別役みか

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  • 江戸川乱歩 少年探偵団23「美術室の怪」別役みか朗読

    18.85
    Oct 14, 2017

    美術室の怪

    二十面相がドアをあけて、玄関のホールに立ちますと、その物音を聞きつけて、ひとりの部下が顔を出しました。頭の毛をモジャモジャにのばして、顔いちめんに無精ぶしょうひげのはえた、きたならしい洋服男です。
    「お帰りなさい……。大成功ですね。」
    部下の男はニヤニヤしながらいいました。何も知らないらしいのです。
    「大成功? おやいや、何を寝ぼけているんだ。おれはマンホールの中で夜を明かしてきたんだぜ。近ごろにない大失敗さ。」
    二十面相はおそろしいけんまくでどなりつけました。
    「だって、黄金塔はちゃんと手にはいったじゃござんせんか。」
    「黄金塔か、あんなもの、どっかへうっちゃっちまえ。おれたちは、にせものをつかまされたんだよ。またしても、明智のやつのおせっかいさ、それに、こにくらしいのは、あの小林という小僧だ。お手伝いに化けたりして、チビのくせに、いやに知恵のまわる野郎だ。」
    部下の男は、首領のやつあたりにヘドモドしながら、
    「いったいどうしたっていうんですか? あっしゃ、まるでわけがわかりませんが。」
    とふしん顔です。
    「まあ、すんだことはどうだっていい。それより、おれはねむくってしかたがないんだ。何もかもねむってからのこと。それから、新規しんきまきなおしだ。あーあ……。」
    二十面相は大きなあくびをして、フラフラと廊下をたどり、奥まった寝室へはいってしまいました。
    部下の男は、二十面相を送って、寝室の外まで来ましたが、中からドアがしまっても、そこのうす暗い廊下に、長いあいだたたずんで、何か考えていました。
    やや五分ほども、そうしてじっとしていますと、つかれきった二十面相は、服も着かえないでベッドにころがったものとみえ、もうかすかないびきの音が聞こえてきました。
    それを聞きますと、ひげむじゃの部下は、なぜかニヤニヤと笑いながら、寝室の前を立ちさりましたが、ふたたび玄関に引きかえし、入り口のドアの外へ出て、向こうの林のしげみへ向かって、右手を二三度大きくふりうごかしました。なんだか、その林の中にかくれている人に、あいずでもしているようなかっこうです。
    夜が明けたばかりの、五時少しまえです。林の中は、まだゆうべのやみが残っているように、うす暗いのです。こんなに朝早くから、いったい何者が、そこにかくれているというのでしょう。
    ところが、部下の男が手をふったかと思うと、その林の下のしげった木の葉が、ガサガサと動いて、その間から、何かほの白い丸いものが、ぼんやりとあらわれました。うす暗いのでよくわかりませんが、どうやら人の顔のようにも思われます。
    すると、建物の入口に立っている部下の男が、こんどは両手をまっすぐにのばして、左右にあげたりさげたり、鳥の羽ばたきのようなまねを、三度くりかえしました。
    いよいよへんです。この男はたしかに何か秘密のあいずをしているのです。相手は何者でしょう。二十面相の敵か味方か、それさえもはっきりわかりません。
    その奇妙なあいずが終わりますと、こんどはいっそうふしぎなことがおこりました。今まで林のしげみの中にぼんやり見えていた、人の顔のようなものが、スッとかくれたかと思うと、まるで大きなけだものでも走っているように、木の葉がはげしくざわめき、何かしら黒い影が、木立ちの間を向こうのほうへ、とぶようにかけおりていくのが見えました。
    その黒い影はいったい何者だったのでしょう。そして、あのひげむじゃの部下はなんのあいずをしたのでしょう。
    さて、お話は、それから七時間ほどたった、その日のお昼ごろのできごとにうつります。
    そのころになって、寝室の二十面相はやっと目をさましました。じゅうぶんねむったものですから、ゆうべのつかれもすっかりとれて、いつもの快活な二十面相にもどっていました。まず浴室にはいって、さっぱりと顔を洗いますと、毎朝の習慣にしたがって、廊下の奥のかくし戸をひらいて、地底の美術室へと、おりていきました。
    その洋館には広い地下室があって、そこが怪盗の秘密の美術陳列室になっているのです。読者諸君もごぞんじのとおり、二十面相は、世間の悪漢のように、お金をぬすんだり、人を殺したり、傷つけたりはしないのです。ただいろいろな美術品をぬすみあつめるのが念願なのです。
    以前の巣くつは、国立博物館事件のとき、明智探偵のために発見され、ぬすみあつめた宝物を、すっかりうばいかえされてしまいましたが、それからのち、二十面相は、また、おびただしい美術品をぬすみためて、この新しいかくれがの地下室に、秘密の宝庫をこしらえていたのです。
    そこは二十畳敷きぐらいの広さで、地下室とは思われぬほど、りっぱな飾りつけをした部屋です。四ほうの壁には、日本画の掛け軸や、大小さまざまの西洋画の額などが、ところせましとかけてありますし、その下にはガラスばりの台がズッとならんでいて、目もまばゆい貴金属、宝石類の小美術品が陳列してあります。また、壁のところどころには、古い時代の木彫りの仏像が、つごう十一体、れんげ台の上に安置されています。それらの美術品は、どれを見ても、みな由緒ゆいしょのある品ばかり、私設博物館といってもいいほどのりっぱさです。
    地下室のことですから、窓というものがなく、わずかに、天井のすみに、厚いガラス張りの天窓のようなものがあり、そこからにぶい光がさしこんでいるばかりですから、美術室は昼間でも、夕方のようにうす暗いのです。
    部屋の天井には、りっぱな装飾電燈がさがっていますけれど、二十面相は、新しい宝物を手に入れたときででもなければ、めったに電燈をつけません。大寺院のお堂の中のような、おもおもしいうす暗さが大すきだからです。そのうす暗い中でながめますと、古い絵や仏像がいっそう古めかしく尊く感じられるからです。
    二十面相は、いま、その美術室のまんなかに立って、ぬすみためた宝物を、さも楽しそうに見まわしていました。
    「フフン、明智先生、おれの裏をかいたと思って、得意になっているが、黄金塔がなんだ、あんなもの一つぐらいしくじったって、おれはこんなに宝物を集めているんだ。さすがの明智先生も、ここにこんなりっぱな美術室があろうとは、ごぞんじあるまいて、フフフ……。」
    怪盗はひとりごとをいって、さもゆかいらしく笑うのでした。
