福山美奈子

  • 下村千秋「神様の布団」福山美奈子朗読

    Sep 09, 2018

    むかし、鳥取とっとりのある町に、新しく小さな一けん宿屋やどやが出来ました。この宿屋の主人は、貧乏びんぼうだったので、いろいろの道具類どうぐるいは、みんな古道具屋から買い入れたのでしたが、きれいきな主人は、何でもきちんとかたづけ、ぴかぴかとみがいて、小ぎれいにさっぱりとしておきました。
    この宿屋を開いた最初さいしょのお客は、一人の行商人ぎょうしょうにんでした。主人は、このお客を、それはそれは親切にもてなしました。主人は何よりも大事な店の評判ひょうばんをよくしたかったからです。
    お客はあたたかいお酒をいただき、おいしい御馳走ごちそうはらいっぱいに食べました。そうして大満足だいまんぞくで、やわらかいふっくらとした布団の中へはいってつかれた手足をのばしました。
    お酒を飲み、御馳走をたくさん食べたあとでは、だれでもすぐにぐっすりと寝込ねこむものです。ことに外は寒く、寝床ねどこの中だけぽかぽかとあたたかい時はなおさらのことです。ところがこのお客ははじめほんのちょっとの間ねむったと思うと、すぐに人の話し声で目をさまされてしまいました。話し声は子供こどもの声でした。よく聞いてみると、それは二人の子供こどもで、同じことをおたがいにきき合っているのでした。
    「お前、寒いだろう。」
    「いいえ、兄さんが寒いでしょう。」
    はじめお客は、どこかの子供たちが暗闇くらやみ戸惑とまどいして、この部屋へまぎれんだのかも知れないと思いました。それで、
    「そこで話をしているのはだれですか?」となるべくやさしい声できいてみました。すると、ちょっとの間しんとしました。が、また少したつと、前と同じ子供の声が耳の近くでするのでした。一つの声が、
    「お前、寒いだろう。」といたわるように言うと、
    もう一つの声が細い弱々しい声で、
    「いいえ、兄さんが寒いでしょう。」というのです。
    お客は布団ふとんをはねのけ、行灯あんどんをともして、部屋の中をぐるりと見回しました。しかしだれもいません。障子しょうじも元のままぴったりとしまっています。もしやと思って、し入れの戸を開けて見ましたが、そこにも何も変わったことはありませんでした。で、お客は少し不気味ぶきみに思いながら、行灯の灯をともしたままで、またとこの中にもぐり込みました。と、しばらくするとまたさっきと同じ声がするのです。それもすぐ枕元まくらもとで、
    「お前、寒いだろう。」
    「いいえ、兄さんが寒いでしょう。」
    お客は急に体中がぞくぞくとして来ました。もうじっとしてていられないような気持ちになりました。でも、しばらくじっと我慢がまんしていますと、また同じ子供の声がするのです。
    お客はがたがたふるえながら、なおも、聞き耳を立てていますと、また同じ声がします。しかも、その声は、自分のかけている布団の中から出て来るではありませんか。――布団ぶとんが物を言っているのです。
    お客は、いきなりび起きると、あわてて着物を引っかけ、荷物にもつをかき集めてはしごだんけ下りました。そうして、ている主人をり起こして、これこれこうだと、今あったことを息もつかずに話しました。
    しかしあんまり不思議ふしぎな話なので、主人はそれをどうしても信じることが出来ませんでした。商人はあくまでほんとうだと言いります。商人と主人とは、たがいに問答もんどうをしていましたが、とうとうしまいに主人ははらを立てて、
    馬鹿ばかなことをおっしゃるな。はじめての大切なお客さまを、わざわざこまらせるようなことをいたすわけがありません。あなたはお酒にっておやすみになったので、おおかた、そういうゆめでもごらんになったのでしょう。」
    と、大きな声で言い返しました。けれどもお客は、いつまでもそんなことを言い合ってはいられないほど、おじがついていたので、お金をはらうと、とっとと、その宿を出て行ってしまいました。

    あくる日のばん、また一人のお客が、この宿にまりました。このお客も前夜のお客と同じように親切にもてなされて、いい気持ちで寝床ねどこにつきました。
    その夜がけると、宿の主人はまたもそのお客に起こされました。お客の言うことは、前夜のお客の言ったことと同じでした。このお客は、ゆうべの人のようにお酒を飲んではいませんでしたから、宿の主人も酒のせいにすることは出来ませんでした。で主人は、このお客はきっと、自分の稼業かぎょう邪魔じゃましようとしてこんなことを言うのだろうと思いました。で、やっぱり前夜と同じように腹を立てて、大きな声で言い返しました。
    「大事なお客様です、よろこんでいただこうと思いまして、何から何まで手落ちのないようにいたしました。それだのに縁起えんぎでもないことをおっしゃる。そんな評判ひょうばんが立ちましたらわたくしどもの店は立ち行きません。まぁよく考えてからものをおっしゃって下さい。」
    そう言われると、お客もたいへん機嫌きげんを悪くして、
    「わしはほんとうのことを言っているのです。余計よけいなことを言う前に、自身じしんで調べてみなさるがいい。」と言って、これもお金をはらうとすぐに、宿を出て行ってしまいました。
    お客が行ってしまってからも、主人は一人でぷりぷりおこっていましたが、とにかく一度その布団ふとんを調べてみようと思い、二階のお客の部屋へ上って行きました。
    布団のそばにすわってじっと様子をうかがっていると、やがて子供こどもの声がしてきました。それはたしかに一枚の布団ぶとんからするのでした。あとの布団はみんなだまっています。そこで主人は、これは不思議ふしぎだと、二人のお客にまでつけつけと言ったことを後悔こうかいしながら、その掛け布団だけを自分の部屋へ持って来て、そしてそれを掛けててみました。子供の声はたしかにその掛け布団からするのでした。
    「お前、寒いだろう。」
    「いいえ、兄さんが寒いでしょう。」
    主人は一晩中ひとばんじゅうねむることが出来ませんでした。
    夜の明けるのを待って、主人はその布団を買った古着屋へ行き、その話をくわしくしました。古着屋の主人は、そんな布団のいわれは知らないが、その布団は、出入りの古着商から買ったというのです。そこで宿の主人はその出入りの古着商をたずねて行きますと、その人は、あの布団は、町の場末ばすえにあるひどく貧乏びんぼうな商人から買ったのだと言うのでした。で、宿の主人は布団のいわれをさがし出すために、根気こんきよくそれからそれへとたずねて行きました。
    やがてとうとう、その布団ふとんはもと、あるまずしい家のもので、その家族が住んでいた家の家主やぬしの手から、買い取ったものだということがわかりました。そこで宿の主人は、次のような布団の身の上話をきくことが出来ました。

    その布団の持ち主の住んでいた家の家賃やちんは、そのころただの六十せんでした。それだけでもどんなにみすぼらしい家かはおわかりでしょう。しかしそれほどの家賃の支払しはらいにもこまるほどこの家族は貧乏びんぼうなのでした。というのも、母親は病気で長い間とこについたきりでしたし、そのうえにまだはたらくことの出来ない二人の子供こども――六つの女の子と八つになる男の子があり、父親は体が弱くて思うように働くことが出来なかったからです。またこの家族は、たよるべき親戚しんせきや知り合いが鳥取とっとりの町中に一人もありませんでした。
    ある冬の日のこと、父親は仕事から帰って来て、気分が悪いと言って床についたなり、やまいは急に重くなって、それきり頭が上がらなくなりました。そして一週間ほど薬ものめずにわずらってとうとう死んでしまいました。二人の子供をのこされた母親は床の中で毎日いていましたが、間もなく病が重くなり、母親もついにくなってしまったのです。二人の子供はき合って泣いているより外はありませんでした。どちらへ行っても知らぬ他人ばかりで、助けてくれるような人は一人もありません。雪にもれた町の中で、子供たちは、働こうにも、何一つ仕事がないのでした。子供たちは、家の中の品物を一つずつ売ってらしていくより外はなかったのです。
    売る物と言っても、もとからの貧乏暮びんぼうぐらしですから、そうたくさんあろうはずはありません。死んだ父親と母親の着物、自分たちの着物、布団四、五枚、それから粗末そまつな二つ三つの家具、そういう物を二人は順々じゅんじゅんに売って、とうとう一枚の布団ぶとんしかのこらないようになってしまいました。そうしてついに何も食べるものがない日が来ました。言うまでもなく、家賃やちんなどを支払しはらっているどころではありません。
    それは冬でも大寒だいかんといういちばん寒い季節きせつでした。この季節になると、この地方は、大人のたけほどの雪がもり、それが春の四月ごろまでとけずにいるのです。二人の子供こどもの食べるものがなくなったその日も朝から雪で、午後からは、ひどい吹雪ふぶきになりました。二人の子供は外へ出ることも出来ません。空いたおなかかかえながら二人はたった一枚の布団ふとんにくるまって、部屋のすみにちぢこまっていました。あばら家のことですからどこも隙間すきまだらけです。その隙間から吹雪は遠慮えんりょなくき込んで来ます。二人はぶるぶるふるえながら、しっかりとき合って、子供らしい言葉でたがいになぐさめ合うよりしかたがありませんでした。
    「お前、寒いだろう。」
    「いいえ、兄さんが寒いでしょう。」
    二人はそれを互いにくり返して、言い合っていました。
    そこへ、家主がやって来たのです。無慈悲むじひな家主はこわい顔をして、荒々あらあらしくおこって家賃の催促さいそくをしました。二人の子供はおどろきと悲しみのあまりものを言うことも出来ませんでした。首をすくめ、目をしばたたいているばかりでした。家主は、家の中を、じろじろ見回していましたが、金目かねめの品物は何一つないのを知ると、らんぼうにも、子供たちがくるまっていた一枚の布団をひったくってしまいました。そのうえ子供たちを家の外へ追い出して、家の戸にはじょうを下ろしてしまったのです。
    追い出された二人の兄妹きょうだいはもとより行く所はありません。少しはなれたお寺の庫裡くりまどからあたたかそうなの光がれて見えましたが、雪が子供こどもたちのむねほどももっていましたので、そこまでも行くことも出来ません。それに子供たちは一枚の着物しか着ていませんので、体中がこごえてしまって、もう一足も動けそうもありませんでした。
    そこで二人は、こわい家主が立ち去ったのを見ると、またもとの家の軒下のきしたへこっそりとしのびりました。
    そうしているうちに二人は、だんだんとねむくなって来ました。長い間あんまりひどい寒さにあっていると、だれでも眠くなるものなのです。兄妹は少しでもあたたまろうと、たがいにぎっしりとき合っていました。そしてそのまましずかなねむりに落ちて行きました。こうして兄妹が眠っている間に、神様は新しい布団ふとん――真っ白い、それはそれは美しい、やわらかい布団を、抱き合った兄妹の上にそっとけて下さいました。兄妹はもう寒さを感じませんでした。そしてそれから幾日いくにちも幾日もそのままで安らかに眠りつづけました。
    やがてある雪のやんだ日、近所の人が、雪の中につめたくなっている二人の兄妹の体を見つけ出しました。兄妹はそうして冷たい体になっても互いにしっかと抱き合っていました。

