二宮隆
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江戸川乱歩「赤い部屋」二宮 隆朗読
76.00 Jul 03, 2017
異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々其為にしつらえた「赤い部屋」の、緋色の天鵞絨で張った深い肘掛椅子に凭れ込んで、今晩の話手が何事か怪異な物語を話し出すのを、今か今かと待構えていた。
七人の真中には、これも緋色の天鵞絨で覆われた一つの大きな円卓子の上に、古風な彫刻のある燭台にさされた、三挺の太い蝋燭がユラユラと幽かに揺れながら燃えていた。
部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅な重々しい垂絹が豊かな襞を作って懸けられていた。ロマンチックな蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒い色をした垂絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師を投げていた。そして、その影法師は、蝋燭の焔につれて、幾つかの巨大な昆虫でもあるかの様に、垂絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。
いつもながらその部屋は、私を、丁度とほうもなく大きな生物の心臓の中に坐ってでもいる様な気持にした。私にはその心臓が、大きさに相応したのろさを以て、ドキンドキンと脈うつ音さえ感じられる様に思えた。
誰も物を云わなかった。私は蝋燭をすかして、向側に腰掛けた人達の赤黒く見える影の多い顔を、何ということなしに見つめていた。それらの顔は、不思議にも、お能の面の様に無表情に微動さえしないかと思われた。
やがて、今晩の話手と定められた新入会員のT氏は、腰掛けたままで、じっと蝋燭の火を見つめながら、次の様に話し始めた。私は、陰影の加減で骸骨の様に見える彼の顎が、物を云う度にガクガクと物淋しく合わさる様子を、奇怪なからくり仕掛けの生人形でも見る様な気持で眺めていた。 -
中谷宇吉郎「おにぎりの味」二宮 隆朗読
5.27 Jun 03, 2017
お握りには、いろいろな思い出がある。
北陸の片田舎で育った私たちは、中学へ行くまで、洋服を着た小学生というものは、誰も見たことがなかった。紺絣の筒っぽに、ちびた下駄。雨の降る日は、藺草でつくったみのぼうしをかぶって、学校へ通う。外套やレインコートはもちろんのこと、傘をもつことすら、小学生には非常な贅沢と考えられていた。
そういう土地であるから、お握りは、日常生活に、かなり直結したものであった。遠足や運動会の時はもちろんのこと、お弁当にも、ときどきお握りをもたされた。梅干のはいった大きいお握りで、とろろ昆布でくるむか、紫蘇の粉をふりかけるかしてあった。浅草海苔をまくというような贅沢なことは、滅多にしなかった。
しかしそういうお握りの思い出は、あまり残っていない。それよりも、今でも鮮かに印象に残っているのは、ご飯を焚いた時のおこげのお握りである。
十数人の大家族だったので、女中が朝暗いうちから起きて、煤けたかまどに大きい釜をかけて、粗朶を焚きつける。薄暗い土間に、青味をおびた煙が立ちこめ、かまどの口から、赤い焔が蛇の舌のように、ちらちらと出る。
私と弟とは、時々早く起きて、このかまどの部屋へ行くことがあった。おこげのお握りがもらえるからである。ご飯がたき上がると、女中が釜をもち上げ、板敷の広い台所へもってくる。釜の外側には、煤が一面についているので、それに点いた火が、細長い光の点線になって、チカチカと光る。まだ覚め切らぬねぼけまなこの目には、それが夢のつづきのように見えた。
