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  • 夏目漱石「草枕」 三 山口雄介朗読

    Feb 20, 2018

    昨夕ゆうべは妙な気持ちがした。
    宿へ着いたのは夜の八時頃であったから、家の具合ぐあい庭の作り方は無論、東西の区別さえわからなかった。何だか廻廊のような所をしきりに引き廻されて、しまいに六畳ほどの小さな座敷へ入れられた。むかし来た時とはまるで見当が違う。晩餐ばんさんを済まして、湯にって、へやへ帰って茶を飲んでいると、小女こおんなが来てとこべよかとう。
    不思議に思ったのは、宿へ着いた時の取次も、晩食ばんめしの給仕も、湯壺ゆつぼへの案内も、床を敷く面倒も、ことごとくこの小女一人で弁じている。それで口は滅多めったにきかぬ。と云うて、田舎染いなかじみてもおらぬ。赤い帯を色気いろけなく結んで、古風な紙燭しそくをつけて、廊下のような、梯子段はしごだんのような所をぐるぐる廻わらされた時、同じ帯の同じ紙燭で、同じ廊下とも階段ともつかぬ所を、何度もりて、湯壺へ連れて行かれた時は、すでに自分ながら、カンヴァスの中を往来しているような気がした。
    給仕の時には、近頃は客がないので、ほかの座敷は掃除がしてないから、普段ふだん使っている部屋で我慢してくれと云った。床を延べる時にはゆるりと御休みと人間らしい、言葉を述べて、出て行ったが、その足音が、例の曲りくねった廊下を、次第に下の方へとおざかった時に、あとがひっそりとして、人のがしないのが気になった。
    生れてから、こんな経験はただ一度しかない。昔し房州ぼうしゅう館山たてやまから向うへ突き抜けて、上総かずさから銚子ちょうしまで浜伝いに歩行あるいた事がある。その時ある晩、ある所へ宿とまった。ある所と云うよりほかに言いようがない。今では土地の名も宿の名も、まるで忘れてしまった。第一宿屋へとまったのかが問題である。むねの高い大きな家に女がたった二人いた。余がとめるかと聞いたとき、年を取った方がはいと云って、若い方がこちらへと案内をするから、ついて行くと、荒れ果てた、広いをいくつも通り越して一番奥の、中二階ちゅうにかいへ案内をした。三段登って廊下から部屋へ這入はいろうとすると、板庇いたびさしの下にかたむきかけていた一叢ひとむら修竹しゅうちくが、そよりと夕風を受けて、余の肩から頭をでたので、すでにひやりとした。椽板えんいたはすでにちかかっている。来年はたけのこが椽を突き抜いて座敷のなかは竹だらけになろうと云ったら、若い女が何にも云わずににやにやと笑って、出て行った。
    その晩は例の竹が、枕元で婆娑ばさついて、寝られない。障子しょうじをあけたら、庭は一面の草原で、夏の夜の月明つきあきらかなるに、眼をしらせると、垣もへいもあらばこそ、まともに大きな草山に続いている。草山の向うはすぐ大海原おおうなばらでどどんどどんと大きななみが人の世を威嚇おどかしに来る。余はとうとう夜の明けるまで一睡もせずに、怪し気な蚊帳かやのうちに辛防しんぼうしながら、まるで草双紙くさぞうしにでもありそうな事だと考えた。
    その旅もいろいろしたが、こんな気持になった事は、今夜この那古井へ宿るまではかつて無かった。
    仰向あおむけに寝ながら、偶然目をけて見ると欄間らんまに、朱塗しゅぬりのふちをとったがくがかかっている。文字もじは寝ながらも竹影ちくえい払階かいをはらって塵不動ちりうごかずと明らかに読まれる。大徹だいてつという落款らっかんもたしかに見える。余は書においては皆無鑒識かいむかんしきのない男だが、平生から、黄檗おうばく高泉和尚こうせんおしょう筆致ひっちを愛している。隠元いんげん即非そくひ木庵もくあんもそれぞれに面白味はあるが、高泉こうせんの字が一番蒼勁そうけいでしかも雅馴がじゅんである。今この七字を見ると、筆のあたりから手の運び具合、どうしても高泉としか思われない。しかしげんに大徹とあるからには別人だろう。ことによると黄檗に大徹という坊主がいたかも知れぬ。それにしては紙の色が非常に新しい。どうしても昨今のものとしか受け取れない。
    横を向く。とこにかかっている若冲じゃくちゅうの鶴の図が目につく。これは商売柄しょうばいがらだけに、部屋に這入はいった時、すでに逸品いっぴんと認めた。若冲の図は大抵精緻せいちな彩色ものが多いが、この鶴は世間に気兼きがねなしの一筆ひとふでがきで、一本足ですらりと立った上に、卵形たまごなりの胴がふわっとのっかっている様子は、はなはだ吾意わがいを得て、飄逸ひょういつおもむきは、長いはしのさきまでこもっている。床の隣りは違い棚を略して、普通の戸棚につづく。戸棚の中には何があるか分らない。
    すやすやと寝入る。夢に。
    長良ながら乙女おとめが振袖を着て、青馬あおに乗って、峠を越すと、いきなり、ささだ男と、ささべ男が飛び出して両方から引っ張る。女が急にオフェリヤになって、柳の枝へのぼって、河の中を流れながら、うつくしい声で歌をうたう。救ってやろうと思って、長い竿さおを持って、向島むこうじま追懸おっかけて行く。女は苦しい様子もなく、笑いながら、うたいながら、行末ゆくえも知らず流れを下る。余は竿をかついで、おおいおおいと呼ぶ。
    そこで眼がめた。わきの下から汗が出ている。妙に雅俗混淆がぞくこんこうな夢を見たものだと思った。昔しそう大慧禅師だいえぜんじと云う人は、悟道ののち、何事も意のごとくに出来ん事はないが、ただ夢の中では俗念が出て困ると、長い間これを苦にされたそうだが、なるほどもっともだ。文芸を性命せいめいにするものは今少しうつくしい夢を見なければはばかない。こんな夢では大部分画にも詩にもならんと思いながら、寝返りを打つと、いつの間にか障子しょうじに月がさして、木の枝が二三本ななめに影をひたしている。えるほどの春のだ。
    気のせいか、誰か小声で歌をうたってるような気がする。夢のなかの歌が、この世へ抜け出したのか、あるいはこの世の声が遠き夢の国へ、うつつながらにまぎれ込んだのかと耳をそばだてる。たしかに誰かうたっている。細くかつ低い声には相違ないが、眠らんとする春の一縷いちるの脈をかすかにたせつつある。不思議な事に、その調子はとにかく、文句をきくと――枕元でやってるのでないから、文句のわかりようはない。――その聞えぬはずのものが、よく聞える。あきづけば、をばなが上に、おく露の、けぬべくもわは、おもほゆるかもと長良ながら乙女おとめの歌を、繰り返し繰り返すように思われる。
    初めのうちはえんに近く聞えた声が、しだいしだいに細く遠退とおのいて行く。突然とやむものには、突然の感はあるが、あわれはうすい。ふっつりと思い切ったる声をきく人の心には、やはりふっつりと思い切ったる感じが起る。これと云う句切りもなく自然じねんほそりて、いつの間にか消えるべき現象には、われもまたびょうを縮め、ふんいて、心細さの細さが細る。死なんとしては、死なんとする病夫びょうふのごとく、消えんとしては、消えんとする灯火とうかのごとく、今やむか、やむかとのみ心を乱すこの歌の奥には、天下の春のうらみをことごとくあつめたる調べがある。
    今まではとこの中に我慢して聞いていたが、聞く声の遠ざかるに連れて、わが耳は、釣り出さるると知りつつも、その声を追いかけたくなる。細くなればなるほど、耳だけになっても、あとをしたって飛んで行きたい気がする。もうどう焦慮あせっても鼓膜こまくこたえはあるまいと思う一刹那いっせつなの前、余はたまらなくなって、われ知らず布団ふとんをすり抜けると共にさらりと障子しょうじけた。途端とたんに自分のひざから下がななめに月の光りを浴びる。寝巻ねまきの上にも木の影が揺れながら落ちた。
    障子をあけた時にはそんな事には気がつかなかった。あの声はと、耳の走る見当を見破ると――向うにいた。花ならば海棠かいどうかと思わるる幹をに、よそよそしくも月の光りを忍んで朦朧もうろうたる影法師かげぼうしがいた。あれかと思う意識さえ、しかとは心にうつらぬ間に、黒いものは花の影を踏みくだいて右へ切れた。わがいる部屋つづきのむねかどが、すらりと動く、せいの高い女姿を、すぐにさえぎってしまう。
    借着かりぎ浴衣ゆかた一枚で、障子へつらまったまま、しばらく茫然ぼうぜんとしていたが、やがて我に帰ると、山里の春はなかなか寒いものと悟った。ともかくもと抜け出でた布団の穴に、再び帰参きさんして考え出した。くくまくらのしたから、袂時計たもとどけいを出して見ると、一時十分過ぎである。再び枕の下へ押し込んで考え出した。よもや化物ばけものではあるまい。化物でなければ人間で、人間とすれば女だ。あるいは此家ここの御嬢さんかも知れない。しかし出帰でがえりの御嬢さんとしては夜なかに山つづきの庭へ出るのがちと不穏当ふおんとうだ。何にしてもなかなか寝られない。枕の下にある時計までがちくちく口をきく。今まで懐中時計の音の気になった事はないが、今夜に限って、さあ考えろ、さあ考えろと催促するごとく、寝るな寝るなと忠告するごとく口をきく。しからん。
    こわいものもただ怖いものそのままの姿と見れば詩になる。すごい事も、おのれを離れて、ただ単独に凄いのだと思えばになる。失恋が芸術の題目となるのも全くその通りである。失恋の苦しみを忘れて、そのやさしいところやら、同情の宿やどるところやら、うれいのこもるところやら、一歩進めて云えば失恋の苦しみそのもののあふるるところやらを、単に客観的に眼前がんぜんに思い浮べるから文学美術の材料になる。世には有りもせぬ失恋を製造して、みずからいて煩悶はんもんして、愉快をむさぼるものがある。常人じょうにんはこれを評してだと云う、気違だと云う。しかし自から不幸の輪廓をえがいてこのんでそのうち起臥きがするのは、自から烏有うゆうの山水を刻画こくがして壺中こちゅう天地てんちに歓喜すると、その芸術的の立脚地りっきゃくちを得たる点において全く等しいと云わねばならぬ。この点において世上幾多の芸術家は(日常の人としてはいざ知らず)芸術家として常人よりも愚である、気違である。われわれは草鞋旅行わらじたびをするあいだ、朝から晩まで苦しい、苦しいと不平を鳴らしつづけているが、人に向って曾遊そうゆうを説く時分には、不平らしい様子は少しも見せぬ。面白かった事、愉快であった事は無論、昔の不平をさえ得意に喋々ちょうちょうして、したり顔である。これはあえてみずかあざむくの、人をいつわるのと云う了見りょうけんではない。旅行をする間は常人の心持ちで、曾遊を語るときはすでに詩人の態度にあるから、こんな矛盾が起る。して見ると四角な世界から常識と名のつく、一角いっかく磨滅まめつして、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。

