのである。そして、着替えが済むとすぐに、隣り座敷の襖をあけて、弥十郎を押しやるように、その座敷へはいった。そこは十帖ばかりの広さで、雨戸が閉めてあるのだろう、立て廻した屏風びょうぶを、雪洞ぼんぼりがほのかに照らしており、すっかり夜のけしきになっていた。
    「お嬢さま」と婦人が屏風の中へ呼びかけた、「吉村さまがいらっしゃいました」
    「はい」と屏風の中で答えるのが聞えた。
     婦人は彼にうなずいてみせ、廻してある屏風の片方を脇へよせた。毛氈もうせんが敷いてあり、香炉をのせた文台の前に、娘が一人、低くうなだれて坐っていた。
    「おひきあわせ申します」と婦人が弥十郎に云った、「わたくしのお仕えする嬢さまで、お名は千夜と仰しゃいます、どうぞ、おらくにあそばして、――」

     それから中一日ずつおいて、「ゆき」からの呼びだしの手紙が三度来た。二度めは初めと同じ中村座の茶屋であったが、三度めは浅草橋場の「川西」という茶屋を指定して来た。弥十郎はどうしようかと迷った。――というのは、一度だけというのをもう三度も逢っているし、相手がなに者だかまだわからず、しかも娘があまりにうぶすぎて、話もろくにしないし、石のように固くなっているため、こっちまでてれてしまい、なんのために逢うのかわからないという按配あんばいだったからだ。
     千夜という娘はまるで見当がつかない。ゆきという婦人にしても、言葉づかいや動作には武家のような感じがするが、とりもちの巧みさや、酒をすすめたり、さりげなく屏風の中の支度をととのえたりするようすは、大きな商家のわけ知りのばあや、といったふうなところもあった。
     三度めに逢って別れるとき、ゆきという婦人は彼の耳にささやいた。
     ――嬢さまはまだなにも御存じではなし、それに女のことでございますからね、あなたが手引きをしてあげて下さらなければ。
     そしてなおこう付け加えた。
     ――この次にはどうぞ、きっとでございますよ。
     その囁きがなにを暗示するか、もちろん弥十郎にはわかった。初めからわかっていたというほうが本当だろう。しかしそう囁かれたときはさすがにたじろいだし、橋場を指定して来た手紙に、どうしようかと迷ったのも、そのたじろいだ気持が尾をひいていたようである。しかしその日になり、時刻が近づいてくると、彼はすっかりおちつきを失い、決断のつかぬままに、まるでなにかに追いたてられるような気持で、外出の支度をした。
     橋場まで駕籠かごに乗っていったが、その途中で彼は「みちあけの式」のことを思いだした。吉村家に五代まえから伝わっている独特の家法で、長男が十五歳になったときに行う成年式といったふうなものである。――事前にはなにも知らされず、式の間という部屋に寝かされる。寝衣ねまきは白の清絹で、枕も箱枕ではなく、白い麻布で包まれた長枕であった。そうして灯をいれないまま、闇の中に寝ていると、やがて女が来て同じ夜具の中へはいり、夜の明けるまえに出ていってしまう。
     ――わたくしのするとおりになさいまし、ようございますね、さあ気をゆったりとなすって。
     初めての夜、女はそう囁いた。弥十郎は十五歳になっていたから、男女のなかにそういう秘事のあることはおぼろげには知っていた。したがってそのことにおどろきはしなかったが、自分の意志を無視して行われたこと、女がなに者であるかも不明なことなどで、ひじょうな恥ずかしさと怒りを感じ、翌朝、父に向ってその不当なことを詰問した。
     ――そういう子供めいた考えかたを捨てるためにもこの「式」はあるのだ。
     と父の伊与二郎は答えた。