やがてその火も消え、女中が蓋をとると、真白い湯気がもうもうと立ち上がる。たき立てのご飯の匂いが、ほのぼのとおなかの底まで浸み込むような気がした。女中は大きいしゃもじで山盛りにご飯をすくい上げて、おひつに移す。最後のおこげのところだけは、上手に釜底にくっついたまま残されている。その薄狐色のおこげの皮に、塩をばらっとふって、しゃもじでぐいとこそげると、いかにもおいしそうな、おこげがとれてくる。女中は、それを無雑作にちょっと握って、小さいお握りにして、「さあ」といって渡してくれた。
香ばしいおこげに、よく効いた塩味。このあついお握りを吹きながら食べると、たき立てのご飯の匂いが、むせるように鼻をつく。これが今でも頭の片隅に残っている、五十年前のお握りの思い出である。
その後大人になって、いろいろおいしいものも食べてみたが、幼い頃のこのおこげのお握りのような、温かく健やかな味のものには、二度と出会ったことがないような気がする。
都会で育ったうちの子供たちは、恐らくこういう味を知らずに過ごしてきたにちがいない。一ぺん教えてやりたいような気もするが、それはほとんど不可能に近いことであろう。おこげのお握りの味は、学校通いに雨傘をもつというような贅沢を、一度おぼえた子供には、リアライズされない種類の味と思われるからである。 -
渡辺温「シルクハット」西村俊彦 萩柚月 二宮隆朗読
シルクハット
渡辺温
私も中村も給料が十円ずつ上がった。
私は私のかぶり古した山高帽子を中村に十円で譲って、そしてそれに十五円足して、シルクハットを買った。
青年時代に一度、シルクハットをかぶってみたい――と、私は永いことそう思っていた。シルクハットのもつ贅沢な[#「贅沢な」は底本では「贄沢な」]気品を、自分の頭の上に載せて見たくてたまらなかった。
私は天鵞絨の小さなクッションで幾度もシルクハットのけばを撫でた。帽子舗の店さきの明るい花電燈を照り返している鏡の中で、シルクハットは却々よく私に似合った。
また中村は自分の古ぼけた黒羅紗の帽子をカバンの中へおし込んで、山高帽子を冠った。ムッソリニのような顔に見えた。
私共は、それから、行きつけの港の、砂浜にあるパブリック・ホテルへ女を買いに出かけた。その日は私共の給料日で私共は乏しい収入をさいて、月にたった一度だけ女を楽しむことにきめていたのである。
シルクハットは果してホテルの女たちをおどろかした。私の女はとりわけ眼を瞠って、むしろドギマギしたように私を見た。彼女は一月の中に見違うばかり蒼くやつれてしまっていた。もとから病気持ちらしい彼女だったので、屹度ひどい病いでもしたのであろう。
彼女は私と共に踊りながら、息を切らして、果は身慄いした。私はそれで、すぐに踊るのをやめることにした。小さい女は私の膝に腰かけた。
「苦しそうだね。」と私はきいてみた。
「もうよろしいの。――でも、死ぬかも知れませんわ。」女は嗄がれた声で答えた。
中村は、なじみの男刈りにした肥っちょの娘と、独逸麦酒をしこたま飲んだあとで、アルゼンチン・タンゴを怪しげな身振りで踊っていた。その娘は眉根のしい悪党みたいな人相だったが、中村はいっそそこが気に入ったと云うのであった。
寝室に入る前に、私達はめいめい金を払う。
私は紙入れを女の目の前で、いっぱい開けて見せながら「今夜は未だ大分金があるぞ。」と云った。月々の部屋代と食費と洋服代との全部であった。女は背のびをして、紙幣の数をのぞきこむと、「まあ――」と云って笑った。
女は少しばかり元気になったのかも知れなかった。
女の部屋に入って、寝る時、女は枕元の活動役者の写真をべたべた貼りつけた壁に、私のシルクハットをそっと掛けて、そしてさて手を合せて拝む真似をした。シルクハットの地と云うものは、物がふれると直ぐケバ立ってしまうので、女は非常にこわごわと取扱わなければならなかった。 -
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芥川龍之介「カルメン」西村俊彦 岡田慎平 二宮隆朗読
カルメン
芥川龍之介
