2017年6月

  • 田中貢太郎「貧乏神物語」別役みか朗読

    貧乏神物語

    田中貢太郎

    縁起でもない話だが、馬琴の随筆の中にあったのを、数年前から見つけてあったので、ここでそれを云ってみる。考証好きの馬琴は、その短い随筆の中でも、唐山には窮鬼と書くの、蘇東坡に送窮の詩があるの、また、窮鬼を耗とも青とも云うの、玄宗の夢にあらわれた鍾馗の劈(さ)いて啖(くら)った鬼は、その耗であるのと例の考証をやってから、その筆は「四方(よも)の赤」に走って、「近世、江戸牛天神の社のほとりに貧乏神の禿倉(ほこら)有けり。こは何某(なにのそれがし)とかいいし御家人の、窮してせんかたなきままに、祭れるなりといい伝う。さるを何ものの所為(しわざ)にやありけん。その神体を盗とりて、禿倉のみ残れり」などと云っているが、屁のようなことにも倫理道徳をくっつける馬琴の筆にしては、同じ堅くるしい中にも軽い味がある。
    文政四年の夏であった。番町に住む旗下(はたもと)の用人は、主家の費用をこしらえに、下総にある知行所に往っていた。五百石ばかりの禄米があって旗下としてはかなりな家柄である主家が、その数代不運続きでそれがために何時も知行所から無理な金をとり立ててあるので、とても今度は思うように調達ができまいと思った。その一方で用人は、村役人のしかめ面を眼前(めさき)に浮べていた。
    微曇のした蒸し暑い日で、青あおと続いた稲田の稲の葉がぴりりとも動かなかった。草加(そうか)の宿が近くなったところで用人は己(じぶん)の傍を歩いている旅憎に気がついた。それは用人が歩き歩き火打石を打って火を出し、それで煙草を点けて一吸い吸いながらちょと己(じぶん)の右側を見た時であった。
    旅憎は溷鼠染(どぶねずみぞめ)と云っている栲(たえ)の古いどろどろしたような単衣(ひとえもの)を着て、頭(かしら)に白菅の笠を被り、首に頭陀袋をかけていた。年の比(ころ)は四十過ぎであろう、痩せて頤(おとがい)の尖った顔は蒼黒く、眼は落ち窪んで青く光っていた。
    この見すぼらしい姿を一眼見た用人は、気の毒と思うよりも寧ろ鬼魅(きみ)が悪かった。と、旅僧の方では用人が煙草の火を点けたのを見ると、急いで頭陀袋の中へ手をやって、中から煙管と煙草を執り出し、それを煙管に詰めて用人の傍へ擦り寄って来た。
    「どうか火を貸しておくれ」
    用人は旅僧に傍へ寄られると臭いような気がするので、呼吸(いき)をしないようにして黙って煙管の雁首を出すと旅憎は舌を鳴らして吸いつけ、
    「や、これはどうも」
    と、ちょっと頭をさげて二足三足歩いてから用人に話しかけた。
    「貴君(あなた)は、これから何方(どちら)へ往きなさる」
    「下総の方へ、ね」
    「ああ、下総」
    「貴僧(あなた)は何方へ」
    「私(わし)は越谷(こしがや)へ往こうと思ってな」
    「何処からお出でになりました」
    「私(わし)かね、私は番町の――の邸から来たものだ」
    用人は驚いて眼をみはった。旅僧の来たと云う邸は己の仕えている邸ではないか、用人はこの売僧奴(まいすめ)、その邸から来た者が眼の前にいるに好くもそんな出まかせが云えたものだ、しかし待てよ、此奴はなにかためにするところがあって、主家の名を騙(かた)っているかも判らない、一つぎゅうと云う眼に逢わして置かないと、どんなことをして主家へ迷惑をかけるかも判らないと心で嘲笑って、その顔をじろりと見た。
    「――の邸、おかしなことを聞くもんだね」
    「何かありますかな」
    旅僧は澄まして云って用人の顔を見返した。
    「ありますとも、私はその邸の者だが、お前さんに見覚えがないからね」
    用人は嘲ってその驚く顔を見ようとしたが旅僧は平気であった。
    「見覚えがないかも判らないよ」
    「おっと、待ってもらおうか、私は其処の用人だから、毎日詰めていない日はないが、この私が知らない人が、その邸にいる理(わけ)がないよ、きっと邸の名前がちがっているのだろう」
    用人はまた嘲笑った。
    「ところが違わない」
    「違わないことがあるものか、ちがわないと云うなら、お前さんは、邸の名を騙る売僧じゃ」
    用人は憤りだした。
    「それはお前さんが私(わし)を知らないから、そう云うのだ、私は三代前から彼(あ)の邸にいるよ、彼の邸は何時も病人だらけで、先代二人は夭折(わかじに)している、おまえさんは譜代でないから、昔のことは知らないだろうが、彼の邸では、昔こんなこともあったよ――」
    旅僧は用人の聞いている昔主家に起った事件をはじめとして、近比(ごろ)の事件まで手に執るようにくわしく話しだした。用人は驚いて開いた口が塞がらなかった。
    「どうだね、お前さん、思いあたることがあるかね」
    旅僧はにやりと嘲笑を浮べながら煙草の吹殻を掌にころがして、煙管に新らしい煙草を詰めてそれを吸いつけ、
    「寸分もちがっていないだろう、それでもちがうかね」
    「よくあってます」
    用人は煙草の火の消えたのも忘れていた。
    「あってるかね、そりゃあってるよ、毎日邸で見てるからね」
    用人は頭を傾げて旅僧が如何なる者であるかを考えようとした。
    「私が判るかね」
    旅僧は嘲笑いを続けている。
    「判りません、どうした方です」
    「私(わし)は貧乏神だよ」
    「え」
    「三代前から――の邸にいる貧乏神だよ」
    「え」
    「私(わし)がいたために、病人ができる、借金はできる、長い間苦しんだが、やっと、その数が竭(つ)きて私は他へ移ることになったから、これから、お前さんの主人の運も開けて、借金も返される」
    話のうちに草加の宿は通り過ぎたが、用人は霧の深い谷間にいるような気になっていて気がつかなかった。
    「だから、これから、お前さんの心配も無くなるわけだ」
    用人はその詞(ことば)を聞くとなんだか肩に背負っていた重荷が執れたような気がした。
    「では、あなた様は、これから何方(どちら)へお移りになります」
    「私(わし)の往くさきかの、往くさきは、隣の――の邸さ」
    「え」
    「其処へ移るまでに、すこし暇ができたから、越谷にいる仲間の処へ遊びに来たが、明日はもう移るよ」
    用人はその名ざされた家のことを心に浮べた。
    「お前さんが嘘と思うなら、好く見ているが好い、明日からその家では、病人ができ、借金ができて、恰好(ちょうど)お前さんの主人の家のようになるさ」
    「え」
    「だが、これは決して人にもらしてはならんよ」
    「はい」
    「じゃ、もう別れよう」
    用人がはっと気がついた時にはもう怪しい旅僧はいなかった。其処はもう越谷になっていた。

