朗読

  • 夏目漱石「こころ」下 55 56 山口雄介朗読

    15.63

    Dec 20, 2017

    五十五

    「死んだつもりで生きて行こうと決心した私の心は、時々外界の刺戟しげきおどり上がりました。しかし私がどの方面かへ切って出ようと思い立つやいなや、恐ろしい力がどこからか出て来て、私の心をぐいと握り締めて少しも動けないようにするのです。そうしてその力が私にお前は何をする資格もない男だとおさえ付けるようにいって聞かせます。すると私はその一言いちげんすぐぐたりとしおれてしまいます。しばらくしてまた立ち上がろうとすると、また締め付けられます。私は歯を食いしばって、何でひとの邪魔をするのかと怒鳴り付けます。不可思議な力はひややかな声で笑います。自分でよく知っているくせにといいます。私はまたぐたりとなります。
    波瀾はらんも曲折もない単調な生活を続けて来た私の内面には、常にこうした苦しい戦争があったものと思って下さい。さいが見て歯痒はがゆがる前に、私自身が何層倍なんぞうばい歯痒い思いを重ねて来たか知れないくらいです。私がこの牢屋ろうやうちじっとしている事がどうしてもできなくなった時、またその牢屋をどうしても突き破る事ができなくなった時、必竟ひっきょう私にとって一番楽な努力で遂行すいこうできるものは自殺よりほかにないと私は感ずるようになったのです。あなたはなぜといって眼を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはるかも知れませんが、いつも私の心を握り締めに来るその不可思議な恐ろしい力は、私の活動をあらゆる方面で食い留めながら、死の道だけを自由に私のために開けておくのです。動かずにいればともかくも、少しでも動く以上は、その道を歩いて進まなければ私には進みようがなくなったのです。
    私は今日こんにちに至るまですでに二、三度運命の導いて行く最も楽な方向へ進もうとした事があります。しかし私はいつでも妻に心をかされました。そうしてその妻をいっしょに連れて行く勇気は無論ないのです。妻にすべてを打ち明ける事のできないくらいな私ですから、自分の運命の犠牲ぎせいとして、妻の天寿てんじゅを奪うなどという手荒てあら所作しょさは、考えてさえ恐ろしかったのです。私に私の宿命がある通り、妻には妻のまわり合せがあります、二人を一束ひとたばにして火にべるのは、無理という点から見ても、痛ましい極端としか私には思えませんでした。
    同時に私だけがいなくなったあとの妻を想像してみるといかにも不憫ふびんでした。母の死んだ時、これから世の中で頼りにするものは私より外になくなったといった彼女の述懐じゅっかいを、私ははらわたみ込むように記憶させられていたのです。私はいつも躊躇ちゅうちょしました。妻の顔を見て、してよかったと思う事もありました。そうしてまたじっすくんでしまいます。そうして妻から時々物足りなそうな眼でながめられるのです。
    記憶して下さい。私はこんなふうにして生きて来たのです。始めてあなたに鎌倉かまくらで会った時も、あなたといっしょに郊外を散歩した時も、私の気分に大した変りはなかったのです。私の後ろにはいつでも黒い影がいていました。私はさいのために、命を引きずって世の中を歩いていたようなものです。あなたが卒業して国へ帰る時も同じ事でした。九月になったらまたあなたに会おうと約束した私は、うそいたのではありません。全く会う気でいたのです。秋が去って、冬が来て、その冬が尽きても、きっと会うつもりでいたのです。
    すると夏の暑い盛りに明治天皇めいじてんのう崩御ほうぎょになりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、そのあとに生き残っているのは必竟ひっきょう時勢遅れだという感じがはげしく私の胸を打ちました。私は明白あからさまに妻にそういいました。妻は笑って取り合いませんでしたが、何を思ったものか、突然私に、では殉死じゅんしでもしたらよかろうと調戯からかいました。

