駒形恵美

  • 新美南吉「張紅倫」駒形恵美 朗読

    16.23
    Oct 03, 2017

    張紅倫

    新美南吉

    奉天(ほうてん)大戦争(一九〇五年)の数日まえの、ある夜中のことでした。わがある部隊の大隊長青木少佐は、畑の中に立っている歩哨(ほしょう)を見まわって歩きました。歩哨は、めいぜられた地点に石のようにつっ立って、きびしい寒さと、ねむさをがまんしながら、警備についているのでした。
    「第三歩哨、異状はないか」
    少佐は小さく声をかけました。
    「はっ、異状ありません」
    歩哨のへんじが、あたりの空気に、ひくく、こだましました。少佐は、また、歩きだしました。
    頭の上で、小さな星が一つ、かすかにまたたいています。少佐はその光をあおぎながら、足音をぬすんで歩きつづけました。
    もうすこしいくと、つぎの歩哨のかげが見えようと思われるところで、少佐はどかりと足をふみはずして、こおった土くれをかぶりながら、がたがたがた、どすんと、深いあなの中に落ちこみました。
    ふいをくった少佐は、しばらくあなのそこでぼんやりしていましたが、あたりのやみに目もなれ、気もおちついてくると、あなの中のようすがうすうすわかってきました。それは四メートル以上の深さで、そこのほうがひろがっている、水のかれた古井戸だったのです。
    少佐は、声を出して歩哨(ほしょう)をよぼうとしましたが、まてまて、深い井戸の中のことだから、歩哨のいるところまで、声がとおるかどうかわからない、それに、もし、ロシアの斥候(せっこう)にききつけられたら、むざむざところされるにきまっている、と思いかえし、そのまま、だまってこしをおろしました。
    あすの朝になったら、だれかがさがしあてて、ひきあげてくれるだろうと考えながら、まるい井戸の口でしきられた星空を見つめていました。そのうちに、井戸の中があんがいあたたかなので、うとうととねむりだしました。
    ふとめざめたときは、もう夜があけていました。少佐はううんとあくびをしながら、赤くかがやいた空を見あげたのち、
    「ちょっ、どうしたらいいかな」
    と、心の中でつぶやきました。
    まもなく、朝やけで赤かった空は、コバルト色になり、やがて、こい水色にかわっていきました。少佐は、だれかさがし出してくれないものかと、待ちあぐんでいましたが、だれもここに井戸があることさえ、気がつかないらしいけはいです。上を見ると、長いのや、みじかいのや、いろいろの形をしたきれぎれの雲が、あとから、あとからと、白く通っていくきりです。
    とうとうお昼近くになりました。青木少佐ははらもへり、のどがかわいてきました。とてもじれったくなって、大声で、オーイ、オーイと、いくどもどなってみました。しかし、じぶんの声がかべにひびくだけで、だれもへんじをしてくれるものはありません。
    少佐は、しかたなく、むだだとは知りながら、なんどもなんども、井戸の口からさがったつる草のはしにとびつこうとしました。やがて、「あああ」と、つかれはてて、べったりと井戸のそこにすわりこんでしまいました。
    そのうちに、とうとう日がくれて、寒いよいやみがせまってきました。ゆうべの小さな星が、おなじところでさびしく光っています。
    「おれは、このまま死んでしまうかもしれないぞ」
    と、少佐は、ふと、こんなことを考えました。
    「じぶんは、いまさら死をおそれはしない。しかし、戦争に加わっていながら、こんな古井戸の中でのたれ死にをするのは、いかにもいまいましい。死ぬなら、敵のたまにあたって、はなばなしく死にたいなあ」
    と、こうも思いました。
    まもなく少佐は、つかれと空腹のために、ねむりにおちいりました。それは、ねむりといえばねむりでしたが、ほとんど気絶したもおなじようなものでした。
    それからいく時間たったでしょう。少佐の耳に、ふと、人の声がきこえてきました。しかし、少佐はまだ半分うとうとして、はっきりめざめることができませんでした。
    「ははあ、地獄から、おにがむかえにきたのかな」
    少佐は、そんなことを、ゆめのように考えていました。すると、耳もとの人声がだんだんはっきりしてきました。
    「しっかりなさい」
    と、中国語でいいます。
    少佐は、中国語をすこし知っていました。そのことばで、びっくりして目をひらきました。
    「気がつきましたか。たすけてあげます」
    と、そばに立っていた男が、こういってだきおこしてくれました。
    「ありがとう、ありがとう」
    と、少佐はこたえようとしましたが、のどがこわばって、声が出ません。
    男は、井戸の口からつりさげたなわのはしで、少佐の胴体(どうたい)をしばっておいて、じぶんがさきにそのなわにつかまってのぼり、それから、なわをたぐって、少佐を井戸の外へひきあげました。少佐は、ぎらぎらした昼の天地が目にはいるといっしょに、ああ、たすかったと思いましたが、そのまま、また、気をうしなってしまいました。

