海渡みなみ

  • 海渡みなみ朗読「一房の葡萄」有島武郎

    一房の葡萄

    有島武郎

    僕は小さい時に絵をくことが好きでした。僕のかよっていた学校は横浜よこはまやまという所にありましたが、そこいらは西洋人ばかり住んでいる町で、僕の学校も教師は西洋人ばかりでした。そしてその学校の行きかえりにはいつでもホテルや西洋人の会社などがならんでいる海岸の通りを通るのでした。通りの海添いに立って見ると、真青まっさおな海の上に軍艦だの商船だのが一ぱいならんでいて、煙突から煙の出ているのや、ほばしらから檣へ万国旗をかけわたしたのやがあって、眼がいたいように綺麗きれいでした。僕はよく岸に立ってその景色けしきを見渡して、いえに帰ると、覚えているだけを出来るだけ美しく絵にいて見ようとしました。けれどもあの透きとおるような海の藍色あいいろと、白い帆前船などの水際みずぎわ近くに塗ってある洋紅色ようこうしょくとは、僕の持っている絵具えのぐではどうしてもうまく出せませんでした。いくら描いても描いても本当の景色で見るような色には描けませんでした。
    ふと僕は学校の友達の持っている西洋絵具を思い出しました。その友達は矢張やはり西洋人で、しかも僕より二つ位齢としが上でしたから、身長せいは見上げるように大きい子でした。ジムというその子の持っている絵具は舶来の上等のもので、軽い木の箱の中に、十二いろの絵具が小さな墨のように四角な形にかためられて、二列にならんでいました。どの色も美しかったが、とりわけて藍と洋紅とは喫驚びっくりするほど美しいものでした。ジムは僕より身長せいが高いくせに、絵はずっと下手へたでした。それでもその絵具をぬると、下手な絵さえがなんだか見ちがえるように美しく見えるのです。僕はいつでもそれをうらやましいと思っていました。あんな絵具さえあれば僕だって海の景色を本当に海に見えるようにいて見せるのになあと、自分の悪い絵具を恨みながら考えました。そうしたら、その日からジムの絵具がほしくってほしくってたまらなくなりました。けれども僕はなんだか臆病おくびょうになってパパにもママにも買って下さいと願う気になれないので、毎日々々その絵具のことを心の中で思いつづけるばかりで幾日か日がたちました。
    今ではいつのころだったか覚えてはいませんが秋だったのでしょう。葡萄ぶどうの実が熟していたのですから。天気は冬が来る前の秋によくあるように空の奥の奥まで見すかされそうにれわたった日でした。僕達は先生と一緒に弁当をたべましたが、その楽しみな弁当の最中でも僕の心はなんだか落着かないで、その日の空とはうらはらに暗かったのです。僕は自分一人で考えこんでいました。たれかが気がついて見たら、顔も屹度きっと青かったかも知れません。僕はジムの絵具がほしくってほしくってたまらなくなってしまったのです。胸が痛むほどほしくなってしまったのです。ジムは僕の胸の中で考えていることを知っているにちがいないと思って、そっとその顔を見ると、ジムはなんにも知らないように、面白そうに笑ったりして、わきにすわっている生徒とはなしをしているのです。でもその笑っているのが僕のことを知っていて笑っているようにも思えるし、何か話をしているのが、「いまに見ろ、あの日本人が僕の絵具を取るにちがいないから。」といっているようにも思えるのです。僕はいやな気持ちになりました。けれどもジムが僕を疑っているように見えれば見えるほど、僕はその絵具がほしくてならなくなるのです。

