2017年9月

  • ストリンドベルヒ August Strindberg 「真夏の夢」 有島武郎訳 福山美奈 子朗読

    32.75 Jul 21, 2017

    真夏の夢

    ストリンドベルヒ August Strindberg

    有島武郎訳

    北の国も真夏のころは花よめのようなよそおいをこらして、大地は喜びに満ち、小川は走り、牧場の花はまっすぐに延び、小鳥は歌いさえずります。その時一はとが森のおくから飛んで来て、ついたなりで日をくらす九十に余るおばあさんの家のまど近く羽を休めました。
    物の二十年もせったなりのこのおばあさんは、二人ふたりのむすこが耕すささやかな畑地はたちのほかに、窓越まどごしに見るものはありませなんだが、おばあさんの窓のガラスは、にじのようなさまざまな色のをはめてあったから、そこからのぞく人間も世間も、普通のものとは異なっていました。まくらの上でちょっと頭さえ動かせば、目に見える景色けしきが赤、黄、緑、青、鳩羽はとばというように変わりました。冬になって木々のこずえが、銀色の葉でも連ねたようにしもで包まれますと、おばあさんはまくらの上で、ちょっと身動きしたばかりでそれを緑にしました。実際は灰色はいいろでも野は緑に空はあおく、世の中はもう夏のとおりでした。おばあさんはこんなふうで、魔術まじゅつでも使える気でいるとたいくつをしませんでした。そればかりではありません。この窓ガラスにはもう一つ変わった所があって、ガラスのきざみ具合で見るものを大きくも小さくもする事ができるようになっておりました。だからもし大きなむすこがはらをたてて帰って来て、庭先でどなりでもするような事があると、おばあさんは以前のような、小さい、言う事をきく子どもにしようと思っただけで、即座そくざにちっぽけに見る事もできましたし、孫たちがよちよち歩きで庭に出て来るのを見るにつけ、そのおい先を考えると、ワン、ツー、スリー、拡大のガラスからのぞきさえすれば、見るまにの高い、育ち上がったみごとな大男になってしまいました。
    こんなおもしろい窓ではありますが、夏が来るとおばあさんはその窓をあけ放させました。いかな窓でも夏の景色ほどな景色は見せてくれませんから。さて夏の中でもすぐれた美しい聖ヨハネ祭に、そのおばあさんが畑と牧場とを見わたしていますと、ひょっくり鳩が歌い始めました。声も美しくエス・キリスト、さては天国の歓喜をほめたたえて、重荷に苦しむものや、浮き世のつらさの限りをなめたものは、残らず来いとよび立てました。
    おばあさんはそれを聞きましたが、その日はこの世も天国ほどに美しくって、これ以上のものをほしいとも思いませんでしたから、礼を言ってことわってしまいました。
    で鳩は今度は牧場をして、ある百姓ひゃくしょうがしきりと井戸を掘っている山の中の森に来ました。その百姓は深い所にはいって、頭の上に六しゃくも土のある様子ようすはまるで墓のあなの底にでもいるようでした。