    宿屋の主人はこの話を聞いてしまうと、しばらくの間だまって目をつぶって、神様にいのるようなふうをしていました。それから家へ帰って、ものを言う不思議ふしぎな布団を持ち出して、二人の兄妹の家の近くのお寺へ行っておさめました。そして、そこのおぼうさんにたのんで、小さい美しい二人のたましいのために、ねんごろにおきょうをあげてもらいました。
    それからその布団は、ものを言うことをめました。そして宿屋もたいへんに繁昌はんじょうしたということであります。

  • 村山籌子「お猫さん」福山美奈子朗読

    Sep 01, 2018

    毛を染めかへたおねこさん

    お正月が近づいて来たので、おねこさんのお父さんとお母さんはお猫さんをお風呂ふろに入れて、毛皮の手入れをしなくちやならないと考へてをりました。なぜといつて、お猫さんは白猫さんでしたから。
    「お父さん、ここに石けんの広告が出て居ますよ。これを使つたらどうかしら。何しろ、お猫さんは大変なおいたで、ふだんから、お風呂がきらひなので、まるで、どぶねづみみたいによごれてゐますからね。」
    「どれ、どれ。成程なるほど、これなら大丈夫。これにしましよう。」とお父さんは賛成して、お金を下さいました。
    その石けんはラツクスといつて、人間でもめつたには使はない上等の石けんですから、お猫さんのうちなんかで使ふのは勿体もつたいないぐらゐです。けれども、お猫さんのためなら、お猫さんのお父さんやお母さんはいくら高くてもがまんをいたしました。
    石けんを買つて来たお母さんは、お猫さんをお風呂に入れました。長いあひだはいらないものですから、身体からだ中にしみて、お猫さんはがまんが出来なくて泣きました。けれども、お風呂から上つて、毛がかわくと、それはそれは目もまぶしいくらゐに美しく真白まつしろになりました。
    お父さんもお母さんも自分の子ながら、あんまり美しいので、思はず、うれし涙を出したくらゐでした。
    ところが、お猫さんのおとなりにおくろさんといふ真黒まつくろなお猫さんが住んでゐました。お猫さんのお友達です。そのお黒さんが、お風呂から上つたばかりのお猫さんの所へあそびに来ました。お黒さんも、やはりお風呂から上りたてで、それは美しくピカピカと毛を光らせてをりました。
    二人は、いや、二匹はお家をとび出して、町の方へ遊びに出かけました。
    「あなたは真白でとてもいいわね。ステキよ。」とお黒さんが言ひました。「あなた真黒で、とてもハイカラよ。」とお猫さんが言ひました。二匹は生れついた色がきらひで、他人のものがよく見えて仕方がありません。人間の子供みたいです。
    ところが、町の化粧品やさんで、大売出しをやつてゐました。楽隊がプカプカドンドンと鳴つてゐて、それは面白さうでした。二匹はそこへかけつけて行きました。
    化粧品やさんでは、「毛皮の染めかへ」薬を売出してゐました。
    「さあ、どなたでも、ためしにお染めかへいたします。売出し中はお金はいたゞきません。さあ、どなたでも。どなたでも。」
    お猫さんとお黒さんは胸がドキドキして来ました。「どう? そめてもらはない? たゞだつて」
    二匹は顔と顔とを見合はせてモジモジしてゐましたら、化粧品やのおぢさんはすぐに「さあ、染めてあげませう。」と言つて、お猫さんを真黒に、お黒さんを真白に染めかへてくれました。
    二人はよろこびました。とてもうれしくて、自慢で、早くお父さんやお母さんに見せようと思つてとんでかへりました。
    お猫さんのお父さんお母さんは、お黒さんに言ひました。「お猫さんや。」お黒さんのお父さんやお母さんはお猫さんに「お黒さんや。」と言つて、二匹をとりちがへてしまひました。二匹はおどろいて、わけを話しましたが、どうしてもお父さんやお母さんたちはそれが分りません。二匹はかなしくなつて泣きました。
    そこへ近所の犬さんが通りかかつて、にほひでかぎわけてくれたので、お父さんやお母さんたちは、どれが自分の子供だか、やつと分つたさうです。二匹は胸をなで下しました。

    入院したおねこさん

    ねこさんとおくろさんが毛を染めかへて、白い毛のお猫さんが黒くなり、黒いお黒さんが白くなつてしまつたことは一月号でお話しましたね。
    それから一月たちました。二匹の毛の色はだん/\染がはげて来て、二匹とも、ねずみ色になつてしまひました。人間からいふと、ねずみ色といふ色も、なか/\よい色ですけれども、猫の世界では、一番いやな色だと思はれてゐます。猫とねずみは一ばん仲がわるいのですからね。
    そこで、お猫さんとお黒さんのお父さんやお母さんたちは、二匹を病院にでもつれて行つて、早く毛の色を落してしまひたいと思ひました。けれども、お猫さんも、お黒さんも、なか/\、病院に行くことを承知いたしません。病院といふところは、こわい所だと思ひ込んでゐましたから。
    「なぜ、病院へゆくのはいやなの? 早く毛をきれいにしないと、学校へ上れませんよ。」お母さんたちはかうおつしやいました。
    「だつて、お昼間、こんななりして外へ出るのはいやだから。」とお猫さんとお黒さんは申しました。病院がこわいなんていふことは言ひません。人間の子供でもさうですが、猫の子供は本当に心配だと思ふことはいはないくせがあります。
    そこで、お父さんやお母さんは、夜の病院をさがしました。幸なことに、鳥山トリヤマ夜間病院といふのがみつかりました。院長さんは、ふくろう先生でした。
    お猫さんとお黒さんは、そこへ行くことにきまりました。
    「本当は、病院に行くのがいやなの※(感嘆符二つ、1-8-75)」と、泣いてみましたけれども、もう、仕方がありません。二匹は、病院に入院いたしました。ふくろう先生は二匹を、診察いたしました。そして、色のさめるお薬をぬつて下さいました。一日三回づゝ。
    それから一週間たちました。お薬はせつせせつせと、ぬりましたが相変らず、色はなか/\さめません。少しはさめたのですが、まるで、むらになつてしまつて二匹とも、ます/\みつともなくなつて来ました。
    お猫さんとお黒さんは泣きました。もうおうちへ帰りたいと言つて。お父さんやお母さんたちも泣きました。せつかくかはいらしかつた子供たちがこんなにみつともなくなつたと云つて。

    ねこさんの毛はやつと元の通りになります

    二月号には、おねこさんの毛が白くならないので、とう/\お猫さんたちと、お父さんやお母さんたちが、泣き出したところまでお話いたしましたね。
    みんながそれ/″\に泣き出したので、さすがのふくろう先生もどうしたらよいかと、さんざん工夫いたしましたが、どうしても思ふやうにまゐりません。けれども、さすがは、病院の院長さんだけあつて、大決心をして、お父さんやお母さんたちに言ひました。
    「さて、お子さんの毛については、いろ/\苦心いたしましたが、これはもう普通のことではよくなりません。手術をするより外ありません。」
    お父さんやお母さんたちはおどろいて目をまはしさうになりましたけれども、仕方がないと思つたので、
    「どうか、その手術をお願ひいたします。」と、泣きながら言ひました。
    ふくろう先生は、別の部屋で、早速その手術をいたしました。十五分位ですみました。
    「さあ、手術はすみました。」とふくろう先生がおつしやいましたので、お父さんやお母さんたちは手術室へ走つて行きますと、お猫さんと、お黒さんの毛を一本ものこさず、かみそりで、すりおとしてありました。
    お父さんやお母さんたちはどんなにうれしかつたでせう。血なんぞ一滴も出てゐないのですから。
    それから、ふくろう先生は二匹に毛生薬けはえぐすりを沢山ぬりつけて、風邪をひかないやうに、暖い毛布で、二匹を包んで下さいました。二匹は目をパチクリさせながら、
    「涼しいやうな、暖いやうな気持がするわ。」と言ひましたので、みんな大笑しました。
    それから、十日程の間に、お猫さんには真白な、お黒さんには真黒の毛が立派に生えそろひました。二匹はふくろう先生にお礼を言つて退院いたしました。
    お父さんやお母さんたちもやつと安心いたしましたが、なか/\お父さんやお母さんといふものは心配が多いものですね。