     ――おまえたちの年頃から、もっとも勉強や修業の邪魔になるのは女だ、知らないために惹きつけられ、不必要にあがめたり、卑しめたり、またあこがれたりして心を悩ませる、女というものを知れば、そんな悩みもなくなるし、空想で時間を浪費することもない、そのうえ、おとなになったという自覚が得られるだろう、やがて自分でもわかる筈だ。
     その「式」は七夜つづいた。
     女は誰だかわからなかった。十年ちかく経ったいまでもわからない。記憶にあるのは、耳もとで囁かれたのど声と、熱い肌と、小柄で柔軟なからだつきだけである。その女は闇の中へ音もなくあらわれ、いつも夜の明けるまえ、弥十郎の眠っているあいだに去った。こっちから話しかけても、よけいなことは云わなかったし、七日めの晩、それが最後だとわかっていたのだろうが、別れの言葉さえ口にしなかった。
     ――どういう女だろう。
     彼は父と母とにいてみたが、父も母も教えなかった。母は「まったく知らない」と云うし、父は「忘れてしまえ」と云うだけであった。
    「いまのおれは」と駕籠の中で彼は呟いた、「さしずめあのときの女のような役なんだな」
     いやそうではない、と彼はすぐに否定した。あのときは「式」にすぎなかったが、こんどは求められたのである。しかも自分も平気ではなくなったらしい、少なくとも今日でかけて来た気持は平静ではなかった。それは認めなければなるまい、と彼は自分に云った。
     駕籠は思川のたもとでおりた。橋を渡って少しゆくと、手紙にしるしてあったとおり、右側の隅田すみだ川に沿ってその茶屋があり、門柱に「川西」と書いた行燈が出ていた。弥十郎は門をはいり、植込のあいだを玄関のほうへ歩いてゆきながら、胸がときめくように感じて狼狽ろうばいした。

     弥十郎と千夜とは、「川西」で七たび逢った。二人はそこで初めて肌を触れあったのだが、彼にとってはまったく新しい経験であり、心のうえでも躯のうえでも、深く大きく、自分が変えられるのを弥十郎は感じた。初めてのとき、千夜がひじょうな苦痛を訴えたこと、また苦痛の証明を見たことで、彼は殆んど動顛どうてんした。それはあの「式」などでは決してなかったことであるし、その他のすべてがまるで違うものであった。そこには快楽らしいものは少しもなかったし、彼自身それを欲する気持もなかった。千夜がひたむきに求めるので、なかばやむなく応ずるのだが、また苦痛を与えるのではないかという、危惧きぐと懸念のほうがいつもつよかった。千夜も快楽を感じていないことはたしかであった。また、そのようにはげしく求めるのも、肉躰的な快楽を求めるのではなく、触れあうことによって、彼をじかに感じたいためのように思えた。
     ここでも同じように雨戸を閉め、一双の屏風をまわし、隣り座敷にはゆきという婦人がいた。逢っている時間は短く、刻限になるとゆきが隣りから声をかける。するともう待ったなしで、すぐに支度をし、別れなければならないのであった。
    「しょせん奥さまにはなれないのですものね」と千夜は熱い囁きで彼に迫った、「一生の思い出になるのですから、どうぞお好きなようになすって」
     そのあとで千夜はいつも泣いた。
    「どうして結婚できないのだ」と或るとき弥十郎が訊いた、「こうなったら結婚するのが当然ではないか」
     千夜は泣くばかりであった。
    「わけを聞かせてくれ」と彼はべつのときに云った、「どうして結婚できないんだ、まさか身分などにこだわっているのではないだろう、ほかに約束した者でもあるのか」
     千夜はやはり泣きながら首を振るだけであった。このほか、彼女のことを知ろうとして、弥十郎はずいぶん言葉をつくしたが、千夜は「なにも訊いてくれるな」と云うばかりで、どんな質問にも答えなかった。どうやらそれがゆきはばかっているようすなので、彼は二人だけで逢いたいと云いだした。
    「ええ、いまに」と千夜は頼りなげに答えた、「いまにおりをみまして」