    青空文庫より

  • 太宰治「豊島與志雄著『高尾ざんげ』解説」駒形恵美朗読

    6.08
    Dec 20, 2017

    豊島與志雄著『高尾ざんげ』解説

    太宰治

    私は先夜、眠られず、また、何の本も読みたくなくて、ある雑誌に載っていたヴァレリイの写真だけを一時間も、眺めていた。なんという悲しい顔をしているひとだろう、切株、接穂、淘汰まびき、手入れ、その株を切って、また接穂、淘汰まびき、手入れ、しかも、それは、サロンへの奉仕でしか無い。教養とは所詮しょせん、そんなものか。このような教養人の悲しさを、私に感じさせる人は、日本では、(私が逢った人のうちでは)豊島先生以外のお方は無かった。豊島先生は、いつも会場の薄暗い隅にいて、そうして微笑していらっしゃる。しかし、先生にとって、善人と言われるほど大いなる苦痛は無いのではないかと思われる。そこで、深夜の酔歩がはじまる。水甕みずがめのお家をあこがれる。教養人は、弱くてだらしがない、と言われている。ひとから招待されても、それを断ることが、できない種属のように思われている。教養人は、スプーンで、林檎りんごを割る。それにはなにも意味がないのだ。比喩ひゆでもないのだ。ある武士的な文豪は、台所の庖丁ほうちょうでスパリと林檎を割って、そうして、得意のようである。はなはだしきは、なたでもって林檎を一刀両断、これを見よ、亀井などというじんは感涙にむせぶ。
    どだい、教養というものを知らないのだ。象徴と、比喩と、ごちゃまぜにしているのである。比喩というものは、こうこうこうだから似ているじゃねえか、そっくりじゃねえか、笑わせやがる、そうして大笑い。それだけのものなのである。しかし、象徴というものはスプーンで林檎を割る。なんの意味もない。まったくなんの意味もないのだ。空が青い。なんの意味もない。雲が流れる。なんの意味もない。それだけなのである。それに意味づける教師たちは、比喩だけを知っていて、象徴を知らない。そうして、生徒たちが、その教師の教えを信奉し、比喩だけを知っていて、象徴を知らない。ほんとうの教養人というものは、自然に、象徴というものを体得しているようである。馬鹿な議論をしない。二階の窓から、そとを通るひとをぼんやり見ている。そうして、私たちのように、その人物にしつこい興味など持たない。彼は、ただ見ている。猫が、だるそうにやってくる。それを阿呆みたいに抱きかかえる。一言にしていえば、アニュイ。
    音楽家で言えば、ショパンでもあろうか。日本の浪花節なにわぶしみたいな、また、講釈師みたいな、勇壮活溌な作家たちには、まるで理解ができないのではあるまいか。おそらく、豊島先生は、いちども、そんな勇壮活溌な、喧嘩けんかみたいなことを、なさったことはないのではあるまいか。いつも、負けてばかり、そうして、苦笑してばかりいらっしゃるのではあるまいか。まるで教養人の弱みであり、欠点でもあるように思われる。
    しかし、この頃、教養人は、強くならなければならない、と私は思うようになった。いわゆる車夫馬丁にたいしても、「馬鹿野郎」と、言えるくらいに、私はなりたいと思っている。できるかどうか。ひとから先生と言われただけでも、ひどく狼狽ろうばいする私たち、そのことが、ただ永遠のあこがれに終るのかも知れないが。
    教養人というものは、どうしてこんなに頼りないものなのだろう。ヴィタリティというものがまったく、全然ないのだもの。

