2017年11月

  • 夏目漱石「こころ」下 31 32 山口雄介朗読

    11.70
    Aug 30, 2017

    三十一

    「その時私はしきりに人間らしいという言葉を使いました。Kはこの人間らしいという言葉のうちに、私が自分の弱点のすべてを隠しているというのです。なるほど後から考えれば、Kのいう通りでした。しかし人間らしくない意味をKに納得させるためにその言葉を使い出した私には、出立点しゅったつてんがすでに反抗的でしたから、それを反省するような余裕はありません。私はなおの事自説を主張しました。するとKが彼のどこをつらまえて人間らしくないというのかと私に聞くのです。私は彼に告げました。――君は人間らしいのだ。あるいは人間らし過ぎるかも知れないのだ。けれども口の先だけでは人間らしくないような事をいうのだ。また人間らしくないように振舞おうとするのだ。
    私がこういった時、彼はただ自分の修養が足りないから、ひとにはそう見えるかも知れないと答えただけで、一向いっこう私を反駁はんばくしようとしませんでした。私は張合いが抜けたというよりも、かえって気の毒になりました。私はすぐ議論をそこで切り上げました。彼の調子もだんだん沈んで来ました。もし私が彼の知っている通り昔の人を知るならば、そんな攻撃はしないだろうといって悵然ちょうぜんとしていました。Kの口にした昔の人とは、無論英雄でもなければ豪傑でもないのです。霊のために肉をしいたげたり、道のためにたいむちうったりしたいわゆる難行苦行なんぎょうくぎょうの人を指すのです。Kは私に、彼がどのくらいそのために苦しんでいるかわからないのが、いかにも残念だと明言しました。
    Kと私とはそれぎり寝てしまいました。そうしてそのあくる日からまた普通の行商ぎょうしょうの態度に返って、うんうん汗を流しながら歩き出したのです。しかし私は路々みちみちその晩の事をひょいひょいと思い出しました。私にはこの上もないい機会が与えられたのに、知らないりをしてなぜそれをやり過ごしたのだろうという悔恨の念が燃えたのです。私は人間らしいという抽象的な言葉を用いる代りに、もっと直截ちょくせつで簡単な話をKに打ち明けてしまえば好かったと思い出したのです。実をいうと、私がそんな言葉を創造したのも、お嬢さんに対する私の感情が土台になっていたのですから、事実を蒸溜じょうりゅうしてこしらえた理論などをKの耳に吹き込むよりも、もとかたちそのままを彼の眼の前に露出した方が、私にはたしかに利益だったでしょう。私にそれができなかったのは、学問の交際が基調を構成している二人の親しみに、おのずから一種の惰性があったため、思い切ってそれを突き破るだけの勇気が私に欠けていたのだという事をここに自白します。気取り過ぎたといっても、虚栄心がたたったといっても同じでしょうが、私のいう気取るとか虚栄とかいう意味は、普通のとは少し違います。それがあなたに通じさえすれば、私は満足なのです。
    我々は真黒になって東京へ帰りました。帰った時は私の気分がまた変っていました。人間らしいとか、人間らしくないとかいう小理屈こりくつはほとんど頭の中に残っていませんでした。Kにも宗教家らしい様子が全く見えなくなりました。おそらく彼の心のどこにも霊がどうの肉がどうのという問題は、その時宿っていなかったでしょう。二人は異人種のような顔をして、忙しそうに見える東京をぐるぐるながめました。それから両国りょうごくへ来て、暑いのに軍鶏しゃもを食いました。Kはそのいきおいで小石川こいしかわまで歩いて帰ろうというのです。体力からいえばKよりも私の方が強いのですから、私はすぐ応じました。
    うちへ着いた時、奥さんは二人の姿を見て驚きました。二人はただ色が黒くなったばかりでなく、むやみに歩いていたうちに大変せてしまったのです。奥さんはそれでも丈夫そうになったといってめてくれるのです。お嬢さんは奥さんの矛盾がおかしいといってまた笑い出しました。旅行前時々腹の立った私も、その時だけは愉快な心持がしました。場合が場合なのと、久しぶりに聞いたせいでしょう。