     七たびめに、彼は千夜の肩をつかみ、あらあらしく揺りたてながら「いつ二人だけで逢えるか」と迫った。閉じこめられている千夜の心を揺りさまそうとでもするように、力まかせに揺りたてながら、「いつだ、いつだ」と責めた。千夜はされるままになっていて、それからようやく「あさって、いつもの時刻に、このうちで」と答えた。
    「あさって、――たしかだな」
    「ええ、間違いありません」
    「よく聞いてくれ、千夜」と弥十郎は彼女を抱きしめ、耳へ口をよせて囁いた、「私にも約束した者がある、それを断わるのは容易ではないと思うが、もうおまえのほかに妻をめとる気持はない、どんなことをしても約束のほうは破談にする、必ず破談にしてみせるから、おまえもはっきり心をきめてくれ、わかるか」
     千夜は彼の腕の中で頷いた。
    「うれしゅうございます」と千夜は囁き返して云った、「あさっておめにかかりましたら、すっかりお話し申します」
    「それでいい」と彼は云った、「間違いなくあさってだよ」
    「はい」と頷いて、千夜は大胆に身をすりよせた。
     その七度めを最後に、千夜はまったく消息を絶った。単に消息が絶えたばかりでなく、それまでにあった事実までが、彼の前でかき消されたのである。――千夜と約束の日に、「川西」へゆくと、初めて見る女中が出て来て、いま座敷がみなふさがっているから、と断わられた。そんなことはかつてなかったし、約束がしてある筈なので「女中がしらか誰かに訊いてみてくれ」と云った。その女中はいぶかしそうに、自分がいちばん古くからいるので、そんな約束があれば自分が知らないわけはない。だが念のため帳場で訊いてみるが、お名前はなんというのかと云った。弥十郎は「ゆき」という名と、これまでに七たびも来ているということを告げた。――その女中はやはりにおちない顔で、それでも奥へ訊きにいったが、まもなく五十がらみの、女主人とみえる肥えた女と、ほかに三人の若い女中がいっしょに出て来た。
    「わたくしがあるじのすみでございます」と女主人が鄭重ていちょうに云った、「いまこのお秋からお話をうかがいましたが、うちをお間違えになったのではございませんか、てまえどもではゆきと仰しゃるお客さまは存じあげませんし、今日、座敷のお約束などもうかがっておりませんですけれど」
     そして、若い三人の女中たちに、この方を知っているかと訊いた。女中たちはみな知らないと答えたし、弥十郎にも覚えのない顔ばかりであった。彼は悪い冗談だと思い、今日ここで千夜と逢う約束になっていること、千夜がそれを云い置かなかったかもしれないが、たしかに来ると思うことなどを話し、どんな部屋でもいいからそれまで待たせてもらいたい、と頼んだ。
    「てまえどもでは御常連のお客さまに限っておりますし、ただいまどのお座敷も塞がっているんですが」と女主人は気の毒そうに云った、「もしお待ちになるだけでしたら、狭くてきたないところですが、どうぞ」
     女主人はお秋という女中に案内を命じながら、なお「うちを間違えたのではないか」とくり返していたが、弥十郎はもうとりあわなかった。なんに使う部屋か、北向きの四帖半にとおされ、酒を注文したが、約束以外の客には出す用意がないと断わられた。そして、あてがいの茶一杯だけで二刻以上も待ったが、ついに千夜はあらわれなかった。

     明くる日も弥十郎は「川西」を訪ねた。女主人も女中たちも昨日のとおりで、千夜と逢ったときに案内したり、酒肴しゅこうをはこんだりした女中はいなかった。いまいる四人のほかにそんな女中がいたことはない、と女主人ははっきり云った。彼はそうかと頷き、べつに詮索せんさくらしい質問はせずに、まだ客もないというので座敷をみせてもらった。自分が先に立って廊下を曲ってゆき、川に面したその座敷へいった。そこは八帖と六帖の二間続きで、八帖のほうには本床があり、山水の大幅が掛けてあった。これまではいつも雨戸が閉めてあり、屏風をまわして、雪洞のあかりしかなかったから、部屋のつくりを見るのは初めてであるが、それがいつもの座敷だということに紛れはないと思った。