  • 宮沢賢治「シグナルとシグナレス」喜多川拓郎 朗読

    43.27
    Dec 18, 2017

    シグナルとシグナレス

    宮沢賢治

    「ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
    さそりの赤眼あかめが 見えたころ、
    四時から今朝けさも やって来た。
    遠野とおの盆地ぼんちは まっくらで、
    つめたい水の 声ばかり。
    ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
    こごえた砂利じゃりに げをき、
    火花をやみに まきながら、
    蛇紋岩サアペンテインの がけに来て、
    やっと東が えだした。
    ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
    鳥がなきだし 木は光り、
    青々川は ながれたが、
    おかもはざまも いちめんに、
    まぶしいしもを せていた。
    ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
    やっぱりかけると あったかだ、
    ぼくはほうほう あせが出る。
    もう七、八 はせたいな、
    今日も一日 霜ぐもり。
    ガタンガタン、ギー、シュウシュウ」

    軽便鉄道けいべんてつどうの東からの一番列車れっしゃが少しあわてたように、こう歌いながらやって来てとまりました。機関車きかんしゃの下からは、力のないげがげ出して行き、ほそ長いおかしな形の煙突えんとつからは青いけむりが、ほんの少うし立ちました。
    そこで軽便鉄道づきの電信柱でんしんばしらどもは、やっと安心あんしんしたように、ぶんぶんとうなり、シグナルの柱はかたんと白い腕木うできを上げました。このまっすぐなシグナルの柱は、シグナレスでした。
    シグナレスはほっと小さなためいきをついて空を見上げました。空にはうすい雲がしまになっていっぱいにち、それはつめたい白光しろびかりこおった地面じめんらせながら、しずかに東にながれていたのです。
    シグナレスはじっとその雲のをながめました。それからやさしい腕木を思い切りそっちの方へばしながら、ほんのかすかに、ひとりごとをいました。
    今朝けさ伯母おばさんたちもきっとこっちの方を見ていらっしゃるわ」
    シグナレスはいつまでもいつまでも、そっちに気をとられておりました。
    「カタン」
    うしろの方のしずかな空で、いきなり音がしましたのでシグナレスはいそいでそっちをふりきました。ずうっとまれた黒い枕木まくらぎの向こうに、あの立派りっぱ本線ほんせんのシグナルばしらが、今はるかの南から、かがやく白けむりをあげてやって来る列車れっしゃむかえるために、その上のかたうでを下げたところでした。
    「お早う今朝はあたたかですね」本線のシグナル柱は、キチンと兵隊へいたいのように立ちながら、いやにまじめくさってあいさつしました。
    「お早うございます」シグナレスはふし目になって、声をとしてこたえました。
    わかさま、いけません。これからはあんなものにやたらに声を、おかけなさらないようにねがいます」本線のシグナルに夜電気をおくふと電信柱でんしんばしらがさももったいぶってもうしました。
    本線のシグナルはきまりわるそうに、もじもじしてだまってしまいました。気の弱いシグナレスはまるでもうえてしまうかんでしまうかしたいと思いました。けれどもどうにもしかたがありませんでしたから、やっぱりじっと立っていたのです。
    雲のしまうす琥珀こはくいたのようにうるみ、かすかなかすかな日光がって来ましたので、本線シグナルつきの電信柱はうれしがって、向こうの野原のはらを行く小さな荷馬車にばしゃを見ながらひく調子ちょうしはずれの歌をやりました。

    「ゴゴン、ゴーゴー、
    うすい雲から
    さけりだす、
    酒の中から
    しもがながれる。
    ゴゴン、ゴーゴー、
    ゴゴン、ゴーゴー、
    霜がとければ、
    つちはまっくろ。
    馬はふんごみ、
    人もぺちゃぺちゃ。
    ゴゴン、ゴーゴー」