    少佐がかつぎこまれたのは、ほったて小屋のようにみすぼらしい、中国人の百しょうの家で、張魚凱(ちょうぎょがい)というおやじさんと、張紅倫(ちょうこうりん)というむすことふたりきりの、まずしいくらしでした。
    あい色の中国服をきた十三、四の少年の紅倫は、少佐のまくらもとにすわって、看護してくれました。紅倫は、大きなどんぶりに、きれいな水をいっぱいくんでもってきて、いいました。
    「わたしが、あの畑の道を通りかかると、人のうめき声がきこえました。おかしいなと思ってあたりをさがしまわっていたら、井戸のそこにあなたがたおれていたので、走ってかえって、おとうさんにいったんです。それから、おとうさんとわたしとで、なわをもっていって、ひきあげたのです」
    紅倫(こうりん)はうれしそうに目をかがやかしながら話しました。少佐はどんぶりの水をごくごくのんでは、うむうむと、いちいち感謝をこめてうなずきました。
    それから、紅倫は、日本のことをいろいろたずねました。少佐が、内地に待っている、紅倫とおない年くらいのじぶんの子どものことを話してやると、紅倫はたいへんよろこびました。わたしも日本へいってみたい、そして、あなたのお子さんとお友だちになりたいと、いいました。少佐はこんな話をするたびに、日本のことを思いうかべては、小さなまどから、うらの畑のむこうを見つめました。外では、遠くで、ドドン、ドドンと、砲声がひっきりなしにきこえました。
    そのまま四、五日たった、ある夕がたのことでした。もう戦いもすんだのか、砲声もぱったりやみました。まどから見える空がまっかにやけて、へんにさびしいながめでした。いちんち畑ではたらいていた張魚凱(ちょうぎょがい)が、かえってきました。そして少佐のまくらもとにそそくさとすわりこんで、
    「こまったことになりました。村のやつらが、あなたをロシア兵に売ろうといいます。こんばん、みんなで、あなたをつかまえにくるらしいです。早くここをにげてください。まだ動くにはごむりでしょうが、一刻もぐずぐずしてはいられません。早くしてください。早く」
    と、せきたてます。
    少佐は、もうどうやら歩けそうなので、これまでの礼をあつくのべ、てばやく服装をととのえて、紅倫(こうりん)の家を出ました。畑道に出て、ふりかえってみると、紅倫がせど[#「せど」に傍点]口から顔を出して、さびしそうに少佐のほうを見つめていました。少佐はまた、ひきかえしていって、大きな懐中時計(かいちゅうどけい)をはずして、紅倫の手ににぎらせました。
    だんだん暗くなっていく畑の上を、少佐は、身をかがめて、奉天をめあてに、野ねずみのようにかけていきました。

