青空文庫

  • 夏目漱石「三四郎」三・後半 山口雄介朗読

    2018年10月10日 46:52

    野々宮の家はすこぶる遠い。四、五日前大久保おおくぼへ越した。しかし電車を利用すれば、すぐに行かれる。なんでも停車場ステーションの近辺と聞いているから、捜すに不便はない。実をいうと三四郎はかの平野家行き以来とんだ失敗をしている。神田かんだの高等商業学校へ行くつもりで、本郷四丁目から乗ったところが、乗り越して九段くだんまで来て、ついでに飯田橋いいだばしまで持ってゆかれて、そこでようやく外濠線そとぼりせんへ乗り換えて、御茶おちゃみずから、神田橋へ出て、まだ悟らずに鎌倉河岸かまくらがし数寄屋橋すきやばしの方へ向いて急いで行ったことがある。それより以来電車はとかくぶっそうな感じがしてならないのだが、甲武線こうぶせん一筋ひとすじだと、かねて聞いているから安心して乗った。
    大久保の停車場を降りて、仲百人なかひゃくにんの通りを戸山とやま学校の方へ行かずに、踏切からすぐ横へ折れると、ほとんど三尺ばかりの細い道になる。それを爪先つまさき上がりにだらだらと上がると、まばらな孟宗藪もうそうやぶがある。その藪の手前と先に一軒ずつ人が住んでいる。野々宮の家はその手前の分であった。小さな門が道の向きにまるで関係のないような位置にすじかいに立っていた。はいると、家がまた見当違いの所にあった。門も入口もまったくあとからつけたものらしい。
    台所のわきにりっぱな生垣いけがきがあって、庭の方にはかえって仕切りもなんにもない。ただ大きなはぎが人の背より高く延びて、座敷の椽側えんがわを少し隠しているばかりである。野々宮君はこの椽側に椅子いすを持ち出して、それへ腰を掛けて西洋の雑誌を読んでいた。三四郎のはいって来たのを見て、
    「こっちへ」と言った。まるで理科大学の穴倉の中と同じ挨拶である。庭からはいるべきのか、玄関から回るべきのか、三四郎は少しく躊躇ちゅうちょしていた。するとまた
    「こっちへ」と催促するので、思い切って庭から上がることにした。座敷はすなわち書斎で、広さは八畳で、わりあいに西洋の書物がたくさんある。野々宮君は椅子を離れてすわった。三四郎は閑静な所だとか、わりあいに御茶の水まで早く出られるとか、望遠鏡の試験はどうなりましたとか、――締まりのない当座の話をやったあと、
    「きのう私を捜しておいでだったそうですが、何か御用ですか」と聞いた。すると野々宮君は、少し気の毒そうな顔をして、
    「なにじつはなんでもないですよ」と言った。三四郎はただ「はあ」と言った。
    「それでわざわざ来てくれたんですか」
    「なに、そういうわけでもありません」
    「じつはお国のおっかさんがね、せがれがいろいろお世話になるからと言って、結構なものを送ってくださったから、ちょっとあなたにもお礼を言おうと思って……」
    「はあ、そうですか。何か送ってきましたか」
    「ええ赤いさかな粕漬かすづけなんですがね」
    「じゃひめいちでしょう」
    三四郎はつまらんものを送ったものだと思った。しかし野々宮君はかのひめいちについていろいろな事を質問した。三四郎は特に食う時の心得を説明した。粕ごと焼いて、いざさらへうつすという時に、粕を取らないと味が抜けると言って教えてやった。
    二人がひめいちについて問答をしているうちに、日が暮れた。三四郎はもう帰ろうと思って挨拶あいさつをしかけるところへ、どこからか電報が来た。野々宮君は封を切って、電報を読んだが、口のうちで、「困ったな」と言った。
    三四郎はすましているわけにもゆかず、といってむやみに立ち入った事を聞く気にもならなかったので、ただ、
    「何かできましたか」と棒のように聞いた。すると野々宮君は、
    「なにたいしたことでもないのです」と言って、手に持った電報を、三四郎に見せてくれた。すぐ来てくれとある。
    「どこかへおいでになるのですか」
    「ええ、妹がこのあいだから病気をして、大学の病院にはいっているんですが、そいつがすぐ来てくれと言うんです」といっこう騒ぐ気色けしきもない。三四郎のほうはかえって驚いた。野々宮君の妹と、妹の病気と、大学の病院をいっしょにまとめて、それに池の周囲で会った女を加えて、それを一どきにかき回して、驚いている。
    「じゃ、よほどお悪いんですな」
    「なにそうじゃないんでしょう。じつは母が看病に行ってるんですが、――もし病気のためなら、電車へ乗って駆けて来たほうが早いわけですからね。――なに妹のいたずらでしょう。ばかだから、よくこんなまねをします。ここへ越してからまだ一ぺんも行かないものだから、きょうの日曜には来ると思って待ってでもいたのでしょう、それで」と言って首を横に曲げて考えた。
    「しかしおいでになったほうがいいでしょう。もし悪いといけません」
    「さよう。五日ごんち行かないうちにそう急に変るわけもなさそうですが、まあ行ってみるか」
    「おいでになるにしくはないでしょう」
    野々宮は行くことにした。行くときめたについては、三四郎に頼みがあると言いだした。万一病気のための電報とすると、今夜は帰れない。すると留守るすが下女一人になる。下女が非常に臆病おくびょうで、近所がことのほかぶっそうである。来合わせたのがちょうど幸いだから、あすの課業にさしつかえがなければ泊ってくれまいか、もっともただの電報ならばすぐ帰ってくる。まえからわかっていれば、例の佐々木でも頼むはずだったが、今からではとても間に合わない。たった一晩のことではあるし、病院へ泊るか、泊らないか、まだわからないさきから、関係もない人に、迷惑をかけるのはわがまますぎて、しいてとは言いかねるが、――むろん野々宮はこう流暢りゅうちょうには頼まなかったが、相手の三四郎が、そう流暢に頼まれる必要のない男だから、すぐ承知してしまった。
    下女が御飯はというのを、「食わない」と言ったまま、三四郎に「失敬だが、君一人で、あとで食ってください」と夕飯まで置き去りにして、出ていった。行ったと思ったら暗いはぎの間から大きな声を出して、
    「ぼくの書斎にある本はなんでも読んでいいです。別におもしろいものもないが、何か御覧なさい。小説も少しはある」
    と言ったまま消えてなくなった。椽側まで見送って三四郎が礼を述べた時は、三坪みつぼほどな孟宗藪の竹が、まばらなだけに一本ずつまだ見えた。
    まもなく三四郎は八畳敷の書斎のまん中で小さいぜんを控えて、晩飯を食った。膳の上を見ると、主人の言葉にたがわず、かのひめいちがついている。久しぶりで故郷ふるさとの香をかいだようでうれしかったが、飯はそのわりにうまくなかった。お給仕に出た下女の顔を見ると、これも主人の言ったとおり、臆病にできた目鼻であった。
    飯が済むと下女は台所へ下がる。三四郎は一人になる。一人になっておちつくと、野々宮君の妹の事が急に心配になってきた。危篤きとくなような気がする。野々宮君の駆けつけ方がおそいような気がする。そうして妹がこのあいだ見た女のような気がしてたまらない。三四郎はもう一ぺん、女の顔つきと目つきと、服装とを、あの時あのままに、繰り返して、それを病院の寝台ねだいの上に乗せて、そのそばに野々宮君を立たして、二、三の会話をさせたが、兄ではもの足らないので、いつのまにか、自分が代理になって、いろいろ親切に介抱していた。ところへ汽車がごうと鳴って孟宗藪のすぐ下を通った。根太ねだのぐあいか、土質のせいか座敷が少し震えるようである。
    三四郎は看病をやめて、座敷を見回した。いかさま古い建物と思われて、柱にさびがある。その代り唐紙からかみの立てつけが悪い。天井はまっ黒だ。ランプばかりが当世に光っている。野々宮君のような新式の学者が、もの好きにこんなうちを借りて、封建時代の孟宗藪を見て暮らすのと同格である。もの好きならば当人の随意だが、もし必要にせまられて、郊外にみずからを放逐したとすると、はなはだ気の毒である。聞くところによると、あれだけの学者で、月にたった五十五円しか、大学からもらっていないそうだ。だからやむをえず私立学校へ教えにゆくのだろう。それで妹に入院されてはたまるまい。大久保へ越したのも、あるいはそんな経済上のつごうかもしれない。……
    よいの口ではあるが、場所が場所だけにしんとしている。庭の先で虫のがする。ひとりですわっていると、さみしい秋の初めである。その時遠い所でだれか、
    「ああああ、もう少しの間だ」
    と言う声がした。方角は家の裏手のようにも思えるが、遠いのでしっかりとはわからなかった。また方角を聞き分ける暇もないうちに済んでしまった。けれども三四郎の耳には明らかにこの一句が、すべてに捨てられた人の、すべてから返事を予期しない、真実の独白ひとりごとと聞こえた。三四郎は気味が悪くなった。ところへまた汽車が遠くから響いて来た。その音が次第に近づいて孟宗藪の下を通る時には、前の列車よりも倍も高い音を立てて過ぎ去った。座敷の微震がやむまでは茫然ぼうぜんとしていた三四郎は、石火せっかのごとく、さっきの嘆声と今の列車の響きとを、一種の因果いんがで結びつけた。そうして、ぎくんと飛び上がった。その因果は恐るべきものである。
    三四郎はこの時じっと座に着いていることのきわめて困難なのを発見した。背筋から足の裏までが疑惧ぎぐの刺激でむずむずする。立って便所に行った。窓から外をのぞくと、一面の星月夜で、土手下の汽車道は死んだように静かである。それでも竹格子たけごうしのあいだから鼻を出すくらいにして、暗い所をながめていた。
    すると停車場ステーションの方から提灯ちょうちんをつけた男がレールの上を伝ってこっちへ来る。話し声で判じると三、四人らしい。提灯の影は踏切から土手下へ隠れて、孟宗藪の下を通る時は、話し声だけになった。けれども、その言葉は手に取るように聞こえた。
    「もう少し先だ」
    足音は向こうへ遠のいて行く。三四郎は庭先へ回って下駄を突っ掛けたまま孟宗藪の所から、一間余の土手をい降りて、提灯のあとを追っかけて行った。
    五、六間行くか行かないうちに、また一人土手から飛び降りた者がある。――
    轢死れきしじゃないですか」
    三四郎は何か答えようとしたが、ちょっと声が出なかった。そのうち黒い男は行き過ぎた。これは野々宮君の奥に住んでいる家の主人あるじだろうと、後をつけながら考えた。半町ほどくると提灯が留まっている。人も留まっている。人はをかざしたまま黙っている。三四郎は無言で灯の下を見た。下には死骸しがいが半分ある。汽車は右の肩から乳の下を腰の上までみごとに引きちぎって、斜掛はすかけの胴を置き去りにして行ったのである。顔は無傷である。若い女だ。
    三四郎はその時の心持ちをいまだに覚えている。すぐ帰ろうとして、きびすをめぐらしかけたが、足がすくんでほとんど動けなかった。土手をい上がって、座敷へもどったら、動悸どうきが打ち出した。水をもらおうと思って、下女を呼ぶと、下女はさいわいになんにも知らないらしい。しばらくすると、奥の家で、なんだか騒ぎ出した。三四郎は主人が帰ったんだなとさとった。やがて土手の下ががやがやする。それが済むとまた静かになる。ほとんど堪え難いほどの静かさであった。
    三四郎の目の前には、ありありとさっきの女の顔が見える。その顔と「ああああ……」と言った力のない声と、その二つの奥に潜んでおるべきはずの無残な運命とを、継ぎ合わして考えてみると、人生という丈夫じょうぶそうな命の根が、知らぬまに、ゆるんで、いつでも暗闇くらやみへ浮き出してゆきそうに思われる。三四郎は欲も得もいらないほどこわかった。ただごうという一瞬間である。そのまえまではたしかに生きていたに違いない。
    三四郎はこの時ふと汽車で水蜜桃をくれた男が、あぶないあぶない、気をつけないとあぶない、と言ったことを思い出した。あぶないあぶないと言いながら、あの男はいやにおちついていた。つまりあぶないあぶないと言いうるほどに、自分はあぶなくない地位に立っていれば、あんな男にもなれるだろう。世の中にいて、世の中を傍観している人はここに面白味おもしろみがあるかもしれない。どうもあの水蜜桃の食いぐあいから、青木堂で茶を飲んでは煙草を吸い、煙草を吸っては茶を飲んで、じっと正面を見ていた様子は、まさにこの種の人物である。――批評家である。――三四郎は妙な意味に批評家という字を使ってみた。使ってみて自分でうまいと感心した。のみならず自分も批評家として、未来に存在しようかとまで考えだした。あのすごい死顔を見るとこんな気も起こる。
    三四郎は部屋のすみにあるテーブルと、テーブルの前にある椅子と、椅子の横にある本箱と、その本箱の中に行儀よく並べてある洋書を見回して、この静かな書斎の主人は、あの批評家と同じく無事で幸福であると思った。――光線の圧力を研究するために、女を轢死れきしさせることはあるまい。主人の妹は病気である。けれども兄の作った病気ではない。みずからかかった病気である。などとそれからそれへと頭が移ってゆくうちに、十一時になった。中野行の電車はもう来ない。あるいは病気が悪いので帰らないのかしらと、また心配になる。ところへ野々宮から電報が来た。妹無事、あす朝帰るとあった。
    安心して床にはいったが、三四郎の夢はすこぶる危険であった。――轢死を企てた女は、野々宮に関係のある女で、野々宮はそれと知って家へ帰って来ない。ただ三四郎を安心させるために電報だけ掛けた。妹無事とあるのは偽りで、今夜轢死のあった時刻に妹も死んでしまった。そうしてその妹はすなわち三四郎が池のはたで会った女である。……
    三四郎はあくる日例になく早く起きた。
    寝つけない所に寝た床のあとをながめて、煙草を一本のんだが、ゆうべの事は、すべて夢のようである。椽側へ出て、低いひさしの外にある空を仰ぐと、きょうはいい天気だ。世界が今朗らかになったばかりの色をしている。飯を済まして茶を飲んで、椽側に椅子を持ち出して新聞を読んでいると、約束どおり野々宮君が帰って来た。
    「昨夜、そこに轢死があったそうですね」と言う。停車場か何かで聞いたものらしい。三四郎は自分の経験を残らず話した。
    「それは珍しい。めったに会えないことだ。ぼくも家におればよかった。死骸はもう片づけたろうな。行っても見られないだろうな」
    「もうだめでしょう」と一口答えたが、野々宮君ののん気なのには驚いた。三四郎はこの無神経をまったく夜と昼の差別から起こるものと断定した。光線の圧力を試験する人の性癖が、こういう場合にも、同じ態度で表われてくるのだとはまるで気がつかなかった。年が若いからだろう。
    三四郎は話を転じて、病人のことを尋ねた。野々宮君の返事によると、はたして自分の推測どおり病人に異状はなかった。ただ六日ろくんち以来行ってやらなかったものだから、それを物足りなく思って、退屈紛れに兄を釣り寄せたのである。きょうは日曜だのに来てくれないのはひどいと言って怒っていたそうである。それで野々宮君は妹をばかだと言っている。本当にばかだと思っているらしい。この忙しいものに大切な時間を浪費させるのは愚だというのである。けれども三四郎にはその意味がほとんどわからなかった。わざわざ電報を掛けてまで会いたがる妹なら、日曜の一晩や二晩をつぶしたって惜しくはないはずである。そういう人に会って過ごす時間が、本当の時間で、穴倉で光線の試験をして暮らす月日はむしろ人生に遠い閑生涯かんしょうがいというべきものである。自分が野々宮君であったならば、この妹のために勉強の妨害をされるのをかえってうれしく思うだろう。くらいに感じたが、その時は轢死の事を忘れていた。
    野々宮君は昨夜よく寝られなかったものだからぼんやりしていけないと言いだした。きょうはさいわい昼から早稲田わせだの学校へ行く日で、大学のほうは休みだから、それまで寝ようと言っている。「だいぶおそくまで起きていたんですか」と三四郎が聞くと、じつは偶然、高等学校で教わったもとの先生の広田という人が妹の見舞いに来てくれて、みんなで話をしているうちに、電車の時間に遅れて、つい泊ることにした。広田のうちへ泊るべきのを、また妹がだだをこねて、ぜひ病院に泊れと言って聞かないから、やむをえず狭い所へ寝たら、なんだか苦しくって寝つかれなかった。どうも妹は愚物ぐぶつだ。とまた妹を攻撃する。三四郎はおかしくなった。少し妹のために弁護しようかと思ったが、なんだか言いにくいのでやめにした。
    その代り広田さんの事を聞いた。三四郎は広田さんの名前をこれで三、四へん耳にしている。そうして、水蜜桃の先生と青木堂の先生に、ひそかに広田さんの名をつけている。それから正門内で意地の悪い馬に苦しめられて、喜多床の職人に笑われたのもやはり広田先生にしてある。ところが今承ってみると、馬の件ははたして広田先生であった。それで水蜜桃も必ず同先生に違いないと決めた。考えると、少し無理のようでもある。
    帰る時に、ついでだから、午前中に届けてもらいたいと言って、あわせを一枚病院まで頼まれた。三四郎は大いにうれしかった。
    三四郎は新しい四角な帽子をかぶっている。この帽子をかぶって病院に行けるのがちょっと得意である。さえざえしい顔をして野々宮君の家を出た。
    御茶の水で電車を降りて、すぐくるまに乗った。いつもの三四郎に似合わぬ所作しょさである。威勢よく赤門を引き込ませた時、法文科のベルが鳴り出した。いつもならノートとインキつぼを持って、八番の教室にはいる時分である。一、二時間の講義ぐらい聞きそくなってもかまわないという気で、まっすぐに青山内科の玄関まで乗りつけた。
    上がり口を奥へ、二つ目の角を右へ切れて、突当たりを左へ曲がると東側の部屋へやだと教わったとおり歩いて行くと、はたしてあった。黒塗りの札に野々宮よし子と仮名かなで書いて、戸口に掛けてある。三四郎はこの名前を読んだまま、しばらく戸口の所でたたずんでいた。いなか物だからノックするなぞという気のいた事はやらない。「この中にいる人が、野々宮君の妹で、よし子という女である」
    三四郎はこう思って立っていた。戸をあけて顔が見たくもあるし、見て失望するのがいやでもある。自分の頭の中に往来する女の顔は、どうも野々宮宗八さんに似ていないのだから困る。
    うしろから看護婦が草履ぞうりの音をたてて近づいて来た。三四郎は思い切って戸を半分ほどあけた。そうして中にいる女と顔を見合わせた。(片手にハンドルをもったまま)
    目の大きな、鼻の細い、くちびるの薄い、はちが開いたと思うくらいに、額が広くってあごがこけた女であった。造作はそれだけである。けれども三四郎は、こういう顔だちから出る、この時にひらめいた咄嗟とっさの表情を生まれてはじめて見た。青白い額のうしろに、自然のままにたれた濃い髪が、肩まで見える。それへ東窓をもれる朝日の光が、うしろからさすので、髪と日光の触れ合う境のところが菫色すみれいろに燃えて、生きたつきかさをしょってる。それでいて、顔も額もはなはだ暗い。暗くて青白い。そのなかに遠い心持ちのする目がある。高い雲が空の奥にいて容易に動かない。けれども動かずにもいられない。ただなだれるように動く。女が三四郎を見た時は、こういう目つきであった。
    三四郎はこの表情のうちにものうい憂鬱ゆううつと、隠さざる快活との統一を見いだした。その統一の感じは三四郎にとって、最も尊き人生の一片である。そうして一大発見である。三四郎はハンドルをもったまま、――顔を戸の影から半分部屋の中に差し出したままこの刹那せつなの感にみずからを放下ほうげし去った。
    「おはいりなさい」
    女は三四郎を待ち設けたように言う。その調子には初対面の女には見いだすことのできない、安らかな音色ねいろがあった。純粋の子供か、あらゆる男児に接しつくした婦人でなければ、こうは出られない。なれなれしいのとは違う。初めから古い知り合いなのである。同時に女は肉の豊かでないほおを動かしてにこりと笑った。青白いうちに、なつかしい暖かみができた。三四郎の足はしぜんと部屋の内へはいった。その時青年の頭のうちには遠い故郷にある母の影がひらめいた。
    戸のうしろへ回って、はじめて正面に向いた時、五十あまりの婦人が三四郎に挨拶をした。この婦人は三四郎のからだがまだ扉の陰を出ないまえから席を立って待っていたものとみえる。
    小川おがわさんですか」と向こうから尋ねてくれた。顔は野々宮君に似ている。娘にも似ている。しかしただ似ているというだけである。頼まれた風呂敷包ふろしきづつみを出すと、受け取って、礼を述べて、
    「どうぞ」と言いながら椅子をすすめたまま、自分は寝台ベッドの向こう側へ回った。
    寝台の上に敷いた蒲団ふとんを見るとまっ白である。上へ掛けるものもまっ白である。それを半分ほどはすにはぐって、すそのほうが厚く見えるところを、よけるように、女は窓を背にして腰をかけた。足は床に届かない。手に編針を持っている。毛糸のたまが寝台の下に転がった。女の手から長い赤い糸が筋を引いている。三四郎は寝台の下から、毛糸のたまを取り出してやろうかと思った、けれども、女が毛糸にはまるで無頓着むとんじゃくでいるので控えた。
    おっかさんが向こう側から、しきりに昨夜の礼を述べる。お忙しいところをなどと言う。三四郎は、いいえ、どうせ遊んでいますからと言う。二人が話をしているあいだ、よし子は黙っていた。二人の話が切れた時、突然、
    「ゆうべの轢死を御覧になって」と聞いた。見ると部屋のすみに新聞がある。三四郎が、
    「ええ」と言う。
    「こわかったでしょう」と言いながら、少し首を横に曲げて、三四郎を見た。兄に似て首の長い女である。三四郎はこわいともこわくないとも答えずに、女の首の曲がりぐあいをながめていた。半分は質問があまり単純なので、答に窮したのである。半分は答えるのを忘れたのである。女は気がついたとみえて、すぐ首をまっすぐにした。そうして青白い頬の奥を少し赤くした。三四郎はもう帰るべき時間だと考えた。
    挨拶をして、部屋を出て、玄関正面へ来て、向こうを見ると、長い廊下のはずれが四角に切れて、ぱっと明るく、表の緑が映る上がり口に、池の女が立っている。はっと驚いた三四郎の足は、さっそく歩調に狂いができた。その時透明な空気の画布カンバスの中に暗く描かれた女の影は一足前へ動いた。三四郎も誘われたように前へ動いた。二人は一筋道の廊下のどこかですれ違わねばならぬ運命をもって互いに近づいて来た。すると女が振り返った。明るい表の空気の中には、初秋はつあきの緑が浮いているばかりである。振り返った女の目に応じて、四角の中に、現われたものもなければ、これを待ち受けていたものもない。三四郎はそのあいだに女の姿勢と服装を頭の中へ入れた。
    着物の色はなんという名かわからない。大学の池の水へ、曇った常磐木ときわぎの影が映る時のようである。それはあざやかなしまが、上から下へ貫いている。そうしてその縞が貫きながら波を打って、互いに寄ったり離れたり、重なって太くなったり、割れて二筋になったりする。不規則だけれども乱れない。上から三一のところを、広い帯で横に仕切った。帯の感じには暖かみがある。黄を含んでいるためだろう。
    うしろを振り向いた時、右の肩が、あとへ引けて、左の手が腰に添ったまま前へ出た。ハンケチを持っている。そのハンケチの指に余ったところが、さらりと開いている。絹のためだろう。――腰から下は正しい姿勢にある。
    女はやがてもとのとおりに向き直った。目を伏せて二足ばかり三四郎に近づいた時、突然首を少しうしろに引いて、まともに男を見た。二重瞼ふたえまぶた切長きれながのおちついた恰好かっこうである。目立って黒い眉毛まゆげの下に生きている。同時にきれいな歯があらわれた。この歯とこの顔色とは三四郎にとって忘るべからざる対照であった。
    きょうは白いものを薄く塗っている。けれども本来の地を隠すほどに無趣味ではなかった。こまやかな肉が、ほどよく色づいて、強い日光にめげないように見える上を、きわめて薄くが吹いている。てらてらひかる顔ではない。
    肉は頬といわず顎といわずきちりと締まっている。骨の上に余ったものはたんとないくらいである。それでいて、顔全体が柔かい。肉が柔かいのではない骨そのものが柔かいように思われる。奥行きの長い感じを起こさせる顔である。
    女は腰をかがめた。三四郎は知らぬ人に礼をされて驚いたというよりも、むしろ礼のしかたの巧みなのに驚いた。腰から上が、風に乗る紙のようにふわりと前に落ちた。しかも早い。それで、ある角度まで来て苦もなくはっきりととまった。むろん習って覚えたものではない。
    「ちょっと伺いますが……」と言う声が白い歯のあいだから出た。きりりとしている。しかし鷹揚おうようである。ただ夏のさかりにしいの実がなっているかと人に聞きそうには思われなかった。三四郎はそんな事に気のつく余裕はない。
    「はあ」と言って立ち止まった。
    「十五号室はどの辺になりましょう」
    十五号は三四郎が今出て来た部屋である。
    「野々宮さんの部屋ですか」
    今度は女のほうが「はあ」と言う。
    「野々宮さんの部屋はね、その角を曲がって突き当って、また左へ曲がって、二番目の右側です」
    「その角を……」と言いながら女は細い指を前へ出した。
    「ええ、ついその先の角です」
    「どうもありがとう」
    女は行き過ぎた。三四郎は立ったまま、女の後姿を見守っている。女は角へ来た。曲がろうとするとたんに振り返った。三四郎は赤面するばかりに狼狽ろうばいした。女はにこりと笑って、この角ですかというようなあいずを顔でした。三四郎は思わずうなずいた。女の影は右へ切れて白い壁の中へ隠れた。
    三四郎はぶらりと玄関を出た。医科大学生と間違えて部屋の番号を聞いたのかしらんと思って、五、六歩あるいたが、急に気がついた。女に十五号を聞かれた時、もう一ぺんよし子の部屋へあともどりをして、案内すればよかった。残念なことをした。
    三四郎はいまさらとって帰す勇気は出なかった。やむをえずまた五、六歩あるいたが、今度はぴたりととまった。三四郎の頭の中に、女の結んでいたリボンの色が映った。そのリボンの色も質も、たしかに野々宮君が兼安かねやすで買ったものと同じであると考え出した時、三四郎は急に足が重くなった。図書館の横をのたくるように正門の方へ出ると、どこから来たか与次郎が突然声をかけた。
    「おいなぜ休んだ。きょうはイタリー人がマカロニーをいかにして食うかという講義を聞いた」と言いながら、そばへ寄って来て三四郎の肩をたたいた。
    二人は少しいっしょに歩いた。正門のそばへ来た時、三四郎は、
    「君、今ごろでも薄いリボンをかけるものかな。あれは極暑ごくしょに限るんじゃないか」と聞いた。与次郎はアハハハと笑って、
    「○○教授に聞くがいい。なんでも知ってる男だから」と言って取り合わなかった。
    正門の所で三四郎はぐあいが悪いからきょうは学校を休むと言い出した。与次郎はいっしょについて来て損をしたといわぬばかりに教室の方へ帰って行った。

