喜多川拓郎

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    9回ライブ朗読会

    朗読カフェライブ朗読会出演メンバー

  • 宮沢賢治「谷」喜多川拓郎 朗読

    17.63
    Sep 15, 2017

    宮沢賢治

    楢渡ならわたりのとこのがけはまっ赤でした。
    それにひどく深くて急でしたからのぞいて見ると全くくるくるするのでした。
    谷底には水もなんにもなくてたゞ青いこずゑ白樺しらかばなどの幹が短く見えるだけでした。
    向ふ側もやっぱりこっち側と同じやうでその毒々しく赤い崖には横に五本の灰いろの太い線が入ってゐました。ぎざぎざになって赤い土からみ出してゐたのです。それは昔山の方から流れて走って来て又火山灰にうづもれた五層の古い熔岩流ようがんりうだったのです。
    崖のこっち側と向ふ側と昔は続いてゐたのでせうがいつかの時代に裂けるかれるかしたのでせう。霧のあるときは谷の底はまっ白でなんにも見えませんでした。
    私がはじめてそこへ行ったのはたしか尋常三年生か四年生のころです。ずうっと下の方の野原でたった一人野葡萄のぶだうを喰べてゐましたら馬番の理助が欝金うこんの切れを首に巻いて木炭すみの空俵をしょって大股おほまたに通りかかったのでした。そして私を見てずゐぶんな高声で言ったのです。
    「おいおい、どこからこぼれて此処ここらへ落ちた? さらはれるぞ。きのこのうんと出来る処へ連れてってやらうか。お前なんかには持てない位蕈のある処へ連れてってやらうか。」
    私は「うん。」とひました。すると理助は歩きながら又言ひました。
    「そんならついて来い。葡萄などもうてちまへ。すっかりくちびるも歯も紫になってる。早くついて来い、来い。おくれたら棄てて行くぞ。」
    私はすぐ手にもった野葡萄の房を棄ていっしんに理助について行きました。ところが理助は連れてってやらうかと云っても一向私などは構はなかったのです。自分だけ勝手にあるいて途方もない声で空に噛ぶりつくやうに歌って行きました。私はもうほんたうに一生けんめいついて行ったのです。
    私どもはかしはの林の中に入りました。
    影がちらちらちらちらして葉はうつくしく光りました。曲った黒い幹の間を私どもはだんだんくぐって行きました。林の中に入ったら理助もあんまり急がないやうになりました。又じっさい急げないやうでした。傾斜もよほど出てきたのでした。
    十五分も柏の中を潜ったとき理助は少し横の方へまがってからだをかゞめてそこらをしらべてゐましたが間もなく立ちどまりました。そしてまるで低い声で、
    「さあ来たぞ。すきな位とれ。左の方へは行くなよ。崖だから。」
    そこは柏や楢の林の中の小さな空地でした。私はまるでぞくぞくしました。はぎぼだしがそこにもこゝにも盛りになって生えてゐるのです。理助は炭俵をおろしてもっともらしく口をふくらせてふうと息をついてから又言ひました。
    「いゝか。はぎぼだしには茶いろのと白いのとあるけれど白いのは硬くて筋が多くてだめだよ。茶いろのをとれ。」
    「もうとってもいゝか。」私はききました。
    「うん。何へ入れてく。さうだ。羽織へ包んで行け。」
    「うん。」私は羽織をぬいで草に敷きました。
    理助はもう片っぱしからとって炭俵の中へ入れました。私もとりました。ところが理助のとるのはみんな白いのです。白いのばかりえらんでどしどし炭俵の中へ投げ込んでゐるのです。私はそこでしばらくあきれて見てゐました。
    「何をぼんやりしてるんだ。早くとれとれ。」理助が云ひました。
    「うん。けれどお前はなぜ白いのばかりとるの。」私がききました。
    「おれのは漬物つけものだよ。お前のうちぢゃきのこの漬物なんか喰べないだらうから茶いろのを持って行った方がいゝやな。煮て食ふんだらうから。」
