2017年6月

  • 芥川龍之介「カルメン」西村俊彦 岡田慎平 二宮隆朗読

    カルメン

    芥川龍之介

     革命ぜんだったか、革命後だったか、――いや、あれは革命前ではない。なぜまた革命前ではないかと言えば、僕は当時小耳こみみはさんだダンチェンコの洒落しゃれを覚えているからである。
    ある蒸し暑いあまもよいの、舞台監督のT君は、帝劇ていげき露台バルコニーたたずみながら、炭酸水たんさんすいのコップを片手に詩人のダンチェンコと話していた。あの亜麻色あまいろの髪の毛をした盲目もうもく詩人のダンチェンコとである。
    「これもやっぱり時勢ですね。はるばる露西亜ロシアのグランド・オペラが日本の東京へやって来ると言うのは。」
    「それはボルシェヴィッキはカゲキ派ですから。」
    この問答のあったのは確か初日から五日いつか目の晩、――カルメンが舞台へ登った晩である。僕はカルメンにふんするはずのイイナ・ブルスカアヤに夢中になっていた。イイナは目の大きい、小鼻の張った、肉感の強い女である。僕は勿論カルメンにふんするイイナをることを楽しみにしていた、が、第一幕が上ったのを見ると、カルメンに扮したのはイイナではない。水色の目をした、鼻の高い、なんとか云う貧相ひんそうな女優である。僕はT君と同じボックスにタキシイドの胸を並べながら、落胆らくたんしないわけには行かなかった。
    「カルメンは僕等のイイナじゃないね。」
    「イイナは今夜は休みだそうだ。その原因がまたすこぶるロマンティックでね。――」
    「どうしたんだ?」
    なんとか云う旧帝国の侯爵こうしゃくが一人、イイナのあとを追っかけて来てね、おととい東京へ着いたんだそうだ。ところがイイナはいつのまにか亜米利加アメリカ人の商人の世話になっている。そいつを見た侯爵は絶望したんだね、ゆうべホテルの自分の部屋で首をくくって死んじまったんだそうだ。」
    僕はこの話を聞いているうちに、ある場景じょうけいを思い出した。それはけたホテルの一室に大勢おおぜい男女なんにょかこまれたまま、トランプをもてあそんでいるイイナである。黒と赤との着物を着たイイナはジプシイうらないをしていると見え、T君にほほみかけながら、「今度はあなたのうんを見て上げましょう」と言った。(あるいは言ったのだと云うことである。ダア以外の露西亜ロシア語を知らない僕は勿論十二箇国の言葉に通じたT君に翻訳して貰うほかはない。)それからトランプをまくって見たのち、「あなたはあの人よりも幸福ですよ。あなたの愛する人と結婚出来ます」と言った。あの人と云うのはイイナの側に誰かと話していた露西亜ロシア人である。僕は不幸にも「あの人」の顔だの服装だのを覚えていない。わずかに僕が覚えているのは胸にしていた石竹せきちくだけである。イイナの愛を失ったために首をくくって死んだと云うのはあの晩の「あの人」ではなかったであろうか?……
    「それじゃ今夜は出ないはずだ。」
    い加減に外へ出て一杯いっぱいやるか?」
    T君も勿論イイナ党である。
    「まあ、もう一幕見て行こうじゃないか?」
    僕等がダンチェンコと話したりしたのは恐らくはこの幕合まくあいだったのであろう。
    次の幕も僕等には退屈だった。しかし僕等が席についてまだ五分とたたないうちに外国人が五六人ちょうど僕等の正面に当る向う側のボックスへはいって来た。しかも彼等のまっ先に立ったのはまぎれもないイイナ・ブルスカアヤである。イイナはボックスの一番前に坐り、孔雀くじゃくの羽根の扇を使いながら、悠々と舞台を眺め出した。のみならず同伴の外国人の男女なんにょと(その中には必ず彼女の檀那だんなの亜米利加人もまじっていたのであろう。)愉快そうに笑ったり話したりし出した。
    「イイナだね。」
    「うん、イイナだ。」
    僕等はとうとう最後の幕まで、――カルメンの死骸しがいようしたホセが、「カルメン! カルメン!」と慟哭どうこくするまで僕等のボックスを離れなかった。それは勿論舞台よりもイイナ・ブルスカアヤを見ていたためである。この男を殺したことを何とも思っていないらしい露西亜のカルメンを見ていたためである。

    ×          ×          ×

    それから二三日たったある晩、僕はあるレストランの隅にT君とテエブルを囲んでいた。
    「君はイイナがあの晩以来、確か左の薬指くすりゆび繃帯ほうたいしていたのに気がついているかい?」
    「そう云えば繃帯していたようだね。」
    「イイナはあの晩ホテルへ帰ると、……」
    駄目だめだよ、君、それを飲んじゃ。」
    僕はT君に注意した。薄い光のさしたグラスの中にはまだ小さい黄金虫こがねむしが一匹、仰向あおむけになってもがいていた。T君は白葡萄酒しろぶどうしゅゆかへこぼし、妙な顔をしてつけ加えた。
    「皿を壁へ叩きつけてね、そのまた欠片かけらをカスタネットの代りにしてね、指から血の出るのもかまわずにね、……」
    「カルメンのように踊ったのかい?」
    そこへ僕等の興奮とは全然つり合わない顔をした、頭の白い給仕が一人、静にさけの皿を運んで来た。……