    それからもっともっとつづけざまに、わけのわからないことを歌いました。
    その間に本線ほんせんのシグナルばしらが、そっと西風にたのんでこういました。
    「どうか気にかけないでください。こいつはもうまるで野蛮やばんなんです。礼式れいしきも何も知らないのです。実際じっさい私はいつでもこまってるんですよ」
    軽便鉄道けいべんてつどうのシグナレスは、まるでどぎまぎしてうつむきながらひくく、
    「あら、そんなことございませんわ」といましたがなにぶん風下かざしもでしたから本線ほんせんのシグナルまで聞こえませんでした。
    ゆるしてくださるんですか。本当を言ったら、ぼくなんかあなたにおこられたら生きているかいもないんですからね」
    「あらあら、そんなこと」軽便鉄道の木でつくったシグナレスは、まるでこまったというようにかたをすぼめましたが、じつはその少しうつむいた顔は、うれしさにぽっと白光しろびかりを出していました。
    「シグナレスさん、どうかまじめで聞いてください。僕あなたのためなら、つぎの十時の汽車が来る時うでを下げないで、じっとがんばり通してでも見せますよ」わずかばかりヒュウヒュウっていた風が、この時ぴたりとやみました。
    「あら、そんなこといけませんわ」
    「もちろんいけないですよ。汽車が来る時、腕を下げないでがんばるなんて、そんなことあなたのためにも僕のためにもならないから僕はやりはしませんよ。けれどもそんなことでもしようとうんです。僕あなたくらい大事だいじなものは世界中せかいじゅうないんです。どうか僕をあいしてください」
    シグナレスは、じっと下の方を見てだまって立っていました。本線シグナルつきのせいのひく電信柱でんしんばしらは、まだでたらめの歌をやっています。

     

  • 豊島与志雄「高尾ざんげ」駒形恵美朗読

    37.20
    Dec 12, 2017

    高尾ざんげ

    ――近代説話――

    豊島与志雄

     終戦後、その秋から翌年へかけて、檜山啓三は荒れている、というのが知人間の定評でありました。彼が関係してる私立大学では、十月から授業を開始しましたが、彼は一回も講義をしませんでした。家庭では、習慣的に書斎に籠ることが多かったようですが、家人の言うところに依りますと、殆んど読書はせず、漫然と画集を眺めたり、座布団を二つに折って枕とし、朝からうとうと眠ったりして、そしてやたらに煙草ばかりふかしてるそうでした。来客に対しては、すべて無口で不愛想でした。もっとも、それらのことだけでは別に問題ではありませんが、彼はひどく酒に耽溺して、その先が荒れるのでした。日本酒やビールに酔ってくると、あとはウイスキーをあおりました。彼がいつも飲みに行く新橋花柳地区の杉茂登には、二箱ばかりのサントリーが預けてあるとの噂もありましたが、真偽のほどは分りかねます。酔っぱらってからの彼は、ひどく怒りっぽくて、友人たちに対しても女たちに対しても、些細なことで突っかかっていきました。それも、相手に向ってではなく、自分自身に向って腹を立ててるような調子でした。或る時、突然席を立って帰りかけ二階から階段を逆様に匐い降りたことがありました。滑らかに拭きこまれてる階段を、手先と肱で逆様に匐い降りてゆき、終りまでは持ちこたえず、横倒しに転げ落ちました。また、冬には珍らしい大雨のあと、街路の一部に水溜りが出来ていました時、彼はわざわざそこに踏みこんで、最も深いところを選み、膝まで水に浸って、ざぶざぶ渡って行きました。この種の話は他にいくらもあります。消費した金も相当なもので、彼は戦争中に軍報道部の秘密な仕事に関係していて、終戦時に可なりの金額を手に入れたとの噂もありましたが、これも真偽は明らかでありません。
    そういう檜山でしたが、然し、最後に踏み止まる一線をまだ持っているようでした。いくら酔っても、そのままつぶれてしまうことはなく、杉茂登に泊りこむことはなく、遅くなっても必ず自宅に帰ってゆきました。もっとも、これは菊千代の微妙な心遣いによることも多かったようでした。
    飲み疲れても檜山はまだ立ち上ろうとせず、一人ぽつねんと、脇息にもたれ、両腕を組んで、憂鬱そうな溜息をつくことがありました。菊千代はかいがいしく卓上の小皿物などを取り片付け、きれいにウイスキーの瓶だけにして、足附きグラスを檜山の前に差し出しました。
    「さあ、おしまいにもう一杯、元気をつけていらっしゃいよ。それとも、ハイボールにしてきましょうか。」
    眼鏡の下にうすら閉じかけてる眼を、檜山はびっくりしたように見開いて、菊千代を眺めました。
    「君、まだいたのかい。」
    「だって、僕が帰るまで帰っちゃいけないって、恐ろしい見幕だったわ。いつもそうなのよ。」
    「そうなんだ。だから… 感心してるよ。」
    「感心はいいけれど……。」
    「ちっと、迷惑なんだろう。」
    「いいえ。ただね、檜山さん少し心細いわ。」
    菊千代が深々と見入ってくるのを、檜山は避けて、ウイスキーを一息に飲み干しました。そして真摯な眼色になりました。
    「君の言うことは分るよ。だが、まあ当分は大丈夫だろう。」
    「足がかりが出来てきたの。」
    「出来やしないさ。だが、そう易々と滑り出しもしないよ。」
    「危いもんね。」
    「いよいよの時は、君を足がかりにするからね。」
    菊千代は頭を振りました。
    「それは、無理よ。」
    「いや、そんな意味じゃない。ただ足がかりだけだ。」
    菊千代はじっと檜山を見て、顔を伏せました。
    「あたしも、そんなら、いよいよの時には、檜山さんを足がかりにしようかしら。」
    「よかろう。約束しよう。」
    そして、二人は握手をしましたが、菊千代は寒そうに肩をすくめ、檜山はまた溜息をつきました。