  • 海渡みなみ朗読「星あかり」泉鏡花

    星あかり

    泉鏡花

    もとより何故なにゆゑといふわけはないので、墓石はかいしたふれたのを引摺ひきずりせて、ふたツばかりかさねてだいにした。
    うへつて、雨戸あまど引合ひきあはせのうへはうを、ガタ/\うごかしてたが、きさうにもない。雨戸あまどうちは、相州さうしう西鎌倉にしかまくら亂橋みだればし妙長寺めうちやうじといふ、法華宗ほつけしうてらの、本堂ほんだうとなつた八でふの、よこなが置床おきどこいた座敷ざしきで、むかつて左手ゆんでに、葛籠つゞら革鞄かばんなどをいたきはに、山科やましなといふ醫學生いがくせいが、四六しろく借蚊帳かりかやつてるのである。
    こゑけて、たゝいて、けておくれとへば、なん造作ざうさはないのだけれども、せ、とめるのをかないで、墓原はかはら夜中よなか徘徊はいくわいするのは好心持いゝこゝろもちのものだと、ふた言爭いひあらそつてた、いまのさき、うち心張棒しんばりぼうかまへたのは、自分じぶん閉出しめだしたのだとおもふから、我慢がまんにもたのむまい。……
    つめた石塔せきたふせたり、濕臭しめりくさ塔婆たふばつかんだり、花筒はなづつ腐水くされみづほしうつるのをのぞいたり、漫歩そゞろあるきをしてたが、やぶちかく、ひどいから、座敷ざしき蚊帳かやなつかしくなつて、うちはひらうとおもつたので、けようとすると閉出しめだされたことにがついた。
    それから墓石はかいしつてしてたが、もとよりうすればくであらうといふのぞみがあつたのではなく、たゞるよりもと、いたづらにこゝろみたばかりなのであつた。
    なんにもならないで、ばたりとちからなく墓石はかいしからりて、うでこまぬき、差俯向さしうつむいて、ぢつとしてつてると、しつきりなしにたかる。毒蟲どくむしくるしいから、もつと樹立こだちすくない、廣々ひろ/″\とした、うるさくないところをと、てら境内けいだいがついたから、あるして、卵塔場らんたふば開戸ひらきどからて、本堂ほんだうまへつた。
    までおほきくもないてらで、和尚をしやうばあさんと二人ふたりむ。もんまでわづか三四けん左手ゆんでほこらまへ一坪ひとつぼばかり花壇くわだんにして、松葉牡丹まつばぼたん鬼百合おにゆり夏菊なつぎくなど雜植まぜうゑしげつたなかに、向日葵ひまはりはなたかはすごと押被おつかぶさつて、何時いつにかほしかくれた。鼠色ねずみいろそらはどんよりとして、ながるゝくもなんにもない。なか/\晴々せい/\しないから、一層いつそ海端うみばたつてようとおもつて、さて、ぶら/\。
    もん左側ひだりがはに、井戸ゐど一個ひとつ飮水のみみづではないので、きはめてしほからいが、そこあさい、かゞんでざぶ/″\、さるぼうでらるゝ。石疊いしだたみ穿下ほりおろした合目あはせめには、のあたりにさんするなんとかいふかに甲良かふら黄色きいろで、あしあかい、ちひさなのが數限かずかぎりなくむらがつてうごいてる。毎朝まいあさみづかほあらふ、一ぱいあたまからびようとしたけれども、あんなかには、夜中よなかなにをするかわからぬとおもつてやめた。
    もんると、右左みぎひだり二畝ふたうねばかりなぐさみにゑた青田あをたがあつて、むか正面しやうめん畦中あぜなかに、琴彈松ことひきまつといふのがある。一昨日をとつひばんよひくちに、まつのうらおもてに、ちら/\ともしびえたのを、海濱かいひん別莊べつさう花火はなびくのだといひ、いや狐火きつねびだともいつた。ときれたやうな眞黒まつくろ暗夜やみよだつたから、まつもすら/\と透通すきとほるやうにあをえたが、いまは、あたかくもつた一面いちめん銀泥ぎんでいゑがいた墨繪すみゑのやうだと、ぢつながら、敷石しきいしんだが、カラリ/\と日和下駄ひよりげたおとえるのがみゝはひつて、フと立留たちとまつた。
    門外おもてみちは、弓形ゆみなり一條ひとすぢ、ほの/″\としろく、比企ひきやつやまから由井ゆゐはま磯際いそぎはまで、なゝめかさゝぎはしわたしたやうなり

