青空文庫名作文学の朗読、朗読カフェSTUDIO、岡田慎平朗読「三国志」桃園の巻吉川英治

青空文庫名作文学の朗読、朗読カフェSTUDIO、岡田慎平朗読「三国志」

桃園の巻 吉川英治

黄巾賊こうきんぞく

後漢ごかん建寧けんねい元年のころ。
今から約千七百八十年ほど前のことである。
一人の旅人があった。
腰に、一剣をいているほか、身なりはいたって見すぼらしいが、まゆひいで、くちあかく、とりわけ聡明そうめいそうなひとみや、ゆたかな頬をしていて、つねにどこかに微笑をふくみ、総じていやしげな容子ようすがなかった。
年の頃は二十四、五。
草むらの中に、ぽつねんと坐って、膝をかかえこんでいた。
悠久ゆうきゅうと水は行く――
微風はさわやかにびんをなでる。
涼秋の八月だ。
そしてそこは、黄河のほとりの――黄土層の低いぎしであった。
「おーい」
誰か河でよんだ。
「――そこの若い者ウ。なにを見ているんだい。いくら待っていても、そこは渡し舟の着く所じゃないぞ」
小さな漁船から漁夫りょうしがいうのだった。
青年はくぼを送って、
「ありがとう」と、少し頭を下げた。
漁船は、下流へ流れ去った。けれど青年は、同じ所に、同じ姿をしていた。膝をかかえて坐ったまま遠心的な眼をうごかさなかった。

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桃園の巻 吉川英治

劉備は、おどろいて、何者かと振りかえった。
とがめた者は、
「どこから来たっ」と、彼の襟がみをもう用捨ようしゃなくつかんでいた。
「……?」
見ると、役人であろう、胸に県の吏章りしょうをつけている。近頃は物騒ぶっそうな世の中なので、地方の小役人までが、平常でもみな武装していた。二人のうち一名は鉄弓てっきゅうを持ち、一名は半月槍はんげつそうをかかえていた。
※(「さんずい+(冢-冖)」、第3水準1-86-80)たくけんの者です」
劉備青年が答えると、
※(「さんずい+(冢-冖)」、第3水準1-86-80)県はどこか」と、たたみかけていう。
「はい、※(「さんずい+(冢-冖)」、第3水準1-86-80)県の楼桑村ろうそうそん(現在・京広線の北京―保定間)の生れで、今でも母と共に、楼桑村に住んでおります」
「商売は」
むしろったりすだれをつくって、売っておりますが」
「なんだ、行商人ぎょうしょうにんか」
「そんなものです」
「だが……」
と、役人は急にむさい物からのくように襟がみを放して、劉備の腰の剣をのぞきこんだ。
「この剣には、黄金の佩環はいかんに、※(「王+干」、第3水準1-87-83)ろうかん緒珠おだまがさがっているのではないか、蓆売むしろうりには過ぎた刀だ。どこで盗んだ?」
「これだけは、父の遺物かたみで持っているのです。盗んだ物などではありません」
素直ではあるが、りんとした答えである。役人は、劉備青年の眼を見ると、急に眼をそらして、
「しかしだな、こんなところに、半日も坐りこんで、いったい何を見ておるのか。怪しまれても仕方があるまい。――折も折、ゆうべもこの近村へ、黄巾賊の群れがせて、掠奪りゃくだつを働いて逃げた所だ。――見るところ大人しそうだし、賊徒とは思われぬが、一応疑ってみねばならん」
「ごもっともです。……実は私が待っているのは、今日あたりこうを下ってくると聞いている洛陽船らくようぶねでございます」
「ははあ、誰か身寄りの者でもそれへ便乗して来るのか」
「いいえ、茶を求めたいと思って。――待っているのです」
「茶を」
役人は眼をみはった。

青空文庫

2015年9月27日

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