江戸川乱歩「モノグラム」二宮 隆朗読

江戸川乱歩「モノグラム」二宮 隆朗読

45.67
Apr 15, 2018

私が、私の勤めていたある工場の老守衛(といっても、まだ五十歳にはのある男なのですが、何となく老人みたいな感じがするのです)栗原くりはらさんと心安くなって間もなく、恐らくこれは栗原さんの取って置きの話のたねで、彼は誰にでも、そうした打開うちあけ話をしても差支さしつかえのない間柄あいだがらになると、待兼まちかねた様に、それを持出すのでありましょうが、私もある晩のこと、守衛室のストーブを囲んで、その栗原さんの妙な経験談を聞かされたのです。
栗原さんは話上手な上に、なかなか小説家でもあるらしく、この小噺こばなしめいた経験談にも、どうやら作為の跡が見えぬではありませんが、それならそれとして、やっぱり捨て難い味があり、そうした種類の打開け話としては、私はいまだに忘れることの出来ないものの一つなのです。栗原さんの話しっぷりを真似まねて、次にそれを書いて見ることに致しましょうか。

いやはや、落しばなしみたいなお話なんですよ。でも、先にそれを云ってしまっちゃ御慰おなぐさみが薄い。まあ当り前の、エー、お惚気のろけのつもりで聞いて下さいよ。
私が四十の声を聞いて間もなく、四五年あとのことなんです。いつもお話する通り、私はこれで相当の教育は受けながら、妙に物事に飽きっぽいたちだものですから、何かの職業に就いても、大抵たいてい一年とはもたない。次から次と商売替えをして、到頭とうとうこんなものに落ちぶれて了ったわけなんですが、その時もやっぱり、一つの職業をして、次の職業をめっける間の、つまり失業時代だったのですね。御承知のこの年になって子供はなし、ヒステリーの家内と狭いうちに差し向いじゃやりきれませんや。私はよく浅草公園へ出掛けて、所在のない時間をつぶしたものです。
いますね、あすこには。公園といっても六区ろっくの見世物小屋の方でなく、池から南の林になった、共同ベンチの沢山たくさん並んでいる方ですよ。あの風雨にさらされて、ペンキがはげ、白っぽくなったベンチに、又は捨て石や木の株などに、丁度それらにふさわしく、浮世の雨風に責めさいなまれて、気の抜けた様な連中が、すき間もなく、こう、思案に暮れたという恰好かっこうで腰をかけていますね。自分もその一人として、あの光景を見ていますと、あなた方にはお分りにならないでしょうが、まあ何とも云えない、物悲しい気持になるものですよ。
ある日のこと、私はそれらのベンチの一つに腰をおろして、いつもの通りぼんやり物思いにふけっていました。丁度春なんです。桜はもう過ぎていましたが、池を越して向うの活動小屋の方は、大変な人出で、ドーッという物音、楽隊、それに交っておもちゃの風船玉の笛の音だとか、アイスクリーム屋の呼び声だとかが、甲高かんだかく響いて来るのです。それに引きかえて、私達の居る林の中は、まるで別世界の様にしずかで、恐らく活動を見るお金さえ持合せていない、みすぼらしい風体ふうていの人々が、飢えた様な物憂ものうい目を見合せ、いつまでもいつまでも、じっと一つ所に腰をおろしている。こんな風にして罪悪というものが醗酵はっこうするのではないかと思われるばかり、実に陰気で、物悲しい光景なのです。
そこは、林の中の、丸くなった空地で、私達の腰かけている前を、私達と無関係な、幸福そうな人々が、絶えず通り抜けています。それが着かざった女なんかだと、それでも、ベンチの落伍者らくごしゃ共の顔が、一斉いっせいにその方を見たりなんかするのですね。そうした人通りが一寸ちょっと途絶とだえて、空地がからっぽになっていた時でした、ですから自然私も注意した訳でしょうが、一方のすみのアーク燈の鉄柱の所へ、ヒョッコリ一人の人物が現れたのです。
三十前後の若者でしたが、風体はさしてみすぼらしいというではないのに、どことなくさびし気な、少くとも顔つきだけは、決して行楽の人ではなく、私共落伍者のお仲間らしく見えるのです。彼はベンチの明いた所でも探す様に、しばらくそこに立ち止まっていましたが、どこを見ても一杯な上に、彼の風采ふうさいに比べては、段違いに汚らしくこわらしい連中ばかりなので、恐らく辟易へきえきしたのでしょう、あきらめて立去りそうにした時、ふと彼の視線と私の視線とがぶつかりました。
すると彼は、やっと安心した様に、私の隣のわずかばかりのベンチの空間あきまを目がけて近づいて来るのです。そうした連中の中では、私の風体は、古ぼけた銘仙めいせんかなんか着ていて、おかしな云い方ですがいくらか立勝たちまさって見えたでしょうし、決してほかの人達の様に険悪ではなかったのですから、それが彼を安心させたと見えます。それとも、これはあとになって思い当ったことですが、彼は最初から私の顔に気がついていたのかも知れません。イエ、その訳はじきにお話ししますよ。