    三十二

    「それのみならずわたくしはお嬢さんの態度の少し前と変っているのに気が付きました。久しぶりで旅から帰った私たちが平生へいぜいの通り落ち付くまでには、万事について女の手が必要だったのですが、その世話をしてくれる奥さんはとにかく、お嬢さんがすべて私の方を先にして、Kを後廻あとまわしにするように見えたのです。それを露骨にやられては、私も迷惑したかもしれません。場合によってはかえって不快の念さえ起しかねなかったろうと思うのですが、お嬢さんの所作しょさはその点で甚だ要領を得ていたから、私はうれしかったのです。つまりお嬢さんは私だけにわかるように、持前もちまえの親切を余分に私の方へ割りててくれたのです。だからKは別にいやな顔もせずに平気でいました。私は心のうちでひそかに彼に対する※(「りっしんべん+豈」、第3水準1-84-59)がいかを奏しました。
    やがて夏も過ぎて九月の中頃なかごろから我々はまた学校の課業に出席しなければならない事になりました。Kと私とは各自てんでんの時間の都合で出入りの刻限にまた遅速ができてきました。私がKよりおくれて帰る時は一週に三度ほどありましたが、いつ帰ってもお嬢さんの影をKのへやに認める事はないようになりました。Kは例の眼を私の方に向けて、「今帰ったのか」を規則のごとく繰り返しました。私の会釈もほとんど器械のごとく簡単でかつ無意味でした。
    たしか十月の中頃と思います。私は寝坊ねぼうをした結果、日本服にほんふくのまま急いで学校へ出た事があります。穿物はきもの編上あみあげなどを結んでいる時間が惜しいので、草履ぞうりを突っかけたなり飛び出したのです。その日は時間割からいうと、Kよりも私の方が先へ帰るはずになっていました。私は戻って来ると、そのつもりで玄関の格子こうしをがらりと開けたのです。するといないと思っていたKの声がひょいと聞こえました。同時にお嬢さんの笑い声が私の耳に響きました。私はいつものように手数てかずのかかる靴を穿いていないから、すぐ玄関に上がって仕切しきりふすまを開けました。私は例の通り机の前にすわっているKを見ました。しかしお嬢さんはもうそこにはいなかったのです。私はあたかもKのへやからのがれ出るように去るその後姿うしろすがたをちらりと認めただけでした。私はKにどうして早く帰ったのかと問いました。Kは心持が悪いから休んだのだと答えました。私が自分の室にはいってそのまま坐っていると、間もなくお嬢さんが茶を持って来てくれました。その時お嬢さんは始めてお帰りといって私に挨拶あいさつをしました。私は笑いながらさっきはなぜ逃げたんですと聞けるようなさばけた男ではありません。それでいて腹の中では何だかその事が気にかかるような人間だったのです。お嬢さんはすぐ座を立って縁側伝えんがわづたいに向うへ行ってしまいました。しかしKの室の前に立ち留まって、二言ふたこと三言みこと内と外とで話をしていました。それは先刻さっきの続きらしかったのですが、前を聞かない私にはまるで解りませんでした。
    そのうちお嬢さんの態度がだんだん平気になって来ました。Kと私がいっしょにうちにいる時でも、よくKのへやの縁側へ来て彼の名を呼びました。そうしてそこへ入って、ゆっくりしていました。無論郵便を持って来る事もあるし、洗濯物を置いてゆく事もあるのですから、そのくらいの交通は同じ宅にいる二人の関係上、当然と見なければならないのでしょうが、ぜひお嬢さんを専有したいという強烈な一念に動かされている私には、どうしてもそれが当然以上に見えたのです。ある時はお嬢さんがわざわざ私の室へ来るのを回避して、Kの方ばかりへ行くように思われる事さえあったくらいです。それならなぜKに宅を出てもらわないのかとあなたは聞くでしょう。しかしそうすれば私がKを無理に引張ひっぱって来た主意が立たなくなるだけです。私にはそれができないのです。