    ベルさんのお鼻をひつかきました

    ねこさんとおくろさんは毛がちやんと元通りに生へそろつたので、もう外にあそびに行けるやうになりました。ところがたちまちのうちに、又々お猫さんの町中のうわさになるやうな事件を引きおこしてしまひました。やれやれ。
    その日は丁度、お天気がよくて、暖い日が照つてゐました。お猫さんとお黒さんはおうちにゐるのがつまらなくなつて、外へ出かけました。
    すると、お隣りのお庭に、それは/\きれいな小さいおうちが建つてゐるのに気がつきました。
    「あら、あんな所におうちが建つてゐるわ。一体、何でせう?」とお猫さんが言ひました。
    「あれは、お隣りの犬のベルさんのおうちよ。こないだ、こさへてもらつたばかりよ。」とお黒さんはお母さんにでも聞いたのでせう、仲々いろんな事を知つてをります。
    お猫さんは言ひました。
    「そんな事ない。ベルさんなんかに、あんな美しいおうちなど、たてる人などないわ。いつだつて、泥だらけの足をしてゐるから。」
    そして、お猫さんは遠慮なくその小さいおうちの中にはいつてゆきました。お黒さんも仕方なくお猫さんについてゆきました。
    うちの中には新しいよいにほひのするわらが一杯しいてありました。風ははいらないし、暖くて、その上しづかで、お猫さんとお黒さんは思はず、藁の中にもぐり込んで、寝てしまひました。何時間かたちました。
    「もし、もし、お猫さん、お黒さん、起きて下さい。こゝはわたしうちですから。」といふ声がしたので二匹は目をさましました。二匹は、横になつたまゝ外を見ると、ベルさんが立つてゐました。お黒さんはお猫さんに言ひました。
    「お猫さん、矢張りこれはベルさんのうちよ。早く帰りませう。」と言ひましたがお猫さんは動きません。ベルさんは外でうなり初めました。お猫さんは仕方なく起き上つて、いきなりベルさんのお鼻を引つかきました。ベルさんのお鼻の先からは血が出ました。
    お猫さんとお黒さんは後も見ずに走つてお家へ帰りましたけれども、晩のごはんもろくにのどに通りませんでした。矢張りわるい事をしたのだといふことは分つてゐましたからね。
    その晩中に、ベルさんのお鼻をひつかいたことが、街中に知れわたつてしまひました。何故なぜといつて、ベルさんがお薬屋さんへ行つて、
    「お猫さんに引つかかれた時につける膏薬かうやく」といふ薬を買つたからです。
    「もうお外へ行つてはいけません。」とお猫さんとお黒さんのお母さんはおつしやいました。

    とんだことになりました

    さて、おねこさんとおくろさんは外に出られなくなりました。もちろん学校へも行けません。
    「おとなしくお留守をしていらつしやい。今日一日おとなしくしてゐれば、明日あしたから学校に行かせてあげますから。お三時やつのチヨコレートを戸棚とだなの中に入れておきますよ。」とお母さんはおつしやいました。そして、二匹をお部屋に残して買物にでかけました。
    お猫さんとお黒さんはいたづらつ子でしたけれども仲々学校が好きなものですから、今日はほんとにおとなしくしてゐようと思ひました。
    もう一週間も学校を休んでゐるのですからね。
    初めのうちは日向ひなたぼつこをしたり、本をよんだりしてゐましたけれども、段々たいくつになつて来て、そこにかけてあつた、お父さんの洋服をお猫さんが着ました。お黒さんはお母さんの着物を引きずる程長く着て、おしろいとほゝ紅をつけました。お猫さんは墨で口ひげをかきました。
    「とてもよく似合つてゐるわ。」とお猫さんはお黒さんに云ひました。
    「とてもよく似合つてゐるわ。」とお黒さんはお猫さんに云ひました。
    二人はすつかり大人になつたつもりで部屋中をゐばつて歩きまはりました。
    その時、おげんくわんで、「ご免下さい。」といふ声がきこえました。
    お猫さんとお黒さんは二匹そろつて、おげんくわんに出て行きました。まるで、お父さんとお母さんのやうに気取つて。
    ところが、二匹はお客さまの顔を見ると、
    「いらつしやいませ」とも云はず「キヤーツ」と声を出してお部屋へにげてかへりました。何故なぜといつて、それは学校の先生でしたから。そして、二匹は恥かしくて、ポロ/\と涙を流して泣きました。
    三時やつものどに通りません。
    お母様がおいしいお夕はんを買つて来て下さつたのですが、それも、食べられません。
    お母さんが、
    明日あしたから学校ですよ。早くおねなさい。」といつても、眠りません。可哀さうな二匹ですね。そして二匹が泣きながら、
    「学校なんていや。行きたくない。」と云ひました。が、明日になれば、どうしても学校へ行かなければなりません。
    身から出たさびとはいひながら、仲々、つらいことですね。

    汚い手をして

    「今夜はあひるさんのお誕生日ですから、着物をおきかへなさい。お顔も、手も足もきれいに洗ふのですよ。」とおねこさんとおくろさんのお母さんはおつしやいました。
    「はい。」と二匹はお返事しました。そして、顔を洗ひましたが、手と足はめんどくさかつたので洗ひませんでした。
    それから二匹はあひるさんところへ行きました。
    おごちさうが山ほど出て来ました。
    「さあ、ごゑんりよなく、沢山めしあがつて下さい。」とあひるさんが言ひました。
    お黒さんとお猫さんは大よろこびで、おいしいおごちさうをいたゞかうとしましたが、何分、おめでたい日なので、電燈は三百しよくの明るいのをつけてありましたし、テーブル掛は真白まつしろだしするものですから、二匹の手の汚く見えるといつたら※(感嘆符二つ、1-8-75) 二匹は他のお客様が横をむいてゐるうちにそつとおごちさうを頂きました。そして、みんなが前をむいてゐる時には、テーブルの下で、手の泥をこすり落しました。けれども、もう間に合ひません。折角のおごち走ものどに通りません。
    やがて、主人のあひるさんが立ち上つて言ひました。「皆さん、どうも今夜はわざ/\おいで下さつてありがたう存じました。ところが、さつきから見てゐますと、お猫さんとお黒さんは少しもおごち走をめし上がりません。さあ、どうぞ御遠慮なく。」と申しました。すると、ほかのお客様までが一緒になつて、
    「さあ、どうぞ、どうぞ。」と言つて、おごち走を二匹の前へ集めました。
    二匹は顔を見合はせて泣き出しさうにしました。しかし仕方がありません。真赤まつかな顔をして泥だらけの手を出して、おごち走を頂きました、一人のこらずのお客様が見てゐるなかで。
    すると一人のお客様が言ひました。
    「まあ、お二人のお手のきれいなこと※(感嘆符二つ、1-8-75)
    すると、お客様はみんな一度に笑ひました。あひるさんは主人だけあつて、すぐにかう言ひました。
    「なに、大したことはありませんさ。石けんで洗へばきれいになるんですからね。」と、そして二匹を洗面所へつれてつて、手を洗はせて下さいました。帰つて来るとお客様たちは笑ひながら言ひました。
    「まあ、お猫さんとお黒さんのお手のきれいになつたこと※(感嘆符二つ、1-8-75)
    二匹は赤い顔をしましたが、それからは大ゐばりで沢山おごち走をいたゞきました。