    私はなるほどと思ひましたので少し理助を気の毒なやうな気もしながら茶いろのをたくさんとりました。羽織に包まれないやうになってもまだとりました。
    日がてって秋でもなかなか暑いのでした。
    間もなく蕈も大ていなくなり理助は炭俵一ぱいに詰めたのをゆるく両手で押すやうにしてそれから羊歯しだの葉を五六枚のせてなはで上をからげました。
    「さあ戻るぞ。谷を見て来るかな。」理助は汗をふきながら右の方へ行きました。私もついて行きました。しばらくすると理助はぴたっととまりました。それから私をふり向いて私の腕を押へてしまひました。
    「さあ、見ろ、どうだ。」
    私は向ふを見ました。あのまっ赤な火のやうながけだったのです。私はまるで頭がしいんとなるやうに思ひました。そんなにその崖が恐ろしく見えたのです。
    「下の方ものぞかしてやらうか。」理助は云ひながらそろそろと私を崖のはじにつき出しました。私はちらっと下を見ましたがもうくるくるしてしまひました。
    「どうだ。こはいだらう。ひとりで来ちゃきっとこゝへ落ちるから来年でもいつでもひとりで来ちゃいけないぞ。ひとりで来たら承知しないぞ。第一みちがわかるまい。」
    理助は私の腕をはなして大へん意地の悪い顔つきになってう云ひました。
    「うん、わからない。」私はぼんやり答へました。
    すると理助は笑って戻りました。
    それから青ぞらを向いて高く歌をどなりました。
    さっきの蕈を置いた処へ来ると理助はどっかり足を投げ出して座って炭俵をしょひました。それから胸で両方からなはを結んで言ひました。
    「おい、起してれ。」
    私はもうふところへ一杯にきのこをつめ羽織を風呂敷包みのやうにして持って待ってゐましたがう言はれたので仕方なく包みを置いてうしろから理助の俵を押してやりました。理助は起きあがってうれしさうに笑って野原の方へ下りはじめました。私も包みを持ってうれしくて何べんも「ホウ。」と叫びました。
    そして私たちは野原でわかれて私は大威張おほゐばりで家に帰ったのです。すると兄さんが豆をたたいてゐましたが笑って言ひました。
    「どうしてこんな古いきのこばかり取って来たんだ。」
    「理助がだって茶いろのがいゝって云ったもの。」
    「理助かい。あいつはずるさ。もうはぎぼだしも過ぎるな。おれもあしたでかけるかな。」
    私も又ついて行きたいと思ったのでしたが次の日は月曜ですから仕方なかったのです。
    そしてその年は冬になりました。
    次の春理助は北海道の牧場へ行ってしまひました。そして見るとあすこのきのこはほかにたれかに理助が教へて行ったかも知れませんがまあ私のものだったのです。私はそれを兄にもはなしませんでした。今年こそ白いのをうんととって来て手柄を立ててやらうと思ったのです。
    そのうち九月になりました。私ははじめたった一人で行かうと思ったのでしたがどうも野原から大分奥でこはかったのですし第一どの辺だったかあまりはっきりしませんでしたから誰か友だちを誘はうときめました。
    そこで土曜日に私は藤原慶次郎にその話をしました。そして誰にもその場所をはなさないなら一緒に行かうと相談しました。すると慶次郎はまるでよろこんで言ひました。
    楢渡ならわたりなら方向はちゃんとわかってゐるよ。あすこでしばらく木炭すみを焼いてゐたのだから方角はちゃんとわかってゐる。行かう。」
    私はもう占めたと思ひました。
    次の朝早く私どもは今度は大きなかごを持ってでかけたのです。実際それを一ぱいとることを考へると胸がどかどかするのでした。
    ところがその日は朝も東がまっ赤でどうも雨になりさうでしたが私たちがかしはの林に入ったころはずゐぶん雲がひくくてそれにぎらぎら光って柏の葉も暗く見え風もカサカサ云って大へん気味が悪くなりました。
    それでも私たちはずんずん登って行きました。慶次郎は時々向ふをすかすやうに見て