    用人は知行所へ往ったが、度たび無理取立てをしてあるのでとても思うとおりにできまいと心配していた金が、思いのほか多く執れたので、貧乏神の教えもあるし彼は喜び勇んで帰って来た。

  • 泉鏡太郎「鳥影」西村俊彦朗読

  • 平林初之輔「頭と足」田中智之朗読

    頭と足

    平林初之輔

         一

    船が港へ近づくにつれて、船の中で起った先刻の悲劇よりも何よりも、新聞記者である里村さとむらの心を支配したのは、如何にしてこの事件をいち早く本社に報道するかという職業意識であった。
    彼は、社へ発送すべき電文の原稿はもうしたためている。しかし、同じ船の中に、自分の社とふだんから競争の地位にたっているA新聞の記者田中たなかがちゃんと乗りあわせて、矢張り電文の原稿は書いてしまって現に自分のそばに、何げない様子をして自分と話をしている。その様子は如何にも自信に満ちた様子である。港には郵便局は一つしかない、従って送信機も一つしかない勘定だ。どちらかさきに郵便局へ着いた方がそれを何分間でも何時間でも独占できるのだ。郵便局は波止場から十町もはなれているという。して見れば体力のすぐれている田中がさきにゆきつくことは必定だ。
    里村は気が気でなかった、波止場はすでに向うに見えている。彼はいても立ってもいられなかった。ことに、自分の体力に信頼しきって悠然とかまえている田中のそばにいるのがもう辛棒できなかった。彼はふらふらとデッキのベンチをたち上って船室へ降りていった。
    田中は安心しきっていた。彼は靴のひもを結びなおし、腰のバンドをしらべ、帽子を眉深まぶかにかぶり直し、万が一にも手ぬかりのないように、いざといったらすぐに駈けだすことのできるように用意していた。三四分もたつと里村が船室にもいたたまらぬと見えて、矢張り浮かぬ顔付をしてデッキへ上って来た。競争が切迫するにつれて二人は緊張しきってもう一言もものを言わなかった。

