海渡みなみ

  • 朗読カフェ第10回ライブ朗読会

    朗読カフェ 名作文学の朗読

  • 小山清「落穂拾い」海渡みなみ朗読

    Sep 03, 2018

    仄聞そくぶんするところによると、ある老詩人が長い歳月をかけて執筆している日記は嘘の日記だそうである。僕はその話を聞いて、その人の孤独にふれる思いがした。きっとさびしい人に違いない。それでなくて、そんな長いあいだに渡って嘘の日記を書きつづけられるわけがない。僕の書くものなどは、もとよりとるに足りないものではあるが、それでもそれが僕にとって嘘の日記に相当するとえないこともないであろう。僕は出来れば早く年をとってしまいたい。すこし位腰が曲がったって仕方がない。僕はそのときあるいは鶏のひなを売って生計を立てているかも知れない。けれども年寄というものは必ずしも世の中の不如意ふにょいかこっているとは限らないものである。僕は自分の越し方をかえりみて、好きだった人のことを言葉すくなに語ろうと思う。そして僕の書いたものが、すこしでも僕というものを代弁してくれるならば、それでいいとしなければなるまい。僕の書いたものが、僕というものをどのように人に伝えるかは、それは僕にもわからない。僕にはどんな生活信条もない。ただ愚図ぐずな貧しい心から自分の生れつきをそんなに悲しんではいないだけである。イプセンの「野鴨」という劇に、気の弱い主人公が自分の家庭でフリュートを吹奏すいそうする場面があるが、僕なんかも笛でも吹けたらなあと思うことがある。たとえばこんな曲はどうかしら。「ひとりで森へ行きましょう。」とか「わたしの心はあのひとに。」とか。まま母に叱られてまたは恋人からすげなくされて、泣いているような娘のご機嫌をとってやり、その涙をやさしく拭ってやれたなら。
    誰かに贈物をするような心で書けたらなあ。

    もはや二十年の昔になるが、神楽坂かぐらざかの夜店商人の間にひとりの似顔絵かきがいた。まだ若い人で、粗末な服装をしていて、不精ぶしょうひげを生やした顔を寒風にさらしていた。微醺びくんをおびていることもあった。見本に並べてある絵の中にはその人の自画像もあって、それには「ひょっとこのいのち」と傍書してあった。僕はその頃暖いマントに身を包み、ふところには身分不相応な小遣いさえ持っていた。その人もいまはあるいは偉い大家になられたかも知れぬのだが、僕はいま自身にひょっとこの命を感じている。

    僕はいま武蔵野市の片隅に住んでいる。僕の一日なんておよそ所在ないものである。本を読んだり散歩をしたりしているうちに、日が暮れてしまう。それでも散歩の途中で、野菊の咲いているのを見かけたりすると、ほっとして重荷の下りたような気持になる。その可憐かれん風情ふぜいが僕に、「お前も生きて行け。」とささやいてくれるのである。

    僕は外出から帰ってくると、門口の郵便箱をあけて見る。留守の間になにかいい便りが届いていはしまいかと思うのである。箱の中はいつも空しい。それでも僕はあけて見ずにはいられないのだ。

    こないだF君からハガキが来た。移転の通知である。F君は北海道の夕張炭坑にいる。僕は終戦後、夕張炭坑へ行った。職業紹介所を通じて炭坑夫の募集に応じたのである。F君はそのときの道連れの一人である。僕達は寒い最中さなかに上野を立った。僕達は皆んな炭坑労務者の記号のついた腕章を巻いていたが、誰もが気恥ずかしそうにしていた。汽車の中は窓硝子ガラスが無くて代りに板が打ちつけてあるところもあって寒かった。僕は寒さに震えながら、向いに腰かけているF君の防寒用にかぶっている防空頭巾ずきんの内にのぞいているその素直な眼差しに、ときどき思い出したように見入った。僕達はその日初めて見知った仲なのだが、F君は僕に云ったのである。「稼いだらまた東京に帰ってきましょうね。」F君のそのなにげない言葉が、そのときの僕の結ぼれていた気持を、どんなに解き放してくれたことか。
    夕張は山の中の炭坑町である。一年の半分は雪に埋もれている。ひとくちに云って、寂しい処である。僕はそこで心細い困難な月日を送ったという以外、格別なことはなにもなかったのだが、僕は郷愁を感じている。刑務所にいた者は出所してから、旧の古巣のことをふとなつかしく思うことがあるそうである。殊に娑婆しゃばの風が冷かったりすると。僕の夕張に対する気持には、それに似たものがあるかも知れない。
    土地の気風は概して他国者に親切である。内地から出かけた人の中には国から妻子を呼び寄せたり、または土地の女といっしょになって住み着く人も少くない。
    僕は思ったより早く東京へ帰るようになったが、F君は夕張に残った。F君はあらわには云わなかったが、そこで所帯を持つ心づもりらしかった。F君は云った。「どこにふるさとがあるかわかりませんね。」僕達は早い話が内地を食い詰めて出かけて行ったのだが、僕はF君のような大人しい人があんな僻地へきちでどうやら意中の人を見出したらしい様子なので、そのために一層F君を好ましく思った。
    F君にはひとと争う心がすこしもなかった。F君はまた「凡の真実は語るに適せぬことを、云わぬがよいことを承知している」人であった。僕はF君となら一つ家にともに暮らしても、気まずくなる心配はないと思っている。こんなことを云ったら可笑おかしいだろうが、若しもF君が女だったら、僕はお嫁にもらったかも知れない。
    F君からのハガキには、F君が僕達のいた寮を出て、近くに新築された長屋に入ったことを知らせてあった。「私たちも元気です。」とそれだけしか書いてない。F君らしいひかえ目な新生活の報知であった。
    夕張の駅は山峡やまかいにある。両側の山のなぞえには炭坑夫の長屋が雛段を見るように幾列も並んでいる。夜、雪の中にこの長屋に灯のついている光景を眺めることは、僕達に旅の愁いを催させたものである。僕はいま追憶の山の上にF君たちの灯を一つ加えた。

