二宮隆

  • 江戸川乱歩「モノグラム」二宮 隆朗読

    45.67
    Apr 15, 2018

    私が、私の勤めていたある工場の老守衛(といっても、まだ五十歳にはのある男なのですが、何となく老人みたいな感じがするのです)栗原くりはらさんと心安くなって間もなく、恐らくこれは栗原さんの取って置きの話のたねで、彼は誰にでも、そうした打開うちあけ話をしても差支さしつかえのない間柄あいだがらになると、待兼まちかねた様に、それを持出すのでありましょうが、私もある晩のこと、守衛室のストーブを囲んで、その栗原さんの妙な経験談を聞かされたのです。
    栗原さんは話上手な上に、なかなか小説家でもあるらしく、この小噺こばなしめいた経験談にも、どうやら作為の跡が見えぬではありませんが、それならそれとして、やっぱり捨て難い味があり、そうした種類の打開け話としては、私はいまだに忘れることの出来ないものの一つなのです。栗原さんの話しっぷりを真似まねて、次にそれを書いて見ることに致しましょうか。

    いやはや、落しばなしみたいなお話なんですよ。でも、先にそれを云ってしまっちゃ御慰おなぐさみが薄い。まあ当り前の、エー、お惚気のろけのつもりで聞いて下さいよ。
    私が四十の声を聞いて間もなく、四五年あとのことなんです。いつもお話する通り、私はこれで相当の教育は受けながら、妙に物事に飽きっぽいたちだものですから、何かの職業に就いても、大抵たいてい一年とはもたない。次から次と商売替えをして、到頭とうとうこんなものに落ちぶれて了ったわけなんですが、その時もやっぱり、一つの職業をして、次の職業をめっける間の、つまり失業時代だったのですね。御承知のこの年になって子供はなし、ヒステリーの家内と狭いうちに差し向いじゃやりきれませんや。私はよく浅草公園へ出掛けて、所在のない時間をつぶしたものです。
    いますね、あすこには。公園といっても六区ろっくの見世物小屋の方でなく、池から南の林になった、共同ベンチの沢山たくさん並んでいる方ですよ。あの風雨にさらされて、ペンキがはげ、白っぽくなったベンチに、又は捨て石や木の株などに、丁度それらにふさわしく、浮世の雨風に責めさいなまれて、気の抜けた様な連中が、すき間もなく、こう、思案に暮れたという恰好かっこうで腰をかけていますね。自分もその一人として、あの光景を見ていますと、あなた方にはお分りにならないでしょうが、まあ何とも云えない、物悲しい気持になるものですよ。
    ある日のこと、私はそれらのベンチの一つに腰をおろして、いつもの通りぼんやり物思いにふけっていました。丁度春なんです。桜はもう過ぎていましたが、池を越して向うの活動小屋の方は、大変な人出で、ドーッという物音、楽隊、それに交っておもちゃの風船玉の笛の音だとか、アイスクリーム屋の呼び声だとかが、甲高かんだかく響いて来るのです。それに引きかえて、私達の居る林の中は、まるで別世界の様にしずかで、恐らく活動を見るお金さえ持合せていない、みすぼらしい風体ふうていの人々が、飢えた様な物憂ものうい目を見合せ、いつまでもいつまでも、じっと一つ所に腰をおろしている。こんな風にして罪悪というものが醗酵はっこうするのではないかと思われるばかり、実に陰気で、物悲しい光景なのです。
    そこは、林の中の、丸くなった空地で、私達の腰かけている前を、私達と無関係な、幸福そうな人々が、絶えず通り抜けています。それが着かざった女なんかだと、それでも、ベンチの落伍者らくごしゃ共の顔が、一斉いっせいにその方を見たりなんかするのですね。そうした人通りが一寸ちょっと途絶とだえて、空地がからっぽになっていた時でした、ですから自然私も注意した訳でしょうが、一方のすみのアーク燈の鉄柱の所へ、ヒョッコリ一人の人物が現れたのです。
    三十前後の若者でしたが、風体はさしてみすぼらしいというではないのに、どことなくさびし気な、少くとも顔つきだけは、決して行楽の人ではなく、私共落伍者のお仲間らしく見えるのです。彼はベンチの明いた所でも探す様に、しばらくそこに立ち止まっていましたが、どこを見ても一杯な上に、彼の風采ふうさいに比べては、段違いに汚らしくこわらしい連中ばかりなので、恐らく辟易へきえきしたのでしょう、あきらめて立去りそうにした時、ふと彼の視線と私の視線とがぶつかりました。
    すると彼は、やっと安心した様に、私の隣のわずかばかりのベンチの空間あきまを目がけて近づいて来るのです。そうした連中の中では、私の風体は、古ぼけた銘仙めいせんかなんか着ていて、おかしな云い方ですがいくらか立勝たちまさって見えたでしょうし、決してほかの人達の様に険悪ではなかったのですから、それが彼を安心させたと見えます。それとも、これはあとになって思い当ったことですが、彼は最初から私の顔に気がついていたのかも知れません。イエ、その訳はじきにお話ししますよ。
