2016年2月

  • 青空文庫作品の朗読「魚河岸」芥川龍之介 朗読 は田中智之さんです。


    魚河岸
    芥川龍之介
    去年の春の夜よ、――と云ってもまだ風の寒い、月の冴さえた夜よるの九時ごろ、保吉やすきちは三人の友だちと、魚河岸うおがしの往来を歩いていた。三人の友だちとは、俳人の露柴ろさい、洋画家の風中ふうちゅう、蒔画師まきえしの如丹じょたん、――三人とも本名ほんみょうは明あかさないが、その道では知られた腕うでっ扱こきである。殊に露柴ろさいは年かさでもあり、新傾向の俳人としては、夙つとに名を馳はせた男だった。
    我々は皆酔っていた。もっとも風中と保吉とは下戸げこ、如丹は名代なだいの酒豪しゅごうだったから、三人はふだんと変らなかった。ただ露柴はどうかすると、足もとも少々あぶなかった。我々は露柴を中にしながら、腥なまぐさい月明りの吹かれる通りを、日本橋にほんばしの方へ歩いて行った。
    露柴は生きっ粋すいの江戸えどっ児こだった。曾祖父そうそふは蜀山しょくさんや文晁ぶんちょうと交遊の厚かった人である。家も河岸かしの丸清まるせいと云えば、あの界隈かいわいでは知らぬものはない。それを露柴はずっと前から、家業はほとんど人任せにしたなり、自分は山谷さんやの露路ろじの奥に、句と書と篆刻てんこくとを楽しんでいた。だから露柴には我々にない、どこかいなせな風格があった。下町気質したまちかたぎよりは伝法でんぼうな、山の手には勿論縁の遠い、――云わば河岸の鮪まぐろの鮨すしと、一味相通ずる何物かがあった。………
    露柴はさも邪魔じゃまそうに、時々外套がいとうの袖をはねながら、快活に我々と話し続けた。如丹は静かに笑い笑い、話の相槌あいづちを打っていた。その内に我々はいつのまにか、河岸の取とっつきへ来てしまった。このまま河岸を出抜けるのはみんな妙に物足りなかった。するとそこに洋食屋が一軒、片側かたかわを照らした月明りに白い暖簾のれんを垂らしていた。この店の噂は保吉さえも何度か聞かされた事があった。「はいろうか?」「はいっても好いいな。」――そんな事を云い合う内に、我々はもう風中を先に、狭い店の中へなだれこんでいた。
    店の中には客が二人、細長い卓たくに向っていた。客の一人は河岸の若い衆、もう一人はどこかの職工らしかった。我々は二人ずつ向い合いに、同じ卓に割りこませて貰もらった。それから平貝たいらがいのフライを肴さかなに、ちびちび正宗まさむねを嘗め始めた。勿論下戸げこの風中や保吉は二つと猪口ちょくは重ねなかった。その代り料理を平げさすと、二人とも中々なかなか健啖けんたんだった。
    この店は卓も腰掛けも、ニスを塗らない白木しらきだった。おまけに店を囲う物は、江戸伝来の葭簀よしずだった。だから洋食は食っていても、ほとんど洋食屋とは思われなかった。風中は誂あつらえたビフテキが来ると、これは切り味みじゃないかと云ったりした。如丹はナイフの切れるのに、大いに敬意を表していた。保吉はまた電燈の明るいのがこう云う場所だけに難有ありがたかった。露柴も、――露柴は土地っ子だから、何も珍らしくはないらしかった。が、鳥打帽とりうちぼうを阿弥陀あみだにしたまま、如丹と献酬けんしゅうを重ねては、不相変あいかわらず快活にしゃべっていた。
    するとその最中さいちゅうに、中折帽なかおれぼうをかぶった客が一人、ぬっと暖簾のれんをくぐって来た。客は外套の毛皮の襟えりに肥った頬ほおを埋うずめながら、見ると云うよりは、睨にらむように、狭い店の中へ眼をやった。それから一言いちごんの挨拶あいさつもせず、如丹と若い衆との間の席へ、大きい体を割りこませた。保吉はライスカレエを掬すくいながら、嫌な奴だなと思っていた。これが泉鏡花いずみきょうかの小説だと、任侠にんきょう欣よろこぶべき芸者か何かに、退治たいじられる奴だがと思っていた。しかしまた現代の日本橋は、とうてい鏡花の小説のように、動きっこはないとも思っていた。
    客は註文を通した後のち、横柄おうへいに煙草をふかし始めた。その姿は見れば見るほど、敵役かたきやくの寸法すんぽうに嵌はまっていた。脂あぶらぎった赭あから顔は勿論、大島おおしまの羽織、認みとめになる指環ゆびわ、――ことごとく型を出でなかった。保吉はいよいよ中あてられたから、この客の存在を忘れたさに、隣にいる露柴ろさいへ話しかけた。が、露柴はうんとか、ええとか、好いい加減な返事しかしてくれなかった。のみならず彼も中あてられたのか、電燈の光に背そむきながら、わざと鳥打帽を目深まぶかにしていた。
    保吉やすきちはやむを得ず風中ふうちゅうや如丹じょたんと、食物くいものの事などを話し合った。しかし話ははずまなかった。この肥ふとった客の出現以来、我々三人の心もちに、妙な狂いの出来た事は、どうにも仕方のない事実だった。
    客は註文のフライが来ると、正宗まさむねの罎びんを取り上げた。そうして猪口ちょくへつごうとした。その時誰か横合いから、「幸こうさん」とはっきり呼んだものがあった。客は明らかにびっくりした。しかもその驚いた顔は、声の主ぬしを見たと思うと、たちまち当惑とうわくの色に変り出した。「やあ、こりゃ檀那だんなでしたか。」――客は中折帽を脱ぎながら、何度も声の主ぬしに御時儀おじぎをした。声の主は俳人の露柴ろさい、河岸かしの丸清まるせいの檀那だった。
    「しばらくだね。」――露柴は涼しい顔をしながら、猪口を口へ持って行った。その猪口が空からになると、客は隙すかさず露柴の猪口へ客自身の罎の酒をついだ。それから側目はためには可笑おかしいほど、露柴の機嫌きげんを窺うかがい出した。………
    鏡花きょうかの小説は死んではいない。少くとも東京の魚河岸には、未いまだにあの通りの事件も起るのである。
    しかし洋食屋の外そとへ出た時、保吉の心は沈んでいた。保吉は勿論「幸さん」には、何の同情も持たなかった。その上露柴の話によると、客は人格も悪いらしかった。が、それにも関かかわらず妙に陽気ようきにはなれなかった。保吉の書斎の机の上には、読みかけたロシュフウコオの語録がある。――保吉は月明りを履ふみながら、いつかそんな事を考えていた。
    青空文庫より

