新美南吉
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赤い蝋燭(六本木シンフォニーサロン ライブ録音)
新美南吉
山から里の方へ遊びにいった猿が一本の赤い蝋燭を拾いました。赤い蝋燭は沢山あるものではありません。それで猿は赤い蝋燭を花火だと思い込んでしまいました。
猿は拾った赤い蝋燭を大事に山へ持って帰りました。
山では大へんな騒になりました。何しろ花火などというものは、鹿にしても猪にしても兎にしても、亀にしても、鼬にしても、狸にしても、狐にしても、まだ一度も見たことがありません。その花火を猿が拾って来たというのであります。
「ほう、すばらしい」
「これは、すてきなものだ」
鹿や猪や兎や亀や鼬や狸や狐が押合いへしあいして赤い蝋燭を覗きました。すると猿が、
「危い危い。そんなに近よってはいけない。爆発するから」といいました。
みんなは驚いて後込しました。
そこで猿は花火というものが、どんなに大きな音をして飛出すか、そしてどんなに美しく空にひろがるか、みんなに話して聞かせました。そんなに美しいものなら見たいものだとみんなは思いました。
「それなら、今晩山の頂上に行ってあそこで打上げて見よう」と猿がいいました。みんなは大へん喜びました。夜の空に星をふりまくようにぱあっとひろがる花火を眼に浮べてみんなはうっとりしました。
さて夜になりました。みんなは胸をおどらせて山の頂上にやって行きました。猿はもう赤い蝋燭を木の枝にくくりつけてみんなの来るのを待っていました。
いよいよこれから花火を打上げることになりました。しかし困ったことが出来ました。と申しますのは、誰も花火に火をつけようとしなかったからです。みんな花火を見ることは好きでしたが火をつけにいくことは、好きでなかったのであります。
これでは花火はあがりません。そこでくじをひいて、火をつけに行くものを決めることになりました。第一にあたったものは亀でありました。
亀は元気を出して花火の方へやって行きました。だがうまく火をつけることが出来たでしょうか。いえ、いえ。亀は花火のそばまで来ると首が自然に引込んでしまって出て来なかったのでありました。
そこでくじがまたひかれて、こんどは鼬が行くことになりました。鼬は亀よりは幾分ましでした。というのは首を引込めてしまわなかったからであります。しかし鼬はひどい近眼でありました。だから蝋燭のまわりをきょろきょろとうろついているばかりでありました。
遂々猪が飛出しました。猪は全く勇しい獣でした。猪はほんとうにやっていって火をつけてしまいました。
みんなはびっくりして草むらに飛込み耳を固くふさぎました。耳ばかりでなく眼もふさいでしまいました。
しかし蝋燭はぽんともいわずに静かに燃えているばかりでした。 -
新美南吉「飴だま」朗読カフェ 小宮千明朗読
飴だま
新美南吉
春のあたたかい日のこと、わたし舟にふたりの小さな子どもをつれた女の旅人がのりました。
舟が出ようとすると、
「おオい、ちょっとまってくれ。」
と、どての向こうから手をふりながら、さむらいがひとり走ってきて、舟にとびこみました。
舟は出ました。
さむらいは舟のまん中にどっかりすわっていました。ぽかぽかあたたかいので、そのうちにいねむりをはじめました。
黒いひげをはやして、つよそうなさむらいが、こっくりこっくりするので、子どもたちはおかしくて、ふふふと笑いました。
お母さんは口に指をあてて、
「だまっておいで。」
といいました。さむらいがおこってはたいへんだからです。
子どもたちはだまりました。
しばらくするとひとりの子どもが、
「かあちゃん、飴だまちょうだい。」
と手をさしだしました。
すると、もうひとりの子どもも、
「かあちゃん、あたしにも。」
といいました。
お母さんはふところから、紙のふくろをとりだしました。ところが、飴だまはもう一つしかありませんでした。
