海渡みなみ

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    21.27

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    Sep 03, 2018

    仄聞そくぶんするところによると、ある老詩人が長い歳月をかけて執筆している日記は嘘の日記だそうである。僕はその話を聞いて、その人の孤独にふれる思いがした。きっとさびしい人に違いない。それでなくて、そんな長いあいだに渡って嘘の日記を書きつづけられるわけがない。僕の書くものなどは、もとよりとるに足りないものではあるが、それでもそれが僕にとって嘘の日記に相当するとえないこともないであろう。僕は出来れば早く年をとってしまいたい。すこし位腰が曲がったって仕方がない。僕はそのときあるいは鶏のひなを売って生計を立てているかも知れない。けれども年寄というものは必ずしも世の中の不如意ふにょいかこっているとは限らないものである。僕は自分の越し方をかえりみて、好きだった人のことを言葉すくなに語ろうと思う。そして僕の書いたものが、すこしでも僕というものを代弁してくれるならば、それでいいとしなければなるまい。僕の書いたものが、僕というものをどのように人に伝えるかは、それは僕にもわからない。僕にはどんな生活信条もない。ただ愚図ぐずな貧しい心から自分の生れつきをそんなに悲しんではいないだけである。イプセンの「野鴨」という劇に、気の弱い主人公が自分の家庭でフリュートを吹奏すいそうする場面があるが、僕なんかも笛でも吹けたらなあと思うことがある。たとえばこんな曲はどうかしら。「ひとりで森へ行きましょう。」とか「わたしの心はあのひとに。」とか。まま母に叱られてまたは恋人からすげなくされて、泣いているような娘のご機嫌をとってやり、その涙をやさしく拭ってやれたなら。
    誰かに贈物をするような心で書けたらなあ。

    もはや二十年の昔になるが、神楽坂かぐらざかの夜店商人の間にひとりの似顔絵かきがいた。まだ若い人で、粗末な服装をしていて、不精ぶしょうひげを生やした顔を寒風にさらしていた。微醺びくんをおびていることもあった。見本に並べてある絵の中にはその人の自画像もあって、それには「ひょっとこのいのち」と傍書してあった。僕はその頃暖いマントに身を包み、ふところには身分不相応な小遣いさえ持っていた。その人もいまはあるいは偉い大家になられたかも知れぬのだが、僕はいま自身にひょっとこの命を感じている。

    僕はいま武蔵野市の片隅に住んでいる。僕の一日なんておよそ所在ないものである。本を読んだり散歩をしたりしているうちに、日が暮れてしまう。それでも散歩の途中で、野菊の咲いているのを見かけたりすると、ほっとして重荷の下りたような気持になる。その可憐かれん風情ふぜいが僕に、「お前も生きて行け。」とささやいてくれるのである。

    僕は外出から帰ってくると、門口の郵便箱をあけて見る。留守の間になにかいい便りが届いていはしまいかと思うのである。箱の中はいつも空しい。それでも僕はあけて見ずにはいられないのだ。