  • 中島敦「十年」西村俊彦朗読

    5.22 Jul 14, 2017

    十年前、十六歳の少年の僕は学校の裏山に寝ころがって空を流れる雲を見上げながら、「さて将来何になったものだろう。」などと考えたものです。大文豪、結構。大金持、それもいい。総理大臣、一寸ちょっとわるくないな。全くこの中のどれにでもぐになれそうな気でいたんだから大したものです。所でこれらの予想のほかに、その頃の僕にはもう一つ、極めて楽しい心秘かなのぞみがありました。それは「仏蘭西フランスへ行きたい。」ということなのです。別に何をしに、というんでもない、ただ遊びに行きたかったのです。何故特別に仏蘭西をえらんだかといえば、恐らくそれはこの仏蘭西という言葉の響きが、今でもこの国の若い人々の上にもっている魅力のせいでもあったでしょうが、又同時に、その頃、私の読んでいた永井荷風の「ふらんす物語」と、これは生田春月だか上田敏だかの訳の「ヴェルレエヌ」の影響でもあったようです。顔中到る所に吹出した面皰にきびをつぶしながら、分ったような顔をして、ヴェルレエヌの邦訳などを読んでいたんですから、全く今から考えてもさぞ鼻持のならない、「いやみ」な少年だったでしょうが、でもその頃は大真面目で「巷に雨の降る如く我の心に涙」を降らせていたわけです。そういうわけで、僕は仏蘭西へ――わけても、この「よひどれ」の詩人が、そこの酒場でアプサンをあおり、そこのマロニエの並木の下を蹣跚ばんさんとよろめいて行った、あのパリへ行きたいと思ったのです。シャンゼリゼエ、ボア・ド・ブウロンニュ、モンマルトル、カルチェ・ラタン、……学校の裏山に寝ころんで空を流れる雲を見上げながら幾度僕はそれらの上に思いを馳せたことでしょう。
    さて、それから春風秋雨、ここに十年の月日が流れました。かつて抱いた希望の数々は顔の面皰と共に消え、昔は遠く名のみ聞いていたムウラン・ルウジュと同名の劇団が東京に出現した今日、横浜は南京町のアパアトでひとり佗しく、くすぶっている僕ですが、それでも、たまに港の方から流れてくる出帆の汽笛の音を聞く時などは、さすがに、その昔の、夢のような空想を思出して、懐旧の情に堪えないようなこともあるのです。そういう時、机の上に拡げてある書物には意地悪くも、こんな文句が出ていたりする。

    ふらんすへ行きたしと思へど
    ふらんすはあまりに遠し
    せめては新しき背広を着て
    気ままなる旅にいでてみん……

    「ははあ、この詩人も御多分に洩れず、あまり金持でないと見えるな。」と、そう思いながら僕も滅入った気持を引立てようとこの詩人にならって、(仏蘭西へ行けない腹癒はらいせに、)せめては新しき背広なりと着て、――いや冗談じゃない、そんな贅沢ができるものか。せめては新しき帽子――いや、それでもまだ贅沢すぎる。ええ、せめては新しきネクタイ位で我慢しておいて、さて、財布の底を一度ほじくりかえして見てから、散歩にと出掛けて行くのです。丁度ちょうど、十年前憶えたヴェルレエヌの句そのまま、「秋の日のヴィヲロンの、溜息の身にしみて、ひたぶるにうらがなしい」気持にみたされながら。