    「秋ふかき隣は何をする人ぞ」

    僕の家の便所の窓からは塀越しに隣家の庭と座敷が見える。座敷の中には大抵いつも一人の青年が机に向って椅子に腰をかけ本を読んでいる。この家は母親と息子であろうその青年との二人暮らしのようである。母親は五十位の年輩で青年は二十二三位。ひっそり住みなしている感じで、話声が聞えることもない。二人が偕にいるところを見かけることも殆どない。僕は元来物見高い方ではないし、ぶしつけに他人の垣の内を覗くわけではないのだが、便所に入るとつい窓越しに眼に入ってくるのである。縁側の硝子戸が閉まっていて内にカーテンが引かれていることもあるが、大抵いつもひとり青年が机に向っている姿が眺められる。そしてそのさまが僕の眼をくのである。青年は書物の上にうつむいていることが多く、僕に見られていることには気がつかない。僕は便所に入ったとき、青年の姿を見かければ、いつも一寸視線をその顔のうえに止める。僕はなぜその青年の顔が僕の眼を惹くのか、心に問うてみた。一言にして云えば、れていないからである。僕はかつて鴎外の「青年」という小説を読んだとき、よくわからなかった。なぜ鴎外はこんな若きつばめ然とした柔弱児にゅうじゃくじを描いて、而もそれに「青年」という題名をつけたのだろうと不審に堪えなかった。最近読み返して眼のあく思いをした。この作品の冒頭の部分に次のような一行がある。「ませた、おちゃっぴいな小女の目に映じたのは、色の白い、卵からかえったばかりの雛のような目をしている青年である。」鴎外はこういう青年の像を描こうとしたのである。それはまさしく青年であって、若き燕などと云うものではなかった。泰西名画に「笛を吹く少年」とか「縄とびをする少女」とかいうのがある。隣家の青年は僕にとってはさしずめ「本を読む青年」でしかない。決してその平面図から抜けて出て、僕の生活図形に入ってくることはないであろう。けれどもその静かな生活のたたずまいの中にいる青年の無心なさまを眺めると、たとえば光りを浴び風にそよぐポプラのこずえを仰いだときに僕の心の中でなにかがゆれるように、僕の心に伝わってくるものがある。
    ときたま道で行きうこともある。お互いに隣同士なことは知っているが、僕達は挨拶あいさつなどはしない。知らん顔をしている。無言で擦れ違うだけである。名前も知らない。標札などには眼を向けて見ないのである。

    牛乳一合
    うどん一斤。
    卵二つ。
    味噌二百もんめ
    ほうれん草。

    僕はいま自炊の生活をしている。それでも七輪や鍋、薬鑵やかん庖丁ほうちょう俎板まないた、茶碗などが揃ったのはつい最近のことである。そしてどうやらいまのところはこの生活を維持している。けれども僕の不安定な生活も久しいものである。いつこの生活が突き崩されるか、それは図り知れたものではない。恒産こうさんなければ恒心無しと云うではないか。いつどんなへまをしでかすか、僕にはとても自分が信用出来ないのである。所帯道具がふえたじゃないかと笑った人があるが、たとえば僕が一羽の燕であるとすれば、僕にとって七輪や鍋は燕がその巣を造るために口にふくんでくる泥や※(「禾+皆」、第4水準2-82-94)わらしべたぐいに相当するであろう。そして僕に養う子燕がないにしても、僕としてはやはり自分の巣は営まなければならない。僕はひとが思うほどには、また自分からひとに話すほどには、薪水しんすいの労を億劫おっくうにはしていない。そんなにいやでもない。僕の一日などは大抵無為のうちに暮れてしまうのだが、「無為」でないのは睡眠という営みをべつにすれば、その時間だけである。そして僕にはそれに費される時間の長さが有難いのだ。僕はそれをひどくスローモーションにやるわけなのだから。たとえば母親から慰められずに置き去りにされた子供が独りで玩具をもてあそんでいるうちにいつか涙が乾いてくるように、米をいだり菜を刻んだりしていると、僕の気持もようやくまぎれてくる。僕はうどんが煮える間を、米がける間を大抵いつも詩集をひもとく。小説なんかよりはこの方が勝手だから。こんな詩を見つけたりする。

    夕日が傾き
    村から日差しが消える時、
    村から村へ暗がりを訴える
    やさしい鐘の響が伝わってゆく。

    まだ一つ、あの丘の上の鐘だけが
    いつまでも黙っている。
    だが今それは揺れ始める。
    ああ、私のキルヒベルクの鐘が鳴っている。

    (マイヤア「鎮魂歌」高安国世訳)

    この詩はまた僕の心をしずめることにも役立つ。そして僕の心を遠く志したものに、はるかな希望につないでくれる。

    僕は一日中誰とも言葉を交さずにしまうことがある。日が暮れると、なんにもしないくせに僕は疲れている。一日だけのエネルギーがやはりつかい果されるのだろう。額にたがを締められたような気分で、そしてふと気がつく。ああ、きょうも誰とも口をきかなかったと。これはよくない。きっと僕は浮腫むくんだような顔をしているに違いない。誰とでもいい。そしてふたこと、みことでいいのだ。たとえばお天気の話などでも。それはほんの一寸した精神の排泄はいせつ作用に属することなのだから。
    僕は自分では酒はたしなまないが、それでも酒を呑む人の気持がわかるような気がする。人恋しい気持に誘われて、呑み屋の暖簾のれんをくぐって、そこに知った顔を見つけたときの愉しさは格別なものがあろう。
    僕にはつい遊びに出かけるような処もない。それにすずめの巣に燕が顔を出したとしたら、それは闖入者ちんにゅうしゃということになりはしないだろうか。雀の家庭には雀の家風というものがあるのだろうから。そしてそれはやはり尊重しなければならないのだろうから。それでもお伽噺とぎばなしなんかにはよくあるではないか。雀が燕の訪問を歓迎する話が。
    その人のためになにかの役に立つということを抜きにして、僕達がお互いに必要とし合う間柄になれたなら、どんなにいいことだろう。
    僕の家から最寄もよりの駅へ行く途中に芋屋がある。芋屋と云っても専門の芋屋ではない。爺さんが買出しに出かけて担いできたやつを、婆さんが釜で焼いて売っているのだ。僕は人に会いたくなると、ときどきそこへ出かけて行く。小さいバラック建ての店の中に、一人腰かけられる位のところに茣蓙ござが敷いてあって、客が休めるようになっている。お茶の接待もある。気が置けなくて、僕などには行きやすい。僕は行くといつも芋を百匁がとこ食べて、ほうちゃの熱いやつを大きな湯呑にお代りをする。僕のほかに客があることは殆どなく、その小さい店の中にはお婆さんと僕だけで、僕はとてもアット・ホームな気がして、くつろいでしまう。そのお婆さんがとてもいいのだ。年頃はまだ七十にはなるまい。もしかすると六十を幾つも越していないのかも知れない。髪はそれほど白くはない。それでも腰が少し曲がっているし、顔もしなびかけている。年よりも早く老け込んでしまうような生活を送ってきたのだろう。お婆さんの顔を見ると、その声をきくと、お婆さんがやさしい善良な心根こころねの人だということがすぐわかる。その人の生れつきの性質というものは、年をとっても損われずに残っていて、やはりその人をいちばんに伝えるものではないだろうか。殊に単純で素朴な人達の間では。僕にはお婆さんの顔が正直という徳で縁飾ふちかざりをされているように見える。お婆さんははかりで芋を計ってくれてから、焙じ茶の入った薬鑵を僕のそばに置いて、田舎なまりのある口調で、「勝手に注いであがって下さいよ。」と云う。お婆さんと向い合っていると僕はとても安気で、お茶をなん杯もお代りして呑む。お金を置くと、「どうも有難うございました。」と云う。人柄というものはおかしなもので、こんななんでもない挨拶にも実意がこもっている。ついぞ相客のあったためしはないが、結構あきないはあるのだろう。お婆さんが僕に世間話をしかけることもない。僕もまた黙っている。ただ芋を食ってお茶を呑んでくるだけである。それでも僕の気持は慰められている。
    いつか夜風呂の帰りにお婆さんに行逢った。やはり風呂に行くところらしく、手拭をさげていた。