    どうも私のくせで、お話が長くなっていけませんな、で、その男は私の隣へ腰をかけると、たもとから敷島の袋を出して、煙草たばこい始めましたのですが、そうしている内に、段々、変な予感みたいなものが、私を襲って来るのです。妙だなと思って、気をつけて見ると、男が煙草をふかしながら、横の方から、ジロジロと私を眺めている、その眺め方が決して気まぐれでなく、何とやら意味ありげなんですね。
    相手が病身らしいおとなし相な男なので、気味が悪いよりは、好奇心の方が勝ち、私はそれとなく彼の挙動に注意しながら、じっとしていました。あの騒がしい浅草公園の真中にいて、色々な物音はたしかに聞えているのですが、不思議にシーンとした感じで、長い間そうしていました。相手の男が、今にも何か云い出すかと、待構える気持だったのです。
    すると、やっと男が口を切るのですね。「どっかで御目にかかりましたね」って、おどおどした小さな声です。多少予期していたので、私は別に驚きはしませんでしたが、不思議と思い出せないのですよ。そんな男、まるで知らないのです。
    「人違いでしょう。私は一向いっこう御目にかかった様に思いませんが」って返事をすると、それでも、相手はどうも不得心な顔で、又しても、ジロジロと私を眺め出すではありませんか。ひょっとしたら、こいつ何かたくらんでるんじゃないかと、流石さすがに気持がよくはありませんや、「どこでお逢いしました」ってもう一度尋ねたものです。
    「サア、それが私も思い出せないのですよ」男が云うのですね。「おかしい、どうもおかしい」小首をかしげて「昨今のことではないのです。もうずっとせんから、ちょくちょく御目にかかっている様に思うのですが、本当に御記憶ありませんか」そういって、かえって私を疑う様に、そうかと思うと、変になつかし相な様子でニコニコしながら私の顔を見るじゃありませんか。
    「人違いですよ。そのあなたの御存じの方は何とおっしゃるのです。お名前は」って聞きますと、それが変なんです。「私もさいぜんから一生懸命思い出そうとしているのですが、どういう訳か、出て来ません。でも、お名前を忘れる様な方じゃないと思うのですが」
    「私は栗原一造いちぞうて云います」私ですね。
    「アア左様さようですか、私は田中三良たなかさぶろうって云うのです」これが男の名前なんです。
    私達はそうして、浅草公園の真中で名乗り合いをした訳ですが、妙なことに、私の方は勿論もちろん、相手の男も、その名前にちっとも覚えがないというのです。馬鹿馬鹿しくなって、私達は大声を上げて笑い出しました。すると、するとですね、相手の男の、つまり田中三良のその笑い顔が、ふと私の注意をいたのです。おかしなことには、私までが、何だか彼に見覚えがある様な気がし出したのです。しかも、それがごく親しい旧知にでもめぐった様に、妙に懐しい感じなんですね。
    そこで、突然笑いをめて、もう一度その田中と名乗る男の顔を、つくづく眺めた訳ですが、同時に田中の方でも、ピッタリとわらいを納め、やっぱり笑いごとじゃないといった表情なんです。これがほかの時だったら、それ以上話を進めないで別れて了ったことでしょうが、今云う失業時代で、退屈で困っていた際ですし、時候はのんびりとした春なんです。それに、見た所私よりも風体のととのった若い男と話すことは、悪い気持もしないものですから、まあひまつぶしといった鹽梅あんばいで、変てこな会話を続けて行きました。こういう工合ぐあいにね。
    「妙ですね、お話ししてる内に、私も何だかあなたを見たことがある様な気がして来ましたよ」これは私です。
    「そうでしょう。やっぱりそうなんだ。しかも道で行違ったという様な、一寸顔を合せた位のとこじゃありませんよ、確に」
    「そうかも知れませんね。あなたお国はどちらです」
    三重みえ県です。最近始めてこちらへ出て来まして、今勤め口を探している様な訳です」
    して見ると、彼もやっぱり一種の失業者なんですね。
    「私は東京の者なんだが、で、御上京なすったのはいつ頃なんです」
    「まだ一月ばかりしかたちません」
    「その間にどっかでお逢いしたのかも知れませんね」
    「いえ、そんな昨日今日のことじゃないのですよ。確に数年ぜんから、あなたのもっとお若い時分から知ってますよ」
    「そう、私もそんな気がする。三重県と。私は一体旅行嫌いで、若い時分から東京をはなれたことはほとんどないのですが、ことに三重県なんて上方かみがただということを知っている位で、はっきり地理もわきまえない始末ですから、お国で逢ったはずはなし、あなたも東京は始めてだと云いましたね」