  • 海渡みなみ朗読、「或る女」林芙美子

    或る女

    林芙美子

    何時ものやうに歸つて來ると、跫音をしのばせて梯子段へ足さぐりで行つたが、梯子段の下の暗がりで、良人の堂助が矢庭に懷中電燈をとぼした。たか子はぎくつとして小さい叫び聲を擧げた。
    「何さ‥‥まだ、あなた、起きていらつしたの?」
    「寢てればよかつたのかい?」
    「厭アな方ねえ、一寸遲くなるとこれなンですもの‥‥あなたのお時計、いま幾時なンですの?」
    さう云つて、たか子は暗がりの中へつつ立つてゐる堂助の方へ手を泳がせて良人の腕時計のある手首をつかんだ。
    「パパ一寸それ照らして頂戴」
    堂助は素直に懷中電燈をつけた。腕時計の針は丁度十二時に十五分前を差してゐる。
    「あら、本當ねえ、隨分遲いわ‥‥ごめんなさい」
    「‥‥‥‥」
    「でも、吃驚したわ、パパそこへ立つていらつして‥‥」
    「俺が立つてゐたからつて、そんなに驚くこたアないぢやないか‥‥」
    「誰だとおもつたからよ‥‥」
    「ふふん、佐々のおばけとでもおもつたかい?」
    「まア、厭だ! それ皮肉でおつしやるの?」
    「皮肉ぢやないよ‥‥」
    堂助は、ふふんと口のなかで笑つて、懷中電燈を照しながら、さつさと二階へあがつて行つた。(何だつて、あのひとは懷中電燈など持ち出したンだらう‥‥)
    たか子はわざと荒々しく、廊下のスヰイツチをひねつた。四圍が森閑としてゐるので、堂助が書齋の革椅子をきしませて腰をかけてゐるのまで階下へきこえて來る。
    たか子は化粧部屋へ這入つて着物をぬいだ。着物をぬぎながら、たか子は瞼に涙のたまるやうな熱いものを感じた。
    寢卷きに着替へて二階の寢室へあがつて行つたが、堂助は書齋の灯をつけて何時までも起きてゐる樣子だつた。
    「パパ、おやすみにならないの?」
    「ああ」
    「何故? 何を怒つてらつしやるの?」
    たか子は寢床から起きあがると、良人の部屋へはいつて行つた。堂助は窓を明けて、星空を眺めながら煙草を吸つてゐた。
    「あら、綺麗なお星樣だこと‥‥」
    たか子は、太つた躯を堂助の膝の處へ持つて行つたが、堂助は小さい聲で、
    「厭だ」と云つて、窓ぶちへ立つて行つた。
    「何、そんな怖い顏して憤つてらつしやるの、だつて、今日は遠藤さんの出版記念の會ぢやありませんか、遲くなるの仕方ないわ」
    何時までも堂助が默つてゐるので、たか子は、たよりなささうに良人のそばへ行き、
    「怒つてるンだつたら、かんにんして頂戴、そんな怖い顏してるの厭よ‥‥」
    「もういいよ。寢ておしまひ。怒つてなンかゐないよ‥‥」
    「さう、でも‥‥」
    たか子は、良人の机の灯を消すと、久しぶりに堂助とむきあつて窓ぶちに腰をおろした。
    星が飛んでゐる。明日も天氣なのだらう、寺院の天井のやうに、高い星空で、秋の夜風が、たか子の髮を頬にふきよせてゐる。