  • 坂口安吾「餅のタタリ」萩柚月朗読

    餅のタタリ

    坂口安吾

    餅を落した泥棒

    土地によって一風変った奇習や奇祭があるものだが、日本中おしなべて変りのないのは新年にお餅を食べ門松をたてて祝う。お雑煮の作り方は土地ごとに大そうな違いはあるが、お餅を食べ門松をたてて新春を祝うことだけは日本中変りがなかろうと誰しも思いがちである。
    意外にも、新年にお餅も食べず門松もたてない村や部落は日本の諸地にかなり散在しているのだが、上州には特に多い。その上州でもある郡では諸町村の大部分が昔から新年を祝う風習をもっていない。それでも、ま、新年のオツキアイだけは気持ばかり致しましょう、というわけか、三※[#小書き片仮名ガ、295-16]日だけウドンを食べる。
    もともと上州の人たちは好んでウドンをたべる。農村では米を作りながら自分はウドンの方を喜んで食ってるという土地柄であるから、新年にウドンを食ってもふだんと変りがないようなものだ。むしろ新年のウドンの方がふだんのウドンよりもまずいぐらいで、テンプラウドンやキツネウドンにくらべると大そう風味が悪いような特別な作り方のウドンを三※[#小書き片仮名ガ、295-20]日間というもの三度々々我慢して食べてる。まったく我慢して食べてるとしか云いようがないほど味気ない食膳で、ふだんの方がゴチソウがあるのだ。要するにその食卓から新年を祝う気分を見ることはできなくて、むしろ一ツ年をとって死期が近づいたのをシミジミ観念して味っているような食卓なのである。
    どうして新年にウドンを食うかということについては昔からいろいろ云われているが、いずれも納得できるものではない。むしろ、上州ばかりでなく、日本の諸地では昔から新年にウドンを食っていたのかも知れない。餅をくって門松をたてる風習の方が後にできてやがて日本中に流行してしまったのかも知れず、そのとき意地ッぱりの村があって、オレだけはウドンをやめないとガンバリつづけたのが今に残ったのかも知れない。上州にはそういう意地ッぱりの気風があるようだ。
    さて、そういう村のあるところに、日当りのよい前庭に百坪もある円い池のある農家があった。その池には先祖からの鯉がいっぱい泳いでいて、それだけでも一財産だと云われているほどの池だから、この家はいつのころからか円池まるいけサンという通称でよばれるようになっていた。
    年の暮も押しつまって明日は新年という大晦日の夜更けに、円池の平吉という当主が便所に立ったところ、その晩はカラッ風のない晩で、そういうときのシンシンとした寒さ静けさはまた一入ひとしおなものだ。思わず足音を殺すようにして廊下を歩いていると、庭でコツンバシャンとかすかな音がする。立ち止って耳をすますと、どうも氷をわる音だ。まだ氷が厚くないらしく、竹竿ようのもので誰かが池の氷をわっているようである。

  • 太宰治 「燈籠」海渡みなみ朗読

    燈籠

    太宰治

     言えば言うほど、人は私を信じてれません。逢うひと、逢うひと、みんな私を警戒いたします。ただ、なつかしく、顔を見たくて訪ねていっても、なにしに来たというような目つきでもって迎えて呉れます。たまらない思いでございます。
    もう、どこへも行きたくなくなりました。すぐちかくのお湯屋へ行くのにも、きっと日暮をえらんでまいります。誰にも顔を見られたくないのです。ま夏のじぶんには、それでも、夕闇ゆうやみの中に私のゆかたが白く浮んで、おそろしく目立つような気がして、死ぬるほど当惑いたしました。きのう、きょう、めっきり涼しくなって、そろそろセルの季節にはいりましたから、早速、黒地の単衣ひとえに着換えるつもりでございます。こんな身の上のままに秋も過ぎ、冬も過ぎ、春も過ぎ、またぞろ夏がやって来て、ふたたび白地のゆかたを着て歩かなければならないとしたなら、それは、あんまりのことでございます。せめて来年の夏までには、この朝顔の模様のゆかたをおくすることなく着て歩ける身分になっていたい、縁日の人ごみの中を薄化粧して歩いてみたい、そのときのよろこびを思うと、いまから、もう胸がときめきいたします。
    盗みをいたしました。それにちがいはございませぬ。いいことをしたとは思いませぬ。けれども、――いいえ、はじめから申しあげます。私は、神様にむかって申しあげるのだ、私は、人を頼らない、私の話を信じられる人は、信じるがいい。
    私は、まずしい下駄屋げたやの、それも一人娘でございます。ゆうべ、お台所にすわって、ねぎを切っていたら、うらの原っぱで、ねえちゃん! と泣きかけて呼ぶ子供の声があわれに聞えて来ましたが、私は、ふっと手を休めて考えました。私にも、あんなに慕って泣いて呼びかけて呉れる弟か妹があったならば、こんなわびしい身の上にならなくてよかったのかも知れない、と思われて、ねぎのにおいのみる眼に、熱い涙がいて出て、手の甲で涙をいたら、いっそうねぎの匂いに刺され、あとからあとから涙が出て来て、どうしていいかわからなくなってしまいました。
    あの、わがまま娘が、とうとう男狂いをはじめた、と髪結さんのところからうわさが立ちはじめたのは、ことしの葉桜のころで、なでしこの花や、あやめの花が縁日の夜店に出はじめて、けれども、あのころは、ほんとうに楽しゅうございました。水野さんは、日が暮れると、私を迎えに来て呉れて、私は、日の暮れぬさきから、もう、ちゃんと着物を着かえて、お化粧もすませ、何度も何度も、家の門口を出たりはいったりいたします。近所の人たちは、そのような私の姿を見つけて、それ、下駄屋のさき子の男狂いがはじまったなど、そっと指さしささやき交して笑っていたのが、あとになって私にもわかってまいりました。父も母も、うすうす感づいていたのでしょうが、それでも、なんにも言えないのです。私は、ことし二十四になりますけれども、それでもお嫁に行かず、おむこさんも取れずにいるのは、うちの貧しいゆえもございますが、母は、この町内での顔ききの地主さんのおめかけだったのを、私の父と話合ってしまって、地主さんの恩を忘れて父の家へけこんで来て間もなく私を産み落し、私の目鼻立ちが、地主さんにも、また私の父にも似ていないとやらで、いよいよ世間を狭くし、一時はほとんど日陰者あつかいを受けていたらしく、そんな家庭の娘ゆえ、縁遠いのもあたりまえでございましょう。もっとも、こんな器量では、お金持の華族さんの家に生れてみても、やっぱり、縁遠いさだめなのかも知れませぬけれど。それでも、私は、私の父をうらんでいません。母をもうらんでりませぬ。私は、父の実の子です。誰がなんと言おうと、私は、それを信じて居ります。父も母も、私を大事にして呉れます。私もずいぶん両親を、いたわります。父も母も、弱い人です。実の子の私にさえ、何かと遠慮をいたします。弱いおどおどした人を、みんなでやさしく、いたわらなければならないと存じます。私は、両親のためには、どんな苦しいさびしいことにでも、堪え忍んでゆこうと思っていました。けれども、水野さんと知り合いになってからは、やっぱり、すこし親孝行を怠ってしまいました。
    申すも恥かしいことでございます。水野さんは、私より五つも年下の商業学校の生徒なのです。けれども、おゆるし下さい。私には、ほかに仕様がなかったのです。水野さんとは、ことしの春、私が左の眼をわずらって、ちかくの眼医者へ通って、その病院の待合室で、知り合いになったのでございます。私は、ひとめで人を好きになってしまうたちの女でございます。やはり私と同じように左の眼に白い眼帯がんたいをかけ、不快げにまゆをひそめて小さい辞書のペエジをあちこち繰ってしらべて居られる御様子は、たいへんお可哀かわいそうに見えました。私もまた、眼帯のために、うつうつ気がうっして、待合室の窓からそとのしいの若葉をながめてみても、椎の若葉がひどい陽炎かげろうに包まれてめらめら青く燃えあがっているように見え、外界のものがすべて、遠いお伽噺とぎばなしの国の中に在るように思われ、水野さんのお顔が、あんなにこの世のものならず美しく貴く感じられたのも、きっと、あの、私の眼帯の魔法が手伝っていたと存じます。
    青空文庫より