    こないだF君からハガキが来た。移転の通知である。F君は北海道の夕張炭坑にいる。僕は終戦後、夕張炭坑へ行った。職業紹介所を通じて炭坑夫の募集に応じたのである。F君はそのときの道連れの一人である。僕達は寒い最中さなかに上野を立った。僕達は皆んな炭坑労務者の記号のついた腕章を巻いていたが、誰もが気恥ずかしそうにしていた。汽車の中は窓硝子ガラスが無くて代りに板が打ちつけてあるところもあって寒かった。僕は寒さに震えながら、向いに腰かけているF君の防寒用にかぶっている防空頭巾ずきんの内にのぞいているその素直な眼差しに、ときどき思い出したように見入った。僕達はその日初めて見知った仲なのだが、F君は僕に云ったのである。「稼いだらまた東京に帰ってきましょうね。」F君のそのなにげない言葉が、そのときの僕の結ぼれていた気持を、どんなに解き放してくれたことか。
    夕張は山の中の炭坑町である。一年の半分は雪に埋もれている。ひとくちに云って、寂しい処である。僕はそこで心細い困難な月日を送ったという以外、格別なことはなにもなかったのだが、僕は郷愁を感じている。刑務所にいた者は出所してから、旧の古巣のことをふとなつかしく思うことがあるそうである。殊に娑婆しゃばの風が冷かったりすると。僕の夕張に対する気持には、それに似たものがあるかも知れない。
    土地の気風は概して他国者に親切である。内地から出かけた人の中には国から妻子を呼び寄せたり、または土地の女といっしょになって住み着く人も少くない。
    僕は思ったより早く東京へ帰るようになったが、F君は夕張に残った。F君はあらわには云わなかったが、そこで所帯を持つ心づもりらしかった。F君は云った。「どこにふるさとがあるかわかりませんね。」僕達は早い話が内地を食い詰めて出かけて行ったのだが、僕はF君のような大人しい人があんな僻地へきちでどうやら意中の人を見出したらしい様子なので、そのために一層F君を好ましく思った。
    F君にはひとと争う心がすこしもなかった。F君はまた「凡の真実は語るに適せぬことを、云わぬがよいことを承知している」人であった。僕はF君となら一つ家にともに暮らしても、気まずくなる心配はないと思っている。こんなことを云ったら可笑おかしいだろうが、若しもF君が女だったら、僕はお嫁にもらったかも知れない。
    F君からのハガキには、F君が僕達のいた寮を出て、近くに新築された長屋に入ったことを知らせてあった。「私たちも元気です。」とそれだけしか書いてない。F君らしいひかえ目な新生活の報知であった。
    夕張の駅は山峡やまかいにある。両側の山のなぞえには炭坑夫の長屋が雛段を見るように幾列も並んでいる。夜、雪の中にこの長屋に灯のついている光景を眺めることは、僕達に旅の愁いを催させたものである。僕はいま追憶の山の上にF君たちの灯を一つ加えた。

    「秋ふかき隣は何をする人ぞ」

    僕の家の便所の窓からは塀越しに隣家の庭と座敷が見える。座敷の中には大抵いつも一人の青年が机に向って椅子に腰をかけ本を読んでいる。この家は母親と息子であろうその青年との二人暮らしのようである。母親は五十位の年輩で青年は二十二三位。ひっそり住みなしている感じで、話声が聞えることもない。二人が偕にいるところを見かけることも殆どない。僕は元来物見高い方ではないし、ぶしつけに他人の垣の内を覗くわけではないのだが、便所に入るとつい窓越しに眼に入ってくるのである。縁側の硝子戸が閉まっていて内にカーテンが引かれていることもあるが、大抵いつもひとり青年が机に向っている姿が眺められる。そしてそのさまが僕の眼をくのである。青年は書物の上にうつむいていることが多く、僕に見られていることには気がつかない。僕は便所に入ったとき、青年の姿を見かければ、いつも一寸視線をその顔のうえに止める。僕はなぜその青年の顔が僕の眼を惹くのか、心に問うてみた。一言にして云えば、れていないからである。僕はかつて鴎外の「青年」という小説を読んだとき、よくわからなかった。なぜ鴎外はこんな若きつばめ然とした柔弱児にゅうじゃくじを描いて、而もそれに「青年」という題名をつけたのだろうと不審に堪えなかった。最近読み返して眼のあく思いをした。この作品の冒頭の部分に次のような一行がある。「ませた、おちゃっぴいな小女の目に映じたのは、色の白い、卵からかえったばかりの雛のような目をしている青年である。」鴎外はこういう青年の像を描こうとしたのである。それはまさしく青年であって、若き燕などと云うものではなかった。泰西名画に「笛を吹く少年」とか「縄とびをする少女」とかいうのがある。隣家の青年は僕にとってはさしずめ「本を読む青年」でしかない。決してその平面図から抜けて出て、僕の生活図形に入ってくることはないであろう。けれどもその静かな生活のたたずまいの中にいる青年の無心なさまを眺めると、たとえば光りを浴び風にそよぐポプラのこずえを仰いだときに僕の心の中でなにかがゆれるように、僕の心に伝わってくるものがある。
    ときたま道で行きうこともある。お互いに隣同士なことは知っているが、僕達は挨拶あいさつなどはしない。知らん顔をしている。無言で擦れ違うだけである。名前も知らない。標札などには眼を向けて見ないのである。