    箱根はこねからこっちは、本当に始めてなんです。大阪おおさかで教育を受けて、これまであちらで働いていたものですから」
    「大阪ですか、大阪なら行ったことがある。でも、もう十年も前になるけれど」
    「それじゃ大阪でもありませんよ。私は七年ぜんまで、つまり中学を出るまで国にいたのですから」
    こんな風にお話すると、何だかくどい様ですけれど、その時はおたがいになかなか緊張していて、何年から何年までどこにいて、何年の何月にはどこそこへ旅行したと、こまかいことまで思出し、比べ合って見ても、一つもそれがぶつからない。たまに同じ地方へ旅行しているかと思うと、まるで年代が違ったりするのです。さあそうなると、不思議で仕様しようがないのですね。人違いではないかと云っても相手は、こんなによく似た人が二人いるとは考えられぬと主張しますし、それが一方だけならまだしも、私の方でも、見覚えがある様な気がするのですから、一概に人違いと云い切る訳にも行きません。話せば話す程、相手が昔馴染むかしなじみの様に思え、それにもかかわらず、どこで逢ったかは愈々いよいよ分らなくなる。あなたにはこんな御経験はありませんか、実際変てこな気持のものですよ。神秘的、そうです。何だか神秘的な感じなんです。ひまつぶしや、退屈をまぎらす為ばかりではなく、そういう風に疑問が漸層的ぜんそうてきに高まって来ると、執拗しつようにどこまでもしらべて見たくなるのが人情でしょうね。
    が、結局分らないのです。多少あせり気味で、思い出そうとすればする程、頭が混乱して、二人が以前から知合いであることは、分り過ぎる程分っているではないか、なんて思われて来たりするのです。でも、いくら話して見ても、要領を得ないので、私達は又々笑い出す外はないのでした。
    しかし要領は得ないながらも、そうして話し込んでいる内に、お互に好意を感じ、以前はいざ知らず、少くともその場からは忘れ難い馴染になって了った訳です。それから田中のおごりで、池のそばの喫茶店に入り、お茶をのみながら、そこでも暫く私達の奇縁を語り合ったのち、その日は何事もなくわかれました。そして分れる時には、お互の住所を知らせ、ちとお遊びにと云い交す程の間柄になっていたのです。
    それが、これっきりで済んで了えば、別段お話する程のことはないのですが、それから四五日たって、妙なことが分ったのです。田中と私とは、やっぱりある種のつながりを持っていたことが分ったのです。始めに云った私のお惚気というのはこれからなんですよ。(栗原さんはここで一寸笑って見せるのです)田中の方では、これは当てのある就職運動に忙しいと見えて、一向いっこう訪ねて来ませんでしたが、私は例によって時間つぶしに困っていたものですから、ある日、ふと思いついて、彼の泊っている上野公園裏の下宿屋を訪問したのです。もう夕方で、彼は丁度外出から帰った所でしたが、私の顔を見ると、待っていたと云わぬばかりに、いきなり「分りました、分りました」と叫ぶのです。
    「例のことね。すっかり分りましたよ。昨夜ゆうべです。昨夜とこの中でね、ハッと気がついたのです。どうも済みません。やっぱり私の思い違いでした。一度も御逢いしたことはないのです。併し、御逢いはしていないけれど、満更まんざら御縁がなくはないのですよ。あなたはもしや、北川きたがわすみという女を御存じじゃないでしょうか」
    やぶからぼうの質問で一寸驚きましたが、北川すみ子という名を聞くと、遠い遠い昔の、華やかな風が、そよそよと吹いて来る様な感じで、数日来の不思議な謎が、いくらかは解けた気がしました。
    「知ってます。でも、随分ずいぶん古いことですよ。十四五年も前でしょうか、私の学生時代なんですから」
    というのは、いつかもお話ししました通り、私は学校にいた時分は、これでなかなか交際家でして、女の友達などもいくらかあったのですが、北川すみ子というのはその内の一人で、特別に私の記憶に残っている女性なのです。××女学校に通っていましたがね。美しい人で、我々の仲間の歌留多会かるたかいなんかでは、いつでも第一の人気者、というよりはクィーンですね、美人な代りにはどことなくけんがあり、こう近寄りがたい感じの女でした。その女にね(栗原さんは一寸云いしぶって、頭をかくのです)実は私はれていたのですよ。しかもそれが、恥しながら片思いという訳なんです。そして、私が結婚したのは、やっぱり同じ女学校を出た、仲間では第二流の美人、イヤ今じゃ美人どころか、手におえないヒステリィ患者ですが、当時はまあまあ十人並だった御承知のおそのなんです。手頃な所で我慢しちまった訳ですね。つまり、北川すみ子という女は、私の昔の恋人であり、家内にとっては学校友達であったのです。