    青空文庫 名作文学の朗読

  • 中原中也「その一週間」津田一真朗読

    Feb 20, 2018

    青空文庫 名作文学の朗読

  • 片山廣子「古い伝説」駒形美英朗読

    Feb 13, 2018

    古い伝説

    片山廣子

    いつ、どんな本で読んだ伝説かはつきり覚えてゐない、夢のなかでどこかの景色を見て、蒼ぐらい波の上に白い船が一つみえてゐたやうに、伝説の中の女の姿を思ひ出す、美しい女である。世界最初の女、イヴよりもずつと前にこの世界にゐた美しいリリスである。
    神は七日のあひだに、つまり七千年か七万年か計算することはむづかしいが、天地とその中の万物をお造りなされて、その創作のすべてをよしと御らんになつた。何もかも御心にかなつて美しくいさぎよい物ばかりであつたが、まだ何か足りないやうだつた。わが創作のすべての物よりもつと美しい、もつとわが姿に似たものを一つだけ造つてみよう。それはわが友だちと思つてもよいほどの高貴なものであれと、すべての花より鳥より、木草より、星より月より太陽より、海の波より、山々の霧よりもつとうつくしい優しいもの、もつと華奢なもの、つまり女をお造りなされて、これに神の息を吹きこまれた。だが天地万物と同じやうにこの女には魂を与へられなかつた。女はリリスと呼ばれた。
    魂をもたないリリスは凡ての歓びにみち足りてただ一人イデンの園に生きてゐた。四季の花は咲き、果実も草の実も欲しい物は何でもあつた。鳥たちもけものたちもかれらの声と言葉を以てリリスに仕へ、星のきらめく夕方は神の子たち(天使といはれる種族)が天から地上に遊びに来た。かれらには彼らの声と言葉があつて、天上の友だちや地上の友だちでリリスは寂しいことを知らないでゐた。さうやつて何時を限りとなくリリスは楽園の花のやうに生きてゐたが、満ち足りた彼女には希望がなかつた、だから失望も知らなかつた。しぜん、悲しみを持たないのだつた。リリスは何年か何千年かかうして暮してゐるうちに、ほのかに一つの感情を味つた。それはくたびれたのである。不足のない悲しみのない幸福にくたびれて、ある時彼女ははじめて溜息をついたのであつた。夕風のやうに静かな音もしないものであつたけれど、神のお耳にリリスの溜息がそうつと届いた。あきらかにこの創作が失敗の作であることを神はお悟りになつて
    「リリスよ、あはれな物よ、草臥れたのか? 消えてよろしい、消えよ」とおつしやつた。リリスはそのとき白い波の立つ海辺を歩いてゐたが、たそがれる海の色がリリスの眼に映つた。その翌朝、砂の上に白い水泡が残つてゐるだけで、リリスはこの世界から消えてゐた。
    そのあとで神はアダムといふ男をお造りなされ、イヴといふ女もお作りなされたが、この二人には魂を分け与へられた。ケルトの伝説の中に「アダムの先妻みたいな女」といふやうな言葉が時どき見えて、リリスがアダムの先妻であつたやうにも伝へられてゐるらしいが、まづ聖書の伝説だけにしておく。アダムとイヴは、ことにイヴはその後たびたび溜息をつくことがあつたが、これは憂うつな時に限つてであり、神もその溜息はききのがされたらしい。いそがしい私たちの生活とかけはなれて、こんな古くさい伝説を思ひ出したのは、先日私が渋谷駅でひとりの美しい人を見かけたためである。
    渋谷駅のまだあまり混雑しない午後のホームをいま降りた人たちの中に一人の背高い女がゐた。階段を上がつて来た私はすれ違つておもはず立ち止つたほど美しい人だつた。二十三四であらうか、並はずれて色がしろく、眼は日本人とも外国人ともいへない奇妙な表情をもつてゐた。静かな洋装で、すらりとした脚をさつそうとはこんで行くやうであつたが、私は振り返つて見てゐると、後姿は右に行つても左に行つてもよいやうな、すこし寂しい歩きぶりだつた。現代人は、モダアンな人たちは、みんなその日暮しの気分かしらと思つて私はしばらく見送つてゐた。
    その夜眠る前にまたその美人を考へて、誰かあれに似てゐる人があつたやうだと思つてみたが、誰だか思ひつかないで寝てしまつた。日本人でないやうな眼つきをして、独立独歩といふやうな姿でゐて、どこかたよりない気持を撤きちらしてゆく美しい人、それきり思ひ出せないでゐたが、今日何のはずみか古いリリスの伝説を考へたのである。たぶんあの先日のむすめはリリスに似てゐるのだらうとふいと思つた。現代人の半分はその日ぐらしの気分で生きてゐると聞いてゐたが、渋谷で見たあの人はその尖端を行く人だらう、むかしのリリスもその日暮しであつたから、たぶん彼女のやうな容姿すがたであつたのだらう。
    そんな事が頭にうごいた拍子に、私は今日の貧乏生活が非常にありがたく新しいものに思はれ出した。裸かのまづしい日々に、何か希望をもち、そして失望し、また希望し工夫をし、溜息をし、それを繰り返しくり返して生きることは愉しいと私は急に元気が出た。