    二十面相は部屋のすみの一つの仏像の前に近づきました。
    「じつによくできているなあ。なにしろ国宝だからね。まるで生きているようだ。」
    そんなことをつぶやきながら、仏像の肩のへんをなでまわしていましたが、なにを思ったのか、ふと、その手をとめて、びっくりしたように、しげしげと仏像の顔をのぞきこみました。
    その仏像はいやになまあたたかかったからです。あたたかいばかりでなく、からだがドキンドキンと脈うっていたからです。まるで息でもしているように、胸のへんがふくれたりしぼんだりしていたからです。
    いくら生きているような仏像だって、息をしたり、脈をうったりするはずはありません。なんだかへんです。お化けみたいな感じです。
    二十面相は、ふしぎそうな顔をして、その仏像の胸をたたいてみました。ところが、いつものようにコツコツという音がしないで、なんだかやわらかい手ごたえです。
    たちまち、二十面相の頭に、サッと、ある考えがひらめきました。
    「やいっ、きさま、だれだっ!」
    彼はいきなり、おそろしい声で、仏像をどなりつけたのです。
    すると、ああ、なんということでしょう。どなりつけられた仏像が、ムクムクと動きだしました。そして、まっ黒になったやぶれ衣の下から、ニューッとピストルの筒口があらわれ、ピッタリと怪盗の胸にねらいがさだめられたではありませんか。
    「きさま、小林の小僧だなッ。」
    二十面相は、すぐさまそれとさとりました。この手は以前に一度経験していたからです。
    しかし、仏像は何も答えませんでした。無言のまま、左手をあげて、二十面相のうしろを指さしました。
    そのようすがひどくぶきみだったものですから、怪盗は思わずヒョイと、うしろをふりむきましたが、すると、これはどうしたというのでしょう。部屋中の仏像がみな、れんげ台の上で、むくむくと動きだしたではありませんか。そして、それらの仏像の右手には、どれもこれも、ピストルが光っているのです。十一体の仏像が、四ほうから、怪盗めがけて、ピストルのねらいをさだめているのです。
    さすがの二十面相も、あまりのことに、アッと立ちすくんだまま、キョロキョロとあたりを見まわすばかりです。
    「夢をみているんじゃないかしら。それともおれは気でもちがったのかしら。十一体の仏像が十一体とも、生きて動きだして、ピストルをつきつけるなんて、そんなばかなことが、ほんとうにおこるものかしら。」
    二十面相は、頭の中がこんぐらかって、何がなんだかわけがわからなくなってしまいました。フラフラと目まいがして、今にもたおれそうな気持です。
    「おや、どうかなすったのですかい。顔色がひどく悪いじゃございませんか。」
    とつぜん声がして、けさのひげむじゃの部下の男が、美術室へはいってきました。
    「ウン、少し、目まいがするんだ。おまえ、この仏像をよくしらべてみてくれ、おれにはなんだかみょうなものに見えるんだが……。」
    二十面相は頭をかかえて、弱音よわねをはきました。
    すると部下の男は、いきなり笑いだして、
    「ハハハ……、仏さまが生きて動きだしたというんでしょう。天罰てんばつですぜ。二十面相に天罰がくだったんですぜ。」
    と、みょうなことをいいだしました。
    「エッ、なんだって?」
    「天罰だといっているんですよ。とうとう二十面相の運のつきが来たといっているんですよ。」
    二十面相は、あっけにとられて相手の顔を見つめました。木彫りの仏像が動きだしたばかりでなく、信じきっていた部下までが、気でもちがったように、おそろしいことをいいだしたのです。いよいよ、何がなんだかわからなくなってしまいました。
    「ハハハ……、おいおい、二十面相ともあろうものが、みっともないじゃないか、こんなことでびっくりするなんて。ハハハ……、まるでハトが豆鉄砲をくらったような顔だぜ。」
    部下の男の声が、すっかりかわってしまいました。今までのしわがれ声が、たちまちよく通る美しい声にかわってしまったのです。
    二十面相は、どうやらこの声に聞きおぼえがありました。ああ、ひょっとしたら、あいつじゃないかしら。きっとあいつだ。ちくしょうめ、あいつにちがいない。しかし、彼はおそろしくて、その名を口にだすこともできないのでした。
    「ハハハ……、まだわからないかね。ぼくだよ。ぼくだよ。」
    部下の男は、ほがらかに笑いながら、顔いちめんのつけひげを、皮をはぐようにめくりとりました。
    すると、その下から、にこやかな青年紳士の顔があらわれてきたのです。
    「アッ、きさま、明智小五郎!」
    「そうだよ、ぼくも変装はまずくはないようだね。本家本元のきみをごまかすことができたんだからね。もっとも、けさは夜が明けたばかりで、まだうす暗かったし、この地下室も、ひどく暗いのだから、そんなにいばれたわけでもないがね。」
    ああ、それは意外にもわれらの明智探偵だったのです。
    二十面相は、一時はギョッと顔色をかえましたが、相手が化けものでもなんでもなく、明智探偵とわかりますと、さすがは怪人、やがてだんだん落ちつきをとりもどしました。
    「で、おれをどうしようというのだね。探偵さん。」
    彼はにくにくしく言いながら、傍若無人に地下室の出口のほうへ歩いていこうとするのです。
    「とらえようというのさ。」
    探偵は二十面相の胸を、グイグイとおしもどしました。
    「で、いやだといえば? 仏像どもがピストルをうつというしかけかね。フフフ……、おどかしっこなしだぜ。」
    怪盗は、たかをくくって、なおも明智をおしのけようとします。
    「いやだといえばこうするのさ!」
    肉弾と肉弾とがはげしい勢いでもつれあったかと思うと、おそろしい音をたてて、二十面相のからだが床の上に投げたおされていました。背負い投げがみごとにきまったのです。
    二十面相は投げたおされたまま、あっけにとられたように、キョトンとしていました。明智探偵にこれほどの腕力があろうとは、今の今まで、夢にも知らなかったからです。
    二十面相は少し柔道のこころえがあるだけに、段ちがいの相手の力量がはっきりわかるのです。そして、これではいくら手むかいしてみても、とてもかなうはずはないとさとりました。
    「こんどこそはおれの負けだね。フフフ……、二十面相もみじめな最期をとげたもんさねえ。」
    彼は、にが笑いをうかべながら、しぶしぶ立ちあがると、「さあ、どうでもしろ。」というように、明智探偵をにらみつけました。