  • 録音会参加者を募集 したところ、5名の申し込みがあり、当日4名が参加しました。

    素晴らしい録音会になりました。

    ありがとうございます。

    順次YouTubeに公開していきます。

    一般の方が参加しての録音会

  • 第一回吉野弘朗読コンクール
    一般の部で優勝した二宮隆(りゅう)さんの朗読です。

    思い出草

    寺田寅彦
           一

     芭蕉ばしょうの「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」はあまりに有名で今さら評注を加える余地もないであろうが、やはりいくら味わっても味わい尽くせない句であると思う。これは芭蕉の一生涯いっしょうがいの総決算でありレジュメであると同時にまたすべての人間の一生涯のたそがれにおける感慨でなければならない。それはとにかく、自分の子供の時分のことである。義兄に当たる春田居士しゅんでんこじが夕涼みの縁台で晩酌ばんしゃくに親しみながらおおぜいの子供らを相手にいろいろの笑談をして聞かせるのを楽しみとしていた。その笑談の一つの材料として芭蕉のこの辞世の句が選ばれたことを思い出す。それが「旅に病んで」ではなくて「旅で死んで」というエディションになっていた。それを、首を左右にふりながら少し舌の滑動の怪しくなった口調で繰り返し繰り返し詠嘆する。その様子がおかしいので子供はみんな笑いこけたものである。しかし今になって考えてみると、かなり数奇すうきの生涯を体験した政客であり同時に南画家であり漢詩人であった義兄春田居士がこの芭蕉の句を酔いに乗じて詠嘆していたのはあながちに子供らを笑わせるだけの目的ではなかったであろうという気もするのである。そうしてそれを聞いて笑いこけていた当時子供の自分の頭にもこの句のこの変わったエディションが何かしら深い印象を刻んだということも今になって始めて自覚されるようである。