  • 新美南吉「一年生たちとひよめ」飯田桃子朗読

    3.70
    Dec 12, 2017

    一年生たちとひよめ

    新美南吉

    学校へいくとちゅうに、大きないけがありました。
    一年生たちが、朝そこを通りかかりました。
    池の中にはひよめが五六っぱ、黒くうかんでおりました。
    それをみると一年生たちは、いつものように声をそろえて、ひイよめ、
    ひよめ、
    だんごやアるに
    くウぐウれッ、

    とうたいました。
    するとひよめは頭からぷくりと水のなかにもぐりました。だんごがもらえるのをよろこんでいるようにみえました。
    けれど一年生たちは、ひよめにだんごをやりませんでした。学校へゆくのにだんごなどもっている子はありません。
    一年生たちは、それから学校にきました。
    学校では先生が教えました。
    「みなさん、うそをついてはなりません。うそをつくのはたいへんわるいことです。むかしの人は、うそをつくと死んでから赤鬼あかおにに、したべろをくぎぬきでひっこぬかれるといったものです。うそをついてはなりません。さあ、わかった人は手をあげて。」
    みんなが手をあげました。みんなよくわかったからであります。
    さて学校がおわると、一年生たちはまた池のふちを通りかかったのでありました。
    ひよめはやはりおりました。一年生たちのかえりを待っていたかのように、水の上からこちらをみていました。

    ひイよめ、
    ひよめ、

    と一年生たちは、いつものくせでうたいはじめました。
    しかし、そのあとをつづけてうたうものはありませんでした。「だんごやるに、くぐれ」とうたったら、それはうそをいったことになります。うそをいってはならない、と今日きょう学校でおそわったばかりではありませんか。
    さて、どうしたものでしょう。
    このままいってしまうのもざんねんです。そしたらひよめのほうでも、さみしいと思うにちがいありません