    青空文庫より

     

  • 江戸川乱歩 少年探偵団22「逃走」別役みか朗読

    26.73
    Sep 11, 2017

    逃走

    「ハハハ……、何もおどろくことはありませんよ。二十面相は土の下へ逃げたのです。」
    明智小五郎は、少しもさわがず、あっけにとられている人々を見まわして、説明しました。
    「エッ、土の中へ? いったいそれはどういう意味です。」
    大鳥氏がびっくりして聞きかえします。
    「土の中に秘密のぬけ穴が掘ってあったのです。」
    「エッ、ぬけ穴が?」
    「そうですよ。二十面相は黄金塔をぬすみだすために、あらかじめ、ここの床下へぬけ穴を掘っておいて、支配人に化けて、さも忠義顔に、あなたにほんものの塔を、この床下へうずめることをすすめたのです。そして、部下のものがぬけ穴からしのんできて、ちょうどその穴の入り口にある塔を、なんのぞうさもなく持ちさったというわけですよ。賊の足あとが見あたらなかったのはあたりまえです。土の上を歩いたのではなく、土の中をはってきたのですからね。」
    「しかし、わたしはあれを床下へうずめるのを見ておりましたが、べつにぬけ穴らしいものはなかったようですが。」
    「それはふたがしてあったからですよ。ま、ま、ここへ来てよくごらんなさい。大きな鉄板てっぱんで穴の上をふたして、土がかぶせてあったのです。今、二十面相はその鉄板をひらいて、穴の中にとびこんだのです。かき消すように見えなくなったのは、そのためですよ。」
    大鳥氏も門野老人も小林少年も、急いでそばによって、床下をながめましたが、いかにもそこには一枚の鉄板が投げだしてあって、そのそばに古井戸のような大きな穴が、まっ黒な口をひらいていました。
    「いったい、この穴はどこへつづいているのでしょう。」
    大鳥氏があきれはてたようにたずねますと、明智はそくざに答えました。何から何まで知りぬいているのです。
    「この裏手にあき家があるでしょう。ぬけ穴はそのあき家の床へぬけているのです。」
    「では早く追いかけないと、逃げてしまうじゃありませんか。先生、早くそのあき家のほうへまわってください。」
    大鳥氏は、もう気が気でないというちょうしです。
    「ハハハ……。そこにぬかりがあるものですか。そのあき家のぬけ穴の出口のところには、中村捜査係長の部下が、五人も見はりをしていますよ。今ごろあいつをひっとらえている時分です。」
    「ああ、そうでしたか。よくそこまで準備ができましたねえ、ありがとう、ありがとう、おかげで、私も今夜からまくらを高くして寝られるというものです。」
    大鳥氏は安堵の胸をなでおろして、名探偵のぬけめのない処置を感謝するのでした。
    しかし、二十面相は、明智の予想のとおり、はたして五名の警官に、逮捕されてしまったでしょうか。名にしおう魔術賊のことです。もしや、意外の悪知恵をはたらかせて、名探偵の計略の裏をかくようなことはないでしょうか。ああ、なんとなく心がかりではありませんか。
    そのとき、やみのぬけ穴では、いったいどんなことがおこっていたのでしょう。
    門野老人に化けた二十面相は、人々のゆだんを見すまして、パッとぬけ穴の中にとびこみますと、せまい穴の中をはうようにして、まるでもぐらのようなかっこうで、反対の出口へと急ぎました。
    時計店の裏通りの、あき家というのは、奥座敷からは、せまい庭と塀とをへだててすぐのところにあるのですから、ぬけ穴の長さは二十メートルほどしかありません。二十面相は、まずそのあき家を借りたうえ、部下に命じて、人に知られぬように、大急ぎでぬけ穴を掘らせたのです。ですから、内がわを石がきやレンガできずくひまはなく、ちょうど旧式な炭坑のように、丸太のわくで、土の落ちるのをふせいであるという、みすぼらしいぬけ穴です。広さも、やっとひとり、はって歩けるほどなのです。
    二十面相は、土まみれになって、そこをはっていきましたが、あき家の中の出口の下まで来て、ヒョイと外をのぞいたかと思うと、何かギョッとしたようすで首をひっこめてしまいました。
    「ちくしょうめ、もう手がまわったか。」
    彼は、いまいましそうに舌打ちして、しかたなく、またあともどりをはじめました。
    穴の外の暗やみの中に、大ぜいの黒い人かげが見えたからです。しかも、それがみんな制服の警官らしく、制帽のひさしと拳銃のにぎりが、やみの中にもかすかにピカピカと光って見えたのです。
    ああ、二十面相はとうとう、袋のネズミになってしまいました。いや、穴の中のもぐらになってしまいました。さすがの凶賊きょうぞくももはや運のつきです。前に進めば五人の警官、うしろにもどれば、だれよりもこわい明智名探偵が待ちかまえているのです。進むこともしりぞくこともできません。といって、もぐらではない二十面相は、こんなジメジメした、まっくらな穴の中に、いつまでじっとしていられましょう。
    しかし、なぜか怪盗はさしてこまったようすも見えません。彼はやみの中を、ぬけ穴の中ほどまで引きかえしますと、そこの壁のくぼみになった個所から、何かふろしき包みのようなものを、とりだしました。
    「ヘヘン、どうだい。二十面相はどんなことがあったって、へこたれやしないぞ。敵が五と出せばこちらは十だ。十と出せば二十だ。ここにこんな用意がしてあろうとは、さすがの名探偵どのも、ごぞんじあるまいて。二十面相の字引きに不可能の文字なしっていうわけさ。フフフ……。」
    彼は、そんなふてぶてしいひとりごとをいいながら、ふろしき包みらしいものをひらきました。すると、その中から、警官の制服制帽、警棒、靴などがあらわれました。
    ああ、なんという用心ぶかさでしょう。まんいちのばあいのために、彼はぬけ穴の中へ、こんな変装用の衣装をかくしておいたのです。
    「おっと、わすれちゃいけない。まず髪の毛の染料と顔のしわを落とさなくっちゃあ。」
    二十面相は、じょうだんのようにつぶやきながら、懐中から銀色のケースをとりだし、その中の揮発油きはつゆをしみこませた綿をちぎって頭と顔をていねいにふきとるのです。綿をちぎってはふき、ちぎってはふき、何度となくくりかえしているうちに、老人のしらが頭は、いつのまにか黒々とした頭髪となり、顔のしわもあとかたもなくとれて、若々しい青年にかわってしまいました。
    「これでよしと、さあ、いよいよおまわりさんになるんだ。泥棒がおまわりさんに早がわりとござあい。」
    二十面相は、きゅうくつな思いをして、やみの中の着がえをしながら、さもうれしくてたまらないというように、低く口笛さえ吹きはじめるのでした。