「あたしにちょうだい。」
「あたしにちょうだい。」
ふたりの子どもは、りょうほうからせがみました。飴だまは一つしかないので、お母さんはこまってしまいました。
「いい子たちだから待っておいで、向こうへついたら買ってあげるからね。」
といってきかせても、子どもたちは、ちょうだいよオ、ちょうだいよオ、とだだをこねました。
いねむりをしていたはずのさむらいは、ぱっちり眼をあけて、子どもたちがせがむのをみていました。
お母さんはおどろきました。いねむりをじゃまされたので、このおさむらいはおこっているのにちがいない、と思いました。
「おとなしくしておいで。」
と、お母さんは子どもたちをなだめました。
けれど子どもたちはききませんでした。
するとさむらいが、すらりと刀をぬいて、お母さんと子どもたちのまえにやってきました。
お母さんはまっさおになって、子どもたちをかばいました。いねむりのじゃまをした子どもたちを、さむらいがきりころすと思ったのです。
「飴だまを出せ。」
とさむらいはいいました。
お母さんはおそるおそる飴だまをさしだしました。
さむらいはそれを舟のへりにのせ、刀でぱちんと二つにわりました。
そして、
「そオれ。」
とふたりの子どもにわけてやりました。
それから、またもとのところにかえって、こっくりこっくりねむりはじめました。 -
新美南吉「花のき村と盗人たち」福山美奈子朗読
36.65
May 02, 2018むかし、花のき村に、五人組の盗人がやって来ました。
それは、若竹が、あちこちの空に、かぼそく、ういういしい緑色の芽をのばしている初夏のひるで、松林では松蝉が、ジイジイジイイと鳴いていました。
盗人たちは、北から川に沿ってやって来ました。花のき村の入り口のあたりは、すかんぽやうまごやしの生えた緑の野原で、子供や牛が遊んでおりました。これだけを見ても、この村が平和な村であることが、盗人たちにはわかりました。そして、こんな村には、お金やいい着物を持った家があるに違いないと、もう喜んだのでありました。
川は藪の下を流れ、そこにかかっている一つの水車をゴトンゴトンとまわして、村の奥深くはいっていきました。
藪のところまで来ると、盗人のうちのかしらが、いいました。
「それでは、わしはこの藪のかげで待っているから、おまえらは、村のなかへはいっていって様子を見て来い。なにぶん、おまえらは盗人になったばかりだから、へまをしないように気をつけるんだぞ。金のありそうな家を見たら、そこの家のどの窓がやぶれそうか、そこの家に犬がいるかどうか、よっくしらべるのだぞ。いいか釜右ヱ門。」
「へえ。」
と釜右ヱ門が答えました。これは昨日まで旅あるきの釜師で、釜や茶釜をつくっていたのでありました。
「いいか、海老之丞。」
「へえ。」
と海老之丞が答えました。これは昨日まで錠前屋で、家々の倉や長持などの錠をつくっていたのでありました。
「いいか角兵ヱ。」
「へえ。」
とまだ少年の角兵ヱが答えました。これは越後から来た角兵ヱ獅子で、昨日までは、家々の閾の外で、逆立ちしたり、とんぼがえりをうったりして、一文二文の銭を貰っていたのでありました。
「いいか鉋太郎。」
「へえ。」
と鉋太郎が答えました。これは、江戸から来た大工の息子で、昨日までは諸国のお寺や神社の門などのつくりを見て廻り、大工の修業していたのでありました。
「さあ、みんな、いけ。わしは親方だから、ここで一服すいながらまっている。」
そこで盗人の弟子たちが、釜右ヱ門は釜師のふりをし、海老之丞は錠前屋のふりをし、角兵ヱは獅子まいのように笛をヒャラヒャラ鳴らし、鉋太郎は大工のふりをして、花のき村にはいりこんでいきました。
かしらは弟子どもがいってしまうと、どっかと川ばたの草の上に腰をおろし、弟子どもに話したとおり、たばこをスッパ、スッパとすいながら、盗人のような顔つきをしていました。これは、ずっとまえから火つけや盗人をして来たほんとうの盗人でありました。