           二

    「落ちざまに虻あぶを伏せたる椿つばきかな」漱石先生の句である。今から三十余年の昔自分の高等学校学生時代に熊本くまもとから帰省の途次門司もじの宿屋である友人と一晩寝ないで語り明かしたときにこの句についてだいぶいろいろ論じ合ったことを記憶している。どんな事を論じたかは覚えていない。ところがこの二三年前、偶然な機会から椿の花が落ちるときにたとえそれが落ち始める時にはうつ向きに落ち始めても空中で回転して仰向きになろうとするような傾向があるらしいことに気がついて、多少これについて観察しまた実験をした結果、やはり実際にそういう傾向のあることを確かめることができた。それで木が高いほどうつ向きに落ちた花よりも仰向きに落ちた花の数の比率が大きいという結果になるのである。しかし低い木だとうつ向きに枝を離れた花は空中で回転する間がないのでそのままにうつ向きに落ちつくのが通例である。この空中反転作用は花冠の特有な形態による空気の抵抗のはたらき方、花の重心の位置、花の慣性能率等によって決定されることはもちろんである。それでもし虻が花の蕊しんの上にしがみついてそのままに落下すると、虫のために全体の重心がいくらか移動しその結果はいくらかでも上記の反転作用を減ずるようになるであろうと想像される。すなわち虻を伏せやすくなるのである。こんなことは右の句の鑑賞にはたいした関係はないことであろうが、自分はこういう瑣末さまつな物理学的の考察をすることによってこの句の表現する自然現象の現実性が強められ、その印象が濃厚になり、従ってその詩の美しさが高まるような気がするのである。

           三

     漱石先生の熊本時代くまもとじだいのことである。ある日先生の宅で当時高等学校生徒であった自分と先生と二人だけで戯れに十分十句じっぷんじっくというものを試みたことがあった。ずいぶん奇抜な句が飛び出して愉快であったが、そのときの先生の句に「つまずくや富士を向こうに蕎麦そばの花」というのがあったことを思い出す。いかにも十分十句のスピードの余勢を示した句で当時も笑ったが今思い出してもおかしくおもしろい。しかしこんな句にもどこか先生の頭の働き方の特徴を示すようなものがあるのである。たぶんやはりその時の句に、「※(「士/冖/石/木」、第4水準2-15-30)駝たくだ呼んでつくばい据すえぬ梅の花」というのがあった。その「たくだ」がむつかしくてわからず、また田舎者いなかものの自分にはその「つくばい」がなんだかわからなくて聞いたのであった。また別なときに「筋違すじかいに葱ねぎを切るなり都ぶり」という句を君はどう思うと聞かれたときも句の意味がわからなかった。説明を聞かされて事がらはわかったがどこがいいのか了解できなかったので、それは月並みじゃありませんかと悪口を言ったものであった。今考えてみるとやはりなかなか巧妙な句であると思う。

           四

     俳句がいわゆる「不易」なものの一断面「流行」の一つの相を表現したものである以上、人の句を鑑賞する場合における評価が作者と鑑賞者との郷土や年齢やの函数かんすうで与えられるのは当然であろう。これは何も俳句に限ったことでもないと思われる。「おとろえや歯に食いあてし海苔のりの砂」などという句でも若いころにはさっぱり興味がなくてむしろいやみを感じたくらいであったのが、自分でだんだん年を取ってみるとやはりそのむしろ科学的な真実性に引きつけられ深く心を動かされるようである。明治の昔ホトトギスの若い元気な連中が鳴雪翁めいせつおうをつかまえてよくいじめた時代があったのを思い出すのである。
    青空文庫より

