大阪圭吉「デパートの絞刑吏」二宮隆朗読

大阪圭吉「デパートの絞刑吏」二宮隆朗読

52.07
Mar 26, 2018

デパートの絞刑吏

大阪圭吉

多分独逸ドイツ物であったと思うが、或る映画の試写会で、青山喬介あおやまきょうすけ――と知り合いになってから、二カ月程後の事である。
早朝五時半。社からの電話を受けた私は、喬介と一緒にRデパートへ、その朝早く起こった飛降り自殺のニュースを取るために、フルスピードでタクシーを飛ばしていた。
喬介は私よりも三年も先輩で、かつては某映画会社の異彩ある監督として特異な地位を占めてはいたが、日本のファンの一般的な趣向と会社の営利主義コムマアシャリズムとに迎合する事が出来ず、映画界を隠退して、一個の自由研究家として静かな生活を送っていた。勤勉で粘強な彼は、一面に於て、メスの如く鋭敏な感受性と豊富な想像力を以てしばしば私を驚かした。とは言え彼は又あらゆる科学の分野にわたって、周到な洞察力と異状に明晰な分析的智力を振い宏大な価値深い学識を貯えていた。
私は喬介とのこの交遊の当初に於てその驚くべき彼の学識を私の職業的な活動の上に利用しようとたくらんだ。が、日を経るにつれて私の野心は限りない驚嘆と敬慕の念に変って行った。そうして間もなく私は、本郷の下宿を引き払って彼の住んでいるアパートへ、しかも彼と隣合せの部屋へ移住してしまった。それ程この青山喬介と言う男は、私にとって犯し難い魅力を持っていたのである。

六時十分前に、私達はRデパートへ着いた。墜死の現場はこのデパートの裏に当る東北側の露地ろじで、血痕の凝結したアスファルトの道路の上には、附近の店員や労働者や早朝の通行人が、建物の屋上を見上げたり、口々にやかましくしゃべり合ったりしていた。
死体は仕入部の商品置場に仮収容され、当局の一行が検死を終わった処であった。私達が其処そこへ入って行くと、今度○○署の司法主任に栄進した私の従兄弟いとこが快く私達を迎えながら、この事件は自殺でなく絞殺による他殺事件である事、被害者はこの店の貴金属部のレジスター係で野口達市のぐちたついちと言う二十八歳の独身店員である事、死体の落下点付近に幾つかのダイヤの混じった高価な真珠の首飾くびかざりが落ちていた事、そしてその首飾は、一昨日おととい被害者の勤務する貴金属部で紛失した二品の内の一つである事、更に又、死体及び首飾は今朝四時に巡廻中の警官に依って発見されたものなる事、そして最後に、この事件は自分が担任している事を附け加えて、少々得意気に話してくれた。説明が終わると、私達は許しを得て死体に接近し、罌粟けしの花の様なその姿に見入る事が出来た。
頭蓋骨は粉砕ふんさいされ、極度に歪められた顔面は、凝結した赤黒い血痕に依って物凄く色彩いろどられていた。頸部には荒々しい絞殺の瘡痕が見え、土色に変色した局部の皮膚は所々破れて少量の出血がタオル地の寝巻のえりに染み込んでいた。検死のために露出された胸部には、同じ様な土色の蚯蚓腫みみずばれが怪しくななめに横たわり、その怪線に沿う左胸部の肋骨ろっこつの一本は、無惨にもヘシ折られていた。更に又、屍体の所々――両方のてのひら、肩、下顎部、ひじ等の露出個所には、無数の軽い擦過傷さっかしょうが痛々しく残り、タオル地の寝巻にも二、三のほころびが認められた。
私がこの無惨な光景をノートに取っている間、喬介は大胆にも直接死体に手を触れて掌中てのなかその他の擦過傷や頸胸部の絞痕を綿密に観察していた。
「死後何時間を経過していますか?」
喬介は立上がると、物好きにも側にいた警察医に向ってこう質問した。
「六、七時間を経ていますね」
「すると、昨晩の十時から十一時までの間に殺された訳ですね。そしていつ頃に投げおとされたものでしょう?」
「路上に残された血痕、又は頭部の血痕の凝結状態から見てどうしても午前三時より前の事です。それから、少くとも十二時頃まではあの露地にも通行人がありますから、結局時間の範囲は零時から三時頃までの間に限定されますね」
「私もそう思います。それから被害者が寝巻を着ているのは何故でしょうか? 被害者は宿直員ではないのでしょう?」
喬介のこの質問に警察医は黙ってしまった。今まで司法主任に何事か訊問されていた寝巻姿の六人の店員の一人が、警察医に代って喬介の質問に答えた。
「野口君は昨夜ゆうべ宿直だったのです。と言うのは、各々違った売場から毎晩順番の交代で宿直するのが、この店の特種な[#「特種な」はママ]規則と言いますかまあキマリになっているのです。昨晩の宿直は、店員の中ではこの野口君と私と、其処そこに立っている五人と、都合七人でした。それから雑役の用務員さんのかた彼処あそこにいる三人を加え、全部で十人の宿直でした。そんなわけで同じ宿直室へ寝ながら、宿直員の中ではお互に馴染なじみの少い顔ばかりと言う事になるのです。昨晩の様子ですか? 御承知の通り只今では毎晩九時まで夜間営業をしていますので、九時に閉店してからすっかり静かになるまでには四十分は充分に掛ります。昨晩私達が、各々手分けをして戸締りを改めてから消燈して寝に就いた時は、もう十時に近い頃でした。野口君は、寝巻に着換えてから一人で出て行かれたようですが多分便所へでも行くのだろうと思って別に気にも留めませんでした。それから今朝の四時にお巡りさんに起されるまでは、何にも知らずにぐっすり眠ってしまったのです。……ええ、宿直室は、用務員さん達のが地階で、私達のは三階の裏側に当っています。六階から屋上に通ずるドアーですか? 別に錠は下しません」
この宿直店員の供述が終ると、喬介は他の八人の宿直員に向って、昨晩の事に関して今の供述以外のニュースを持っている人はないかを質問した。が、別に新しい報告をもたらした者はなかった。ただ、子供服部に属していると言う一人が、昨晩は歯痛のために一時頃まで眠られなかった事、その間野口達市のベッドがからである事には少しも気が附かなかった事、怪し気な物音なぞは少しも聞えなかった事等、ちょっとした陳述をなしたに過ぎなかった。
次に首飾に関する喬介の質問に対して鼻先の汗をハンカチで拭いながら、貴金属部の主任が次の様に語った。
「只今知らせを受け驚いて出勤したばかりです。野口君はいい人でしたが残念な事をしました。決して他人ひとから恨みを受ける様な人ではありません。首飾の盗難事件ですか? どうも野口君に限って首飾とは関係ないと思いますね。とにかく首飾は一昨晩の閉店時に紛失したのです。これこれ二品です。合わせてちょうど二万円の代物です。で当時の状況からして確かにお客さんの中に犯人が混じっていたと思われます。従って貴金属部の店員は申すに及ばず、全店員の身体検査をするやら建物の上から下まで細密な捜索をするやら、いや全くこの一両日は大騒ぎでした。それがこの始末です。全く不思議です」
丁度主任の供述が終った時、屍体の運搬車が来て、三人の雑役係の宿直用務員が屍体を重そうにげ、臆病そうにヨタヨタした足取りで運び出して行った。その様子を暫く名残り惜し気に見詰めていた喬介は、やがて振り返るや私の肩を叩きながら元気よく叫んだ。
「君、屋上へ行こう」

2018年5月27日

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