    僕にはもう一軒行くところがある。
    僕は最近ひとりの少女と知合いになった。彼女は駅の近くで「緑陰書房」という古本屋を経営している。マーケットの一隅にある小さい床店で、彼女は毎日その店へ、隣町にある自宅から自転車に乗って出張してくるのだ。
    彼女は新制高校を卒業してから、上級の学校へも行かずまた勤めにも就かず、自らえらんでこの商売を始めた。父兄の勧めに由ったのではなく、彼女ひとりの見識にもとづいてしたわけで、はたちまえの少女の身としてはまず健気けなげと云っていいだろう。「よくひとりで始める気になったね。」と僕が云ったら、彼女はべつに意気込んだ様子も見せず、「わたしはわがままだからお勤めには向かないわ。」と云った。
    紫色の細いバンドで髪を押えているのが、化粧をしない生まじめな顔によく映って、それが彼女の場合は素朴な髪飾りのようにも見える。おそらく快楽好きな若者の目には器量きりょうよしには映るまい。自転車にまたがっている彼女の姿は宛然あたかも働きものの娘さんを一枚の絵にしたようだ。
    先年歿したDという小説家は、自分には訪問ヴィジットの能力がないとこぼしていたが、僕などもそのお仲間らしい。第一に他人の家の門口の戸をわが手であけるということが既に億劫だ。彼女の店は商売柄客に対していつも門戸が開放してあるのでつい入りやすいから、僕はときどき立寄って店の営業妨害にならない程度に話をしてくる。
    僕はまた彼女の店の顧客おとくいでもある。主として均一本きんいちぼんの。僕はまだ彼女の店で一度に五拾円以上の買物をしたことはない。僕が初めて、彼女と近づきになったのも、均一本の中に「聖フランシスの小さき花」と「キリストのまねび」を見つけたときだ。彼女は「小さき花」の奥附がとれているのを見て、拾円値引をしてくれて、二冊で五拾円にしてくれた。僕はいまの人が忘れて顧みないような本をくりかえし読むのが好きだ。僕はときどき彼女の店に均一本をあさりに行くようになり、そのうち彼女と話を交わすようにもなった。彼女の気質が素直でこだわらないので、僕としてもめずらしく悪びれずに話すことが出来るのだ。そしてそれが僕には自分でもうれしい。大袈裟に云えば、僕は彼女の眼差しのうちに未知の自分を確認するような気さえしている。こうして僕に思いがけなく新しい交友の領域がひらけた。
    彼女と僕が話しているのをよそ目に見たら、大分了解の届いた仲に見えるかも知れない。僕としてもつきあいの短いわりにはお互いに気心が分ったような気がしている。彼女は僕のことをこだわりなく「おじさん」と呼んでいる。彼女から見れば僕などはおじさんに違いない、またおじさん以外の何物でもあるわけがない。彼女からおじさんの御商売は? と訊かれて、僕は小説を書いていると答えた。靴屋ならば靴をこしらえていると答えるだろうし、時計職ならば時計を組立てていると答えるだろう。ただ僕の場合はまだ文芸年鑑にも登録されていないし、一冊の著書さえなく、また二三書いたものを発表したこともあるが、その雑誌もいまは廃刊している。けれども若しそんなことで僕が悪びれたりしたなら、その小さな店で敢闘している彼女に対しても、男子の沽券こけんにかかわることだろう。自分で小説書きを標榜ひょうぼうする以上、上手下手はべつとして、僕としては仕事に励む気になっている。それに応じて仕事そのものが精を出してくれたなら、申し分ないのだが。彼女は商売柄、「日々の麺麭パン」という僕の旧作がっている雑誌を見つけ出してきて読んだようだが、云うことがいい。「わたし、おじさんを声援するわ。」
    僕としては思いがけない知己ちきを得たわけであるが、彼女はどうやら僕を少し買被っている気味がある。僕のことをたいへん苦労をした者のように思い込んでいるふしが見える。僕の書いたつまらないものが、彼女にそんな思い違いをさせたのならば、僕としては後めたい気がする。ひとつは僕の服装の貧しさがなにかいわくありげに見えるのかも知れないが、これはただ僕に稼ぎがないだけの話である。彼女はなかなかの勉強家で店番をしながらロシヤ語四週間などという本を読んでいるが、その本の中に「貧乏は瑕瑾きずではない。」という俚諺ことわざを見出して云うことには、「わたしね、それを読んで、おじさんのことを聯想したわ。」ひどい買被りである。それは僕にだって、肉体の飢えを精神の飢えに代えて欲しい本を手に入れてそれに読みふけった思い出がないことはない。僕はかつてハムスンの「飢え」という小説を読んだとき、主人公が苦境に在ってよく高邁こうまいの精神を失わないことに感心した。僕にはとてもあの真似は出来ない。この俚諺はそのまま熨斗のしをつけて彼女に返上した方がいい。午前中は自転車に乗って建場たてば廻りをし、店をあけてからは夜九時過ぎまで頑張り、店番のすきには語学を勉強したり、幼い弟の胴着を編んでやったりしている彼女の懸命な生活の姿にこそ、この言葉はふさわしいであろう。
    彼女は自分のことを「わたしは本の番人だと思っているの。」と云ったことがある。彼女は商品の本や雑誌をとても丁寧に取扱う。仕入れた品は店に出す前に一冊一冊調べて、鑢紙やすりがみや消ゴムで汚れを拭きとったり、こてしわのばしをしたり、破損している個所をのりづけしたりしている。見ていると、入念に愛撫あいぶしているような感じを受ける。
    彼女の店の商品の値段は概して安い。「わたし、あまりもうけられないの。本屋って泥棒みたいですわ。」と云っている。たまに掘出しものなんかすると、かえって後で気持が落着かないという。塵も積れば山となる式の細かい商法が好みらしい。彼女の店は月にして約二万円の売上げがあり、儲けは七八千円位だそうである。開店以来六ヶ月にしてようやくそれまでにぎ着けたという。彼女はそのことを、林檎りんごの頬を輝かせて澄んだ眼差しで僕に告げた。僕はそのとき彼女から自己の記録を保持するために懸命の努力をつづけている選手のような印象を受けた。彼女はそのために定期の市のほかに、毎日自転車に乗って建場や製紙原料屋までを馳けずり廻っているのである。僕は一体に男のおおまかよりは女のつましさの方に心を惹かれる。
    こないだ彼女から贈物をもらった。
    十月四日は僕の誕生日である。僕はそのことをなにかの話のついでに彼女に告げたらしいのだが、彼女は覚えていて、その日ぶらりと彼女の店に立寄った僕に贈物をくれると云うのである。
    「均一本のお客様に対してかね。」
    「いいえ。一読者から敬愛する作家に対してよ。」
    「へえ。なにをくれるの?」
    「当ててごらんなさい。わたし、これから薬屋へ行って買って来ますから、おじさん、一寸店番しててね。」
    彼女は銭箱から五拾円紙幣しへいを一枚掴み出して店を出て行った。なにをくれるつもりだろう。口中清涼剤だろうか。まさか水虫の薬ではあるまい。待つ間ほどなく彼女は戻ってきて小さい紙包を僕にくれた。
    「あけていいかい?」
    「どうぞ。」
    あけると中から耳かきと爪きりが出てきた。なるほど。僕にはそれがとても気のきいた贈物に思えた。金目のものでないだけに一層。
    「これはどうも有難う。折角愛用するよ。」
    彼女は笑いながら僕に新聞紙大の紙をひろげて寄こした。見るとその月の少女雑誌の附録で、彼女の指示した箇所には十月生れの画家、詩人、科学者などの名が列記してあって、そのはじめには、「十月四日生。ミレー(一八一四年)、『晩鐘』や『落穂拾い』また『お母さんの心づかい』を描いたフランスの農民画家。」としてあった。