  • 江戸川乱歩「心理試験」二宮 隆朗読

  • 野村胡堂 「銭形平次捕物控 南蛮秘法箋」全編萩柚月朗読

    小石川水道端に、質屋渡世で二萬兩の大身代をきづき上げた田代屋又左衞門、年は取つて居るが、昔は二本差だつたさうで恐ろしいきかん氣。
    「やい/\こんな湯へ入られると思ふか。風邪を引くぢやないか、馬鹿々々しい」
    風呂場から町内中響き渡るやうに怒鳴どなつて居ります。
    「ハイ、唯今、直ぐ參ります」
    女中も庭男も居なかつたと見えて、奧から飛出したのは伜の嫁のお冬、外から油障子を開けて、手頃のまきを二三本投げ込みましたが、頑固な鐵砲風呂で、急にはうまく燃えつかない上、煙突などといふ器用なものがありませんから、忽ち風呂場一杯にみなぎる煙です。
    「あツ、これはたまらぬ。エヘン/\/\、其處を開けて貰はう。エヘン/\/\、寒いのは我慢するが、年寄に煙は大禁物だ」
    「何うしませう、ちよつと、お持ち下さい。燃え草を持つて參りますから」
    若い嫁は、風呂場の障子を一パイに開けたまゝ、面喰らつて物置の方へ飛んで行つて了ひました。
    底冷のする梅二月、宵と言つても身を切られるやうな風が又左衞門の裸身を吹きますが、すつかり煙にせ入つた又左衞門は、流しにうづくまつたまゝ、大汗を掻いて咳入せきいつて居ります。
    その時でした。
    何處からともなく飛んで來た一本の吹矢、咳き込むはずみに、少し前屈みになつた又左衞門の二の腕へ深々と突つ立つたのです。
    「あツ」
    心得のない人ではありませんが、全く闇のつぶてです。思はず悲鳴をあげると、
    「何うした何うした、大旦那の聲のやうだが」
    店からも奧からも、一ぺんに風呂場に雪崩なだれ込みます。
    見ると、裸體のまゝ、流しに突つ起つた主人又左衞門の左の腕に、白々と立つたのは、羽ごと六寸もあらうと思ふ一本の吹矢、引拔くと油で痛めた竹の根は、鋼鐵の如く光つて、美濃紙みのがみを卷いた羽を染めたのは、斑々はん/\たる血潮です。
    「俺は構はねえ、外を見ろ、誰が一體こんな事をしあがつた」
    豪氣な又左衞門に勵まされるともなく、二三人バラバラと外へ飛出すと、庭先に呆然立つて居るのは、埃除ほこりよけの手拭を吹流しに冠つて、燃え草の木片を抱へた嫁のお冬、美しい顏を硬張らせて、宵闇の中に何處ともなく見詰めて居ります。
    「御新造樣、何うなさいました」
    「あ、誰か彼方へ逃げて行つたよ。追つ驅けて御覽」
    と言ひますが、庭にも、木戸にも、往來にも人影らしいものは見當りません。
    「こんな物が落ちて居ます」
    丁稚の三吉がお冬の足元から拾ひ上げたのは、四尺あまりの本式の吹矢筒ふきやづつ、竹の節を拔いて狂ひを止めた上に、磨きをかけたものですが、鐵砲の不自由な時代には、これでも立派な飛道具で、江戸の初期には武士もたしなんだと言はれる位、後には子供の玩具おもちやや町人の遊び道具になりましたが、この時分はまだ/\、吹矢も相當に幅を利かせた頃です。
    餘事はさておき――、
    引拔いたあとは、つまらない瘡藥きずぐすりか何かを塗つて、其儘にして置きましたが、其晩から大熱を發して、枕も上がらぬ騷ぎ、曉方かけて又左衞門の腕は樽のやうにれ上がつて了ひました。
    麹町から名高い外科を呼んで診て貰ふと、
    「これは大變だ。併し破傷風はしやうふうにしてもこんなに早く毒が廻る筈はない――吹矢を拜見」
    仔細らしく坊主頭を振ります。
    昨夜の吹矢を、後で詮索せんさくをする積りで、ほんの暫らく風呂場の棚の上へ置いたのを、誰の仕業か知りませんが、瞬くうちになくなつて了つたのです。
    「誰だ、吹矢を捨てたのは」
    と言つたところで、もう後の祭り、故意か過ちか、兎に角、又左衞門に大怪我をさした當人が、後のたゝりを恐れて、隱して了つたことだけは確かです。
    「それは惜しいことをした。ことによると、その吹矢の根に、毒が塗つてあつたかも知れぬて」
    「え、そんな事があるでせうか」
    又左衞門の伜又次郎、これは次男に生れて家督かとくを相續した手堅い一方の若者、今では田代屋の用心棒と言つていゝ程の男です。
    「さうでもなければ、こんなにふくれるわけがない。この毒が胴に廻つては、お氣の毒だが命が六づかしい。今のうちに、腕を切り落す外はあるまいと思ふが、如何でせうな」
    斯う言はれると、又次郎はすつかり蒼くなりましたが、父の又左衞門は、武士の出といふだけあつて思ひの外驚きません。
    「それは何でもないことだ。右の腕一本あれば不自由はしない、サア」
    千貫目のおもりを掛けられたやうな腕を差出して、苦痛にゆがむ頬に、我慢の微笑を浮べます。