    青空文庫 名作文学の朗読

  • 夏目漱石 草枕 二 山口雄介 朗読

    Jan 31, 2018

    「おい」と声を掛けたが返事がない。
    軒下のきしたから奥をのぞくとすすけた障子しょうじが立て切ってある。向う側は見えない。五六足の草鞋わらじさびしそうにひさしからつるされて、屈托気くったくげにふらりふらりと揺れる。下に駄菓子だがしの箱が三つばかり並んで、そばに五厘銭と文久銭ぶんきゅうせんが散らばっている。
    「おい」とまた声をかける。土間のすみに片寄せてあるうすの上に、ふくれていたにわとりが、驚ろいて眼をさます。ククク、クククと騒ぎ出す。敷居の外に土竈どべっついが、今しがたの雨に濡れて、半分ほど色が変ってる上に、真黒な茶釜ちゃがまがかけてあるが、土の茶釜か、銀の茶釜かわからない。幸い下はきつけてある。
    返事がないから、無断でずっと這入はいって、床几しょうぎの上へ腰をおろした。にわとり羽摶はばたきをしてうすから飛び下りる。今度は畳の上へあがった。障子しょうじがしめてなければ奥までけぬける気かも知れない。雄が太い声でこけっこっこと云うと、雌が細い声でけけっこっこと云う。まるで余を狐かいぬのように考えているらしい。床几の上には一升枡いっしょうますほどな煙草盆たばこぼんが閑静に控えて、中にはとぐろをいた線香が、日の移るのを知らぬ顔で、すこぶる悠長ゆうちょういぶっている。雨はしだいに収まる。
    しばらくすると、奥の方から足音がして、すすけた障子がさらりとく。なかから一人の婆さんが出る。
    どうせ誰か出るだろうとは思っていた。へついに火は燃えている。菓子箱の上に銭が散らばっている。線香は呑気のんきに燻っている。どうせ出るにはきまっている。しかし自分の見世みせけ放しても苦にならないと見えるところが、少し都とは違っている。返事がないのに床几に腰をかけて、いつまでも待ってるのも少し二十世紀とは受け取れない。ここらが非人情で面白い。その上出て来た婆さんの顔が気に入った。
    二三年前宝生ほうしょうの舞台で高砂たかさごを見た事がある。その時これはうつくしい活人画かつじんがだと思った。ほうきかついだ爺さんが橋懸はしがかりを五六歩来て、そろりと後向うしろむきになって、婆さんと向い合う。その向い合うた姿勢が今でも眼につく。余の席からは婆さんの顔がほとんどむきに見えたから、ああうつくしいと思った時に、その表情はぴしゃりと心のカメラへ焼き付いてしまった。茶店の婆さんの顔はこの写真に血を通わしたほど似ている。
    「御婆さん、ここをちょっと借りたよ」
    「はい、これは、いっこう存じませんで」
    「だいぶ降ったね」
    「あいにくな御天気で、さぞ御困りで御座んしょ。おおおおだいぶおれなさった。今火をいてかわかして上げましょ」
    「そこをもう少ししつけてくれれば、あたりながら乾かすよ。どうも少し休んだら寒くなった」
    「へえ、ただいま焚いて上げます。まあ御茶を一つ」
    と立ち上がりながら、しっしっと二声ふたこえにわとりを追いげる。こここことけ出した夫婦は、焦茶色こげちゃいろの畳から、駄菓子箱の中を踏みつけて、往来へ飛び出す。雄の方が逃げるとき駄菓子の上へふんれた。
    「まあ一つ」と婆さんはいつのにかり抜き盆の上に茶碗をのせて出す。茶の色の黒くげている底に、一筆ひとふでがきの梅の花が三輪無雑作むぞうさに焼き付けられている。
    「御菓子を」と今度は鶏の踏みつけた胡麻ごまねじと微塵棒みじんぼうを持ってくる。ふんはどこぞに着いておらぬかとながめて見たが、それは箱のなかに取り残されていた。
    婆さんは袖無そでなしの上から、たすきをかけて、へっついの前へうずくまる。余はふところから写生帖を取り出して、婆さんの横顔を写しながら、話しをしかける。
    「閑静でいいね」
    「へえ、御覧の通りの山里やまざとで」
    うぐいすは鳴くかね」
    「ええ毎日のように鳴きます。此辺ここらは夏も鳴きます」
    「聞きたいな。ちっとも聞えないとなお聞きたい」
    「あいにく今日きょうは――先刻さっきの雨でどこぞへ逃げました」
    折りから、竈のうちが、ぱちぱちと鳴って、赤い火がさっと風を起して一尺あまり吹き出す。
    「さあ、あたり。さぞ御寒かろ」と云う。軒端のきばを見ると青い煙りが、突き当ってくずれながらに、かすかなあとをまだ板庇いたびさしにからんでいる。

