2016年4月

  • 青空文庫名作文学の朗読

    虹猫の話
    宮原晃一郎

     いつの頃ころか、あるところに一疋ぴきの猫ねこがゐました。この猫はあたりまへの猫とはちがつた猫で、お伽とぎの国から来たものでした。お伽の国の猫は毛色がまつたく別でした。まづその鼻の色は菫すみれの色をしてゐます。それに目玉はあゐ、耳朶みみたぶはうす青、前足はみどり、胴体は黄きい、うしろ足は橙色オレンヂで、尾は赤です。ですから、ちやうど、虹にじのやうに七色をしたふしぎな猫でした。
     その虹猫にじねこは、いろ/\と、ふしぎな冒険をしました。次にお話するのはやつぱり、そのうちの一つです。

     ある日、七色の虹猫は日向ぼつこをしてゐました。すると、何だか、たいくつで仕方がなくなりました。といふのは、近頃、お伽の国は天下太平で、何事もなかつたからです。
    「どうも、かういつも、あつけらかんとして遊んでばかりゐては、体が悪くなつていけない。」と、猫は考へました。「どれ、一つ、そこいらに出かけて、冒険でもやらうか知ら。」
     そこで、猫は、戸口にはり札をしました。
    「二三日、留守をしますから、郵便や小包が、もし留守中にきましたら、どうか、煙突の中に投げこんで置いて下さい。――郵便屋さんへ。」
     それから、ちよつとした荷物をこしらへて、それを尻尾しつぽのさきにつゝかけ、えつちやら、おつちやら、お伽の国境までやつて来ました。すると、ちやうど、そこに雲がむく/\と起つて来ました。
    「どれ一つ、雲の人たちのところに、顔出ししてみようかな。」
     猫はひとりごとを言ひながら、雲の土手をのぼり始めました。
     雲の国に住まつてゐる人たちは、たいへん愉快な人たちでした。仕事といつては、べつだん何にもしないのですが、それでも、怠けてゐるからつて、世の中が面白くないわけでもないのです。そして、みんな立派な雲の御殿に住まつてゐますが、御殿は地球から見える方よりも、見えない側がかへつて大へん美しいのです。
     雲の人たちは、とき/″\、一しよに、真珠色の馬車をはしらせたり、又軽いボートにのつて、帆をかけたりします。空の中に住まつてゐるので、たつた一人、恐こはいものは、雷様だけです。何しろ、雷様ときては、怒りつぽく、よく空をごろ/\と、足をふみ鳴らして、雲の人たちの家を叩たたきまはるからむりもないわけです。
    青空文庫より