  • 朗読カフェ、開始当初からメンバーとして参加している、二宮隆さん

    キャッチフレーズは「理系の朗読家」寺田寅彦のエッセーなどの作品を、ソフトな声と語り口で朗読しています。

    他の人が苦手な作品も、一手にお任せしている頼もしい存在です。

    一月二三日に行われた富士市の吉野弘朗読コンテストで 優勝しました。

    昨年の志布志の朗読コンテストで優勝文部科学大臣賞を受賞したのに続いての栄冠です。

    どちらも、百人以上の応募者の中から選ばれました。

    第6回朗読カフェライブ懇親会

    朗読コンテストで優勝した二宮隆さん








  • 錢形平次捕物控
    朱塗りの筐
    野村胡堂

    「親分、美い新造が是非逢はしてくれつて、來ましたぜ」
     とガラツ八の八五郎、薄寒い縁にしやがんで、柄にもなく、お月樣の出などを眺めてゐる錢形の平次に聲を掛けました。
     平次はこの時三十になつたばかり。江戸中に響いた捕物の名人ですが、女の一人客が訪ねて來るのは、少し擽ぐつたく見えるやうな好い男でもあつたのです。
    「何て顏をするんだ。――何方だか、名前を訊いたか」
    「それが言はねえ」
    「何?」
    「親分にお目にかゝつて申上げますつて、――滅法美い女だぜ、親分」
    「女が美くつたつて、名前も仰しやらない方にお目にかゝるわけには參りません。と言つて斷つて來い」
     平次は少し中ツ腹だつたでせう。名前も言はない美い女と聞くと、妙に頑固なことを言つて、ガラツ八を追つ拂はうとしました。
    「惡者に追つ驅けられたとか言つて、蒼い顏をして居ますよ、親分――」
    「馬鹿ツ、何だつて冒頭つからさう言はないんだ」
     平次はガラツ八を掻き退けるやうに、入口へ飛出して見ました。格子戸の中、灯から遠い土間に立つたのは、二十三――四の年増、ガラツ八が言ふほどの美い縹緻ではありませんが、身形も顏もよく整つた、確り者らしい奉公人風の女です。
    「お前さんか、あつしに逢ひたいといふのは?」
    「あ、親分さん、私は惡者に跟けられてゐます。どうしませう」
    「此處へ來さへすれば、心配することはない。後ろを締めて入んなさるがいゝ」
     唯ならぬ樣子を見て、平次は女を導き入れました。奧の一間――といつても狹い家、行燈を一つ點けると、家中の用が足りさうです。
    「親分さん、聞いて居る者はありませんか」
    「大丈夫、かう見えても、御用聞の家は、いろ/\細工がしてある。小さい聲で話す分には、決して外へ洩れる心配はない。――尤も外に人間は二人居るが、お勝手で働いてゐるのは女房で、今取次に出たのは、子分の八五郎と言ふものだ。少し調子ツ外れだが、その代り内證の話を外へ漏らすやうな氣のきいた人間ぢやねえ」
     平次は碎けた調子でさう言つて、ひどく硬張つて居る相手の女の表情をほぐしてやらうとするのでした。
    「では申上げますが、實は親分さん、私は銀町の石井三右衞門の奉公人、町と申す者で御座いますが」
    「えツ」
     石井三右衞門といへば、諸大名方に出入りするお金御用達、何萬兩といふ大身代を擁して、町人ながら苗字帶刀を許されて居る大商人です。
    「主人の用事で、身にも命にも替へ難い大事の品を預かり、仔細あつて本郷妻戀坂に別居していらつしやる若旦那のところへ屆けるつもりで、其處まで參りますと、豫てこの品を狙つて居る者の姿を見かけました。――いえ、逢つたに仔細は御座いませんが、――私の後を跟けて來たところを見ると、どんなことをしてもこの品を奪ひ取るつもりに相違御座いません」
     お町は、かう言ひながら、抱へて來た風呂敷包を解きました。中から出て來たのは、少し古くなつた桐柾の箱で、その蓋を取ると、中に納めてあるのは、その頃明人の飛來一閑といふ者が作り始めて、大變な流行になつて來た一閑張の手筐。もとより高價なものですが、取出したのを見ると、虞美人草のやうな見事な朱塗り、紫の高紐を結んで、その上に、一々封印をした物々しい品です。
    「フーム」
     錢形の平次も、妙な壓迫感に唸るばかりでした。石井三右衞門の使といふのが一通りでない上、朱塗の一閑張の手筐で、すつかり毒氣を拔かれて了つたのでせう。このお町とかいふ確り者らしい年増の顏を、次の言葉を待つともなく眺めやるのでした。
    「丁度通り掛つたのは、お宅の前で御座います。捕物の名人と言はれながら、滅多に人を縛らないといふ義に勇む親分にお願ひして、この急場を凌がうとしたので御座います。後先も見ずに飛び込んで、何とも申譯御座いません」
     お町は改めて、嗜みの良い辭儀を一つしました。
    「で、何うしようと言ふのだえ、お町さんとやら」
    「この樣子では、とてもこの手筐を妻戀坂までは持つて參れません。さうかと言つて、この儘引返すと、一晩經たないうちに、盜まれることは判り切つて居ります。御迷惑でも親分さん、ほんの暫く、これを預つて置いて下さいませんでせうか」
    「それは困るな、お町さん。そんな大事なものを預つて萬一のことがあつては――」
     平次も驚きました。命がけで持つて來たらしいこの手筐を、そんなに輕々しく預つていゝものかどうか、全く見當も付かなかつたのです。
    「親分のところへ預つて置いて危ないものなら、何處へ置いても安心な處は御座いません。どうぞ、お願ひで御座います」
     折入つての頼み、平次もこの上は沒義道に突つ放されさうもありません。
    「それは預らないものでもないが、少しわけを話して貰はうか。中に何が入つてるか見當も付かず、後でどんなことになるかもわからないやうなことでは、どんなに暢氣な私でも心細い」
    「それでは、何も彼も申上げませう。親分さん、聞いて下さい、かういふわけで御座います」
    青空文庫より