    牛乳一合
    うどん一斤。
    卵二つ。
    味噌二百もんめ
    ほうれん草。

    僕はいま自炊の生活をしている。それでも七輪や鍋、薬鑵やかん庖丁ほうちょう俎板まないた、茶碗などが揃ったのはつい最近のことである。そしてどうやらいまのところはこの生活を維持している。けれども僕の不安定な生活も久しいものである。いつこの生活が突き崩されるか、それは図り知れたものではない。恒産こうさんなければ恒心無しと云うではないか。いつどんなへまをしでかすか、僕にはとても自分が信用出来ないのである。所帯道具がふえたじゃないかと笑った人があるが、たとえば僕が一羽の燕であるとすれば、僕にとって七輪や鍋は燕がその巣を造るために口にふくんでくる泥や※(「禾+皆」、第4水準2-82-94)わらしべたぐいに相当するであろう。そして僕に養う子燕がないにしても、僕としてはやはり自分の巣は営まなければならない。僕はひとが思うほどには、また自分からひとに話すほどには、薪水しんすいの労を億劫おっくうにはしていない。そんなにいやでもない。僕の一日などは大抵無為のうちに暮れてしまうのだが、「無為」でないのは睡眠という営みをべつにすれば、その時間だけである。そして僕にはそれに費される時間の長さが有難いのだ。僕はそれをひどくスローモーションにやるわけなのだから。たとえば母親から慰められずに置き去りにされた子供が独りで玩具をもてあそんでいるうちにいつか涙が乾いてくるように、米をいだり菜を刻んだりしていると、僕の気持もようやくまぎれてくる。僕はうどんが煮える間を、米がける間を大抵いつも詩集をひもとく。小説なんかよりはこの方が勝手だから。こんな詩を見つけたりする。

    夕日が傾き
    村から日差しが消える時、
    村から村へ暗がりを訴える
    やさしい鐘の響が伝わってゆく。

    まだ一つ、あの丘の上の鐘だけが
    いつまでも黙っている。
    だが今それは揺れ始める。
    ああ、私のキルヒベルクの鐘が鳴っている。

    (マイヤア「鎮魂歌」高安国世訳)

    この詩はまた僕の心をしずめることにも役立つ。そして僕の心を遠く志したものに、はるかな希望につないでくれる。

    僕は一日中誰とも言葉を交さずにしまうことがある。日が暮れると、なんにもしないくせに僕は疲れている。一日だけのエネルギーがやはりつかい果されるのだろう。額にたがを締められたような気分で、そしてふと気がつく。ああ、きょうも誰とも口をきかなかったと。これはよくない。きっと僕は浮腫むくんだような顔をしているに違いない。誰とでもいい。そしてふたこと、みことでいいのだ。たとえばお天気の話などでも。それはほんの一寸した精神の排泄はいせつ作用に属することなのだから。
    僕は自分では酒はたしなまないが、それでも酒を呑む人の気持がわかるような気がする。人恋しい気持に誘われて、呑み屋の暖簾のれんをくぐって、そこに知った顔を見つけたときの愉しさは格別なものがあろう。
    僕にはつい遊びに出かけるような処もない。それにすずめの巣に燕が顔を出したとしたら、それは闖入者ちんにゅうしゃということになりはしないだろうか。雀の家庭には雀の家風というものがあるのだろうから。そしてそれはやはり尊重しなければならないのだろうから。それでもお伽噺とぎばなしなんかにはよくあるではないか。雀が燕の訪問を歓迎する話が。
    その人のためになにかの役に立つということを抜きにして、僕達がお互いに必要とし合う間柄になれたなら、どんなにいいことだろう。
    僕の家から最寄もよりの駅へ行く途中に芋屋がある。芋屋と云っても専門の芋屋ではない。爺さんが買出しに出かけて担いできたやつを、婆さんが釜で焼いて売っているのだ。僕は人に会いたくなると、ときどきそこへ出かけて行く。小さいバラック建ての店の中に、一人腰かけられる位のところに茣蓙ござが敷いてあって、客が休めるようになっている。お茶の接待もある。気が置けなくて、僕などには行きやすい。僕は行くといつも芋を百匁がとこ食べて、ほうちゃの熱いやつを大きな湯呑にお代りをする。僕のほかに客があることは殆どなく、その小さい店の中にはお婆さんと僕だけで、僕はとてもアット・ホームな気がして、くつろいでしまう。そのお婆さんがとてもいいのだ。年頃はまだ七十にはなるまい。もしかすると六十を幾つも越していないのかも知れない。髪はそれほど白くはない。それでも腰が少し曲がっているし、顔もしなびかけている。年よりも早く老け込んでしまうような生活を送ってきたのだろう。お婆さんの顔を見ると、その声をきくと、お婆さんがやさしい善良な心根こころねの人だということがすぐわかる。その人の生れつきの性質というものは、年をとっても損われずに残っていて、やはりその人をいちばんに伝えるものではないだろうか。殊に単純で素朴な人達の間では。僕にはお婆さんの顔が正直という徳で縁飾ふちかざりをされているように見える。お婆さんははかりで芋を計ってくれてから、焙じ茶の入った薬鑵を僕のそばに置いて、田舎なまりのある口調で、「勝手に注いであがって下さいよ。」と云う。お婆さんと向い合っていると僕はとても安気で、お茶をなん杯もお代りして呑む。お金を置くと、「どうも有難うございました。」と云う。人柄というものはおかしなもので、こんななんでもない挨拶にも実意がこもっている。ついぞ相客のあったためしはないが、結構あきないはあるのだろう。お婆さんが僕に世間話をしかけることもない。僕もまた黙っている。ただ芋を食ってお茶を呑んでくるだけである。それでも僕の気持は慰められている。
    いつか夜風呂の帰りにお婆さんに行逢った。やはり風呂に行くところらしく、手拭をさげていた。