    青空文庫より

  • 新美南吉「去年の木」駒形恵美 朗読

    3.28
    Aug 23, 2017

    去年の木

    新美南吉

    いっぽんの木と、いちわの小鳥とはたいへんなかよしでした。小鳥はいちんちその木のえだで歌をうたい、木はいちんちじゅう小鳥の歌をきいていました。
    けれど寒い冬がちかづいてきたので、小鳥は木からわかれてゆかねばなりませんでした。
    「さよなら。また来年きて、歌をきかせてください。」
    と木はいいました。
    「え。それまで待っててね。」
    と、小鳥はいって、南の方へとんでゆきました。
    春がめぐってきました。野や森から、雪がきえていきました。
    小鳥は、なかよしの去年きょねんの木のところへまたかえっていきました。
    ところが、これはどうしたことでしょう。木はそこにありませんでした。根っこだけがのこっていました。
    「ここに立ってた木は、どこへいったの。」
    と小鳥は根っこにききました。
    根っこは、
    「きこりがおのでうちたおして、谷のほうへもっていっちゃったよ。」
    といいました。
    小鳥は谷のほうへとんでいきました。
    谷のそこには大きな工場があって、木をきる音が、びィんびィん、としていました。
    小鳥は工場の門の上にとまって、
    「門さん、わたしのなかよしの木は、どうなったか知りませんか。」
    とききました。
    門は、
    「木なら、工場の中でこまかくきりきざまれて、マッチになってあっちの村へ売られていったよ。」
    といいました。
    小鳥は村のほうへとんでいきました。
    ランプのそばに女の子がいました。
    そこで小鳥は、
    「もしもし、マッチをごぞんじありませんか。」
    とききました。
    すると女の子は、
    「マッチはもえてしまいました。けれどマッチのともした火が、まだこのランプにともっています。」
    といいました。
    小鳥は、ランプの火をじっとみつめておりました。
    それから、去年きょねんの歌をうたって火にきかせてやりました。火はゆらゆらとゆらめいて、こころからよろこんでいるようにみえました。
    歌をうたってしまうと、小鳥はまたじっとランプの火をみていました。それから、どこかへとんでいってしまいました。
    青空文庫より

  • 新美南吉「売られていった靴」駒形恵美 朗読

    1.98
    Aug 23, 2017

    売られていった靴

    新美南吉

    靴屋くつやのこぞう、兵助へいすけが、はじめていっそくのくつをつくりました。
    するとひとりの旅人たびびとがやってきて、そのくつを買いました。
    兵助は、じぶんのつくったくつがはじめて売れたので、うれしくてうれしくてたまりません。
    「もしもし、このくつずみとブラシをあげますから、そのくつをだいじにして、かあいがってやってください。」
    と、兵助へいすけはいいました。
    旅人たびびとは、めずらしいことをいうこぞうだ、とかんしんしていきました。
    しばらくすると兵助は、つかつかと旅人のあとを追っかけていきました。
    「もしもし、そのくつのうらのくぎがぬけたら、このくぎをそこにうってください。」
    といって、くぎをポケットから出してやりました。
    しばらくすると、また兵助は、おもいだしたように、旅人のあとを追っかけていきました。
    「もしもし、そのくつ、だいじにはいてやってください。」
    旅人たびびとはとうとうおこりだしてしまいました。
    「うるさいこぞうだね、このくつをどんなふうにはこうとわたしのかってだ。」
    兵助へいすけは、
    「ごめんなさい。」
    とあやまりました。
    そして、旅人のすがたがみえなくなるまで、じっとみおくっていました。
    兵助は、あのくつがいつまでもかあいがられてくれればよい、とおもいました。