  • 海渡みなみ朗読、「利休と遠州」薄田泣菫

    利休と遠州

    薄田泣菫

    むかし、堺衆の一人に某といふ数寄者がありました。その頃の流行にかぶれて、大枚の金子を払つて出入りの道具屋から、雲山といふ肩衝かたつきの茶入を手に入れました。太閤様御秘蔵の北野肩衝も、徳川家御自慢の初花肩衝も、よもやこれに見勝るやうなことはあるまいと思ふにつけて、某はその頃の名高い茶博士から、何とか折紙つきの歎賞の言葉を得て、雲山の誉れとしたいものだと思つてゐました。
    機会は来ました。ある日のこと、某は当時の大宗匠千利休を招いて、茶会を催すこととなりました。
    かねて主人の口から、この茶入について幾度ならず吹聴せられてゐた利休は、主人の手から若狭盆に載せられたこの茶入を受け取つてぢつと見入りました。名だたる宗匠の口から歎美の一言を待ち設けた主人の眼は、火のやうに燃えながら、利休の眼を追つて幾度か茶入の肩から置形おきがたの上を走りました。
    あらゆる物の形をとほしてその心を見、その心の上に物の調和を味はふことに馴れてゐる利休の眼は、最初にちらとこの肩衝を見た時から、この茶入の持つ心持がどうも気に入らなかつた。しかしできるだけその物の持つてゐる美しい点を見逃すまいとする利休の平素ふだんからの心掛けは、隠れた美しさを求めて、幾度か掌面てのひらの茶入を見直さしました。肩の張りやうにも難がありました。置形にも批の打ちどころがありました。一口に言へば衒気げんきに満ちた作品でした。
    利休は何にも言はないで、静かにその肩衝を若狭盆の上に返さうとしました。その折でした。利休が自分に注がれた主人の鋭い眼付きを発見しましたのは。その眼には驕慢けうまんと押しつけがましさとが光つてゐました。利休はその一刹那に、主人の表情に茶入の心持を見てとりました。茶入の表情に主人の心持を味はひました。
    主人は得意さうに利休の一言を待ち構へてゐました。利休は何にも言ひませんでした。狭い茶室はこの沈黙に息づまるやうに感ぜられました。
    湯はしづかに煮えたぎつてゐました。主人の顔からはいつのまにか押しつけがましさが消えて、物を頼むときのやうな弱々しい表情が見え出しました。利休は眼ざとくそれを見て取りましたが、何事にも気のつかない振りをしてゐました。いつだつたか、利休は前田玄以げんいの茶会で、主人の玄以が胴高どうたかの茶入を持ち出してきて、
    「この肩衝が……」
    と、茶入の胴高なのに気がつかないで、しきりと肩衝を繰り返して、利休の意見を聞きたがつてゐるのに出会つたことがありました。利休はいまさらそれを胴高だと教へもならず、をかしさをこらへてただ黙つてゐると、それがひどく玄以の機嫌を損じたかして、その後はうばうで自分のことを悪様あしざまに言ひふらし、果ては太閤殿下にまで讒訴ざんそを試みてゐるといふことを聞いてゐるので、こんな場合の沈黙が、どうかすると自分の一身にとんでもない災難をもたらさないものでもないことをよく知つてゐました。しかし自分はこの道の宗匠である。自分の一挙手一投足は長くこの道の規範として残り、自分の一言は器の真の価値を定める最後の判断であるのを思ふと、滅多なことは口に出せませんでした。利休はただ黙つてゐました。