    プールへ行きました

    大へん暑くなりました。なにしろ、おねこさんやおくろさんは夏だつて毛がはえてゐるのですから、その暑さときたら、とてもたまつたものではありません。二匹はうだつてしまひさうになりました。
    ところが、すぐ近いところにプールが出来ました。お猫さんがそれを見つけて来ました。
    「お黒さん、たれにも言つちやだめよ。あんまり沢山ゆくと、プールが満員になつてはいれなくなるから。」とお猫さんは言ひました。二匹は早速でかけました。
    途中まで来ると、仔犬こいぬを十一匹つれた犬さんに会ひました。
    「お猫さんとお黒さん、どこへ行くの? わたしたちも一緒にそこまで行きませう。おう、暑いこと。」と、犬さんは言ひました。「犬さん、私たち、汽車の通るのを見に行くの。仔犬さんたちがあぶないことよ。」とお猫さんが言ひました。すると犬さんはあわてゝ仔犬さんたちをつれてむかふへ行つてしまひましたのでお猫さんとお黒さんは顔を見合せて喜びました。
    もう少しゆくと、今度は仔豚さんを二十匹つれた豚さんに会ひました。豚さんは、
    「お猫さんたち、暑いですね。どこか涼しい所へ一緒に行きませう。」といひました。お猫さんはあわてゝ
    「私たちとても暑い所へ行くところなんですから御一緒にまゐれません。」といひました。
    それから、にはとりさん、ねずみさんなどにあひましたが、みんなうまいこといつてことはりました。そしてやつとのことでプールへつきました。
    水泳の先生のあひるさんが、五六羽、プールの中で、それはそれは上手に泳いでゐましたが、お猫さんとお黒さんの外には、誰一人泳ぎに来てをりません。二匹は泳ぎははじめてですから、とても先生ばかりの中へは、はづかしくてはいつて行けません。
    「みんな一緒につれて来るといいのにあなたが勝手にことはつてしまうんだもの。」とお黒さんはブツブツおこりました。「だつて、満員になつたら困ると思つたんだもの。」とお猫さんは言ひかへしました。二匹はフクレツ面をして、顔を見合せましたが、顔といはず、身体からだといはず、汗が滝のやうに流れ出しました。とても暑くてたまらないので、先生たちが、上へあがつて休んでゐる間に、大いそぎで、ジヤブジヤブと水をはねかへして、およぎました。
    そこへ、さつきあつた、仔犬さんをつれた犬さん、仔豚さんをつれた豚さん、にはとりさん、ねずみさん、みんなぞろぞろやつて来ました。お猫さんとお黒さんは、どんなに恥しかつたでせう。でも、着物をぬぐ所を教へてあげたり、仔どもたちに水着を着せてあげたりしたので、誰も二匹を悪くは思ひませんでした。
    みんなで夕方までおよぎました。それでやつと涼しくなりました。

    床やさんへ行きました

    そろそろ学校のはじまる九月になりました。おねこさんとおくろさんは学校が大へん好きですから、学校が初るのが待ち遠しくて、夜もなか/\ねむれない位でした。
    でも、たうとう八月三十一日になりました。八月三十一日は、学校の始る前の日です。
    お猫さんとお黒さんは、本も、帳面も、鉛筆も、洋服も、くつも、みんなよくそろへました。そろへてしまふと、がつたりとつかれました。
    二匹はベツトの上にならんで横になつて休みました。そして、二匹は、お互ひの顔をつくづくとながめました。二匹のお顔はまるで、エスキモー犬のやうに毛がのびてゐました。お猫さんはいひました。
    「あなたのお顔といつたら、まるでくまそみたいね。毛がもぢやもぢやで。」さういはれたお黒さんはおこつていひました。
    「あなたこそくまそみたいぢやないの。」二匹はめいめい自分の顔はみえないものですから、自分の顔はまるで、玉子に目鼻をつけたやうにつる/\と美しいのだと思ひ込んでゐるから大変です。今にも、ひつかき合ひがはじまらんばかりの形勢になつて来ました。お母さんがとんできていひました。さあ、けんかはやめて、床やさんへいらつしやい。そして十銭玉を二つづつ下さいました。
    二匹は床やさんへでかけました。途中でも、一言も話をしません。二匹ともカンカンになつておこつてゐたからです。
    床やさんに行きますと、床やさんは二匹を見て、あんまりよくはえてゐるので、ゲラゲラ笑ひました。二匹は大変恥しくて、顔が赤くなりさうになりましたが平気な顔をして、椅子いすの上にあがりました。床やさんはそれはそれは上手に刈りました。二匹は生れかはつたやうに可愛らしいお猫さんになつてゆきました。それで、二匹はちよつと顔を見合はせて、ニツコリと笑ひかけましたが、さつきのけんかを思ひ出して、歯をくひしばりました。その時に、はさみを動かしながら、床やさんがきゝました。
    「お二人とも、おそろひの型にお切りしませうね。」と、すると、二匹はいきなり顔を横にふつて、「いやです!」といひました。床やさんの鋏は、その時、ガチヤリと下へそれて、二匹の大事な大事なおひげを、チヨツキンと切り落してしまひました。お猫さんとお黒さんは泣きました。床やさんはあわてました。
    そして、切り落したおひげを探しましたが、あひにくなことに、扇風機をかけてゐたので、おひげは風にふきとばされてどこへ落ちたのやら。

    グニヤ/\になりました

    月日のたつのは早いもので、おねこさんとおくろさんのチヨン切られたおひげも、もう立派に生えそろひました。
    そこで、遠くの町にゐる伯母をばさんのところへ二人であそびに出かけることになりました。
    伯母さんは洋服やさんでしたから、二匹が一年に一度づゝ遊びに行つた時に、それはそれは美しい洋服を一着づゝ、二匹に下さることになつてゐました。
    二匹は、前の日からそれを楽しみにして、夜があけるとすぐに出かけました。御飯も食べないで。
    伯母さんのおうちについたのが、朝の六時、まだ、お店の戸さへあいてゐません。二匹は仕方なく、お店の入口によつかかつて待つてゐました。
    牛乳やさんが通りました。新聞やさんが通りました。おとうふやさんが通りました。それから、お役所や、会社へ行く人が通りました。みんな二匹の方を見て、「おや、おや、迷ひ猫だ。」と言ひました。
    お猫さんとお黒さんはそれから二時間もそこにがんばつてゐましたが、段々におなかがすいて来ました。のどもかわいてゐました。
    それから又二時間もたつて、そろそろお昼になるのに、お店の戸があきません。
    朝来たおとうふやさんがお昼のおとうふをかついで、歩いて来ました。
    そして、二匹を見て云ひました。
    みちを迷つたんですか、おうちはどこ?」ときゝました。
    「伯母さんところへ来たんだけど、お店があくのを待つてるの。」と二人は言ひました。
    おとうふやさんは、
    「やれやれ気毒きのどくな、『今日は出かけますからお休みです。』とそこにはりつけてありますよ。」
    二匹はそれを見て、がつかりしました。それと一緒に、土の上にへたばつてしまひました。おなかがペコ/\になつて、足の骨がグラグラしてゐる所へ、びつくりしたのですから。
    おとうふやさんはおどろきました。どうしたらよからうかと思ひました。
    「仕方がない。こゝへおはいり。」さう言つておとうふやさんは、二匹の首すじをつまんで空いた方のとうふおけへ入れました。
    それから、二匹をうちへつれて行つてくれることになりましたが、「とーふ、とーふ」と、おとうふをうりながら行くのですから、その時間のかゝることといつたら。それでも、やつとこさお昼の三時頃におうちの門まで帰りつきました。
    「まあ、大変なものに乗つかつて。」と、言つて、お母さんと伯母さんがおうちの中からとんで来ました。それで、お母さんは一円出しておとうふやさんへ、お礼の代りにおとうふの残りを全部買つてやりました。伯母さんは二匹が出かけないうちにと、朝のうちにとてもいゝ洋服を持つて来て下すつたのでした。伯母さんは早速、二匹に着せようとしましたが、もともと骨のやわらかいところへ、足がぐらついてゐるお猫さんとお黒さんのことですから、まるで、グニヤ/\になつて、どうしても着せられません。伯母さんとお母さんはお腹をかゝへて笑ひました。それからおこりました。
    でも、二匹はどうにもなりませんので、ごはんを、おさじでたべさせて、ベツトへねかしました。
    まるで、赤ちやんになつたみたいですね。あんまりせつかちだとこんな事になります。

    いぢわるをしました

    グニヤグニヤになつたおねこさんとおくろさんは一晩ぐつすりねむつたので、すつかり元気を取りもどしました。そして、洋服やさんの伯母をばさんにいただいた洋服を着て、お友達のあひるさん所へ見せびらかしにでかけてゆきました。
    あひるさんはお猫さんとお黒さんの洋服を見ると、すぐに、お母さんに言ひました。
    「お母さん、私にも、あんな洋服買つてちようだい。」
    お母さんはお猫さんとお黒さんの洋服を前からうしろからよくながめてから
    「ほんとに、よく出来たお洋服ね。うちのあひるさんにも、同じ所で買つてやりませう。どこで買つたの? そして、おねだんはいくらなの?」と聞きました。
    お猫さんとお黒さんはいひました。
    「おばさん、このお洋服は買つたんぢやないの。私たちの伯母さんがこさへて下さつたの。いくらお金を出しても、ほかの人にはこさへては下さらないわ。」
    あひるさんはそれをきくと、メチヤクチヤに泣き出しました。
    お猫さんとお黒さんはいひました。
    「ほんとにしやうのないあひるさんね。ああ、やかましいこと。」
    そして、さつさとおうちへ帰つて来ました。なかなかいぢわるですね。
    ところが、あひるさんは泣いて泣いて泣き通しました。「あんな洋服がほしい。あんな洋服がほしい。」と、むりもありません。まだ子供なんですから。
    そこで、仕方なく、あひるさんのお母さんはお猫さんとお黒さんのおうちへいつて、二匹のお母さんにお話いたしました。
    「どうか、うちのあひるさんにも、同じ洋服をこさへて下さるやうに、おねがひして下さいませんか。ほんとにお気毒きのどくですけれども。」
    お猫さんたちのお母さんは申しました。
    「どうぞ、どうぞ、御遠慮なく。そのうちは、洋服やさんなのですから、どんな御注文でも、よろこんでお仕立て申し上げます。」
    あひるさんのお母さんは大へんよろこびました。そして、「早速、注文にまゐります。あひるさんをつれて。」といつて、とんでかへりました。
    それをきいてゐたお猫さんとお黒さんは顔を見合はせて、がつかりいたしました。
    後で二匹はお母さんに大へんしかられました。
    「あんないぢのわるい事を言ふもんぢやありません。」と。
    二匹の顔は真赤まつかになりました。が、幸なことに、顔中毛だらけでしたから、ひとには分りませんでした。