    青空文庫より

  • 夏目漱石「こころ」下 29 30 山口雄介朗読

    12.57
    Aug 22, 2017

    二十九

    「私は思い切って自分の心をKに打ち明けようとしました。もっともこれはその時に始まった訳でもなかったのです。旅に出ない前から、私にはそうした腹ができていたのですけれども、打ち明ける機会をつらまえる事も、その機会を作り出す事も、私の手際てぎわではうまくゆかなかったのです。今から思うと、その頃私の周囲にいた人間はみんな妙でした。女に関して立ち入った話などをするものは一人もありませんでした。中には話すたねをもたないのも大分だいぶいたでしょうが、たといもっていても黙っているのが普通のようでした。比較的自由な空気を呼吸している今のあなたがたから見たら、定めし変に思われるでしょう。それが道学どうがく余習よしゅうなのか、または一種のはにかみなのか、判断はあなたの理解に任せておきます。
    Kと私は何でも話し合える中でした。たまには愛とか恋とかいう問題も、口にのぼらないではありませんでしたが、いつでも抽象的な理論に落ちてしまうだけでした。それも滅多めったには話題にならなかったのです。大抵は書物の話と学問の話と、未来の事業と、抱負と、修養の話ぐらいで持ち切っていたのです。いくら親しくってもこう堅くなった日には、突然調子をくずせるものではありません。二人はただ堅いなりに親しくなるだけです。私はお嬢さんの事をKに打ち明けようと思い立ってから、何遍なんべん歯がゆい不快に悩まされたか知れません。私はKの頭のどこか一カ所を突き破って、そこから柔らかい空気を吹き込んでやりたい気がしました。
    あなたがたから見て笑止千万しょうしせんばんな事もその時の私には実際大困難だったのです。私は旅先でもうちにいた時と同じように卑怯ひきょうでした。私は始終機会を捕える気でKを観察していながら、変に高踏的な彼の態度をどうする事もできなかったのです。私にいわせると、彼の心臓の周囲は黒いうるしあつく塗り固められたのも同然でした。私のそそぎ懸けようとする血潮は、一滴もその心臓の中へは入らないで、ことごとはじき返されてしまうのです。
    る時はあまりKの様子が強くて高いので、私はかえって安心した事もあります。そうして自分の疑いを腹の中で後悔すると共に、同じ腹の中で、Kにびました。詫びながら自分が非常に下等な人間のように見えて、急にいやな心持になるのです。しかし少時しばらくすると、以前の疑いがまた逆戻りをして、強く打ち返して来ます。すべてが疑いから割り出されるのですから、すべてが私には不利益でした。容貌ようぼうもKの方が女に好かれるように見えました。性質も私のようにこせこせしていないところが、異性には気に入るだろうと思われました。どこかが抜けていて、それでどこかにしっかりした男らしいところのある点も、私よりは優勢に見えました。学力がくりきになれば専門こそ違いますが、私は無論Kの敵でないと自覚していました。――すべて向うのいところだけがこう一度に眼先めさきへ散らつき出すと、ちょっと安心した私はすぐ元の不安に立ち返るのです。
    Kは落ち付かない私の様子を見て、いやならひとまず東京へ帰ってもいいといったのですが、そういわれると、私は急に帰りたくなくなりました。実はKを東京へ帰したくなかったのかも知れません。二人は房州ぼうしゅうの鼻をまわって向う側へ出ました。我々は暑い日にられながら、苦しい思いをして、上総かずさのそこ一里いちりだまされながら、うんうん歩きました。私にはそうして歩いている意味がまるでわからなかったくらいです。私は冗談じょうだん半分Kにそういいました。するとKは足があるから歩くのだと答えました。そうして暑くなると、海に入って行こうといって、どこでも構わずしおつかりました。そのあとをまた強い日で照り付けられるのですから、身体からだ倦怠だるくてぐたぐたになりました。