    青空文庫より

  • 江戸川乱歩「少年探偵団20意外また意外」別役みか朗読

    23.03 Jul 13, 2017
    江戸川乱歩「少年探偵団21 きみが二十面相だ」別役みか朗読

    11.65 Jul 21, 2017
    江戸川乱歩 少年探偵団22「逃走」別役みか朗読

    26.73 Sep 11, 2017

  • 坂口安吾「続 戦争と一人の女」萩柚月朗読

    49.48 Jul 12, 2017

    続戦争と一人の女

    坂口安吾

    カマキリ親爺は私のことを奥さんと呼んだり姐さんと呼んだりした。デブ親爺は奥さんと呼んだ。だからデブが好きであつた。カマキリが姐さんと私をよぶとき私は気がつかないふうに平気な顔をしてゐたが、今にひどい目にあはしてやると覚悟をきめてゐたのである。
    カマキリもデブも六十ぐらゐであつた。カマキリは町工場の親爺でデブは井戸屋であつた。私達はサイレンの合間々々に集つてバクチをしてゐた。野村とデブが大概勝つて、私とカマキリが大概負けた。カマキリは負けて亢奮してくると、私を姐さんとよんで、厭らしい目付をした。時々よだれが垂れさうな露骨な顔付をした。カマキリは極度に吝嗇であつた。負けた金を払ふとき札をとりだして一枚一枚皺をのばして手放しかねてゐるのであつた。唾をつけて汚いぢやないの、はやくお出しなさい、と言ふと泣きさうなクシャ/\な顔をする。
    私は時々自転車に乗つてデブとカマキリを誘ひに行つた。私達は日本が負けると信じてゐたが、カマキリは特別ひどかつた。日本の負けを喜んでゐる様子であつた。男の八割と女の二割、日本人の半分が死に、残つた男の二割、赤ん坊とヨボ/\の親爺の中に自分を数へてゐた。そして何百人だか何千人だかの妾の中に私のことを考へて可愛がつてやらうぐらゐの魂胆なのである。
    かういふ老人共の空襲下の恐怖ぶりはひどかつた。生命の露骨な執着に溢れてゐる。そのくせ他人の破壊に対する好奇心は若者よりも旺盛で、千葉でも八王子でも平塚でもやられたときに見物に行き、被害が少いとガッカリして帰つてきた。彼等は女の半焼の死体などは人が見てゐても手をふれかねないほど屈みこんで叮嚀に見てゐた。
    カマキリは空襲のたびに被害地の見物に誘ひに来たが、私は二度目からはもう行かなかつた。彼等は甘い食物が食べられないこと、楽しい遊びがないこと、生活の窮屈のために戦争を憎んでゐたが、可愛がるのは自分だけで、同胞も他人もなく、自分のほかはみんなやられてしまへと考へてゐた。空襲の激化につれて一皮々々本性がむかれてきて、しまひには羞恥もなくハッキリそれを言ひきるやうになり、彼等の目附は変にギラ/\して悪魔的になつてきた。人の不幸を嗅ぎまはり、探しまはり、乞ひ願つてゐた。
    私はある日、暑かつたので、短いスカートにノーストッキングで自転車にのつてカマキリを誘ひに行つた。カマキリは家を焼かれて壕に住んでゐた。このあたりも町中が焼け野になつてからは、モンペなどはかなくとも誰も怒らなくなつたのである。カマキリは息のつまる顔をして私の素足を見てゐた。彼は壕から何かふところへ入れて出て来て、私の家へ一緒に向ふ途中、あんたにだけ見せてあげるよ、と言つて焼跡の草むらへ腰を下して、とりだしたのは猥画であつた。ちつにはいつた画帖風の美しい装釘だつた。

  • 林芙美子「あひびき」海渡みなみ朗読

    38.55 Jul 12, 2017

    火の氣がないので、私は鷄介と二人で寢床にはいつてゐた。朝から喋つてゐたので、寢床へはいると喋ることもなく、私は、あをむけになつて、眼の上に兩手をそろへて眺めてゐた。鷄介も兩の手を出した。私は鷄介の大きい掌に自分の手を合はせてみた。「冷い?」鷄介は默つて私の手を大きい掌で包みこむやうに握つた。朝から雨が降つてゐるので、私は落ちついてしまつた。何もする氣がしなかつた。草におく露のやうに、きらきらと光つてゐる男の心が無性に私の心をはずませた。二人はお互ひの指と指をからませあつて、のびのびと體をのばして天井を見てゐた。硝子窓に、横なぐりの雨が吹きつけてゐる。樋をつたふ雨のこぼつ、こぼつと、石穴にでも溢れてゐるやうな音がして、空は黄灰色に薄昏く、水氣がこもつてゐた。晴れた日は、窓の向うに富士山が見えると女中が云つてゐたけれども、昨夜、この宿へ着くなり雨で、富士山は見えなかつた。――戰爭の頃は、此宿は寮にでもなつてゐたらしく、荒れ放題に荒れた部屋の中で、疊も汚れ、蒲團も重い。二人出鱈目に甲府まで來てしまつた。そして、出鱈目に湯の宿を探して泊つた旅館だけれども、結局は二人にとつては、そんな、むさくるしい部屋も氣にはかゝらなかつた。――私は鷄介の子供を宿してゐた。私は珊瑚色の寢卷きを着てゐた。身幅を廣く縫つた寢卷きを着てゐるので、みごもつてゐる女のみにくさは案外めだたないでゐる。鷄介は思ひ出したやうに、時々、私のおなかに耳をあてて、胎内の子の息を聽いた。鷄介にはおくさんがあつた。私にも良人があつた。そして、戰爭は濟んでゐるのに、私たちの重たい環境は、この戰爭とは何のかゝはりもなく崩れてはゐなかつた。ただ何ヶ月か先には、私は、子供を産む支度をしなければならない。