    裏のあき家というのは、日本建ての商家でしたが、その奥座敷でも、ちょうど大鳥時計店の奥座敷と同じように、一枚の畳があげられ、床板がはずされ、その下に黒い土があらわれていました。
    その土のまんなかに、ここには鉄板のふたなどなくて、ポッカリとぬけ穴の口が大きくひらいているのです。
    ぬけ穴のまわりには、五名の制服警官が、あるいは床下に立ち、あるいは畳にこしかけ、あるいは座敷につっ立って、じっと見はりをつづけていました。むろん電燈はつけず、いざというときの用意には、中のふたりが懐中電燈をたずさえているのです。
    「明智さんがもう少し早く、このぬけ穴を発見してくれたら、塔をぬすみだした手下のやつも、ひっとらえることができたんだがなあ。」
    ひとりの警官が、ささやき声で、ざんねんそうにいいました。
    「だが、二十面相さえとらえてしまえば、手下なんか一網打尽いちもうだじんだよ。それにぬすまれた塔はにせものだっていうじゃないか。ともかく親玉さえつかまえてしまえば、こっちのもんだ。ああ、早く出てこないかなあ。」
    べつの警官が、腕をさすりながら、待ちどおしそうに答えるのです。
    たばこをすうのもえんりょして、じっと暗やみの中に待っている待ちどおしさ。まるで時間が止まってしまったような感じです。
    「おい、何か音がしたようだぜ。」
    「エッ、どこに?」
    思わず懐中電燈をつかんで立ちあがったことが、いく度あったでしょう。
    「なあんだ、ネズミじゃないか。」
    当の二十面相は、いつまでたっても、姿をあらわさないのでした。
    しかし、おお、こんどこどは、人間です。人間が穴の中からはいだしてくる物音です。サラサラと土のくずれる音、ハッハッという息づかい、いよいよ二十面相がやってきたのです。
    五名の警官はいっせいに立ちあがって、身がまえました。二つの懐中電燈の丸い光が、左右からパッと穴の入り口を照らしました。
    「おい、ぼくだよ、ぼくだよ。」
    意外にも、穴をはいだしてきた人物が、したしそうな声をかけるではありませんか。
    それは怪盗ではなくて、ひとりの若い警官だったのです。見知らぬ顔ですけれど、きっとこの区の警察署の警官なのでしょう。
    「賊はどうしました。逃げたんですか。」
    見はりをしていた警官のひとりが、ふしんそうにたずねました。
    「いや、もうとらえました。明智さんの手引きで、ぼくの署のものが、しゅびよく逮捕たいほしたのです。あなたがたも早くあちらへ行ってください……。ぼくはこのぬけ穴の検分をおおせつかったのです。もしや同類がかくれてやしないかというのでね。しかし、だれもいなかったですよ。」
    若い警官は、手錠をガチャガチャいわせながら、やっと穴をはいだして、五人の前に立ちました。
    「なあんだ、もう逮捕したんだって?」
    こちらは、せっかく意気ごんだのにむだになったと知って、がっかりしてしまいました。いや、がっかりしたというよりも、他署のものに手がらをうばわれて、すくなからず不平なのです。
    「明智さんから、あなたがたに、もう見はりをしなくっていいから、早くこちらへ来てくださいということでしたよ……。ぼくはちょっと、署まで用事がありますから、これで失敬しっけいします。」
    若い警官はテキパキといって、暗やみの中を、グングンあき家の表口のほうへ歩いていきました。
    とりのこされた五人の警官は、なんとなくふゆかいな気持で、きゅうに動く気にもなれず、
    「なあんだ、つまらない。」
    などとつぶやきながら、ぐずぐずしていましたが、やがて、その中のひとりが、ハッと気づいたようにさけびました。
    「おい、へんだぜ。あの男、ぬけ穴の調査を命じられたといいながら、報告もしないで、署に帰るなんて、少しつじつまがあわないじゃないか。」
    「そういえば、おかしいね。あいつ穴の中をしらべるのに、懐中電燈もつけていなかったじゃないか。」
    警官たちは、なんとも形容のできない、みょうな不安におそわれはじめました。
    「おい、二十面相というやつは、なんにだって化けるんだぜ。いつかは国立博物館長にさえ化けたんだ。もしや今のは……。」
    「エッ、なんだって、それじゃ、あいつが二十面相だっていうのか。」
    「おい、追っかけてみよう。もしそうだったら、ぼくらは係長にあわす顔がないぜ。」
    「よしッ、追っかけろ。ちくしょう逃がすものか。」
    五人は、あわただしくあき家の入り口にかけだして、深夜の町を見わたしました。
    「アッ、あすこを走っている。ためしによんでみようじゃないか。」
    そこで一同声をそろえて、