     ――そうだ、たしかにこの座敷だ。
     弥十郎は座敷の中を眺めまわし、そこに立てまわした屏風の中で、千夜と二人、岸を洗う川波の音を聞いたことなどを思いだした。
     ――いったいこれはどういうことだ。
     彼は暫くのあいだぼんやりと立っていた。
    ゆきか千夜かが(もしも)来たなら、「たよりを待っているから」という伝言を頼んで、弥十郎は外へ出た。その帰りに、彼は堺町へ寄ってみたが、中村座の茶屋も「川西」とまったく同じことであった。ゆきという名も知らないし、弥十郎にも見覚えがない。これまで「そういう客に二階座敷を貸したような例はない」というのであった。そこへは二度しか来たことはないが、係りの女中はおしんといった。弥十郎のうちにも同じ名の召使がいるので記憶に残っていたのだが、訊いてみるといるというので、会ってみた。けれども出て来た女中は、顔だちも年齢もまるで違っていた。
    「わたしはここに五年の余もいます」とその女中は云った、「ええ、わたしのほかにおしんという者はいません、五年このかたいたこともありません」
     弥十郎はすぐにそこを出た。
     こういう場合を、化かされたようだというのだろうが、弥十郎はそんな気持は少しも感じなかった。五十余日のあいだに十回も逢い、肌まで触れあったが、相手がどこのどういう人間であるか、ついに知る機会がなかった。そうして、そんなふうに忽然こつぜんと消息を絶ち、あった事実までが消されてしまったが、弥十郎にとっては、非現実のような感じはどこにもなかった。初めからすべてが計画されたものであり、――その計画がはたされたか、あるいは障害が起こったためであるかは不明だが、いずれにせよ逢うことのできない状態になった、ということであろう。ゆきという婦人も千夜も、現にこの江戸のどこかにいる。中村座の茶屋と「川西」で逢ったことも間違いはない。かれらが事実を否定することは、初めから計画されていたのだ。係りの女中なども、よそから雇ったものであろう。それに相違ない、と弥十郎は思った。
     ――必ずなにかたよりがある。
    ゆきという婦人はともかく、千夜だけはこのままで終ることはできない筈だ、いつかきっとたよりをよこすにちがいない。弥十郎はかたくそう信じていた。
     十一月になると、北島から祝言をあげてもよいといって来た。半年保養のつもりだったが医者がもう差支えないと云ったそうで、中旬すぎたら式を挙げたいというのである。弥十郎は断わった。半年延期と聞いたときに、自分は結婚する気がなくなった、と云った。もともと気がすすまなかったのを、両親にせがまれて承知したのだし、向うの都合だけで延期されたりいそがれたりするのは勝手すぎる。自分はもう結婚する意志はない、と弥十郎ははっきり拒絶した。千夜から必ずたよりがあると思ったし、嫁にもらうなら千夜だときめていたからである。そのときは父も母もなにも云わず、父の伊与二郎は「ばかにいきりたつではないか」と苦笑しただけであった。