    「大丈夫だよ。もうすぐだよ。」と云ふのでした。実際山を歩くことなどは私よりも慶次郎の方がずうっとなれてゐて上手でした。
    ところがうまいことはいきなり私どもははぎぼだしにはしました。そこはたしかに去年の処ではなかったのです。ですから私は
    「おい、こゝは新らしいところだよ。もう僕らはきのこ山を二つ持ったよ。」と言ったのです。すると慶次郎も顔を赤くしてよろこんでや鼻や一緒になってどうしてもそれが直らないといふ風でした。
    「さあ、取ってかう。」私は云ひました。そして白いのばかりえらんで二人ともせっせと集めました。昨年のことなどはすっかり途中で話して来たのです。
    間もなくかごが一ぱいになりました。丁度そのときさっきからどうしても降りさうに見えた空から雨つぶがポツリポツリとやって来ました。
    「さあぬれるよ。」私は言ひました。
    「どうせずぶぬれだ。」慶次郎も云ひました。
    雨つぶはだんだん数が増して来てまもなくザアッとやって来ました。ならの葉はパチパチ鳴りしづくの音もポタッポタッと聞えて来たのです。私と慶次郎とはだまって立ってぬれました。それでもうれしかったのです。
    ところが雨はまもなくぱたっとやみました。五六つぶを名残なごりに落してすばやく引きあげて行ったといふ風でした。そしてがさっと落ちて来ました。見上げますと白い雲のきれ間から大きな光る太陽が走って出てゐたのです。私どもは思はず歓呼の声をあげました。楢やかしはの葉もきらきら光ったのです。
    「おい、こゝはどの辺だか見て置かないと今度来るときわからないよ。」慶次郎が言ひました。
    「うん。それから去年のもさがして置かないと。兄さんにでも来てもらはうか。あしたは来れないし。」
    「あした学校を下ってからでもいゝぢゃないか。」慶次郎は私の兄さんには知らせたくない風でした。
    「帰りに暗くなるよ。」
    「大丈夫さ。とにかくさがして置かう。がけはぢきだらうか。」
    私たちは籠はそこへ置いたまま崖の方へ歩いて行きました。そしたらまだまだと思ってゐた崖がもうすぐ目の前に出ましたので私はぎくっとして手をひろげて慶次郎の来るのをとめました。
    「もう崖だよ。あぶない。」
    慶次郎ははじめて崖を見たらしくいかにもどきっとしたらしくしばらくなんにも云ひませんでした。
    「おい、やっぱり、すると、あすこは去年のところだよ。」私は言ひました。
    「うん。」慶次郎は少しつまらないといふやうにうなづきました。
    「もう帰らうか。」私は云ひました。
    「帰らう。あばよ。」と慶次郎は高く向ふのまっ赤な崖に叫びました。
    「あばよ。」がけからこだまが返って来ました。
    私はにはかに面白くなって力一ぱい叫びました。
    「ホウ、居たかぁ。」
    「居たかぁ。」崖がこだまを返しました。
    「また来るよ。」慶次郎が叫びました。
    「来るよ。」崖が答へました。
    馬鹿ばか。」私が少し大胆になって悪口をしました。
    「馬鹿。」崖も悪口を返しました。
    「馬鹿野郎」慶次郎が少し低く叫びました。
    ところがその返事はたゞごそごそごそっとつぶやくやうに聞えました。どうも手がつけられないと云ったやうにも又そんなやつらにいつまでも返事してゐられないなと自分ら同志で相談したやうにも聞えました。
    私どもは顔を見合せました。それからにはかにこはくなって一緒に崖をはなれました。
    それからかごを持ってどんどん下りました。二人ともだまってどんどん下りました。しづくですっかりぬればらや何かに引っかゝれながらなんにも云はずに私どもはどんどんどんどんげました。遁げれば遁げるほどいよいよ恐くなったのです。うしろでハッハッハと笑ふやうな声もしたのです。
    ですから次の年はたうとう私たちは兄さんにも話して一緒にでかけたのです。