    以上が僕の最近の日録であり、また交友録でもある。実録かどうか、それは云うまでもない。
    青空文庫より

  • 太宰治「リイズ」海渡みなみ朗読

    Aug 18, 2018

    リイズ

    (ラジオ放送用として。)

    太宰治

    杉野君は、洋画家である。いや、洋画家と言っても、それを職業としているのでは無く、ただいい画をかきたいと毎日、苦心しているばかりの青年である。おそらくは未だ、一枚の画も、売れた事は無かろうし、また、展覧会にさえ、いちども入選した事は無いようである。それでも杉野君は、のんきである。そんな事は、ちっとも気にしていないのである。ただ、ひたすらに、いい画をかきたいと、そればかり日夜、考えているのである。母ひとり、子ひとりの家庭である。いま住んでいる武蔵野町の家は、三年まえ、杉野君の設計にって建てられたものである。もったいないほど立派なアトリエも、ついている。五年まえに父に死なれてからは、母は何事に於ても、杉野君の言うとおりにしている様子である。杉野君の故郷は北海道、札幌市で、かなりの土地も持っているようであるが、母は三年前、杉野君の指図さしずに従い、その土地の管理は、すべて支配人に委せて、住み馴れた家をも売却し、東京へ出て来て、芸術家の母としての生活を、はじめたわけである。杉野君は、ことし二十八歳であるが、それでも、傍で見て居られないほど、母に甘え、また、子供らしいわがままを言っている。家の中では、たいへん威張り散らしているが、一歩そとへ出ると、まるで意気地いくじが無い。私が、杉野君と知合いになったのは、いまから五年まえである。そのころ杉野君は、東中野のアパートから上野の美術学校にかよっていたのであるが、その同じアパートに私も住んでいて、廊下で顔を合わせる時があると、杉野君は、顔をぽっと赤くして、笑とも泣きべそともつかぬへんな表情を浮かべ、必ず小さいせきばらいを一つするのである。何とか挨拶を述べているつもりなのかも知れない。ずいぶん気の弱い学生だと思った。だんだん親しくなり、そのうちに父上の危篤きとくの知らせがあって、彼はその故郷からの電報を手に持って私の部屋へはいるなり、わあんと、叱られた子供のような甘えた泣き声をげた。私は、いろいろなぐさめて、すぐに出発させた。そんな事があってから、私たちは、いよいよ親しくなり、彼が武蔵野町に綺麗な家を建て、お母さんと一緒に住むようになってからも、私たちは時々、往きしているのである。いまは私も、東中野のアパートを引き上げ、この三鷹町のはずれに小さい家を借りて住んでいるのであるから、お互の往き来には便利である。
    先日、めずらしく佳い天気だったので、私は、すぐ近くの井の頭公園へ、紅葉を見に出かけ、途中で気が変って杉野君のアトリエを訪問した。杉野君は、ひどく意気込んで私を迎えた。
    「ちょうどいいところだった。きょうからモデルを使うのです。」
    私は驚いた。杉野君は極度の恥ずかしがりやなので、いま迄いちども、モデルを自分のアトリエに呼びいれた事は無かったのである。人物といえば、お母さんの顔をかいたり、また自画像をかいたりするくらいで、あとは、たいてい風景や、静物ばかりをかいていたのである。上野に一軒、モデルを周旋しゅうせんしてくれる家があるようであるが、杉野君はいつも、その家の前まで行ってはむなしく引返して来るらしいのである。なんとも恥ずかしくて、仕様が無いらしいのである。私は玄関に立ったままで、
    「君が行って、たのんで来たのかね。」
    「いや、それが、」と杉野君は顔を真赤にして、少し口ごもり、「おふくろに行って来てもらったんです。からだの健康そうな人を選んで来て下さいって頼んだのですが、どうも、あまりに丈夫すぎて、画にならないかも知れません。ちょっと不安なんです。あの、庭の桜の木の下に白いドレスを着て立ってもらうんです。いいドレスが手にはいったものですから、ひとつ、ルノアルのリイズのようなポオズをさせてみたいと思っているのです。」
    「リイズってのは、どんな画かね。」
    「ほら、真白い長いドレスを着た令嬢が、小さい白い日傘を左手に持って桜の幹にりかかっている画があったでしょう? あれは、令嬢かな? マダムかな? あれはね、ルノアルの二十七八歳頃の傑作なのですよ。ルノアル自身のエポックを劃したとも言われているんです。僕だって、もう二十八歳ですからね、ひとつ、ルノアルと戦ってみようと思っているんですよ。いまね、モデルが仕度していますから、ああ、出来た、わあ、これあひどい。」
    モデルは、アトリエのドアを静かにあけて玄関へ出て来たのである。一目ひとめ見て私も、これあひどいと思った。どうも、あまりにも健康すぎる。婦人の容貌に就いて、かれこれ言うのは、よくない事だが、ごく大ざっぱな印象だけを言うならば、どうもはなはだ言いにくいのだが、――お団子だんごが、白い袋をかぶって出て来た形であった。色、赤黒く、ただまるまると太っている。これでは、とても画にはなるまい。
    「少し健康すぎたね。」と私は小声で杉野君に言うと、
    「ううむ、」と杉野君もうなって、「さっき和服を着ていた時には、これほどでも、なかったんですがね。これあひどいですよ。泣きたくなっちゃった。とにかく、まあ、庭へ出ましょう。」
    私たちは庭の桜の木の下に集った。桜の葉は、間断無く散っていた。
    「ここへ、ちょっと立ってみて下さい。」杉野君は、機嫌が悪い。
    「はい。」女のひとは、性質の素直な人らしく、顔を伏せたまま優しい返事をして、長いドレスをつまみ上げ、指定された場所に立った。とたんに杉野君は、目を丸くして、
    「おや、君は、はだしですね。僕はドレスと一緒に靴をそろえて置いたはずなんだが。」
    「あの靴は、少し小さすぎますので。」
    「そんな事は無い。君の足が大きすぎるんだよ。なってないじゃないか。」ほとんど泣き声である。
    「いけませんでしょうか。」かえって、モデルのほうが無心に笑っている。
    「なってないなあ。こんなリイズってあるものか。ゴオギャンのタヒチの女そっくりだ。」杉野君は、やぶれかぶれで、ひどく口が悪くなった。「光線が大事なんだよ。顔を、もっと挙げてくれ。ちえっ! そんなにゲタゲタ笑わなくてもいいんだよ。なってないじゃないか。これじゃ僕は、漫画家になるより他は無い。」
    私は、杉野君にも、またモデルのひとにも、両方に気の毒でその場で、立って見ている事が出来ず、こっそりうちへ帰ってしまった。
    それから十日ほど経って、きのうの朝、私は吉祥寺の郵便局へ用事があって出かけて、その帰りみち、また杉野君の家へ立ち寄った。先日のモデルの後日談をも聞いてみたかったのである。玄関の呼鈴を押したら、出て来たのは、あのひとである。先日のモデルである。白いエプロンを掛けている。
    「あなたは?」私は瞬時、どぎまぎした。
    「はあ。」とだけ答えて、それから、くすくす笑い、奥に引っ込んでしまった。
    「おや、まあ。」と言ってお母さんが、入れちがいに出て来た。「あれは旅行に出かけましたよ。ひどく不機嫌でしてな。やっぱり景色をかいているほうが、いいそうですよ。なんの事やら、とっても、ぷんぷんして出かけましたよ。」
    「それあ、そうでしょう。ちょっと、ひどかったですものね。それで、あのひとは? どうしたのです。まだ、ここにいるようですね。」
    「女中さんがわりにいてもらう事にしました。どうして、なかなかいい子ですよ。おかげで私も大助かりでございます。いま時あんな子は、とても見つかりませんですからねえ。」
    「なあんだ。それじゃお母さんは、女中を捜しに上野まで行って来たようなものだ。」
    「いいえ、そんな事。」とお母さんは笑いながら打消して、「私だって、あれにいい画をかかせたいし、なるべくなら姿のいいひとを選んで来たいと思って行ったのですが、なんだか、あそこの家で大勢のならんで坐っている中で、あのひとだけ、ひとり目立っていけないのですものね。つい不憫ふびんになって、身の上を聞きましたら、あなた、東京へつい先日出て来たばかりで、人からモデルはお金になると聞いて、こうしてここに坐っているというんでしょう? あぶない話ですものねえ。房州ぼうしゅうの漁師の娘ですって。私は、せがれの画がしくじっても、この娘さんをしくじらせたくないと思いました。私だって、知っていますよ。あの娘さんじゃ、画になりません。でも、せがれには、またこの次という事もあります。画かきだって何だって、一生、気永な仕事ですから。」