    青空文庫 名作文学の朗読

  • 太宰治「貨幣」石丸絹子朗読

    Jan 25, 2018

    異国語においては、名詞にそれぞれ男女の性別あり。
    然して、貨幣を女性名詞とす。

    私は、七七八五一号の百円紙幣です。あなたの財布の中の百円紙幣をちょっと調べてみて下さいまし。あるいは私はその中に、はいっているかも知れません。もう私は、くたくたに疲れて、自分がいま誰の懐の中にいるのやら、あるいは屑籠の中にでもほうり込まれているのやら、さっぱり見当も附かなくなりました。ちかいうちには、モダン型の紙幣が出て、私たち旧式の紙幣は皆焼かれてしまうのだとかいう噂も聞きましたが、もうこんな、生きているのだか、死んでいるのだかわからないような気持でいるよりは、いっそさっぱり焼かれてしまって昇天しとうございます。焼かれた後で、天国へ行くか地獄へ行くか、それは神様まかせだけれども、ひょっとしたら、私は地獄へ落ちるかも知れないわ。生れた時には、今みたいに、こんないやしいていたらくではなかったのです。後になったらもう二百円紙幣やら千円紙幣やら、私よりも有難がられる紙幣がたくさん出て来ましたけれども、私の生れたころには、百円紙幣が、お金の女王で、はじめて私が東京の大銀行の窓口からある人の手に渡された時には、その人の手は少し震えていました。あら、本当ですわよ。その人は、若い大工さんでした。その人は、腹掛けのどんぶりに、私を折りたたまずにそのままそっといれて、おなかが痛いみたいに左の手のひらを腹掛けに軽く押し当て、道を歩く時にも、電車に乗っている時にも、つまり銀行から家へと、その人はさっそく私を神棚にあげて拝みました。私の人生への門出は、このように幸福でした。私はその大工さんのお宅にいつまでもいたいと思ったのです。けれども私は、その大工さんのお宅には、一晩しかいる事が出来ませんでした。その夜は大工さんはたいへん御機嫌がよろしくて、晩酌などやらかして、そうして若い小柄なおかみさんに向かい、『馬鹿にしちゃいけねえ。おれにだって、男の働きというものがある』などといって威張り時々立ち上がって私を神棚からおろして、両手でいただくような恰好で拝んで見せて、若いおかみさんを笑わせていましたが、そのうちに夫婦の間に喧嘩が起り、とうとう私は四つに畳まれておかみさんの小さい財布の中にいれられてしまいました。そうしてその翌る朝、おかみさんに質屋に連れて行かれて、おかみさんの着物十枚とかえられ、私は質屋の冷くしめっぽい金庫の中にいれられました。妙に底冷えがして、おなかが痛くて困っていたら、私はまた外に出されて日の目を見る事が出来ました。こんどは私は、医学生の顕微鏡一つとかえられたのでした。私はその医学生に連れられて、ずいぶん遠くへ旅行しました。そうしてとうとう、瀬戸内海のある小さい島の旅館で、私はその医学生に捨てられました。それから一箇月近く私はその旅館の、帳場の小箪笥の引出しにいれられていましたが、何だかその医学生は、私を捨てて旅館を出てから間もなく瀬戸内海に身を投じて死んだという、女中たちの取沙汰をちらと小耳にはさみました。『ひとりで死ぬなんて阿呆あほらしい。あんな綺麗な男となら、わたしはいつでも一緒に死んであげるのにさ』とでっぷり太った四十くらいの、吹出物だらけの女中がいって、皆を笑わせていました。それから私は五年間四国、九州と渡り歩き、めっきりけ込んでしまいました。そうしてしだいに私は軽んぜられ、六年振りでまた東京へ舞い戻った時には、あまり変り果てた自分の身のなりゆきに、つい自己嫌悪しちゃいましたわ。東京へ帰って来てからは私はただもう闇屋の使い走りを勤める女になってしまったのですもの。五、六年東京から離れているうちに私も変りましたけれども、まあ、東京の変りようったら。夜の八時ごろ、ほろ酔いのブローカーに連れられて、東京駅から日本橋、それから京橋へ出て銀座を歩き新橋まで、その間、ただもうまっくらで、深い森の中を歩いているような気持で人ひとり通らないのはもちろん、路を横切る猫の子一匹も見当りませんでした。おそろしい死の街の不吉な形相を呈していました。それからまもなく、れいのドカンドカン、シュウシュウがはじまりましたけれども、あの毎日毎夜の大混乱の中でも、私はやはり休むひまもなくあの人の手から、この人の手と、まるでリレー競走のバトンみたいに目まぐるしく渡り歩き、おかげでこのようなしわくちゃの姿になったばかりでなく、いろいろなものの臭気がからだに附いて、もう、恥ずかしくて、やぶれかぶれになってしまいました。あのころは、もう日本も、やぶれかぶれになっていた時期でしょうね。私がどんな人の手から、どんな人の手に、何の目的で、そうしてどんなむごい会話をもって手渡されていたか、それはもう皆さんも、十二分にご存じのはずで、聞き飽き見飽きていらっしゃることでしょうから、くわしくは申し上げませんが、けだものみたいになっていたのは、軍閥とやらいうものだけではなかったように私には思われました。それはまた日本の人に限ったことでなく、人間性一般の大問題であろうと思いますが、今宵死ぬかも知れぬという事になったら、物慾も、色慾も綺麗に忘れてしまうのではないかしらとも考えられるのに、どうしてなかなかそのようなものでもないらしく、人間は命の袋小路に落ち込むと、笑い合わずに、むさぼりくらい合うものらしうございます。この世の中のひとりでも不幸な人のいる限り、自分も幸福にはなれないと思う事こそ、本当の人間らしい感情でしょうに、自分だけ、あるいは自分の家だけのつかの安楽を得るために、隣人をののしり、あざむき、押し倒し、(いいえ、あなただって、いちどはそれをなさいました。無意識でなさって、ご自身それに気がつかないなんてのは、さらに怒るべき事です。恥じて下さい。人間ならば恥じて下さい。恥じるというのは人間だけにある感情ですから)まるでもう地獄の亡者がつかみ合いの喧嘩をしているような滑稽で悲惨な図ばかり見せつけられてまいりました。けれども、私はこのように下等な使い走りの生活においても、いちどや二度は、ああ、生れて来てよかったと思ったこともないわけではございませんでした。いまはもうこのように疲れ切って、自分がどこにいるのやら、それさえ見当がつかなくなってしまったほど、まるで、もうろくの形ですが、それでもいまもって忘れられぬほのかに楽しい思い出もあるのです。その一つは、私が東京から汽車で、三、四時間で行き着けるある小都会に闇屋の婆さんに連れられてまいりました時のことですが、ただいまは、それをちょっとお知らせ致しましょう。私はこれまで、いろんな闇屋から闇屋へ渡り歩いて来ましたが、どうも女の闇屋のほうが、男の闇屋よりも私を二倍にも有効に使うようでございました。女の慾というものは、男の慾よりもさらに徹底してあさましく、すさまじいところがあるようでございます。私をその小都会に連れて行った婆さんも、ただものではないらしくある男にビールを一本渡してそのかわりに私を受け取り、そうしてこんどはその小都会に葡萄酒の買出しに来て、ふつう闇値の相場は葡萄酒一升五十円とか六十円とかであったらしいのに、婆さんは膝をすすめてひそひそひそひそいって永い事ねばり、時々いやらしく笑ったり何かしてとうとう私一枚で四升を手に入れ重そうな顔もせず背負って帰りましたが、つまり、この闇婆さんの手腕一つでビール一本が葡萄酒四升、少し水を割ってビール瓶につめかえると二十本ちかくにもなるのでしょう、とにかく、女の慾は程度を越えています。それでもその婆さんは、少しもうれしいような顔をせず、どうもまったくひどい世の中になったものだ、と大真面目で愚痴ぐちをいって帰って行きました。私は葡萄酒の闇屋の大きい財布の中にいれられ、うとうと眠りかけたら、すぐにまたひっぱり出されて、こんどは四十ちかい陸軍大尉に手渡されました。この大尉もまた闇屋の仲間のようでした。「ほまれ」という軍人専用の煙草を百本(とその大尉はいっていたのだそうですが、あとで葡萄酒の闇屋が勘定してみましたら八十六本しかなかったそうで、あのインチキ野郎めが、とその葡萄酒の闇屋が大いに憤慨していました)とにかく、百本在中という紙包とかえられて、私はその大尉のズボンのポケットに無雑作にねじ込まれ、その夜、まちはずれの薄汚い小料理屋の二階へお供をするという事になりました。大尉はひどい酒飲みでした。葡萄酒のブランデーとかいう珍しい飲物をチビチビやって、そうして酒癖もよくないようで、お酌の女をずいぶんしつこく罵るのでした。
    「お前の顔は、どう見たって狐以外のものではないんだ。(狐をケツネと発音するのです。どこの方言かしら)よく覚えて置くがええぞ。ケツネのつらは、口がとがってひげがある。あの髭は右が三本、左が四本、ケツネのというものは、たまらねえ。そこらいちめん黄色い煙がもうもうとあがってな、犬はそれをぐとくるくるくるっとまわって、ぱたりとたおれる。いや、嘘でねえ。お前の顔は黄色いな。妙に黄色い。われとわが屁で黄色く染まったに違いない。や、臭い。さては、お前、やったな。いや、やらかした。どだいお前は失敬じゃないか。いやしくも軍人の鼻先で、屁をたれるとは非常識きわまるじゃないか。おれはこれでも神経質なんだ。鼻先でケツネのへなどやらかされて、とても平気では居られねえ」などそれは下劣な事ばかり、大まじめでいって罵り、階下で赤子の泣き声がしたら耳ざとくそれを聞きとがめて、「うるさい餓鬼だ、興がさめる。おれは神経質なんだ。馬鹿にするな。あれはお前の子か。これは妙だ。ケツネの子でも人間の子みたいな泣き方をするとは、おどろいた。どだいお前は、けしからんじゃないか、子供を抱えてこんな商売をするとは、虫がよすぎるよ。お前のような身のほど知らずのさもしい女ばかりいるから日本は苦戦するのだ。お前なんかは薄のろの馬鹿だから、日本は勝つとでも思っているんだろう。ばか、ばか。どだい、もうこの戦争は話にならねえのだ。ケツネと犬さ。くるくるっとまわって、ぱたりとたおれるやつさ。勝てるもんかい。だから、おれは毎晩こうして、酒を飲んで女を買うのだ。悪いか」
    「悪い」とお酌の女のひとは、顔を蒼くしていいました。
    「狐がどうしたっていうんだい。いやなら来なけれあいいじゃないか。いまの日本で、こうして酒を飲んで女にふざけているのは、お前たちだけだよ。お前の給料は、どこから出てるんだ。考えても見ろ。あたしたちの稼ぎの大半は、おかみに差し上げているんだ。おかみはその金をお前たちにやって、こうして料理屋で飲ませているんだ。馬鹿にするな。女だもの、子供だって出来るさ。いま乳呑児をかかえている女は、どんなにつらい思いをしているか、お前たちにはわかるまい。あたしたちの乳房からはもう、一滴の乳も出ないんだよ。からの乳房をピチャピチャ吸って、いや、もうこのごろは吸う力さえないんだ。ああ、そうだよ、狐の子だよ。あごがとがって、皺だらけの顔で一日中ヒイヒイ泣いているんだ。見せてあげましょうかね。それでも、あたしたちは我慢しているんだ。それをお前たちは、なんだい」といいかけた時、空襲警報が出て、それとほとんど同時に爆音が聞え、れいのドカンドカンシュウシュウがはじまり、部屋の障子がまっかに染まりました。
    「やあ、来た。とうとう来やがった」と叫んで大尉は立ち上がりましたが、ブランデーがひどくきいたらしく、よろよろです。
    お酌のひとは、鳥のように素早く階下に駆け降り、やがて赤ちゃんをおんぶして、二階にあがって来て、「さあ、逃げましょう、早く。それ、危い、しっかり」ほとんど骨がないみたいにぐにゃぐにゃしている大尉を、うしろから抱き上げるようにして歩かせ、階下へおろして靴をはかせ、それから大尉の手を取ってすぐ近くの神社の境内まで逃げ、大尉はそこでもう大の字に仰向あおむけに寝ころがってしまって、そうして、空の爆音にむかってさかんに何やら悪口をいっていました。ばらばらばら、火の雨が降って来ます。神社も燃えはじめました。
    「たのむわ、兵隊さん。も少し向こうのほうへ逃げましょうよ。ここで犬死にしてはつまらない。逃げられるだけは逃げましょうよ」
    人間の職業の中で、最も下等な商売をしているといわれているこの蒼黒く痩せこけた婦人が、私の暗い一生涯において一ばん尊く輝かしく見えました。ああ、欲望よ、去れ。虚栄よ、去れ。日本はこの二つのために敗れたのだ。お酌の女は何の慾もなく、また見栄もなく、ただもう眼前の酔いどれの客を救おうとして、こん身の力で大尉を引き起し、わきにかかえてよろめきながら田圃たんぼのほうに避難します。避難した直後にはもう、神社の境内は火の海になっていました。
    麦を刈り取ったばかりの畑に、その酔いどれの大尉をひきずり込み、小高い土手の蔭に寝かせ、お酌の女自身もその傍にくたりと坐り込んで荒い息を吐いていました。大尉は、すでにぐうぐう高鼾たかいびきです。
    その夜は、その小都会の隅から隅まで焼けました。夜明けちかく、大尉は眼をさまし、起き上がって、なお燃えつづけている大火事をぼんやり眺め、ふと、自分の傍でこくりこくり居眠りをしているお酌の女のひとに気づき、なぜだかひどく狼狽の気味で立ち上がり、逃げるように五、六歩あるきかけて、また引返し、上衣の内ポケットから私の仲間の百円紙幣を五枚取り出し、それからズボンのポケットから私を引き出して六枚重ねて二つに折り、それを赤ちゃんの一ばん下の肌着のその下の地肌の背中に押し込んで、荒々しく走って逃げて行きました。私が自身に幸福を感じたのは、この時でございました。貨幣がこのような役目ばかりに使われるんだったらまあ、どんなに私たちは幸福だろうと思いました。赤ちゃんの背中は、かさかさ乾いて、そうして痩せていました。けれども私は仲間の紙幣にいいました。
    「こんないいところはほかにないわ。あたしたちは仕合せだわ。いつまでもここにいて、この赤ちゃんの背中をあたため、ふとらせてあげたいわ」
    仲間はみんな一様に黙ってうなずきました。