  • 中島敦「悟浄出世」西村俊彦朗読

    73.30 Jul 03, 2017

    寒蝉敗柳かんせんはいりゅうに鳴き大火西に向かいて流るる秋のはじめになりければ心細くも三蔵さんぞうは二人の弟子にいざなわれ嶮難けんなんしのぎ道を急ぎたもうに、たちまち前面に一条の大河あり。大波湧返わきかえりて河の広さそのいくばくという限りを知らず。岸に上りて望み見るときかたわらに一つの石碑あり。上に流沙河りゅうさがの三字を篆字てんじにて彫付け、表に四行の小楷字かいじあり。
    八百流沙界はちひゃくりゅうさのかい
    三千弱水深さんぜんじゃくすいふかし
    鵞毛飄不起がもうただよいうかばず
    蘆花定底沈ろかそこによどみてしずむ

    ――西遊記――

    そのころ流沙河りゅうさがの河底にんでおった妖怪ばけものの総数およそ一万三千、なかで、かればかり心弱きはなかった。かれに言わせると、自分は今までに九人の僧侶そうりょった罰で、それら九人の骸顱しゃれこうべが自分のくび周囲まわりについて離れないのだそうだが、他の妖怪ばけものらには誰にもそんな骸顱しゃれこうべは見えなかった。「見えない。それは※(「にんべん+爾」、第3水準1-14-45)おまえの気の迷いだ」と言うと、かれは信じがたげな眼で、一同を見返し、さて、それから、なぜ自分はこうみんなと違うんだろうといったふうな悲しげな表情に沈むのである。他の妖怪ばけものらは互いに言合うた。「あいつは、僧侶そうりょどころか、ろくに人間さえったことはないだろう。誰もそれを見た者がないのだから。ふなざこを取って喰っているのなら見たこともあるが」と。また彼らはかれ綽名あだなして、独言悟浄どくげんごじょうと呼んだ。かれが常に、自己に不安を感じ、身を切刻む後悔にさいなまれ、心の中で反芻はんすうされるそのかなしい自己苛責かしゃくが、ついひとり言となってれるがゆえである。遠方から見ると小さなあわかれの口から出ているにすぎないようなときでも、実は彼がかすかな声でつぶやいているのである。「おれはばかだ」とか、「どうして俺はこうなんだろう」とか、「もうだめだ。俺は」とか、ときとして「俺は堕天使だてんしだ」とか。
    当時は、妖怪に限らず、あらゆる生きものはすべて何かの生まれかわりと信じられておった。悟浄がかつて天上界てんじょうかい霊霄殿りょうしょうでん捲簾けんれん大将を勤めておったとは、この河底で誰言わぬ者もない。それゆえすこぶる懐疑的な悟浄自身も、ついにはそれを信じておるふりをせねばならなんだ。が、実をいえば、すべての妖怪ばけものの中でかれ一人はひそかに、生まれかわりの説に疑いをもっておった。天上界で五百年前に捲簾大将をしておった者が今の俺になったのだとして、さて、その昔の捲簾大将と今のこの俺とが同じものだといっていいのだろうか? 第一、俺は昔の天上界のことを何一つ記憶してはおらぬ。その記憶以前の捲簾大将と俺と、どこが同じなのだ。身体からだが同じなのだろうか? それとも魂が、だろうか? ところで、いったい、魂とはなんだ? こうした疑問をかれらすと、妖怪ばけものどもは「また、始まった」といってわらうのである。あるものは嘲弄ちょうろうするように、あるものは憐愍れんびんの面持ちをもって「病気なんだよ。悪い病気のせいなんだよ」と言うた。