    「オーイ、オーイ。」とどなったのですが、それを聞きつけた相手は、ヒョイとふりかえったかと思うと、立ちどまるどころか、まえにも増した勢いで、いちもくさんに逃げだしたではありませんか。
    「アッ、やっぱりそうだ。あいつだ。あいつが二十面相だっ。」
    「ちくしょう、逃がすものか。」
    五人はやにわに走りだしました。
    もう一時をすぎた真夜中です。昼間はにぎやかな商店街も、廃墟はいきょのように静まりかえり、光といってはまばらに立ちならぶ街燈ばかり、人っ子ひとり通らないアスファルト道が、はるかにやみの中へ消えています。
    その中を、逃げるひとりの警官、追いかける五人の警官、キツネにでもつままれたような奇妙な追跡がはじまりました。若い警官は、おそろしく足が早いのです。町かどに来るたび、あるいは右に、あるいは左に、めちゃくちゃに方角をかえて、追っ手をまこうとします。
    そして、さしかかったのが、中央区内の、とある小公園の塀外へいそとでした。右がわは公園のコンクリートべい、左がわはすぐ川に面している、さびしい場所です。
    二十面相は、そこまで走ってきますと、ヒョイと立ちどまって、うしろをふりかえりましたが、五人のおまわりさんはまだ町かどの向こうがわを走っているとみえて、追っ手らしい姿はどこにも見えません。
    それをたしかめたうえ、二十面相は何を思ったのか、いきなりそこにうずくまって、地面に手をかけ、ウンとりきみますと、さしわたし五十センチほどの丸い鉄板が、ふたをひらくように持ちあがり、その下に大きな黒い穴があきました。水道のマンホールなのです。
    東京の読者諸君は、水道の係りの人たちが、あの丸い鉄のふたをとって、地中へもぐりこんで、工事をしているのを、よくお見かけになるでしょう。今、二十面相は、その鉄のふたをひらいたのです。そして、ヒョイとそこへとびこむと、すばやく中から、ふたをもとのとおりにしめてしまいました。
    鉄のふたがしまるのと、五人のおまわりさんが町かどをまがるのと、ほとんど同時でした。
    「おや、へんだぞ。たしかにあいつはここをまがったんだが。」
    おまわりさんたちは立ちどまって、死んだように静まりかえった夜ふけの町を見わたしました。
    「向こうのまがりかどまでは百メートル以上もあるんだから、そんなに早く姿が見えなくなるはずはない。塀を乗りこして、公園の中へかくれたんじゃないか。」
    「それとも、川へとびこんだのかもしれんぜ。」
    そんなことをいいかわして、おまわりさんたちは、注意ぶかく左右を見まわしながら、急ぎ足に例のマンホールの上を通りすぎて、公園の入り口のほうへ遠ざかっていきました。
    マンホールの鉄ぶたは、五人の靴でふまれるたびに、ガンガンとにぶい響きをたてました。おまわりさんたちは、そうして、二十面相の頭の上を通りながら、少しもそれと気づかなかったのです。東京の人は、マンホールなどには、なれっこになっていて、そのうえを歩いても、気のつかぬことが多いのです。
    五人の警官がしょうぜんとして大鳥時計店にたちかえり、事のしだいを明智に報告したのは、それから二十分ほどのちのことでした。
    それを聞いて、明智探偵は失望したでしょうか。警官たちの失策にかんしゃくをおこしたでしょうか。いやいや、けっしてそうではありませんでした。読者諸君、ご安心ください。われわれの名探偵はこれしきの失敗に勇気をうしなうような人物ではありません。彼のすばらしい脳髄のうずいに、まだまだとっておきの奥の手が、ちゃんと用意されていたのです。
    「いや、ご苦労でした。ぼくもあいつがぬけ穴の中に変装の衣装をかくしていようとは思いもおよばなかった。しかし、諸君、失望なさることはありませんよ。こういうこともあろうかと、ぼくはちゃんと、もう一だん奥の用意がしてあるのです。
    二十面相はしゅびよく逃げおおせたつもりでいても、まだぼくの張った網の中からのがれることができないのです。見ていてください。明朝までには、きっと諸君のかたきをとってあげますよ。
    ほんとうをいえば、あいつが逃げてくれたのは思うつぼなのです。ぼくはゆかいでたまらないくらいです。なぜといって、そのぼくの奥の手というのは、じつにすばらしい手段なのですからね。諸君、見ていてください。二十面相がどんなに泣きつらをするか。ぼくの部下たちが、どんなみごとなはたらきをするか。
    さあ、小林君、二十面相の最後の舞台へ、急いで出かけるとしよう。」
    名探偵はいつにかわらぬほがらかな笑顔をうかべて、愛弟子小林君をまねきました。そして、大鳥時計店をたちいでますと、そこに待たせてあった自動車に乗って、夜霧の中を、いずこともなく走りさったのでありました。