  • 大阪圭吉「デパートの絞刑吏」二宮隆朗読

    52.07
    Mar 26, 2018

    デパートの絞刑吏

    大阪圭吉

    多分独逸ドイツ物であったと思うが、或る映画の試写会で、青山喬介あおやまきょうすけ――と知り合いになってから、二カ月程後の事である。
    早朝五時半。社からの電話を受けた私は、喬介と一緒にRデパートへ、その朝早く起こった飛降り自殺のニュースを取るために、フルスピードでタクシーを飛ばしていた。
    喬介は私よりも三年も先輩で、かつては某映画会社の異彩ある監督として特異な地位を占めてはいたが、日本のファンの一般的な趣向と会社の営利主義コムマアシャリズムとに迎合する事が出来ず、映画界を隠退して、一個の自由研究家として静かな生活を送っていた。勤勉で粘強な彼は、一面に於て、メスの如く鋭敏な感受性と豊富な想像力を以てしばしば私を驚かした。とは言え彼は又あらゆる科学の分野にわたって、周到な洞察力と異状に明晰な分析的智力を振い宏大な価値深い学識を貯えていた。
    私は喬介とのこの交遊の当初に於てその驚くべき彼の学識を私の職業的な活動の上に利用しようとたくらんだ。が、日を経るにつれて私の野心は限りない驚嘆と敬慕の念に変って行った。そうして間もなく私は、本郷の下宿を引き払って彼の住んでいるアパートへ、しかも彼と隣合せの部屋へ移住してしまった。それ程この青山喬介と言う男は、私にとって犯し難い魅力を持っていたのである。

    六時十分前に、私達はRデパートへ着いた。墜死の現場はこのデパートの裏に当る東北側の露地ろじで、血痕の凝結したアスファルトの道路の上には、附近の店員や労働者や早朝の通行人が、建物の屋上を見上げたり、口々にやかましくしゃべり合ったりしていた。
    死体は仕入部の商品置場に仮収容され、当局の一行が検死を終わった処であった。私達が其処そこへ入って行くと、今度○○署の司法主任に栄進した私の従兄弟いとこが快く私達を迎えながら、この事件は自殺でなく絞殺による他殺事件である事、被害者はこの店の貴金属部のレジスター係で野口達市のぐちたついちと言う二十八歳の独身店員である事、死体の落下点付近に幾つかのダイヤの混じった高価な真珠の首飾くびかざりが落ちていた事、そしてその首飾は、一昨日おととい被害者の勤務する貴金属部で紛失した二品の内の一つである事、更に又、死体及び首飾は今朝四時に巡廻中の警官に依って発見されたものなる事、そして最後に、この事件は自分が担任している事を附け加えて、少々得意気に話してくれた。説明が終わると、私達は許しを得て死体に接近し、罌粟けしの花の様なその姿に見入る事が出来た。
    頭蓋骨は粉砕ふんさいされ、極度に歪められた顔面は、凝結した赤黒い血痕に依って物凄く色彩いろどられていた。頸部には荒々しい絞殺の瘡痕が見え、土色に変色した局部の皮膚は所々破れて少量の出血がタオル地の寝巻のえりに染み込んでいた。検死のために露出された胸部には、同じ様な土色の蚯蚓腫みみずばれが怪しくななめに横たわり、その怪線に沿う左胸部の肋骨ろっこつの一本は、無惨にもヘシ折られていた。更に又、屍体の所々――両方のてのひら、肩、下顎部、ひじ等の露出個所には、無数の軽い擦過傷さっかしょうが痛々しく残り、タオル地の寝巻にも二、三のほころびが認められた。
    私がこの無惨な光景をノートに取っている間、喬介は大胆にも直接死体に手を触れて掌中てのなかその他の擦過傷や頸胸部の絞痕を綿密に観察していた。
    「死後何時間を経過していますか?」
    喬介は立上がると、物好きにも側にいた警察医に向ってこう質問した。
    「六、七時間を経ていますね」
    「すると、昨晩の十時から十一時までの間に殺された訳ですね。そしていつ頃に投げおとされたものでしょう?」
    「路上に残された血痕、又は頭部の血痕の凝結状態から見てどうしても午前三時より前の事です。それから、少くとも十二時頃まではあの露地にも通行人がありますから、結局時間の範囲は零時から三時頃までの間に限定されますね」
    「私もそう思います。それから被害者が寝巻を着ているのは何故でしょうか? 被害者は宿直員ではないのでしょう?」
    喬介のこの質問に警察医は黙ってしまった。今まで司法主任に何事か訊問されていた寝巻姿の六人の店員の一人が、警察医に代って喬介の質問に答えた。
    「野口君は昨夜ゆうべ宿直だったのです。と言うのは、各々違った売場から毎晩順番の交代で宿直するのが、この店の特種な[#「特種な」はママ]規則と言いますかまあキマリになっているのです。昨晩の宿直は、店員の中ではこの野口君と私と、其処そこに立っている五人と、都合七人でした。それから雑役の用務員さんのかた彼処あそこにいる三人を加え、全部で十人の宿直でした。そんなわけで同じ宿直室へ寝ながら、宿直員の中ではお互に馴染なじみの少い顔ばかりと言う事になるのです。昨晩の様子ですか? 御承知の通り只今では毎晩九時まで夜間営業をしていますので、九時に閉店してからすっかり静かになるまでには四十分は充分に掛ります。昨晩私達が、各々手分けをして戸締りを改めてから消燈して寝に就いた時は、もう十時に近い頃でした。野口君は、寝巻に着換えてから一人で出て行かれたようですが多分便所へでも行くのだろうと思って別に気にも留めませんでした。それから今朝の四時にお巡りさんに起されるまでは、何にも知らずにぐっすり眠ってしまったのです。……ええ、宿直室は、用務員さん達のが地階で、私達のは三階の裏側に当っています。六階から屋上に通ずるドアーですか? 別に錠は下しません」
    この宿直店員の供述が終ると、喬介は他の八人の宿直員に向って、昨晩の事に関して今の供述以外のニュースを持っている人はないかを質問した。が、別に新しい報告をもたらした者はなかった。ただ、子供服部に属していると言う一人が、昨晩は歯痛のために一時頃まで眠られなかった事、その間野口達市のベッドがからである事には少しも気が附かなかった事、怪し気な物音なぞは少しも聞えなかった事等、ちょっとした陳述をなしたに過ぎなかった。
    次に首飾に関する喬介の質問に対して鼻先の汗をハンカチで拭いながら、貴金属部の主任が次の様に語った。
    「只今知らせを受け驚いて出勤したばかりです。野口君はいい人でしたが残念な事をしました。決して他人ひとから恨みを受ける様な人ではありません。首飾の盗難事件ですか? どうも野口君に限って首飾とは関係ないと思いますね。とにかく首飾は一昨晩の閉店時に紛失したのです。これこれ二品です。合わせてちょうど二万円の代物です。で当時の状況からして確かにお客さんの中に犯人が混じっていたと思われます。従って貴金属部の店員は申すに及ばず、全店員の身体検査をするやら建物の上から下まで細密な捜索をするやら、いや全くこの一両日は大騒ぎでした。それがこの始末です。全く不思議です」
    丁度主任の供述が終った時、屍体の運搬車が来て、三人の雑役係の宿直用務員が屍体を重そうにげ、臆病そうにヨタヨタした足取りで運び出して行った。その様子を暫く名残り惜し気に見詰めていた喬介は、やがて振り返るや私の肩を叩きながら元気よく叫んだ。
    「君、屋上へ行こう」