  • 新美南吉「手袋を買いに」朗読 一帆

    13.55
    Dec 11, 2017

  • 夏目漱石「こころ」下 53 54 山口雄介朗読

    13.22
    Dec 05, 2017

    五十三

    「書物の中に自分を生埋いきうめにする事のできなかった私は、酒に魂をひたして、おのれを忘れようと試みた時期もあります。私は酒が好きだとはいいません。けれども飲めば飲めるたちでしたから、ただ量を頼みに心をつぶそうとつとめたのです。この浅薄せんぱくな方便はしばらくするうちに私をなお厭世的えんせいてきにしました。私は爛酔らんすい真最中まっさいちゅうにふと自分の位置に気が付くのです。自分はわざとこんな真似まねをして己れをいつわっている愚物ぐぶつだという事に気が付くのです。すると身振みぶるいと共に眼も心もめてしまいます。時にはいくら飲んでもこうした仮装状態にさえはいり込めないでむやみに沈んで行く場合も出て来ます。その上技巧で愉快を買ったあとには、きっと沈鬱ちんうつな反動があるのです。私は自分の最も愛しているさいとその母親に、いつでもそこを見せなければならなかったのです。しかも彼らは彼らに自然な立場から私を解釈してかかります。
    妻の母は時々気拙きまずい事を妻にいうようでした。それを妻は私に隠していました。しかし自分は自分で、単独に私を責めなければ気が済まなかったらしいのです。責めるといっても、決して強い言葉ではありません。妻から何かいわれたために、私が激したためしはほとんどなかったくらいですから。妻はたびたびどこが気に入らないのか遠慮なくいってくれと頼みました。それから私の未来のために酒をめろと忠告しました。ある時は泣いて「あなたはこのごろ人間が違った」といいました。それだけならまだいいのですけれども、「Kさんが生きていたら、あなたもそんなにはならなかったでしょう」というのです。私はそうかも知れないと答えた事がありましたが、私の答えた意味と、妻の了解した意味とは全く違っていたのですから、私は心のうちで悲しかったのです。それでも私は妻に何事も説明する気にはなれませんでした。
    私は時々妻にあやまりました。それは多く酒に酔って遅く帰った翌日あくるひの朝でした。妻は笑いました。あるいは黙っていました。たまにぽろぽろと涙を落す事もありました。私はどっちにしても自分が不愉快でたまらなかったのです。だから私の妻に詫まるのは、自分に詫まるのとつまり同じ事になるのです。私はしまいに酒をめました。妻の忠告で止めたというより、自分でいやになったから止めたといった方が適当でしょう。
    酒は止めたけれども、何もする気にはなりません。仕方がないから書物を読みます。しかし読めば読んだなりで、って置きます。私は妻から何のために勉強するのかという質問をたびたび受けました。私はただ苦笑していました。しかし腹の底では、世の中で自分が最も信愛しているたった一人の人間すら、自分を理解していないのかと思うと、悲しかったのです。理解させる手段があるのに、理解させる勇気が出せないのだと思うとますます悲しかったのです。私は寂寞せきばくでした。どこからも切り離されて世の中にたった一人住んでいるような気のした事もよくありました。
    同時に私はKの死因を繰り返し繰り返し考えたのです。その当座は頭がただ恋の一字で支配されていたせいでもありましょうが、私の観察はむしろ簡単でしかも直線的でした。Kはまさしく失恋のために死んだものとすぐめてしまったのです。しかし段々落ち付いた気分で、同じ現象に向ってみると、そう容易たやすくは解決が着かないように思われて来ました。現実と理想の衝突、――それでもまだ不充分でした。私はしまいにKが私のようにたった一人でさむしくって仕方がなくなった結果、急に所決しょけつしたのではなかろうかと疑い出しました。そうしてまたぞっとしたのです。私もKの歩いたみちを、Kと同じように辿たどっているのだという予覚よかくが、折々風のように私の胸を横過よこぎり始めたからです。