「わしも昨日までは、ひとりぼっちの盗人であったが、今日は、はじめて盗人の親方というものになってしまった。だが、親方になって見ると、これはなかなかいいもんだわい。仕事は弟子どもがして来てくれるから、こうして寝ころんで待っておればいいわけである。」
とかしらは、することがないので、そんなつまらないひとりごとをいってみたりしていました。
やがて弟子の釜右ヱ門が戻って来ました。
「おかしら、おかしら。」
かしらは、ぴょこんとあざみの花のそばから体を起こしました。
「えいくそッ、びっくりした。おかしらなどと呼ぶんじゃねえ、魚の頭のように聞こえるじゃねえか。ただかしらといえ。」
盗人になりたての弟子は、
「まことに相すみません。」
とあやまりました。
「どうだ、村の中の様子は。」
とかしらがききました。
「へえ、すばらしいですよ、かしら。ありました、ありました。」
「何が。」
「大きい家がありましてね、そこの飯炊き釜は、まず三斗ぐらいは炊ける大釜でした。あれはえらい銭になります。それから、お寺に吊ってあった鐘も、なかなか大きなもので、あれをつぶせば、まず茶釜が五十はできます。なあに、あっしの眼に狂いはありません。嘘だと思うなら、あっしが造って見せましょう。」
「馬鹿馬鹿しいことに威張るのはやめろ。」
とかしらは弟子を叱りつけました。
「きさまは、まだ釜師根性がぬけんからだめだ。そんな飯炊き釜や吊り鐘などばかり見てくるやつがあるか。それに何だ、その手に持っている、穴のあいた鍋は。」
「へえ、これは、その、或る家の前を通りますと、槙の木の生け垣にこれがかけて干してありました。見るとこの、尻に穴があいていたのです。それを見たら、じぶんが盗人であることをつい忘れてしまって、この鍋、二十文でなおしましょう、とそこのおかみさんにいってしまったのです。」
「何というまぬけだ。じぶんのしょうばいは盗人だということをしっかり肚にいれておらんから、そんなことだ。」
と、かしらはかしららしく、弟子に教えました。そして、
「もういっぺん、村にもぐりこんで、しっかり見なおして来い。」
と命じました。釜右ヱ門は、穴のあいた鍋をぶらんぶらんとふりながら、また村にはいっていきました。
こんどは海老之丞がもどって来ました。
「かしら、ここの村はこりゃだめですね。」
と海老之丞は力なくいいました。
「どうして。」
「どの倉にも、錠らしい錠は、ついておりません。子供でもねじきれそうな錠が、ついておるだけです。あれじゃ、こっちのしょうばいにゃなりません。」
「こっちのしょうばいというのは何だ。」
「へえ、……錠前……屋。」
「きさまもまだ根性がかわっておらんッ。」
とかしらはどなりつけました。
「へえ、相すみません。」
「そういう村こそ、こっちのしょうばいになるじゃないかッ。倉があって、子供でもねじきれそうな錠しかついておらんというほど、こっちのしょうばいに都合のよいことがあるか。まぬけめが。もういっぺん、見なおして来い。」
「なるほどね。こういう村こそしょうばいになるのですね。」
と海老之丞は、感心しながら、また村にはいっていきました。
次にかえって来たのは、少年の角兵ヱでありました。角兵ヱは、笛を吹きながら来たので、まだ藪の向こうで姿の見えないうちから、わかりました。
「いつまで、ヒャラヒャラと鳴らしておるのか。盗人はなるべく音をたてぬようにしておるものだ。」
とかしらは叱りました。角兵ヱは吹くのをやめました。
「それで、きさまは何を見て来たのか。」
「川についてどんどん行きましたら、花菖蒲を庭いちめんに咲かせた小さい家がありました。」
「うん、それから?」
「その家の軒下に、頭の毛も眉毛もあごひげもまっしろな爺さんがいました。」
「うん、その爺さんが、小判のはいった壺でも縁の下に隠していそうな様子だったか。」