  • 江戸川乱歩「双生児」二宮 隆朗読

    52.07
    Nov 06, 2017

     

  • 江戸川乱歩「一枚の切符」二宮 隆朗読

    54.97
    Oct 16, 2017

    「イヤ、僕も多少は知っているさ。あれは先ず、近来の珍事だったからな。世間はあの噂で持切っている。が、多分君程詳敷くわしくはないんだ。少し話さないか」
    一人の青年紳士が、こういって、赤い血のしたたる肉の切れを口へ持って行った。
    「じゃ、一つ話すかな。オイ、ボーイさん、ビールの御代りだ」
    身形みなりの端正なのにそぐわず、髪の毛を馬鹿にモジャモジャとのばした、相手の青年は、次の様に語り出した。
    「時は――大正――年十月十日午前四時、所は――ちょうの町外れ、富田とみた博士邸裏の鉄道線路、これが舞台面だ。冬の、(イヤ、秋かな、マアどっちでもいいや)まだ薄暗いあかつきの、静寂せいじゃくを破って、上り第○号列車が驀進ばくしんして来たと思い給え。すると、どうした訳か、突然けたたましい警笛が鳴ったかと思うと、非常制動機の力で、列車は出し抜けに止められたが、少しの違いで車が止まる前に、一人の婦人が轢殺ひきころされてしまったんだ。僕はその現場げんじょうを見たんだがね。初めての経験だが、実際いやな気持のものだ。
    それが問題の博士令夫人だったのさ。車掌の急報で其筋そのすじの連中がやって来る。野次馬が集る。そのうちに誰れかが博士邸に知らせる、驚いた主人の博士や召使達が飛出して来る、丁度その騒ぎの最中へ、君も知っている様に、当時――町へ遊びに出掛けていた僕が、僕の習慣である所の、早朝の散歩の途次、通り合せたという訳さ。で、検死が始まる。警察医らしい男が傷口を検査する。一通り済むと直ぐに死体は博士邸へ担込かつぎこまれて了う。傍観者の眼には、きわめて簡単に、事は落着したようであった。
    僕の見たのはこれけだ。あとは新聞記事を綜合して、それに僕の想像を加えての話だから、その積りで聞いてくれ給え。さて警察医の観察によると、死因は無論轢死れきしであって、右の太腿を根許ねもとから切断されたのによるというのだ。そして、ことここに至った理由わけはというと、それを説明してれる所の、実に有力な手懸りが、死人の懐中から出て来た。それは夫人が夫博士に宛てた一通の書置かきおきであって中の文句は、永年の肺病で、自分も苦しみ、周囲にも迷惑を掛けていることが、最早や耐えられなくなったから、茲に覚悟の自殺をとげる。ザッとマアこういう意味だったのだ。実にありふれた事件だ。若し、ここに一人の名探偵が現れなかったなら、お話はそれでお仕舞で、博士夫人の厭世えんせい自殺とか何とか、三面記事の隅っこに小さい記事を留めるに過ぎなかったが、その名探偵のお蔭で、我々もすばらしい話題が出来たというものだ。