  • 林芙美子「夜福」海渡みなみ朗読

    29.37 Jun 09, 2018

    夜福

    林芙美子

    青笹の描いてある九谷の湯呑に、熱い番茶を淹れながら、久江はふつと湯呑茶碗のなかをのぞいた。
    茶柱が立つてゐる。絲筋のやうなゆるい湯氣が立ちあがつてゐる。
    「おばアちやん、清治のお茶、また茶柱が立つてゐますよ」
    雪見障子から薄い朝の陽が射し込んでゐる。
    久江はその湯呑茶碗をそつと持つて、お佛壇の棚へそなへた。佛壇の中には、十年も前に亡くなつた父や伯母の位牌が飾つてある。その父と伯母の位牌の間に、去年戰死した一人息子の清治の位牌がまつゝてあつた。父や伯母の湯呑は小さい白い燒物だつたけれど、清治のだけは、生前、清治が好きで毎日つかつてゐた九谷の湯呑茶碗をつかつた。
    久江は佛壇の前に暫く坐つて眼をつぶつてゐた。
    赤い毛糸で編んだ袖なしを着てゐる。[#「着てゐる。」はママ]今年八十二歳の久江の母は、薄陽の射してゐる疊へ油紙を敷いて、おもとの鉢植を並べて手入れをしてゐた。頭はすつかり禿げてしまつてゐるけれども、色の白いおばあさんだつたので、老人特有の汚さが少しもない。
    久江は手を合はせてぢつと拜みながら、(お父さんがねえ、あんたのお位牌を拜みに來たいつておつしやるのよ)と、口のうちでそつとつぶやいてゐる。
    清治は戰死したけれど、何時も私達のそばにゐてくれるだらうと、おばあさんはいふのである。
    庭のこぶしには、薄みどりの芽が萠えてゐたし、南天もきらきら陽に光つてゐる。十坪ばかりの狹い庭だつたけれども、おばあさんが庭いぢりが好きで、何處もこゝも丹誠して京都あたりの庭のやうに、清潔できれいだつた。清治も、このおばあさんの薫陶をうけたせゐか、非常に庭をつくることが好きで、出征する前は日曜日なんかは植木屋みたいに器用な鋏のつかひかたで終日枝落しや植かへを愉しんでゐたものである。
    大學時代にはテニスも少しばかりやつてゐた。
    「おばあさん、――この間から考へてゐたンですけど、この家を賣らないかといふひとがあるンですけどねえ‥‥」
    おばあさんは、巾着のやうにすぼまつた唇をもぐもぐさしてゐる。鼻が小さくて何時も笑つてゐるやうなおばあさんの表情は、久江にとつては豐年の稻穗を見てゐるやうに平和な氣持だつた。
    「買つてくれるお人があるのかねえ」
    眼も耳も達者で、若い時は淨瑠璃をやつてゐたせゐか、聲が澄んできれいであつた。
    「えゝ、佐竹さんで、この家を世話するつておつしやるンだけど‥‥宿屋商賣も樂ぢやないし、このごろは柄が惡くなつて、使つてゐる人間だつて、爪の先ほどの親切氣もなくなつたンですもの、――つくづくこの商賣が厭になりましたわ」
    「そりやアねえ、お前さんだつて樂ぢやないとおもひますけど、わたしは、もうこんな年だし、――本當は見も知らない家へ引越して死にたくはないと思つてるンだけどね‥‥」
    「えゝよく判ります」
    「でもねえ、何ですか、世間でよくいつてゐる、新體制ですか、それに順應してゆくといふたてまへなら、私もどこへでも行きますよ。――清治の位牌を持つてどこでも行きます」
    一ヶ月ばかり前にやとひいれた里子といふ若い女中が、足袋もはかない大きい足で廊下を走つて來た。
    「お神さん、雪の間で御勘定して下さいつて‥‥」
    久江は障子の外から立つたなりでものをいつている里子の無作法に眉をしかめながら、
    「あら、まだ二三日いらつしやるつて御樣子だつたのに、もう、お立ちになるのかい?」
    「えゝ、急に歸るンですつて‥‥」
    「歸るつて言葉はないでせう。お歸りになりますつていふのよ――、どうも、この節のひとは、どうして、こんなに野郎言葉になつちまつたのかねえ」
    久江は帳場へ行つて硯の墨をすりはじめた。

  • 横光利一「妻」海渡みなみ朗読

    13.50
    May 20, 2018

    雨がやむと風もやむだ。小路こうぢの兩側の花々は倒れたまま地に頭をつけてゐた。今迄揺れつづけてゐた葡萄棚の蔓は靜まつて、垂れ下つた葡萄の實の先端からまだ雨の滴りがゆるやかに落ちてゐた。どこからか人の話し聲が久し振りに聞えて來た。
    「まア、人の聲つて懷しいものね。」と妻は床の中から云つた。
    妻はもう長らく病んで寢てゐた。彼女は姑が死ぬと直ぐ病ひになつた。
    遠くの荒れた茫々とした空地の雜草の中で、置き忘れられた椅子がぼんやりと濡れた頭を傾けてゐた。その向ふの曇つた空の下では竹林の縁が深ぶかと重さうに垂れてゐた。
    私は門の小路の方へ倒れた花を踏まないやうに足を浮かせて歩いてみた。傾き勝ちな小路の肌は滑かに青く光つてゐた。その上を細い流れが縮れながら蟲や花瓣を浮べて流れてゐた。すると私の足は不意に辷つた。私は亂れた花の上へ仰向きに倒れた。冷たい草の葉がはツしと頬を打つた。雨が降るといつも私はそこで辷るのだ。
    格子の向ふで妻が身體を振つて笑つてゐた。私は馬鹿げた口を開けて着物を着返へるために家の中へ這入つた。
    「どうも早や、參つた、參つた。」
    「あなたの、あなたの。」さう云ふと妻は笑つたまま急に咳き出した。
    「俺が惡いんぢやないぞ。花めが惡いんだ。」
    「あなたが周章てるからよ。」