「そのお爺さんが竹笛を吹いておりました。ちょっとした、つまらない竹笛だが、とてもええ音がしておりました。あんな、不思議に美しい音ははじめてききました。おれがききとれていたら、爺さんはにこにこしながら、三つ長い曲をきかしてくれました。おれは、お礼に、とんぼがえりを七へん、つづけざまにやって見せました。」
「やれやれだ。それから?」
「おれが、その笛はいい笛だといったら、笛竹の生えている竹藪を教えてくれました。そこの竹で作った笛だそうです。それで、お爺さんの教えてくれた竹藪へいって見ました。ほんとうにええ笛竹が、何百すじも、すいすいと生えておりました。」
「昔、竹の中から、金の光がさしたという話があるが、どうだ、小判でも落ちていたか。」
「それから、また川をどんどんくだっていくと小さい尼寺がありました。そこで花の撓がありました。お庭にいっぱい人がいて、おれの笛くらいの大きさのお釈迦さまに、あま茶の湯をかけておりました。おれもいっぱいかけて、それからいっぱい飲ましてもらって来ました。茶わんがあるならかしらにも持って来てあげましたのに。」
「やれやれ、何という罪のねえ盗人だ。そういう人ごみの中では、人のふところや袂に気をつけるものだ。とんまめが、もういっぺんきさまもやりなおして来い。その笛はここへ置いていけ。」
角兵ヱは叱られて、笛を草の中へおき、また村にはいっていきました。
おしまいに帰って来たのは鉋太郎でした。
「きさまも、ろくなものは見て来なかったろう。」
と、きかないさきから、かしらがいいました。
「いや、金持ちがありました、金持ちが。」
と鉋太郎は声をはずませていいました。金持ちときいて、かしらはにこにことしました。
「おお、金持ちか。」
「金持ちです、金持ちです。すばらしいりっぱな家でした。」
「うむ。」
「その座敷の天井と来たら、さつま杉の一枚板なんで、こんなのを見たら、うちの親父はどんなに喜ぶかも知れない、と思って、あっしは見とれていました。」
「へっ、面白くもねえ。それで、その天井をはずしてでも来る気かい。」
鉋太郎は、じぶんが盗人の弟子であったことを思い出しました。盗人の弟子としては、あまり気が利かなかったことがわかり、鉋太郎はバツのわるい顔をしてうつむいてしまいました。
そこで鉋太郎も、もういちどやりなおしに村にはいっていきました。
「やれやれだ。」
と、ひとりになったかしらは、草の中へ仰向けにひっくりかえっていいました。
「盗人のかしらというのもあんがい楽なしょうばいではないて。」 -
新美南吉「一年生たちとひよめ」飯田桃子朗読
3.70
Dec 12, 2017一年生たちとひよめ
新美南吉
学校へいくとちゅうに、大きな池がありました。
一年生たちが、朝そこを通りかかりました。
池の中にはひよめが五六っぱ、黒くうかんでおりました。
それをみると一年生たちは、いつものように声をそろえて、ひイよめ、
ひよめ、
だんごやアるに
くウぐウれッ、とうたいました。
するとひよめは頭からぷくりと水のなかにもぐりました。だんごがもらえるのをよろこんでいるようにみえました。
けれど一年生たちは、ひよめにだんごをやりませんでした。学校へゆくのにだんごなどもっている子はありません。
一年生たちは、それから学校にきました。
学校では先生が教えました。
「みなさん、うそをついてはなりません。うそをつくのはたいへんわるいことです。むかしの人は、うそをつくと死んでから赤鬼に、舌べろを釘ぬきでひっこぬかれるといったものです。うそをついてはなりません。さあ、わかった人は手をあげて。」
みんなが手をあげました。みんなよくわかったからであります。
さて学校がおわると、一年生たちはまた池のふちを通りかかったのでありました。
ひよめはやはりおりました。一年生たちのかえりを待っていたかのように、水の上からこちらをみていました。ひイよめ、