    青空文庫より

  • 倉沢はすみ「魂の花」別役みか朗読

    倉沢はすみ作「魂の花」別役みかさんの朗読 タイトル画 はajicoさんです。

    倉沢はすみさんの作品掲載ブログはこちらです。 『コンペイトウ文庫』
    http://konpeito12.exblog.jp/

    2018年10月8日 14:20

  • 山川方夫「箱の中のあなた」遠藤理恵朗読

    Sep 18, 2018

  • 森鴎外「じいさんばあさん」石丸絹子朗読

    Sep 12, 2018

    じいさんばあさん

    森鴎外

    文化六年の春が暮れて行く頃であった。麻布竜土町あざぶりゅうどちょうの、今歩兵第三聯隊れんたいの兵営になっている地所の南隣で、三河国奥殿みかわのくにおくとのの領主松平左七郎乗羨のりのぶと云う大名のやしきうちに、大工が這入はいって小さい明家あきやを修復している。近所のものが誰の住まいになるのだと云って聞けば、松平の家中のさむらいで、宮重久右衛門みやしげきゅうえもんと云う人が隠居所をこしらえるのだと云うことである。なる程宮重の家の離座敷と云っても好いような明家で、只台所だけが、小さいながらに、別に出来ていたのである。近所のものが、そんなら久右衛門さんが隠居しなさるのだろうかと云って聞けば、そうではないそうである。田舎いなかにいた久右衛門さんの兄きが出て来て這入るのだと云うことである。
    四月五日に、まだ壁が乾き切らぬと云うのに、果して見知らぬいさんが小さい荷物を持って、宮重方にいて、すぐに隠居所に這入った。久右衛門は胡麻塩頭ごましおあたまをしているのに、この爺いさんは髪が真白である。それでも腰などは少しも曲がっていない。結構なこしらえの両刀をした姿がなかなか立派である。どう見ても田舎者らしくはない。
    爺いさんが隠居所に這入ってから二三日立つと、そこへあさんが一人来て同居した。それも真白な髪を小さい丸髷まるまげっていて、爺いさんに負けぬように品格が好い。それまでは久右衛門方の勝手から膳を運んでいたのに、婆あさんが来て、爺いさんと自分との食べる物を、子供がまま事をするような工合に拵えることになった。
    この翁媼おうおん二人の中の好いことは無類である。近所のものは、しあれが若い男女であったら、どうも平気で見ていることが出来まいなどと云った。中には、あれは夫婦ではあるまい、兄妹きょうだいだろうと云うものもあった。その理由とする所を聞けば、あの二人は隔てのないうちに礼儀があって、夫婦にしては、少し遠慮をし過ぎているようだと云うのであった。
    二人は富裕とは見えない。しかし不自由はせぬらしく、又久右衛門に累を及ぼすような事もないらしい。ことに婆あさんの方は、跡から大分だいぶ荷物が来て、衣類なんぞは立派な物を持っているようである。荷物が来てから間もなく、誰が言い出したか、あの婆あさんは御殿女中をしたものだと云ううわさが、近所に広まった。
    二人の生活はいかにも隠居らしい、気楽な生活である。爺いさんは眼鏡を掛けて本を読む。細字で日記を附ける。毎日同じ時刻に刀剣に打粉うちこを打ってく。たいめて木刀をる。婆あさんは例のまま事の真似をして、そのすきには爺いさんのそばに来て団扇うちわであおぐ。もう時候がそろそろ暑くなる頃だからである。婆あさんがしばらくあおぐうちに、爺いさんは読みさした本を置いて話をし出す。二人はさも楽しそうに話すのである。
    どうかすると二人で朝早くから出掛けることがある。最初に出て行った跡で、久右衛門の女房が近所のものに話したと云うことばが偶然伝えられた。「あれは菩提所ぼだいしょ松泉寺しょうせんじへ往きなすったのでございます。息子さんが生きていなさると、今年三十九になりなさるのだから、立派な男盛と云うものでございますのに」と云ったと云うのである。松泉寺と云うのは、今の青山御所あおやまごしょ向裏むこううらに当る、赤坂黒鍬谷くろくわだにの寺である。これを聞いて近所のものは、二人が出歩くのは、最初のその日に限らず、過ぎ去った昔の夢のあと辿たどるのであろうと察した。
    とかくするうちに夏が過ぎ秋が過ぎた。もう物珍らしげに爺いさん婆あさんの噂をするものもなくなった。所が、もう年が押し詰まって十二月二十八日となって、きのうの大雪の跡の道を、江戸城へ往反おうへんする、歳暮拝賀の大小名諸役人織るが如き最中に、宮重の隠居所にいる婆あさんが、今お城から下がったばかりの、邸の主人松平左七郎に広間へ呼び出されて、将軍徳川家斉いえなりの命を伝えられた。「永年遠国えんごく罷在候夫まかりありそろおっとため、貞節を尽候趣聞召つくしそろおもむききこしめされ、厚き思召おぼしめしもっ褒美ほうびとして銀十枚下し置かる」と云う口上であった。
    今年の暮には、西丸にいた大納言家慶いえよし有栖川職仁親王ありすがわよしひとしんのう女楽宮じょらくみやとの婚儀などがあったので、頂戴物ちょうだいものをする人数にんずが例年よりも多かったが、宮重の隠居所の婆あさんに銀十枚を下さったのだけは、異数いすうとして世間に評判せられた。
    これがために宮重の隠居所の翁媼二人は、一時江戸に名高くなった。爺いさんは元大番石川阿波守総恒組美濃部伊織いしかわあわのかみふさつねくみみのべいおりと云って、宮重久右衛門の実兄である。婆あさんは伊織の妻るんと云って、外桜田そとさくらだの黒田家の奥に仕えて表使格おもてづかいかくになっていた女中である。るんが褒美を貰った時、夫伊織は七十二歳、るん自身は七十一歳であった。

    ――――――――――――――――

    明和三年に大番頭おおばんがしらになった石川阿波守総恒の組に、美濃部伊織と云うさむらいがあった。剣術は儕輩せいはいを抜いていて、手跡も好く和歌のたしなみもあった。石川の邸は水道橋外で、今白山はくさんから来る電車が、お茶の水を降りて来る電車と行き逢うあたり角屋敷かどやしきになっていた。しかし伊織は番町ばんちょうに住んでいたので、上役とは詰所で落ち合うのみであった。
    石川が大番頭になった年の翌年の春、伊織の叔母婿おばむこで、やはり大番を勤めている山中藤右衛門と云うのが、丁度三十歳になる伊織に妻を世話をした。それは山中の妻の親戚しんせきに、戸田淡路守氏之あわじのかみうじゆきの家来有竹某ありたけぼうと云うものがあって、その有竹のよめの姉を世話したのである。
    なぜ妹が先によめにって、姉が残っていたかと云うと、それは姉が邸奉公をしていたからである。もと二人の女は安房国朝夷郡真門村あわのくにあさいごおりまかどむらで由緒のある内木四郎右衛門うちきしろえもんと云うものの娘で、姉のるんは宝暦ほうれき二年十四歳で、市ヶ谷門外の尾張中納言宗勝おわりちゅうなごんむねかつの奥の軽い召使になった。それから宝暦十一年尾州家びしゅうけでは代替だいがわりがあって、宗睦むねちかの世になったが、るんは続いて奉公していて、とうとう明和三年まで十四年間勤めた。その留守に妹は戸田の家来有竹の息子の妻になって、外桜田の邸へ来たのである。
    尾州家から下がったるんは二十九歳で、二十四歳になる妹の所へ手助てだすけに入り込んで、なるべくお旗本のうちで相応な家へよめに往きたいと云っていた。それを山中が聞いて、伊織に世話をしようと云うと、有竹では喜んで親元になって嫁入をさせることにした。そこで房州ぼうしゅううまれの内木うじのるんは有竹氏をおかして、外桜田の戸田邸から番町の美濃部方へよめに来たのである。
    るんは美人と云うたちの女ではない。し床の間の置物のような物を美人としたら、るんは調法に出来た器具のような物であろう。体格が好く、押出しが立派で、それで目から鼻へ抜けるように賢く、いつでもぼんやりして手を明けていると云うことがない。顔も觀骨かんこつやや出張っているのがきずであるが、まゆや目の間に才気があふれて見える。伊織は武芸が出来、学問の嗜もあって、色の白い美男である。只この人には肝癪持かんしゃくもちと云う病があるだけである。さて二人が夫婦になったところが、るんはひどく夫を好いて、手に据えるように大切にし、七十八歳になる夫の祖母にも、血を分けたものも及ばぬ程やさしくするので、伊織は好い女房を持ったと思って満足した。それで不断の肝癪は全くあとおさめて、何事をも勘弁するようになっていた。
    翌年は明和五年で伊織の弟宮重はまだ七五郎と云っていたが、主家しゅうけのその時の当主松平石見守乗穏いわみのかみのりやすが大番頭になったので、自分も同時に大番組にった。これで伊織、七五郎の兄弟は同じ勤をすることになったのである。
    この大番と云う役には、京都二条の城と大坂の城とに交代して詰めることがある。伊織が妻をめとってから四年立って、明和八年に松平石見守が二条在番の事になった。そこで宮重七五郎が上京しなくてはならぬのに病気であった。当時は代人差立だいにんさしたてと云うことが出来たので、伊織が七五郎の代人として石見守に附いて上京することになった。伊織は、丁度妊娠にんしんして臨月になっているるんを江戸に残して、明和八年四月に京都へ立った。
    伊織は京都でその年の夏を無事に勤めたが、秋風の立ちめる頃、或る日寺町通の刀剣商の店で、質流れだと云う好い古刀を見出した。かねい刀が一こし欲しいと心掛けていたので、それを買いたく思ったが、代金百五十両と云うのが、伊織の身に取っては容易ならぬ大金であった。
    伊織は万一の時の用心に、いつも百両の金を胴巻に入れて体に附けていた。それを出すのは惜しくはない。しかし跡五十両の才覚が出来ない。そこで百五十両は高くはないと思いながら、商人にいろいろ説いて、とうとう百三十両までに負けて貰うことにして、買い取る約束をした。三十両は借財をするつもりなのである。
    伊織が金を借りた人は相番あいばん下島しもじま甚右衛門と云うものである。平生親しくはせぬが、工面くめんの好いと云うことを聞いていた。そこでこの下島に三十両借りて刀を手に入れ、拵えを直しにった。
    そのうち刀が出来て来たので、伊織はひどく嬉しく思って、あたかも好し八月十五夜に、親しい友達柳原小兵衛等二三人を招いて、刀の披露旁馳走ひろうかたがたちそうをした。友達は皆刀をめた。酒たけなわになった頃、ふと下島がその席へ来合せた。めったに来ぬ人なので、伊織は金の催促に来たのではないかと、ず不快に思った。しかし金を借りた義理があるので、さかずきをさして団欒まといに入れた。
    しばらく話をしているうちに、下島のことばに何となく角があるのに、一同気が附いた。下島は金の催促に来たのではないが、自分の用立てた金で買った刀の披露をするのに自分を招かぬのを不平に思って、わざと酒宴の最中に尋ねて来たのである。
    下島は二言三言ふたことみこと伊織と言い合っているうちに、とうとうこう云う事を言った。「刀は御奉公のために大切な品だから、随分借財をして買っても好かろう。しかしそれに結構な拵をするのは贅沢ぜいたくだ。その上借財のある身分で刀の披露をしたり、月見をしたりするのは不心得だ」と云った。
    この詞の意味よりも、下島の冷笑を帯びた語気が、いかにも聞き苦しかったので、俯向うつむいて聞いていた伊織は勿論もちろん、一座の友達が皆不快に思った。
    伊織は顔を挙げて云った。「只今のお詞は確に承った。その御返事はいずれ恩借の金子きんすを持参した上で、あらためて申上げる。親しい間柄と云いながら、今晩わざわざ請待した客の手前がある。どうぞこの席はこれでお立下されい」と云った。
    下島は面色かおいろが変った。「そうか。返れと云うなら返る。」こう言い放って立ちしなに、下島は自分の前に据えてあった膳を蹴返けかえした。
    「これは」と云って、伊織ははたにあった刀を取って立った。伊織の面色はこの時変っていた。
    伊織と下島とが向き合って立って、二人が目と目を見合わせた時、下島が一言「たわけ」と叫んだ。その声と共に、伊織の手に白刃しらはひらめいて、下島は額を一とう切られた。
    下島は切られながら刀を抜いたが、伊織に刃向うかと思うと、そうでなく、白刃をひっさげたまま、身をひるがえして玄関へ逃げた。
    伊織が続いて出ると、脇差を抜いた下島の仲間ちゅうげんが立ちふさがった。「退け」と叫んだ伊織の横に払った刀に仲間は腕を切られて後へ引いた。
    そのひまに下島との間に距離が生じたので、伊織が一飛ひととびに追いすがろうとした時、跡から附いて来た柳原小兵衛が、「逃げるなら逃がせい」と云いつつ、背後うしろからしっかり抱き締めた。相手が死なずに済んだなら、伊織の罪が軽減せられるだろうと思ったからである。
    伊織は刀を柳原にわたして、しおしおと座に返った。そして黙って俯向いた。
    柳原は伊織の向いにすわって云った。「今晩の事はおれを始、一同が見ていた。いかにも勘弁出来ぬと云えばそれまでだ。しかし先へ刀を抜いた所存を、一応聞いて置きたい」と云った。
    伊織は目に涙を浮べて暫く答えずにいたが、口を開いて一首の歌をじゅした。