  • 朗読カフェSTUDIO海渡みなみ朗読、新美南吉「おじ いさんのランプ」

    かくれんぼで、倉のすみにもぐりこんだ東一とういち君がランプを持って出て来た。
    それは珍らしい形のランプであった。八十センチぐらいの太い竹のつつが台になっていて、その上にちょっぴり火のともる部分がくっついている、そしてほやは、細いガラスの筒であった。はじめて見るものにはランプとは思えないほどだった。
    そこでみんなは、昔の鉄砲とまちがえてしまった。
    「何だア、鉄砲かア」と鬼の宗八そうはち君はいった。
    東一君のおじいさんも、しばらくそれが何だかわからなかった。眼鏡めがねしにじっと見ていてから、はじめてわかったのである。
    ランプであることがわかると、東一君のおじいさんはこういって子供たちをしかりはじめた。
    「こらこら、お前たちは何を持出すか。まことに子供というものは、黙って遊ばせておけば何を持出すやらわけのわからん、油断もすきもない、ぬすっとねこのようなものだ。こらこら、それはここへ持って来て、お前たちは外へ行って遊んで来い。外に行けば、電信柱でんしんばしらでも何でも遊ぶものはいくらでもあるに」
    こうして叱られると子供ははじめて、自分がよくない行いをしたことがわかるのである。そこで、ランプを持出した東一君はもちろんのこと、何も持出さなかった近所の子供たちも、自分たちみんなで悪いことをしたような顔をして、すごすごと外の道へ出ていった。
    外には、春の昼の風が、ときおり道のほこりを吹立ててすぎ、のろのろと牛車が通ったあとを、白いちょうがいそがしそうに通ってゆくこともあった。なるほど電信柱があっちこっちに立っている。しかし子供たちは電信柱なんかで遊びはしなかった。大人おとなが、こうして遊べといったことを、いわれたままに遊ぶというのは何となくばかげているように子供には思えるのである。
    そこで子供たちは、ポケットの中のラムネ玉をカチカチいわせながら、広場の方へとんでいった。そしてまもなく自分たちの遊びで、さっきのランプのことは忘れてしまった。
    日ぐれに東一君は家へ帰って来た。奥の居間いまのすみに、あのランプがおいてあった。しかし、ランプのことを何かいうと、またおじいさんにがみがみいわれるかも知れないので、黙っていた。
    夕御飯のあとの退屈な時間が来た。東一君はたんすにもたれて、ひき出しのかんをカタンカタンといわせていたり、店に出てひげをやした農学校の先生が『大根だいこん栽培の理論と実際』というような、むつかしい名前の本を番頭に注文するところを、じっと見ていたりした。
    そういうことにも飽くと、また奥の居間にもどって来て、おじいさんがいないのを見すまして、ランプのそばへにじりより、そのほやをはずしてみたり、五銭白銅貨はくどうかほどのねじをまわして、ランプのしんを出したりひっこめたりしていた。
    すこしいっしょうけんめいになっていじくっていると、またおじいさんにみつかってしまった。けれどこんどはおじいさんは叱らなかった。ねえやにお茶をいいつけておいて、すっぽんと煙管筒きせるづつをぬきながら、こういった。
    「東坊、このランプはな、おじいさんにはとてもなつかしいものだ。長いあいだ忘れておったが、きょう東坊が倉の隅から持出して来たので、また昔のことを思い出したよ。こうおじいさんみたいに年をとると、ランプでも何でも昔のものに出合うのがとてもうれしいもんだ」
    東一君はぽかんとしておじいさんの顔を見ていた。おじいさんはがみがみと叱りつけたから、おこっていたのかと思ったら、昔のランプにうことができて喜んでいたのである。
    「ひとつ昔の話をしてやるから、ここへ来てすわれ」
    とおじいさんがいった。
    東一君は話が好きだから、いわれるままにおじいさんの前へいって坐ったが、何だかお説教をされるときのようで、いごこちがよくないので、いつもうちで話をきくときにとる姿勢をとって聞くことにした。つまり、寝そべって両足をうしろへ立てて、ときどき足の裏をうちあわせる芸当げいとうをしたのである。
    おじいさんの話というのは次のようであった。
    青空文庫より

  • 海渡みなみ朗読、菊池寛「極楽」


    極楽
    菊池寛
     京師室町姉小路下る染物悉皆商近江屋宗兵衛の老母おかんは、文化二年二月二十三日六十六歳を一期として、卒中の気味で突然物故した。穏やかな安らかな往生であった。配偶の先代宗兵衛に死別れてから、おかんは一日も早く、往生の本懐を遂ぐる日を待って居たと云ってもよかった。先祖代々からの堅い門徒で、往生の一義に於ては、若い時からしっかりとした安心を懐いて居た。殊に配偶に別れてからは、日も夜も足りないようにお西様へお参りをして居たから、その点では家内の人達に遉さすがはと感嘆させたほど、立派な大往生であった。
     信仰に凝り固まった老人としよりの常として、よく嫁いじめなどをして、若い人達から、早く死ねよがしに扱われるものだが、おかんはその点でも、立派であった。一家の者は、此の人のよい、思いやりの深い親切な、それで居て快活な老婦人が、半年でも一年でも、生き延びて呉れるようにと、祈らないものはなかった。従って、おかんが死際に、耳にした一家の人々の愁嘆の声に、微塵虚偽や作為の分子は、交って居ない訳だった。
     おかんは、浄土に対する確かな希望を懐いて、一家の心からの嘆きの裡に、安らかな往生を遂げたのである。万人の免れない臨終の苦悶をさえ、彼女は十分味わずに済んだ。死に方としては此の上の死に方はなかった。死んで行くおかん自身でさえ、段々消えて行く、狭霧のような取とめもない意識の中で、自分の往生の安らかさを、それとなく感じた位である。
     宗兵衛の長女の今年十一になるお俊の――おかんは、彼女に取っては初孫ういまごであったお俊を、どんなに心から愛して居たか分らなかった――絶え間もない欷すゝり泣の声が、初はじめは死にかけて居るおかんの胸をも、物悲しく掻き擾さずには居なかった。が、おかんの意識が段々薄れて来るに従って、最愛の孫女の泣き声も、少しの実感も引き起さないで、霊を永い眠にさそう韻律的な子守歌か何かのようにしか聞えなくなってしまって居た。枕許の雑音が、だん/\遠のくと同時に、それが快い微妙な、小鳥の囀か何かのように、意味もない音声に変ってしまって居た。その中うちに、鉦の音が何時とはなく聞えて来た。その鉦の音が、彼女の生涯に聞いた如何なる場合の鉦の音と比べても、一段秀れた微妙なひびきを持って居た。御門跡様が御自身叩かれた鉦の音でも、彼女をこうまで有難く快くはしなかった。その鉦の音が後あとの一音は、前の一音よりも少しずつ低くなって行った。感じられないほどの、わずかな差で段々衰えて行った。それが段々衰えて行って、いつしか消えてなくなってしまったと同時に、おかんの現世に対する意識は、烟のように消失してしまって居た
    青空文庫