ひよめ、と一年生たちは、いつものくせでうたいはじめました。
しかし、そのあとをつづけてうたうものはありませんでした。「だんごやるに、くぐれ」とうたったら、それはうそをいったことになります。うそをいってはならない、と今日学校でおそわったばかりではありませんか。
さて、どうしたものでしょう。
このままいってしまうのもざんねんです。そしたらひよめのほうでも、さみしいと思うにちがいありません -
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新美南吉「張紅倫」駒形恵美 朗読
16.23
Oct 03, 2017張紅倫
一
奉天(ほうてん)大戦争(一九〇五年)の数日まえの、ある夜中のことでした。わがある部隊の大隊長青木少佐は、畑の中に立っている歩哨(ほしょう)を見まわって歩きました。歩哨は、めいぜられた地点に石のようにつっ立って、きびしい寒さと、ねむさをがまんしながら、警備についているのでした。
「第三歩哨、異状はないか」
少佐は小さく声をかけました。
「はっ、異状ありません」
歩哨のへんじが、あたりの空気に、ひくく、こだましました。少佐は、また、歩きだしました。
頭の上で、小さな星が一つ、かすかにまたたいています。少佐はその光をあおぎながら、足音をぬすんで歩きつづけました。
もうすこしいくと、つぎの歩哨のかげが見えようと思われるところで、少佐はどかりと足をふみはずして、こおった土くれをかぶりながら、がたがたがた、どすんと、深いあなの中に落ちこみました。
ふいをくった少佐は、しばらくあなのそこでぼんやりしていましたが、あたりのやみに目もなれ、気もおちついてくると、あなの中のようすがうすうすわかってきました。それは四メートル以上の深さで、そこのほうがひろがっている、水のかれた古井戸だったのです。
少佐は、声を出して歩哨(ほしょう)をよぼうとしましたが、まてまて、深い井戸の中のことだから、歩哨のいるところまで、声がとおるかどうかわからない、それに、もし、ロシアの斥候(せっこう)にききつけられたら、むざむざところされるにきまっている、と思いかえし、そのまま、だまってこしをおろしました。
あすの朝になったら、だれかがさがしあてて、ひきあげてくれるだろうと考えながら、まるい井戸の口でしきられた星空を見つめていました。そのうちに、井戸の中があんがいあたたかなので、うとうととねむりだしました。
ふとめざめたときは、もう夜があけていました。少佐はううんとあくびをしながら、赤くかがやいた空を見あげたのち、
「ちょっ、どうしたらいいかな」
と、心の中でつぶやきました。
まもなく、朝やけで赤かった空は、コバルト色になり、やがて、こい水色にかわっていきました。少佐は、だれかさがし出してくれないものかと、待ちあぐんでいましたが、だれもここに井戸があることさえ、気がつかないらしいけはいです。上を見ると、長いのや、みじかいのや、いろいろの形をしたきれぎれの雲が、あとから、あとからと、白く通っていくきりです。
とうとうお昼近くになりました。青木少佐ははらもへり、のどがかわいてきました。とてもじれったくなって、大声で、オーイ、オーイと、いくどもどなってみました。しかし、じぶんの声がかべにひびくだけで、だれもへんじをしてくれるものはありません。
少佐は、しかたなく、むだだとは知りながら、なんどもなんども、井戸の口からさがったつる草のはしにとびつこうとしました。やがて、「あああ」と、つかれはてて、べったりと井戸のそこにすわりこんでしまいました。
そのうちに、とうとう日がくれて、寒いよいやみがせまってきました。ゆうべの小さな星が、おなじところでさびしく光っています。
「おれは、このまま死んでしまうかもしれないぞ」
と、少佐は、ふと、こんなことを考えました。