    青空文庫 名作文学の朗読

  • 夏目漱石「草枕」 一 山口雄介朗読

    Jan 23, 2018

    山路やまみちを登りながら、こう考えた。
    に働けばかどが立つ。じょうさおさせば流される。意地をとおせば窮屈きゅうくつだ。とかくに人の世は住みにくい。
    住みにくさがこうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいとさとった時、詩が生れて、が出来る。
    人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りょうどなりにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
    越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容くつろげて、つかの命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命がくだる。あらゆる芸術の士は人の世を長閑のどかにし、人の心を豊かにするがゆえたっとい。
    住みにくき世から、住みにくきわずらいを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、である。あるは音楽と彫刻である。こまかにえば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌もく。着想を紙に落さぬとも※(「王+膠のつくり」、第3水準1-88-22)きゅうそうおん胸裏きょうりおこる。丹青たんせい画架がかに向って塗抹とまつせんでも五彩ごさい絢爛けんらんおのずから心眼しんがんに映る。ただおのが住む世を、かくかんじ得て、霊台方寸れいだいほうすんのカメラに澆季溷濁ぎょうきこんだくの俗界を清くうららかに収めればる。この故に無声むせいの詩人には一句なく、無色むしょくの画家には※(「糸+賺のつくり」、第3水準1-90-17)せっけんなきも、かく人世じんせいを観じ得るの点において、かく煩悩ぼんのう解脱げだつするの点において、かく清浄界しょうじょうかい出入しゅつにゅうし得るの点において、またこの不同不二ふどうふじ乾坤けんこん建立こんりゅうし得るの点において、我利私慾がりしよく覊絆きはん掃蕩そうとうするの点において、――千金せんきんの子よりも、万乗ばんじょうの君よりも、あらゆる俗界の寵児ちょうじよりも幸福である。
    世に住むこと二十年にして、住むに甲斐かいある世と知った。二十五年にして明暗は表裏ひょうりのごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日こんにちはこう思うている。――喜びの深きときうれいいよいよ深く、たのしみの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。かたづけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものがえればも心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足をささえている。背中せなかには重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えばらぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……
    かんがえがここまで漂流して来た時に、余の右足うそくは突然すわりのわるい角石かくいしはしを踏みくなった。平衡へいこうを保つために、すわやと前に飛び出した左足さそくが、仕損しそんじのあわせをすると共に、余の腰は具合よくほう三尺ほどな岩の上にりた。肩にかけた絵の具箱がわきの下からおどり出しただけで、幸いとなんの事もなかった。
    立ち上がる時に向うを見ると、みちから左の方にバケツを伏せたような峰がそびえている。杉かひのきか分からないが根元ねもとからいただきまでことごとく蒼黒あおぐろい中に、山桜が薄赤くだんだらに棚引たなびいて、しかと見えぬくらいもやが濃い。少し手前に禿山はげやまが一つ、ぐんをぬきんでてまゆせまる。禿げた側面は巨人のおのけずり去ったか、鋭どき平面をやけに谷の底にうずめている。天辺てっぺんに一本見えるのは赤松だろう。枝の間の空さえ判然はっきりしている。行く手は二丁ほどで切れているが、高い所から赤い毛布けっとが動いて来るのを見ると、登ればあすこへ出るのだろう。路はすこぶる難義なんぎだ。
    土をならすだけならさほど手間てまるまいが、土の中には大きな石がある。土はたいらにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。掘崩ほりくずした土の上に悠然ゆうぜんそばだって、吾らのために道を譲る景色けしきはない。向うで聞かぬ上は乗り越すか、廻らなければならん。いわのない所でさえるきよくはない。左右が高くって、中心がくぼんで、まるで一間はばを三角に穿って、その頂点が真中まんなかつらぬいていると評してもよい。路を行くと云わんより川底をわたると云う方が適当だ。もとより急ぐ旅でないから、ぶらぶらと七曲ななまがりへかかる。
    たちまち足の下で雲雀ひばりの声がし出した。谷を見下みおろしたが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせとせわしく、絶間たえまなく鳴いている。方幾里ほういくりの空気が一面にのみに刺されていたたまれないような気がする。あの鳥の鳴くには瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句あげくは、流れて雲にって、ただようているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空のうちに残るのかも知れない。
    巌角いわかどを鋭どく廻って、按摩あんまなら真逆様まっさかさまに落つるところを、きわどく右へ切れて、横に見下みおろすと、の花が一面に見える。雲雀はあすこへ落ちるのかと思った。いいや、あの黄金こがねの原から飛び上がってくるのかと思った。次には落ちる雲雀と、あが雲雀ひばりが十文字にすれ違うのかと思った。最後に、落ちる時も、上る時も、また十文字にれ違うときにも元気よく鳴きつづけるだろうと思った。
    春は眠くなる。猫は鼠をる事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分のたましい居所いどころさえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼がめる。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然はんぜんする。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。
    たちまちシェレーの雲雀の詩を思い出して、口のうちで覚えたところだけ暗誦あんしょうして見たが、覚えているところは二三句しかなかった。その二三句のなかにこんなのがある。