  • 江戸川乱歩「幽霊」二宮 隆朗読

    49.07 Aug 19, 2017

    辻堂つじどうの奴、とうとう死にましたよ」
    腹心ふくしんのものが、多少手柄顔にこう報告した時、平田ひらた氏は少からず驚いたのである。もっとも大分以前から、彼が病気で床についた切りだということは聞いていたのだけれど、それにしても、あの自分をうるさくつけ狙って、かたきを(あいつは勝手にそうめていたのだ)うつことを生涯の目的にしていた男が、「彼奴きゃつのどてっ腹へ、この短刀をぐっさりと突きさすまでは、死んでも死に切れない」と口癖の様に云っていたあの辻堂が、その目的を果しもしないで死んでしまったとは、どうにも考えられなかった。
    「ほんとうかね」
    平田氏は思わずその腹心の者にこう問い返したのである。
    「ほんとうにんにも、私は今あいつの葬式の出る所を見届けて来たんです。念の為に近所で聞いて見ましたがね。やっぱりそうでした。親子二人暮しの親父おやじが死んだのですから、息子の奴可哀相に、泣顔で棺の側へついて行きましたよ。親父に似合わない、あいつは弱虫ですね」
    それを聞くと、平田氏はがっかりして了った。やしきのまわりに高いコンクリート塀をめぐらしたのも、その塀の上にガラスの破片を植えつけたのも、門長屋を殆どただの様な屋賃で巡査の一家に貸したのも、屈竟くっきょうな二人の書生を置いたのも、夜分は勿論、昼間でも、止むを得ない用事の外はなるべく外出しないことにしていたのも、若し外出する場合には必ず書生を伴う様にしていたのも、それもこれも皆ただ一人の辻堂が怖いからであった。平田氏は一代で今の大身代だいしんだいを作り上げた程の男だから、それは時には随分ずいぶん罪なこともやって来た。彼に深い恨みを抱いているものも二人や三人ではなかった。といって、それを気にする平田氏ではないのだが、あの半狂乱の辻堂老人ばかりは、彼はほとほと持てあましていたのである。その相手が今死んで了ったと聞くと、彼はホッと安心のため息をつくと同時に、何んだか張合はりあいが抜けた様な、淋しい気持もするのであった。
    その翌日、平田氏は念の為に自身で辻堂の住いの近所へ出掛けて行って、それとなく様子を探って見た。そして、腹心のものの報告が間違っていなかったことを確めることが出来た。そこで愈々いよいよ大丈夫だと思った彼は、これまでの厳重な警戒を解いて、久しぶりでゆったりした気分を味わったことである。
    詳しい事情を知らぬ家族の者は、日頃陰気な平田氏が、にわかに快活になって、彼の口からついぞ聞いたことのない笑声わらいごえが洩れるのを、少なからずいぶかしがった。ところが、この彼の快活な様子はあんまり長くは続かなかった。家族の者は、今度は、前よりも一層ひどい主人公の憂鬱に悩されなければならなかった。
    辻堂の葬式があってから、三日の間は何事もなかったが、その次の四日目の朝のことである。書斎の椅子にもたれて、何心なく其日そのひとどいた郵便物を調べていた平田氏は、沢山の封書やはがきの中に混って、一通の、可也かなりみだれてはいたが、確かに見覚えのある手蹟で書かれた手紙を発見して、あおくなった。

    この手紙は、俺が死んでから貴様の所へ届くだろう。貴様はさだめし俺の死んだことを小躍こおどりして喜んでいるだろうな。そして、ヤレヤレこれで安心だと、さぞのうのうした気でいるだろうな。ところが、どっこいそうは行かぬぞ。俺の身体は死んでも、俺の魂は貴様をやっつけるまでは決して死なないのだからな。なる程、貴様のあの馬鹿馬鹿しい用心は生きた人間には利目ききめがあるだろう。たしかに俺は手も足も出なかった。だがな、どんな厳重なしまりでも、すうっと、煙の様に通りぬけることの出来る魂という奴には、いくら貴様が大金持でも策の施しようがないだろう。おい、俺はな、身動きも出来ない大病にとっつかれて寝ている間に、こういうことを誓ったのだよ。この世で貴様をやっつけることが出来なければ、死んでから怨霊おんりょうになってきっと貴様をとり殺してやるということをな。何十日という間、俺は寝床の中でそればっかり考えていたぞ。その思いが通らないでどうするものか。用心しろ、怨霊のたたりというものはな、生きた人間の力よりもよっぽど恐しいものだぞ。