「じぶんは、いまさら死をおそれはしない。しかし、戦争に加わっていながら、こんな古井戸の中でのたれ死にをするのは、いかにもいまいましい。死ぬなら、敵のたまにあたって、はなばなしく死にたいなあ」
と、こうも思いました。
まもなく少佐は、つかれと空腹のために、ねむりにおちいりました。それは、ねむりといえばねむりでしたが、ほとんど気絶したもおなじようなものでした。
それからいく時間たったでしょう。少佐の耳に、ふと、人の声がきこえてきました。しかし、少佐はまだ半分うとうとして、はっきりめざめることができませんでした。
「ははあ、地獄から、おにがむかえにきたのかな」
少佐は、そんなことを、ゆめのように考えていました。すると、耳もとの人声がだんだんはっきりしてきました。
「しっかりなさい」
と、中国語でいいます。
少佐は、中国語をすこし知っていました。そのことばで、びっくりして目をひらきました。
「気がつきましたか。たすけてあげます」
と、そばに立っていた男が、こういってだきおこしてくれました。
「ありがとう、ありがとう」
と、少佐はこたえようとしましたが、のどがこわばって、声が出ません。
男は、井戸の口からつりさげたなわのはしで、少佐の胴体(どうたい)をしばっておいて、じぶんがさきにそのなわにつかまってのぼり、それから、なわをたぐって、少佐を井戸の外へひきあげました。少佐は、ぎらぎらした昼の天地が目にはいるといっしょに、ああ、たすかったと思いましたが、そのまま、また、気をうしなってしまいました。二
少佐がかつぎこまれたのは、ほったて小屋のようにみすぼらしい、中国人の百しょうの家で、張魚凱(ちょうぎょがい)というおやじさんと、張紅倫(ちょうこうりん)というむすことふたりきりの、まずしいくらしでした。
あい色の中国服をきた十三、四の少年の紅倫は、少佐のまくらもとにすわって、看護してくれました。紅倫は、大きなどんぶりに、きれいな水をいっぱいくんでもってきて、いいました。
「わたしが、あの畑の道を通りかかると、人のうめき声がきこえました。おかしいなと思ってあたりをさがしまわっていたら、井戸のそこにあなたがたおれていたので、走ってかえって、おとうさんにいったんです。それから、おとうさんとわたしとで、なわをもっていって、ひきあげたのです」
紅倫(こうりん)はうれしそうに目をかがやかしながら話しました。少佐はどんぶりの水をごくごくのんでは、うむうむと、いちいち感謝をこめてうなずきました。
それから、紅倫は、日本のことをいろいろたずねました。少佐が、内地に待っている、紅倫とおない年くらいのじぶんの子どものことを話してやると、紅倫はたいへんよろこびました。わたしも日本へいってみたい、そして、あなたのお子さんとお友だちになりたいと、いいました。少佐はこんな話をするたびに、日本のことを思いうかべては、小さなまどから、うらの畑のむこうを見つめました。外では、遠くで、ドドン、ドドンと、砲声がひっきりなしにきこえました。
そのまま四、五日たった、ある夕がたのことでした。もう戦いもすんだのか、砲声もぱったりやみました。まどから見える空がまっかにやけて、へんにさびしいながめでした。いちんち畑ではたらいていた張魚凱(ちょうぎょがい)が、かえってきました。そして少佐のまくらもとにそそくさとすわりこんで、
「こまったことになりました。村のやつらが、あなたをロシア兵に売ろうといいます。こんばん、みんなで、あなたをつかまえにくるらしいです。早くここをにげてください。まだ動くにはごむりでしょうが、一刻もぐずぐずしてはいられません。早くしてください。早く」
と、せきたてます。
少佐は、もうどうやら歩けそうなので、これまでの礼をあつくのべ、てばやく服装をととのえて、紅倫(こうりん)の家を出ました。畑道に出て、ふりかえってみると、紅倫がせど[#「せど」に傍点]口から顔を出して、さびしそうに少佐のほうを見つめていました。少佐はまた、ひきかえしていって、大きな懐中時計(かいちゅうどけい)をはずして、紅倫の手ににぎらせました。