    青空文庫 名作文学の朗読

  • 大倉 燁子 「魔性の女」駒形美英朗読 修正版

    Jan 16, 2018

    会社を退出した時には桃子にも連れがあったので、本庄とは別々の電車に乗ったが、S駅を降りると、彼はもう先に着いて待っていた。
    二人は腕を組んで夕闇の迫った街を二三町も歩くと、焼け残った屋敷街の大きな一つの門の前に立ち止った。
    桃子は眼を丸るくして、門冠りの松の枝を見上げ、
    「あんた、このおやしき?」
    「うん。素晴らしいだろう? 会社への往きかえりに毎日前を通っていてね、いい家だなあと想っていたんだ。今朝、出がけに寄って、部屋を見せてもらった。離室の茶席、とても素的だぜ。没落した華族さんの内職にやっている御旅館兼お休息所さ。ここなら会社の人なんかに絶対知れっこないからね」
    「だって、私――」
    桃子は尻り込みして、
    「あなたのお宅といくらも離れていないんでしょう? そんなお膝もとで――、会社の人よりも奥様に感付かれたらどうするのよ」
    「燈台もと暗しさ。遠征すると反ってばれる。これなら、奥様だって、仏様だって御存じあるまいさ」
    構えが堂々としているので桃子は気おくれして、入りそびれていると、客の気配を聞きつけて、奥から出て来た素人臭い女中に案内され、多摩川砂利を踏んで、右手の朱雀門から庭の茶席へ通された。
    数寄を凝らした部屋を物珍しそうに眺めていると、庭下駄の音をわざと大きくたてながら、先刻の女中がお銚子とビールにちょっとしたつまみものを運んで来た。
    「御用がございましたら、ここのベルをお押し下さいませ」
    本庄の座っている壁際に、ベルが取りつけてあった。女中が出て行くと桃子はお銚子を取り上げて、本庄の盃についでから、自分はビールを呑んだ。
    「まさか、奥様、あなたと私とのこと、御存じないんでしょう?」
    「多分ねえ。君が僕の病気見舞いに来た時、あとでいやに褒めてたから――、どうだかなあ」
    「知れたら困る?」
    と眼で笑った。
    「困るなあ。だが仕方がない。君とはどうしたって別れられないもの」
    「だって、奥様は絶対にやかない人でしょう?」
    「うむ。だが――、嫉妬やかれる方がいいな。黙ってただじいと眺めていられるのは辛い」
    何を思い出したのか、本庄はちょっとべそを掻くような表情をした。酔いが出て、色の白い上品な顔にほんのりと赤味がさして、酒にうるんだ眼が美しく見えた。桃子はコップを唇に持って行きながら、惚れ惚れと彼の顔に見入っていたが、
    「私はあなたが好きなんだから、奥様が怒っても、あなたに捨てられない限り絶対に別れないわよ」
    「僕の奥さんだって、君と僕との関係までは嗅ぎつけちゃいないさ。だが、彼奴は黙っていて常に僕の一挙一動を監視しているんだ。そして、僕の事なら一から十まで知りつくそうとしている。知らなきゃ満足出来ないんだ。いい事でも、悪いことでも。つまり、変態なんだろう」
    「きっと、奥様、あなたをよっぽど愛しているんだわねえ。私なんかかなわないかも知れない。そういう愛情の前には、私、頭が下がるわ」
    「僕はいやだよ。つくづくいやだ。まあ考えてもみたまえ。何んでも、かんでも知っていて、知らん顔していようっていうんだからね。いやだよ」
    煙草を灰皿に押しつぶした。
    「ほんとに愛していれば、相手の全部を知りつくそうとするのは、当然だわ。でも、私には離れている間のあなたが何をしているか分らないわよ。勿論分りたいけれど――」
    「訊けばいいじゃないか」
    「訊いたって、かくされればそれまででしょう? あなたにしたって、私に云いたくない事もあるでしょうからね。それが嫉妬心をそそるもとになるということも知ってるけれど、あなたの奥様のように、何もかも見透せたら、決して、嫉妬は起さないだろうと思うわ」
    「そうかなあ」
    「たとえばさ。あなたとこうしていても私にはあなたの愛情がどれほど深いものかってことは分らない。あなたの言葉や態度で想像するだけのものでしょう。ところが奥様はあなたの心の奥の奥まで見透せるんだから、自分が優越な立ち場にある間は心配はないでしょう。あなたに女が出来たって、平気でいられるかも知れない。つまり、自分の方が勝っているからよ。愛されているという確信があるから――」
    「愛情をわけられるのは不愉快だろう、全部自分のものにしたいと思わないか知ら?」
    「私はあなたの肉体も精神も独占している積りでいるんだけれど、ほんとはどうなのか知ら? 奥様が嫉妬しない処を見ると、怪しいもんだわ」
    「うちの奥さんはね。僕をくさりでつないでおいて、適当に遊ばしてくれるんだよ。飼犬のつもりでいやがる。いやな奴さ」
    と吐き出すように云う。
    「だって、御新婚当時は随分、奥様が役に立ったって云うじゃないの?」
    「それや役に立ったさ。彼奴の持っている第七感の神秘なんだよ。そのおかげで危険も救われたし、上役のお覚えも目出度くどんどん出世もするしさ。重宝だったが、今じゃ、そのかんがうるさくなった。何んでも知ってやがるのは、つまりその第七感が発達しすぎるからだ。そして近頃はますます鋭どくなりやがった。このまま進んだら僕は苦しくって一緒にはいられない。気狂いになってしまうぜ」
    「あなたを気狂いにさせるほどの情熱、私は羨しいわ。あなたの奥様が――」
    「何云ってるんだ。君がいなかったら僕は生きちゃいられない。奥さんぎりだったら僕はとうに自殺してしまってらあ」
    「私には第七感どころか第六感も働かない、平々凡々で何にもわからないから、そこがあなたには肩が凝らないし、気楽でいいんでしょう?」
    「君とこうしている時だけが、僕には天国なんだよ」
    本庄はついとち上って、ちょっと次の間を覗いた。水色の覆いのかかった涼しそうなスタンドが枕許に点いていて、白麻の蚊帳越しに紅入友の蒲団がなまめいて見えた。彼は襖をしめきると、桃子のそばへにじりよって肩へ手をかけて、引きよせ、
    「ねえ、僕の全部は君のものなんだよ」
    桃子のコップを持った手がぶるぶると震えた。
    「駄目よ。ビールがこぼれるわ」
    と、飲みかけのコップを彼の唇へ持って行った。