    さて、わたしたちは、もう一度、あの公園の前に立ちもどって、マンホールの中へかくれた二十面相が、どんなことをするか、それを見さだめなければなりません。
    警官たちがたちさってしまいますと、そのあたりはまた、ヒッソリともとの静けさにかえりました。深夜の二時です。人通りなどあるはずはありません。
    遠くのほうから、犬の鳴き声が聞こえていましたが、それもしばらくしてやんでしまうと、この世から音というものがなくなってしまったような静けさです。
    黒く夜空にそびえている公園の林のこずえが、風もないのにガサガサと動いたかと思うと、夜の鳥が、あやしい声で、ゲ、ゲ、と二声鳴きました。
    空は一面にくもって、星もないやみ夜です。光といっては、ところどころの電柱にとりつけてある街燈ばかり。その街燈の一つが二十面相のかくれたマンホールの黒い鉄板の上を、うすぼんやりと照らしています。
    でも、マンホールのふたは、いつまでたっても動かないのです。ああ、二十面相は、あの暗やみの土の中で、いったい何をしているのでしょう。
    長い長い二時間がすぎて、四時となりました。東の空がうっすらとしらみはじめています。遠い江東区こうとうくの空から、徹夜作業てつやさぎょうの工場の汽笛が夜明けの近づいたことを知らせるように、もの悲しく、かすかにひびいてきました。
    すると、街燈に照らされたマンホールのふたが、生きものででもあるかのように、少しずつ動きはじめました。やがて、鉄板はカタンとみぞをはずれて、ジリジリと地面を横へすべっていきます。そして、その下から、まっ黒な穴の口が、一センチ、二センチと、だんだん大きくひらいていくのです。
    長いあいだかかって、鉄のふたはすっかりひらきました。すると、そこの丸い穴から、新しいネズミ色のソフト帽がニューッとあらわれてきたではありませんか。そして、そのつぎには、鼻の下に黒いひげをはやしたりっぱな青年紳士の顔、それからまっ白なソフト・カラー、はでなネクタイ、折り目の正しい上等の背広服と、胸のへんまで姿を見せて、その紳士は、注意ぶかくあたりを見まわしましたが、どこにも人かげのないのをたしかめると、パッと穴の中から地上にとびだし、すばやく鉄のふたをもとのとおりにしめて、そのまま何くわぬ顔で、歩きはじめました。
    この青年紳士が怪盗二十面相の変装姿であったことは、申すまでもありません。ああ、なんという用心ぶかいやり口でしょう。二十面相は、何か仕事をもくろみますと、まんいちのばあいのために、いつもその付近のマンホールの中へ、変装用の衣装をかくしておくのです。そして、もし警官に追われるようなことがあれば、すばやく、そのマンホールの中へ身をかくし、まったくちがった顔と服装とになって、そしらぬ顔で逃げてしまうのです。
    読者諸君のおうちの近所にも、マンホールがあることでしょうが、もしかすると、その中に、大きな黒いふろしき包みがかくしてあるかもしれませんよ。まんいちそんなふろしき包みが見つかるようなことがあれば、それは二十面相が、そのへんで何かおそろしいもくろみをしたしょうこなのです。
    さて、二十面相の青年紳士は、急ぎ足に近くの大通りへ出ますと、そこの駐車場にならんでいたいちばん前の自動車に近づき、居ねむりをしている運転手を呼びおこしました。
    そして運転手がドアをひらくのを待ちかねて、客席へとびこみ、早口に行く先をつげるのでした。
    自動車は、ガランとした夜明けの町を、ひじょうな速力で走っていきます。銀座通りを出て、新橋しんばしをすぎ、環状線を品川へ、品川から京浜けいひん国道を、西に向かって一キロほど、とある枝道を北へはいってしばらく行きますと、だんだん人家がまばらになり、まがりくねった坂道の向こうに、林につつまれた小さな丘があって、その上にポツンと一軒の古風な洋館が、建っているのがながめられました。
    「よし、ここでいい。」
    二十面相の青年紳士は、自動車をとめさせて、料金をはらいますと、そのまま丘の上へとのぼっていき、木立ちをくぐって、洋館の玄関へはいってしまいました。
    読者諸君、ここが二十面相のかくれがでした。賊はとうとう安全な巣くつへ逃げこんでしまったのです。では、明智探偵のせっかくの苦心も水のあわとなったのでしょうか。二十面相は、かんぜんに探偵の目をくらますことができたのでしょうか。