    青空文庫より

  • 江戸川乱歩「赤い部屋」二宮 隆朗読

    76.00 Jul 03, 2017

    異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々わざわざ其為そのためにしつらえた「赤い部屋」の、緋色ひいろ天鵞絨びろうどで張った深い肘掛椅子にもたれ込んで、今晩の話手が何事か怪異な物語を話し出すのを、今か今かと待構まちかまえていた。
    七人の真中には、これも緋色の天鵞絨でおおわれた一つの大きな円卓子まるテーブルの上に、古風な彫刻のある燭台しょくだいにさされた、三挺さんちょうの太い蝋燭ろうそくがユラユラとかすかに揺れながら燃えていた。
    部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅まっかな重々しい垂絹たれぎぬが豊かなひだを作って懸けられていた。ロマンチックな蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒い色をした垂絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師かげぼうしを投げていた。そして、その影法師は、蝋燭の焔につれて、幾つかの巨大な昆虫でもあるかの様に、垂絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。
    いつもながらその部屋は、私を、丁度とほうもなく大きな生物の心臓の中に坐ってでもいる様な気持にした。私にはその心臓が、大きさに相応したのろさをもって、ドキンドキンと脈うつ音さえ感じられる様に思えた。
    誰も物を云わなかった。私は蝋燭をすかして、向側に腰掛けた人達の赤黒く見える影の多い顔を、何ということなしに見つめていた。それらの顔は、不思議にも、お能の面の様に無表情に微動さえしないかと思われた。
    やがて、今晩の話手と定められた新入会員のT氏は、腰掛けたままで、じっと蝋燭の火を見つめながら、次の様に話し始めた。私は、陰影の加減で骸骨の様に見える彼の顎が、物を云う度にガクガクと物淋しく合わさる様子を、奇怪なからくり仕掛けの生人形でも見る様な気持で眺めていた。

  • 坂口安吾「戦争と一人の女」(無削除版) 萩柚月朗読

    43.75 Jun 18, 2017

    戦争と一人の女

    坂口安吾

    野村は戦争中一人の女と住んでゐた。夫婦と同じ関係にあつたけれども女房ではない。なぜなら、始めからその約束で、どうせ戦争が負けに終つて全てが滅茶々々になるだらう。敗戦の滅茶々々が二人自体のつながりの姿で、家庭的な愛情などといふものは二人ながら持つてゐなかつた。
    女は小さな酒場の主人で妾であつたが、生来の淫奔で、ちよつとでも気に入ると、どの客とでも関係してゐた女であつた。この女の取柄といへば、あくせくお金を儲けようといふ魂胆のないことで、酒が入手難になり営業がむずかしくなると、アッサリ酒場をやめて、野村と同棲したのである。
    女は誰かしらと一緒になる必要があり、野村が一人ものだから、あなたと一緒にならうか、と言ふので、さうだな、どうせ戦争で滅茶々々になるだらうから、ぢや今から滅茶々々になつて戦争の滅茶々々に連絡することにしようか、と笑つて答へた。なぜなら、どうせ女は野村と同棲して後も、時々誰かと関係することを野村は信じて疑はなかつた。厭になつたら出て行くがいゝさ、始めから野村はさう言つて女を迎へたのである。
    女は遊女屋にゐたことがあるので、肉体には正規な愛情のよろこび、がなかつた。だから男にとつてはこの女との同棲は第一そこに不満足、があるのだが、貞操観念がないといふのも見方によれば新鮮なもので、家庭的な暗さがないのが野村には好もしく思はれたのだ。遊び相手であり、その遊びに最後の満足は欠けてゐても、ともかく常に遊ぶ関係にあるだけでも、ないよりましかも知れないと野村は思つた。戦争中でなければ一緒になる気持はなかつたのだ。どうせ全てが破壊される。生き残つても、奴隷にでもなるのだらうと考へてゐたので、家庭を建設するといふやうな気持はなかつた