    「俺は花を踏まないやうに氣をつけてやつたんだ。」
    「あの格好つたらなかつたわ。」
    私は芝居の口調で、
    「いやいや、」と云つた。
    「もう一度辷つてらつしやいな。」
    私は默つてゐた。
    「まるで新感覺よ。」
    「生意氣ぬかすな。」
    私は光つた縁側で裸體になつた。病める妻にとつて、靜けさの中で良人の辷つた格好は何よりも興趣があつたに相違ない。初めの頃は私が辷ると妻の顏色も青くなつた。それがだんだんと平氣になり、第三段の形態は哄笑に變つて來た。私達は此の形態の變化を曳き摺つて此の家へ移つて來た。
    「赤ちやんがほしいわ。」と、突然妻が云ひ出すことがある。
    さう云ひ出す頃になると、妻は何物よりも、ユーモラスな良人の辷つた格好から愛すべき風格を見附け出す。その次ぎの第四の形態は何か。私は次ぎに來る左樣なことを考へるものではないと考へる。
    次の日の朝雲は晴れた。私は起きると直ぐ葡萄棚の下へ行つて仰いでみた。葉の叢から洩れた一條の光りが鋭く眼を貫いた。私は顏を傾け變へた。露に濡れた葡萄の房が朝の空の中で克明な陰影を振りかざし、一粒づつ滿腔の光りを放つて靜まつてゐた。私は手を延ばすと一粒とつた。
    「うまい。」
    床の上へ起き直つた妻が、
    「私にもよ、私にもよ。」と云つて手を差し出した。
    「喜べ。うまいぞ。」
    私は露で冷めたくなつた手に一房の葡萄を攫んで妻の床の傍へ持つていつた。
    「あらあら、重いわね。」
    「ベテレヘムの女ごらよ。ああ汝の髮は紫の葡萄のごとし。」
    「もう直ぐ蟲がつくから、今とらないと駄目だわね。」
    「汝は汝の床もて我を抱け。我の願ひを入れよ。」
    「まア、おいしい。口がとれさうよ。」と妻は云つた。
    見ると、妻の髮に白いにらの花がこの朝早くから刺さつてゐた。
    私はまた葡萄棚の下へ戻つて來た。それから井戸傍で身體を拭いた。雇つてある老婆が倒れた垣根の草花を起してゐた。
    私はふと傍の薔薇の葉の上にゐる褐色のめすの鎌切りを見附けた。よく見ると、それは別の青いをすの鎌切りの首を大きな鎌で押しつけて早や半分ほどそれを食つてゐる雌の鎌切りだつた。
    「なるほど、これや夫婦生活の第四段の形態だ。」と私は思つた。
    雄は雌に腹まで食はれながらまだ頭をゆるく左右に振つてゐた。その雄の容子が私には苦痛を訴へてゐる表情だとは思へなかつた。どこかむしろ悠長な歡喜を感じた。その眼の表情には確に身を締めつけられるやうな恍惚とした喜びがあつた。婆やが曲つた腰つきで箒を持つて無花果の樹の下から私の方へ歩いて來た。
    「おい、婆さん。一寸來て見な。」と私は云つた。
    婆やは私の指差してゐる鎌切りを覗き込むと、
    「ははア。」と云つた。
    「これ、何んだか知つてるかね。」
    「旦那さま、これや二疋ですな。」と老婆は急に大きな聲を出した。
    「さうだ。」
    すると老婆はまた「あらツ」と聲を上げた。
    「何んだ?」
    「これや旦那さま、食はれてゐますのぢや。」
    「それやさうさ。」
    「ははア。これや、旦那樣、食はれてをりますのぢや。」
    「食つてゐるのはめすなんだよ。鎌切りの女は亭主が入らなくなると食ひ殺すんだ。」
    「ほんたうでございますか。」
    「本當さ。」
    「まア奥樣、來て見なさい。憎い奴がをりますわ。自分の亭主を食ひやがつて、これやツ、これやツ。」と老婆は云つて足で地を打つた。
    私は身體を拭きながら無花果の樹の下へ來た。無花果は厚い葉の陰から色づいた實を差し出してゐた。不氣嫌さうに栗のいがは膨れてゐた。
    私はまだ鎌切りに心から腹を立ててゐるらしい老婆の容子が面白かつた。彼女は二十臺に良人に別れた。それから四十年、獨身で來ながらもその間何をして來たか分らなかつた。彼女は今も烈しい毒を體内に持つてゐた。その老婆が亭主を食つたと云ふので雌の鎌切りに必死に腹を立ててゐるのである。
    暫くすると、老婆が箒を持つたまま私の傍へ來た。
    「旦那さま、殺してやりましたわ。」
    「食つて了つたか?」
    「食つて了ひましたよ。すつかり食ひました。」
    「さうか。」
    「憎ツくい奴でございますな。あんな奴は、ひどい目に合はしてやりませんと腹が立ちますよ。」
    「食はれてゐる奴は喜んでゐたんだぜ。」
    「冗談を云ひなさんな。」
    「女に食はれたら誰だつて喜ぶさ。」
    「へへへへへへ。」と老婆は笑ひ出した。
    彼女は私の言葉を下品な意味にとつたと見えた。
    彼女は直ぐまた妻のゐる方へ引き返して行くと、
    「奥さん、あの旦那さまは油斷なりませんよ。なかなか、どうしてあなた。」
    そんなことを云つてゐる老婆の聲が耳に這入つた。
    私はそのまま裾を捲つて露の溜つてゐるきらきらした雜草の穗の中へ降りて行つた。
    微風が朝の香りを籠めて草の上を渡つて來た。草玉が青い實を靜に搖つた。數列の葱が露に輝きながら劍のやうに垂直に立つてゐた。
    「おーい。」
    「はーい。」と妻の低い聲がした。
    「無花果、入らないか。」
    「はーい。」
    遠くの草の中で、幼い子供が母の云ふことをよくきいてゐる清らかな姿が見えた。