    お風呂にはいつてつかれました

    寒い寒い冬になりました。おくろさんと、おねこさんの毛はむくむくあたたかさうに一ぱい生へそろつて来ました。それはそれは、可愛らしくなりました。
    そこで、お猫さんのお母さんは、あひるさんのお母さんに手紙を書きました。
    「大変おさむくなりまして、皆々様お変りもございませんか。私ども、鳥やけものは、冬になりますと、羽根や、毛がりつぱに生へそろひ、まことに美しくなるやうでございます。お宅のアー太郎さん、ヒー太郎さん、ルー太郎さんも、さぞ、さぞ、美しくおなりのことと思ひます。宅のお猫さんも、お黒さんも、大さう美しくなりました。それで、今晩ぜひとも、アー太郎さん、ヒー太郎さん、ルー太郎さんをおつれになつて、おいて下さいませ。おごちさうをたべながら、子供たちのじまんをいたしたうございます。かしこ。」
    この手紙を出してから、お母さんは二匹をお風呂ふろに入れました。えりアカ、足アカ、手アカ、そんなものはすつかりとれてしまひました。そして、お猫さんには白い粉をふりかけました。お黒さんには黒い粉をふりかけました。実に見とれるばかりの美しさになつたので、お母さんは、すつかりよろこびました。
    夜になりました。あひるさんのお母さんは、御自まんのアー太郎、ヒー太郎、ルー太郎さんをみがきたててつれて来ました。
    「ガー、ガー、ガー、ガー」とあひるさんたちは大へんな声を出して、元気よく、お猫さんのおうちへ来ました。
    「まあ、まあ、なんて、お立派な」といつて、お猫さんのお母さんがおどろいた程、あひるさんたちはきれいだつたのです。しかし、心の中では、「うちのお猫さんたちの方がもつときれいだ。」と思ひました。
    あひるさんたちは、テーブルにすわりました。おごち走が出ました。
    ところが、お猫さんとお黒さんはなかなか出て来ません。
    「あの、失礼でございますが、お猫さんとお黒さんはどうなさいました。」とあひるさんのお母さんがきゝました。
    「お猫さん、お黒さん、早くでて来たまへ。ガー、ガー、ガー、ガー」とあひるさんの子供たちがさわぎ出しました。
    お猫さんのお母さんは、おごち走のおこしらへやら、あひるさんたちへの御あいさつやらで、かんじんのお猫さんたちのことはほとんど忘れてしまつてゐたのです。
    お母さんは家中、さがしました。けれども二匹は見つかりません。それで、も一度さがしましたら、二匹はおねまきをきて、ベツドにはいつて、グーグーねてしまつて、どうしても起きません。
    「どうも、すみませんが、どうしても起きてまゐりません。なにしろ、今日、お風呂に二時間もはいつてたもんですから、つかれてしまつたんでございませう。」とお猫さんのお母さんが申しました。ずゐぶん情なかつたでせう。
    ところが、何やら、あたりが静かになつたと思つたら、テーブルについたまま、アー太郎さん、ヒー太郎さん、ルー太郎さん、みんなグーグーねこんでしまひました。
    「どうもすみません。なにしろ、今日、お風呂に二時間もはいつてたもんですから。」とあひるさんのお母さんがおつしやいました。
    それで、その晩の、「子供自慢会」はおめになりました。

  • 新美南吉「花のき村と盗人たち」福山美奈子朗読

    36.65
    May 02, 2018

    むかし、はなのきむらに、五人組にんぐみ盗人ぬすびとがやってました。
    それは、若竹わかたけが、あちこちのそらに、かぼそく、ういういしい緑色みどりいろをのばしている初夏しょかのひるで、松林まつばやしでは松蝉まつぜみが、ジイジイジイイといていました。
    盗人ぬすびとたちは、きたからかわ沿ってやってました。はなのきむらぐちのあたりは、すかんぽやうまごやしのえたみどり野原のはらで、子供こどもうしあそんでおりました。これだけをても、このむら平和へいわむらであることが、盗人ぬすびとたちにはわかりました。そして、こんなむらには、おかねやいい着物きものったいえがあるにちがいないと、もうよろこんだのでありました。
    かわやぶしたながれ、そこにかかっている一つの水車すいしゃをゴトンゴトンとまわして、むら奥深おくふかくはいっていきました。
    やぶのところまでると、盗人ぬすびとのうちのかしらが、いいました。
    「それでは、わしはこのやぶのかげでっているから、おまえらは、むらのなかへはいっていって様子ようすい。なにぶん、おまえらは盗人ぬすびとになったばかりだから、へまをしないようにをつけるんだぞ。かねのありそうないえたら、そこのいえのどのまどがやぶれそうか、そこのいえいぬがいるかどうか、よっくしらべるのだぞ。いいか釜右ヱ門かまえもん。」
    「へえ。」
    釜右ヱ門かまえもんこたえました。これは昨日きのうまでたびあるきの釜師かましで、かま茶釜ちゃがまをつくっていたのでありました。
    「いいか、海老之丞えびのじょう。」
    「へえ。」
    海老之丞えびのじょうこたえました。これは昨日きのうまで錠前屋じょうまえやで、家々いえいえくら長持ながもちなどのじょうをつくっていたのでありました。
    「いいか角兵ヱかくべえ。」
    「へえ。」
    とまだ少年しょうねん角兵ヱかくべえこたえました。これは越後えちごから角兵ヱ獅子かくべえじしで、昨日きのうまでは、家々いえいえしきいそとで、逆立さかだちしたり、とんぼがえりをうったりして、一もんもんぜにもらっていたのでありました。
    「いいか鉋太郎かんなたろう。」
    「へえ。」
    鉋太郎かんなたろうこたえました。これは、江戸えどから大工だいく息子むすこで、昨日きのうまでは諸国しょこくのおてら神社じんじゃもんなどのつくりをまわり、大工だいく修業しゅぎょうしていたのでありました。
    「さあ、みんな、いけ。わしは親方おやかただから、ここで一服いっぷくすいながらまっている。」
    そこで盗人ぬすびと弟子でしたちが、釜右ヱ門かまえもん釜師かましのふりをし、海老之丞えびのじょう錠前屋じょうまえやのふりをし、角兵ヱかくべえ獅子ししまいのようにふえをヒャラヒャラらし、鉋太郎かんなたろう大工だいくのふりをして、はなのきむらにはいりこんでいきました。
    かしらは弟子でしどもがいってしまうと、どっかとかわばたのくさうえこしをおろし、弟子でしどもにはなしたとおり、たばこをスッパ、スッパとすいながら、盗人ぬすびとのようなかおつきをしていました。これは、ずっとまえからつけや盗人ぬすびとをしてたほんとうの盗人ぬすびとでありました。
    「わしも昨日きのうまでは、ひとりぼっちの盗人ぬすびとであったが、今日きょうは、はじめて盗人ぬすびと親方おやかたというものになってしまった。だが、親方おやかたになってると、これはなかなかいいもんだわい。仕事しごと弟子でしどもがしててくれるから、こうしてころんでっておればいいわけである。」
    とかしらは、することがないので、そんなつまらないひとりごとをいってみたりしていました。
    やがて弟子でし釜右ヱ門かまえもんもどってました。
    「おかしら、おかしら。」
    かしらは、ぴょこんとあざみのはなのそばからからだこしました。
    「えいくそッ、びっくりした。おかしらなどとぶんじゃねえ、さかなあたまのようにこえるじゃねえか。ただかしらといえ。」
    盗人ぬすびとになりたての弟子でしは、
    「まことにあいすみません。」
    とあやまりました。
    「どうだ、むらなか様子ようすは。」
    とかしらがききました。
    「へえ、すばらしいですよ、かしら。ありました、ありました。」
    なにが。」
    おおきいいえがありましてね、そこの飯炊めしたがまは、まず三ぐらいはける大釜おおがまでした。あれはえらいぜにになります。それから、おてらってあったかねも、なかなかおおきなもので、あれをつぶせば、まず茶釜ちゃがまが五十はできます。なあに、あっしのくるいはありません。うそだとおもうなら、あっしがつくってせましょう。」
    馬鹿馬鹿ばかばかしいことに威張いばるのはやめろ。」
    とかしらは弟子でししかりつけました。
    「きさまは、まだ釜師根性かましこんじょうがぬけんからだめだ。そんな飯炊めしたがまがねなどばかりてくるやつがあるか。それになんだ、そのっている、あなのあいたなべは。」
    「へえ、これは、その、いえまえとおりますと、まきがきにこれがかけてしてありました。るとこの、しりあながあいていたのです。それをたら、じぶんが盗人ぬすびとであることをついわすれてしまって、このなべ、二十もんでなおしましょう、とそこのおかみさんにいってしまったのです。」
    なんというまぬけだ。じぶんのしょうばいは盗人ぬすびとだということをしっかりはらにいれておらんから、そんなことだ。」
    と、かしらはかしららしく、弟子でしおしえました。そして、
    「もういっぺん、むらにもぐりこんで、しっかりなおしてい。」
    めいじました。釜右ヱ門かまえもんは、あなのあいたなべをぶらんぶらんとふりながら、またむらにはいっていきました。
    こんどは海老之丞えびのじょうがもどってました。
    「かしら、ここのむらはこりゃだめですね。」
    海老之丞えびのじょうちからなくいいました。
    「どうして。」
    「どのくらにも、じょうらしいじょうは、ついておりません。子供こどもでもねじきれそうなじょうが、ついておるだけです。あれじゃ、こっちのしょうばいにゃなりません。」
    「こっちのしょうばいというのはなんだ。」
    「へえ、……錠前じょうまえ……。」
    「きさまもまだ根性こんじょうがかわっておらんッ。」
    とかしらはどなりつけました。
    「へえ、あいすみません。」
    「そういうむらこそ、こっちのしょうばいになるじゃないかッ。くらがあって、子供こどもでもねじきれそうなじょうしかついておらんというほど、こっちのしょうばいに都合つごうのよいことがあるか。まぬけめが。もういっぺん、なおしてい。」
    「なるほどね。こういうむらこそしょうばいになるのですね。」
    海老之丞えびのじょうは、感心かんしんしながら、またむらにはいっていきました。
    つぎにかえってたのは、少年しょうねん角兵ヱかくべえでありました。角兵ヱかくべえは、ふえきながらたので、まだやぶこうで姿すがたえないうちから、わかりました。
    「いつまで、ヒャラヒャラとらしておるのか。盗人ぬすびとはなるべくおとをたてぬようにしておるものだ。」
    とかしらはしかりました。角兵ヱかくべえくのをやめました。
    「それで、きさまはなにたのか。」
    かわについてどんどんきましたら、花菖蒲はなしょうぶにわいちめんにかせたちいさいいえがありました。」
    「うん、それから?」
    「そのいえ軒下のきしたに、あたま眉毛まゆげもあごひげもまっしろなじいさんがいました。」
    「うん、そのじいさんが、小判こばんのはいったつぼでもえんしたかくしていそうな様子ようすだったか。」
    「そのおじいさんが竹笛たけぶえいておりました。ちょっとした、つまらない竹笛たけぶえだが、とてもええがしておりました。あんな、不思議ふしぎうつくしいははじめてききました。おれがききとれていたら、じいさんはにこにこしながら、三つながきょくをきかしてくれました。おれは、おれいに、とんぼがえりを七へん、つづけざまにやってせました。」
    「やれやれだ。それから?」
    「おれが、そのふえはいいふえだといったら、笛竹ふえたけえている竹藪たけやぶおしえてくれました。そこのたけつくったふえだそうです。それで、おじいさんのおしえてくれた竹藪たけやぶへいってました。ほんとうにええ笛竹ふえたけが、なん百すじも、すいすいとえておりました。」
    むかしたけなかから、きんひかりがさしたというはなしがあるが、どうだ、小判こばんでもちていたか。」
    「それから、またかわをどんどんくだっていくとちいさい尼寺あまでらがありました。そこではなとうがありました。おにわにいっぱいひとがいて、おれのふえくらいのおおきさのお釈迦しゃかさまに、あまちゃをかけておりました。おれもいっぱいかけて、それからいっぱいましてもらってました。ちゃわんがあるならかしらにもっててあげましたのに。」
    「やれやれ、なんというつみのねえ盗人ぬすびとだ。そういうひとごみのなかでは、ひとのふところやたもとをつけるものだ。とんまめが、もういっぺんきさまもやりなおしてい。そのふえはここへいていけ。」
    角兵ヱかくべえしかられて、ふえくさなかへおき、またむらにはいっていきました。
    おしまいにかえってたのは鉋太郎かんなたろうでした。
    「きさまも、ろくなものはなかったろう。」
    と、きかないさきから、かしらがいいました。
    「いや、金持かねもちがありました、金持かねもちが。」
    鉋太郎かんなたろうこえをはずませていいました。金持かねもちときいて、かしらはにこにことしました。
    「おお、金持かねもちか。」
    金持かねもちです、金持かねもちです。すばらしいりっぱないえでした。」
    「うむ。」
    「その座敷ざしき天井てんじょうたら、さつますぎ一枚板いちまいいたなんで、こんなのをたら、うちの親父おやじはどんなによろこぶかもれない、とおもって、あっしはとれていました。」
    「へっ、面白おもしろくもねえ。それで、その天井てんじょうをはずしてでもかい。」
    鉋太郎かんなたろうは、じぶんが盗人ぬすびと弟子でしであったことをおもしました。盗人ぬすびと弟子でしとしては、あまりかなかったことがわかり、鉋太郎かんなたろうはバツのわるいかおをしてうつむいてしまいました。
    そこで鉋太郎かんなたろうも、もういちどやりなおしにむらにはいっていきました。
    「やれやれだ。」
    と、ひとりになったかしらは、くさなか仰向あおむけにひっくりかえっていいました。
    盗人ぬすびとのかしらというのもあんがいらくなしょうばいではないて。」