    青空文庫より

  • 芥川龍之介「二人小町」海渡みなみ朗読

    二人小町

    芥川龍之介


    小野おの小町こまち几帳きちょうの陰に草紙そうしを読んでいる。そこへ突然黄泉よみ使つかいが現れる。黄泉の使は色の黒い若者。しかも耳はうさぎの耳である。
    小町 (驚きながら)誰です、あなたは?
    使 黄泉の使です。
    小町 黄泉の使! ではもうわたしは死ぬのですか? もうこの世にはいられないのですか? まあ、少し待って下さい。わたしはまだ二十一です。まだ美しい盛りなのです。どうか命は助けて下さい。
    使 いけません。わたしは一天万乗いってんばんじょうの君でも容赦ようしゃしない使なのです。
    小町 あなたはなさけを知らないのですか? わたしが今死んで御覧なさい。深草ふかくさ少将しょうしょうはどうするでしょう? わたしは少将と約束しました。天に在っては比翼ひよくの鳥、地に在っては連理れんりの枝、――ああ、あの約束を思うだけでも、わたしの胸は張りけるようです。少将はわたしの死んだことを聞けば、きっとなげじにに死んでしまうでしょう。
    使 (つまらなそうに)歎き死が出来れば仕合せです。とにかく一度は恋されたのですから、……しかしそんなことはどうでもよろしい。さあ地獄へおともしましょう。
    小町 いけません。いけません。あなたはまだ知らないのですか? わたしはただの体ではありません。もう少将のたねを宿しているのです。わたしが今死ぬとすれば、子供も、――可愛いわたしの子供も一しょに死ななければなりません。(泣きながら)あなたはそれでもいと云うのですか? やみから闇へ子供をやっても、かまわないと云うのですか?
    使 (ひるみながら)それはお子さんにはお気の毒です。しかし閻魔王えんまおうの命令ですから、どうか一しょに来て下さい。何、地獄も考えるほど、悪いところではありません。昔から名高い美人や才子はたいてい地獄へ行っています。
    小町 あなたはおにです。羅刹らせつです。わたしが死ねば少将も死にます。少将のたねの子供も死にます。三人ともみんな死んでしまいます。いえ、そればかりではありません。年とったわたしの父や母もきっと一しょに死んでしまいます。(一層泣き声を立てながら)わたしは黄泉よみの使でも、もう少し優しいと思っていました。
    使 (迷惑めいわくそうに)わたしはお助け申したいのですが、……
    小町 (生き返ったように顔を上げながら)ではどうか助けて下さい。五年でも十年でもかまいません。どうかわたしの寿命じゅみょうを延ばして下さい。たった五年、たった十年、――子供さえ成人すればいのです。それでもいけないと云うのですか?
    使 さあ、年限はかまわないのですが、――しかしあなたをつれて行かなければ代りが一人入るのです。あなたと同じ年頃の、……
    小町 (興奮こうふんしながら)では誰でもつれて行って下さい。わたしの召使めしつかいの女の中にも、同じ年の女は二三人います。阿漕あこぎでも小松こまつでもかまいません。あなたの気に入ったのをつれて行って下さい。
    使 いや、名前もあなたのように小町と云わなければいけないのです。
    小町 小町! 誰か小町と云う人はいなかったかしら。ああ、います。います。(発作的ほっさてきに笑い出しながら)玉造たまつくり小町こまちと云う人がいます。あの人を代りにつれて行って下さい。
    使 年もあなたと同じくらいですか?
    小町 ええ、ちょうど同じくらいです。ただ綺麗きれいではありませんが、――器量きりょうなどはどうでもかまわないのでしょう?
    使 (愛想あいそよく)悪い方がいのです。同情しずにすみますから。
    小町 (生き生きと)ではあの人に行って貰って下さい。あの人はこの世にいるよりも、地獄に住みたいと云っています。誰もう人がいないものですから。
    使 よろしい。その人をつれて行きましょう。ではお子さんを大事にして下さい。(得々とくとくと)黄泉の使もなさけだけは心得ているつもりなのです。
    使、突然また消え失せる。
    小町 ああ、やっと助かった! これも日頃信心する神や仏のおはからいであろう。(手を合せる)八百万やおよろずの神々、十方じっぽう諸菩薩しょぼさつ、どうかこのうそげませぬように。

  • 芥川龍之介「猿蟹合戦」物袋綾子朗読

    猿蟹合戦

    芥川龍之介

    かにの握り飯を奪ったさるはとうとう蟹にかたきを取られた。蟹はうすはち、卵と共に、怨敵おんてきの猿を殺したのである。――その話はいまさらしないでもい。ただ猿を仕止めたのち、蟹を始め同志のものはどう云う運命に逢着ほうちゃくしたか、それを話すことは必要である。なぜと云えばお伽噺とぎばなしは全然このことは話していない。
    いや、話していないどころか、あたかも蟹は穴の中に、臼は台所の土間どまの隅に、蜂は軒先のきさきの蜂の巣に、卵は籾殻もみがらの箱の中に、太平無事な生涯でも送ったかのようによそおっている。