  • 青空文庫名作文学の朗読
    岡田慎平朗読「三国志」桃園の巻 黄巾賊五吉川英治


    岡田慎平朗読「三国志」桃園の巻吉川英治流行る童歌


    三国志

    桃園の巻
    吉川英治
    黄巾賊こうきんぞく

     後漢ごかんの建寧けんねい元年のころ。
     今から約千七百八十年ほど前のことである。
     一人の旅人があった。
     腰に、一剣を佩はいているほか、身なりはいたって見すぼらしいが、眉まゆは秀ひいで、唇くちは紅あかく、とりわけ聡明そうめいそうな眸ひとみや、豊ゆたかな頬をしていて、つねにどこかに微笑をふくみ、総じて賤いやしげな容子ようすがなかった。
     年の頃は二十四、五。
     草むらの中に、ぽつねんと坐って、膝をかかえこんでいた。
     悠久ゆうきゅうと水は行く――
     微風は爽さわやかに鬢びんをなでる。
     涼秋の八月だ。
     そしてそこは、黄河の畔ほとりの――黄土層の低い断きり岸ぎしであった。
    「おーい」
     誰か河でよんだ。
    「――そこの若い者ウ。なにを見ているんだい。いくら待っていても、そこは渡し舟の着く所じゃないぞ」
     小さな漁船から漁夫りょうしがいうのだった。
     青年は笑えくぼを送って、
    「ありがとう」と、少し頭を下げた。
     漁船は、下流へ流れ去った。けれど青年は、同じ所に、同じ姿をしていた。膝をかかえて坐ったまま遠心的な眼をうごかさなかった。
    「おい、おい、旅の者」
     こんどは、後ろを通った人間が呼びかけた。近村の百姓であろう。ひとりは鶏の足をつかんでさげ、ひとりは農具をかついでいた。
    「――そんな所で、今朝からなにを待っているんだね。このごろは、黄巾賊こうきんぞくとかいう悪徒が立ち廻るからな。役人衆に怪あやしまれるぞよ」
     青年は、振りかえって、
    「はい、どうも」
     おとなしい会釈えしゃくをかえした。
     けれどなお、腰を上げようとはしなかった。
     そして、幾千万年も、こうして流れているのかと思われる黄河の水を、飽あかずに眺めていた。
    (――どうしてこの河の水は、こんなに黄色いのか?)
     汀みぎわの水を、仔細に見ると、それは水その物が黄色いのではなく、砥石といしを粉にくだいたような黄色い沙すなの微粒びりゅうが、水に混まじっていちめんにおどっているため、濁にごって見えるのであった。
    「ああ……、この土も」
     青年は、大地の土を、一つかみ掌てに掬すくった。そして眼を――はるか西北の空へじっと放った。
     支那の大地を作ったのも、黄河の水を黄色くしたのも、みなこの沙の微粒である。そしてこの沙は中央亜細亜アジアの沙漠から吹いてきた物である。まだ人類の生活も始まらなかった何万年も前の大昔から――不断に吹き送られて、積り積った大地である。この広い黄土こうどと黄河の流れであった。
    「わたしのご先祖も、この河を下くだって……」
     彼は、自分の体に今、脈うっている血液がどこからきたか、その遠い根元までを想像していた。
     支那を拓ひらいた漢民族も、その沙の来る亜細亜の山岳を越えてきた。そして黄河の流れに添いつつ次第にふえ、苗族びょうぞくという未開人を追って、農業を拓ひらき、産業を興おこし、ここに何千年の文化を植えてきたものだった。
    「ご先祖さま、みていて下さいまし。いやこの劉備りゅうびを、鞭むち打って下さい。劉備はきっと、漢の民を興します。漢民族の血と平和を守ります」
     天へ向って誓うように、劉備青年は、空を拝していた。
     するとすぐ後ろへ、誰か突っ立って、彼の頭からどなった。
    「うさんな奴やつだ。やいっ、汝は、黄巾賊こうきんぞくの仲間だろう?」
    青空文庫より

  • 青空文庫名作文学の朗読

    イワンとイワンの兄
    渡辺温

     父親は病気になりました。あんまり年をとり過ぎているので再び快くなりませんでした。父親は自分の一生がもうおしまいになってしまったことを覚って、二人の息子を――即ちイワンの兄とイワンとを枕元へ呼び寄せて遺言しました。
     先ず兄に云いました。
    『お前は賢い息子だから、私はちっとも心配にならない。この家も畑もお金も、財産はすべてお前に譲ります。その代り、お前は、イワンがお前と一緒にいる限り、私に代って必ず親切に面倒をみてやって貰い度い。』
     それからさて父親は小さな銀製の箱を寝床ベッドの下から取り出しながら、イワンの方を向いてこう云いました。
    『イワン。お前は兄さんと引きかえて、まことに我が子ながら呆れ返る程の馬鹿で困る。お前には、畑やお金なぞをいくら分けてやったところで、どうせ直ぐに他人の手に渡してしまうに違いない。そこで私は、お前にこの銀の小箱をたった一つ遺してゆこうと考えた。この小箱の中に、私はお前の行末を蔵って置いた。お前が、万一兄さんと別れたりしてどうにもならない難儀な目に会った時には、この蓋を開けるがいい。そうすれば、お前はこの中にお前の生涯安楽にして食べるに困らないだけのものを見出すことが出来るだろう。だが、その時迄は、どんな事があってもかまえて開けてみてはならない。さあ、此処に鍵があるから誰にも盗まれぬように大切に肌身につけて置きなさい。……』
     イワンの兄も、イワンも、決して不平は云いませんでした。
     二人はただ父親の冥福を神に祈りました。
     最早や思い残すことのない父親は、やがて、エンゼルの姿をした二人の息子に手をとられて色とりどりの麗わしい花園を歩いている夢を見ながら、天国へ去りました。
    青空文庫より