  • 宮沢賢治 烏の北斗七星 喜多川拓郎朗読

    19.88 Aug 21, 2017

    烏の北斗七星

    宮沢賢治

    つめたいいぢの悪い雲が、地べたにすれすれに垂れましたので、野はらは雪のあかりだか、日のあかりだかわからないやうになりました。
    からすの義勇艦隊は、その雲にしつけられて、しかたなくちよつとの間、亜鉛とたんの板をひろげたやうな雪の田圃たんぼのうへに横にならんで仮泊といふことをやりました。
    どのふねもすこしも動きません。
    まつ黒くなめらかな烏の大尉、若い艦隊長もしやんと立つたまゝうごきません。
    からすの大監督はなほさらうごきもゆらぎもいたしません。からすの大監督は、もうずゐぶんの年老としよりです。眼が灰いろになつてしまつてゐますし、くとまるで悪い人形のやうにギイギイひます。
    それですから、烏の年齢としを見分ける法を知らない一人の子供が、いつかう云つたのでした。
    「おい、この町には咽喉のどのこはれた烏が二ひきゐるんだよ。おい。」
    これはたしかに間違ひで、一疋しかをりませんでしたし、それも決してのどが壊れたのではなく、あんまり永い間、空で号令したために、すつかり声がびたのです。それですから烏の義勇艦隊は、その声をあらゆる音の中で一等だと思つてゐました。
    雪のうへに、仮泊といふことをやつてゐる烏の艦隊は、石ころのやうです。胡麻ごまつぶのやうです。また望遠鏡でよくみると、大きなのや小さなのがあつて馬鈴薯ばれいしよのやうです。
    しかしだんだん夕方になりました。
    雲がやつと少し上の方にのぼりましたので、とにかく烏の飛ぶくらゐのすき間ができました。
    そこで大監督が息を切らして号令を掛けます。
    「演習はじめいおいつ、出発」
    艦隊長烏の大尉が、まつさきにぱつと雪をたたきつけて飛びあがりました。烏の大尉の部下が十八隻、順々に飛びあがつて大尉に続いてきちんと間隔をとつて進みました。
    それから戦闘艦隊が三十二隻、次々に出発し、その次に大監督の大艦長が厳かに舞ひあがりました。
    そのときはもうまつ先の烏の大尉は、四へんほど空で螺旋うづを巻いてしまつて雲の鼻つ端まで行つて、そこからこんどはまつぐに向ふのもりに進むところでした。
    二十九隻の巡洋艦、二十五隻の砲艦が、だんだんだんだん飛びあがりました。おしまひの二隻は、いつしよに出発しました。こゝらがどうも烏の軍隊の不規律なところです。
    烏の大尉は、杜のすぐ近くまで行つて、左に曲がりました。
    そのとき烏の大監督が、「大砲撃てつ。」と号令しました。
    艦隊は一斉に、があがあがあがあ、大砲をうちました。
    大砲をうつとき、片脚をぷんとうしろへ挙げるふねは、この前のニダナトラの戦役での負傷兵で、音がまだ脚の神経にひびくのです。

  • 山川方夫「夏の葬列」喜多川拓郎朗読

    19.83 Jul 24, 2017

  • 宮沢賢治「イギリス海岸」喜多川拓郎朗読

    40.37 Jun 13, 2017

    イギリス海岸

    宮沢賢治

    夏休みの十五日の農場実習の間に、私どもがイギリス海岸とあだ名をつけて、二日か三日ごと、仕事が一きりつくたびに、よく遊びに行ったところがありました。
    それは本たうは海岸ではなくて、いかにも海岸の風をした川の岸です。北上きたかみ川の西岸でした。東の仙人せんにん峠から、遠野を通り土沢を過ぎ、北上山地を横截よこぎって来る冷たいさるいし川の、北上川への落合から、少し下流の西岸でした。
    イギリス海岸には、青白い凝灰質の泥岩が、川に沿ってずゐぶん広く露出し、その南のはじに立ちますと、北のはづれに居る人は、小指の先よりもっと小さく見えました。
    殊にその泥岩層は、川の水の増すたんび、奇麗に洗はれるものですから、何ともへず青白くさっぱりしてゐました。
    所々には、水増しの時できた小さな壺穴つぼあなあとや、またそれがいくつも続いた浅いみぞ、それから亜炭のかけらだの、枯れたあしきれだのが、一列にならんでゐて、前の水増しの時にどこまで水が上ったかもわかるのでした。
    日が強く照るときは岩は乾いてまっ白に見え、たて横に走ったひゞ割れもあり、大きな帽子をかむってその上をうつむいて歩くなら、影法師は黒く落ちましたし、全くもうイギリスあたりの白堊はくあの海岸を歩いてゐるやうな気がするのでした。
    町の小学校でも石の巻の近くの海岸に十五日も生徒を連れて行きましたし、隣りの女学校でも臨海学校をはじめてゐました。
    けれども私たちの学校ではそれはできなかったのです。ですから、生れるから北上の河谷の上流の方にばかり居た私たちにとっては、どうしてもその白い泥岩層をイギリス海岸と呼びたかったのです。