     だが「ゆき」からも、千夜からさえも、たよりのないままに日が経ち、その年が明けた。千夜にこがれる想いは、日が経ってもなかなか去らず、むしろ、時間の経過につれて、記憶のなまなましさが誇張されるようであった。ほのかな雪洞の光りだけしかないので、立てまわされた屏風の中はやわらかにおぼろだった。千夜のおもざしもおぼろげであるし、肌の香も、その触感も、あたたかみも、そうしてふるえおののくあえぎや、絶えいりそうな囁きや、忍び泣く声までも、すべてほの暗いおぼろに包まれていた。それがそのままで、このうえもなく鮮やかに、こまごまと感覚によみがえってくる。うすれもしないし弱まりもしない。千夜の肌のあたたかみやまるみは、いまはなれたばかりのように、自分の肌でまざまざと感じることができるし、その喘ぎや囁きは、いま現に自分の耳のそばに聞えるようであった。
     ――向うがそのつもりなら、こっちで捜しだしてやろう。
     弥十郎はそう思った。けれども手掛りがなにもない、手紙は町飛脚で届けられたし、茶屋はどちらも相手にならない。道で偶然に会いでもしない限り、捜しだす手掛りはまったくなかった。
     正月中旬になって、北島とのはなしがまた出た。そのとき弥十郎は「まてよ」と思った。考えてみると、北島から祝言を延ばすように求めて来たのは、「ゆき」から三度めの手紙のあったすぐあとのことだ。そして、千夜の消息が絶えるとまもなく、こんどは祝言を早めたいといって来た。
    「まてよ」と彼は呟いた、「これは偶然ではない、なにかあるぞ」
     二つの関係にはなにかある。そう気づいたので、弥十郎は父にその話をした。父の居間で、二人だけで、聞き苦しい部分を避けて仔細しさいに話しながら、どんな表情の変化をも見のがすまいと、父の顔をじっと見まもっていた。伊与二郎はなんの感動も示さなかった。むしろふきげんに聞いており、聞き終るとすぐに「忘れてしまえ」と云った。それはちょうどあの「式」のあとで、女がなに者であるかを訊いたときの答えと、殆んど同じ口ぶりであった。そして、父は急に不審そうな眼で彼を見、そのために北島を断わるのか、と反問した。それも理由の一つである、と弥十郎は答えた。
    「ばかな」と伊与二郎は云った、「家柄を考えろ、吉村の家系には藩公の血が続いている、若げのあやまちはゆるしてやるが、そんな素姓も知れぬ女にみれんを残すことはゆるさぬ、そんなことは忘れてしまえ」
     弥十郎は黙ってひきさがった。

     父に口返しはしなかったが、北島との縁談は頑強に断わった。破談が不可能なら、自分の気の済むまで延期してもらう。もちろんその期限はきめられない、と主張した。
    「よもやその女のためではあるまいな」と伊与二郎が念を押した。
     弥十郎はおそれげもなく答えた、「それも慥かめてみます」
     その年八月の中旬、藩公に初めて世子が生れた。信濃守政利は四十七歳になり、かくべつ病弱というわけでもなかったが、その年まで一人も子がなかった。夫人は松平氏の出で、ほかに側室がいた。二人か三人はいたようであるが、こんどその側室の一人に世子が生れたのだそうで、信濃守は云うまでもなく、藩の重臣たちもひじょうによろこび、家中ぜんたいに祝いの酒肴が出た。七夜には御殿で、重職たちのために祝宴があり、若君に初の対面が行われた。
    「肥えた丈夫そうな若君だ」と伊与二郎は帰って来て云った、「これで御家も安泰、ひなというお部屋さまのお手柄だ」
     父は珍しく酔っており、赤い顔で、いつもに似ず多弁だった。それからふと不満そうに弥十郎を見て、「まだ心がきまらないのか」と訊いた。若君に対面して、自分も孫が欲しくなったのであろう。弥十郎はさりげなく受けながして、そうそうに父の前から退散した。
     九月の月見に、弥十郎は二人の友達を伴れて、橋場の「川西」へいった。お秋という女中が出て来て、まだ顔を覚えていたのだろう、女主人に訊いて来て「どうぞ」と云った。
    「いやに格式ばるじゃないか」
    「馴染み客でないとあげないんだ」と弥十郎が友達に説明した、「その代り静かだよ」
     あの座敷ではなく、べつの八帖にとおされた。他の座敷にはみな客があり、片方では三味線しゃみせんうたの声がするし、片方では高声で談笑するのが聞えた。
