宮沢賢治「或る農学生の日誌」喜多川拓郎朗読

宮沢賢治「或る農学生の日誌」喜多川拓郎朗読

40.62
Oct 23, 2017

或る農学生の日誌

宮沢賢治

ぼくはのう学校の三年生になったときから今日まで三年の間のぼくの日誌にっし公開こうかいする。どうせぼくは字も文章ぶんしょう下手へただ。ぼくと同じように本気に仕事しごとにかかった人でなかったらこんなものじついや面白おもしろくもないものにちがいない。いまぼくが読みかえしてみてさえ実に意気地いくじなく野蛮やばんなような気のするところがたくさんあるのだ。ちょうど小学校の読本の村のことを書いたところのようにじつにうそらしくてわざとらしくていやなところがあるのだ。けれどもぼくのはほんとうだから仕方しかたない。ぼくらは空想くうそうでならどんなことでもすることができる。けれどもほんとうの仕事はみんなこんなにじみなのだ。そしてその仕事をまじめにしているともう考えることも考えることもみんなじみな、そうだ、じみというよりはやぼな所謂いわゆる田舎臭いなかくさいものにかわってしまう。
ぼくはひがんでうのでない。けれどもぼくが父とふたりでいろいろな仕事のことを云いながらはたらいているところを読んだら、ぼくをけいべつする人がきっと沢山たくさんあるだろう。そんなやつをぼくはたたきつけてやりたい。ぼくは人を軽べつするかそうでなければねたむことしかできないやつらはいちばん卑怯ひきょうなものだと思う。ぼくのようにはたらいている仲間なかまよ、仲間よ、ぼくたちはこんな卑怯さを世界せかいからくしてしまおうでないか

2017年12月29日

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