野村胡堂 「銭形平次捕物控 平次屠蘇機嫌」全編 萩柚月朗読

野村胡堂 「銭形平次捕物控 平次屠蘇機嫌」全編 萩柚月朗読

 元日の晝下り、八丁堀町御組屋敷の年始廻りをした錢形平次と子分の八五郎は、海賊橋かいぞくばしを渡つて、青物町へ入らうと言ふところでヒヨイと立止りました。

「八、目出度いな」
「へエ――」
ガラツ八は眼をパチ/\させます。正月の元日が今始めて解つた筈もなく、天氣は朝つからの日本晴れだし、今更親分に目出度がられるわけは無いやうな氣がしたのです。
「旦那方のめえぢや、呑んだ酒も身につかねえ。丁度腹具合も北山だらう、一杯身につけようぢやないか」
平次は斯んな事を言つて、ヒヨイとあごをしやくりました。成程、その顎の向つた方角、活鯛いけだひ屋敷の前に、何時の間に出來たか、洒落しやれた料理屋が一軒、大門松を押つ立てゝ、年始廻りの中食で賑はつてゐたのです。
「へエ――、本當ですか、親分」
ガラツ八の八五郎は、存分に鼻の下を長くしました。ツヒぞ斯んな事を言つたことの無い親分の平次が、與力笹野新三郎の役宅で、屠蘇とそを祝つたばかりの歸り途に、一杯呑み直さうといふ量見が解りません。
「本當ですかは御挨拶だね。後で割前を出せなんてケチな事を言ふ氣遣ひはねえ。サア、眞つ直ぐに乘り込みな」
さう言ふ平次、料理屋の前へ來ると、フラリとよろけました。組屋敷で軒並めた屠蘇とそが、今になつて一時に發したのでせう。
「親分、あぶないぢやありませんか」
「何を言やがる。危ねえのは手めえの顎だ、片附けて置かねえと、俺の髷節に引つ掛るぢやないか」
「冗談でせう、親分」
二人は黒板塀を繞らした、相當の構の門へつながつて入つて行きました。
眞新しい看板に「さざなみ」と書き、淺黄あさぎの暖簾に鎌輪奴かまわぬと染め出した入口、ヒヨイと見ると、頭の上の大輪飾おほわかざりが、どう間違へたか裏返しに掛けてあるではありませんか。
「こいつは洒落て居るぜ、――正月が裏を返しや盆になるとよ。ハツハツ、ハツハツ、だが、世間附き合ひが惡いやうだから、ちよいと直してやらう」
平次は店の中から空樽あきだるを一梃持出して、それを踏臺に、輪飾りを直してやりました。
「入らつしやい、毎度有難う存じます」
「これは親分さん方、明けましてお目出度うございます。大層御機嫌で、へツ、へツ」
帳場に居た番頭と若い衆、掛け合ひで滑らかなお世辭を浴びせます。
「何を言やがる、身錢を切つた酒ぢやねえ、お役所のお屠蘇で御機嫌になれるかツてんだ」
「へツ、御冗談」
平次は無駄を言ひ乍ら、フラリフラリと二階へ――
「お座敷は此方でございます。二階は混み合ひますから」
小女が座布團を温め乍ら言ふのです。
「混み合つた方が正月らしくて宜いよ。大丈夫だ、人見知りをするやうな育ちぢやねえ。――尤もこの野郎は醉が廻ると噛み付くかも知れないよ」
平次は後から登つて來るガラツ八の鼻のあたりを指すのでした。
小女はんがりともせずに跟いて來ました。二階の客は四組十人ばかり、二た間の隅々に陣取つて正月氣分もなく靜かに呑んで居ります。
「其處ぢやさらし物見たいだ。通りの見える所にしてくれ」
部屋の眞ん中に拵へた席を、平次は自分で表の障子の側に移し、ガラツ八と差し向ひで、威勢よく盃を擧げたものです。
「大層な景氣ですね、親分」
面喰つたのはガラツ八でした。平次のはしやぎ樣も尋常ではありませんが、それより膽を冷したのは、日頃堅いで通つた平次の、この日のあざやかな呑みつ振りです。
「心配するなよ。金は小判といふものをフンダンに持つて居るんだ。――なア八、俺もこの稼業には飽々あき/\してしまつたから、今年は一つ商賣替をしようと思ふがどうだ」
「冗談で――親分」