    僕にはもう一軒行くところがある。
    僕は最近ひとりの少女と知合いになった。彼女は駅の近くで「緑陰書房」という古本屋を経営している。マーケットの一隅にある小さい床店で、彼女は毎日その店へ、隣町にある自宅から自転車に乗って出張してくるのだ。
    彼女は新制高校を卒業してから、上級の学校へも行かずまた勤めにも就かず、自らえらんでこの商売を始めた。父兄の勧めに由ったのではなく、彼女ひとりの見識にもとづいてしたわけで、はたちまえの少女の身としてはまず健気けなげと云っていいだろう。「よくひとりで始める気になったね。」と僕が云ったら、彼女はべつに意気込んだ様子も見せず、「わたしはわがままだからお勤めには向かないわ。」と云った。
    紫色の細いバンドで髪を押えているのが、化粧をしない生まじめな顔によく映って、それが彼女の場合は素朴な髪飾りのようにも見える。おそらく快楽好きな若者の目には器量きりょうよしには映るまい。自転車にまたがっている彼女の姿は宛然あたかも働きものの娘さんを一枚の絵にしたようだ。
    先年歿したDという小説家は、自分には訪問ヴィジットの能力がないとこぼしていたが、僕などもそのお仲間らしい。第一に他人の家の門口の戸をわが手であけるということが既に億劫だ。彼女の店は商売柄客に対していつも門戸が開放してあるのでつい入りやすいから、僕はときどき立寄って店の営業妨害にならない程度に話をしてくる。
    僕はまた彼女の店の顧客おとくいでもある。主として均一本きんいちぼんの。僕はまだ彼女の店で一度に五拾円以上の買物をしたことはない。僕が初めて、彼女と近づきになったのも、均一本の中に「聖フランシスの小さき花」と「キリストのまねび」を見つけたときだ。彼女は「小さき花」の奥附がとれているのを見て、拾円値引をしてくれて、二冊で五拾円にしてくれた。僕はいまの人が忘れて顧みないような本をくりかえし読むのが好きだ。僕はときどき彼女の店に均一本をあさりに行くようになり、そのうち彼女と話を交わすようにもなった。彼女の気質が素直でこだわらないので、僕としてもめずらしく悪びれずに話すことが出来るのだ。そしてそれが僕には自分でもうれしい。大袈裟に云えば、僕は彼女の眼差しのうちに未知の自分を確認するような気さえしている。こうして僕に思いがけなく新しい交友の領域がひらけた。
    彼女と僕が話しているのをよそ目に見たら、大分了解の届いた仲に見えるかも知れない。僕としてもつきあいの短いわりにはお互いに気心が分ったような気がしている。彼女は僕のことをこだわりなく「おじさん」と呼んでいる。彼女から見れば僕などはおじさんに違いない、またおじさん以外の何物でもあるわけがない。彼女からおじさんの御商売は? と訊かれて、僕は小説を書いていると答えた。靴屋ならば靴をこしらえていると答えるだろうし、時計職ならば時計を組立てていると答えるだろう。ただ僕の場合はまだ文芸年鑑にも登録されていないし、一冊の著書さえなく、また二三書いたものを発表したこともあるが、その雑誌もいまは廃刊している。けれども若しそんなことで僕が悪びれたりしたなら、その小さな店で敢闘している彼女に対しても、男子の沽券こけんにかかわることだろう。自分で小説書きを標榜ひょうぼうする以上、上手下手はべつとして、僕としては仕事に励む気になっている。それに応じて仕事そのものが精を出してくれたなら、申し分ないのだが。彼女は商売柄、「日々の麺麭パン」という僕の旧作がっている雑誌を見つけ出してきて読んだようだが、云うことがいい。「わたし、おじさんを声援するわ。」