    「いまさらになにとか云はむ黒髪くろかみ
    みだれ心はもとすゑもなし」

    ――――――――――――――――

    下島は額のきずが存外重くて、二三日立って死んだ。伊織は江戸へ護送せられて取調を受けた。判決は「心得違のかどを以て、知行ちぎょう召放され、有馬左兵衛佐允純ありまさひょうえのすけまさずみながの御預仰付らる」と云うことであった。伊織が幸橋外さいわいばしそとの有馬邸から、越前国えちぜんのくに丸岡へ遣られたのは、安永と改元せられた翌年の八月である。
    跡に残った美濃部家の家族は、それぞれ親類が引き取った。伊織の祖母貞松院ていしょういんは宮重七五郎方に往き、父の顔を見ることの出来なかった嫡子平内へいないと、妻るんとは有竹の分家になっている笠原新八郎方に往った。
    二年程立って、貞松院が寂しがってよめの所へ一しょになったが、間もなく八十三歳で、病気と云う程の容体ようだいもなく死んだ。安永三年八月二十九日の事である。
    翌年又五歳になる平内が流行の疱瘡ほうそうで死んだ。これは安永四年三月二十八日の事である。
    るんは祖母をも息子をも、力のかぎり介抱して臨終を見届け、松泉寺に葬った。そこでるんは一生武家奉公をしようと思い立って、世話になっている笠原を始、親類に奉公先を捜すことを頼んだ。
    暫く立つと、有竹氏の主家しゅうけ戸田淡路守氏養うじやすの隣邸、筑前国ちくぜんのくに福岡の領主黒田家の当主松平筑前守治之はるゆきの奥で、物馴れた女中を欲しがっていると云う噂が聞えた。笠原は人を頼んで、そこへるんを目見めみえに遣った。氏養と云うのは、六年前に氏之の跡をいだ戸田家の当主である。
    黒田家ではるんを一目見て、すぐに雇い入れた。これが安永六年の春であった。
    るんはこれから文化五年七月まで、三十一年間黒田家に勤めていて、治之はるゆき治高はるたか斉隆なりたか斉清なりきよの四代の奥方に仕え、表使格おもてづかいかくに進められ、隠居して終身二人扶持にんふちを貰うことになった。この間るんは給料のうちから松泉寺へ金を納めて、美濃部家の墓に香華こうげを絶やさなかった。
    隠居を許された時、るんは一旦笠原方へ引き取ったが、間もなく故郷の安房へ帰った。当時の朝夷郡真門村で、今の安房郡江見村えみむらである。
    その翌年の文化六年に、越前国丸岡の配所で、安永元年から三十七年間、人に手跡や剣術を教えて暮していた夫伊織が、「三月八日浚明院殿御追善しゅんめいいんでんごついぜんの為、御慈悲の思召を以て、なが御預御免仰出おあずけごめんおおせいだされ」て、江戸へ帰ることになった。それを聞いたるんは、喜んで安房から江戸へ来て、竜土町の家で、三十七年振に再会したのである。

  • 下村千秋「神様の布団」福山美奈子朗読

    Sep 09, 2018

    むかし、鳥取とっとりのある町に、新しく小さな一けん宿屋やどやが出来ました。この宿屋の主人は、貧乏びんぼうだったので、いろいろの道具類どうぐるいは、みんな古道具屋から買い入れたのでしたが、きれいきな主人は、何でもきちんとかたづけ、ぴかぴかとみがいて、小ぎれいにさっぱりとしておきました。
    この宿屋を開いた最初さいしょのお客は、一人の行商人ぎょうしょうにんでした。主人は、このお客を、それはそれは親切にもてなしました。主人は何よりも大事な店の評判ひょうばんをよくしたかったからです。
    お客はあたたかいお酒をいただき、おいしい御馳走ごちそうはらいっぱいに食べました。そうして大満足だいまんぞくで、やわらかいふっくらとした布団の中へはいってつかれた手足をのばしました。
    お酒を飲み、御馳走をたくさん食べたあとでは、だれでもすぐにぐっすりと寝込ねこむものです。ことに外は寒く、寝床ねどこの中だけぽかぽかとあたたかい時はなおさらのことです。ところがこのお客ははじめほんのちょっとの間ねむったと思うと、すぐに人の話し声で目をさまされてしまいました。話し声は子供こどもの声でした。よく聞いてみると、それは二人の子供こどもで、同じことをおたがいにきき合っているのでした。
    「お前、寒いだろう。」
    「いいえ、兄さんが寒いでしょう。」
    はじめお客は、どこかの子供たちが暗闇くらやみ戸惑とまどいして、この部屋へまぎれんだのかも知れないと思いました。それで、
    「そこで話をしているのはだれですか?」となるべくやさしい声できいてみました。すると、ちょっとの間しんとしました。が、また少したつと、前と同じ子供の声が耳の近くでするのでした。一つの声が、
    「お前、寒いだろう。」といたわるように言うと、
    もう一つの声が細い弱々しい声で、
    「いいえ、兄さんが寒いでしょう。」というのです。
    お客は布団ふとんをはねのけ、行灯あんどんをともして、部屋の中をぐるりと見回しました。しかしだれもいません。障子しょうじも元のままぴったりとしまっています。もしやと思って、し入れの戸を開けて見ましたが、そこにも何も変わったことはありませんでした。で、お客は少し不気味ぶきみに思いながら、行灯の灯をともしたままで、またとこの中にもぐり込みました。と、しばらくするとまたさっきと同じ声がするのです。それもすぐ枕元まくらもとで、
    「お前、寒いだろう。」
    「いいえ、兄さんが寒いでしょう。」
    お客は急に体中がぞくぞくとして来ました。もうじっとしてていられないような気持ちになりました。でも、しばらくじっと我慢がまんしていますと、また同じ子供の声がするのです。
    お客はがたがたふるえながら、なおも、聞き耳を立てていますと、また同じ声がします。しかも、その声は、自分のかけている布団の中から出て来るではありませんか。――布団ぶとんが物を言っているのです。
    お客は、いきなりび起きると、あわてて着物を引っかけ、荷物にもつをかき集めてはしごだんけ下りました。そうして、ている主人をり起こして、これこれこうだと、今あったことを息もつかずに話しました。
    しかしあんまり不思議ふしぎな話なので、主人はそれをどうしても信じることが出来ませんでした。商人はあくまでほんとうだと言いります。商人と主人とは、たがいに問答もんどうをしていましたが、とうとうしまいに主人ははらを立てて、
    馬鹿ばかなことをおっしゃるな。はじめての大切なお客さまを、わざわざこまらせるようなことをいたすわけがありません。あなたはお酒にっておやすみになったので、おおかた、そういうゆめでもごらんになったのでしょう。」
    と、大きな声で言い返しました。けれどもお客は、いつまでもそんなことを言い合ってはいられないほど、おじがついていたので、お金をはらうと、とっとと、その宿を出て行ってしまいました。

    あくる日のばん、また一人のお客が、この宿にまりました。このお客も前夜のお客と同じように親切にもてなされて、いい気持ちで寝床ねどこにつきました。
    その夜がけると、宿の主人はまたもそのお客に起こされました。お客の言うことは、前夜のお客の言ったことと同じでした。このお客は、ゆうべの人のようにお酒を飲んではいませんでしたから、宿の主人も酒のせいにすることは出来ませんでした。で主人は、このお客はきっと、自分の稼業かぎょう邪魔じゃましようとしてこんなことを言うのだろうと思いました。で、やっぱり前夜と同じように腹を立てて、大きな声で言い返しました。
    「大事なお客様です、よろこんでいただこうと思いまして、何から何まで手落ちのないようにいたしました。それだのに縁起えんぎでもないことをおっしゃる。そんな評判ひょうばんが立ちましたらわたくしどもの店は立ち行きません。まぁよく考えてからものをおっしゃって下さい。」
    そう言われると、お客もたいへん機嫌きげんを悪くして、
    「わしはほんとうのことを言っているのです。余計よけいなことを言う前に、自身じしんで調べてみなさるがいい。」と言って、これもお金をはらうとすぐに、宿を出て行ってしまいました。
    お客が行ってしまってからも、主人は一人でぷりぷりおこっていましたが、とにかく一度その布団ふとんを調べてみようと思い、二階のお客の部屋へ上って行きました。
    布団のそばにすわってじっと様子をうかがっていると、やがて子供こどもの声がしてきました。それはたしかに一枚の布団ぶとんからするのでした。あとの布団はみんなだまっています。そこで主人は、これは不思議ふしぎだと、二人のお客にまでつけつけと言ったことを後悔こうかいしながら、その掛け布団だけを自分の部屋へ持って来て、そしてそれを掛けててみました。子供の声はたしかにその掛け布団からするのでした。
    「お前、寒いだろう。」
    「いいえ、兄さんが寒いでしょう。」
    主人は一晩中ひとばんじゅうねむることが出来ませんでした。
    夜の明けるのを待って、主人はその布団を買った古着屋へ行き、その話をくわしくしました。古着屋の主人は、そんな布団のいわれは知らないが、その布団は、出入りの古着商から買ったというのです。そこで宿の主人はその出入りの古着商をたずねて行きますと、その人は、あの布団は、町の場末ばすえにあるひどく貧乏びんぼうな商人から買ったのだと言うのでした。で、宿の主人は布団のいわれをさがし出すために、根気こんきよくそれからそれへとたずねて行きました。
    やがてとうとう、その布団ふとんはもと、あるまずしい家のもので、その家族が住んでいた家の家主やぬしの手から、買い取ったものだということがわかりました。そこで宿の主人は、次のような布団の身の上話をきくことが出来ました。

    その布団の持ち主の住んでいた家の家賃やちんは、そのころただの六十せんでした。それだけでもどんなにみすぼらしい家かはおわかりでしょう。しかしそれほどの家賃の支払しはらいにもこまるほどこの家族は貧乏びんぼうなのでした。というのも、母親は病気で長い間とこについたきりでしたし、そのうえにまだはたらくことの出来ない二人の子供こども――六つの女の子と八つになる男の子があり、父親は体が弱くて思うように働くことが出来なかったからです。またこの家族は、たよるべき親戚しんせきや知り合いが鳥取とっとりの町中に一人もありませんでした。
    ある冬の日のこと、父親は仕事から帰って来て、気分が悪いと言って床についたなり、やまいは急に重くなって、それきり頭が上がらなくなりました。そして一週間ほど薬ものめずにわずらってとうとう死んでしまいました。二人の子供をのこされた母親は床の中で毎日いていましたが、間もなく病が重くなり、母親もついにくなってしまったのです。二人の子供はき合って泣いているより外はありませんでした。どちらへ行っても知らぬ他人ばかりで、助けてくれるような人は一人もありません。雪にもれた町の中で、子供たちは、働こうにも、何一つ仕事がないのでした。子供たちは、家の中の品物を一つずつ売ってらしていくより外はなかったのです。
    売る物と言っても、もとからの貧乏暮びんぼうぐらしですから、そうたくさんあろうはずはありません。死んだ父親と母親の着物、自分たちの着物、布団四、五枚、それから粗末そまつな二つ三つの家具、そういう物を二人は順々じゅんじゅんに売って、とうとう一枚の布団ぶとんしかのこらないようになってしまいました。そうしてついに何も食べるものがない日が来ました。言うまでもなく、家賃やちんなどを支払しはらっているどころではありません。
    それは冬でも大寒だいかんといういちばん寒い季節きせつでした。この季節になると、この地方は、大人のたけほどの雪がもり、それが春の四月ごろまでとけずにいるのです。二人の子供こどもの食べるものがなくなったその日も朝から雪で、午後からは、ひどい吹雪ふぶきになりました。二人の子供は外へ出ることも出来ません。空いたおなかかかえながら二人はたった一枚の布団ふとんにくるまって、部屋のすみにちぢこまっていました。あばら家のことですからどこも隙間すきまだらけです。その隙間から吹雪は遠慮えんりょなくき込んで来ます。二人はぶるぶるふるえながら、しっかりとき合って、子供らしい言葉でたがいになぐさめ合うよりしかたがありませんでした。
    「お前、寒いだろう。」
    「いいえ、兄さんが寒いでしょう。」
    二人はそれを互いにくり返して、言い合っていました。
    そこへ、家主がやって来たのです。無慈悲むじひな家主はこわい顔をして、荒々あらあらしくおこって家賃の催促さいそくをしました。二人の子供はおどろきと悲しみのあまりものを言うことも出来ませんでした。首をすくめ、目をしばたたいているばかりでした。家主は、家の中を、じろじろ見回していましたが、金目かねめの品物は何一つないのを知ると、らんぼうにも、子供たちがくるまっていた一枚の布団をひったくってしまいました。そのうえ子供たちを家の外へ追い出して、家の戸にはじょうを下ろしてしまったのです。
    追い出された二人の兄妹きょうだいはもとより行く所はありません。少しはなれたお寺の庫裡くりまどからあたたかそうなの光がれて見えましたが、雪が子供こどもたちのむねほどももっていましたので、そこまでも行くことも出来ません。それに子供たちは一枚の着物しか着ていませんので、体中がこごえてしまって、もう一足も動けそうもありませんでした。
    そこで二人は、こわい家主が立ち去ったのを見ると、またもとの家の軒下のきしたへこっそりとしのびりました。
    そうしているうちに二人は、だんだんとねむくなって来ました。長い間あんまりひどい寒さにあっていると、だれでも眠くなるものなのです。兄妹は少しでもあたたまろうと、たがいにぎっしりとき合っていました。そしてそのまましずかなねむりに落ちて行きました。こうして兄妹が眠っている間に、神様は新しい布団ふとん――真っ白い、それはそれは美しい、やわらかい布団を、抱き合った兄妹の上にそっとけて下さいました。兄妹はもう寒さを感じませんでした。そしてそれから幾日いくにちも幾日もそのままで安らかに眠りつづけました。
    やがてある雪のやんだ日、近所の人が、雪の中につめたくなっている二人の兄妹の体を見つけ出しました。兄妹はそうして冷たい体になっても互いにしっかと抱き合っていました。

    宿屋の主人はこの話を聞いてしまうと、しばらくの間だまって目をつぶって、神様にいのるようなふうをしていました。それから家へ帰って、ものを言う不思議ふしぎな布団を持ち出して、二人の兄妹の家の近くのお寺へ行っておさめました。そして、そこのおぼうさんにたのんで、小さい美しい二人のたましいのために、ねんごろにおきょうをあげてもらいました。
    それからその布団は、ものを言うことをめました。そして宿屋もたいへんに繁昌はんじょうしたということであります。

  • 小泉八雲 田部隆次訳 「ろくろ首 ROKURO-KUBI」 小宮千明朗読

    Sep 09, 2018

    ろくろ首

    ROKURO-KUBI

    小泉八雲

    田部隆次訳

    五百年ほど前に、九州菊池の侍臣に磯貝平太左衞門武連たけつらと云う人がいた。この人は代々武勇にすぐれた祖先からの遺伝で、生れながら弓馬の道に精しく非凡の力量をもっていた。未だ子供の時から劒道、弓術、槍術では先生よりもすぐれて、大胆で熟練な勇士の腕前を充分にあらわしていた。その後、永享年間(西暦一四二九―一四四一)の乱に武功をあらわして、ほまれを授かった事たびたびであった。しかし菊池家が滅亡に陥った時、磯貝は主家を失った。外の大名に使われる事も容易にできたのであったが、自分一身のために立身出世を求めようとは思わず、また以前の主人に心が残っていたので、彼は浮世を捨てる事にした。そして剃髪して僧となり――囘龍と名のって――諸国行脚に出かけた。
    しかし僧衣の下には、いつでも囘龍の武士の魂が生きていた。昔、危険をものともしなかったと同じく、今はまた難苦を顧みなかった。それで天気や季節に頓着なく、外の僧侶達のあえて行こうとしない処へ、聖い仏の道を説くために出かけた。その時代は暴戻乱雑の時代であった。それでたとえ僧侶の身でも、一人旅は安全ではなかった。

    始めての長い旅のうちに、囘龍は折があって、甲斐の国を訪れた。ある夕方の事、その国の山間を旅しているうちに、村から数理を離れた、はなはだ淋しい処で暗くなってしまった。そこで星の下で夜をあかす覚悟をして、路傍の適当な草地を見つけて、そこに臥して眠りにつこうとした。彼はいつも喜んで不自由を忍んだ。それで何も得られない時には、裸の岩は彼にとってはよい寝床になり、松の根はこの上もない枕となった。彼の肉体は鉄であった。露、雨、霜、雪になやんだ事は決してなかった。
    横になるや否や、斧と大きな薪の束を脊負うて道をたどって来る人があった。この木こりは横になっている囘龍を見て立ち止まって、しばらく眺めていたあとで、驚きの調子で云った。
    「こんなところで独りでねておられる方はそもそもどんな方でしょうか。……このあたりには変化へんげのものが出ます――たくさんに出ます。あなたは魔物を恐れませんか」
    囘龍は快活に答えた、「わが友、わしはただの雲水じゃ。それゆえ少しも魔物を恐れない、――たとえ化け狐であれ、化け狸であれ、その外何の化けであれ。淋しい処は、かえって好む処、そん処は黙想をするのによい。わしは大空のうちに眠る事に慣れておる、それから、わしのいのちについて心配しないように修業を積んで来た」
    「こんな処に、お休みになる貴僧は、全く大胆な方に相違ない。ここは評判のよくない――はなはだよくない処です。「君子危うきに近よらず」と申します。実際こんな処でお休みになる事ははなはだ危険です。私の家はひどいあばらやですが、御願です、一緒に来て下さい。喰べるものと云っては、さし上げるようなものはありません。が、とにかく屋根がありますから安心してねられます」
    熱心に云うので、囘龍はこの男の親切な調子が気に入って、この謙遜な申出を受けた。きこりは往来から分れて、山の森の間の狭い道を案内して上って行った。凸凹の危険な道で、――時々断崖の縁を通ったり、――時々足の踏み場処としては、滑りやすい木の根のからんだものだけであったり、――時々尖った大きな岩の上、または間をうねりくねったりして行った。しかし、ようやく囘龍はある山の頂きの平らな場所へ来た。満月が頭上を照らしていた。見ると自分の前に小さな草ふき屋根の小屋があって、中からは陽気な光がもれていた。きこりは裏口から案内したが、そこへは近処の流れから、竹の筧で水を取ってあった。それから二人は足を洗った。小屋の向うは野菜畠につづいて、竹藪と杉の森になっていた。それからその森の向うに、どこか遥かに高い処から落ちている滝が微かに光って、長い白い着物のように、月光のうちに動いているのが見えた。