    戦争がおわって、少佐も内地へかえりました。その後、少佐は退役して、ある都会の会社につとめました。少佐は、たびたび張(ちょう)親子を思い出して、人びとにその話をしました。張親子へはなんべんも手紙を送りました。けれども、先方ではそれが読めなかったのか、一どもへんじをくれませんでした。
    戦争がすんでから、十年もたちました。少佐は、その会社の、かなり上役(うわやく)になり、むすこさんもりっぱな青年になりました。紅倫(こうりん)もきっと、たくましいわかものになったことだろうと、少佐はよくいいいいしました。
    ある日の午後、会社の事務室へ、年わかい中国人がやってきました。青い服に、麻(あさ)のあみぐつをはいて、うでにバスケットをさげていました。
    「こんにちは。万年筆いかが」
    と、バスケットをあけて、受付の男の前につきだしました。
    「いらんよ」
    と受付の男は、うるさそうにはねつけました。
    「墨(すみ)いかが」
    「墨も筆もいらん。たくさんあるんだ」
    と、そのとき、おくのほうから青木少佐が出てきました。
    「おい、万年筆を買ってやろう」
    と、少佐はいいました。
    「万年筆やすい」
    あたりで仕事をしていた人も、少佐が万年筆を買うといいだしたので、ふたりのまわりによりたかってきました。いろんな万年筆を少佐が手にとって見ているあいだ、中国人は、少佐の顔をじっと見まもっていました。
    「これを一本もらうよ。いくらだい」
    「一円と二十銭」
    少佐は金入れから、銀貨を出してわたしました。中国人はバスケットの始末をして、ていねいにおじぎをして、出ていこうとしました。そのとき、中国人は、ポケットから懐中時計(どけい)をつまみ出して、時間を見ました。少佐は、ふとそれに目をとめて、
    「あ、ちょっと待ちたまえ。その時計を見せてくれないか」
    「とけい?」
    中国人は、なぜそんなことをいうのか、ふ[#「ふ」に傍点]におちないようすで、おずおずさし出しました。少佐が手にとってみますと、それは、たしかに、十年まえ、じぶんが張紅倫(ちょうこうりん)にやった時計です。
    「きみ、張紅倫というんじゃないかい」
    「えっ!」と、中国人のわかものは、びっくりしたようにいいましたが、すぐ、「わたし、張紅倫ない」
    と、くびをふりました。
    「いや、きみは紅倫君だろう。わしが古井戸の中に落ちたのを、すくってくれたことを、おぼえているだろう? わしは、わかれるとき、この時計をきみにやったんだ」
    「わたし、紅倫ない。あなたのようなえらい人、あなに落ちることない」
    といってききません。
    「じゃあ、この時計はどうして手に入れたんだ」
    「買った」
    「買った? 買ったのか。そうか。それにしてもよくにた時計があるもんだな。ともかくきみは紅倫にそっくりだよ。へんだね。いや、失礼、よびとめちゃって」
    「さよなら」
    中国人はもう一ぺん、ぺこんとおじぎをして、出ていきました。
    そのよく日、会社へ、少佐にあてて無名の手紙がきました。あけてみますと、読みにくい中国語で、
    『わたくしは紅倫です。あの古井戸からおすくいしてから、もう十年もすぎましたこんにち、あなたにおあいするなんて、ゆめのような気がしました。よく、わたくしをおわすれにならないでいてくださいました。わたくしの父はさく年死にました。わたくしはあなたとお話がしたい。けれど、お話したら、中国人のわたくしに、軍人だったあなたが古井戸の中からすくわれたことがわかると、今の日本では、あなたのお名まえにかかわるでしょう。だから、わたくしはあなたにうそをつきました。わたくしは、あすは、中国へかえることにしていたところです。さよなら、おだいじに。さよなら』
    と、だいたい、そういう意味のことが書いてありました。