    しかしそれはいつわりである。彼等はかたきを取った後、警官の捕縛ほばくするところとなり、ことごとく監獄かんごくに投ぜられた。しかも裁判さいばんを重ねた結果、主犯しゅはん蟹は死刑になり、臼、蜂、卵等の共犯は無期徒刑の宣告を受けたのである。お伽噺とぎばなしのみしか知らない読者はこう云う彼等の運命に、怪訝かいがの念を持つかも知れない。が、これは事実である。寸毫すんごうも疑いのない事実である。
    かには蟹自身の言によれば、握り飯とかきと交換した。が、猿は熟柿じゅくしを与えず、青柿あおがきばかり与えたのみか、蟹に傷害を加えるように、さんざんその柿を投げつけたと云う。しかし蟹は猿とのあいだに、一通の証書も取りわしていない。よしまたそれは不問ふもんに附しても、握り飯と柿と交換したと云い、熟柿とは特にことわっていない。最後に青柿を投げつけられたと云うのも、猿に悪意があったかどうか、そのへんの証拠は不十分である。だから蟹の弁護に立った、雄弁の名の高い某弁護士も、裁判官の同情を乞うよりほかに、策の出づるところを知らなかったらしい。その弁護士は気の毒そうに、蟹の泡を拭ってやりながら、「あきらめ給え」と云ったそうである。もっともこの「あきらめ給え」は、死刑の宣告を下されたことをあきらめ給えと云ったのだか、弁護士に大金たいきんをとられたことをあきらめ給えと云ったのだか、それは誰にも決定出来ない。
    その上新聞雑誌の輿論よろんも、蟹に同情を寄せたものはほとんど一つもなかったようである。蟹の猿を殺したのは私憤しふんの結果にほかならない。しかもその私憤たるや、おのれの無知と軽卒けいそつとから猿に利益を占められたのを忌々いまいましがっただけではないか? 優勝劣敗の世の中にこう云う私憤をらすとすれば、愚者にあらずんば狂者である。――と云う非難が多かったらしい。現に商業会議所会頭某男爵だんしゃくのごときは大体かみのような意見と共に、蟹の猿を殺したのも多少は流行の危険思想にかぶれたのであろうと論断した。そのせいか蟹の仇打かたきうち以来、某男爵は壮士のほかにも、ブルドッグを十頭ったそうである。
    かつまた蟹の仇打ちはいわゆる識者のあいだにも、一向いっこう好評を博さなかった。大学教授某博士はかせは倫理学上の見地から、蟹の猿を殺したのは復讐ふくしゅうの意志にたものである、復讐は善と称し難いと云った。それから社会主義の某首領は蟹は柿とか握り飯とか云う私有財産を難有ありがたがっていたから、臼や蜂や卵なども反動的思想を持っていたのであろう、事によると尻押しりおしをしたのは国粋会こくすいかいかも知れないと云った。それから某宗ぼうしゅうの管長某師は蟹は仏慈悲ぶつじひを知らなかったらしい、たとい青柿を投げつけられたとしても、仏慈悲を知っていさえすれば、猿の所業を憎む代りに、かえってそれを憐んだであろう。ああ、思えば一度でもいから、わたしの説教を聴かせたかったと云った。それから――また各方面にいろいろ批評する名士はあったが、いずれも蟹の仇打ちには不賛成ふさんせいの声ばかりだった。そう云う中にたった一人、蟹のために気を吐いたのは酒豪しゅごう兼詩人の某代議士である。代議士は蟹の仇打ちは武士道の精神と一致すると云った。しかしこんな時代遅れの議論は誰の耳にもとまるはずはない。のみならず新聞のゴシップによると、その代議士は数年以前、動物園を見物中、猿に尿いばりをかけられたことを遺恨いこんに思っていたそうである。
    伽噺とぎばなししか知らない読者は、悲しい蟹の運命に同情の涙を落すかも知れない。しかし蟹の死は当然である。それを気の毒に思いなどするのは、婦女童幼のセンティメンタリズムに過ぎない。天下は蟹の死をなりとした。現に死刑の行われた、判事、検事、弁護士、看守かんしゅ、死刑執行人、教誨師きょうかいし等は四十八時間熟睡したそうである。その上皆夢の中に、天国の門を見たそうである。天国は彼等の話によると、封建時代の城に似たデパアトメント・ストアらしい。
    ついでに蟹の死んだのち、蟹の家庭はどうしたか、それも少し書いて置きたい。蟹の妻は売笑婦ばいしょうふになった。なった動機は貧困のためか、彼女自身の性情のためか、どちらかいまだに判然しない。蟹の長男は父の没後、新聞雑誌の用語を使うと、「飜然ほんぜんと心を改めた。」今は何でもある株屋の番頭か何かしていると云う。この蟹はある時自分の穴へ、同類の肉を食うために、怪我けがをした仲間を引きずりこんだ。クロポトキンが相互扶助論そうごふじょろんの中に、蟹も同類をいたわると云う実例を引いたのはこの蟹である。次男の蟹は小説家になった。勿論もちろん小説家のことだから、女にれるほかは何もしない。ただ父蟹の一生を例に、善は悪の異名いみょうであるなどと、加減かげんな皮肉を並べている。三男の蟹は愚物ぐぶつだったから、蟹よりほかのものになれなかった。それが横這よこばいに歩いていると、握り飯が一つ落ちていた。握り飯は彼の好物だった。彼は大きいはさみの先にこの獲物えものを拾い上げた。すると高い柿の木のこずえしらみを取っていた猿が一匹、――その先は話す必要はあるまい。
    とにかく猿と戦ったが最後、蟹は必ず天下のために殺されることだけは事実である。語を天下の読者に寄す。君たちもたいてい蟹なんですよ。