    囘龍が案内者と共に小屋に入った時、四人の男女が炉にもやした小さな火で手を暖めているのを見た。僧に向って丁寧にお辞儀をして、最も恭しき態度で挨拶を云った。囘龍はこんな淋しい処に住んでいるこんな貧しい人々が、上品な挨拶の言葉を知っている事を不思議に思った。「これはよい人々だ」彼は考えた「誰かよく礼儀を知っている人から習ったに相違ない」それから外のものが「あるじ」と云っているその主人に向って云った。
    「その親切な言葉や、皆さんから受けたはなはだ丁寧なもてなしから、私はあなたを初めからのきこりとは思われない。たぶん以前は身分のある方でしたろう」
    きこりは微笑しながら答えた。
    「はい、その通りでございます。ただ今は御覧の通りのくらしをしていますが、昔は相当の身分でした。私の一代記は、自業自得で零落したものの一代記です。私はある大名に仕えて、重もい役を務めていました。しかし余りに酒色に耽って、心が狂ったために悪い行をいたしました。自分の我儘から家の破滅を招いて、たくさんの生命を亡ぼす原因をつくりました。その罸があたって、私は長い間この土地に亡命者となっていました。今では何か私の罪ほろぼしができて、祖先の家名を再興する事のできるようにと、祈っています。しかしそう云う事もできそうにありません。ただ、真面目な懺悔をして、できるだけ不幸な人々を助けて、私の悪業の償いをしたいと思っております」
    囘龍はこのよい決心の告白をきいて喜んで主人に云った、
    「若い時につまらぬ事をした人が、後になって非常に熱心に正しい行をするようになる事を、これまでわしは見ています。悪に強い人は、決心の力で、また、善にも強くなる事は御経にも書いてあります。御身は善い心の方である事は疑わない。それでどうかよい運を御身の方へ向わせたい。今夜は御身のために読経をして、これまでの悪業に打ち勝つ力を得られる事を祈りましょう」
    こう云ってから囘龍は主人に「お休みなさい」を云った。主人は極めて小さな部屋へ案内した。そこには寝床がのべてあった。それから一同眠りについたが、囘龍だけは行燈のあかりのわきで読経を始めた。おそくまで読経勤行に余念はなかった。それからこの小さな寝室の窓をあけて、床につく前に、最後に風景を眺めようとした。夜は美しかった。空には雲もなく、風もなかった。強い月光は樹木のはっきりした黒影を投げて、庭の露の上に輝いていた。きりぎりすや鈴虫の鳴き声は、騒がしい音楽となっていた。近所の滝の音は夜のふけるに随って深くなった。囘龍は水の音を聴いていると、渇きを覚えた。それで家の裏の筧を想い出して、眠っている家人の邪魔をしないで、そこへ出て水を飲もうとした。襖をそっとあけた。そうして、行燈のあかりで、五人の横臥したからだを見たが、それにはいずれも頭がなかった。
    直ちに――何か犯罪を想像しながら――彼はびっくりして立った。しかし、つぎに彼はそこに血の流れていない事と、頭は斬られたようには見えない事に気がついた。それから彼は考えた。「これは妖怪にばかされたか、あるいは自分はろくろ首の家におびきよせられたのだ。……「捜神記」に、もし首のない胴だけのろくろ首を見つけて、その胴を別の処にうつしておけば、首は決して再びもとの胴へは帰らないと書いてある。それから更にその書物に、首が帰って来て、胴が移してある事をさとれば、その首は毬のようにはねかえりながら三度地を打って、――非常に恐れて喘ぎながら、やがて死ぬと書いてある。ところで、もしこれがろくろ首なら、禍をなすものゆえ、――その書物の教え通りにしても差支はなかろう」……
    彼は主人の足をつかんで、窓まで引いて来て、からだを押し出した。それから裏口に来てみると戸が締っていた。それで彼は首は開いていた屋根の煙出しから出て行った事を察した。静かに戸を開けて庭に出て、向うの森の方へできるだけ用心して進んだ。森の中で話し声が聞えた、それでよい隠れ場所を見つけるまで影から影へと忍びながら――声の方向へ行った。そこで、一本の樹の幹のうしろから首が――五つとも――飛び※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)って、そして飛び※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りながら談笑しているのを見た。首は地の上や樹の間で見つけた虫類を喰べていた。やがて主人の首が喰べる事を止めて云った、
    「ああ、今夜来たあの旅の僧、――全身よく肥えているじゃないか、あれを皆で喰べたら、さぞ満腹する事であろう。……あんな事を云って、つまらない事をした、――だからおれの魂のために、読経をさせる事になってしまった。経をよんでいるうちは近よる事がむつかしい。称名を唱えている間は手を下す事はできない。しかしもう今は朝に近いから、たぶん眠ったろう。……誰かうちへ行って、あれが何をしているか見届けて来てくれないか」
    一つの首――若い女の首――が直ちに立ち上って蝙蝠のように軽く、家の方へ飛んで行った。数分の後、帰って来て、大驚愕の調子で、しゃがれ声で叫んだ、
    「あの旅僧はうちにいません、――行ってしまいました。それだけではありません。もっとひどい事には、主人の体を取って行きました。どこへ置いて行ったか分りません」
    この報告を聞いて、主人の首が恐ろしい様子になった事は月の光で判然と分った。眼は大きく開いた、髪は逆立った、歯はきしった。それから一つの叫びが唇から破裂した、忿怒の涙を流しながらどなった、
    「からだを動かされた以上、再びもと通りになる事はできない。死なねばならない。……皆これがあの僧の仕業だ。死ぬ前にあの僧に飛びついてやろう、――引き裂いてやろう、――喰いつくしてやろう。……あああすこに居る――あの樹のうしろ――あの樹のうしろに隠れている。あれ、――あのふとた臆病者」……
    同時に主人の首は他の四つの首を随えて、囘龍に飛びかかった。しかし強い僧は手ごろの若木を引きぬいて武器とし、それを打ちふって首をなぐりつけ、恐ろしい力でなぎたててよせつけなかった。四つの首は逃げ去った。しかし、主人の首だけは、いかに乱打されても、必死となって僧に飛びついて、最後に衣の左の袖に喰いついた。しかし囘龍の方でも素早くまげをつかんでその首を散々になぐった。どうしても袖からは離れなかったが、しかし長い呻きをあげて、それからもがくことを止めた。死んだのであった。しかしその歯はやはり袖に喰いついていた。そして囘龍のありたけの力をもってしても、その顎を開かせる事はできなかった。
    彼はその袖に首をつけたままで、家へ戻った。そこには、傷だらけ、血だらけの頭が胴に帰って、四人のろくろ首が坐っているのを見た。裏の戸口に僧を認めて一同は「僧が来た、僧が」と叫んで反対の戸口から森の方へ逃げ出した。
    東の方が白んで来て夜は明けかかった。囘龍は化物の力も暗い時だけに限られている事を知っていた。袖についている首を見た――顔は血と泡と泥とで汚れていた。そこで「化物の首とは――何と云うみやげだろう」と考えて大声に笑った。それからわずかの所持品をまとめて、行脚をつづけるために、徐ろに山を下った。
    直ちに旅をつづけて、やがて信州諏訪へ来た。諏訪の大通りを、肘に首をぶら下げたまま、堂々と濶歩していた。女は気絶し、子供は叫んで逃げ出した。余りに人だかりがして騒ぎになったので、捕吏とりてが来て、僧を捕えて牢へ連れて行った。その首は殺された人の首で、殺される時、相手の袖に喰いついたものと考えたからであった。囘龍の方では問われた時に微笑ばかりして何にも云わなかった。それから一夜を牢屋ですごしてから、その土地の役人の前に引き出された。それから、どうして僧侶の身分として袖に人の首をつけているか、なぜ衆人の前で厚顔にも自分の罪悪の見せびらかしをあえてするか、説明するように命ぜられた。
    囘龍はこの問に対して長く大声で笑った、それから云った、
    「皆様、愚僧が袖に首をつけたのではなく、首の方から来てそこへついたので――愚僧迷惑至極に存じております。それから愚僧は何の罪をも犯しません。これは人間の首でなく、化物の首でございます、――それから化物が死んだのは、愚僧が自分の安全を計るために必要な用心をしただけのことからで、血を流して殺したのではございません」……それから彼は更に、全部の冒険談を物語って、五つの首との会戦の話に及んだ時、また一つ大笑いをした。
    しかし、役人達は笑わなかった。これは剛腹頑固な罪人で、この話は人を侮辱したものと考えた。それでそれ以上詮索しないで、一同は直ちに死刑の処分をする事にきめたが、一人の老人だけは反対した。この老いた役人は審問の間には何も云わなかったが、同僚の意見を聞いてから、立ち上って云った、「まず首をよく調べましょう、これが未だすんでいないようだから。もしこの僧の云う事が本当なら、首を見れば分る。……首をここへ持って来い」
    囘龍の背中からぬき取った衣にかみついている首は、裁判官達の前に置かれた。老人はそれを幾度も※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)して、注意深くそれを調べた。そして頸のうなじにいくつかの妙な赤い記号らしいものを発見した。その点へ同僚の注意を促した。それから頸の一端がどこにも武器で斬られたらしい跡のない事を見せた。かえって落葉が軸から自然に離れたように、その頸の断面は滑らかであった。……そこで老人は云った、
    「僧の云った事は全く本当としか思われない。これはろくろ首だ。「南方異物志」に、本当のろくろ首のうなじの上には、いつでも一種の赤い文字が見られると書いてある。そこに文字がある。それはあとで書いたのではない事が分る。その上甲斐の国の山中にはよほど昔から、こんな怪物が住んでおる事はよく知られておる。……しかし」囘龍の方へ向いて、老人は叫んだ――「あなたは何と強勇なお坊さんでしょう。たしかにあなたは坊さんには珍らしい勇気を示しました。あなたは坊さんよりは、武士の風がありますな。たぶんあなたの前身は武士でしょう」
    「いかにもお察しの通り」と囘龍は答えた。「剃髪の前は、久しく弓矢取る身分であったが、その頃は人間も悪魔も恐れませんでした。当時は九州磯貝平太左衞門武連と名のっていましたが、その名を御記憶の方もあるいはございましょう」
    その名前を名のられて、感嘆のささやきが、その法廷に満ちた。その名を覚えている人が多数居合せたからであった。それからこれまでの裁判官達は、たちまち友人となって、兄弟のような親切をつくして感嘆を表わそうとした。恭しく国守の屋敷まで護衛して行った。そこでさまざまの歓待饗応をうけ、褒賞を賜わった後、ようやく退出を許された。面目身に余った囘龍が諏訪を出た時は、このはかない娑婆世界でこの僧ほど、幸福な僧はないと思われた。首はやはり携えて行った――みやげにすると戯れながら。

    さて、首はその後どうなったか、その話だけ残っている。
    諏訪を出て一両日のあと、囘龍は淋しい処で一人の盗賊に止められて、衣類を脱ぐ事を命ぜられた。囘龍は直ちにころもを脱して盗賊に渡した。盗賊はその時、始めて袖にかかっているものに気がついた。さすがの追剥ぎも驚いて、ころもを取り落して、飛び退いた。それから叫んだ、「やあ、こりゃとんでもない坊さんだ。おれよりもっと悪党だね。おれも実際これまで人を殺した事はある、しかし袖に人の首をつけて歩いた事はない。……よし、お坊さん、こりゃおれ達は同じ商売仲間だぜ、どうしてもおれは感心せずには居られない。ところで、その首はおれの役に立ちそうだ。おれはそれで人をおどかすんだね。売ってくれないか。おれのきものと、このころもと取り替えよう、それから首の方は五両出す」
    囘龍は答えた、
    「お前が是非と云うなら、首も衣も上げるが、実はこれは人間の首じゃない。化物の首だ。それで、これを買って、そのために困っても、わしのために欺かれたと思ってはいけない」
    「面白い坊さんだね」追剥ぎが叫んだ。「人を殺してそれを冗談にしているのだから、……しかし、おれは全く本気なんだ。さあ、きものはここ、それからお金はここにある。――それから首を下さい。……何もふざけなくってもよかろう」
    「さあ、受け取るがよい」囘龍は云った。「わしは少しもふざけていない。何かおかしい事でももしあれば、それはお前がお化けの首を、大金で買うのが馬鹿げていてはおかしいと云う事だけさ」それから囘龍は大笑をして去った。

    こんなにして盗賊は首と、衣を手に入れてしばらく、お化の僧となって追剥ぎをして歩るいた。しかし諏訪の近傍へ来て、彼は首の本当の話を聞いた。それからろくろ首の亡霊の祟りが恐ろしくなって来た。そこでもとの場所へ、その首をかえして、体と一緒に葬ろうと決心した。彼は甲斐の山中の淋しい小屋へ行く道を見つけたが、そこには誰もいなかった。体も見つからなかった。そこで首だけを小屋のうしろの森に埋めた。それからこのろくろ首の亡霊のために施餓鬼を行った。そしてろくろ首の塚として知られている塚は今日もなお見られる。(とにかく、日本の作者はそう公言する)

  • 小山清「落穂拾い」海渡みなみ朗読

    Sep 03, 2018

    仄聞そくぶんするところによると、ある老詩人が長い歳月をかけて執筆している日記は嘘の日記だそうである。僕はその話を聞いて、その人の孤独にふれる思いがした。きっとさびしい人に違いない。それでなくて、そんな長いあいだに渡って嘘の日記を書きつづけられるわけがない。僕の書くものなどは、もとよりとるに足りないものではあるが、それでもそれが僕にとって嘘の日記に相当するとえないこともないであろう。僕は出来れば早く年をとってしまいたい。すこし位腰が曲がったって仕方がない。僕はそのときあるいは鶏のひなを売って生計を立てているかも知れない。けれども年寄というものは必ずしも世の中の不如意ふにょいかこっているとは限らないものである。僕は自分の越し方をかえりみて、好きだった人のことを言葉すくなに語ろうと思う。そして僕の書いたものが、すこしでも僕というものを代弁してくれるならば、それでいいとしなければなるまい。僕の書いたものが、僕というものをどのように人に伝えるかは、それは僕にもわからない。僕にはどんな生活信条もない。ただ愚図ぐずな貧しい心から自分の生れつきをそんなに悲しんではいないだけである。イプセンの「野鴨」という劇に、気の弱い主人公が自分の家庭でフリュートを吹奏すいそうする場面があるが、僕なんかも笛でも吹けたらなあと思うことがある。たとえばこんな曲はどうかしら。「ひとりで森へ行きましょう。」とか「わたしの心はあのひとに。」とか。まま母に叱られてまたは恋人からすげなくされて、泣いているような娘のご機嫌をとってやり、その涙をやさしく拭ってやれたなら。
    誰かに贈物をするような心で書けたらなあ。

    もはや二十年の昔になるが、神楽坂かぐらざかの夜店商人の間にひとりの似顔絵かきがいた。まだ若い人で、粗末な服装をしていて、不精ぶしょうひげを生やした顔を寒風にさらしていた。微醺びくんをおびていることもあった。見本に並べてある絵の中にはその人の自画像もあって、それには「ひょっとこのいのち」と傍書してあった。僕はその頃暖いマントに身を包み、ふところには身分不相応な小遣いさえ持っていた。その人もいまはあるいは偉い大家になられたかも知れぬのだが、僕はいま自身にひょっとこの命を感じている。

    僕はいま武蔵野市の片隅に住んでいる。僕の一日なんておよそ所在ないものである。本を読んだり散歩をしたりしているうちに、日が暮れてしまう。それでも散歩の途中で、野菊の咲いているのを見かけたりすると、ほっとして重荷の下りたような気持になる。その可憐かれん風情ふぜいが僕に、「お前も生きて行け。」とささやいてくれるのである。

    僕は外出から帰ってくると、門口の郵便箱をあけて見る。留守の間になにかいい便りが届いていはしまいかと思うのである。箱の中はいつも空しい。それでも僕はあけて見ずにはいられないのだ。

    こないだF君からハガキが来た。移転の通知である。F君は北海道の夕張炭坑にいる。僕は終戦後、夕張炭坑へ行った。職業紹介所を通じて炭坑夫の募集に応じたのである。F君はそのときの道連れの一人である。僕達は寒い最中さなかに上野を立った。僕達は皆んな炭坑労務者の記号のついた腕章を巻いていたが、誰もが気恥ずかしそうにしていた。汽車の中は窓硝子ガラスが無くて代りに板が打ちつけてあるところもあって寒かった。僕は寒さに震えながら、向いに腰かけているF君の防寒用にかぶっている防空頭巾ずきんの内にのぞいているその素直な眼差しに、ときどき思い出したように見入った。僕達はその日初めて見知った仲なのだが、F君は僕に云ったのである。「稼いだらまた東京に帰ってきましょうね。」F君のそのなにげない言葉が、そのときの僕の結ぼれていた気持を、どんなに解き放してくれたことか。
    夕張は山の中の炭坑町である。一年の半分は雪に埋もれている。ひとくちに云って、寂しい処である。僕はそこで心細い困難な月日を送ったという以外、格別なことはなにもなかったのだが、僕は郷愁を感じている。刑務所にいた者は出所してから、旧の古巣のことをふとなつかしく思うことがあるそうである。殊に娑婆しゃばの風が冷かったりすると。僕の夕張に対する気持には、それに似たものがあるかも知れない。
    土地の気風は概して他国者に親切である。内地から出かけた人の中には国から妻子を呼び寄せたり、または土地の女といっしょになって住み着く人も少くない。
    僕は思ったより早く東京へ帰るようになったが、F君は夕張に残った。F君はあらわには云わなかったが、そこで所帯を持つ心づもりらしかった。F君は云った。「どこにふるさとがあるかわかりませんね。」僕達は早い話が内地を食い詰めて出かけて行ったのだが、僕はF君のような大人しい人があんな僻地へきちでどうやら意中の人を見出したらしい様子なので、そのために一層F君を好ましく思った。
    F君にはひとと争う心がすこしもなかった。F君はまた「凡の真実は語るに適せぬことを、云わぬがよいことを承知している」人であった。僕はF君となら一つ家にともに暮らしても、気まずくなる心配はないと思っている。こんなことを云ったら可笑おかしいだろうが、若しもF君が女だったら、僕はお嫁にもらったかも知れない。
    F君からのハガキには、F君が僕達のいた寮を出て、近くに新築された長屋に入ったことを知らせてあった。「私たちも元気です。」とそれだけしか書いてない。F君らしいひかえ目な新生活の報知であった。
    夕張の駅は山峡やまかいにある。両側の山のなぞえには炭坑夫の長屋が雛段を見るように幾列も並んでいる。夜、雪の中にこの長屋に灯のついている光景を眺めることは、僕達に旅の愁いを催させたものである。僕はいま追憶の山の上にF君たちの灯を一つ加えた。