    青空文庫より

  • 片山廣子「お嬢さん」駒形恵美朗読

    5.77
    Sep 20, 2017

    花の里、吉原にその青年は初めて行つたのである。それから十日位すぎて私にその夜のてんまつを聞かしてくれた。彼と私とは年齢の差を越えての友達だつた。青年は古い紳士の家に生れて上品で神経質だつたが、同時に人のおもひもかけない突飛な真似もする人で、その吉原行きも、小説でも書きたい願ひを持つてゐるのだから、世間のうら街道も時々は歩いてみなければと思ひついた結果らしかつた。さてさういふ場所もどうせ行くなら一ばんとびきり上等の店へ行つてみたいと思つて行つたのださうで、たいへん古い立派な店であつたらしい。そこでやり手のをばさんに自分が初めて来た話をすると、彼女は、それではすつかりおまかせ下さい、あなたにちやうどよくつり合ふ人がをります、ここの店で預かり物のやうに大切にしてゐる人を出すやうに申しませうと言つたさうだ。青年の話ではそこの家では湯殿もトイレットもすべて病院のやうに清潔で、強い薬のにほひがしてゐるので、ぼくは遊びに行つたのでなく、入院したやうな気持になりましたと言つてゐた。さてその大切な預かり物みたいな娘といふのが二十位の非常におちついたお嬢さんらしい女性で、三越のウインドウにある物よりもつともつと美しい着物を着てゐた。すこしづつ話をしてゐるうち彼女がぽつんぽつん言つたところでは、東北の或る旧家で父親が事業熱で破産の一歩手前のところまで来てしまつて、彼女は二年間の約束でこの店に来たが、三万円位が父の手にはいつたのださうだ。(その頃の三万円だから、現代の二百万か三百万の値うちであつたらう。)こんなところに彼女が来たことは親類にも土地の人たちにも秘密で、東京の親類へ預けられて勉強してゐることになつてゐて、二年が過ぎたら何も知らん顔で田舎に帰り、無事におよめに行けたら、ゆくつもりだと言つてゐた、さういふ勤めの世界にはいろいろな穴があつて、無事に二年を二年だけで通りすぎることはむづかしい話だと彼は思つたが、彼女は単純にさう信じてゐるらしかつた。彼女は地方の女学校を出たのだが、母の生れた家が四谷の方だつたので、母につれられて東京に来たことはあつたが、母が亡くなつてからは叔父の家にも来ない。故郷では彼女がその叔父の家に来てゐることと思はせてあるのだつた。きれいな人でしたか? と私がきくと、さう、紫の上といつたやうなふんわりしたわかわかしい娘でした。紫の上よりは背が高いかもしれないと彼が言つた。紫の上だつてそんなに小さくはなかつたでせう? と私は言つた。それでも、源氏の君より小さかつたらしいと彼が言つたので、笑つてしまつた。私たちは物語の中の人をむかし生きてゐた人のやうに時々錯覚してしまふのである。
    彼女は彼に、お客さんはこんなところにいらつしやらない方がよろしいですね。それに、もし私に同情して下さるのなら、もういらつしやらないで下さいね。ここにゐるあひだは、人間でなくただ機械みたいにつとめてゐようと思ひます。いく度もお目にかかるとだんだんおなじみの気持になりさうですからと、まるで兄にでも意見するやうに言つたさうである。彼女はよほど強い気持の人か、それでなければごくうぶな心の娘であつたらう。青年はもうあすこには行きたくない、ひどく気がいたむと言つてゐた。そこの空気が彼が考へてゐたのとひどく違つてゐたので、それを誰かに話したく、私に話したのだらうと思ふ。彼の話は全部ほんとうだと思ふけれど、彼がきかされて来た話が全部ほんとうかどうかは分らない。人はだれしも小説を作つて物語りたい気もちを持つものだから。
    とにかく、その紫の上のやうにわかわかしい、そして少しも物怯ぢをしないお嬢さんが無事にふるさとに帰つて行つて、今頃は堅気な世界に落ちついてゐることを念じる。

     