    「なるほど静かだ」と秀木剛助が云った。
    「月見だからさ」と弥十郎がいなした。
     友達の一人は秀木剛助、一人は伊沢新五郎といった。秀木の家は次席家老、伊沢の父は側用人である。少し酒がまわってから、藩主の評が出た。生れた世子は亀丸かめまると名づけられたが、信濃守はたいそうな溺愛できあいぶりで、しぜん生母のひな女も大切にされ、その名の一字を取って奈々ななの方と呼ばれるようになったし、彼女と世子のために御殿が建てられるらしい。奈々の方の年は十八歳、日本橋石町の太物ふともの問屋の娘で、御殿新築の費用も、半分は親元で負担するということであった。――これらのことは伊沢と秀木とで話し、弥十郎は退屈しながら聞いていたのであるが、やがて、彼は自分の耳を疑うようにきっとなった。かれらは世子が藩主のたねであるかどうかあやしい、と云いだしたのである。信濃守は十七歳で結婚した。それから三十年、正夫人にはもちろん、側室もずいぶん変えたが、一人も子をもうけた者がなかった。それをいま急に若君御誕生とは腑におちない、というのである。そこまで聞いて弥十郎は「よせ」とどなった。自分でもおどろいたくらい、大きな激しい声で、二人はとびあがりそうになった。
    「ばかなことを云うな」と弥十郎は声をしずめて云った、「ほかのこととは違う、不謹慎すぎるぞ」
     二人はすぐにあやまった。しかし弥十郎の怒りかたが突然であり、あまりに激しかったので、気をのまれると同時に、なにか納得のいかないような顔つきをした。たしかに、弥十郎は二人に対してではなく、自分に対してどなったのである。二人の話を聞きながら、頭の中でなんの関連もなく、奈々の方と千夜とが同じ人ではなかったのか、と思ったのだ。かれらの話が、そんな空想をよび起こしたのであろう。なんの関連もなく根拠もない、まったく理由のない想像で、そう気がつくなりどなってしまったのである。――月の出るまえに、空はすっかり雲でおおわれ、湿っぽい風が吹きだしたから、三人は食事を済ませて「川西」を出た。
     その夜、弥十郎は眠れなかった。
     いちど頭にうかんだ想像が、しだいに根づよく、しだいに現実感を伴ってくる。否定しようとすればするほど、奈々の方は千夜だということが、動かない事実のように思えるのであった。また、吉村の家には藩公の血が続いている、と云った父の言葉までが、新しい意味で思いだされ、やがて堪りかねて起きあがると、手早く常着に替えて、父の寝間へいった。
     彼の声の調子で拒みかねたのだろう、伊与二郎は「はいれ」と云い、夜具の上に起き直って、彼の話すことを聞いた。そして、聞き終ってから暫く、彼の顔を冷やかに見まもっていたが、やがてひそめた声で、ゆっくりと云った。
    「つい十日ほどまえに、将軍家で第七女の御出産があった、御生母はなにがしのつぼねとか聞いたが、その局は疑わしくはないか」
     弥十郎は父の顔をみつめた。
    「たくさんだ」と伊与二郎は静かに首を振った、「おまえは一年ちかくもその女のことにとらわれている、それがそんなに大事なことか」そしてきめつけるように云った、「おまえにはそのほかに大事なことはないのか」
     弥十郎は眼をつむった。
     彼はその(つむった)眼の裏で、一双の屏風がたたまれるのを見るように思った。するとにわかに胸が軽く、呼吸がらくになるように感じた。弥十郎はそんな時刻に騒がせた詫びを云い、挨拶をして廊下へ出ると、わびしげに微笑しながら呟いた。
    「そうだ、屏風はたたまれたのだ」そして父の口まねをした、「忘れてしまえ」

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