    青空文庫より

  • 夏目漱石「こころ」下 51 52 山口雄介朗読

    13.22
    Nov 28, 2017

    五十一

    「Kの葬式の帰りみちに、私はその友人の一人から、Kがどうして自殺したのだろうという質問を受けました。事件があって以来私はもう何度となくこの質問で苦しめられていたのです。奥さんもお嬢さんも、国から出て来たKの父兄も、通知を出した知り合いも、彼とは何の縁故もない新聞記者までも、必ず同様の質問を私に掛けない事はなかったのです。私の良心はそのたびにちくちく刺されるように痛みました。そうして私はこの質問の裏に、早くお前が殺したと白状してしまえという声を聞いたのです。
    私の答えは誰に対しても同じでした。私はただ彼の私あてで書き残した手紙を繰り返すだけで、ほか一口ひとくちも附け加える事はしませんでした。葬式の帰りに同じ問いを掛けて、同じ答えを得たKの友人は、ふところから一枚の新聞を出して私に見せました。私は歩きながらその友人によって指し示された箇所を読みました。それにはKが父兄から勘当された結果厭世的えんせいてきな考えを起して自殺したと書いてあるのです。私は何にもいわずに、その新聞をたたんで友人の手に帰しました。友人はこのほかにもKが気が狂って自殺したと書いた新聞があるといって教えてくれました。忙しいので、ほとんど新聞を読む暇がなかった私は、まるでそうした方面の知識を欠いていましたが、腹の中では始終気にかかっていたところでした。私は何よりもうちのものの迷惑になるような記事の出るのを恐れたのです。ことに名前だけにせよお嬢さんが引合いに出たらたまらないと思っていたのです。私はその友人にほかに何とか書いたのはないかと聞きました。友人は自分の眼に着いたのは、ただその二種ぎりだと答えました。
    私が今おる家へしたのはそれから間もなくでした。奥さんもお嬢さんも前の所にいるのをいやがりますし、私もそのの記憶を毎晩繰り返すのが苦痛だったので、相談の上移る事にめたのです。
    移って二カ月ほどしてから私は無事に大学を卒業しました。卒業して半年もたないうちに、私はとうとうお嬢さんと結婚しました。外側から見れば、万事が予期通りに運んだのですから、目出度めでたいといわなければなりません。奥さんもお嬢さんもいかにも幸福らしく見えました。私も幸福だったのです。けれども私の幸福には黒い影がいていました。私はこの幸福が最後に私を悲しい運命に連れて行く導火線ではなかろうかと思いました。
    結婚した時お嬢さんが、――もうお嬢さんではありませんから、さいといいます。――妻が、何を思い出したのか、二人でKの墓参はかまいりをしようといい出しました。私は意味もなくただぎょっとしました。どうしてそんな事を急に思い立ったのかと聞きました。妻は二人そろってお参りをしたら、Kがさぞ喜ぶだろうというのです。私は何事も知らない妻の顔をしけじけながめていましたが、妻からなぜそんな顔をするのかと問われて始めて気が付きました。
    私は妻の望み通り二人連れ立って雑司ヶ谷ぞうしがやへ行きました。私は新しいKの墓へ水をかけて洗ってやりました。妻はその前へ線香と花を立てました。二人は頭を下げて、合掌しました。妻は定めて私といっしょになった顛末てんまつを述べてKに喜んでもらうつもりでしたろう。私は腹の中で、ただ自分が悪かったと繰り返すだけでした。
    その時妻はKの墓をでてみて立派だと評していました。その墓は大したものではないのですけれども、私が自分で石屋へ行って見立みたてたりした因縁いんねんがあるので、妻はとくにそういいたかったのでしょう。私はその新しい墓と、新しい私の妻と、それから地面の下にうずめられたKの新しい白骨とを思い比べて、運命の冷罵れいばを感ぜずにはいられなかったのです。私はそれ以後決して妻といっしょにKの墓参りをしない事にしました。