    青空文庫 名作文学の朗読

  • 豊島与志雄「太宰治との一日」駒形美英朗読

    Dec 28, 2017

    太宰治との一日

    豊島与志雄

    昭和二十三年四月二十五日、日曜日の、午後のこと、電話があった。
    「太宰ですが、これから伺っても、宜しいでしょうか。」
    声の主は、太宰自身でなく、さっちゃんだ。――さっちゃんというのは、吾々の間の呼び名で、本名は山崎富栄さん。
    日曜日はたいてい私のところには来客がない。太宰とゆっくり出来るなと思った。
    やがて、二人は現われた。――考えてみるに、太宰は三鷹にいるし、私は本郷にいるので、時間から推して、お茶の水あたりからの電話だったらしい。伺っても宜しいかというのは一応の儀礼で、実は私の在否を確かめるためのものであったろうか。
    「今日は愚痴をこぼしに来ました。愚痴を聞いて下さい。」と太宰は言う。
    彼がそんなことを言うのは初めてだ。いや、彼はなかなかそんなことを言う男ではない。心にどんな悩みを持っていようと、人前では快活を装うのが彼の性分だ。
    私は彼の仕事のことを聞いた。半分ばかり出来上ったらしい。――彼はその頃、「展望」に連載する小説「人間失格」にとりかかっていた。筑摩書房の古田氏の世話で、熱海に行って前半を書き、大宮に行って後半を書いたが、その中間、熱海から帰って来たあとで私のところへ来たのである。私は後に「人間失格」を読んで、あれに覗き出してる暗い影に心打たれた。あの暗い影が、彼の心に深く積もっていたのだろう。
    然し、愚痴をこぼしに来たと言いながら、それだけでもう充分で、愚痴らしいものを太宰は何も言わなかった。――その上、すぐ酒となった。
    だいたい吾々文学者は、少数の例外はあるが、よく酒を飲む。文学上の仕事は、我と我身を切り刻むようなことが多く、どうにもやりきれなくて酒を飲むのだ。または、頭の中、心の中に、いやな滓がたまってきて、それを清掃するために酒を飲むのだ。太宰もそうだった。その上、太宰はまた、がむしゃらな自由奔放な生き方をしているようでいて、一面、ひどく極りわるがり恥しがるところがあった。口を開けば妥協的な言葉は言えず、率直に心意を吐露することになるし、それが反射的に気恥しくもなる。そして照れ隠しに酒を飲むのだ。人と逢えば、酒の上でなければうまく話が出来ない。そういうところから、つまり、彼は二重に酒を飲んだ。彼と逢えば私の方でも酒がなくては工合がわるいのだ。
    折よく、私のところに少し酒があった。だが、私のこの近所、自由販売の酒類はすぐに売り切れてしまう。入手に甚だ困難だ。太宰はさっちゃんに耳打ちして、電話をかけさせる。日曜日でどうかと思われるが、さほど遠くないところに、二人とも懇意な筑摩書房と八雲書店とがある。
    「もしもし、わたし、さっちゃん……。」そう自分でさっちゃんは名乗る。太宰さんが豊島さんところに来ているが、お酒が手にはいるまいかとねだる。お代は原稿料から差引きにして、と言う。――両方に留守の人がいた。八雲から上等のウイスキーが一本届けられ、夜になって、筑摩からも上等のウイスキーを一本、臼井君が自分で持参された。
    元来、太宰はひとに御馳走することが好きで、ひとから御馳走になることが嫌いだ。旧家大家に育った生れつきの心ばえであろうか。――嘗て、生家と謂わば義絶の形となり、原稿もまだあまり売れず、困窮な放浪をしていた頃、右の点について、彼はずいぶん屈辱的な思いをしたことであろう。
    私は太宰と懇意になったのは最近のことだが、私のところへ来ても、彼はいつも私へ御馳走しようとした。貧乏な私に迷惑をかけたくないとの配慮もあったろう。年長の私に対して礼をつくすという気持ちもあったろう。――彼が甘んじて世話になったのは、恐らく、死後も面倒をみて貰うことになった三社、新潮と筑摩と八雲とであったろうか。
    あの日も太宰は酒を集めてくれた。ばかりでなく、さっちゃんをあちこちに奔走さして、いろいろな食物を買って来さした。私の娘が結婚後も家に同居していて、その頃病気で伏せっていたのへも、お見舞として、バタや缶詰の類を買って来さした。
    おかしいのは、鶏の料理だ。だいぶ前、太宰が来た時、私は彼の前で鶏を料理してみせたことがある。へんな鶏で、雌雄がわからず、つまり、子宮も睾丸も摘出できなかったという次第で、大笑いとなった。こんな血腥いこと、太宰としては厭だったろうと思われるのに、案外、彼は興味を持って、其後、よそで、自ら執刀し、そこら中を血だらけにしたという。私はそれを聞いていたし、前回の失敗を取返したくも思い、丸のままを一羽求めて来さして、食卓の上で手際よく解剖してみせた。ところがその鶏、産むまぎわの卵を一つ持っていて、まだ殼がぶよぶよしてる大きいのが出て来て、私も、むろん太宰も、ちょっと面喰った。
    酒の席でまで文学論をやることは、太宰も私も嫌いだ。政治的な時事問題なども面白くない。話はおのずから、天地自然のこと、つまり山川草木のことが主となる。以前に、太宰と近所を歩いて、雀の巣だった銀杏の樹のあたりを通りかかったことがある。今ではその辺は戦災の焼跡になっているが、その銀杏の樹に嘗て、数百数千の雀が群がって囀ずり、付近の人々は払暁から眼を覚まされたという。その銀杏の樹が五本立ち並んでると私が言ったところ、三本しか見えないと太宰に指摘された。見ると、なるほど三本のようである。豊島さんの話、まったく出たらめで、五本だと言うが、なあに三本しかない、と太宰は大笑いするのだ。酔うとそれが彼の口癖になった。雌雄の分らない鶏も、酔後の彼の口癖だ。――そんなことで、その日も大笑いした。胸に憂悶があればこそ、こんな他愛もないことに笑い興じるのだ。
    夜になって、臼井君が見えたので、だいぶ賑かになった。私はもう可なり酔って、どんなことを話したかあまり覚えていない。ただ、私の酔後の癖として、眼の前にいる人の悪口を言ってそれを酒の肴にすることが多いので、或は臼井君に失礼なことばかり言ったかも知れない。
    臼井君は、酒は飲むが、あまり酔わない。程よく帰って行った。
    太宰も私も、だいぶ酒にくたぶれた。太宰はビタミンB1の注射をする。なんどか喀血したし、実は相当に体力も弱っているので、ビタミン剤などを常に飲んだり注射したりしているのである。注射はさっちゃんの役目だ。勇敢にさっとやってのける。ビタミンB1は、アンプル中の薬液の変質を防ぐために、酸性になされていて、それが可なり肉にしみる。さっちゃんが注射すると、痛い、と太宰は顔をしかめる。
    「僕にさしてみたまい。痛くないようにしてみせる。」
    皮下に針をさして、極めて徐々に薬液を注入する。
    「どうだ、痛くないだろう。」
    「うん。」太宰は頷く。
    そこで私は、終り頃になって、急に強く注入する。
    「ち、痛い。」そして大笑いだ。
    さっちゃんは勇敢に注射するが、ただそれだけで、他事はもう鞠躬如として太宰に仕えている。太宰がどんなに我儘なことを言おうと、どんな用事を言いつけようと、片言の抗弁もしない。すべて言われるままに立ち働く。ばかりでなく、積極的にこまかく気を配って、身辺の面倒をみてやる。もし隙間風があるとすれば、その風にも太宰をあてまいとする。それは全く絶対奉仕だ。家庭外で仕事をする習慣のある太宰にとって、さっちゃんは最も完全な侍女であり看護婦であった。――家庭のことは、美知子夫人がりっぱに守ってくれる。太宰はただ仕事をすればよかったのだ。
    そういう風で、太宰とさっちゃんとの間に、愛欲的なものの影を吾々は少しも感じなかった。二人の間になにか清潔なものさえ吾々は感じた。この感じは、誤ってるとは私は思わない。だから私は平気で二人を一室に宿泊させるのだった。――その夜も宿泊させた。
    翌朝、すべての用事をさっちゃんに言いつける太宰が、珍らしく、自分で出かけて行った。だいぶたってから、一束の花を持って戻って来た。白い花の群がってる数本の強い茎を中軸にして、芍薬の美しい赤い花が二輪そえてある。
    「どうだ、これは僕でなくちゃ分らん、お嬢さんに似てるだろう。」
    さっちゃんを顧りみて太宰は言う。照れ隠しらしい。これだけは自分で買って来たいと思ったのだ。そしてそれを、お嬢さんへと言って私に差出した。
    私たちは残りのウイスキーを飲みはじめた。女手は女中一人きりなので、さっちゃんがまたなにかと立ち働く。そこへ、八雲から亀島君がやって来、筑摩の臼井君もまた立ち寄った。暫くして、太宰は皆に護られて帰っていった。背広に重そうな兵隊靴、元気な様子はしているが、後ろ姿になにか疲れが見える。疲れよりも、憂欝な影が見える。
    それきり、私は太宰に逢わなかった。逢ったのは彼の死体にだ。――死は、彼にとっては一種の旅立ちだったろう。その旅立ちに、最後までさっちゃんが付き添っていてくれたことを、私はむしろ嬉しく思う。
    青空文庫名作文学の朗読