    「秋ふかき隣は何をする人ぞ」

    僕の家の便所の窓からは塀越しに隣家の庭と座敷が見える。座敷の中には大抵いつも一人の青年が机に向って椅子に腰をかけ本を読んでいる。この家は母親と息子であろうその青年との二人暮らしのようである。母親は五十位の年輩で青年は二十二三位。ひっそり住みなしている感じで、話声が聞えることもない。二人が偕にいるところを見かけることも殆どない。僕は元来物見高い方ではないし、ぶしつけに他人の垣の内を覗くわけではないのだが、便所に入るとつい窓越しに眼に入ってくるのである。縁側の硝子戸が閉まっていて内にカーテンが引かれていることもあるが、大抵いつもひとり青年が机に向っている姿が眺められる。そしてそのさまが僕の眼をくのである。青年は書物の上にうつむいていることが多く、僕に見られていることには気がつかない。僕は便所に入ったとき、青年の姿を見かければ、いつも一寸視線をその顔のうえに止める。僕はなぜその青年の顔が僕の眼を惹くのか、心に問うてみた。一言にして云えば、れていないからである。僕はかつて鴎外の「青年」という小説を読んだとき、よくわからなかった。なぜ鴎外はこんな若きつばめ然とした柔弱児にゅうじゃくじを描いて、而もそれに「青年」という題名をつけたのだろうと不審に堪えなかった。最近読み返して眼のあく思いをした。この作品の冒頭の部分に次のような一行がある。「ませた、おちゃっぴいな小女の目に映じたのは、色の白い、卵からかえったばかりの雛のような目をしている青年である。」鴎外はこういう青年の像を描こうとしたのである。それはまさしく青年であって、若き燕などと云うものではなかった。泰西名画に「笛を吹く少年」とか「縄とびをする少女」とかいうのがある。隣家の青年は僕にとってはさしずめ「本を読む青年」でしかない。決してその平面図から抜けて出て、僕の生活図形に入ってくることはないであろう。けれどもその静かな生活のたたずまいの中にいる青年の無心なさまを眺めると、たとえば光りを浴び風にそよぐポプラのこずえを仰いだときに僕の心の中でなにかがゆれるように、僕の心に伝わってくるものがある。
    ときたま道で行きうこともある。お互いに隣同士なことは知っているが、僕達は挨拶あいさつなどはしない。知らん顔をしている。無言で擦れ違うだけである。名前も知らない。標札などには眼を向けて見ないのである。

    牛乳一合
    うどん一斤。
    卵二つ。
    味噌二百もんめ
    ほうれん草。

    僕はいま自炊の生活をしている。それでも七輪や鍋、薬鑵やかん庖丁ほうちょう俎板まないた、茶碗などが揃ったのはつい最近のことである。そしてどうやらいまのところはこの生活を維持している。けれども僕の不安定な生活も久しいものである。いつこの生活が突き崩されるか、それは図り知れたものではない。恒産こうさんなければ恒心無しと云うではないか。いつどんなへまをしでかすか、僕にはとても自分が信用出来ないのである。所帯道具がふえたじゃないかと笑った人があるが、たとえば僕が一羽の燕であるとすれば、僕にとって七輪や鍋は燕がその巣を造るために口にふくんでくる泥や※(「禾+皆」、第4水準2-82-94)わらしべたぐいに相当するであろう。そして僕に養う子燕がないにしても、僕としてはやはり自分の巣は営まなければならない。僕はひとが思うほどには、また自分からひとに話すほどには、薪水しんすいの労を億劫おっくうにはしていない。そんなにいやでもない。僕の一日などは大抵無為のうちに暮れてしまうのだが、「無為」でないのは睡眠という営みをべつにすれば、その時間だけである。そして僕にはそれに費される時間の長さが有難いのだ。僕はそれをひどくスローモーションにやるわけなのだから。たとえば母親から慰められずに置き去りにされた子供が独りで玩具をもてあそんでいるうちにいつか涙が乾いてくるように、米をいだり菜を刻んだりしていると、僕の気持もようやくまぎれてくる。僕はうどんが煮える間を、米がける間を大抵いつも詩集をひもとく。小説なんかよりはこの方が勝手だから。こんな詩を見つけたりする。

    夕日が傾き
    村から日差しが消える時、
    村から村へ暗がりを訴える
    やさしい鐘の響が伝わってゆく。

    まだ一つ、あの丘の上の鐘だけが
    いつまでも黙っている。
    だが今それは揺れ始める。
    ああ、私のキルヒベルクの鐘が鳴っている。

    (マイヤア「鎮魂歌」高安国世訳)

    この詩はまた僕の心をしずめることにも役立つ。そして僕の心を遠く志したものに、はるかな希望につないでくれる。

    僕は一日中誰とも言葉を交さずにしまうことがある。日が暮れると、なんにもしないくせに僕は疲れている。一日だけのエネルギーがやはりつかい果されるのだろう。額にたがを締められたような気分で、そしてふと気がつく。ああ、きょうも誰とも口をきかなかったと。これはよくない。きっと僕は浮腫むくんだような顔をしているに違いない。誰とでもいい。そしてふたこと、みことでいいのだ。たとえばお天気の話などでも。それはほんの一寸した精神の排泄はいせつ作用に属することなのだから。
    僕は自分では酒はたしなまないが、それでも酒を呑む人の気持がわかるような気がする。人恋しい気持に誘われて、呑み屋の暖簾のれんをくぐって、そこに知った顔を見つけたときの愉しさは格別なものがあろう。
    僕にはつい遊びに出かけるような処もない。それにすずめの巣に燕が顔を出したとしたら、それは闖入者ちんにゅうしゃということになりはしないだろうか。雀の家庭には雀の家風というものがあるのだろうから。そしてそれはやはり尊重しなければならないのだろうから。それでもお伽噺とぎばなしなんかにはよくあるではないか。雀が燕の訪問を歓迎する話が。
    その人のためになにかの役に立つということを抜きにして、僕達がお互いに必要とし合う間柄になれたなら、どんなにいいことだろう。
    僕の家から最寄もよりの駅へ行く途中に芋屋がある。芋屋と云っても専門の芋屋ではない。爺さんが買出しに出かけて担いできたやつを、婆さんが釜で焼いて売っているのだ。僕は人に会いたくなると、ときどきそこへ出かけて行く。小さいバラック建ての店の中に、一人腰かけられる位のところに茣蓙ござが敷いてあって、客が休めるようになっている。お茶の接待もある。気が置けなくて、僕などには行きやすい。僕は行くといつも芋を百匁がとこ食べて、ほうちゃの熱いやつを大きな湯呑にお代りをする。僕のほかに客があることは殆どなく、その小さい店の中にはお婆さんと僕だけで、僕はとてもアット・ホームな気がして、くつろいでしまう。そのお婆さんがとてもいいのだ。年頃はまだ七十にはなるまい。もしかすると六十を幾つも越していないのかも知れない。髪はそれほど白くはない。それでも腰が少し曲がっているし、顔もしなびかけている。年よりも早く老け込んでしまうような生活を送ってきたのだろう。お婆さんの顔を見ると、その声をきくと、お婆さんがやさしい善良な心根こころねの人だということがすぐわかる。その人の生れつきの性質というものは、年をとっても損われずに残っていて、やはりその人をいちばんに伝えるものではないだろうか。殊に単純で素朴な人達の間では。僕にはお婆さんの顔が正直という徳で縁飾ふちかざりをされているように見える。お婆さんははかりで芋を計ってくれてから、焙じ茶の入った薬鑵を僕のそばに置いて、田舎なまりのある口調で、「勝手に注いであがって下さいよ。」と云う。お婆さんと向い合っていると僕はとても安気で、お茶をなん杯もお代りして呑む。お金を置くと、「どうも有難うございました。」と云う。人柄というものはおかしなもので、こんななんでもない挨拶にも実意がこもっている。ついぞ相客のあったためしはないが、結構あきないはあるのだろう。お婆さんが僕に世間話をしかけることもない。僕もまた黙っている。ただ芋を食ってお茶を呑んでくるだけである。それでも僕の気持は慰められている。
    いつか夜風呂の帰りにお婆さんに行逢った。やはり風呂に行くところらしく、手拭をさげていた。

    僕にはもう一軒行くところがある。
    僕は最近ひとりの少女と知合いになった。彼女は駅の近くで「緑陰書房」という古本屋を経営している。マーケットの一隅にある小さい床店で、彼女は毎日その店へ、隣町にある自宅から自転車に乗って出張してくるのだ。
    彼女は新制高校を卒業してから、上級の学校へも行かずまた勤めにも就かず、自らえらんでこの商売を始めた。父兄の勧めに由ったのではなく、彼女ひとりの見識にもとづいてしたわけで、はたちまえの少女の身としてはまず健気けなげと云っていいだろう。「よくひとりで始める気になったね。」と僕が云ったら、彼女はべつに意気込んだ様子も見せず、「わたしはわがままだからお勤めには向かないわ。」と云った。
    紫色の細いバンドで髪を押えているのが、化粧をしない生まじめな顔によく映って、それが彼女の場合は素朴な髪飾りのようにも見える。おそらく快楽好きな若者の目には器量きりょうよしには映るまい。自転車にまたがっている彼女の姿は宛然あたかも働きものの娘さんを一枚の絵にしたようだ。
    先年歿したDという小説家は、自分には訪問ヴィジットの能力がないとこぼしていたが、僕などもそのお仲間らしい。第一に他人の家の門口の戸をわが手であけるということが既に億劫だ。彼女の店は商売柄客に対していつも門戸が開放してあるのでつい入りやすいから、僕はときどき立寄って店の営業妨害にならない程度に話をしてくる。
    僕はまた彼女の店の顧客おとくいでもある。主として均一本きんいちぼんの。僕はまだ彼女の店で一度に五拾円以上の買物をしたことはない。僕が初めて、彼女と近づきになったのも、均一本の中に「聖フランシスの小さき花」と「キリストのまねび」を見つけたときだ。彼女は「小さき花」の奥附がとれているのを見て、拾円値引をしてくれて、二冊で五拾円にしてくれた。僕はいまの人が忘れて顧みないような本をくりかえし読むのが好きだ。僕はときどき彼女の店に均一本をあさりに行くようになり、そのうち彼女と話を交わすようにもなった。彼女の気質が素直でこだわらないので、僕としてもめずらしく悪びれずに話すことが出来るのだ。そしてそれが僕には自分でもうれしい。大袈裟に云えば、僕は彼女の眼差しのうちに未知の自分を確認するような気さえしている。こうして僕に思いがけなく新しい交友の領域がひらけた。
    彼女と僕が話しているのをよそ目に見たら、大分了解の届いた仲に見えるかも知れない。僕としてもつきあいの短いわりにはお互いに気心が分ったような気がしている。彼女は僕のことをこだわりなく「おじさん」と呼んでいる。彼女から見れば僕などはおじさんに違いない、またおじさん以外の何物でもあるわけがない。彼女からおじさんの御商売は? と訊かれて、僕は小説を書いていると答えた。靴屋ならば靴をこしらえていると答えるだろうし、時計職ならば時計を組立てていると答えるだろう。ただ僕の場合はまだ文芸年鑑にも登録されていないし、一冊の著書さえなく、また二三書いたものを発表したこともあるが、その雑誌もいまは廃刊している。けれども若しそんなことで僕が悪びれたりしたなら、その小さな店で敢闘している彼女に対しても、男子の沽券こけんにかかわることだろう。自分で小説書きを標榜ひょうぼうする以上、上手下手はべつとして、僕としては仕事に励む気になっている。それに応じて仕事そのものが精を出してくれたなら、申し分ないのだが。彼女は商売柄、「日々の麺麭パン」という僕の旧作がっている雑誌を見つけ出してきて読んだようだが、云うことがいい。「わたし、おじさんを声援するわ。」
    僕としては思いがけない知己ちきを得たわけであるが、彼女はどうやら僕を少し買被っている気味がある。僕のことをたいへん苦労をした者のように思い込んでいるふしが見える。僕の書いたつまらないものが、彼女にそんな思い違いをさせたのならば、僕としては後めたい気がする。ひとつは僕の服装の貧しさがなにかいわくありげに見えるのかも知れないが、これはただ僕に稼ぎがないだけの話である。彼女はなかなかの勉強家で店番をしながらロシヤ語四週間などという本を読んでいるが、その本の中に「貧乏は瑕瑾きずではない。」という俚諺ことわざを見出して云うことには、「わたしね、それを読んで、おじさんのことを聯想したわ。」ひどい買被りである。それは僕にだって、肉体の飢えを精神の飢えに代えて欲しい本を手に入れてそれに読みふけった思い出がないことはない。僕はかつてハムスンの「飢え」という小説を読んだとき、主人公が苦境に在ってよく高邁こうまいの精神を失わないことに感心した。僕にはとてもあの真似は出来ない。この俚諺はそのまま熨斗のしをつけて彼女に返上した方がいい。午前中は自転車に乗って建場たてば廻りをし、店をあけてからは夜九時過ぎまで頑張り、店番のすきには語学を勉強したり、幼い弟の胴着を編んでやったりしている彼女の懸命な生活の姿にこそ、この言葉はふさわしいであろう。
    彼女は自分のことを「わたしは本の番人だと思っているの。」と云ったことがある。彼女は商品の本や雑誌をとても丁寧に取扱う。仕入れた品は店に出す前に一冊一冊調べて、鑢紙やすりがみや消ゴムで汚れを拭きとったり、こてしわのばしをしたり、破損している個所をのりづけしたりしている。見ていると、入念に愛撫あいぶしているような感じを受ける。
    彼女の店の商品の値段は概して安い。「わたし、あまりもうけられないの。本屋って泥棒みたいですわ。」と云っている。たまに掘出しものなんかすると、かえって後で気持が落着かないという。塵も積れば山となる式の細かい商法が好みらしい。彼女の店は月にして約二万円の売上げがあり、儲けは七八千円位だそうである。開店以来六ヶ月にしてようやくそれまでにぎ着けたという。彼女はそのことを、林檎りんごの頬を輝かせて澄んだ眼差しで僕に告げた。僕はそのとき彼女から自己の記録を保持するために懸命の努力をつづけている選手のような印象を受けた。彼女はそのために定期の市のほかに、毎日自転車に乗って建場や製紙原料屋までを馳けずり廻っているのである。僕は一体に男のおおまかよりは女のつましさの方に心を惹かれる。
    こないだ彼女から贈物をもらった。
    十月四日は僕の誕生日である。僕はそのことをなにかの話のついでに彼女に告げたらしいのだが、彼女は覚えていて、その日ぶらりと彼女の店に立寄った僕に贈物をくれると云うのである。
    「均一本のお客様に対してかね。」
    「いいえ。一読者から敬愛する作家に対してよ。」
    「へえ。なにをくれるの?」
    「当ててごらんなさい。わたし、これから薬屋へ行って買って来ますから、おじさん、一寸店番しててね。」
    彼女は銭箱から五拾円紙幣しへいを一枚掴み出して店を出て行った。なにをくれるつもりだろう。口中清涼剤だろうか。まさか水虫の薬ではあるまい。待つ間ほどなく彼女は戻ってきて小さい紙包を僕にくれた。
    「あけていいかい?」
    「どうぞ。」
    あけると中から耳かきと爪きりが出てきた。なるほど。僕にはそれがとても気のきいた贈物に思えた。金目のものでないだけに一層。
    「これはどうも有難う。折角愛用するよ。」
    彼女は笑いながら僕に新聞紙大の紙をひろげて寄こした。見るとその月の少女雑誌の附録で、彼女の指示した箇所には十月生れの画家、詩人、科学者などの名が列記してあって、そのはじめには、「十月四日生。ミレー(一八一四年)、『晩鐘』や『落穂拾い』また『お母さんの心づかい』を描いたフランスの農民画家。」としてあった。

    以上が僕の最近の日録であり、また交友録でもある。実録かどうか、それは云うまでもない。
    青空文庫より

  • 村山籌子「お猫さん」福山美奈子朗読

    Sep 01, 2018

    毛を染めかへたおねこさん

    お正月が近づいて来たので、おねこさんのお父さんとお母さんはお猫さんをお風呂ふろに入れて、毛皮の手入れをしなくちやならないと考へてをりました。なぜといつて、お猫さんは白猫さんでしたから。
    「お父さん、ここに石けんの広告が出て居ますよ。これを使つたらどうかしら。何しろ、お猫さんは大変なおいたで、ふだんから、お風呂がきらひなので、まるで、どぶねづみみたいによごれてゐますからね。」
    「どれ、どれ。成程なるほど、これなら大丈夫。これにしましよう。」とお父さんは賛成して、お金を下さいました。
    その石けんはラツクスといつて、人間でもめつたには使はない上等の石けんですから、お猫さんのうちなんかで使ふのは勿体もつたいないぐらゐです。けれども、お猫さんのためなら、お猫さんのお父さんやお母さんはいくら高くてもがまんをいたしました。
    石けんを買つて来たお母さんは、お猫さんをお風呂に入れました。長いあひだはいらないものですから、身体からだ中にしみて、お猫さんはがまんが出来なくて泣きました。けれども、お風呂から上つて、毛がかわくと、それはそれは目もまぶしいくらゐに美しく真白まつしろになりました。
    お父さんもお母さんも自分の子ながら、あんまり美しいので、思はず、うれし涙を出したくらゐでした。
    ところが、お猫さんのおとなりにおくろさんといふ真黒まつくろなお猫さんが住んでゐました。お猫さんのお友達です。そのお黒さんが、お風呂から上つたばかりのお猫さんの所へあそびに来ました。お黒さんも、やはりお風呂から上りたてで、それは美しくピカピカと毛を光らせてをりました。
    二人は、いや、二匹はお家をとび出して、町の方へ遊びに出かけました。
    「あなたは真白でとてもいいわね。ステキよ。」とお黒さんが言ひました。「あなた真黒で、とてもハイカラよ。」とお猫さんが言ひました。二匹は生れついた色がきらひで、他人のものがよく見えて仕方がありません。人間の子供みたいです。
    ところが、町の化粧品やさんで、大売出しをやつてゐました。楽隊がプカプカドンドンと鳴つてゐて、それは面白さうでした。二匹はそこへかけつけて行きました。
    化粧品やさんでは、「毛皮の染めかへ」薬を売出してゐました。
    「さあ、どなたでも、ためしにお染めかへいたします。売出し中はお金はいたゞきません。さあ、どなたでも。どなたでも。」
    お猫さんとお黒さんは胸がドキドキして来ました。「どう? そめてもらはない? たゞだつて」
    二匹は顔と顔とを見合はせてモジモジしてゐましたら、化粧品やのおぢさんはすぐに「さあ、染めてあげませう。」と言つて、お猫さんを真黒に、お黒さんを真白に染めかへてくれました。
    二人はよろこびました。とてもうれしくて、自慢で、早くお父さんやお母さんに見せようと思つてとんでかへりました。
    お猫さんのお父さんお母さんは、お黒さんに言ひました。「お猫さんや。」お黒さんのお父さんやお母さんはお猫さんに「お黒さんや。」と言つて、二匹をとりちがへてしまひました。二匹はおどろいて、わけを話しましたが、どうしてもお父さんやお母さんたちはそれが分りません。二匹はかなしくなつて泣きました。
    そこへ近所の犬さんが通りかかつて、にほひでかぎわけてくれたので、お父さんやお母さんたちは、どれが自分の子供だか、やつと分つたさうです。二匹は胸をなで下しました。