  • 芥川龍之介「東京に生まれて」駒形恵美 朗読

    3.90
    Sep 15, 2017

    東京に生れて

    芥川龍之介

    変化の激しい都会
    僕に東京の印象を話せといふのは無理である。何故といへば、或る印象を得るためには、印象するものと、印象されるものとの間に、或る新鮮さがなければならない。ところが、僕は東京に生れ、東京に育ち、東京に住んでゐる。だから、東京に対する神経は麻痺し切つてゐるといつてもいゝ。従つて、東京の印象といふやうなことは、ほとんど話すことがないのである。
    しかし、こゝに幸せなことは、東京は変化の激しい都会である。例へばつい半年ほど前には、石の擬宝珠ぎぼしのあつた京橋も、このごろでは、西洋風の橋に変つてゐる。そのために、東京の印象といふやうなものが、多少は話せないわけでもない。殊に、僕の如き出不精なものは、それだけ変化にも驚き易いから、幾分か話すたねも殖えるわけである。

    住み心地のよくないところ
    大体にいへば、今の東京はあまり住み心地のいゝところではない。例へば、大川にしても、僕が子供の時分には、まだ百本杭もあつたし、中洲界隈は一面の蘆原だつたが、もう今では如何にも都会の川らしい、ごみ/\したものに変つてしまつた。殊にこの頃出来るアメリカ式の大建築は、どこにあるのも見にくいものゝみである。その外、電車、カフエー、並木、自(ママ)車、いずれもあまり感心するものはない。
    しかし、さういふ不愉快な町中でも、一寸した硝子ガラス窓の光とか、建物の軒蛇腹のきじゃばらの影とかに、美しい感じを見出すことが、まあ、僕などはこんなところにも都会らしい美しさを感じなければ外に安住するところはない。

    広重の情趣
    もっとも、今の東京にも、昔の錦絵にあるやうな景色は全然なくなつてしまつたわけではない。僕は或る夏の暮れ方、本所の一の橋のそばの共同便所へ入つた。その便所を出て見ると、雨がぽつ/\降り出してゐた。その時、一の橋とたてがはの川の色とは、そつくり広重だつたといつてもいゝ。しかし、さういふ景色に打突ぶつかることは、まあ、非常に稀だらうと思ふ。

    郊外の感じ
    ついでに郊外のことを言へば、概して、郊外は嫌ひである。嫌ひな理由の第一は、妙に宿場じみ、新開地じみた町の感じや、所謂いわゆる武蔵野が見えたりして、安直なセンチメンタリズムが厭なのである。さういふものゝ僕の住んでゐる田端もやはり東京の郊外である。だから、あんまり愉快ではない。