    三十

    「こんなふうにして歩いていると、暑さと疲労とで自然身体からだの調子が狂って来るものです。もっとも病気とは違います。急にひとの身体の中へ、自分の霊魂が宿替やどがえをしたような気分になるのです。わたくし平生へいぜいの通りKと口をきながら、どこかで平生の心持と離れるようになりました。彼に対する親しみも憎しみも、旅中りょちゅうかぎりという特別な性質をびる風になったのです。つまり二人は暑さのため、しおのため、また歩行のため、在来と異なった新しい関係に入る事ができたのでしょう。その時の我々はあたかも道づれになった行商ぎょうしょうのようなものでした。いくら話をしてもいつもと違って、頭を使う込み入った問題には触れませんでした。
    我々はこの調子でとうとう銚子ちょうしまで行ったのですが、道中たった一つの例外があったのを今に忘れる事ができないのです。まだ房州を離れない前、二人は小湊こみなとという所で、たいうらを見物しました。もう年数ねんすうもよほどっていますし、それに私にはそれほど興味のない事ですから、判然はんぜんとは覚えていませんが、何でもそこは日蓮にちれんの生れた村だとかいう話でした。日蓮の生れた日に、鯛が二いそに打ち上げられていたとかいう言伝いいつたえになっているのです。それ以来村の漁師が鯛をとる事を遠慮して今に至ったのだから、浦には鯛が沢山いるのです。我々は小舟をやとって、その鯛をわざわざ見に出掛けたのです。
    その時私はただ一図いちずに波を見ていました。そうしてその波の中に動く少し紫がかった鯛の色を、面白い現象の一つとして飽かず眺めました。しかしKは私ほどそれに興味をもち得なかったものとみえます。彼は鯛よりもかえって日蓮の方を頭の中で想像していたらしいのです。ちょうどそこに誕生寺たんじょうじという寺がありました。日蓮の生れた村だから誕生寺とでも名を付けたものでしょう、立派な伽藍がらんでした。Kはその寺に行って住持じゅうじに会ってみるといい出しました。実をいうと、我々はずいぶん変な服装なりをしていたのです。ことにKは風のために帽子を海に吹き飛ばされた結果、菅笠すげがさを買ってかぶっていました。着物はもとより双方ともあかじみた上に汗でくさくなっていました。私は坊さんなどに会うのはそうといいました。Kは強情ごうじょうだから聞きません。いやなら私だけ外に待っていろというのです。私は仕方がないからいっしょに玄関にかかりましたが、心のうちではきっと断られるに違いないと思っていました。ところが坊さんというものは案外丁寧ていねいなもので、広い立派な座敷へ私たちを通して、すぐ会ってくれました。その時分の私はKと大分だいぶ考えが違っていましたから、坊さんとKの談話にそれほど耳を傾ける気も起りませんでしたが、Kはしきりに日蓮の事を聞いていたようです。日蓮は草日蓮そうにちれんといわれるくらいで、草書そうしょが大変上手であったと坊さんがいった時、字のまずいKは、何だ下らないという顔をしたのを私はまだ覚えています。Kはそんな事よりも、もっと深い意味の日蓮が知りたかったのでしょう。坊さんがその点でKを満足させたかどうかは疑問ですが、彼は寺の境内けいだいを出ると、しきりに私に向って日蓮の事を云々うんぬんし出しました。私は暑くて草臥くたびれて、それどころではありませんでしたから、ただ口の先でい加減な挨拶あいさつをしていました。それも面倒になってしまいには全く黙ってしまったのです。
    たしかそのあくる晩の事だと思いますが、二人は宿へ着いてめしを食って、もう寝ようという少し前になってから、急にむずかしい問題を論じ合い出しました。Kは昨日きのう自分の方から話しかけた日蓮の事について、私が取り合わなかったのを、快く思っていなかったのです。精神的に向上心がないものは馬鹿だといって、何だか私をさも軽薄もののようにやり込めるのです。ところが私の胸にはお嬢さんの事がわだかまっていますから、彼の侮蔑ぶべつに近い言葉をただ笑って受け取る訳にいきません。私は私で弁解を始めたのです

    青空文庫より