  • 江戸川乱歩「お勢登場」海渡みなみ朗読

    50.63
    May 06, 2018

    肺病やみの格太郎かくたろうは、今日も又細君さいくんにおいてけぼりを食って、ぼんやりと留守を守っていなければならなかった。最初の程は、如何いかなお人しの彼も、激憤を感じ、それをたねに離別を目論もくろんだことさえあったのだけれど、やまいという弱味が段々彼をあきらめっぽくしてしまった。先の短い自分の事、可愛い子供のことなど考えると、乱暴な真似まねはできなかった。その点では、第三者であるけ、弟の格二郎かくじろうなどの方がテキパキしたかんがえを持っていた。彼は兄の弱気を歯痒はがゆがって、時々意見めいた口をくこともあった。
    「なぜ兄さんは左様そうなんだろう。僕だったらとっくに離縁にしてるんだがな。あんな人にあわれみをかける所があるんだろうか」
    だが、格太郎にとっては、単に憐みという様なことばかりではなかった。成程なるほど、今おせいを離別すれば、もんなしの書生っぽに相違ない彼女の相手と共に、たちまち其日そのひにも困る身の上になることは知れていたけれど、その憐みもさることながら、彼にはもっとほかの理由があったのだ。子供の行末も無論案じられたし、それに、恥しくて弟などには打開うちあけられもしないけれど、彼には、そんなにされても、まだおせいをあきらめかねる所があった。それゆえ、彼女が彼から離れ切って了うのを恐れて、彼女の不倫を責めることさえ遠慮している程なのであった。
    おせいの方では、この格太郎の心持を、知り過ぎる程知っていた。大げさに云えば、そこには暗黙の妥協に似たものが成り立っていた。彼女は隠し男との遊戯の暇には、その余力をもって格太郎を愛撫することを忘れないのだった。格太郎にして見れば、この彼女のわずかばかりのおなさけに、不甲斐ふがいなくも満足している外はない心持だった。
    「でも、子供のことを考えるとね。そう一概いちがいなことも出来ないよ。この先一年もつか二年もつか知れないが、おれの寿命はきまっているのだし、そこへ持って来て母親までなくしては、あんまり子供が可哀相かわいそうだからね。まあもうちっと我慢して見るつもりだ。なあに、その内にはおせいだって、きっと考え直す時が来るだろうよ」
    格太郎はそう答えて、一層弟を歯痒がらせるのを常とした。
    だが、格太郎の仏心に引かえて、おせいは考え直すどころか、一日一日と、不倫の恋におぼれて行った。それには、窮迫して、長病ながわずらいで寝た切りの、彼女の父親がだしに使われた。彼女は父親を見舞いに行くのだと称しては、三日にあげずうちそとにした。果して彼女が里へ帰っているかどうかをしらべるのは、無論わけのないことだったけれど、格太郎はそれすらしなかった。妙な心持である。彼は自分自身に対してさえ、おせいをかばう様な態度を取った。
    今日もおせいは、朝から念入りの身じまいをして、いそいそと出掛けて行った。
    「里へ帰るのに、お化粧はいらないじゃないか」
    そんないやみが、口まで出かかるのを、格太郎はじっとこらえていた。此頃このごろでは、そうしていことも云わないでいる、自分自身のいじらしさに、一種の快感をさえ覚える様になっていた。
    細君が出て行って了うと、彼は所在なさに趣味を持ち出した盆栽ぼんさいいじりを始めるのだった。跣足はだしで庭へ下りて、土にまみれていると、それでもいくらか心持が楽になった。又一つには、そうして趣味に夢中になっているさまを装うことが、他人に対しても自分に対しても、必要なのであった。
    おひる時分になると、女中が御飯を知らせに来た。
    「あのおひるの用意が出来ましたのですが、もうちっとのちになさいますか」
    女中さえ、遠慮勝ちにいたいたしそうな目で自分を見るのが、格太郎はつらかった。
    「ああ、もうそんな時分かい。じゃおひるとしようか。坊やを呼んで来るといい」
    彼は虚勢きょせいを張って、快活らしく答えるのであった。此頃このごろでは、何につけても虚勢が彼の習慣になっていた。
    そういう日に限って、女中達の心づくしか、食膳しょくぜんにはいつもより御馳走ごちそうが並ぶのであった。でも格太郎はこの一月ばかりというもの、おいしい御飯をたべたことがなかった。子供の正一しょういちも家の冷い空気に当ると、外の餓鬼大将がきだいしょうにわかにしおしおして了うのだった。
    「ママどこへ行ったの」
    彼はある答えを予期しながら、でも聞いて見ないでは安心しないのである。
    「おじいちゃまの所へいらっしゃいましたの」
    女中が答えると、彼は七歳の子供に似合わぬ冷笑の様なものを浮べて、「フン」と云ったきり、御飯をかき込むのであった。子供ながら、それ以上質問を続けることは、父親に遠慮するらしく見えた。それと彼には又彼丈けの虚勢があるのだ。
    「パパ、お友達を呼んで来てもいい」
    御飯がすんで了うと、正一は甘える様に父親の顔をのぞき込んだ。格太郎は、それがいたいけな子供の精一杯の追従ついしょうの様な気がして、涙ぐましいいじらしさと、同時に自分自身に対する不快とを感じないではいられなかった。でも、彼の口をついて出た返事は、いつもの虚勢以外のものではないのだった。
    「アア、呼んで来てもいいがね。おとなしく遊ぶんだよ」
    父親の許しを受けると、これも又子供の虚勢かも知れないのだが、正一は「うれしい嬉しい」と叫びながら、さも快活に表の方へ飛び出して行って、間もなく三四人の遊び仲間を引っぱって来た。そして、格太郎がお膳の前で楊枝ようじを使っているところへ、子供部屋の方から、もうドタンバタンという物音が聞え始めた。