  • 「猫とモミの木」前編 語り喜多川拓郎 倉沢はすみ作

    「猫とモミの木」後編 語り喜多川拓郎 倉沢はすみ作

    猫とモミの木

    キャスト キャラクター紹介

     

  • 宮沢賢治「貝の火」喜多川拓郎朗読

  • 宮沢賢治「土神と狐」喜多川拓郎朗読

    土神と狐

    宮沢賢治

    一本木の野原の、北のはづれに、少し小高く盛りあがった所がありました。いのころぐさがいっぱいに生え、そのまん中には一本の奇麗な女のかばの木がありました。
    それはそんなに大きくはありませんでしたが幹はてかてか黒く光り、枝は美しく伸びて、五月には白き雲をつけ、秋は黄金きんや紅やいろいろの葉を降らせました。
    ですから渡り鳥のくゎくこうや百舌もずも、又小さなみそさゞいや目白もみんなこの木にまりました。たゞもしも若いたかなどが来てゐるときは小さな鳥は遠くからそれを見付けて決して近くへ寄りませんでした。
    この木に二人の友達がありました。一人は丁度、五百歩ばかり離れたぐちゃぐちゃの谷地やちの中に住んでゐる土神で一人はいつも野原の南の方からやって来る茶いろのきつねだったのです。
    樺の木はどちらかとへば狐の方がすきでした。なぜなら土神の方は神といふ名こそついてはゐましたがごく乱暴で髪もぼろぼろの木綿糸の束のやうも赤くきものだってまるでわかめに似、いつもはだしでつめも黒く長いのでした。ところが狐の方は大へんに上品な風で滅多めったに人を怒らせたり気にさはるやうなことをしなかったのです。
    たゞもしよくよくこの二人をくらべて見たら土神の方は正直で狐は少し不正直だったかも知れません。

  • 喜多川拓郎朗読「月夜のでんしんばしら」宮沢賢治

    月夜のでんしんばしら

    宮沢賢治

    ある晩、恭一はぞうりをはいて、すたすた鉄道線路の横の平らなところをあるいてりました。
    たしかにこれは罰金ばっきんです。おまけにもし汽車がきて、窓から長い棒などが出ていたら、一ぺんになぐり殺されてしまったでしょう。
    ところがその晩は、線路見まわりの工夫もこず、窓から棒の出た汽車にもあいませんでした。そのかわり、どうもじつに変てこなものを見たのです。
    九日の月がそらにかかっていました。そしてうろこ雲が空いっぱいでした。うろこぐもはみんな、もう月のひかりがはらわたの底までもしみとおってよろよろするというふうでした。その雲のすきまからときどき冷たい星がぴっかりぴっかり顔をだしました。
    恭一はすたすたあるいて、もう向うに停車場ていしゃばのあかりがきれいに見えるとこまできました。ぽつんとしたまっ赤なあかりや、硫黄いおうのほのおのようにぼうとしたむらさきいろのあかりやらで、をほそくしてみると、まるで大きなお城があるようにおもわれるのでした。
    とつぜん、右手のシグナルばしらが、がたんとからだをゆすぶって、上の白い横木をななめに下の方へぶらさげました。これはべつだん不思議でもなんでもありません。
    つまりシグナルがさがったというだけのことです。一晩に十四じゅうし回もあることなのです。
    ところがそのつぎが大へんです。
    さっきから線路の左がわで、ぐゎあん、ぐゎあんとうなっていたでんしんばしらの列が大威張おおいばりで一ぺんに北のほうへ歩きだしました。みんなつの瀬戸せともののエボレットをかざり、てっぺんにはりがねのやりをつけた亜鉛とたんのしゃっぽをかぶって、片脚かたあしでひょいひょいやって行くのです。そしていかにも恭一をばかにしたように、じろじろ横めでみて通りすぎます。
    うなりもだんだん高くなって、いまはいかにもむかしふうの立派な軍歌に変ってしまいました。

    「ドッテテドッテテ、ドッテテド、
    でんしんばしらのぐんたいは
    はやさせかいにたぐいなし
    ドッテテドッテテ、ドッテテド
    でんしんばしらのぐんたいは
    きりつせかいにならびなし。」