    青空文庫より

  • 「走馬灯~海外援助 その2」カトウ先生のミニ・エッセイより 別役みか朗読

    11.07 Aug 18, 2017

  • 江戸川乱歩「少年探偵団20意外また意外」別役みか朗読

    23.03 Jul 13, 2017
    江戸川乱歩「少年探偵団21 きみが二十面相だ」別役みか朗読

    11.65 Jul 21, 2017
    江戸川乱歩 少年探偵団22「逃走」別役みか朗読

    26.73 Sep 11, 2017

  • 「猫とモミの木」前編 語り喜多川拓郎 倉沢はすみ作

    「猫とモミの木」後編 語り喜多川拓郎 倉沢はすみ作

    猫とモミの木

    キャスト キャラクター紹介

     

  • 田中貢太郎「貧乏神物語」別役みか朗読

    貧乏神物語

    田中貢太郎

    縁起でもない話だが、馬琴の随筆の中にあったのを、数年前から見つけてあったので、ここでそれを云ってみる。考証好きの馬琴は、その短い随筆の中でも、唐山には窮鬼と書くの、蘇東坡に送窮の詩があるの、また、窮鬼を耗とも青とも云うの、玄宗の夢にあらわれた鍾馗の劈(さ)いて啖(くら)った鬼は、その耗であるのと例の考証をやってから、その筆は「四方(よも)の赤」に走って、「近世、江戸牛天神の社のほとりに貧乏神の禿倉(ほこら)有けり。こは何某(なにのそれがし)とかいいし御家人の、窮してせんかたなきままに、祭れるなりといい伝う。さるを何ものの所為(しわざ)にやありけん。その神体を盗とりて、禿倉のみ残れり」などと云っているが、屁のようなことにも倫理道徳をくっつける馬琴の筆にしては、同じ堅くるしい中にも軽い味がある。
    文政四年の夏であった。番町に住む旗下(はたもと)の用人は、主家の費用をこしらえに、下総にある知行所に往っていた。五百石ばかりの禄米があって旗下としてはかなりな家柄である主家が、その数代不運続きでそれがために何時も知行所から無理な金をとり立ててあるので、とても今度は思うように調達ができまいと思った。その一方で用人は、村役人のしかめ面を眼前(めさき)に浮べていた。
    微曇のした蒸し暑い日で、青あおと続いた稲田の稲の葉がぴりりとも動かなかった。草加(そうか)の宿が近くなったところで用人は己(じぶん)の傍を歩いている旅憎に気がついた。それは用人が歩き歩き火打石を打って火を出し、それで煙草を点けて一吸い吸いながらちょと己(じぶん)の右側を見た時であった。
    旅憎は溷鼠染(どぶねずみぞめ)と云っている栲(たえ)の古いどろどろしたような単衣(ひとえもの)を着て、頭(かしら)に白菅の笠を被り、首に頭陀袋をかけていた。年の比(ころ)は四十過ぎであろう、痩せて頤(おとがい)の尖った顔は蒼黒く、眼は落ち窪んで青く光っていた。
    この見すぼらしい姿を一眼見た用人は、気の毒と思うよりも寧ろ鬼魅(きみ)が悪かった。と、旅僧の方では用人が煙草の火を点けたのを見ると、急いで頭陀袋の中へ手をやって、中から煙管と煙草を執り出し、それを煙管に詰めて用人の傍へ擦り寄って来た。
    「どうか火を貸しておくれ」
    用人は旅僧に傍へ寄られると臭いような気がするので、呼吸(いき)をしないようにして黙って煙管の雁首を出すと旅憎は舌を鳴らして吸いつけ、
    「や、これはどうも」
    と、ちょっと頭をさげて二足三足歩いてから用人に話しかけた。
    「貴君(あなた)は、これから何方(どちら)へ往きなさる」
    「下総の方へ、ね」
    「ああ、下総」
    「貴僧(あなた)は何方へ」
    「私(わし)は越谷(こしがや)へ往こうと思ってな」
    「何処からお出でになりました」
    「私(わし)かね、私は番町の――の邸から来たものだ」
    用人は驚いて眼をみはった。旅僧の来たと云う邸は己の仕えている邸ではないか、用人はこの売僧奴(まいすめ)、その邸から来た者が眼の前にいるに好くもそんな出まかせが云えたものだ、しかし待てよ、此奴はなにかためにするところがあって、主家の名を騙(かた)っているかも判らない、一つぎゅうと云う眼に逢わして置かないと、どんなことをして主家へ迷惑をかけるかも判らないと心で嘲笑って、その顔をじろりと見た。
    「――の邸、おかしなことを聞くもんだね」
    「何かありますかな」
    旅僧は澄まして云って用人の顔を見返した。
    「ありますとも、私はその邸の者だが、お前さんに見覚えがないからね」
    用人は嘲ってその驚く顔を見ようとしたが旅僧は平気であった。
    「見覚えがないかも判らないよ」
    「おっと、待ってもらおうか、私は其処の用人だから、毎日詰めていない日はないが、この私が知らない人が、その邸にいる理(わけ)がないよ、きっと邸の名前がちがっているのだろう」
    用人はまた嘲笑った。
    「ところが違わない」
    「違わないことがあるものか、ちがわないと云うなら、お前さんは、邸の名を騙る売僧じゃ」
    用人は憤りだした。
    「それはお前さんが私(わし)を知らないから、そう云うのだ、私は三代前から彼(あ)の邸にいるよ、彼の邸は何時も病人だらけで、先代二人は夭折(わかじに)している、おまえさんは譜代でないから、昔のことは知らないだろうが、彼の邸では、昔こんなこともあったよ――」
    旅僧は用人の聞いている昔主家に起った事件をはじめとして、近比(ごろ)の事件まで手に執るようにくわしく話しだした。用人は驚いて開いた口が塞がらなかった。
    「どうだね、お前さん、思いあたることがあるかね」
    旅僧はにやりと嘲笑を浮べながら煙草の吹殻を掌にころがして、煙管に新らしい煙草を詰めてそれを吸いつけ、
    「寸分もちがっていないだろう、それでもちがうかね」
    「よくあってます」
    用人は煙草の火の消えたのも忘れていた。
    「あってるかね、そりゃあってるよ、毎日邸で見てるからね」
    用人は頭を傾げて旅僧が如何なる者であるかを考えようとした。
    「私が判るかね」
    旅僧は嘲笑いを続けている。
    「判りません、どうした方です」
    「私(わし)は貧乏神だよ」
    「え」
    「三代前から――の邸にいる貧乏神だよ」
    「え」
    「私(わし)がいたために、病人ができる、借金はできる、長い間苦しんだが、やっと、その数が竭(つ)きて私は他へ移ることになったから、これから、お前さんの主人の運も開けて、借金も返される」
    話のうちに草加の宿は通り過ぎたが、用人は霧の深い谷間にいるような気になっていて気がつかなかった。
    「だから、これから、お前さんの心配も無くなるわけだ」
    用人はその詞(ことば)を聞くとなんだか肩に背負っていた重荷が執れたような気がした。
    「では、あなた様は、これから何方(どちら)へお移りになります」
    「私(わし)の往くさきかの、往くさきは、隣の――の邸さ」
    「え」
    「其処へ移るまでに、すこし暇ができたから、越谷にいる仲間の処へ遊びに来たが、明日はもう移るよ」
    用人はその名ざされた家のことを心に浮べた。
    「お前さんが嘘と思うなら、好く見ているが好い、明日からその家では、病人ができ、借金ができて、恰好(ちょうど)お前さんの主人の家のようになるさ」
    「え」
    「だが、これは決して人にもらしてはならんよ」
    「はい」
    「じゃ、もう別れよう」
    用人がはっと気がついた時にはもう怪しい旅僧はいなかった。其処はもう越谷になっていた。