  • 菊池寛「身投げ救助業」二宮 隆朗読

    24.80 Aug 05, 2017

    身投げ救助業

    菊池寛

    ものの本によると、京都にも昔から自殺者はかなり多かった。
    都はいつの時代でも田舎よりも生存競争が烈しい。生活に堪えきれぬ不幸が襲ってくると、思いきって死ぬ者が多かった。洛中洛外に激しい飢饉ききんなどがあって、親兄弟に離れ、可愛い妻子を失うた者は世をはかなんで自殺した。除目じもくにもれた腹立ちまぎれや、義理に迫っての死や、恋のかなわぬ絶望からの死、数えてみれば際限がない。まして徳川時代には相対死などいうて、一時に二人ずつ死ぬことさえあった。
    自殺をするに最も簡便な方法は、まず身を投げることであるらしい。これは統計学者の自殺者表などを見ないでも、少し自殺ということを真面目に考えた者には気のつくことである。ところが京都にはよい身投げ場所がなかった。むろん鴨川では死ねない。深いところでも三尺ぐらいしかない。だからおしゅん伝兵衛は鳥辺山とりべやまで死んでいる。たいていはくびれて死ぬ。汽車に轢かれるなどということもむろんなかった。
    しかしどうしても身を投げたい者は、清水の舞台から身を投げた。「清水の舞台から飛んだ気で」という文句があるのだから、この事実に誤りはない。しかし、下の谷間の岩に当って砕けている死体を見たり、またその噂をきくと、模倣好きな人間も二の足を踏む。どうしても水死をしたいものは、お半長右衛門のように桂川まで辿って行くか、逢坂山おうさかやまを越え琵琶湖へ出るか、嵯峨の広沢の池へ行くよりほかに仕方がなかった。しかし死ぬ前のしばらくを、十分に享楽しようという心中者などには、この長い道程もあまり苦にはならなかっただろうが、一時も早く世の中を逃れたい人たちには、二里も三里も歩く余裕はなかった。それでたいていは首をくくった。聖護院の森だとか、ただすの森などには、椎の実を拾う子供が、宙にぶらさがっている死体を見て、驚くことが多かった。
    それでも、京の人間はたくさん自殺をしてきた。すべての自由を奪われたものにも、自殺の自由だけは残されている。牢屋にいる人間でも自殺だけはできる。両手両足を縛られていても、極度の克己をもって息をしないことによって、自殺だけはできる。
    ともかく、京都によき身投げ場所のなかったことは事実である。しかし人々はこの不便を忍んで自殺をしてきたのである。適当な身投げ場所のないために、自殺者の比例が江戸や大阪などに比べて小であったとは思われない。
    明治になって、槇村京都府知事が疏水そすい工事を起して、琵琶湖の水を京に引いてきた。この工事は京都の市民によき水運を備え、よき水道を備えると共に、またよき身投げ場所を与えることであった。

  • 江戸川乱歩「赤い部屋」二宮 隆朗読

    76.00 Jul 03, 2017

    異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々わざわざ其為そのためにしつらえた「赤い部屋」の、緋色ひいろ天鵞絨びろうどで張った深い肘掛椅子にもたれ込んで、今晩の話手が何事か怪異な物語を話し出すのを、今か今かと待構まちかまえていた。
    七人の真中には、これも緋色の天鵞絨でおおわれた一つの大きな円卓子まるテーブルの上に、古風な彫刻のある燭台しょくだいにさされた、三挺さんちょうの太い蝋燭ろうそくがユラユラとかすかに揺れながら燃えていた。
    部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅まっかな重々しい垂絹たれぎぬが豊かなひだを作って懸けられていた。ロマンチックな蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒い色をした垂絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師かげぼうしを投げていた。そして、その影法師は、蝋燭の焔につれて、幾つかの巨大な昆虫でもあるかの様に、垂絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。
    いつもながらその部屋は、私を、丁度とほうもなく大きな生物の心臓の中に坐ってでもいる様な気持にした。私にはその心臓が、大きさに相応したのろさをもって、ドキンドキンと脈うつ音さえ感じられる様に思えた。
    誰も物を云わなかった。私は蝋燭をすかして、向側に腰掛けた人達の赤黒く見える影の多い顔を、何ということなしに見つめていた。それらの顔は、不思議にも、お能の面の様に無表情に微動さえしないかと思われた。
    やがて、今晩の話手と定められた新入会員のT氏は、腰掛けたままで、じっと蝋燭の火を見つめながら、次の様に話し始めた。私は、陰影の加減で骸骨の様に見える彼の顎が、物を云う度にガクガクと物淋しく合わさる様子を、奇怪なからくり仕掛けの生人形でも見る様な気持で眺めていた。