    入院したおねこさん

    ねこさんとおくろさんが毛を染めかへて、白い毛のお猫さんが黒くなり、黒いお黒さんが白くなつてしまつたことは一月号でお話しましたね。
    それから一月たちました。二匹の毛の色はだん/\染がはげて来て、二匹とも、ねずみ色になつてしまひました。人間からいふと、ねずみ色といふ色も、なか/\よい色ですけれども、猫の世界では、一番いやな色だと思はれてゐます。猫とねずみは一ばん仲がわるいのですからね。
    そこで、お猫さんとお黒さんのお父さんやお母さんたちは、二匹を病院にでもつれて行つて、早く毛の色を落してしまひたいと思ひました。けれども、お猫さんも、お黒さんも、なか/\、病院に行くことを承知いたしません。病院といふところは、こわい所だと思ひ込んでゐましたから。
    「なぜ、病院へゆくのはいやなの? 早く毛をきれいにしないと、学校へ上れませんよ。」お母さんたちはかうおつしやいました。
    「だつて、お昼間、こんななりして外へ出るのはいやだから。」とお猫さんとお黒さんは申しました。病院がこわいなんていふことは言ひません。人間の子供でもさうですが、猫の子供は本当に心配だと思ふことはいはないくせがあります。
    そこで、お父さんやお母さんは、夜の病院をさがしました。幸なことに、鳥山トリヤマ夜間病院といふのがみつかりました。院長さんは、ふくろう先生でした。
    お猫さんとお黒さんは、そこへ行くことにきまりました。
    「本当は、病院に行くのがいやなの※(感嘆符二つ、1-8-75)」と、泣いてみましたけれども、もう、仕方がありません。二匹は、病院に入院いたしました。ふくろう先生は二匹を、診察いたしました。そして、色のさめるお薬をぬつて下さいました。一日三回づゝ。
    それから一週間たちました。お薬はせつせせつせと、ぬりましたが相変らず、色はなか/\さめません。少しはさめたのですが、まるで、むらになつてしまつて二匹とも、ます/\みつともなくなつて来ました。
    お猫さんとお黒さんは泣きました。もうおうちへ帰りたいと言つて。お父さんやお母さんたちも泣きました。せつかくかはいらしかつた子供たちがこんなにみつともなくなつたと云つて。

    ねこさんの毛はやつと元の通りになります

    二月号には、おねこさんの毛が白くならないので、とう/\お猫さんたちと、お父さんやお母さんたちが、泣き出したところまでお話いたしましたね。
    みんながそれ/″\に泣き出したので、さすがのふくろう先生もどうしたらよいかと、さんざん工夫いたしましたが、どうしても思ふやうにまゐりません。けれども、さすがは、病院の院長さんだけあつて、大決心をして、お父さんやお母さんたちに言ひました。
    「さて、お子さんの毛については、いろ/\苦心いたしましたが、これはもう普通のことではよくなりません。手術をするより外ありません。」
    お父さんやお母さんたちはおどろいて目をまはしさうになりましたけれども、仕方がないと思つたので、
    「どうか、その手術をお願ひいたします。」と、泣きながら言ひました。
    ふくろう先生は、別の部屋で、早速その手術をいたしました。十五分位ですみました。
    「さあ、手術はすみました。」とふくろう先生がおつしやいましたので、お父さんやお母さんたちは手術室へ走つて行きますと、お猫さんと、お黒さんの毛を一本ものこさず、かみそりで、すりおとしてありました。
    お父さんやお母さんたちはどんなにうれしかつたでせう。血なんぞ一滴も出てゐないのですから。
    それから、ふくろう先生は二匹に毛生薬けはえぐすりを沢山ぬりつけて、風邪をひかないやうに、暖い毛布で、二匹を包んで下さいました。二匹は目をパチクリさせながら、
    「涼しいやうな、暖いやうな気持がするわ。」と言ひましたので、みんな大笑しました。
    それから、十日程の間に、お猫さんには真白な、お黒さんには真黒の毛が立派に生えそろひました。二匹はふくろう先生にお礼を言つて退院いたしました。
    お父さんやお母さんたちもやつと安心いたしましたが、なか/\お父さんやお母さんといふものは心配が多いものですね。

    ベルさんのお鼻をひつかきました

    ねこさんとおくろさんは毛がちやんと元通りに生へそろつたので、もう外にあそびに行けるやうになりました。ところがたちまちのうちに、又々お猫さんの町中のうわさになるやうな事件を引きおこしてしまひました。やれやれ。
    その日は丁度、お天気がよくて、暖い日が照つてゐました。お猫さんとお黒さんはおうちにゐるのがつまらなくなつて、外へ出かけました。
    すると、お隣りのお庭に、それは/\きれいな小さいおうちが建つてゐるのに気がつきました。
    「あら、あんな所におうちが建つてゐるわ。一体、何でせう?」とお猫さんが言ひました。
    「あれは、お隣りの犬のベルさんのおうちよ。こないだ、こさへてもらつたばかりよ。」とお黒さんはお母さんにでも聞いたのでせう、仲々いろんな事を知つてをります。
    お猫さんは言ひました。
    「そんな事ない。ベルさんなんかに、あんな美しいおうちなど、たてる人などないわ。いつだつて、泥だらけの足をしてゐるから。」
    そして、お猫さんは遠慮なくその小さいおうちの中にはいつてゆきました。お黒さんも仕方なくお猫さんについてゆきました。
    うちの中には新しいよいにほひのするわらが一杯しいてありました。風ははいらないし、暖くて、その上しづかで、お猫さんとお黒さんは思はず、藁の中にもぐり込んで、寝てしまひました。何時間かたちました。
    「もし、もし、お猫さん、お黒さん、起きて下さい。こゝはわたしうちですから。」といふ声がしたので二匹は目をさましました。二匹は、横になつたまゝ外を見ると、ベルさんが立つてゐました。お黒さんはお猫さんに言ひました。
    「お猫さん、矢張りこれはベルさんのうちよ。早く帰りませう。」と言ひましたがお猫さんは動きません。ベルさんは外でうなり初めました。お猫さんは仕方なく起き上つて、いきなりベルさんのお鼻を引つかきました。ベルさんのお鼻の先からは血が出ました。
    お猫さんとお黒さんは後も見ずに走つてお家へ帰りましたけれども、晩のごはんもろくにのどに通りませんでした。矢張りわるい事をしたのだといふことは分つてゐましたからね。
    その晩中に、ベルさんのお鼻をひつかいたことが、街中に知れわたつてしまひました。何故なぜといつて、ベルさんがお薬屋さんへ行つて、
    「お猫さんに引つかかれた時につける膏薬かうやく」といふ薬を買つたからです。
    「もうお外へ行つてはいけません。」とお猫さんとお黒さんのお母さんはおつしやいました。

    とんだことになりました

    さて、おねこさんとおくろさんは外に出られなくなりました。もちろん学校へも行けません。
    「おとなしくお留守をしていらつしやい。今日一日おとなしくしてゐれば、明日あしたから学校に行かせてあげますから。お三時やつのチヨコレートを戸棚とだなの中に入れておきますよ。」とお母さんはおつしやいました。そして、二匹をお部屋に残して買物にでかけました。
    お猫さんとお黒さんはいたづらつ子でしたけれども仲々学校が好きなものですから、今日はほんとにおとなしくしてゐようと思ひました。
    もう一週間も学校を休んでゐるのですからね。
    初めのうちは日向ひなたぼつこをしたり、本をよんだりしてゐましたけれども、段々たいくつになつて来て、そこにかけてあつた、お父さんの洋服をお猫さんが着ました。お黒さんはお母さんの着物を引きずる程長く着て、おしろいとほゝ紅をつけました。お猫さんは墨で口ひげをかきました。
    「とてもよく似合つてゐるわ。」とお猫さんはお黒さんに云ひました。
    「とてもよく似合つてゐるわ。」とお黒さんはお猫さんに云ひました。
    二人はすつかり大人になつたつもりで部屋中をゐばつて歩きまはりました。
    その時、おげんくわんで、「ご免下さい。」といふ声がきこえました。
    お猫さんとお黒さんは二匹そろつて、おげんくわんに出て行きました。まるで、お父さんとお母さんのやうに気取つて。
    ところが、二匹はお客さまの顔を見ると、
    「いらつしやいませ」とも云はず「キヤーツ」と声を出してお部屋へにげてかへりました。何故なぜといつて、それは学校の先生でしたから。そして、二匹は恥かしくて、ポロ/\と涙を流して泣きました。
    三時やつものどに通りません。
    お母様がおいしいお夕はんを買つて来て下さつたのですが、それも、食べられません。
    お母さんが、
    明日あしたから学校ですよ。早くおねなさい。」といつても、眠りません。可哀さうな二匹ですね。そして二匹が泣きながら、
    「学校なんていや。行きたくない。」と云ひました。が、明日になれば、どうしても学校へ行かなければなりません。
    身から出たさびとはいひながら、仲々、つらいことですね。

    汚い手をして

    「今夜はあひるさんのお誕生日ですから、着物をおきかへなさい。お顔も、手も足もきれいに洗ふのですよ。」とおねこさんとおくろさんのお母さんはおつしやいました。
    「はい。」と二匹はお返事しました。そして、顔を洗ひましたが、手と足はめんどくさかつたので洗ひませんでした。
    それから二匹はあひるさんところへ行きました。
    おごちさうが山ほど出て来ました。
    「さあ、ごゑんりよなく、沢山めしあがつて下さい。」とあひるさんが言ひました。
    お黒さんとお猫さんは大よろこびで、おいしいおごちさうをいたゞかうとしましたが、何分、おめでたい日なので、電燈は三百しよくの明るいのをつけてありましたし、テーブル掛は真白まつしろだしするものですから、二匹の手の汚く見えるといつたら※(感嘆符二つ、1-8-75) 二匹は他のお客様が横をむいてゐるうちにそつとおごちさうを頂きました。そして、みんなが前をむいてゐる時には、テーブルの下で、手の泥をこすり落しました。けれども、もう間に合ひません。折角のおごち走ものどに通りません。
    やがて、主人のあひるさんが立ち上つて言ひました。「皆さん、どうも今夜はわざ/\おいで下さつてありがたう存じました。ところが、さつきから見てゐますと、お猫さんとお黒さんは少しもおごち走をめし上がりません。さあ、どうぞ御遠慮なく。」と申しました。すると、ほかのお客様までが一緒になつて、
    「さあ、どうぞ、どうぞ。」と言つて、おごち走を二匹の前へ集めました。
    二匹は顔を見合はせて泣き出しさうにしました。しかし仕方がありません。真赤まつかな顔をして泥だらけの手を出して、おごち走を頂きました、一人のこらずのお客様が見てゐるなかで。
    すると一人のお客様が言ひました。
    「まあ、お二人のお手のきれいなこと※(感嘆符二つ、1-8-75)
    すると、お客様はみんな一度に笑ひました。あひるさんは主人だけあつて、すぐにかう言ひました。
    「なに、大したことはありませんさ。石けんで洗へばきれいになるんですからね。」と、そして二匹を洗面所へつれてつて、手を洗はせて下さいました。帰つて来るとお客様たちは笑ひながら言ひました。
    「まあ、お猫さんとお黒さんのお手のきれいになつたこと※(感嘆符二つ、1-8-75)
    二匹は赤い顔をしましたが、それからは大ゐばりで沢山おごち走をいたゞきました。

    プールへ行きました

    大へん暑くなりました。なにしろ、おねこさんやおくろさんは夏だつて毛がはえてゐるのですから、その暑さときたら、とてもたまつたものではありません。二匹はうだつてしまひさうになりました。
    ところが、すぐ近いところにプールが出来ました。お猫さんがそれを見つけて来ました。
    「お黒さん、たれにも言つちやだめよ。あんまり沢山ゆくと、プールが満員になつてはいれなくなるから。」とお猫さんは言ひました。二匹は早速でかけました。
    途中まで来ると、仔犬こいぬを十一匹つれた犬さんに会ひました。
    「お猫さんとお黒さん、どこへ行くの? わたしたちも一緒にそこまで行きませう。おう、暑いこと。」と、犬さんは言ひました。「犬さん、私たち、汽車の通るのを見に行くの。仔犬さんたちがあぶないことよ。」とお猫さんが言ひました。すると犬さんはあわてゝ仔犬さんたちをつれてむかふへ行つてしまひましたのでお猫さんとお黒さんは顔を見合せて喜びました。
    もう少しゆくと、今度は仔豚さんを二十匹つれた豚さんに会ひました。豚さんは、
    「お猫さんたち、暑いですね。どこか涼しい所へ一緒に行きませう。」といひました。お猫さんはあわてゝ
    「私たちとても暑い所へ行くところなんですから御一緒にまゐれません。」といひました。
    それから、にはとりさん、ねずみさんなどにあひましたが、みんなうまいこといつてことはりました。そしてやつとのことでプールへつきました。
    水泳の先生のあひるさんが、五六羽、プールの中で、それはそれは上手に泳いでゐましたが、お猫さんとお黒さんの外には、誰一人泳ぎに来てをりません。二匹は泳ぎははじめてですから、とても先生ばかりの中へは、はづかしくてはいつて行けません。
    「みんな一緒につれて来るといいのにあなたが勝手にことはつてしまうんだもの。」とお黒さんはブツブツおこりました。「だつて、満員になつたら困ると思つたんだもの。」とお猫さんは言ひかへしました。二匹はフクレツ面をして、顔を見合せましたが、顔といはず、身体からだといはず、汗が滝のやうに流れ出しました。とても暑くてたまらないので、先生たちが、上へあがつて休んでゐる間に、大いそぎで、ジヤブジヤブと水をはねかへして、およぎました。
    そこへ、さつきあつた、仔犬さんをつれた犬さん、仔豚さんをつれた豚さん、にはとりさん、ねずみさん、みんなぞろぞろやつて来ました。お猫さんとお黒さんは、どんなに恥しかつたでせう。でも、着物をぬぐ所を教へてあげたり、仔どもたちに水着を着せてあげたりしたので、誰も二匹を悪くは思ひませんでした。
    みんなで夕方までおよぎました。それでやつと涼しくなりました。

    床やさんへ行きました

    そろそろ学校のはじまる九月になりました。おねこさんとおくろさんは学校が大へん好きですから、学校が初るのが待ち遠しくて、夜もなか/\ねむれない位でした。
    でも、たうとう八月三十一日になりました。八月三十一日は、学校の始る前の日です。
    お猫さんとお黒さんは、本も、帳面も、鉛筆も、洋服も、くつも、みんなよくそろへました。そろへてしまふと、がつたりとつかれました。
    二匹はベツトの上にならんで横になつて休みました。そして、二匹は、お互ひの顔をつくづくとながめました。二匹のお顔はまるで、エスキモー犬のやうに毛がのびてゐました。お猫さんはいひました。
    「あなたのお顔といつたら、まるでくまそみたいね。毛がもぢやもぢやで。」さういはれたお黒さんはおこつていひました。
    「あなたこそくまそみたいぢやないの。」二匹はめいめい自分の顔はみえないものですから、自分の顔はまるで、玉子に目鼻をつけたやうにつる/\と美しいのだと思ひ込んでゐるから大変です。今にも、ひつかき合ひがはじまらんばかりの形勢になつて来ました。お母さんがとんできていひました。さあ、けんかはやめて、床やさんへいらつしやい。そして十銭玉を二つづつ下さいました。
    二匹は床やさんへでかけました。途中でも、一言も話をしません。二匹ともカンカンになつておこつてゐたからです。
    床やさんに行きますと、床やさんは二匹を見て、あんまりよくはえてゐるので、ゲラゲラ笑ひました。二匹は大変恥しくて、顔が赤くなりさうになりましたが平気な顔をして、椅子いすの上にあがりました。床やさんはそれはそれは上手に刈りました。二匹は生れかはつたやうに可愛らしいお猫さんになつてゆきました。それで、二匹はちよつと顔を見合はせて、ニツコリと笑ひかけましたが、さつきのけんかを思ひ出して、歯をくひしばりました。その時に、はさみを動かしながら、床やさんがきゝました。
    「お二人とも、おそろひの型にお切りしませうね。」と、すると、二匹はいきなり顔を横にふつて、「いやです!」といひました。床やさんの鋏は、その時、ガチヤリと下へそれて、二匹の大事な大事なおひげを、チヨツキンと切り落してしまひました。お猫さんとお黒さんは泣きました。床やさんはあわてました。
    そして、切り落したおひげを探しましたが、あひにくなことに、扇風機をかけてゐたので、おひげは風にふきとばされてどこへ落ちたのやら。

    グニヤ/\になりました

    月日のたつのは早いもので、おねこさんとおくろさんのチヨン切られたおひげも、もう立派に生えそろひました。
    そこで、遠くの町にゐる伯母をばさんのところへ二人であそびに出かけることになりました。
    伯母さんは洋服やさんでしたから、二匹が一年に一度づゝ遊びに行つた時に、それはそれは美しい洋服を一着づゝ、二匹に下さることになつてゐました。
    二匹は、前の日からそれを楽しみにして、夜があけるとすぐに出かけました。御飯も食べないで。
    伯母さんのおうちについたのが、朝の六時、まだ、お店の戸さへあいてゐません。二匹は仕方なく、お店の入口によつかかつて待つてゐました。
    牛乳やさんが通りました。新聞やさんが通りました。おとうふやさんが通りました。それから、お役所や、会社へ行く人が通りました。みんな二匹の方を見て、「おや、おや、迷ひ猫だ。」と言ひました。
    お猫さんとお黒さんはそれから二時間もそこにがんばつてゐましたが、段々におなかがすいて来ました。のどもかわいてゐました。
    それから又二時間もたつて、そろそろお昼になるのに、お店の戸があきません。
    朝来たおとうふやさんがお昼のおとうふをかついで、歩いて来ました。
    そして、二匹を見て云ひました。
    みちを迷つたんですか、おうちはどこ?」ときゝました。
    「伯母さんところへ来たんだけど、お店があくのを待つてるの。」と二人は言ひました。
    おとうふやさんは、
    「やれやれ気毒きのどくな、『今日は出かけますからお休みです。』とそこにはりつけてありますよ。」
    二匹はそれを見て、がつかりしました。それと一緒に、土の上にへたばつてしまひました。おなかがペコ/\になつて、足の骨がグラグラしてゐる所へ、びつくりしたのですから。
    おとうふやさんはおどろきました。どうしたらよからうかと思ひました。
    「仕方がない。こゝへおはいり。」さう言つておとうふやさんは、二匹の首すじをつまんで空いた方のとうふおけへ入れました。
    それから、二匹をうちへつれて行つてくれることになりましたが、「とーふ、とーふ」と、おとうふをうりながら行くのですから、その時間のかゝることといつたら。それでも、やつとこさお昼の三時頃におうちの門まで帰りつきました。
    「まあ、大変なものに乗つかつて。」と、言つて、お母さんと伯母さんがおうちの中からとんで来ました。それで、お母さんは一円出しておとうふやさんへ、お礼の代りにおとうふの残りを全部買つてやりました。伯母さんは二匹が出かけないうちにと、朝のうちにとてもいゝ洋服を持つて来て下すつたのでした。伯母さんは早速、二匹に着せようとしましたが、もともと骨のやわらかいところへ、足がぐらついてゐるお猫さんとお黒さんのことですから、まるで、グニヤ/\になつて、どうしても着せられません。伯母さんとお母さんはお腹をかゝへて笑ひました。それからおこりました。
    でも、二匹はどうにもなりませんので、ごはんを、おさじでたべさせて、ベツトへねかしました。
    まるで、赤ちやんになつたみたいですね。あんまりせつかちだとこんな事になります。