  • 樋口一葉「この子」海渡みなみ朗読

    26.93
    Oct 28, 2017

     くちしてわたし我子わがこ可愛かあいいといふことまをしたら、さぞ皆樣みなさま大笑おほわらひをあそばしましやう、それは何方どなただからとて我子わがこにくいはありませぬもの、とりたてゝなに自分じぶんばかり美事みごとたからつてるやうにほこがほまをすことの可笑をかしいをおわらひにりましやう、だからわたしくちして其樣そん仰山ぎやうさんらしいことひませぬけれど、こゝろのうちではほんに/\可愛かあいいのにくいのではありませぬ、あはせてをがまぬばかりかたじけないとおもふてりまする。
    わたし此子このこはゞわたしためまもがみで、此樣こん可愛かあい笑顏ゑがほをして、無心むしんあそびをしてますけれど、此無心このむしん笑顏ゑがほわたしをしへてれましたこと大層たいそうなは、のこりなくくちにはくされませぬ、學校がくかうみました書物しよもつ教師けうしからかしてれました樣々さま/″\ことは、それはたしかにわたしためにもなり、ことあるごとおもしてはあゝでつた、うでつたと一々いち/\かへりみられまするけれど、此子このこ笑顏ゑがほのやうに直接ぢかに、眼前まのあたり、かけあしとゞめたり、くるこゝろしづめたはありませぬ、此子このこなん小豆枕あづきまくらをして、兩手りやうてかたのそばへ投出なげだして寢入ねいつてとき其顏そのかほといふものは、大學者だいがくしやさまがつむりうへから大聲おほごゑ異見いけんをしてくださるとはちがふて、しんからそこからすほどのなみだがこぼれて、いかに強情がうじやうまんのわたしでも、子供こどもなんぞちつとも可愛かあいくはありませんと威張ゐばつたことはれませんかつた。

  • 朗読カフェライブ朗読会

    9回目朗読カフェ ライブ朗読会のお知らせ

    9回ライブ朗読会

    朗読カフェライブ朗読会出演メンバー

  • 田山花袋「少女病」海渡みなみ朗読

    50.88
    Oct 08, 2017

  • 林芙美子「あひびき」海渡みなみ朗読

    38.55 Jul 12, 2017

    火の氣がないので、私は鷄介と二人で寢床にはいつてゐた。朝から喋つてゐたので、寢床へはいると喋ることもなく、私は、あをむけになつて、眼の上に兩手をそろへて眺めてゐた。鷄介も兩の手を出した。私は鷄介の大きい掌に自分の手を合はせてみた。「冷い?」鷄介は默つて私の手を大きい掌で包みこむやうに握つた。朝から雨が降つてゐるので、私は落ちついてしまつた。何もする氣がしなかつた。草におく露のやうに、きらきらと光つてゐる男の心が無性に私の心をはずませた。二人はお互ひの指と指をからませあつて、のびのびと體をのばして天井を見てゐた。硝子窓に、横なぐりの雨が吹きつけてゐる。樋をつたふ雨のこぼつ、こぼつと、石穴にでも溢れてゐるやうな音がして、空は黄灰色に薄昏く、水氣がこもつてゐた。晴れた日は、窓の向うに富士山が見えると女中が云つてゐたけれども、昨夜、この宿へ着くなり雨で、富士山は見えなかつた。――戰爭の頃は、此宿は寮にでもなつてゐたらしく、荒れ放題に荒れた部屋の中で、疊も汚れ、蒲團も重い。二人出鱈目に甲府まで來てしまつた。そして、出鱈目に湯の宿を探して泊つた旅館だけれども、結局は二人にとつては、そんな、むさくるしい部屋も氣にはかゝらなかつた。――私は鷄介の子供を宿してゐた。私は珊瑚色の寢卷きを着てゐた。身幅を廣く縫つた寢卷きを着てゐるので、みごもつてゐる女のみにくさは案外めだたないでゐる。鷄介は思ひ出したやうに、時々、私のおなかに耳をあてて、胎内の子の息を聽いた。鷄介にはおくさんがあつた。私にも良人があつた。そして、戰爭は濟んでゐるのに、私たちの重たい環境は、この戰爭とは何のかゝはりもなく崩れてはゐなかつた。ただ何ヶ月か先には、私は、子供を産む支度をしなければならない。