  • 新美南吉「鍛冶屋の子」駒形恵美朗読

    11.70
    Sep 05, 2017

    何時まで経つてもちつとも開けて行かない、海岸から遠い傾いた町なんだ。
    ――街路はせまい、いつでも黒くきたない、両側にぎつしり家が並んでゐる、ひさしに白いほこりが、にぶい太陽の光にさらされてゐる、通る人は太陽を知らない人が多い、そしてみんな麻ひしてゐる様だ――
    新次は鍛冶屋にのんだくれの男を父として育つた少年であつた。母は彼の幼い時に逝つた。兄があつたが、馬鹿で、もういゝ年をしてゐたが、ほんの子供の様な着物をつけて、附近の子供と遊んでばかしゐた。兄の名は馬右エ門と云つた。併し誰も馬右エ門と云はず、「馬」と呼んだ。
    「馬、お前は利口かい」
    「利口だ」
    「何になるんだ」
    「大将」
    小い少年が、訊ねるのに対して、笑はれるとも知らないでまじめに答へてゐる兄を見る時、新次は情なくなつた。兄はよく着物をよごして来た。小い少年にだまされて、溝なんかに落ちたのであつた。その度に新次は着物を洗濯せなければならなかつた。
    「兄さん」新次がかう呼びかけても馬右エ門は答へないのを知つてゐたけれど(馬右エ門は誰からでも「馬」と呼ばれない限り返事をしなかつた)度々かう呼びかけた。がやはりきよろんとしてゐて答へない兄を見ると、「兄さん」と云ふと「おい」と答へる兄をどんなに羨しく思つた事か。
    新次は去年小学校を卒業して、今は、父の仕事をたすけ、一方、主婦の仕事を一切しなければならなかつたのである。何時でも彼は、彼の家庭の溝の中の様に暗く、そしてすつぱい事を考へた。
    炊事を終へて、黒くひかつてゐる冷たいふとんにもぐつてから、こんな事をよく思つた――
    せめておつかあが生きてゐて呉れたらナ。せめて馬右エ門がも少ししつかりしてゐておつあんの鎚を握つてくれたらナ、
    せめてお父つあんが酒をよしてくれたらナ――
    けれど、直、「そんな事が叶つたら世の中の人は皆幸福になつて了ふではないか」とすてた様にひとり笑つた。
    まつたくのんだくれの父だつた。仕事をしてゐる最中でもふらふらと出て行つては、やがて青い顔をして眼を据へて帰つて来た。酒をのめばのむ程、彼は青くなり、眼はどろーんと沈澱して了ふ彼の性癖であつた。葬式なんかに招かれた時でも、彼は、がぶがぶと呑んでは、愁に沈んでゐる人々に、とんでもない事をぶつかける為、町の人々は、彼をもてあましてゐた。彼は六十に近い老人で、丈はずばぬけて高かつた。そして、酒を呑んだ時は必つとふとんをかぶつて眠つた。併し、大きないびきなんか決して出さなかつた。死んだ様に眠つてゐては、時々眼ざめてしくしく泣いた。そんな時など、新次はことにくらくされた。
    学校の先生が、一度新次の家に来た時、若い先生は、酒の身躯によくない事を説いた。新次の父は、
    「酒は毒です、大変毒です、私はやめ様と思ひます、まつたくうまくないです、苦いです、私はやめ様と思ひます、それでもやつぱりあかんです」と云つて、空虚な声で「ハッハッハッ」と笑つた。
    馬右エ門がふいと帰つて来て、鉄柵にする太い手頃の鉄棒を一本ひつぱり出して、黙つて火の中にさし込んだ。一人で仕事をしてゐた新次は不思議に思つてするがまゝにして置いた。真赤になつた棒を、馬右エ門は叩き始めた。鎚をふり下さうとする瞬間瞬間に、赤くやけたくびの筋肉がぐつとしまるのを、新次はうれしく思つて見つめてゐた。手拭を力一ぱいしぼる様な快さが新次の体の中を流れた。馬右エ門にだつて力があるんだ! 力が!――