    僕としては思いがけない知己ちきを得たわけであるが、彼女はどうやら僕を少し買被っている気味がある。僕のことをたいへん苦労をした者のように思い込んでいるふしが見える。僕の書いたつまらないものが、彼女にそんな思い違いをさせたのならば、僕としては後めたい気がする。ひとつは僕の服装の貧しさがなにかいわくありげに見えるのかも知れないが、これはただ僕に稼ぎがないだけの話である。彼女はなかなかの勉強家で店番をしながらロシヤ語四週間などという本を読んでいるが、その本の中に「貧乏は瑕瑾きずではない。」という俚諺ことわざを見出して云うことには、「わたしね、それを読んで、おじさんのことを聯想したわ。」ひどい買被りである。それは僕にだって、肉体の飢えを精神の飢えに代えて欲しい本を手に入れてそれに読みふけった思い出がないことはない。僕はかつてハムスンの「飢え」という小説を読んだとき、主人公が苦境に在ってよく高邁こうまいの精神を失わないことに感心した。僕にはとてもあの真似は出来ない。この俚諺はそのまま熨斗のしをつけて彼女に返上した方がいい。午前中は自転車に乗って建場たてば廻りをし、店をあけてからは夜九時過ぎまで頑張り、店番のすきには語学を勉強したり、幼い弟の胴着を編んでやったりしている彼女の懸命な生活の姿にこそ、この言葉はふさわしいであろう。
    彼女は自分のことを「わたしは本の番人だと思っているの。」と云ったことがある。彼女は商品の本や雑誌をとても丁寧に取扱う。仕入れた品は店に出す前に一冊一冊調べて、鑢紙やすりがみや消ゴムで汚れを拭きとったり、こてしわのばしをしたり、破損している個所をのりづけしたりしている。見ていると、入念に愛撫あいぶしているような感じを受ける。
    彼女の店の商品の値段は概して安い。「わたし、あまりもうけられないの。本屋って泥棒みたいですわ。」と云っている。たまに掘出しものなんかすると、かえって後で気持が落着かないという。塵も積れば山となる式の細かい商法が好みらしい。彼女の店は月にして約二万円の売上げがあり、儲けは七八千円位だそうである。開店以来六ヶ月にしてようやくそれまでにぎ着けたという。彼女はそのことを、林檎りんごの頬を輝かせて澄んだ眼差しで僕に告げた。僕はそのとき彼女から自己の記録を保持するために懸命の努力をつづけている選手のような印象を受けた。彼女はそのために定期の市のほかに、毎日自転車に乗って建場や製紙原料屋までを馳けずり廻っているのである。僕は一体に男のおおまかよりは女のつましさの方に心を惹かれる。
    こないだ彼女から贈物をもらった。
    十月四日は僕の誕生日である。僕はそのことをなにかの話のついでに彼女に告げたらしいのだが、彼女は覚えていて、その日ぶらりと彼女の店に立寄った僕に贈物をくれると云うのである。
    「均一本のお客様に対してかね。」
    「いいえ。一読者から敬愛する作家に対してよ。」
    「へえ。なにをくれるの?」
    「当ててごらんなさい。わたし、これから薬屋へ行って買って来ますから、おじさん、一寸店番しててね。」
    彼女は銭箱から五拾円紙幣しへいを一枚掴み出して店を出て行った。なにをくれるつもりだろう。口中清涼剤だろうか。まさか水虫の薬ではあるまい。待つ間ほどなく彼女は戻ってきて小さい紙包を僕にくれた。
    「あけていいかい?」
    「どうぞ。」
    あけると中から耳かきと爪きりが出てきた。なるほど。僕にはそれがとても気のきいた贈物に思えた。金目のものでないだけに一層。
    「これはどうも有難う。折角愛用するよ。」
    彼女は笑いながら僕に新聞紙大の紙をひろげて寄こした。見るとその月の少女雑誌の附録で、彼女の指示した箇所には十月生れの画家、詩人、科学者などの名が列記してあって、そのはじめには、「十月四日生。ミレー(一八一四年)、『晩鐘』や『落穂拾い』また『お母さんの心づかい』を描いたフランスの農民画家。」としてあった。

    以上が僕の最近の日録であり、また交友録でもある。実録かどうか、それは云うまでもない。
    青空文庫より