  • 坂口安吾「アンゴウ」萩柚月朗読

    アンゴウ

    坂口安吾

    矢島は社用で神田へでるたび、いつもするように、古本屋をのぞいて歩いた。すると、太田亮氏著「日本古代に於ける社会組織の研究」が目についたので、とりあげた。
    一度は彼も所蔵したことのある本であるが、出征中戦火でキレイに蔵書を焼き払ってしまった。失われた書物に再会するのはなつかしいから手にとらずにいられなくなるけれども、今さら一冊二冊買い戻してみてもと、買う気持にもならない。そのくせ別れづらくもあり、ほろにがいものだ。
    頁をくると、扉に「神尾蔵書」と印がある。見覚えのある印である。戦死した旧友の蔵本に相違ない。彼の留守宅も戦火にやかれ、その未亡人は仙台の実家にもどっている筈であった。
    矢島はなつかしさに、その本を買った。社へもどって、ひらいてみると、頁の間から一枚の見覚えのある用箋が現れた。魚紋書館の用箋だ。矢島も神尾も出征まではそこの編輯部につとめていたのだ。紙面には次のように数字だけ記されていた。
    [#ここから横組み]
    34 14 14
    37 1 7
    36 4 10
    54 11 2
    370 1 2
    366 2 4
    370 1 1
    369 3 1
    367 9 6
    365 10 3
    365 10 7
    365 11 4
    365 10 9
    368 6 2
    370 10 7
    367 6 1
    370 4 1
    心覚えに頁を控えたものかと思ったが、同じ数字がそろっているから、そうでもないらしい。まさか暗号ではあるまいが、ヒマな時だから、ふとためす気持になって、三十四頁十四行十四宇目、四字まですゝむと、彼はにわかに緊張した。語をなしているからだ。
    「いつもの処にいます七月五日午後三時」
    全部でこういう文句になる。あきらかに暗号だ。
    神尾は達筆な男であったが、この数字はあまり見事な手蹟じゃなく、どうやら女手らしい様子である。然し、この本が疎開に当って他に売られたにしても、魚紋書館の用箋だから、この暗号が神尾に関係していることは先ず疑いがないようだ。
    用箋は四つに折られている。すると彼の恋人からの手紙らしい。
    矢島は神尾と最も親しい友達だった。それというのも二人の趣味が同じで、歴史、特に神代の民族学的研究に興味をそゝいでいた。文献を貸し合ったり、研究を報告し合ったり、お揃いで研究旅行にでかけることも屡々しばしばだった。それはどの親しさだから、お互に生活の内幕も知りあい、友人もほゞ共通していたが、さて、ふりかえると、趣味上の友人は二人だけで、魚紋書館の社員の中に同好の士は見当らない。のみならず、この本は殆ど市場に見かけることのできなかったもので、矢島は古くから蔵していたが、たしか神尾が手に入れたのは、矢島が出征する直前ぐらいであったような記憶がある。
    それに矢島が出征するまで、神尾に恋人があったという話をきかない。そのことがあれば、細君には隠しても、矢島にだけは告白している筈であった。
    矢島の出征は昭和十九年三月二日、神尾は翌二十年二月に出征して、北支へ渡って戦死している。してみると、この七月五日は、矢島が出征したあとの十九年のその日であるに相違ない。
    矢島は社の用箋を持ち帰って使っていた。他の社員もみなそうで、当時は紙が店頭にないのであるから、銘々が自宅へ持ちこむ量も長期のストックを見こんでおり、矢島の出征後の留守宅にも少からぬこの用箋が残されていた筈であった。
    矢島は妻のタカ子のことを考える。神尾の知人にこの本を蔵しているのは矢島の留守宅だけであり、そして、そこにはこの用箋もあったのだ。
    神尾は軽薄な人ではなかった。漁色漢でもなかった。然し、浮気心のない人間は存在せず、その可能性をもたない人は有り得ない。
    矢島が復員してみると、タカ子は失明して実家にいた。自宅に直撃をうけ、その場に失明して倒れたタカ子はタンカに運ばれて助かったが、そのドサクサに二人の子供と放れたまゝ、どこで死んだか、二人の子供の消息はそのまゝ絶えてしまっていた。
    病院へ収容されたタカ子が実家とレンラクがついて、父が上京した時は罹災の日から二週間あまりすぎており、父に焼跡を見てもらったが、何一つ手がゝりはなかったそうだ。
    タカ子の顔の焼痕は注意して眺めなければ認めることができないほど昔のまゝに治っていたが、両眼の失明は取り返すことができなかった。
    神尾は戦死した。タカ子は失明した。天罰の致すところだと考えている自分に気づいて、矢島はあさましいと思ったが、苦痛の念はやりきれないものがあった。
    タカ子の書いた暗号だという確証はないのだから、まして一人は失明し、一人は死んだ今となって、過去をほじくることもない。戦争が一つの悪夢なんだから、と気持をととのえるように努力して、買った本は家へ持って帰ったが、片隅へ押しこんで、タカ子に一切知らせないつもりであった。けれども、そういう心労が却って重荷になってきて、なまじいに自分の胸ひとつにたたんでおくために、秘密になやむ苦しさが積み重なってくるように思われた。
    そのうちに、矢島はふと気がついた。出征するまで、タカ子はいつも矢島の左側に寄りそってきた。新婚のころの甘い追憶がタカ子に残り、ひとつの習性をなしているのだ。
    夜ふけて矢島が机に向い読書にふけっている。タカ子が寄りそう。矢島は読書の手をやすめて、タカ子にくちづけをしてやる。そして、くすぐったり、キャア/\笑いさざめいて、たあいもない新婚の日夜を明け暮れしたが、当時から、タカ子は必ず矢島の左側に寄り添うのであった。寝室でも、タカ子はいつも良人の左側に自分の枕を用意した。
    新婚は、新しい世界をひらいてくれる。矢島はタカ子がひらいてくれた女の世界を賞玩した。時には、好奇し、探究慾を起しもした。そういう新しい好奇の世界で、タカ子がいつも左側へ寄りそい、左側へねる、ハンで捺したように狂いのないその習性について思いめぐらしてみたものだ。本能である筈はない。古来からのシキタリがあり、タカ子はそれを教えられており、自分だけが知らないのかとも考えたが、二十年ちかくも史書に親しんでそれらしい故実を読んだこともないから、たぶんそうでもないのだろう。
    してみると、男の右手が愛撫の手というわけであろうか。そう考えると、タカ子の左側ということが、あまり動物の本能めいて、たのしい想像ではなかったが、事実に於て右側では自分自身カッコウがつかないような感じもするから、別に深い意味のない感じの世界から発して、二人の習慣が自然に固定しただけのことかも知れなかった。
    ところが戦争から戻ってみると、タカ子は左側へ寄りそったり、右側へ寄りそったり、ねむる時にも左右不定になっていた。然し、それもムリがない。タカ子は失明しているのだから。矢島はそう考えていた。
    然し、暗号の手紙から、それからそれへと思いめぐらすうち、矢島はふと怖しいことに気がついて、一時は混乱のために茫然としたものである。
    神尾は左ギッチョであった。