    一本のでんしんばしらが、ことにかたをそびやかして、まるでうで木もがりがり鳴るくらいにして通りました。
    みると向うの方を、六本うで木の二十二の瀬戸もののエボレットをつけたでんしんばしらの列が、やはりいっしょに軍歌をうたって進んで行きます。

    「ドッテテドッテテ、ドッテテド
    二本うで木の工兵隊
    六本うで木の竜騎兵りゅうきへい
    ドッテテドッテテ、ドッテテド
    いちれつ一万五千人
    はりがねかたくむすびたり

  • 喜多川拓郎朗読島崎藤村足袋

    足袋

    島崎藤村

    比佐ひささんも好いけれど、アスが太過ぎる……」
    仙台名影町なかげまちの吉田屋という旅人宿兼下宿の奥二階で、そこからある学校へ通っている年の若い教師の客をつかまえて、頬辺ほっぺたの紅い宿の娘がそんなことを言って笑った。シとスと取違えたなまりのある仙台弁で。
    この田舎娘の調戯からかい半分に言ったことは比佐を喫驚びっくりさせた。彼は自分の足に気がついた……堅く飛出した「つとわら」の肉に気がついた……怒ったような青筋に気がついた……彼の二の腕のあたりはまだまだ繊細かぼそい、生白いもので、これからようやく肉も着こうというところで有ったが、その身体の割合には、足だけはまるで別の物でも継ぎ合わせたように太く頑固がんこに発達していた……彼は真実ほんとうに喫驚した。
    散々歩いた足だ。一年あまりも心の暗い旅をつづけて、諸国の町々や、港や、海岸や、それから知らない山道などを草臥くたびれるほど歩き廻った足だ。貧しい母を養おうとして、わずかな銭取のために毎日二里ほどずつも東京の市街まちの中を歩いて通ったこともある足だ。兄や叔父の入った未決檻みけつかんの方へもよく引擦ひきずって行った足だ。歩いて歩いて、しまいにはどうにもこうにも前へ出なく成って了った足だ。日のあたった寝床の上に器械のように投出して、生きる望みもなく震えていた足だ……
    その足で、比佐は漸くこの仙台へ辿たどり着いた。宿屋の娘にそれを言われるまでは実は彼自身にも気が着かなかった。
    ここへ来て比佐は初めて月給らしい月給にもありついた。東京から持って来た柳行李やなぎごうりにはろくな着物一枚入っていない。その中には洗いさらした飛白かすり単衣ひとえだの、中古で買求めて来たはかまなどがある。それでも母が旅の仕度だと言って、根気に洗濯したり、縫い返したりしてくれたものだ。比佐の教えに行く学校には沢山亜米利加アメリカ人の教師も居て、皆なそろった服装なりをして出掛けて来る。なにがし大学を卒業して来たばかりのような若い亜米利加人の服装などはことに目につく。そういう中で、比佐は人並に揃った羽織袴も持っていなかった。月給の中から黒い背広を新規にあつらえて、降っても照ってもそれを着て学校へ通うことにした。しかし、その新調の背広を着て見ることすら、彼には初めてだ。
    「どうかして、一度、白足袋たび穿いて見たい」
    そんなことすら長い年月の間、非常な贅沢ぜいたくな願いのように考えられていた。でも、白足袋ぐらいのことはかなえられる時が来た。
    比佐は名影町の宿屋を出て、雲斎底うんさいぞこを一足買い求めてきた。足袋屋の小僧が木の型に入れて指先の形を好くしてくれたり、なめらかな石の上に折重ねて小さなつちでコンコンたたいてくれたりした、その白い新鮮な感じのする足袋のじ紙を引き切って、甲高な、不恰好ぶかっこうな足に宛行あてがって見た。
    「どうして、田舎娘だなんて、真実ほんとに馬鹿に成らない……人の足の太いところなんか、何時の間に見つけたんだろう……」
    醜いほど大きな足をそこへ投出しながら、言って見た。
    仙台で出来た同僚の友達は広瀬川の岸の方で比佐を待つ時だった。漸く貧しいものに願いが叶った。初めて白足袋を穿いて見た。それに軽い新しい麻裏草履ぞうりをも穿いた。彼は足に力を入れて、往来の土を踏みしめ踏みしめ、雀躍こおどりしながら若い友達の方へ急いだ。