    青空文庫より

  • 福娘童話集 青森県の民話「友助たぬき」飯田桃子朗読

    5.82
    Nov 22, 2017

    福娘童話集より

  • 夏目漱石「こころ」下 49 50 山口雄介朗読

    14.15
    Nov 21, 2017

    四十九

    「私は突然Kの頭をかかえるように両手で少し持ち上げました。私はKの死顔しにがお一目ひとめ見たかったのです。しかし俯伏うつぶしになっている彼の顔を、こうして下からのぞき込んだ時、私はすぐその手を放してしまいました。ぞっとしたばかりではないのです。彼の頭が非常に重たく感ぜられたのです。私は上から今さわった冷たい耳と、平生へいぜいに変らない五分刈ごぶがりの濃い髪の毛を少時しばらくながめていました。私は少しも泣く気にはなれませんでした。私はただ恐ろしかったのです。そうしてその恐ろしさは、眼の前の光景が官能を刺激しげきして起る単調な恐ろしさばかりではありません。私は忽然こつぜんと冷たくなったこの友達によって暗示された運命の恐ろしさを深く感じたのです。
    私は何の分別ふんべつもなくまた私のへやに帰りました。そうして八畳の中をぐるぐるまわり始めました。私の頭は無意味でも当分そうして動いていろと私に命令するのです。私はどうかしなければならないと思いました。同時にもうどうする事もできないのだと思いました。座敷の中をぐるぐる廻らなければいられなくなったのです。おりの中へ入れられたくまのような態度で。
    私は時々奥へ行って奥さんを起そうという気になります。けれども女にこの恐ろしい有様を見せては悪いという心持がすぐ私をさえぎります。奥さんはとにかく、お嬢さんを驚かす事は、とてもできないという強い意志が私をおさえつけます。私はまたぐるぐる廻り始めるのです。
    私はその間に自分の室の洋燈ランプけました。それから時計を折々見ました。その時の時計ほどらちかない遅いものはありませんでした。私の起きた時間は、正確に分らないのですけれども、もう夜明よあけもなかった事だけは明らかです。ぐるぐるまわりながら、その夜明を待ちこがれた私は、永久に暗い夜が続くのではなかろうかという思いに悩まされました。
    我々は七時前に起きる習慣でした。学校は八時に始まる事が多いので、それでないと授業に間に合わないのです。下女げじょはその関係で六時頃に起きる訳になっていました。しかしその日私が下女を起しに行ったのはまだ六時前でした。すると奥さんが今日は日曜だといって注意してくれました。奥さんは私の足音で眼を覚ましたのです。私は奥さんに眼が覚めているなら、ちょっと私のへやまで来てくれと頼みました。奥さんは寝巻の上へ不断着ふだんぎの羽織をけて、私のあといて来ました。私は室へはいるやいなや、今までいていた仕切りのふすまをすぐ立て切りました。そうして奥さんに飛んだ事ができたと小声で告げました。奥さんは何だと聞きました。私はあごで隣の室を指すようにして、「驚いちゃいけません」といいました。奥さんはあおい顔をしました。「奥さん、Kは自殺しました」と私がまたいいました。奥さんはそこに居竦いすくまったように、私の顔を見て黙っていました。その時私は突然奥さんの前へ手を突いて頭を下げました。「済みません。私が悪かったのです。あなたにもお嬢さんにも済まない事になりました」とあやまりました。私は奥さんと向い合うまで、そんな言葉を口にする気はまるでなかったのです。しかし奥さんの顔を見た時不意に我とも知らずそういってしまったのです。Kに詫まる事のできない私は、こうして奥さんとお嬢さんにびなければいられなくなったのだと思って下さい。つまり私の自然が平生へいぜいの私を出し抜いてふらふらと懺悔ざんげの口を開かしたのです。奥さんがそんな深い意味に、私の言葉を解釈しなかったのは私にとって幸いでした。蒼い顔をしながら、「不慮の出来事なら仕方がないじゃありませんか」と慰めるようにいってくれました。しかしその顔には驚きとおそれとが、り付けられたように、かたく筋肉をつかんでいました。

    青空文庫より

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