  • 青空文庫名作文学の朗読
    朗読カフェSTUDIO
    海渡みなみ朗読、
    芥川龍之介「たね子の憂鬱」
    たね子の憂鬱
    芥川龍之介
    たね子はおっとの先輩に当るある実業家の令嬢の結婚披露式ひろうしきの通知を貰った時、ちょうど勤め先へ出かかった夫にこう熱心に話しかけた。
    「あたしも出なければ悪いでしょうか?」
    「それは悪いさ。」
    夫はタイを結びながら、鏡の中のたね子に返事をした。もっともそれは箪笥たんすの上に立てた鏡に映っていた関係上、たね子よりもむしろたね子のまゆに返事をした――のに近いものだった。
    「だって帝国ホテルでやるんでしょう?」
    「帝国ホテル――か?」
    「あら、御存知ごぞんじなかったの?」
    「うん、……おい、チョッキ!」
    たね子は急いでチョッキをとり上げ、もう一度この披露式の話をし出した。
    「帝国ホテルじゃ洋食でしょう?」
    「当り前なことを言っている。」
    「それだからあたしは困ってしまう。」
    「なぜ?」
    「なぜって……あたしは洋食の食べかたを一度も教わったことはないんですもの。」
    「誰でも教わったり何かするものか!……」
    夫は上着うわぎをひっかけるが早いか、無造作むぞうさに春の中折帽なかおれぼうをかぶった。それからちょっと箪笥たんすの上の披露式の通知に目を通し「何だ、四月の十六日じゅうろくんちじゃないか?」と言った。
    「そりゃ十六日だって十七日じゅうしちんちだって……」
    「だからさ、まだ三日みっかもある。そのうちに稽古けいこをしろと言うんだ。」
    「じゃあなた、あしたの日曜にでもきっとどこかへつれて行って下さる!」
    しかし夫はなんとも言わずにさっさと会社へ出て行ってしまった。たね子は夫を見送りながら、ちょっと憂鬱ゆううつにならずにはいられなかった。それは彼女の体の具合ぐあいも手伝っていたことは確かだった。子供のない彼女はひとりになると、長火鉢の前の新聞をとり上げ、何かそう云う記事はないかと一々欄外へも目を通した。が、「今日きょう献立こんだて」はあっても、洋食の食べかたなどと云うものはなかった。洋食の食べかたなどと云うものは?――彼女はふと女学校の教科書にそんなことも書いてあったように感じ、早速用箪笥ようだんす抽斗ひきだしから古い家政読本かせいどくほんを二冊出した。それ等の本はいつのにか手ずれのあとさえすすけていた。のみならずまた争われない過去のにおいを放っていた。たね子は細い膝の上にそれ等の本を開いたまま、どう云う小説を読む時よりも一生懸命に目次を辿たどって行った。
    青空文庫より