  • 夏目漱石「こころ」下 55 56 山口雄介朗読

    15.63

    Dec 20, 2017

    五十五

    「死んだつもりで生きて行こうと決心した私の心は、時々外界の刺戟しげきおどり上がりました。しかし私がどの方面かへ切って出ようと思い立つやいなや、恐ろしい力がどこからか出て来て、私の心をぐいと握り締めて少しも動けないようにするのです。そうしてその力が私にお前は何をする資格もない男だとおさえ付けるようにいって聞かせます。すると私はその一言いちげんすぐぐたりとしおれてしまいます。しばらくしてまた立ち上がろうとすると、また締め付けられます。私は歯を食いしばって、何でひとの邪魔をするのかと怒鳴り付けます。不可思議な力はひややかな声で笑います。自分でよく知っているくせにといいます。私はまたぐたりとなります。
    波瀾はらんも曲折もない単調な生活を続けて来た私の内面には、常にこうした苦しい戦争があったものと思って下さい。さいが見て歯痒はがゆがる前に、私自身が何層倍なんぞうばい歯痒い思いを重ねて来たか知れないくらいです。私がこの牢屋ろうやうちじっとしている事がどうしてもできなくなった時、またその牢屋をどうしても突き破る事ができなくなった時、必竟ひっきょう私にとって一番楽な努力で遂行すいこうできるものは自殺よりほかにないと私は感ずるようになったのです。あなたはなぜといって眼を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはるかも知れませんが、いつも私の心を握り締めに来るその不可思議な恐ろしい力は、私の活動をあらゆる方面で食い留めながら、死の道だけを自由に私のために開けておくのです。動かずにいればともかくも、少しでも動く以上は、その道を歩いて進まなければ私には進みようがなくなったのです。
    私は今日こんにちに至るまですでに二、三度運命の導いて行く最も楽な方向へ進もうとした事があります。しかし私はいつでも妻に心をかされました。そうしてその妻をいっしょに連れて行く勇気は無論ないのです。妻にすべてを打ち明ける事のできないくらいな私ですから、自分の運命の犠牲ぎせいとして、妻の天寿てんじゅを奪うなどという手荒てあら所作しょさは、考えてさえ恐ろしかったのです。私に私の宿命がある通り、妻には妻のまわり合せがあります、二人を一束ひとたばにして火にべるのは、無理という点から見ても、痛ましい極端としか私には思えませんでした。
    同時に私だけがいなくなったあとの妻を想像してみるといかにも不憫ふびんでした。母の死んだ時、これから世の中で頼りにするものは私より外になくなったといった彼女の述懐じゅっかいを、私ははらわたみ込むように記憶させられていたのです。私はいつも躊躇ちゅうちょしました。妻の顔を見て、してよかったと思う事もありました。そうしてまたじっすくんでしまいます。そうして妻から時々物足りなそうな眼でながめられるのです。
    記憶して下さい。私はこんなふうにして生きて来たのです。始めてあなたに鎌倉かまくらで会った時も、あなたといっしょに郊外を散歩した時も、私の気分に大した変りはなかったのです。私の後ろにはいつでも黒い影がいていました。私はさいのために、命を引きずって世の中を歩いていたようなものです。あなたが卒業して国へ帰る時も同じ事でした。九月になったらまたあなたに会おうと約束した私は、うそいたのではありません。全く会う気でいたのです。秋が去って、冬が来て、その冬が尽きても、きっと会うつもりでいたのです。
    すると夏の暑い盛りに明治天皇めいじてんのう崩御ほうぎょになりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、そのあとに生き残っているのは必竟ひっきょう時勢遅れだという感じがはげしく私の胸を打ちました。私は明白あからさまに妻にそういいました。妻は笑って取り合いませんでしたが、何を思ったものか、突然私に、では殉死じゅんしでもしたらよかろうと調戯からかいました。

    青空文庫より

  • 太宰治「豊島與志雄著『高尾ざんげ』解説」駒形恵美朗読

    6.08
    Dec 20, 2017

    豊島與志雄著『高尾ざんげ』解説

    太宰治

    私は先夜、眠られず、また、何の本も読みたくなくて、ある雑誌に載っていたヴァレリイの写真だけを一時間も、眺めていた。なんという悲しい顔をしているひとだろう、切株、接穂、淘汰まびき、手入れ、その株を切って、また接穂、淘汰まびき、手入れ、しかも、それは、サロンへの奉仕でしか無い。教養とは所詮しょせん、そんなものか。このような教養人の悲しさを、私に感じさせる人は、日本では、(私が逢った人のうちでは)豊島先生以外のお方は無かった。豊島先生は、いつも会場の薄暗い隅にいて、そうして微笑していらっしゃる。しかし、先生にとって、善人と言われるほど大いなる苦痛は無いのではないかと思われる。そこで、深夜の酔歩がはじまる。水甕みずがめのお家をあこがれる。教養人は、弱くてだらしがない、と言われている。ひとから招待されても、それを断ることが、できない種属のように思われている。教養人は、スプーンで、林檎りんごを割る。それにはなにも意味がないのだ。比喩ひゆでもないのだ。ある武士的な文豪は、台所の庖丁ほうちょうでスパリと林檎を割って、そうして、得意のようである。はなはだしきは、なたでもって林檎を一刀両断、これを見よ、亀井などというじんは感涙にむせぶ。
    どだい、教養というものを知らないのだ。象徴と、比喩と、ごちゃまぜにしているのである。比喩というものは、こうこうこうだから似ているじゃねえか、そっくりじゃねえか、笑わせやがる、そうして大笑い。それだけのものなのである。しかし、象徴というものはスプーンで林檎を割る。なんの意味もない。まったくなんの意味もないのだ。空が青い。なんの意味もない。雲が流れる。なんの意味もない。それだけなのである。それに意味づける教師たちは、比喩だけを知っていて、象徴を知らない。そうして、生徒たちが、その教師の教えを信奉し、比喩だけを知っていて、象徴を知らない。ほんとうの教養人というものは、自然に、象徴というものを体得しているようである。馬鹿な議論をしない。二階の窓から、そとを通るひとをぼんやり見ている。そうして、私たちのように、その人物にしつこい興味など持たない。彼は、ただ見ている。猫が、だるそうにやってくる。それを阿呆みたいに抱きかかえる。一言にしていえば、アニュイ。
    音楽家で言えば、ショパンでもあろうか。日本の浪花節なにわぶしみたいな、また、講釈師みたいな、勇壮活溌な作家たちには、まるで理解ができないのではあるまいか。おそらく、豊島先生は、いちども、そんな勇壮活溌な、喧嘩けんかみたいなことを、なさったことはないのではあるまいか。いつも、負けてばかり、そうして、苦笑してばかりいらっしゃるのではあるまいか。まるで教養人の弱みであり、欠点でもあるように思われる。
    しかし、この頃、教養人は、強くならなければならない、と私は思うようになった。いわゆる車夫馬丁にたいしても、「馬鹿野郎」と、言えるくらいに、私はなりたいと思っている。できるかどうか。ひとから先生と言われただけでも、ひどく狼狽ろうばいする私たち、そのことが、ただ永遠のあこがれに終るのかも知れないが。
    教養人というものは、どうしてこんなに頼りないものなのだろう。ヴィタリティというものがまったく、全然ないのだもの。