    「何を造るんけ?」
    「がだな」よだれの中から馬右エ門は云つた。
    「かたな? かたなみたいなものを」
    木の実だと思つて拾つたのがやつぱりからにすぎなかつた時の様に新次は感じた。ふと、思切りなぐりつけてやらうかと思つたが、ぼんやりして、馬右エ門のむくれ上るくびを見てゐた。
    町の横を通る電車道の工事に多くの朝鮮人がこの町にやつて来て、鍛冶の仕事が増して来ると、新次の家も幾分活気づいた。
    父も新次もよく働いた。けれど、父は依然として酒にひたつた。
    「お父つあん、ちつと酒をひかへてくれよ、酒は毒だで、そして仕事もはかどらんで」
    新次は、父に云つた。
    「まつたく酒は毒だ、酒は苦い、けれど俺はやめられん、きさまは酒のむ様になるなよ」父は云つた。
    ふつと眼を開いて見ると、すゝけた神棚の下で、酒を飲んでゐる馬右エ門の姿が、五燭の赤い電燈の光に見えた。新次は、泥棒を見つけた以上にはつとして、頭が白くなる様な悪寒に近い或物におそはれた。馬鹿に静かな赤い光の中に、馬右エ門ののどがごくごく動いた。少し今夜は具合が悪いと云つて、父が残して置いた酒の徳利を馬右エ門の左手はしつかり掴んでゐた。
    「馬エ!」
    新次のすぐ隣に今まで寝てゐた父が、むつくり頭を拾げた。
    馬右エ門は、
    「うッ」と赤い顔をこちらへ向けて、しまりのない口を見せた。
    父のせーせーと肩を上下して呼吸してゐるのが新次には恐ろしかつた。父の眼は、ぢつと白痴の馬右エ門を見つめ、静脈のはつきり現はれてゐる手はわなゝいてゐた。
    「馬エ、おぬしは酒を飲むか――」父はふらふらと立上つて馬右エ門に近づいた。
    「この野郎!」父は叫んで、ニヤニヤしてゐる馬右エ門の横面にガンとくらはせた。馬右エ門は笑ふのをハタと止めた。父の苦しげな呼吸はますます烈しくなつた。
    そして又、殴らうとした。新次は我知らず跳出して行つて、父を止めた。
    「お父つあん、馬は阿呆ぢやねえか、打つたつてあかんだ」
    父は眼を落して、
    「ん、馬エは阿呆だつたナ」とふるへ声で云つて、元の寝床へ帰つて、ふとんをかむつて了つた。その騒ぎで酒はこぼれて了つたので、馬右エ門も床に這入つた。新次は一寸片付けて、ふとんにむぐり込んだけれど、どうしても眠られなかつた。
    「新」父が小い声で呼んだ。
    「ん」
    「俺あ酒を止めるぞ」ふとんの中から云つた。
    父は酒を飲まなくなつて了つた。併し、それからは何処か加減が悪くて床を出られなくなつた。
    新次は、一人で鎚をふりあげた。父は眼立つて面やつれがして行つた。それでも、日ごろ酒の為没交渉の父には、見舞に来て呉れる人とては一人となかつた。
    鎚をふりあげ乍ら、新次は、父はこのまゝ死んで了ふのではないかしらと思つた。――父が死んだらどうするのだ、馬右エ門は白痴だし――
    酒を買つて来た新次が、父の枕元に坐つて、
    「お父つあん」と呼んだ。父は重たげに首をうごかして、
    「ん」と答へた。
    「酒買つて来たで飲んでくれよ」
    「酒を買つて来た? 新、何故酒なんか買つて来たんだ」
    力のない声で、新次を叱つたけれど、父は、きらりと涙を光らした。
    「お父つあん飲んでくれよ」
    新次は、そつと父の枕元を去つて、仕事場へ来ると、黒い柱に顔をすりつけて泣いた。泣いた。
    何時まで経つてもちつとも開けて行かない海岸から遠い傾いた町なんだ。