    青空文庫より

  • 芥川龍之介「文放古」海渡みなみ朗読

    文放古

    芥川龍之介

     これは日比谷公園のベンチの下に落ちていた西洋紙に何枚かの文放古ふみほごである。わたしはこの文放古を拾った時、わたし自身のポケットから落ちたものとばかり思っていた。が、のちに出して見ると、誰か若い女へよこした、やはり誰か若い女の手紙だったことを発見した。わたしのこう云う文放古に好奇心を感じたのは勿論もちろんである。のみならず偶然目についた箇所は余人は知らずわたし自身には見逃しのならぬ一行いちぎょうだった。――
    「芥川龍之介と来た日には大莫迦おおばかだわ。」!
    わたしはある批評家の云ったように、わたしの「作家的完成を棒にふるほど懐疑的かいぎてき」である。就中なかんずくわたし自身の愚には誰よりも一層いっそう懐疑的である。「芥川龍之介と来た日には大莫迦おおばかだわ!」何と云うお転婆てんばらしい放言であろう。わたしは心頭に発した怒火を一生懸命におさえながら、とにかく一応いちおうは彼女の論拠に点検を加えようと決心した。しもかかげるのはこの文放古を一字も改めずに写したものである。

    「……あたしの生活の退屈たいくつさ加減はお話にも何にもならないくらいよ。何しろ九州の片田舎かたいなかでしょう。芝居はなし、展覧会はなし、(あなたは春陽会しゅんようかいへいらしって? らしったら、今度知らせて頂戴ちょうだい。あたしは何だか去年よりもずっとさそうな気がしているの)音楽会はなし、講演会はなし、どこへ行って見るってところもない始末なのよ。おまけにこのまちの智識階級はやっと徳富蘆花とくとみろか程度なのね。きのうも女学校の時のお友達に会ったら、今時分やっと有島武郎ありしまたけおを発見した話をするんじゃないの? そりゃあなた、なさけないものよ。だからあたしも世間並せけんなみに、裁縫さいほうをしたり、割烹かっぽうをやったり、妹の使うオルガンをいたり、一度読んだ本を読み返したり、うちにばかりぼんやり暮らしているの。まああなたの言葉を借りればアンニュイそれ自身のような生活だわね。
    「それだけならばまだいでしょう。そこへまた時々親戚しんせきなどから結婚問題を持って来るのよ。やれ県会議員の長男だとか、やれ鉱山やま持ちのおいだとか、写真ばかりももう十枚ばかり見たわ。そうそう、その中には東京に出ている中川の息子の写真もあってよ。いつかあなたに教えて上げたでしょう。あのカフェの女給じょきゅうか何かと大学の中を歩いていた、――あいつも秀才でとおっているのよ。加減かげん人を莫迦ばかにしているじゃないの? だからあたしはそう云ってやるのよ。『あたしも結婚しないとは云いません。けれども結婚する時には誰の評価を信頼するよりも先にあたし自身の評価を信頼します。その代りに将来の幸不幸はあたし一人責任を負いますから』って。
    「けれどももう来年になれば、弟も商大を卒業するし、妹も女学校の四年になるでしょう。それやこれやを考えて見ると、あたし一人結婚しないってことはどうもちょっとむずかしいらしいの。東京じゃそんなことは何でもないのね。それをこのまちじゃ理解もなしに、さも弟だの妹だのの結婚を邪魔じゃまでもするために片づかずにいるように考えるんでしょう。そう云う悪口わるくちを云われるのはずいぶんあなた、たまらないものよ。
    「そりゃあたしはあなたのようにピアノを教えることも出来ないんだし、いずれは結婚するほかに仕かたのないことも知っているわ。けれどもどう云う男とでも結婚するわけにはかないじゃないの? それをこの市じゃ何かと云うと、『理想の高い』せいにしてしまうのよ。『理想の高い』! 理想って言葉にさえ気の毒だわね。この市じゃ夫の候補者こうほしゃのほかには理想って言葉を使わないんですもの。そのまた候補者の御立派ごりっぱなことったら! そりゃあなたに見せたいくらいよ。ちょっと一例を挙げて見ましょうか? 県会議員の長男は銀行か何かへ出ているのよ。それがだいのピュリタンなの。ピュリタンなのはいけれども、お屠蘇とそろくに飲めない癖に、禁酒会の幹事をしているんですって。もともと下戸げこに生まれたんなら、禁酒会へはいるのも可笑おかしいじゃないの? それでも御当人は大真面目おおまじめに禁酒演説えんぜつなんぞをやっているんですって。
    「もっとも候補者は一人残らず低能児ていのうじばかりってわけでもないのよ。両親の一番気に入っている電燈会社の技師なんぞはとにかく教育のある青年らしいの。顔もちょっと見た所はクライスラアに似ているわね。この山本って人は感心に社会問題の研究をしているんですって。けれど芸術だの哲学だのには全然興味のない人なのよ。おまけに道楽どうらく大弓だいきゅう浪花節なにわぶしとだって云うんじゃないの? それでもさすがに浪花節だけはい趣味じゃないと思っていたんでしょう。あたしの前じゃ浪花節のなの字も云わずにすましていたの。ところがいつかあたしの蓄音機ちくおんきへガリ・クルチやカルソウをかけて聞かせたら、うっかり『虎丸とらまるはないんですか?』ってお里をあらわしてしまったのよ。まだもっと可笑おかしいのはあたしのうちの二階へあがると、最勝寺さいしょうじの塔が見えるんでしょう。そのまた塔の霞の中に九輪くりんだけ光らせているところは与謝野晶子よさのあきこでも歌いそうなのよ。それを山本って人の遊びに来た時に『山本さん。塔が見えるでしょう?』って教えてやったら、『ああ、見えます。何メエトルくらいありますかなあ』って真面目まじめに首をひねっているの。低能児ていのうじじゃないって云ったけれども、芸術的にはまあ低能児だわね。
    「そう云う点のわかっているのは文雄ふみおってあたしの従兄いとこなのよ。これは永井荷風ながいかふうだの谷崎潤一郎たにざきじゅんいちろうだのを読んでいるの。けれども少し話し合って見ると、やっぱり田舎いなかの文学通だけにどこか見当が違っているのね。たとえば「大菩薩峠だいぼさつとうげ」なんぞも一代の傑作だと思っているのよ。そりゃまだいにしても、評判の遊蕩児ゆうとうじと来ているんでしょう。そのために何でも父の話じゃ、禁治産きんじさんか何かになりそうなんですって。だから両親もあたしの従兄には候補者の資格を認めていないの。ただ従兄の父親だけは――つまりあたしの叔父おじだわね。叔父だけはよめに貰いたいのよ。それも表向きには云われないものだから、内々ないないあたしへ当って見るんでしょう。そのまた言い草がいじゃないの?『お前さんにでも来て貰えりゃ、あいつの極道ごくどうもやみそうだから』ですって。親ってみんなそう云うものか知ら? それにしてもずいぶん利己主義者だわね。つまり叔父の考えにすりゃ、あたしは主婦と云うよりも、従兄の遊蕩をやめさせる道具に使われるだけなんですもの。ほんとうにあきれ返ってものも云われないわ。
    「こう云う結婚難の起るにつけても、しみじみあたしの考えることは日本の小説家の無力さ加減だわね。教育を受けた、向上した、そのために教養の乏しい男を夫に選ぶことは困難になった、――こう云う結婚難にっているのはきっとあたし一人ぎりじゃないわ。日本中どこにもいるはずだわ。けれども日本の小説家は誰もこう云う結婚難に悩んでいる女性を書かないじゃないの? ましてこう云う結婚難を解決する道を教えないじゃないの? そりゃ結婚したくなければ、しないのに越したことはないわけだわね。それでも結婚しないとすれば、たといこのまちにいるように莫迦莫迦ばかばかしい非難は浴びないにしろ、自活だけは必要になって来るでしょう。ところがあたしたちの受けているのは自活にえんのない教育じゃないの? あたしたちの習った外国語じゃ家庭教師もつとまらないし、あたしたちの習った編物あみものじゃ下宿代も満足に払われはしないわ。するとやっぱり軽蔑けいべつする男と結婚するほかはないことになるわね。あたしはこれはありふれたようでも、ずいぶん大きい悲劇だと思うの。(実際またありふれているとすれば、それだけになおさら恐ろしいじゃないの?)名前は結婚って云うけれども、ほんとうは売笑婦ばいしょうふに身を売るのと少しも変ってはいないと思うの。
    「けれどもあなたはあたしと違って、立派に自活してかれるんでしょう。そのくらいうらやましいことはありはしないわ。いいえ、実はあなたどころじゃないのよ。きのう母と買いものに行ったら、あたしよりも若い女が一人ひとり、邦文タイプライタアをたたいていたの。あの人さえあたしにくらべれば、どのくらい仕合せだろうと思ったりしたわ。そうそう、あなたは何よりもセンティメンタリズムが嫌いだったわね。じゃもう詠歎えいたんはやめにして上げるわ。……
    「それでも日本の小説家の無力さ加減だけは攻撃させて頂戴ちょうだい。あたしはこう云う結婚難を解決する道を求めながら、一度読んだ本を読み返して見たの。けれどもあたしたちの代弁者だいべんしゃ※(「言+虚」、第4水準2-88-74)うそのように一人もいないじゃないの? 倉田百三くらたひゃくぞう菊池寛きくちかん久米正雄くめまさお武者小路実篤むしゃのこうじさねあつ里見※(「弓+椁のつくり」、第3水準1-84-22)さとみとん佐藤春夫さとうはるお吉田絃二郎よしだげんじろう野上弥生のがみやよい、――一人残らず盲目めくらなのよ。そう云う人たちはまだいとしても、芥川龍之介と来た日には大莫迦おおばかだわ。あなたは『ろくみやの姫君』って短篇を読んではいらっしゃらなくって? (作者曰く、京伝三馬きょうでんさんばの伝統に忠実ならんと欲するわたしはこの機会に広告を加えなければならぬ。『六の宮の姫君』は短篇集『春服しゅんぷく』に収められている。発行書肆しょしは東京春陽堂しゅんようどうである)作者はその短篇の中に意気地いくじのないお姫様ひめさまののしっているの。まあ熱烈に意志しないものは罪人よりもいやしいと云うらしいのね。だって自活に縁のない教育を受けたあたしたちはどのくらい熱烈に意志したにしろ、実行する手段はないんでしょう。お姫様もきっとそうだったと思うわ。それを得意そうにののしったりするのは作者の不見識ふけんしきを示すものじゃないの? あたしはその短篇を読んだ時ほど、芥川龍之介を軽蔑けいべつしたことはないわ。……」