  • 宮沢賢治「イギリス海岸」喜多川拓郎朗読

    40.37 Jun 13, 2017

    イギリス海岸

    宮沢賢治

    夏休みの十五日の農場実習の間に、私どもがイギリス海岸とあだ名をつけて、二日か三日ごと、仕事が一きりつくたびに、よく遊びに行ったところがありました。
    それは本たうは海岸ではなくて、いかにも海岸の風をした川の岸です。北上きたかみ川の西岸でした。東の仙人せんにん峠から、遠野を通り土沢を過ぎ、北上山地を横截よこぎって来る冷たいさるいし川の、北上川への落合から、少し下流の西岸でした。
    イギリス海岸には、青白い凝灰質の泥岩が、川に沿ってずゐぶん広く露出し、その南のはじに立ちますと、北のはづれに居る人は、小指の先よりもっと小さく見えました。
    殊にその泥岩層は、川の水の増すたんび、奇麗に洗はれるものですから、何ともへず青白くさっぱりしてゐました。
    所々には、水増しの時できた小さな壺穴つぼあなあとや、またそれがいくつも続いた浅いみぞ、それから亜炭のかけらだの、枯れたあしきれだのが、一列にならんでゐて、前の水増しの時にどこまで水が上ったかもわかるのでした。
    日が強く照るときは岩は乾いてまっ白に見え、たて横に走ったひゞ割れもあり、大きな帽子をかむってその上をうつむいて歩くなら、影法師は黒く落ちましたし、全くもうイギリスあたりの白堊はくあの海岸を歩いてゐるやうな気がするのでした。
    町の小学校でも石の巻の近くの海岸に十五日も生徒を連れて行きましたし、隣りの女学校でも臨海学校をはじめてゐました。
    けれども私たちの学校ではそれはできなかったのです。ですから、生れるから北上の河谷の上流の方にばかり居た私たちにとっては、どうしてもその白い泥岩層をイギリス海岸と呼びたかったのです。

  • 中谷宇吉郎「おにぎりの味」二宮 隆朗読

    5.27 Jun 03, 2017

    お握りには、いろいろな思い出がある。
    北陸の片田舎で育った私たちは、中学へ行くまで、洋服を着た小学生というものは、だれも見たことがなかった。紺絣こんがすりの筒っぽに、ちびた下駄。雨の降る日は、藺草いぐさでつくったみのぼうしをかぶって、学校へ通う。外套がいとうやレインコートはもちろんのこと、傘をもつことすら、小学生には非常な贅沢ぜいたくと考えられていた。
    そういう土地であるから、お握りは、日常生活に、かなり直結したものであった。遠足や運動会の時はもちろんのこと、お弁当にも、ときどきお握りをもたされた。梅干のはいった大きいお握りで、とろろ昆布でくるむか、紫蘇しその粉をふりかけるかしてあった。浅草海苔あさくさのりをまくというような贅沢なことは、滅多にしなかった。
    しかしそういうお握りの思い出は、あまり残っていない。それよりも、今でもあざやかに印象に残っているのは、ご飯をいた時のおこげのお握りである。
    十数人の大家族だったので、女中が朝暗いうちから起きて、すすけたかまどに大きいかまをかけて、粗朶そだきつける。薄暗い土間に、青味をおびた煙が立ちこめ、かまどの口から、赤いほのおへびの舌のように、ちらちらと出る。
    私と弟とは、時々早く起きて、このかまどの部屋へ行くことがあった。おこげのお握りがもらえるからである。ご飯がたき上がると、女中が釜をもち上げ、板敷の広い台所へもってくる。釜の外側には、煤が一面についているので、それにいた火が、細長い光の点線になって、チカチカと光る。まだ覚め切らぬねぼけまなこの目には、それが夢のつづきのように見えた。
    やがてその火も消え、女中がふたをとると、真白まっしろい湯気がもうもうと立ち上がる。たき立てのご飯のにおいが、ほのぼのとおなかの底までみ込むような気がした。女中は大きいしゃもじで山盛りにご飯をすくい上げて、おひつに移す。最後のおこげのところだけは、上手に釜底にくっついたまま残されている。その薄狐色うすきつねいろのおこげの皮に、塩をばらっとふって、しゃもじでぐいとこそげると、いかにもおいしそうな、おこげがとれてくる。女中は、それを無雑作むぞうさにちょっと握って、小さいお握りにして、「さあ」といって渡してくれた。
    香ばしいおこげに、よく効いた塩味。このあついお握りを吹きながら食べると、たき立てのご飯の匂いが、むせるように鼻をつく。これが今でも頭の片隅に残っている、五十年前のお握りの思い出である。
    その後大人になって、いろいろおいしいものも食べてみたが、幼い頃のこのおこげのお握りのような、温かく健やかな味のものには、二度と出会ったことがないような気がする。
    都会で育ったうちの子供たちは、恐らくこういう味を知らずに過ごしてきたにちがいない。一ぺん教えてやりたいような気もするが、それはほとんど不可能に近いことであろう。おこげのお握りの味は、学校通いに雨傘をもつというような贅沢を、一度おぼえた子供には、リアライズされない種類の味と思われるからである。