  • 小津安二郎「ここが楢山〈母を語る〉」駒形恵美朗読

    2.32
    Sep 05, 2017

    母は明治八年生れ。三男二女をもうけて、僕はその二男に当る。他の兄妹は、それぞれ嫁をもらい、嫁にゆき、残った母と僕との生活が始まってもう二十年以上になる。
    一人者の僕の処が居心地がいいのか、まだまだ僕から目が放せないのか、それは分らないが、とにかく、のんきに二人で暮している。
    母は、朝早く夜早く、僕はその反対だから家にいても滅多にめしも一緒に食わない。
    去年頃までは、なかなかの元気で、一人で食事の支度から雨戸の開けたて、僕の蒲団の上げおろしまでやってくれたが、今年から、いささか、へばって家政婦さんに来てもらっている。無理もない。八十四である。人間も使えば使えるものだと、つくづく思う。それにしても、五十五や六十の定年は早すぎる。
    今住んでいる家は、北鎌倉の高みにあり、出かけるのも坂があるので、母は滅多に家から出ない。ここがもう楢山だと思っているらしい。
    若いころの母は大女の部類で、今でも年の割には大婆の方である。負ってはみないが重そうである。

    たらちねの母を背負いてそのあまり
    重きに泣きて楢山にゆく

    ここが楢山なら、いつまでいてもらってもいい。負って行く世話がなくて、僕も助かる。

    (「週刊朝日」昭和33年8月10日号)

  • 新美南吉「去年の木」駒形恵美 朗読

    3.28
    Aug 23, 2017

    去年の木

    新美南吉

    いっぽんの木と、いちわの小鳥とはたいへんなかよしでした。小鳥はいちんちその木のえだで歌をうたい、木はいちんちじゅう小鳥の歌をきいていました。
    けれど寒い冬がちかづいてきたので、小鳥は木からわかれてゆかねばなりませんでした。
    「さよなら。また来年きて、歌をきかせてください。」
    と木はいいました。
    「え。それまで待っててね。」
    と、小鳥はいって、南の方へとんでゆきました。
    春がめぐってきました。野や森から、雪がきえていきました。
    小鳥は、なかよしの去年きょねんの木のところへまたかえっていきました。
    ところが、これはどうしたことでしょう。木はそこにありませんでした。根っこだけがのこっていました。
    「ここに立ってた木は、どこへいったの。」
    と小鳥は根っこにききました。
    根っこは、
    「きこりがおのでうちたおして、谷のほうへもっていっちゃったよ。」
    といいました。
    小鳥は谷のほうへとんでいきました。
    谷のそこには大きな工場があって、木をきる音が、びィんびィん、としていました。
    小鳥は工場の門の上にとまって、
    「門さん、わたしのなかよしの木は、どうなったか知りませんか。」
    とききました。
    門は、
    「木なら、工場の中でこまかくきりきざまれて、マッチになってあっちの村へ売られていったよ。」
    といいました。
    小鳥は村のほうへとんでいきました。
    ランプのそばに女の子がいました。
    そこで小鳥は、
    「もしもし、マッチをごぞんじありませんか。」
    とききました。
    すると女の子は、
    「マッチはもえてしまいました。けれどマッチのともした火が、まだこのランプにともっています。」
    といいました。
    小鳥は、ランプの火をじっとみつめておりました。
    それから、去年きょねんの歌をうたって火にきかせてやりました。火はゆらゆらとゆらめいて、こころからよろこんでいるようにみえました。
    歌をうたってしまうと、小鳥はまたじっとランプの火をみていました。それから、どこかへとんでいってしまいました。
    青空文庫より

  • 新美南吉「売られていった靴」駒形恵美 朗読

    1.98
    Aug 23, 2017

    売られていった靴

    新美南吉

    靴屋くつやのこぞう、兵助へいすけが、はじめていっそくのくつをつくりました。
    するとひとりの旅人たびびとがやってきて、そのくつを買いました。
    兵助は、じぶんのつくったくつがはじめて売れたので、うれしくてうれしくてたまりません。
    「もしもし、このくつずみとブラシをあげますから、そのくつをだいじにして、かあいがってやってください。」
    と、兵助へいすけはいいました。
    旅人たびびとは、めずらしいことをいうこぞうだ、とかんしんしていきました。
    しばらくすると兵助は、つかつかと旅人のあとを追っかけていきました。
    「もしもし、そのくつのうらのくぎがぬけたら、このくぎをそこにうってください。」
    といって、くぎをポケットから出してやりました。
    しばらくすると、また兵助は、おもいだしたように、旅人のあとを追っかけていきました。
    「もしもし、そのくつ、だいじにはいてやってください。」
    旅人たびびとはとうとうおこりだしてしまいました。
    「うるさいこぞうだね、このくつをどんなふうにはこうとわたしのかってだ。」
    兵助へいすけは、
    「ごめんなさい。」
    とあやまりました。
    そして、旅人のすがたがみえなくなるまで、じっとみおくっていました。
    兵助は、あのくつがいつまでもかあいがられてくれればよい、とおもいました。

    青空文庫より