    用人は知行所へ往ったが、度たび無理取立てをしてあるのでとても思うとおりにできまいと心配していた金が、思いのほか多く執れたので、貧乏神の教えもあるし彼は喜び勇んで帰って来た。

  • 江戸川乱歩 少年探偵団12「さかさの首」別役みか朗読


    江戸川乱歩少年探偵団13 「屋上の怪人」別役みか朗読


    江戸川乱歩少年探偵団14 「悪魔の昇天」別役みか朗読


    江戸川乱歩 少年探偵団15「怪軽気球の最後」別役みか朗読


    江戸川乱歩少年探偵団16「黄金の塔」別役みか朗読


    江戸川乱歩少年探偵団17「怪少女」別役みか朗読


    江戸川乱歩少年探偵団18「奇妙なはかりごと」別役みか朗読

  • 江戸川乱歩少年探偵団11「四つのなぞ」別役みか朗読

    江戸川乱歩少年探偵団12「さかさの首」別役みか朗読

    さかさの首

    明智探偵は、ふたりのインド人に部屋を貸していた洋館の主人春木氏に、一度会っていろいろきいてみたいというので、さっそく同氏に電話をかけて、つごうをたずねますと、昼間は少しさしつかえがあるから、夜七時ごろおいでくださいという返事でした。
    探偵は電話の約束をすませますと、すぐさま事務所を出かけました。春木氏に会うまでに、ほかにいろいろしらべておきたいことがあるからということでした。
    小林少年は、ぜひ、いっしょにつれていってください、とたのみましたが、きみは、まだつかれがなおっていないだろうからと、るす番を命じられてしまいました。
    それから明智探偵が、どこへ行って、何をしたか、それはまもなく読者諸君にわかるときがきますから、ここにはしるしません。その夜の七時に、探偵が春木氏の洋館をたずねたところから、お話をつづけましょう。
    青年紳士春木氏は、自分で玄関へ出むかえて、明智探偵の顔を見ますと、ニコニコと、さもうれしそうにしながら、
    「よくおいでくださいました。ご高名こうめいは、かねてうかがっております。いつか一度お目にかかってお話をうけたまわりたいものだとぞんじておりましたが、わざわざおたずねくださるなんて、こんなにうれしいことはありません。さあ、どうか。」
    と、二階のりっぱな応接室に案内しました。
    ふたりは、テーブルをはさんで、イスにかけましたが、初対面のあいさつをしているところへ、三十歳ぐらいの白いつめえりの上着を着た召し使いが、紅茶を運んできました。
    「わたしは、妻をなくしまして、ひとりぼっちなんです。家族といっては、このコックとふたりきりで、家が広すぎるものですから、あんなインド人なんかに部屋を貸したりして、とんだめにあいました。でも、たしかな紹介状を持ってきたものですから、つい信用してしまいましてね。」
    春木氏は、立ちさるコックのうしろ姿を、目で追いながら、いいわけするようにいうのでした。
    それをきっかけに、明智探偵は、いよいよ用件にはいりました。
    「じつは、あの夜のことを、あなたご自身のお口から、よくうかがいたいと思って、やってきたのですが、どうも、ふにおちないのは、ふたりのインド人が、わずかのあいだに消えうせてしまったことです。
    もう、ご承知でしょうが、子どもたちがむじゃきな探偵団をつくっていましてね。あの晩、中村係長たちが、ここへかけつける二十分ほどまえに、その子どもたちが、どの部屋ですか、ここの二階にふたりのインド人がいることを、ちゃんと、たしかめておいたのです。それが、警官たちよりも早くあなたがお帰りになったときに、もう、家の中にいなくなっていたというのは、じつにふしぎじゃありませんか。
    そのあいだじゅう、六人の子どもたちが、おたくのまわりに、げんじゅうな見はりをつづけていたのです。表門はもちろん、裏門からでも、あるいは塀を乗りこえてでも、インド人が逃げだしたとすれば、子どもたちの目をのがれることはできなかったはずです。」
    すると、春木氏はうなずいて、
    「ええ、わたしも、その点が、じつにふしぎでしかたがないのです。あいつらは、何かわれわれには想像もできない、妖術のようなものでもこころえていたのではないでしょうか。」
    と、いかにも、きみ悪そうな表情をしてみせました。
    「ところが、もう一つ、みょうなことがあるのですよ。あなたがお帰りになったのは、子どもたちがインド人がいることをたしかめてから、警官がくるまでのあいだでしたね。すると、そのときはもう、子どもたちは、ちゃんと見はりの部署についていたはずなのですが……、あなたは、むろん表門からおはいりになったのでしょうね。」
    「ええ、表門からはいりました。」
    「そのとき、表門には、ふたりの子どもが番をしていたのですよ。その子どもたちを、ごらんになりましたか。門柱のところに、番兵ばんぺいのように立っていたっていうのですが。」
    「ほう、そうですか。わたしはちっとも気がつきませんでしたよ。ちょうどそのとき、子どもたちがわきへ行っていたのかもしれませんね。げんじゅうな見はりといったところで、なにしろ年はもいかない小学生のことですから、あてにはなりませんでしょう。」
    「ところが、子どもというものはばかになりませんよ。何かに一心になると、おとなのように、ほかのことは考えませんからね。ぼくはこういうばあいには、おとなよりも子どものほうが信用がおけると思います。

    青空文庫より

  • 猫とモミの木

    キャスト キャラクター紹介