革命前だったか、革命後だったか、――いや、あれは革命前ではない。なぜまた革命前ではないかと言えば、僕は当時小耳に挟んだダンチェンコの洒落を覚えているからである。
ある蒸し暑い雨もよいの夜、舞台監督のT君は、帝劇の露台に佇みながら、炭酸水のコップを片手に詩人のダンチェンコと話していた。あの亜麻色の髪の毛をした盲目詩人のダンチェンコとである。
「これもやっぱり時勢ですね。はるばる露西亜のグランド・オペラが日本の東京へやって来ると言うのは。」
「それはボルシェヴィッキはカゲキ派ですから。」
この問答のあったのは確か初日から五日目の晩、――カルメンが舞台へ登った晩である。僕はカルメンに扮するはずのイイナ・ブルスカアヤに夢中になっていた。イイナは目の大きい、小鼻の張った、肉感の強い女である。僕は勿論カルメンに扮するイイナを観ることを楽しみにしていた、が、第一幕が上ったのを見ると、カルメンに扮したのはイイナではない。水色の目をした、鼻の高い、何とか云う貧相な女優である。僕はT君と同じボックスにタキシイドの胸を並べながら、落胆しない訣には行かなかった。
「カルメンは僕等のイイナじゃないね。」
「イイナは今夜は休みだそうだ。その原因がまた頗るロマンティックでね。――」
「どうしたんだ?」
「何とか云う旧帝国の侯爵が一人、イイナのあとを追っかけて来てね、おととい東京へ着いたんだそうだ。ところがイイナはいつのまにか亜米利加人の商人の世話になっている。そいつを見た侯爵は絶望したんだね、ゆうべホテルの自分の部屋で首を縊って死んじまったんだそうだ。」
僕はこの話を聞いているうちに、ある場景を思い出した。それは夜の更けたホテルの一室に大勢の男女に囲まれたまま、トランプを弄んでいるイイナである。黒と赤との着物を着たイイナはジプシイ占いをしていると見え、T君にほほ笑みかけながら、「今度はあなたの運を見て上げましょう」と言った。(あるいは言ったのだと云うことである。ダア以外の露西亜語を知らない僕は勿論十二箇国の言葉に通じたT君に翻訳して貰うほかはない。)それからトランプをまくって見た後、「あなたはあの人よりも幸福ですよ。あなたの愛する人と結婚出来ます」と言った。あの人と云うのはイイナの側に誰かと話していた露西亜人である。僕は不幸にも「あの人」の顔だの服装だのを覚えていない。わずかに僕が覚えているのは胸に挿していた石竹だけである。イイナの愛を失ったために首を縊って死んだと云うのはあの晩の「あの人」ではなかったであろうか?……
「それじゃ今夜は出ないはずだ。」
「好い加減に外へ出て一杯やるか?」
T君も勿論イイナ党である。
「まあ、もう一幕見て行こうじゃないか?」
僕等がダンチェンコと話したりしたのは恐らくはこの幕合いだったのであろう。
次の幕も僕等には退屈だった。しかし僕等が席についてまだ五分とたたないうちに外国人が五六人ちょうど僕等の正面に当る向う側のボックスへはいって来た。しかも彼等のまっ先に立ったのは紛れもないイイナ・ブルスカアヤである。イイナはボックスの一番前に坐り、孔雀の羽根の扇を使いながら、悠々と舞台を眺め出した。のみならず同伴の外国人の男女と(その中には必ず彼女の檀那の亜米利加人も交っていたのであろう。)愉快そうに笑ったり話したりし出した。
「イイナだね。」
「うん、イイナだ。」
僕等はとうとう最後の幕まで、――カルメンの死骸を擁したホセが、「カルメン! カルメン!」と慟哭するまで僕等のボックスを離れなかった。それは勿論舞台よりもイイナ・ブルスカアヤを見ていたためである。この男を殺したことを何とも思っていないらしい露西亜のカルメンを見ていたためである。× × ×
それから二三日たったある晩、僕はあるレストランの隅にT君とテエブルを囲んでいた。
「君はイイナがあの晩以来、確か左の薬指に繃帯していたのに気がついているかい?」
「そう云えば繃帯していたようだね。」
「イイナはあの晩ホテルへ帰ると、……」
「駄目だよ、君、それを飲んじゃ。」