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  • 蘭郁二郎 「息を止める男」福山美奈子朗読

    13.60
    Sep 28, 2017

    息を止める男

    蘭郁二郎

    無くて七癖というように誰れでも癖は持っているものだが、水島の癖は又一風変っていた。それは貴方にお話してもおそらくは信じてくれないだろうと思うがその癖は『息を止める』ということなのである。
    私も始め友人から聞いた時は冗談かと信じなかったが、一日彼の家に遊びに行った時に笑いながら訊いてみると、彼はすこぶる真面目でそれを肯定するのである。私も不思議に思ってどうしてそんなことをするのかと聞いてみたが彼は首を振るばかりでなかなか話してくれなかった。
    しかし話してくれないと尚聞き度くなるものであるし、又あまり変なことなので好奇心に馳られた私はどこまでも五月蠅うるさく追窮したので、水島もとうとう笑いながら話してくれた。
    『その話はね、誰れでも五月蠅く聞くんだ、その癖皆んな途中で莫迦ばからしいと笑ってしまうんだ。それで僕もあまり話したくないんだ。まあ話を聞くよりは自分で一寸ちょっと息を止めてみ給え、始めの二三十秒はなんでもないかも知れないが、仕舞いになるとこめかみの辺の脈管の搏動が頭のしんまで響いて来る。胸の中は空っぽになってわくわくと込み上げる様になる――遂、堪らなくなって、ハアーと大きく息を吸うと胸の中の汚いものがすっかり嘔き出されたようにすがすがしい気持になって、虐げられた心臓は嬉しそうに生れ変ったような新らしい力でドキンドキンと動き出す。
    僕はその胸のわくわくする快感が堪らなく好きなのだ。ハアーと大きく息する時の気持、快よい心臓の響き。僕は是等の快感を味わう為には何物も惜しくないと思っている』
    水島はそう言って、この妙な話を私が真面目に聞いているかどうかを確かめるように私の顔を見てから又話しを続けた。
    『しかし、近頃一つ心配な事が起って来たのだ、よく阿片アヘン中毒者――イヤそんな例をとらなくてもいい、煙草のみでも酒のみでも――などが始めの中はこんなものが、と思ってそれを続けて行く中には何時しかそれが恍惚の夢を齎すのだ、う習慣になってくると今度はその吸飲量を増さなければ満足しなくなる、馥郁ふくいくたる幻を追うことが出来なくなる。それと同じに僕も最初のうちは四五十秒から一分もすると全身がうずうずして言い知れぬ快感に身をもだえたものなのに、それがこの頃は五分になり、十分になり、今では十五分以上も息を止めていても平気なのだ、だけど僕は少しも恐れていない、この素晴らしい快感の為には僕の命位は余りに小さいものだ、それに海女なども矢張り必要上の練習から、随分長く海に潜っていられるということも聞いているからね、海女といえばどうして彼女等はあの戦慄的な業に満足しているのだろうか、僕は矢張あの舟べりにもたれて大きく息する時の快感が潜在的にある為だと思うね』
    水島はそう言って又私の顔を覗くようにして笑った。
    然し私はまだそれが信じられなかった、息を止めてその快感を味う! 私はそれがとてつもない大嘘のように思われたり、本当かも知れないという気もした、その上十五分以上も息を止めて平気だというのだから――
    水島は私の信じられないような様子を見てか、子供にでもいうように、
    『君は嘘だと思うんだね、そりゃ誰だってすぐには信じられないだろうさ。嘘か本当か今実験して見様じゃないか』
    私はぼんやりしていたが水島はそんなことにお構いなく、
    『さあ、時計でも見てくれ給え』
    斯ういうと彼は椅子に深か深かと腰を掛けなおした。
    彼が斯う無造作にして来ると、私にも又持前の好奇心が動き始めた。
    『一寸。今三時三十八分だからもう二分してきっちり四十分からにしよう』
    というと水島は相変らず無造作に『ウン』と軽くいったきり目をつぶっている、斯うなると私の好奇心はもう押えきれなくなって了った。
    『よおし、四十分だ』
    私は胸を躍らせながら言った、水島はそれと同時に大きく息を吸い込んで悪戯っ子のように眼をぱちぱちして見せた。
    私は十五分間やっとこらえた、私は不安になって来たのである、耐えられない沈黙と重苦しい雰囲気が部屋一杯に覆いかかっている、墓石のような顔色をした彼の額には青黒い静脈が絛虫さなだむしのようにうねって、高くつき出た頬骨の下の青白いくぼみには死の影が浮動している。
    私はこの洞穴のような空虚に堪えられなくなった、そして追い立てられるように椅子から立つと彼に近寄って、恰度ちょうど取合せた仁丹の容器に付いている鏡をとり出すとよく検死医がするようにそれを口元に近付けて見た、矢張り鏡は曇らない、彼は完全に呼吸をしてないのだ……私は押しもどされるように椅子に帰って腰を掛けなおした。
    四時。もう二十分も経った。その瞬間不吉な想像が後頭部に激しい痛みを残して通り過ぎた。彼は自殺したのではないかしら、日頃変り者で通っている彼のことだ、自殺するに事を欠いて親しい友人の私の面前で一生に一度の大きな芝居を仕乍しながら死んで行こうとしているのではないだろうか、死の道程を見詰めている。そんな不吉な幻が私に軽い眩暈めまいを感ぜしめた。
    彼の顔は不自然にゆがんで来た、歪んだ頬はひきつけたように震えた。私は自分を落付ける為に勢一杯の努力をした、然し遂にはこの重苦しい雰囲気の重圧には耐えられなくなって了った、そうして、死の痙攣けいれん、断末魔の苦悶、そんな妙な形容詞が脳裏に浮んだ瞬間私は腰掛けていた椅子をはねのけて彼を抱き起し、力一杯ゆすぶって目をさまさせようと大声で水島の名を呼んでいたのだった――。
    私のこの狂人染みた動作が効を奏してか、彼の青白い顔には次第に血の気が表われて来た。然しそうして少しの後、口がけるようになると直ぐ乾からびた声で、
    『駄目だなァ君は、今やっと最後の快感にはいり始めたのに……』そういって力のない瞳で私を見詰めるのだった。けれど私は水島にそういわれ乍らもなんとなく安心した様な気持になって、彼の言葉を淡く聞いていたのである。