どうも私のくせで、お話が長くなっていけませんな、で、その男は私の隣へ腰をかけると、たもとから敷島の袋を出して、煙草たばこい始めましたのですが、そうしている内に、段々、変な予感みたいなものが、私を襲って来るのです。妙だなと思って、気をつけて見ると、男が煙草をふかしながら、横の方から、ジロジロと私を眺めている、その眺め方が決して気まぐれでなく、何とやら意味ありげなんですね。
相手が病身らしいおとなし相な男なので、気味が悪いよりは、好奇心の方が勝ち、私はそれとなく彼の挙動に注意しながら、じっとしていました。あの騒がしい浅草公園の真中にいて、色々な物音はたしかに聞えているのですが、不思議にシーンとした感じで、長い間そうしていました。相手の男が、今にも何か云い出すかと、待構える気持だったのです。
すると、やっと男が口を切るのですね。「どっかで御目にかかりましたね」って、おどおどした小さな声です。多少予期していたので、私は別に驚きはしませんでしたが、不思議と思い出せないのですよ。そんな男、まるで知らないのです。
「人違いでしょう。私は一向いっこう御目にかかった様に思いませんが」って返事をすると、それでも、相手はどうも不得心な顔で、又しても、ジロジロと私を眺め出すではありませんか。ひょっとしたら、こいつ何かたくらんでるんじゃないかと、流石さすがに気持がよくはありませんや、「どこでお逢いしました」ってもう一度尋ねたものです。
「サア、それが私も思い出せないのですよ」男が云うのですね。「おかしい、どうもおかしい」小首をかしげて「昨今のことではないのです。もうずっとせんから、ちょくちょく御目にかかっている様に思うのですが、本当に御記憶ありませんか」そういって、かえって私を疑う様に、そうかと思うと、変になつかし相な様子でニコニコしながら私の顔を見るじゃありませんか。
「人違いですよ。そのあなたの御存じの方は何とおっしゃるのです。お名前は」って聞きますと、それが変なんです。「私もさいぜんから一生懸命思い出そうとしているのですが、どういう訳か、出て来ません。でも、お名前を忘れる様な方じゃないと思うのですが」
「私は栗原一造いちぞうて云います」私ですね。
「アア左様さようですか、私は田中三良たなかさぶろうって云うのです」これが男の名前なんです。
私達はそうして、浅草公園の真中で名乗り合いをした訳ですが、妙なことに、私の方は勿論もちろん、相手の男も、その名前にちっとも覚えがないというのです。馬鹿馬鹿しくなって、私達は大声を上げて笑い出しました。すると、するとですね、相手の男の、つまり田中三良のその笑い顔が、ふと私の注意をいたのです。おかしなことには、私までが、何だか彼に見覚えがある様な気がし出したのです。しかも、それがごく親しい旧知にでもめぐった様に、妙に懐しい感じなんですね。
そこで、突然笑いをめて、もう一度その田中と名乗る男の顔を、つくづく眺めた訳ですが、同時に田中の方でも、ピッタリとわらいを納め、やっぱり笑いごとじゃないといった表情なんです。これがほかの時だったら、それ以上話を進めないで別れて了ったことでしょうが、今云う失業時代で、退屈で困っていた際ですし、時候はのんびりとした春なんです。それに、見た所私よりも風体のととのった若い男と話すことは、悪い気持もしないものですから、まあひまつぶしといった鹽梅あんばいで、変てこな会話を続けて行きました。こういう工合ぐあいにね。
「妙ですね、お話ししてる内に、私も何だかあなたを見たことがある様な気がして来ましたよ」これは私です。
「そうでしょう。やっぱりそうなんだ。しかも道で行違ったという様な、一寸顔を合せた位のとこじゃありませんよ、確に」
「そうかも知れませんね。あなたお国はどちらです」
三重みえ県です。最近始めてこちらへ出て来まして、今勤め口を探している様な訳です」
して見ると、彼もやっぱり一種の失業者なんですね。
「私は東京の者なんだが、で、御上京なすったのはいつ頃なんです」
「まだ一月ばかりしかたちません」
「その間にどっかでお逢いしたのかも知れませんね」
「いえ、そんな昨日今日のことじゃないのですよ。確に数年ぜんから、あなたのもっとお若い時分から知ってますよ」
「そう、私もそんな気がする。三重県と。私は一体旅行嫌いで、若い時分から東京をはなれたことはほとんどないのですが、ことに三重県なんて上方かみがただということを知っている位で、はっきり地理もわきまえない始末ですから、お国で逢ったはずはなし、あなたも東京は始めてだと云いましたね」
箱根はこねからこっちは、本当に始めてなんです。大阪おおさかで教育を受けて、これまであちらで働いていたものですから」
