萩柚月朗読  銭形平次捕り物控 迷子札  野村胡堂

青空文庫より萩柚月朗読 銭形平次捕り物控 迷子札1.2 野村胡堂

萩柚月朗読 銭形平次捕り物控 迷子札 7.8 野村胡堂

萩柚月朗読 銭形平次捕り物控 迷子札3,4 野村胡堂


錢形平次捕物控

+目次

「親分、お願ひがあるんだが」
ガラツ八の八五郎は言ひ憎さうに、長いあごを撫でて居ります。
「又お小遣ひだらう、お安い御用みたいだが、たんとはねえよ」
錢形の平次はさう言ひ乍ら、立ち上がりました。
「親分、冗談ぢやない。又お靜さんの着物なんかいぢや殺生だ。――あわてちやいけねえ、今日は金が欲しくて來たんぢやありませんよ。金なら小判というものを、うんと持つて居ますぜ」
八五郎はこんな事を言ひ乍ら、泳ぐやうな手付きをしました。うつかり金の話をすると、お靜の髮の物までもねない、錢形平次の氣性が、八五郎に取つては、嬉しいやうな悲しいやうな、まことに變てこなものだつたのです。
「馬鹿野郎、お前が膝つ小僧を隱してお辭儀をすると、何時もの事だから、又金の無心と早合點するぢやないか」
「へツ、勘辨しておくんなさい――今日は金ぢやねえ、ほんの少しばかり、智慧の方を貸して貰ひてえんで」
ガラツ八は掌のくぼみで、額をピタリピタリと叩きます。
「何だ。智慧ならあらたまるに及ぶものか、小出しの口で間に合ふなら、うんと用意してあるよ」
「大きく出たね、親分」
「金ぢや大きな事が言へねえから、ホツとしたところさ。少しは附合つていゝ心持にさしてくれ」
「親分子分の間柄だ」
「馬鹿ツ、まるで掛合噺かけあひばなし見たいな事を言やがる、手つ取り早く筋を申し上げな」
「親分の智慧を借りてえといふのが、外に待つて居るんで」
誰方どなただい」
「大根畑の左官の伊之助親方を御存じでせう」
「うん――知つてるよ、あの酒の好きな、六十年配の」
「その伊之助親方の娘のお北さんなんで」
ガラツ八はさう言ひ乍ら、入口に待たして置いた、十八九の娘をせうじ入れました。
「親分さん、お邪魔をいたします。――實は大變なことが出來ましたので、お力を拜借に參りましたが――」
お北はさう言ひ乍ら、淺黒いキリヽとした顏を擧げました。決して綺麗ではありませんが、氣性者きしやうものらしいうちに愛嬌があつて地味な木綿の單衣ひとへも、こればかりは娘らしい赤い帶も、言ふに言はれぬ一種の魅力でした。
「大した手傳ひは出來ないが、一體どんな事があつたんだ、お北さん」
「他ぢや御座いませんが、私の弟の乙松おとまつといふのが、七日ばかり前から行方不明ゆくへしれずになりました」
「幾つなんで」
「五つになつたばかりですが、智慧の遲い方で何にも解りません」
「心當りは搜したんだらうな」
「それはもう、親類から遊び仲間の家まで、私一人で何遍も/\搜しましたが、此方から搜す時は何處へ隱れて居るのか、少しも解りません」
お北の言葉には、妙にからんだところがあります。
「搜さない時は出て來るとでも言ふのかい」
「幽靈ぢやないかと思ひますが」
かしこさうなお北も、そつと後を振り向きました。眞晝の明るい家の中には、もとより何の變つたこともあるわけはありません。
「幽靈?」
「昨夜、お勝手口の暗がりから、――そつと覗いて居りました」
「その弟さんが?」
「え」
「をかしな話だな、本物の弟さんぢやないのか」
「いえ、乙松はあんな樣子をして居る筈はありません。芝居へ出て來る先代萩せんだいはぎの千松のやうに、たもとの長い絹物の紋附を着て、頭も顏もお稚兒ちごさんのやうに綺麗になつて居ましたが、不思議なことに、はかまの裾はぼけて、足は見えませんでした」
お北は氣性者でも、迷信でこり固まつた江戸娘でした。かう言ふうちにも、何やらおびやかされるやうに襟をかき合せて、ぞつと肩をすくめます。
「そいつは氣の迷ひだらう――物は言はなかつたかい」
「言ひ度さうでしたが、何にも言はずに見えなくなつてしまひました」
「フーム」
平次もこれだけでは、智慧の小出しを使ひやうもありません。
「私はもう悲しくなつて、いきなり飛出さうとすると、父親が――あれは狐か狸だらう、乙松はあんな樣子をして居る筈はないから――つて無理に引止めました。一體これはどうしたことでせう、親分さん」
弟思ひらしいお北の顏は、言ひやうもない悲みと不安がありました。七日の間、相談する相手もなく、何彼と思ひ惱んだことでせう。

青空文庫より

2016年10月27日

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