「冗談や洒落で、元日早々こんな事が言へるものか。大眞面目の涙の出るほど眞劍な話さね。八、江戸中で一番儲かる仕事は一體何んだらう。――相談に乘つてくれ」
さう言ふうちにも、平次は引つ切りなしに盃をあけました。見る/\膳の上に林立する徳利の數、ガラツ八の八五郎は薄寒い心持でそれを眺めて居ります。
「儲かる事なんか、あつしがそんな事を知つてゐるわけが無いぢやありませんか」
「成程ね。知つて居りや、自分で儲けて、この俺に達引たてひいてくれるか。――有難いね、八、手前の氣つぷに惚れたよ」
「――」
ガラツ八は閉口してぼんのくぼを撫でました。
「――尤も、手前の氣つぷに惚れたのは俺ばかりぢやねえ。横町の煮賣屋のお勘ん子がさう言つたぜ。――お願ひだから親分さん、八さんに添はして下さいつ――てよ」
「親分」
「惡くない娘だぜ。少し、唐臼からうすを踏むが、大したきりやうさ。何方を見て居るか、ちよつと見當の付かない眼玉の配りが氣に入つたよ。それに、あの娘は時々垂れ流すんだつてね、飛んだ洒落た隱し藝ぢやないか」
「止して下さいよ、親分」
「首でもくゝると氣の毒だから、何んとか恰好をつけておやりよ、畜生奴」
「親分」
ガラツ八はこんなに驚いたことはありません。錢形平次は際限さいげんもなく浴びせ乍ら、滅茶々々に饒舌り捲つて二階中の客を沈默させてしまひました。
四組のお客は、それにしても何と言ふおとなしいことでせう。そのころ流行はやつた、客同士の盃のやりとりもなく、地味に呑んで、地味に食ふ人ばかり。そのくせ、勘定が濟んでも容易に立たうとする者はなく、後から/\と來る客が立て込んで、何時の間にやら、四組が六組になり、八組になり、八疊と四疊半の二た間は、小女が食物を運ぶ道を開けるのが精一杯です。
「なア、八、本當のところ江戸中で一番儲かる仕事を教へてくれ、頼むぜ」
平次は尚も執拗しつあうにガラツ八を追及します。
「泥棒でもするんですね、親分」
ガラツ八は少し捨鉢になりました。
「何んだと此野郎ツ」
平次は何に腹を立てたか、いきなり起上つてガラツ八に掴みかゝりましたが、散々呑んだ足許が狂つて、見事膳を蹴上げると、障子を一枚背負つたまゝ、縁側へ轉げ出したのです。
「親分、危いぢやありませんか」
飛びつくやうに抱き起したガラツ八、これはあまり醉つてゐない上、どんなに罵倒ばたうされても、親分の平次に向つて腹を立てるやうな男ではありません。
「あゝ醉つた。――俺は眠いよ、此處で一と寢入りして歸るから、そつとして置いてくれ」
障子の上に半分のしかゝつたまゝ、平次は本當に眼をつぶるのです。
「親分、――さア、歸りませう。寢たきや、家に歸つてからにしようぢやありませんか」
「何を。女房の面を見ると、とたんに眼がさめる俺だ。お願ひだから、此處で――」
「親分、お願ひだから歸りませう、さア」
ガラツ八は手を取つて引き起します。
「よし、それぢや素直に歸る。手前てめえこれで、勘定を拂つてくれ。言ふまでもねえが、今日は元日だよ、八、勘定こつきりなんて見つともねえことをするな」
「心得てますよ、親分。――小判を一枚づつもやりや宜いんでせう」
「大きな事を言やがる」
ガラツ八は平次をなだめ乍ら、財布から小粒を出して勘定をすませ、板前と小女に、はずみ過ぎない程度のお年玉をやりました。
「あ、親分、そんな事は、をんなにやらせて置けば宜いのに――危いなアどうも」
八五郎もハツとしました。平次は覺束ない足をふみ締めて、自分の外した障子を一生懸命元の敷居へはめ込んで居るのです。
「放つて置け。俺が外した障子だ、俺が直すに何が危ないものか。おや、裏返しだぜ。骨が外へ向いてけつかる、どつこいしよ」
平次はまだ障子と角力を取つて居ります。

2017年6月11日

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