  • 朗読カフェSTUDIO 青空文庫名作文学の朗読 
    海渡みなみ朗読、林芙美子「美しい犬」

    美しい犬
    林芙美子
    遠いところから北風が吹きつけている。ひどい吹雪だ。湖はもうすっかり薄氷をはって、誰も舟に乘っているものがない。
    ペットは湖畔に出て、さっきからほえたてていた。ペットはモオリスさんの捨犬で、いつも、モオリスさんの別莊のポーチで暮らしている。野尻湖畔のモオリスさんの別莊へ來た時は、ペットはまだ色つやのいい、たくましいからだつきをしていた。
    モオリスさんは、戰爭最中に、アメリカへ一家族でかえってしまった。ペットは柏原の荒物屋にお金をつけてもらわれて來たのだけれども一週間もすると、つながれた鎖をもぎはなして、ペットは野尻へ逃げていってしまった。それからは、モオリスさんのおとなりにいた白系露人のガブラシさんに、かわいがられて暮らしていたのだけれど終戰と同時に、ガブラシさんも一家族で横濱へいってしまった。
    ペットはガブラシさんにも別れて、食べものもなく、すっかり、昔の美しい毛なみをうしなって、よろよろと野尻の湖畔を野良犬になって暮らしていた。
    青空文庫より


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    海渡みなみ朗読、

    芥川龍之介「雛」全編

    芥川龍之介

    箱を出る顔忘れめやひなつゐ  蕪村

    これは或老女の話である。

    ……横浜の或亜米利加アメリカ人へひなを売る約束の出来たのは十一月頃のことでございます。紀の国屋と申したわたしの家は親代々諸大名のお金御用を勤めて居りましたし、こと紫竹しちくとか申した祖父は大通だいつうの一人にもなつて居りましたから、雛もわたしのではございますが、中々見事に出来て居りました。まあ、申さば、内裏雛だいりびな女雛めびなの冠の瓔珞やうらくにも珊瑚さんごがはひつて居りますとか、男雛をびな塩瀬しほぜ石帯せきたいにも定紋ぢやうもんと替へ紋とが互違ひにひになつて居りますとか、さう云ふ雛だつたのでございます。
    それさへ売らうと申すのでございますから、わたしの父、十二代目の紀の国屋伊兵衛はどの位手もとが苦しかつたか、大抵御推量にもなれるでございませう。何しろ徳川家とくせんけ御瓦解ごぐわかい以来、御用金を下げて下すつたのは加州様ばかりでございます。それも三千両の御用金の中、百両しか下げては下さいません。因州様などになりますと、四百両ばかりの御用金のかたに赤間あかまが石のすずりを一つ下すつただけでございました。その上火事には二三度も遇ひますし、蝙蝠傘屋かうもりがさやなどをやりましたのも皆手違ひになりますし、当時はもう目ぼしい道具もあらかた一家の口すごしに売り払つてゐたのでございます。
    其処そこへ雛でも売つたらと父へ勧めてくれましたのは丸佐と云ふ骨董屋こつとうやの、……もう故人になりましたが、禿あたまの主人でございます。この丸佐の禿げ頭位、可笑をかしかつたものはございません。と申すのは頭のまん中に丁度按摩膏あんまかうを貼つた位、入れ墨がしてあるのでございます。これは何でも若い時分、ちよいと禿げを隠す為に彫らせたのださうでございますが、生憎あいにくその後頭の方は遠慮なしに禿げてしまひましたから、この脳天の入れ墨だけ取り残されることになつたのだとか、当人自身申して居りました。……さう云ふことは兎も角も、父はまだ十五のわたしを可哀さうに思つたのでございませう、度々丸佐に勧められても、雛を手放すことだけはためらつてゐたやうでございます。
    それをとうとう売らせたのは英吉と申すわたしの兄、……やはり故人になりましたが、その頃まだ十八だつた、かんの強い兄でございます。兄は開化人とでも申しませうか、英語の読本とくほんを離したことのない政治好きの青年でございました。これが雛の話になると、雛祭などは旧弊だとか、あんな実用にならない物は取つて置いても仕方がないとか、いろいろけなすのでございます。その為に兄は昔風の母とも何度口論をしたかわかりません。しかし雛を手放しさへすれば、この大歳おほとししのぎだけはつけられるのに違ひございませんから、母も苦しい父の手前、さうは強いことばかりも申されなかつたのでございませう。雛は前にも申しました通り、十一月の中旬にはとうとう横浜の亜米利加アメリカ人へ売り渡すことになつてしまひました。何、わたしでございますか? それは駄々もこねましたが、お転婆だつたせゐでございませう。その割にはあまり悲しいとも思はなかつたものでございます。父は雛を売りさへすれば、紫繻子むらさきじゆすの帯を一本買つてやると申して居りましたから。


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