「大阪ですか、大阪なら行ったことがある。でも、もう十年も前になるけれど」
「それじゃ大阪でもありませんよ。私は七年ぜんまで、つまり中学を出るまで国にいたのですから」
こんな風にお話すると、何だかくどい様ですけれど、その時はおたがいになかなか緊張していて、何年から何年までどこにいて、何年の何月にはどこそこへ旅行したと、こまかいことまで思出し、比べ合って見ても、一つもそれがぶつからない。たまに同じ地方へ旅行しているかと思うと、まるで年代が違ったりするのです。さあそうなると、不思議で仕様しようがないのですね。人違いではないかと云っても相手は、こんなによく似た人が二人いるとは考えられぬと主張しますし、それが一方だけならまだしも、私の方でも、見覚えがある様な気がするのですから、一概に人違いと云い切る訳にも行きません。話せば話す程、相手が昔馴染むかしなじみの様に思え、それにもかかわらず、どこで逢ったかは愈々いよいよ分らなくなる。あなたにはこんな御経験はありませんか、実際変てこな気持のものですよ。神秘的、そうです。何だか神秘的な感じなんです。ひまつぶしや、退屈をまぎらす為ばかりではなく、そういう風に疑問が漸層的ぜんそうてきに高まって来ると、執拗しつようにどこまでもしらべて見たくなるのが人情でしょうね。
が、結局分らないのです。多少あせり気味で、思い出そうとすればする程、頭が混乱して、二人が以前から知合いであることは、分り過ぎる程分っているではないか、なんて思われて来たりするのです。でも、いくら話して見ても、要領を得ないので、私達は又々笑い出す外はないのでした。
しかし要領は得ないながらも、そうして話し込んでいる内に、お互に好意を感じ、以前はいざ知らず、少くともその場からは忘れ難い馴染になって了った訳です。それから田中のおごりで、池のそばの喫茶店に入り、お茶をのみながら、そこでも暫く私達の奇縁を語り合ったのち、その日は何事もなくわかれました。そして分れる時には、お互の住所を知らせ、ちとお遊びにと云い交す程の間柄になっていたのです。
それが、これっきりで済んで了えば、別段お話する程のことはないのですが、それから四五日たって、妙なことが分ったのです。田中と私とは、やっぱりある種のつながりを持っていたことが分ったのです。始めに云った私のお惚気というのはこれからなんですよ。(栗原さんはここで一寸笑って見せるのです)田中の方では、これは当てのある就職運動に忙しいと見えて、一向いっこう訪ねて来ませんでしたが、私は例によって時間つぶしに困っていたものですから、ある日、ふと思いついて、彼の泊っている上野公園裏の下宿屋を訪問したのです。もう夕方で、彼は丁度外出から帰った所でしたが、私の顔を見ると、待っていたと云わぬばかりに、いきなり「分りました、分りました」と叫ぶのです。
「例のことね。すっかり分りましたよ。昨夜ゆうべです。昨夜とこの中でね、ハッと気がついたのです。どうも済みません。やっぱり私の思い違いでした。一度も御逢いしたことはないのです。併し、御逢いはしていないけれど、満更まんざら御縁がなくはないのですよ。あなたはもしや、北川きたがわすみという女を御存じじゃないでしょうか」
やぶからぼうの質問で一寸驚きましたが、北川すみ子という名を聞くと、遠い遠い昔の、華やかな風が、そよそよと吹いて来る様な感じで、数日来の不思議な謎が、いくらかは解けた気がしました。
「知ってます。でも、随分ずいぶん古いことですよ。十四五年も前でしょうか、私の学生時代なんですから」
というのは、いつかもお話ししました通り、私は学校にいた時分は、これでなかなか交際家でして、女の友達などもいくらかあったのですが、北川すみ子というのはその内の一人で、特別に私の記憶に残っている女性なのです。××女学校に通っていましたがね。美しい人で、我々の仲間の歌留多会かるたかいなんかでは、いつでも第一の人気者、というよりはクィーンですね、美人な代りにはどことなくけんがあり、こう近寄りがたい感じの女でした。その女にね(栗原さんは一寸云いしぶって、頭をかくのです)実は私はれていたのですよ。しかもそれが、恥しながら片思いという訳なんです。そして、私が結婚したのは、やっぱり同じ女学校を出た、仲間では第二流の美人、イヤ今じゃ美人どころか、手におえないヒステリィ患者ですが、当時はまあまあ十人並だった御承知のおそのなんです。手頃な所で我慢しちまった訳ですね。つまり、北川すみ子という女は、私の昔の恋人であり、家内にとっては学校友達であったのです。

2018年5月27日

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