  • 中谷宇吉郎「おにぎりの味」二宮 隆朗読

    5.27 Jun 03, 2017

    お握りには、いろいろな思い出がある。
    北陸の片田舎で育った私たちは、中学へ行くまで、洋服を着た小学生というものは、だれも見たことがなかった。紺絣こんがすりの筒っぽに、ちびた下駄。雨の降る日は、藺草いぐさでつくったみのぼうしをかぶって、学校へ通う。外套がいとうやレインコートはもちろんのこと、傘をもつことすら、小学生には非常な贅沢ぜいたくと考えられていた。
    そういう土地であるから、お握りは、日常生活に、かなり直結したものであった。遠足や運動会の時はもちろんのこと、お弁当にも、ときどきお握りをもたされた。梅干のはいった大きいお握りで、とろろ昆布でくるむか、紫蘇しその粉をふりかけるかしてあった。浅草海苔あさくさのりをまくというような贅沢なことは、滅多にしなかった。
    しかしそういうお握りの思い出は、あまり残っていない。それよりも、今でもあざやかに印象に残っているのは、ご飯をいた時のおこげのお握りである。
    十数人の大家族だったので、女中が朝暗いうちから起きて、すすけたかまどに大きいかまをかけて、粗朶そだきつける。薄暗い土間に、青味をおびた煙が立ちこめ、かまどの口から、赤いほのおへびの舌のように、ちらちらと出る。
    私と弟とは、時々早く起きて、このかまどの部屋へ行くことがあった。おこげのお握りがもらえるからである。ご飯がたき上がると、女中が釜をもち上げ、板敷の広い台所へもってくる。釜の外側には、煤が一面についているので、それにいた火が、細長い光の点線になって、チカチカと光る。まだ覚め切らぬねぼけまなこの目には、それが夢のつづきのように見えた。
    やがてその火も消え、女中がふたをとると、真白まっしろい湯気がもうもうと立ち上がる。たき立てのご飯のにおいが、ほのぼのとおなかの底までみ込むような気がした。女中は大きいしゃもじで山盛りにご飯をすくい上げて、おひつに移す。最後のおこげのところだけは、上手に釜底にくっついたまま残されている。その薄狐色うすきつねいろのおこげの皮に、塩をばらっとふって、しゃもじでぐいとこそげると、いかにもおいしそうな、おこげがとれてくる。女中は、それを無雑作むぞうさにちょっと握って、小さいお握りにして、「さあ」といって渡してくれた。
    香ばしいおこげに、よく効いた塩味。このあついお握りを吹きながら食べると、たき立てのご飯の匂いが、むせるように鼻をつく。これが今でも頭の片隅に残っている、五十年前のお握りの思い出である。
    その後大人になって、いろいろおいしいものも食べてみたが、幼い頃のこのおこげのお握りのような、温かく健やかな味のものには、二度と出会ったことがないような気がする。
    都会で育ったうちの子供たちは、恐らくこういう味を知らずに過ごしてきたにちがいない。一ぺん教えてやりたいような気もするが、それはほとんど不可能に近いことであろう。おこげのお握りの味は、学校通いに雨傘をもつというような贅沢を、一度おぼえた子供には、リアライズされない種類の味と思われるからである。

  • 渡辺温「シルクハット」西村俊彦 萩柚月 二宮隆朗読

    シルクハット

    渡辺温

     私も中村も給料が十円ずつ上がった。
    私は私のかぶり古した山高帽子を中村に十円で譲って、そしてそれに十五円足して、シルクハットを買った。
    青年時代に一度、シルクハットをかぶってみたい――と、私は永いことそう思っていた。シルクハットのもつ贅沢な[#「贅沢な」は底本では「贄沢な」]気品を、自分の頭の上に載せて見たくてたまらなかった。
    私は天鵞絨びろうどの小さなクッションで幾度もシルクハットのけばを撫でた。帽子舗の店さきの明るい花電燈を照り返している鏡の中で、シルクハットは却々なかなかよく私に似合った。
    また中村は自分の古ぼけた黒羅紗の帽子をカバンの中へおし込んで、山高帽子を冠った。ムッソリニのような顔に見えた。
    私共は、それから、行きつけの港の、砂浜にあるパブリック・ホテルへ女を買いに出かけた。その日は私共の給料日で私共は乏しい収入をさいて、月にたった一度だけ女を楽しむことにきめていたのである。
    シルクハットは果してホテルの女たちをおどろかした。私の女はとりわけ眼を瞠って、むしろドギマギしたように私を見た。彼女は一月の中に見違うばかり蒼くやつれてしまっていた。もとから病気持ちらしい彼女だったので、屹度ひどい病いでもしたのであろう。
    彼女は私と共に踊りながら、息を切らして、果は身慄いした。私はそれで、すぐに踊るのをやめることにした。小さい女は私の膝に腰かけた。
    「苦しそうだね。」と私はきいてみた。
    「もうよろしいの。――でも、死ぬかも知れませんわ。」女は嗄がれた声で答えた。
    中村は、なじみの男刈りにした肥っちょの娘と、独逸麦酒ドイツビールをしこたま飲んだあとで、アルゼンチン・タンゴを怪しげな身振りで踊っていた。その娘は眉根の※(「山+険のつくり」、第3水準1-47-78)しい悪党みたいな人相だったが、中村はいっそそこが気に入ったと云うのであった。
    寝室に入る前に、私達はめいめい金を払う。
    私は紙入れを女の目の前で、いっぱい開けて見せながら「今夜は未だ大分金があるぞ。」と云った。月々の部屋代と食費と洋服代との全部であった。女は背のびをして、紙幣の数をのぞきこむと、「まあ――」と云って笑った。
    女は少しばかり元気になったのかも知れなかった。
    女の部屋に入って、寝る時、女は枕元の活動役者の写真をべたべた貼りつけた壁に、私のシルクハットをそっと掛けて、そしてさて手を合せて拝む真似をした。シルクハットの地と云うものは、物がふれると直ぐケバ立ってしまうので、女は非常にこわごわと取扱わなければならなかった。