    いぢわるをしました

    グニヤグニヤになつたおねこさんとおくろさんは一晩ぐつすりねむつたので、すつかり元気を取りもどしました。そして、洋服やさんの伯母をばさんにいただいた洋服を着て、お友達のあひるさん所へ見せびらかしにでかけてゆきました。
    あひるさんはお猫さんとお黒さんの洋服を見ると、すぐに、お母さんに言ひました。
    「お母さん、私にも、あんな洋服買つてちようだい。」
    お母さんはお猫さんとお黒さんの洋服を前からうしろからよくながめてから
    「ほんとに、よく出来たお洋服ね。うちのあひるさんにも、同じ所で買つてやりませう。どこで買つたの? そして、おねだんはいくらなの?」と聞きました。
    お猫さんとお黒さんはいひました。
    「おばさん、このお洋服は買つたんぢやないの。私たちの伯母さんがこさへて下さつたの。いくらお金を出しても、ほかの人にはこさへては下さらないわ。」
    あひるさんはそれをきくと、メチヤクチヤに泣き出しました。
    お猫さんとお黒さんはいひました。
    「ほんとにしやうのないあひるさんね。ああ、やかましいこと。」
    そして、さつさとおうちへ帰つて来ました。なかなかいぢわるですね。
    ところが、あひるさんは泣いて泣いて泣き通しました。「あんな洋服がほしい。あんな洋服がほしい。」と、むりもありません。まだ子供なんですから。
    そこで、仕方なく、あひるさんのお母さんはお猫さんとお黒さんのおうちへいつて、二匹のお母さんにお話いたしました。
    「どうか、うちのあひるさんにも、同じ洋服をこさへて下さるやうに、おねがひして下さいませんか。ほんとにお気毒きのどくですけれども。」
    お猫さんたちのお母さんは申しました。
    「どうぞ、どうぞ、御遠慮なく。そのうちは、洋服やさんなのですから、どんな御注文でも、よろこんでお仕立て申し上げます。」
    あひるさんのお母さんは大へんよろこびました。そして、「早速、注文にまゐります。あひるさんをつれて。」といつて、とんでかへりました。
    それをきいてゐたお猫さんとお黒さんは顔を見合はせて、がつかりいたしました。
    後で二匹はお母さんに大へんしかられました。
    「あんないぢのわるい事を言ふもんぢやありません。」と。
    二匹の顔は真赤まつかになりました。が、幸なことに、顔中毛だらけでしたから、ひとには分りませんでした。

    お風呂にはいつてつかれました

    寒い寒い冬になりました。おくろさんと、おねこさんの毛はむくむくあたたかさうに一ぱい生へそろつて来ました。それはそれは、可愛らしくなりました。
    そこで、お猫さんのお母さんは、あひるさんのお母さんに手紙を書きました。
    「大変おさむくなりまして、皆々様お変りもございませんか。私ども、鳥やけものは、冬になりますと、羽根や、毛がりつぱに生へそろひ、まことに美しくなるやうでございます。お宅のアー太郎さん、ヒー太郎さん、ルー太郎さんも、さぞ、さぞ、美しくおなりのことと思ひます。宅のお猫さんも、お黒さんも、大さう美しくなりました。それで、今晩ぜひとも、アー太郎さん、ヒー太郎さん、ルー太郎さんをおつれになつて、おいて下さいませ。おごちさうをたべながら、子供たちのじまんをいたしたうございます。かしこ。」
    この手紙を出してから、お母さんは二匹をお風呂ふろに入れました。えりアカ、足アカ、手アカ、そんなものはすつかりとれてしまひました。そして、お猫さんには白い粉をふりかけました。お黒さんには黒い粉をふりかけました。実に見とれるばかりの美しさになつたので、お母さんは、すつかりよろこびました。
    夜になりました。あひるさんのお母さんは、御自まんのアー太郎、ヒー太郎、ルー太郎さんをみがきたててつれて来ました。
    「ガー、ガー、ガー、ガー」とあひるさんたちは大へんな声を出して、元気よく、お猫さんのおうちへ来ました。
    「まあ、まあ、なんて、お立派な」といつて、お猫さんのお母さんがおどろいた程、あひるさんたちはきれいだつたのです。しかし、心の中では、「うちのお猫さんたちの方がもつときれいだ。」と思ひました。
    あひるさんたちは、テーブルにすわりました。おごち走が出ました。
    ところが、お猫さんとお黒さんはなかなか出て来ません。
    「あの、失礼でございますが、お猫さんとお黒さんはどうなさいました。」とあひるさんのお母さんがきゝました。
    「お猫さん、お黒さん、早くでて来たまへ。ガー、ガー、ガー、ガー」とあひるさんの子供たちがさわぎ出しました。
    お猫さんのお母さんは、おごち走のおこしらへやら、あひるさんたちへの御あいさつやらで、かんじんのお猫さんたちのことはほとんど忘れてしまつてゐたのです。
    お母さんは家中、さがしました。けれども二匹は見つかりません。それで、も一度さがしましたら、二匹はおねまきをきて、ベツドにはいつて、グーグーねてしまつて、どうしても起きません。
    「どうも、すみませんが、どうしても起きてまゐりません。なにしろ、今日、お風呂に二時間もはいつてたもんですから、つかれてしまつたんでございませう。」とお猫さんのお母さんが申しました。ずゐぶん情なかつたでせう。
    ところが、何やら、あたりが静かになつたと思つたら、テーブルについたまま、アー太郎さん、ヒー太郎さん、ルー太郎さん、みんなグーグーねこんでしまひました。
    「どうもすみません。なにしろ、今日、お風呂に二時間もはいつてたもんですから。」とあひるさんのお母さんがおつしやいました。
    それで、その晩の、「子供自慢会」はおめになりました。

  • 芥川龍之介「桃太郎」別役みか朗読

    Aug 29, 2018

    むかし、むかし、大むかし、ある深い山の奥に大きいももの木が一本あった。大きいとだけではいい足りないかも知れない。この桃の枝は雲の上にひろがり、この桃の根は大地だいちの底の黄泉よみの国にさえ及んでいた。何でも天地開闢かいびゃくころおい、伊弉諾いざなぎみこと黄最津平阪よもつひらさかやっつのいかずちしりぞけるため、桃のつぶてに打ったという、――その神代かみよの桃の実はこの木の枝になっていたのである。
    この木は世界の夜明以来、一万年に一度花を開き、一万年に一度実をつけていた。花は真紅しんく衣蓋きぬがさ黄金おうごん流蘇ふさを垂らしたようである。実は――実もまた大きいのはいうを待たない。が、それよりも不思議なのはその実はさねのあるところに美しい赤児あかごを一人ずつ、おのずからはらんでいたことである。
    むかし、むかし、大むかし、この木は山谷やまたにおおった枝に、累々るいるいと実をつづったまま、静かに日の光りに浴していた。一万年に一度結んだ実は一千年の間は地へ落ちない。しかしある寂しい朝、運命は一羽の八咫鴉やたがらすになり、さっとその枝へおろして来た。と思うともう赤みのさした、小さい実を一つついばみ落した。実は雲霧くもきりの立ちのぼる中にはるか下の谷川へ落ちた。谷川は勿論もちろん峯々の間に白い水煙みずけぶりをなびかせながら、人間のいる国へ流れていたのである。
    この赤児あかごはらんだ実は深い山の奥を離れたのち、どういう人の手に拾われたか?――それはいまさら話すまでもあるまい。谷川の末にはおばあさんが一人、日本中にほんじゅうの子供の知っている通り、柴刈しばかりに行ったおじいさんの着物か何かを洗っていたのである。……

    桃から生れた桃太郎ももたろうおにしま征伐せいばつを思い立った。思い立ったわけはなぜかというと、彼はお爺さんやお婆さんのように、山だの川だの畑だのへ仕事に出るのがいやだったせいである。その話を聞いた老人夫婦は内心この腕白わんぱくものに愛想あいそをつかしていた時だったから、一刻も早く追い出したさにはたとか太刀たちとか陣羽織じんばおりとか、出陣の支度したく入用にゅうようのものは云うなり次第に持たせることにした。のみならず途中の兵糧ひょうろうには、これも桃太郎の註文ちゅうもん通り、黍団子きびだんごさえこしらえてやったのである。
    桃太郎は意気揚々ようようと鬼が島征伐ののぼった。すると大きい野良犬のらいぬが一匹、えた眼を光らせながら、こう桃太郎へ声をかけた。
    「桃太郎さん。桃太郎さん。お腰に下げたのは何でございます?」
    「これは日本一にっぽんいちの黍団子だ。」
    桃太郎は得意そうに返事をした。勿論実際は日本一かどうか、そんなことは彼にもあやしかったのである。けれども犬は黍団子と聞くと、たちまち彼の側へ歩み寄った。
    「一つ下さい。おともしましょう。」
    桃太郎は咄嗟とっさ算盤そろばんを取った。
    「一つはやられぬ。半分やろう。」
    犬はしばらく強情ごうじょうに、「一つ下さい」を繰り返した。しかし桃太郎は何といっても「半分やろう」を撤回てっかいしない。こうなればあらゆる商売のように、所詮しょせん持たぬものは持ったものの意志に服従するばかりである。犬もとうとう嘆息たんそくしながら、黍団子を半分貰う代りに、桃太郎のともをすることになった。
    桃太郎はそののち犬のほかにも、やはり黍団子の半分を餌食えじきに、さるきじ家来けらいにした。しかし彼等は残念ながら、あまりなかい間がらではない。丈夫なきばを持った犬は意気地いくじのない猿を莫迦ばかにする。黍団子の勘定かんじょう素早すばやい猿はもっともらしい雉を莫迦にする。地震学などにも通じた雉は頭のにぶい犬を莫迦にする。――こういういがみ合いを続けていたから、桃太郎は彼等を家来にした後も、一通り骨の折れることではなかった。
    その上猿は腹が張ると、たちまち不服をとなえ出した。どうも黍団子の半分くらいでは、鬼が島征伐の伴をするのも考え物だといい出したのである。すると犬はえたけりながら、いきなり猿をみ殺そうとした。もし雉がとめなかったとすれば、猿はかに仇打あだうちを待たず、この時もう死んでいたかも知れない。しかし雉は犬をなだめながら猿に主従の道徳を教え、桃太郎の命に従えと云った。それでも猿は路ばたの木の上に犬の襲撃を避けた後だったから、容易に雉の言葉を聞き入れなかった。その猿をとうとう得心とくしんさせたのは確かに桃太郎の手腕である。桃太郎は猿を見上げたまま、日の丸のおうぎを使い使いわざと冷かにいい放した。
    「よしよし、では伴をするな。その代り鬼が島を征伐しても宝物たからものは一つも分けてやらないぞ。」
    欲の深い猿はまるをした。
    「宝物? へええ、鬼が島には宝物があるのですか?」
    「あるどころではない。何でも好きなものの振り出せる打出うちで小槌こづちという宝物さえある。」
    「ではその打出の小槌から、幾つもまた打出の小槌を振り出せば、一度に何でも手にはいるわけですね。それは耳よりな話です。どうかわたしもつれて行って下さい。」
    桃太郎はもう一度彼等を伴に、鬼が島征伐のみちを急いだ。

    鬼が島は絶海の孤島だった。が、世間の思っているように岩山ばかりだったわけではない。実は椰子やしそびえたり、極楽鳥ごくらくちょうさえずったりする、美しい天然てんねん楽土らくどだった。こういう楽土にせいけた鬼は勿論平和を愛していた。いや、鬼というものは元来我々人間よりも享楽きょうらく的に出来上った種族らしい。こぶ取りの話に出て来る鬼は一晩中踊りを踊っている。一寸法師いっすんぼうし[#ルビの「いっすんぼうし」は底本では「いっすんぽうし」]の話に出てくる鬼も一身の危険を顧みず、物詣ものもうでの姫君に見とれていたらしい。なるほど大江山おおえやま酒顛童子しゅてんどうじ羅生門らしょうもん茨木童子いばらぎどうじ稀代きだいの悪人のように思われている。しかし茨木童子などは我々の銀座を愛するように朱雀大路すざくおおじを愛する余り、時々そっと羅生門へ姿をあらわしたのではないであろうか? 酒顛童子も大江山の岩屋いわやに酒ばかり飲んでいたのは確かである。その女人にょにんを奪って行ったというのは――真偽しんぎはしばらく問わないにもしろ、女人自身のいう所に過ぎない。女人自身のいう所をことごとく真実と認めるのは、――わたしはこの二十年来、こういう疑問を抱いている。あの頼光らいこう四天王してんのうはいずれも多少気違いじみた女性崇拝家すうはいかではなかったであろうか?
    鬼は熱帯的風景のうちこといたり踊りを踊ったり、古代の詩人の詩を歌ったり、すこぶ安穏あんのんに暮らしていた。そのまた鬼の妻や娘もはたを織ったり、酒をかもしたり、らんの花束をこしらえたり、我々人間の妻や娘と少しも変らずに暮らしていた。殊にもう髪の白い、きばけた鬼の母はいつも孫のりをしながら、我々人間の恐ろしさを話して聞かせなどしていたものである。――
    「お前たちも悪戯いたずらをすると、人間の島へやってしまうよ。人間の島へやられた鬼はあの昔の酒顛童子のように、きっと殺されてしまうのだからね。え、人間というものかい? 人間というものはつのえない、生白なまじろい顔や手足をした、何ともいわれず気味の悪いものだよ。おまけにまた人間の女と来た日には、その生白い顔や手足へ一面になまりをなすっているのだよ。それだけならばまだいのだがね。男でも女でも同じように、※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)うそはいうし、欲は深いし、焼餅やきもちは焼くし、己惚うぬぼれは強いし、仲間同志殺し合うし、火はつけるし、泥棒どろぼうはするし、手のつけようのない毛だものなのだよ……」

    桃太郎はこういう罪のない鬼に建国以来の恐ろしさを与えた。鬼は金棒かなぼうを忘れたなり、「人間が来たぞ」と叫びながら、亭々ていていそびえた椰子やしの間を右往左往うおうざおうに逃げまどった。
    「進め! 進め! 鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!」
    桃太郎は桃のはたを片手に、日の丸の扇を打ち振り打ち振り、犬猿雉いぬさるきじの三匹に号令した。犬猿雉の三匹は仲の家来けらいではなかったかも知れない。が、えた動物ほど、忠勇無双むそうの兵卒の資格を具えているものはないはずである。彼等は皆あらしのように、逃げまわる鬼を追いまわした。犬はただ一噛ひとかみに鬼の若者を噛み殺した。雉も鋭いくちばしに鬼の子供を突き殺した。猿も――猿は我々人間と親類同志の間がらだけに、鬼の娘を絞殺しめころす前に、必ず凌辱りょうじょくほしいままにした。……
    あらゆる罪悪の行われたのち、とうとう鬼の酋長しゅうちょうは、命をとりとめた数人の鬼と、桃太郎の前に降参こうさんした。桃太郎の得意は思うべしである。鬼が島はもう昨日きのうのように、極楽鳥ごくらくちょうさえずる楽土ではない。椰子やしの林は至るところに鬼の死骸しがいき散らしている。桃太郎はやはり旗を片手に、三匹の家来けらいを従えたまま、平蜘蛛ひらぐものようになった鬼の酋長へおごそかにこういい渡した。
    「では格別の憐愍れんびんにより、貴様きさまたちの命はゆるしてやる。その代りに鬼が島の宝物たからものは一つも残らず献上けんじょうするのだぞ。」
    「はい、献上致します。」
    「なおそのほかに貴様の子供を人質ひとじちのためにさし出すのだぞ。」
    「それも承知致しました。」
    鬼の酋長はもう一度ひたいを土へすりつけた後、恐る恐る桃太郎へ質問した。
    「わたくしどもはあなた様に何か無礼ぶれいでも致したため、御征伐ごせいばつを受けたことと存じて居ります。しかし実はわたくしを始め、鬼が島の鬼はあなた様にどういう無礼を致したのやら、とんと合点がてんが参りませぬ。ついてはその無礼の次第をおあかし下さるわけには参りますまいか?」
    桃太郎は悠然ゆうぜんうなずいた。
    日本一にっぽんいち[#ルビの「にっぽんいち」は底本では「にっぼんいち」]の桃太郎は犬猿雉の三匹の忠義者を召しかかえた故、鬼が島へ征伐に来たのだ。」
    「ではそのおさんかたをお召し抱えなすったのはどういうわけでございますか?」
    「それはもとより鬼が島を征伐したいと志した故、黍団子きびだんごをやっても召し抱えたのだ。――どうだ? これでもまだわからないといえば、貴様たちも皆殺してしまうぞ。」
    鬼の酋長は驚いたように、三尺ほどうしろへ飛びさがると、いよいよまた丁寧ていねいにお時儀じぎをした。

    日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹と、人質に取った鬼の子供に宝物の車を引かせながら、得々とくとくと故郷へ凱旋がいせんした。――これだけはもう日本中にほんじゅうの子供のとうに知っている話である。しかし桃太郎は必ずしも幸福に一生を送ったわけではない。鬼の子供は一人前いちにんまえになると番人の雉をみ殺した上、たちまち鬼が島へ逐電ちくでんした。のみならず鬼が島に生き残った鬼は時々海を渡って来ては、桃太郎の屋形やかたへ火をつけたり、桃太郎の寝首ねくびをかこうとした。何でも猿の殺されたのは人違いだったらしいといううわさである。桃太郎はこういうかさがさねの不幸に嘆息たんそくらさずにはいられなかった。
    「どうも鬼というものの執念しゅうねんの深いのには困ったものだ。」
    「やっと命を助けて頂いた御主人の大恩だいおんさえ忘れるとはしからぬ奴等でございます。」
    犬も桃太郎の渋面じゅうめんを見ると、口惜くやしそうにいつもうなったものである。
    その間も寂しい鬼が島のいそには、美しい熱帯の月明つきあかりを浴びた鬼の若者が五六人、鬼が島の独立を計画するため、椰子やしの実に爆弾を仕こんでいた。やさしい鬼の娘たちに恋をすることさえ忘れたのか、黙々と、しかし嬉しそうに茶碗ちゃわんほどの目の玉をかがやかせながら。……

    人間の知らない山の奥に雲霧くもきりを破った桃の木は今日こんにちもなお昔のように、累々るいるいと無数のをつけている。勿論桃太郎をはらんでいた実だけはとうに谷川を流れ去ってしまった。しかし未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。あの大きい八咫鴉やたがらすは今度はいつこの木のこずえへもう一度姿をあらわすであろう? ああ、未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。……