    私はあの息を止めるという不可能な実験の後、私の好奇心は急に水島に興味を覚えて、暇をみては彼の家に遊びに行くのが何時からとはなく例になっていた。
    所が或る日、何時もの通り水島を訪れると恰度又彼があの不可思議な『眠り』をして居るところに行き合った、今見た彼の様子はいかにも幸福そうな、物静かな寝顔であった、この前は初めての事なので無意識の不安が彼の顔に死の連想を見せたのかも知れない……。
    私はこの前のように周章あわてて起して機嫌を悪くされてもつまらぬから、そっと其儘にして見ているとしばらくして彼は目をさました。
    そうして二十分も息を止めている間の奇怪な幻覚を話してくれたのである。それがどんな妖しい話であったか。
    『僕が息を止めている間に様々な幻の世界を彷徨するというとさも大嘘のように思うだろうがまあ聞いてくれ給え。
    例えばこの「息を止める」ということに一番近い状態は外界からの一切の刺激を断った「眠り」という状態だ、この不可思議な状態は凡ての人々が余りにも多く経験するので、それに就いて少しでも深く考えようとしないのは随分軽卒だということが出来る、君、この「眠り」の中にどんな知られぬ世界がうごめいていることか……、そして又君は屡々しばしば寝ている間にどうしても解けなかった試験問題の解を得たり、或は素晴らしい小説の筋を思い付いたりして所謂いわゆる霊感を感じるというようなことを聞いたり、或は君自身も経験したことがあると思う、それというのも皆この第二次以上の空間を隙見して来たに過ぎないのだ、ところが君、この「眠り」にも未だ現世との連絡がある、それは呼吸だ、それがある為に人々はまだ幻の世界に遊ぶことが出来ないのだ、併し僕は其唯一の連絡を切断して了ったのだ――。
    人は皆胎児の間に一度は必ず是等の幻の世界に遊び、そうして其途上に何か収穫のあったものが生を享けてからこの現実の世界に於て学者となり、芸術家となり、又は犯罪者となるのだ。
    幻の世界は一つではない、清澄な詩の国もあれば、陰惨な犯罪の国もある。昔、仏教はおしえた、次の世界に極楽と地獄のあることを、それを思い合わせて見ると、この地獄極楽を訓えた者も或は僕の如くこの幻の世界の彷徨者であったかも知れぬ』

     

  • 新美南吉 「赤とんぼ」福山美奈子朗読

    11.22
    Sep 11, 2017

    赤とんぼ

    新美南吉

    赤とんぼは、三回ほど空をまわって、いつも休む一本の垣根かきねの竹の上に、チョイととまりました。
    山里の昼は静かです。
    そして、初夏の山里は、真実ほんとうに緑につつまれています。
    赤とんぼは、クルリと眼玉めだまてんじました。
    赤とんぼの休んでいる竹には、朝顔あさがおのつるがまきついています。昨年さくねんの夏、この別荘べっそうの主人がえていった朝顔の結んだ実が、またえたんだろう――と赤とんぼは思いました。
    今はこの家にはだれもいないので、雨戸がさびしくしまっています。
    赤とんぼは、ツイと竹の先からからだをはなして、高い空にい上がりました。

    三四人の人が、こっちへやって来ます。
    赤とんぼは、さっきの竹にまたとまって、じっと近づいて来る人々を見ていました。
    一番最初にかけて来たのは、赤いリボンの帽子ぼうしをかぶったかあいいおじょうちゃんでした。それから、おじょうちゃんのお母さん、荷物にもつをドッサリ持った書生しょせいさん――と、こう三人です。
    赤とんぼは、かあいいおじょうちゃんの赤いリボンにとまってみたくなりました。
    でも、おじょうちゃんがおこるとこわいな――と、赤とんぼは頭をかたげました。
    けど、とうとう、おじょうちゃんが前へ来たとき、赤とんぼは、おじょうちゃんの赤いリボンに飛びうつりました。
    「あッ、おじょうさん、帽子ぼうしに赤とんぼがとまりましたよ。」と、書生さんがさけびました。
    赤とんぼは、今におじょうちゃんの手が、自分をつかまえに来やしないかと思って、すぐ飛ぶ用意をしました。
    しかし、おじょうちゃんは、赤とんぼをつかまえようともせず、
    「まア、あたしの帽子ぼうしに! うれしいわ!」といって、うれしさにび上がりました。
    つばくらが、風のようにかけて行きます。

    かあいいおじょうちゃんは、今まで空家あきやだったその家に住みこみました。もちろん、お母さんや書生しょせいさんもいっしょです。
    赤とんぼは、今日も空をまわっています。
    夕陽ゆうひが、そのはねをいっそう赤くしています。

    「とんぼとんぼ
    赤とんぼ
    すすきの中は
    あぶないよ」

    あどけない声で、こんな歌をうたっているのが、聞こえて来ました。
    赤とんぼは、あのおじょうちゃんだろうと思って、そのまま、声のする方へ飛んで行きました。
    思った通り、うたってるのは、あのおじょうちゃんでした。
    おじょうちゃんは、庭で行水ぎょうずいをしながら、一人うたってたのです。
    赤とんぼが、頭の上へ来ると、おじょうちゃんは、持ってたおもちゃの金魚をにぎったまま、
    「あたしの赤とんぼ!」とさけんで、両手を高くさし上げました。
    赤とんぼは、とても愉快ゆかいです。
    書生しょせいさんが、シャボンを持ってやって来ました。
    「おじょうさん、背中せなかあらいましょうか?」
    「いや――」
    「だって――」
    「いや! いや! お母さんでなくっちゃ――」
    こまったおじょうさん。」
    書生しょせいさんは、頭をかきながら歩き出しましたが、朝顔の葉にとまって、ふたりの話をきいてる赤とんぼを見つけると、右手を大きくグルーッと一回まわしました。
    みょうな事をするな――と思って、赤とんぼはその指先を見ていました。
    つづけて、グルグルと書生さんは右手をまわします。そして、だんだん、その円を小さくして赤とんぼに近づいて来ます。
    赤とんぼは、大きなをギョロギョロ動かして、書生さんの指先をみつめています。
    だんだん、円は小さく近く、そして早くまわって来ます。
    赤とんぼは、まいをしてしまいました。
    つぎの瞬間しゅんかん、赤とんぼは、書生しょせいさんの大きな指にはさまれていました。
    「おじょうさん、赤とんぼをつかまえましたよ。あげましょうか?」
    「ばか! あたしの赤とんぼをつかまえたりなんかして――山田のばか!」
    おじょうちゃんは、口をとがらして、を書生さんにぶっかけました。
    書生さんは、赤とんぼをはなしてげて行きました。
    赤とんぼは、ホッとして空へ飛び上がりました。良いおじょうちゃんだな、と思いながら――