だんだん暗くなっていく畑の上を、少佐は、身をかがめて、奉天をめあてに、野ねずみのようにかけていきました。三
戦争がおわって、少佐も内地へかえりました。その後、少佐は退役して、ある都会の会社につとめました。少佐は、たびたび張(ちょう)親子を思い出して、人びとにその話をしました。張親子へはなんべんも手紙を送りました。けれども、先方ではそれが読めなかったのか、一どもへんじをくれませんでした。
戦争がすんでから、十年もたちました。少佐は、その会社の、かなり上役(うわやく)になり、むすこさんもりっぱな青年になりました。紅倫(こうりん)もきっと、たくましいわかものになったことだろうと、少佐はよくいいいいしました。
ある日の午後、会社の事務室へ、年わかい中国人がやってきました。青い服に、麻(あさ)のあみぐつをはいて、うでにバスケットをさげていました。
「こんにちは。万年筆いかが」
と、バスケットをあけて、受付の男の前につきだしました。
「いらんよ」
と受付の男は、うるさそうにはねつけました。
「墨(すみ)いかが」
「墨も筆もいらん。たくさんあるんだ」
と、そのとき、おくのほうから青木少佐が出てきました。
「おい、万年筆を買ってやろう」
と、少佐はいいました。
「万年筆やすい」
あたりで仕事をしていた人も、少佐が万年筆を買うといいだしたので、ふたりのまわりによりたかってきました。いろんな万年筆を少佐が手にとって見ているあいだ、中国人は、少佐の顔をじっと見まもっていました。
「これを一本もらうよ。いくらだい」
「一円と二十銭」
少佐は金入れから、銀貨を出してわたしました。中国人はバスケットの始末をして、ていねいにおじぎをして、出ていこうとしました。そのとき、中国人は、ポケットから懐中時計(どけい)をつまみ出して、時間を見ました。少佐は、ふとそれに目をとめて、
「あ、ちょっと待ちたまえ。その時計を見せてくれないか」
「とけい?」
中国人は、なぜそんなことをいうのか、ふ[#「ふ」に傍点]におちないようすで、おずおずさし出しました。少佐が手にとってみますと、それは、たしかに、十年まえ、じぶんが張紅倫(ちょうこうりん)にやった時計です。
「きみ、張紅倫というんじゃないかい」
「えっ!」と、中国人のわかものは、びっくりしたようにいいましたが、すぐ、「わたし、張紅倫ない」
と、くびをふりました。
「いや、きみは紅倫君だろう。わしが古井戸の中に落ちたのを、すくってくれたことを、おぼえているだろう? わしは、わかれるとき、この時計をきみにやったんだ」
「わたし、紅倫ない。あなたのようなえらい人、あなに落ちることない」
といってききません。
「じゃあ、この時計はどうして手に入れたんだ」
「買った」
「買った? 買ったのか。そうか。それにしてもよくにた時計があるもんだな。ともかくきみは紅倫にそっくりだよ。へんだね。いや、失礼、よびとめちゃって」
「さよなら」
中国人はもう一ぺん、ぺこんとおじぎをして、出ていきました。
そのよく日、会社へ、少佐にあてて無名の手紙がきました。あけてみますと、読みにくい中国語で、
『わたくしは紅倫です。あの古井戸からおすくいしてから、もう十年もすぎましたこんにち、あなたにおあいするなんて、ゆめのような気がしました。よく、わたくしをおわすれにならないでいてくださいました。わたくしの父はさく年死にました。わたくしはあなたとお話がしたい。けれど、お話したら、中国人のわたくしに、軍人だったあなたが古井戸の中からすくわれたことがわかると、今の日本では、あなたのお名まえにかかわるでしょう。だから、わたくしはあなたにうそをつきました。わたくしは、あすは、中国へかえることにしていたところです。さよなら、おだいじに。さよなら』
と、だいたい、そういう意味のことが書いてありました。