    この手紙を書いたどこかの女は一知半解いっちはんかいのセンティメンタリストである。こう云う述懐じゅっかいをしているよりも、タイピストの学校へはいるために駆落かけおちを試みるに越したことはない。わたしは大莫迦おおばかと云われた代りに、勿論もちろん彼女を軽蔑した。しかしまた何か同情に似た心もちを感じたのも事実である。彼女は不平を重ねながら、しまいにはやはり電燈会社の技師か何かと結婚するであろう。結婚したのちはいつのまにか世間並せけんなみの細君に変るであろう。浪花節なにわぶしにも耳を傾けるであろう。最勝寺さいしょうじの塔も忘れるであろう。ぶたのように子供をみつづけ――わたしは机の抽斗ひきだしの奥へばたりとこの文放古ふみほごほうりこんだ。そこにはわたし自身の夢も、古い何本かの手紙と一しょにそろそろもう色を黄ばませている。……

  • 太宰治 「 雪の夜の話」 海渡みなみ朗読

    雪の夜の話

    太宰治

    あの日、朝から、雪が降っていたわね。もうせんから、とりかかっていたおツルちゃん(めい)のモンペが出来あがったので、あの日、学校の帰り、それをとどけに中野の叔母さんのうちに寄ったの。そうして、スルメを二枚お土産にもらって、吉祥寺きちじょうじ駅に着いた時には、もう暗くなっていて、雪は一尺以上も積り、なおその上やまずひそひそと降っていました。私は長靴をはいていたので、かえって気持がはずんで、わざと雪の深く積っているところを選んで歩きました。おうちの近くのポストのところまで来て、小脇にかかえていたスルメの新聞包が無いのに気がつきました。私はのんき者の抜けさんだけれども、それでも、ものを落したりなどした事はあまり無かったのに、その夜は、降り積る雪に興奮してはしゃいで歩いていたせいでしょうか、落しちゃったの。私は、しょんぼりしてしまいました。スルメを落してがっかりするなんて、下品な事で恥ずかしいのですが、でも、私はそれをおねえさんにあげようと思っていたの。うちのお嫂さんは、ことしの夏に赤ちゃんを生むのよ。おなかに赤ちゃんがいると、とてもおなかがくんだって。おなかの赤ちゃんと二人ぶん食べなければいけないのね。お嫂さんは私と違って身だしなみがよくてお上品なので、これまではそれこそ「カナリヤのお食事」みたいに軽く召上って、そうして間食なんて一度もなさった事は無いのに、このごろはおなかが空いて、恥ずかしいとおっしゃって、それからふっと妙なものを食べたくなるんですって。こないだもお嫂さんは私と一緒にお夕食の後片附あとかたづけをしながら、ああ口がにがいにがい、スルメか何かしゃぶりたいわ、と小さい声で言って溜息ためいきをついていらしたのを私は忘れていないので、その日偶然、中野の叔母さんからスルメを二枚もらって、これはお嫂さんにこっそり上げましょうとたのしみにして持って来たのに、落しちゃって、私はしょんぼりしてしまいました。
    ご存じのように、私の家は兄さんとお嫂さんと私と三人暮しで、そうして兄さんは少しお変人の小説家で、もう四十ちかくなるのにちっとも有名でないし、そうしていつも貧乏で、からだ工合が悪いと言って寝たり起きたり、そのくせ口だけは達者で、何だかんだとうるさく私たちに口こごとを言い、そうしてただ口で言うばかりでご自分はちっとも家の事に手助けしてくれないので、お嫂さんは男の力仕事までしなければならず、とても気の毒なんです。或る日、私は義憤を感じて、
    「兄さん、たまにはリュックサックをしょって、野菜でも買って来て下さいな。よその旦那さまは、たいていそうしているらしいわよ。」
    と言ったら、ぶっとふくれて、
    「馬鹿野郎! おれはそんな下品な男じゃない。いいかい、きみ子(お嫂さんの名前)もよく覚えて置け。おれたち一家がにしかけても、おれはあんな、あさましい買い出しなんかに出掛けやしないのだから、そのつもりでいてくれ。それはおれの最後の誇りなんだ。」
    なるほど御覚悟は御立派ですが、でも兄さんの場合、お国のためを思って買い出し部隊を憎んで居られるのか、ご自分の不精から買い出しをいやがって居られるのか、ちょっとわからないところがございます。私の父も母も東京の人間ですが、父は東北の山形のお役所に長くつとめていて、兄さんも私も山形で生れ、お父さんは山形でなくなられ、兄さんが二十はたちくらい、私がまだほんの子供でお母さんにおんぶされて、親子三人、また東京へ帰って来て、先年お母さんもなくなって、いまでは兄さんとお嫂さんと私と三人の家庭で、故郷というものもないのですから、他の御家庭のように、たべものを田舎から送っていただくわけにも行かず、また兄さんはお変人で、よそとのお附合いもまるで無いので、思いがけなくめずらしいものが「手にはいる」などという事は全然ありませんし、たかだかスルメ二枚でもお嫂さんに差上げたら、どんなにかお喜びなさる事かと思えば、下品な事でしょうけれども、スルメ二枚が惜しくて、私はくるりと廻れ右して、いま来た雪道をゆっくり歩いて捜しました。けれども、見つかるわけはありません。白い雪道に白い新聞包を見つける事はひどくむずかしい上に、雪がやまず降り積り、吉祥寺の駅ちかくまで引返して行ったのですが、石ころ一つ見あたりませんでした。溜息をついて傘を持ち直し、暗い夜空を見上げたら、雪が百万のほたるのように乱れ狂って舞っていました。きれいだなあ、と思いました。道の両側の樹々は、雪をかぶって重そうに枝を垂れ時々ためいきをつくようにかすかに身動きをして、まるで、なんだか、おとぎばなしの世界にいるような気持になって私は、スルメの事をわすれました。はっと妙案が胸に浮びました。この美しい雪景色を、お嫂さんに持って行ってあげよう。スルメなんかより、どんなによいお土産か知れやしない。たべものなんかにこだわるのは、いやしい事だ。本当に、はずかしい事だ。
    人間の眼玉は、風景をたくわえる事が出来ると、いつか兄さんが教えて下さった。電球をちょっとのあいだ見つめて、それから眼をつぶっても眼蓋まぶたの裏にありありと電球が見えるだろう、それが証拠だ、それに就いて、むかしデンマークに、こんな話があった、と兄さんが次のような短いロマンスを私に教えて下さったが、兄さんのお話は、いつもでたらめばっかりで、少しもあてにならないけれど、でもあの時のお話だけは、たとい兄さんの嘘のつくり話であっても、ちょっといいお話だと思いました。