    青空文庫より

  • 吉川英治「三国志」童学草舎一二 朗読岡田慎平


    吉川英治「三国志」童学草舎三四五 朗読岡田慎平

  • 江戸川乱歩 少年探偵団12「さかさの首」別役みか朗読


    江戸川乱歩少年探偵団13 「屋上の怪人」別役みか朗読


    江戸川乱歩少年探偵団14 「悪魔の昇天」別役みか朗読


    江戸川乱歩 少年探偵団15「怪軽気球の最後」別役みか朗読


    江戸川乱歩少年探偵団16「黄金の塔」別役みか朗読


    江戸川乱歩少年探偵団17「怪少女」別役みか朗読


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  • 夏目漱石 「こころ」 十三 山口雄介朗読


    夏目漱石 「こころ」 十四 山口雄介朗読


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    夏目漱石「こころ」35 36 山口雄介朗読

  • 江戸川乱歩「算盤が恋を語る話」朗読二宮隆

  • 中島敦「盈虚」西村俊彦朗読

    盈虚

    中島敦

     えいの霊公の三十九年と云う年の秋に、太子※(「萠+りっとう」、第3水準1-91-14)※(「耳+貴」、第4水準2-85-14)かいがいが父の命を受けてせいに使したことがある。みちに宋の国を過ぎた時、畑に耕す農夫共が妙な唄を歌うのを聞いた。

    既定爾婁豬
    盍帰吾艾※(「豕+暇のつくり」、第4水準2-89-3)
    牝豚はたしかに遣った故
    早く牡豚を返すべし

    衛の太子はこれを聞くと顔色を変えた。思い当ることがあったのである。
    父・霊公の夫人(といっても太子の母ではない)南子なんしは宋の国から来ている。容色よりもむしの才気で以てすっかり霊公をまるめ込んでいるのだが、此の夫人が最近霊公に勧め、宋から公子朝という者を呼んで衛の大夫に任じさせた。宋朝は有名な美男である。衛に嫁ぐ以前の南子と醜関係があったことは、霊公以外の誰一人として知らぬ者は無い。二人の関係は今衛の公宮で再び殆どおおっぴらに続けられている。宋の野人の歌うた牝豚牡豚とは、疑いもなく、南子と宋朝とを指しているのである。
    太子は斉から帰ると、側臣の戯陽速ぎようそくを呼んで事をはかった。翌日、太子が南子夫人に挨拶に出た時、戯陽速は既に匕首あいくちを呑んで室の一隅の幕の陰に隠れていた。さりげなく話をしながら太子は幕の陰に目くばせをする。急に臆したものか、刺客は出て来ない。三度合図をしても、ただ黒い幕がごそごそ揺れるばかりである。太子の妙なそぶりに夫人は気が付いた。太子の視線を辿り、室の一隅に怪しい者の潜んでいるを知ると、夫人は悲鳴を挙げて奥へ跳び込んだ。其の声に驚いて霊公が出て来る。夫人の手を執って落着けようとするが、夫人は唯狂気のように「太子がわたしを殺します。太子が妾を殺します」と繰返すばかりである。霊公は兵を召して太子を討たせようとする。其の時分には太子も刺客もうに都を遠く逃げ出していた。
    宋にはしり、続いてしんに逃れた太子※(「萠+りっとう」、第3水準1-91-14)※(「耳+貴」、第4水準2-85-14)かいがいは、人毎に語って言った。淫婦刺殺という折角せっかくの義挙も臆病な莫迦ばか者の裏切によって失敗したと。これも矢張衛から出奔した戯陽速が此の言葉を伝え聞いて、う酬いた。とんでもない。こちらの方こそ、すんでの事に太子に裏切られる所だったのだ。太子は私を脅して、自分の義母を殺させようとした。承知しなければ屹度きっと私が殺されたに違いないし、もし夫人を巧く殺せたら、今度は必ず其の罪をなすりつけられるに決っている。私が太子の言を承諾して、しかも実行しなかったのは、深謀遠慮の結果なのだと。

  • 谷崎潤一郎「恐怖」朗読岡田慎平

  • 二宮隆朗読岡本ゆきこ作「僕から母へ」

    岡本ゆきこ オリジナル作品

    「僕から母へ」