吉川英治「三国志」 義盟 朗読岡田慎平

吉川英治「三国志」 義盟 朗読岡田慎平

41.80
Nov 01, 2017

義盟ぎめい

桃園へ行ってみると、関羽と張飛のふたりは、近所の男を雇ってきて、園内の中央に、もう祭壇を作っていた。
壇の四方には、笹竹ささだけを建て、清縄せいじょうをめぐらして金紙きんし銀箋ぎんせんはなをつらね、土製の白馬をいけにえにして天を祭り、烏牛をほふったことにして、地神をまつった。
「やあ、おはよう」
劉備りゅうびが声をかけると、
「おお、お目ざめか」
張飛、関羽は、振向いた。
「見事に祭壇ができましたなあ。寝る間はなかったでしょう」
「いや、張飛が、興奮して、寝てから話しかけるので、ちっとも眠る間はありませんでしたよ」
と、関羽は笑った。
張飛は劉備のそばへきて、
「祭壇だけは立派にできたが、酒はあるだろうか」
心配して訊ねた。
「いや、母が何とかしてくれるそうです。今日は、一生一度の祝いだといっていますから」
「そうか、それで安心した。しかし劉兄、いいおっ母さんだな。ゆうべからそばで見ていても、うらやましくてならない」
「そうです。自分で自分の母を褒めるのもへんですが、子に優しく世に強い母です」
「気品がある、どこか」
「失礼だが、劉兄には、まだ夫人おくさんはないようだな」
「ありません」
「はやくひとりめとらないと、母上がなんでもやっている様子だが、あのお年で、お気の毒ではないか」
「…………」
劉備は、そんなことを訊かれたので、またふと、忘れていた鴻芙蓉こうふようの佳麗なすがたを思い出してしまった。
で、つい答えを忘れて、何となく眼をあげると、眼の前へ、白桃の花びらが、霏々ひひと情あるもののように散ってきた。
「劉備や。皆さんも、もうお支度はよろしいのですか」
厨に見えなかった母が、いつの間にか、三名の後ろにきて告げた。
三名が、いつでもと答えると、母はまた、いそいそと厨房ちゅうぼうのほうへ去った。
近隣の人手を借りてきたのであろう。きのう張飛の姿を見て、きゃっと魂消たまげて逃げた娘も、その娘の恋人の隣家の息子も、ほかの家族も、大勢して手伝いにきた。
やがて、まず一人では持てないような酒瓶さかがめが祭壇のむしろへ運ばれてきた。
それから豚の仔を丸ごと油で煮たのや、山羊の吸物の鍋や、干菜かんさい牛酪ぎゅうらくで煮つけた物だの、年数のかかった漬物だの――運ばれてくるごとに、三名は、その豪華な珍味の鉢や大皿に眼を奪われた。
劉備さえ、心のうちで、
「これは一体、どうしたことだろう」と、母の算段を心配していた。
そのうちにまた、村長の家から、花梨かりんの立派な卓と椅子いすがかつがれてきた。
「大饗宴だな」
張飛は、子どものように、歓喜した。
準備ができると、手伝いの者は皆、母屋へ退がってしまった。
三名は、
「では」
と、眼を見合せて、祭壇の前のむしろへ坐った。そして天地の神へ、
「われらの大望を成就させ給え」
と、祈念しかけると、関羽が、
「ご両所。少し待ってくれ」
と、なにか改まっていった。

青空文庫より

2017年12月29日

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