僕はT君に注意した。薄い光のさしたグラスの中にはまだ小さい黄金虫が一匹、仰向けになってもがいていた。T君は白葡萄酒を床へこぼし、妙な顔をしてつけ加えた。
「皿を壁へ叩きつけてね、そのまた欠片をカスタネットの代りにしてね、指から血の出るのもかまわずにね、……」
「カルメンのように踊ったのかい?」
そこへ僕等の興奮とは全然つり合わない顔をした、頭の白い給仕が一人、静に鮭の皿を運んで来た。…… -
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二宮隆朗読「手品師」豊島与志雄
手品師
豊島与志雄
一
昔ペルシャの国に、ハムーチャという手品師がいました。妻も子もない一人者で、村や町をめぐり歩いて、広場に毛布を敷き、その上でいろんな手品を使い、いくらかのお金をもらって、その日その日を暮らしていました。赤と白とのだんだらの服をつけ三角の帽子をかぶって、十二本のナイフを両手で使い分けたり、逆立ちして両足で金の毬を手玉に取ったり、鼻の上に長い棒を立ててその上で皿廻しをしたり、飛び上がりながらくるくるととんぼ返りをしたり、その他いろいろなおもしろい芸をしましたので、あたりに立ち並んでる見物人から、たくさんのお金が毛布の上に投げられました。けれどもハムーチャは、そのお金で酒ばかり飲んでいましたので、いつもひどく貧乏でした。「ああああ、いつになったら、お金がたまることだろう」と嘆息しながらも、ありったけのお金を酒の代にしてしまいました。雨が降って手品が出来ないと、水ばかり飲んでいました。そしてだんだん世の中がつまらなくなりました。
ある日の夕方、ハムーチャは長い街道を歩き疲れて、ぼんやり道ばたに屈み込みました。すると、遠くから来たらしい一人の旅人が通りかかりました。旅人はハムーチャのようすをじろじろ見ていましたが、ふいに立ち止まってたずねました。
「お前さんは奇妙な服装をしているが、一体何をする人かね」
「私ですか」とハムーチャは答えました。「私は手品師ですよ」
「ほほう、どんな手品を使うか一つ見せてもらいたいものだね」
そこでハムーチャは、いくらかの金をもらって、早速得意な手品を使ってみせました。
「なるほど」と旅人は言いました、「お前さんはなかなか器用だ。だが私は、お前さんよりもっと不思議な手品を使う人の話を聞いたことがある。世界にただ一人きりという世にも不思議な手品師だ」
「へえー、どんな手品師ですか」
そこで旅人は、その人のことを話してきかせました。――それは手品師というよりもむしろ立派な坊さんで、善の火の神オルムーズドに仕えてるマージでした。長い間の修行をして、ついに火の神オルムーズドから、どんな物でも煙にしてしまう術を授かりました。何でも北の方の山奥に住んでいて、そこへ行くには、闇の森や火の砂漠や、いろんな怪物が住んでる洞穴など、恐ろしいところを通らなければならないそうです。そのマージの不思議な術を見ようと思って、幾人もの人が出かけましたが、一人として向こうに行きついた者はないそうです。
「本当ですか」とハムーチャはたずねました。
「本当だとも、私は確かな人から聞いたのだ」と旅人は言いました。
「だがお前さんには、とてもそのマージの所まで行けやしない。それよりか、自分の手品の術をせいぜいみがきなさるがよい」
そして旅人は行ってしまいました。
ハムーチャは後に一人残って、じっと考え込みました。――こんな手品なんか使っていたって 一生[#「使っていたって 一生」はママ]つまらなく終わるだけのものだ。それよりはいっそ、その不思議なマージをたずねていってみよう。途中で死んだってかまうものか。もし運よく向こうへ行けて どんな物でも[#「行けて どんな物でも」はママ]煙にしてしまうという術を授かったら、それこそ素敵だ。世間の者はどんなにびっくりすることだろう。
ハムーチャは命がけの決心をしました。マージをたずねて北へ北へとやって行きました。途中でも村や町で手品を使って、もらったお金を旅費にして、酒もあまり飲まないことにいたしました。