    空は真青まっさおに晴れています。どこまでもんでいます。
    赤とんぼは、まどはねを休めて、書生さんのお話に耳をかたむけています、かあいいおじょうちゃんと同じように。
    「それからね、そのとんぼは、おこって大蜘蛛ぐものやつにくいかかりました。くいつかれた大蜘蛛ぐもは、いたい! いたい! 助けてくれってね、大声にさけんだのですよ。すると、出て来たわ、出て来たわ、小さな蜘蛛くもが、雲のように出て来ました。けれども、とんぼは、もともと強いんですから、片端かたはしから蜘蛛くもにくいついて、とうとう一ぴきのこらずころしてしまいました。ホッとしてそのとんぼが、自分の姿すがたを見ると、これはまあどうでしょう、蜘蛛くもの血が、まっかについてるじゃありませんか。さあ大変だって、とんぼは、泉へ飛んで行って、からだをあらいました。が、赤い血はちっともとれません。で、神様におねがいしてみると、お前は、つみの無い蜘蛛くもをたくさんころしたから、そのたたりでそんなになったんだと、しかられてしまいました。そのとんぼが今の赤とんぼなんですよ。だから、赤とんぼは良くないとんぼです。」
    書生しょせいさんのお話は終わりました。
    わたしは、そんなむごい事をしたおぼえはないがと、赤とんぼが、首をひねって考えましたとき、おじょうちゃんが大声でさけびました。
    うそうそだ! 山田のお話は、みんなうそだよ。あんなかあいらしい赤とんぼが、そんなむごい事をするなんて、蜘蛛くもの赤血だなんて――みんなうそだよ。」
    赤とんぼは、真実ほんとうにうれしく思いました。
    例の書生さんは、顔をあかくして行ってしまいました。
    まどからはなれて、赤とんぼは、おじょうちゃんのかたにつかまりました。
    「まア! あたしの赤とんぼ! かあいい赤とんぼ!」
    おじょうちゃんのひとみは、黒くんでいました。
    あつかった夏は、いつの間にかすぎさってしまいました。
    朝顔あさがおは、垣根かきねにまきついたまま、しおれました。
    鈴虫すずむしが、すずしい声でなくようになりました。
    今日も、赤とんぼは、おじょうちゃんに会いにやって来ました。
    赤とんぼは、ちょっとびっくりしました。それは、いつも開いているまどが、みなしまっているからです。
    どうしたのかしら? と、赤とんぼが考えたとき、玄関げんかんからだれび出して来ました。
    おじょうちゃんです。あのかあいいおじょうちゃんです。
    けれども、今日のおじょうちゃんは、悲しい顔つきでした。そして、この別荘べっそうへはじめて来たときかぶってた、赤いリボンの帽子ぼうしを着け、きれいなふくを着ていました。
    赤とんぼはいつものように飛んで行って、おじょうちゃんのかたにとまりました。
    「あたしの赤とんぼ……かあいい赤とんぼ……あたし、東京へ帰るのよ、もうお別れよ。」
    おじょうちゃんは、小さい細い声でくように言いました。
    赤とんぼは悲しくなりました。自分もおじょうちゃんといっしょに東京へ行きたいなと思いました。
    そのとき、おじょうちゃんのお母さんと、赤とんぼにいたずらをした書生しょせいさんが、出てまいりました。
    「ではまいりましょう。」
    みな、歩き出しました。
    赤とんぼは、やがておじょうちゃんのかたはなれて、垣根かきねの竹の先にうつりました。
    「あたしの赤とんぼよ、さようなら――」
    かあいいおじょうちゃんは、なんべんもふりかえっていいました。
    けど、とうとう、みな姿すがたは見えなくなってしまったのです。
    もう、これからは、この家は空家あきやになるのかな――赤とんぼは、しずかに首をかたむけました。

    さびしい秋の夕方など、赤とんぼは、尾花おばな穂先ほさきにとまって、あのかあいいおじょうちゃんを思い出しています。

  • ストリンドベルヒ August Strindberg 「真夏の夢」 有島武郎訳 福山美奈 子朗読

    32.75 Jul 21, 2017

    真夏の夢

    ストリンドベルヒ August Strindberg

    有島武郎訳

    北の国も真夏のころは花よめのようなよそおいをこらして、大地は喜びに満ち、小川は走り、牧場の花はまっすぐに延び、小鳥は歌いさえずります。その時一はとが森のおくから飛んで来て、ついたなりで日をくらす九十に余るおばあさんの家のまど近く羽を休めました。
    物の二十年もせったなりのこのおばあさんは、二人ふたりのむすこが耕すささやかな畑地はたちのほかに、窓越まどごしに見るものはありませなんだが、おばあさんの窓のガラスは、にじのようなさまざまな色のをはめてあったから、そこからのぞく人間も世間も、普通のものとは異なっていました。まくらの上でちょっと頭さえ動かせば、目に見える景色けしきが赤、黄、緑、青、鳩羽はとばというように変わりました。冬になって木々のこずえが、銀色の葉でも連ねたようにしもで包まれますと、おばあさんはまくらの上で、ちょっと身動きしたばかりでそれを緑にしました。実際は灰色はいいろでも野は緑に空はあおく、世の中はもう夏のとおりでした。おばあさんはこんなふうで、魔術まじゅつでも使える気でいるとたいくつをしませんでした。そればかりではありません。この窓ガラスにはもう一つ変わった所があって、ガラスのきざみ具合で見るものを大きくも小さくもする事ができるようになっておりました。だからもし大きなむすこがはらをたてて帰って来て、庭先でどなりでもするような事があると、おばあさんは以前のような、小さい、言う事をきく子どもにしようと思っただけで、即座そくざにちっぽけに見る事もできましたし、孫たちがよちよち歩きで庭に出て来るのを見るにつけ、そのおい先を考えると、ワン、ツー、スリー、拡大のガラスからのぞきさえすれば、見るまにの高い、育ち上がったみごとな大男になってしまいました。
    こんなおもしろい窓ではありますが、夏が来るとおばあさんはその窓をあけ放させました。いかな窓でも夏の景色ほどな景色は見せてくれませんから。さて夏の中でもすぐれた美しい聖ヨハネ祭に、そのおばあさんが畑と牧場とを見わたしていますと、ひょっくり鳩が歌い始めました。声も美しくエス・キリスト、さては天国の歓喜をほめたたえて、重荷に苦しむものや、浮き世のつらさの限りをなめたものは、残らず来いとよび立てました。
    おばあさんはそれを聞きましたが、その日はこの世も天国ほどに美しくって、これ以上のものをほしいとも思いませんでしたから、礼を言ってことわってしまいました。
    で鳩は今度は牧場をして、ある百姓ひゃくしょうがしきりと井戸を掘っている山の中の森に来ました。その百姓は深い所にはいって、頭の上に六しゃくも土のある様子ようすはまるで墓のあなの底にでもいるようでした。

  • 「猫とモミの木」前編 語り喜多川拓郎 倉沢はすみ作

    「猫とモミの木」後編 語り喜多川拓郎 倉沢はすみ作

    猫とモミの木

    キャスト キャラクター紹介

     

  • 中原中也「夜汽車の食堂」福山美奈子朗読

  • 福山美奈子朗読「ようか月の晩」宮本百合子

    ようか月の晩

    宮本百合子

     夜、銀座などを歩いていると、賑やかに明るい店の直ぐ傍から、いきなり真闇まっくらなこわい横丁が見えることがあるでしょう。これから話すお婆さんは、ああいう横町を、どこ迄もどこ迄も真直に行って、曲ってもう一つ角を曲ったような隅っこに住んでいました。それは貧乏で、居る横町も穢なければ家もぼろでした。天井も張ってない三角の屋根の下には、お婆さんと、古綿の巣を持つ三匹の鼠と、五匹のげじげじがいるばかりです。
    朝眼を覚ますと、お婆さんは先ず坊主になった箒で床を掃き、欠けた瀬戸物鉢で、赤鼻の顔を洗いました。それから、小さな木鉢に御飯を出し、八粒の飯を床に撒いてから、朝の食事を始めます。八粒の米は、三匹の鼠と五匹のげじげじの分でした。さっきから眼を覚まし、むき出しの梁の上で巣を片づけていた鼠やげじげじは、木鉢に箸の鳴る音を聞くと、揃って床に降りて来て、お婆さんの御招伴をするのでした。
    お婆さんも鼠達も、食べるものは沢山持っていません。食事はすぐ済んでしまいます。皆が行儀よくまた元の梁の巣に戻って行くと、お婆さんは、「やれやれ」と立ち上って、毎日の仕事にとりかかりました。仕事というのは、ぬいとりです。大きな眼鏡を赤鼻の先に掛け、布の張った枠に向うと、お婆さんは、飽きるの疲れるのということを知らず、夜までチカチカと一本の針を光らせて、いろいろ綺麗な模様を繍い出して行くのでした。
    下絵などというものはどこにもないのに、お婆さんの繍ったものは、皆ほんとに生きているようでした。彼女の繍った小鳥なら吹く朝風にさっと舞い立って、瑠璃色の翼で野原を翔けそうです。彼女の繍った草ならば、布の上でも静かに育って、秋には赤い実でもこぼしそうです。
    町では誰一人、お婆さんの繍とり上手を知らないものはありませんでした。また、誰一人、彼女を「一本針の婆さん」と呼んでこわがらない者もありませんでした。
    何故なら、お婆さんは、どんな模様の繍をするにも、決して一本の針しか使いません。その上、如何程見事な繍いとりを仕ようが、それがちゃんと出来上ってしまう迄は、たとい頼んだ人にでも、仕事の有様は見せませんでした。そして、あんな貧乏だのに御礼に金はどうしても貰わず、ただ、よい布と美しい絹糸を下さいというばかりなのです。お婆さんの家へ行くと、いつも鼠やげじげじが、まるで人間のように遊んでいるのも、皆には気味が悪かったのでしょう。
    一本針の婆さんの処では、滅多によその人の声がしませんでした。けれども、目の覚めるような色の布と糸とで、燈光あかりをつけないでも夜部屋の隅々がぽうと明るい程でした。