  • 夏目漱石「三四郎」二 山口雄介朗読

    Aug 21, 2018

    三四郎が東京で驚いたものはたくさんある。第一電車のちんちん鳴るので驚いた。それからそのちんちん鳴るあいだに、非常に多くの人間が乗ったり降りたりするので驚いた。次に丸の内で驚いた。もっとも驚いたのは、どこまで行っても東京がなくならないということであった。しかもどこをどう歩いても、材木がほうり出してある、石が積んである、新しい家が往来から二、三間引っ込んでいる、古い蔵が半分とりくずされて心細く前の方に残っている。すべての物が破壊されつつあるようにみえる。そうしてすべての物がまた同時に建設されつつあるようにみえる。たいへんな動き方である。
    三四郎はまったく驚いた。要するに普通のいなか者がはじめて都のまん中に立って驚くと同じ程度に、また同じ性質において大いに驚いてしまった。今までの学問はこの驚きを予防するうえにおいて、売薬ほどの効能もなかった。三四郎の自信はこの驚きとともに四割がた減却した。不愉快でたまらない。
    この劇烈な活動そのものがとりもなおさず現実世界だとすると、自分が今日までの生活は現実世界にごうも接触していないことになる。ほらとうげで昼寝をしたと同然である。それではきょうかぎり昼寝をやめて、活動の割り前が払えるかというと、それは困難である。自分は今活動の中心に立っている。けれども自分はただ自分の左右前後に起こる活動を見なければならない地位に置きかえられたというまでで、学生としての生活は以前と変るわけはない。世界はかように動揺する。自分はこの動揺を見ている。けれどもそれに加わることはできない。自分の世界と現実の世界は、一つ平面に並んでおりながら、どこも接触していない。そうして現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう。はなはだ不安である。
    三四郎は東京のまん中に立って電車と、汽車と、白い着物を着た人と、黒い着物を着た人との活動を見て、こう感じた。けれども学生生活の裏面に横たわる思想界の活動にはごうも気がつかなかった。――明治の思想は西洋の歴史にあらわれた三百年の活動を四十年で繰り返している。
    三四郎が動く東京のまん中に閉じ込められて、一人ひとりでふさぎこんでいるうちに、国元の母から手紙が来た。東京で受け取った最初のものである。見るといろいろ書いてある。まず今年ことしは豊作でめでたいというところから始まって、からだを大事にしなくってはいけないという注意があって、東京の者はみんな利口で人が悪いから用心しろと書いて、学資は毎月月末に届くようにするから安心しろとあって、勝田かつたまささんの従弟いとこに当る人が大学校を卒業して、理科大学とかに出ているそうだから、尋ねて行って、万事よろしく頼むがいいで結んである。肝心かんじんの名前を忘れたとみえて、欄外というようなところに野々宮宗八ののみやそうはちどのと書いてあった。この欄外にはそのほか二、三件ある。さく青馬あおが急病で死んだんで、作は大弱りである。三輪田みわたのおみつさんがあゆをくれたけれども、東京へ送ると途中で腐ってしまうから、家内うちで食べてしまった、等である。
    三四郎はこの手紙を見て、なんだか古ぼけた昔から届いたような気がした。母にはすまないが、こんなものを読んでいる暇はないとまで考えた。それにもかかわらず繰り返して二へん読んだ。要するに自分がもし現実世界と接触しているならば、今のところ母よりほかにないのだろう。その母は古い人で古いいなかにおる。そのほかには汽車の中で乗り合わした女がいる。あれは現実世界の稲妻いなずまである。接触したというには、あまりに短くってかつあまりに鋭すぎた。――三四郎は母の言いつけどおり野々宮宗八を尋ねることにした。
    あくる日は平生よりも暑い日であった。休暇中だから理科大学を尋ねても野々宮君はおるまいと思ったが、母が宿所を知らせてこないから、聞き合わせかたがた行ってみようという気になって、午後四時ごろ、高等学校の横を通って弥生町やよいちょうの門からはいった。往来はほこりが二寸も積もっていて、その上に下駄げたの歯や、くつの底や、草鞋わらじの裏がきれいにできあがってる。車の輪と自転車のあとは幾筋だかわからない。むっとするほどたまらない道だったが、構内へはいるとさすがに木の多いだけに気分がせいせいした。とっつきの戸をあたってみたら錠が下りている。裏へ回ってもだめであった。しまいに横へ出た。念のためと思って押してみたら、うまいぐあいにあいた。廊下の四つ角に小使が一人居眠りをしていた。来意を通じると、しばらくのあいだは、正気を回復するために、上野うえのの森をながめていたが、突然「おいでかもしれません」と言って奥へはいって行った。すこぶる閑静である。やがてまた出て来た。
    「おいででやす。おはいんなさい」と友だちみたように言う。小使にくっついて行くと四つ角を曲がって和土たたきの廊下を下へ降りた。世界が急に暗くなる。炎天で目がくらんだ時のようであったがしばらくするとひとみがようやくおちついて、あたりが見えるようになった。穴倉だから比較的涼しい。左の方に戸があって、その戸があけ放してある。そこから顔が出た。額の広い目の大きな仏教に縁のあるそうである。縮みのシャツの上へ背広を着ているが、背広はところどころにしみがある。背はすこぶる高い。やせているところが暑さに釣り合っている。頭と背中を一直線に前の方へ延ばしてお辞儀をした。
    「こっちへ」と言ったまま、顔を部屋へやの中へ入れてしまった。三四郎は戸の前まで来て部屋の中をのぞいた。すると野々宮君はもう椅子いすへ腰をかけている。もう一ぺん「こっちへ」と言った。こっちへと言うところに台がある。四角な棒を四本立てて、その上を板で張ったものである。三四郎は台の上へ腰をかけて初対面の挨拶をする。それからなにぶんよろしく願いますと言った。野々宮君はただはあ、はあと言って聞いている。その様子がいくぶんか汽車の中で水蜜桃すいみつとうを食った男に似ている。ひととおり口上こうじょうを述べた三四郎はもう何も言う事がなくなってしまった。野々宮君もはあ、はあ言わなくなった。
    部屋の中を見回すとまん中に大きな長いかしのテーブルが置いてある。その上にはなんだかこみいった、太い針金だらけの器械が乗っかって、そのわきに大きなガラスのはちに水が入れてある。そのほかにやすりとナイフとえり飾りが一つ落ちている。最後に向こうのすみを見ると、三尺ぐらいの花崗石みかげいしの台の上に、福神漬ふくじんづけかんほどな複雑な器械が乗せてある。三四郎はこの缶の横っ腹にあいている二つの穴に目をつけた。穴が蟒蛇うわばみの目玉のように光っている。野々宮君は笑いながら光るでしょうと言った。そうして、こういう説明をしてくれた。
    「昼間のうちに、あんな準備したくをしておいて、夜になって、交通その他の活動が鈍くなるころに、この静かな暗い穴倉で、望遠鏡の中から、あの目玉のようなものをのぞくのです。そうして光線の圧力を試験する。今年の正月ごろからとりかかったが、装置がなかなかめんどうなのでまだ思うような結果が出てきません。夏は比較的こらえやすいが、寒夜になると、たいへんしのぎにくい。外套がいとうを着て襟巻をしても冷たくてやりきれない。……」
    三四郎は大いに驚いた。驚くとともに光線にどんな圧力があって、その圧力がどんな役に立つんだか、まったく要領を得るに苦しんだ。
    その時野々宮君は三四郎に、「のぞいてごらんなさい」と勧めた。三四郎はおもしろ半分、石の台の二、三間手前にある望遠鏡のそばへ行って右の目をあてがったが、なんにも見えない。野々宮君は「どうです、見えますか」と聞く。「いっこう見えません」と答えると、「うんまだふたが取らずにあった」と言いながら、椅子を立って望遠鏡の先にかぶせてあるものをけてくれた。
    見ると、ただ輪郭のぼんやりした明るいなかに、物差しの度盛りがある。下に2の字が出た。野々宮君がまた「どうです」と聞いた。「2の字が見えます」と言うと、「いまに動きます」と言いながら向こうへ回って何かしているようであった。
    やがて度盛りが明るいなかで動きだした。2が消えた。あとから3が出る。そのあとから4が出る。5が出る。とうとう10まで出た。すると度盛りがまた逆に動きだした。10が消え、9が消え、8から7、7から6と順々に1まで来てとまった。野々宮君はまた「どうです」と言う。三四郎は驚いて、望遠鏡から目を放してしまった。度盛りの意味を聞く気にもならない。
    丁寧に礼を述べて穴倉を上がって、人の通る所へ出て見ると世の中はまだかんかんしている。暑いけれども深い息をした。西の方へ傾いた日が斜めに広い坂を照らして、坂の上の両側にある工科の建築のガラス窓が燃えるように輝いている。空は深く澄んで、澄んだなかに、西の果から焼ける火の炎が、薄赤く吹き返してきて、三四郎の頭の上までほてっているように思われた。横に照りつける日を半分背中に受けて、三四郎は左の森の中へはいった。その森も同じ夕日を半分背中に受けている。黒ずんだ青い葉と葉のあいだは染めたように赤い。太いけやきの幹で日暮らしが鳴いている。三四郎は池のそばへ来てしゃがんだ。
    非常に静かである。電車の音もしない。赤門あかもんの前を通るはずの電車は、大学の抗議で小石川こいしかわを回ることになったと国にいる時分新聞で見たことがある。三四郎は池のはたにしゃがみながら、ふとこの事件を思い出した。電車さえ通さないという大学はよほど社会と離れている。
    たまたまその中にはいってみると、穴倉の下で半年余りも光線の圧力の試験をしている野々宮君のような人もいる。野々宮君はすこぶる質素な服装なりをして、外で会えば電燈会社の技手くらいな格である。それで穴倉の底を根拠地として欣然きんぜんとたゆまずに研究を専念にやっているから偉い。しかし望遠鏡の中の度盛りがいくら動いたって現実世界と交渉のないのは明らかである。野々宮君は生涯しょうがい現実世界と接触する気がないのかもしれない。要するにこの静かな空気を呼吸するから、おのずからああいう気分にもなれるのだろう。自分もいっそのこと気を散らさずに、生きた世の中と関係のない生涯を送ってみようかしらん。
    三四郎がじっとして池のおもてを見つめていると、大きな木が、幾本となく水の底に映って、そのまた底に青い空が見える。三四郎はこの時電車よりも、東京よりも、日本よりも、遠くかつはるかな心持ちがした。しかししばらくすると、その心持ちのうちに薄雲のような寂しさがいちめんに広がってきた。そうして、野々宮君の穴倉にはいって、たった一人ですわっているかと思われるほどな寂寞せきばくを覚えた。熊本の高等学校にいる時分もこれより静かな竜田山たつたやまに上ったり、月見草ばかりはえている運動場に寝たりして、まったく世の中を忘れた気になったことは幾度となくある、けれどもこの孤独の感じは今はじめて起こった。
    活動の激しい東京を見たためだろうか。あるいは――三四郎はこの時赤くなった。汽車で乗り合わした女の事を思い出したからである。――現実世界はどうも自分に必要らしい。けれども現実世界はあぶなくて近寄れない気がする。三四郎は早く下宿に帰って母に手紙を書いてやろうと思った。
    ふと目を上げると、左手の丘の上に女が二人立っている。女のすぐ下が池で、向こう側が高いがけ木立こだちで、その後がはでな赤煉瓦あかれんがのゴシック風の建築である。そうして落ちかかった日が、すべての向こうから横に光をとおしてくる。女はこの夕日に向いて立っていた。三四郎のしゃがんでいる低い陰から見ると丘の上はたいへん明るい。女の一人はまぼしいとみえて、団扇うちわを額のところにかざしている。顔はよくわからない。けれども着物の色、帯の色はあざやかにわかった。白い足袋たびの色も目についた。鼻緒はなおの色はとにかく草履ぞうりをはいていることもわかった。もう一人はまっしろである。これは団扇もなにも持っていない。ただ額に少ししわを寄せて、向こう岸からおいかぶさりそうに、高く池の面に枝を伸ばした古木の奥をながめていた。団扇を持った女は少し前へ出ている。白いほうは一足土堤どての縁からさがっている。三四郎が見ると、二人の姿が筋かいに見える。
    この時三四郎の受けた感じはただきれいな色彩だということであった。けれどもいなか者だから、この色彩がどういうふうにきれいなのだか、口にも言えず、筆にも書けない。ただ白いほうが看護婦だと思ったばかりである。
    三四郎はまたみとれていた。すると白いほうが動きだした。用事のあるような動き方ではなかった。自分の足がいつのまにか動いたというふうであった。見ると団扇を持った女もいつのまにかまた動いている。二人は申し合わせたように用のない歩き方をして、坂を降りて来る。三四郎はやっぱり見ていた。
    坂の下に石橋がある。渡らなければまっすぐに理科大学の方へ出る。渡れば水ぎわを伝ってこっちへ来る。二人は石橋を渡った。
    団扇はもうかざしていない。左の手に白い小さな花を持って、それをかぎながら来る。かぎながら、鼻の下にあてがった花を見ながら、歩くので、目は伏せている。それで三四郎から一間ばかりの所へ来てひょいととまった。
    「これはなんでしょう」と言って、仰向いた。頭の上には大きなしいの木が、日の目のもらないほど厚い葉を茂らして、丸い形に、水ぎわまで張り出していた。
    「これは椎」と看護婦が言った。まるで子供に物を教えるようであった。
    「そう。実はなっていないの」と言いながら、仰向いた顔をもとへもどす、その拍子ひょうしに三四郎を一目見た。三四郎はたしかに女の黒目の動く刹那せつなを意識した。その時色彩の感じはことごとく消えて、なんともいえぬある物に出会った。そのある物は汽車の女に「あなたは度胸のないかたですね」と言われた時の感じとどこか似通っている。三四郎は恐ろしくなった。
    二人の女は三四郎の前を通り過ぎる。若いほうが今までかいでいた白い花を三四郎の前へ落として行った。三四郎は二人の後姿をじっと見つめていた。看護婦は先へ行く。若いほうがあとから行く。はなやかな色のなかに、白いすすきを染め抜いた帯が見える。頭にもまっ白な薔薇ばらを一つさしている。その薔薇が椎の木陰こかげの下の、黒い髪のなかできわだって光っていた。
    三四郎はぼんやりしていた。やがて、小さな声で「矛盾むじゅんだ」と言った。大学の空気とあの女が矛盾なのだか、あの色彩とあの目つきが矛盾なのだか、あの女を見て汽車の女を思い出したのが矛盾なのだか、それとも未来に対する自分の方針が二道に矛盾しているのか、または非常にうれしいものに対して恐れをいだくところが矛盾しているのか、――このいなか出の青年には、すべてわからなかった。ただなんだか矛盾であった。
    三四郎は女の落として行った花を拾った。そうしてかいでみた。けれどもべつだんのにおいもなかった。三四郎はこの花を池の中へ投げ込んだ。花は浮いている。すると突然向こうで自分の名を呼んだ者がある。
    三四郎は花から目を放した。見ると野々宮君が石橋の向こうに長く立っている。
    「君まだいたんですか」と言う。三四郎は答をするまえに、立ってのそのそ歩いて行った。石橋の上まで来て、
    「ええ」と言った。なんとなくまが抜けている。けれども野々宮君は、少しも驚かない。
    「涼しいですか」と聞いた。三四郎はまた、
    「ええ」と言った。
    野々宮君はしばらく池の水をながめていたが、右の手をポケットへ入れて何か捜しだした。ポケットから半分封筒がはみ出している。その上に書いてある字が女の手跡しゅせきらしい。野々宮君は思う物を捜しあてなかったとみえて、もとのとおりの手を出してぶらりと下げた。そうして、こう言った。
    「きょうは少し装置が狂ったので晩の実験はやめだ。これから本郷ほんごうの方を散歩して帰ろうと思うが、君どうです、いっしょに歩きませんか」
    三四郎は快く応じた。二人で坂を上がって、丘の上へ出た。野々宮君はさっき女の立っていたあたりでちょっととまって、向こうの青い木立のあいだから見える赤い建物と、がけの高いわりに、水の落ちた池をいちめんに見渡して、
    「ちょっといい景色けしきでしょう。あの建築ビルジング角度アングルのところだけが少し出ている。木のあいだから。ね。いいでしょう。君気がついていますか。あの建物はなかなかうまくできていますよ。工科もよくできてるがこのほうがうまいですね」
    三四郎は野々宮君の鑑賞力に少々驚いた。実をいうと自分にはどっちがいいかまるでわからないのである。そこで今度は三四郎のほうが、はあ、はあと言い出した。
    「それから、この木と水の感じエフフェクトがね。――たいしたものじゃないが、なにしろ東京のまん中にあるんだから――静かでしょう。こういう所でないと学問をやるにはいけませんね。近ごろは東京があまりやかましくなりすぎて困る。これが御殿ごてん」と歩きだしながら、左手ゆんでの建物をさしてみせる。「教授会をやる所です。うむなに、ぼくなんか出ないでいいのです。ぼくは穴倉生活をやっていればすむのです。近ごろの学問は非常な勢いで動いているので、少しゆだんすると、すぐ取り残されてしまう。人が見ると穴倉の中で冗談をしているようだが、これでもやっている当人の頭の中は劇烈に働いているんですよ。電車よりよっぽど激しく働いているかもしれない。だから夏でも旅行をするのが惜しくってね」と言いながら仰向いて大きな空を見た。空にはもう日の光が乏しい。
    青い空の静まり返った、上皮うわかわに白い薄雲が刷毛先はけさきでかき払ったあとのように、すじかいに長く浮いている。
    「あれを知ってますか」と言う。三四郎は仰いで半透明の雲を見た。
    「あれは、みんな雪のですよ。こうやって下から見ると、ちっとも動いていない。しかしあれで地上に起こる颶風ぐふう以上の速力で動いているんですよ。――君ラスキンを読みましたか」
    三四郎は憮然ぶぜんとして読まないと答えた。野々宮君はただ
    「そうですか」と言ったばかりである。しばらくしてから、
    「この空を写生したらおもしろいですね。――原口はらぐちにでも話してやろうかしら」と言った。三四郎はむろん原口という画工の名前を知らなかった。
    二人はベルツの銅像の前から枳殻寺からたちでらの横を電車の通りへ出た。銅像の前で、この銅像はどうですかと聞かれて三四郎はまた弱った。表はたいへんにぎやかである。電車がしきりなしに通る。
    「君電車はうるさくはないですか」とまた聞かれた。三四郎はうるさいよりすさまじいくらいである。しかしただ「ええ」と答えておいた。すると野々宮君は「ぼくもうるさい」と言った。しかしいっこううるさいようにもみえなかった。
    「ぼくは車掌に教わらないと、一人で乗換えが自由にできない。この二、三年むやみにふえたのでね。便利になってかえって困る。ぼくの学問と同じことだ」と言って笑った。
    学期の始まりぎわなので新しい高等学校の帽子をかぶった生徒がだいぶ通る。野々宮君は愉快そうに、この連中れんじゅうを見ている。
    「だいぶ新しいのが来ましたね」と言う。「若い人は活気があっていい。ときに君はいくつですか」と聞いた。三四郎は宿帳へ書いたとおりを答えた。すると、
    「それじゃぼくより七つばかり若い。七年もあると、人間はたいていの事ができる。しかし月日つきひはたちやすいものでね。七年ぐらいじきですよ」と言う。どっちが本当なんだか、三四郎にはわからなかった。
    四角よつかど近くへ来ると左右に本屋と雑誌屋がたくさんある。そのうちの二、三軒には人が黒山のようにたかっている、そうして雑誌を読んでいる。そうして買わずに行ってしまう。野々宮君は、
    「みんなずるいなあ」と言って笑っている。もっとも当人もちょいと太陽をあけてみた。
    四角へ出ると、左手のこちら側に西洋小間物屋こまものやがあって、向こう側に日本小間物屋がある。そのあいだを電車がぐるっと曲がって、非常な勢いで通る。ベルがちんちんちんちんいう。渡りにくいほど雑踏する。野々宮君は、向こうの小間物屋をさして、
    「あすこでちょいと買物をしますからね」と言って、ちりんちりんと鳴るあいだを駆け抜けた。三四郎もくっついて、向こうへ渡った。野々宮君はさっそく店へはいった。表に待っていた三四郎が、気がついて見ると、店先のガラス張りのたなくしだの花簪はなかんざしだのが並べてある。三四郎は妙に思った。野々宮君が何を買っているのかしらと、不審を起こして、店の中へはいってみると、せみの羽根のようなリボンをぶら下げて、
    「どうですか」と聞かれた。三四郎はこの時自分も何か買って、あゆのお礼に三輪田のお光さんに送ってやろうかと思った。けれどもお光さんが、それをもらって、鮎のお礼と思わずに、きっとなんだかんだと手前がっての理屈をつけるに違いないと考えたからやめにした。
    それから真砂町まさごちょうで野々宮君に西洋料理のごちそうになった。野々宮君の話では本郷でいちばんうまいうちだそうだ。けれども三四郎にはただ西洋料理の味がするだけであった。しかし食べることはみんな食べた。
    西洋料理屋の前で野々宮君に別れて、追分おいわけに帰るところを丁寧にもとの四角まで出て、左へ折れた。下駄げたを買おうと思って、下駄屋をのぞきこんだら、白熱ガスの下に、まっ白に塗り立てた娘が、石膏せっこうの化物のようにすわっていたので、急にいやになってやめた。それからうちへ帰るあいだ、大学の池の縁で会った女の、顔の色ばかり考えていた。――その色は薄くもちをこがしたような狐色きつねいろであった。そうして肌理きめが非常に細かであった。三四郎は、女の色は、どうしてもあれでなくってはだめだと断定した。

    青空文庫より

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