菊池寛

  • 菊池寛「納豆合戦」飯田桃子朗読

    Aug 18, 2018

    納豆合戦

    菊池寛

    皆さん、あなた方は、納豆売の声を、聞いたことがありますか。朝寝坊をしないで、早くからをさましておられると、朝の六時か七時ごろ、冬ならば、まだお日様が出ていない薄暗い時分から、
    「なっと、なっとう!」と、あわれっぽい節を付けて、売りに来る声を聞くでしょう。もっとも、納豆売は、田舎いなかには余りいないようですから、田舎に住んでいる方は、まだお聞きになったことがないかも知れませんが、東京の町々では毎朝納豆売が、一人や二人は、きっとやって来ます。
    私は、どちらかといえば、寝坊ですが、それでも、時々朝まだ暗いうちに、床の中で、眼をさましていると、
    「なっと、なっとう!」と、いうあわれっぽい女の納豆売の声を、よく聞きます。
    私は、「なっと、なっとう!」という声を聞くたびに、私がまだ小学校へ行っていた頃に、納豆売のおばあさんに、いたずらをしたことを思い出すのです。それを、思い出す度に、私は恥しいと思います。悪いことをしたもんだと後悔します。私は、今そのお話をしようと思います。
    私が、まだ十一二の時、私のいえ小石川こいしかわ武島町たけじまちょうにありました。そして小石川の伝通院でんずういんのそばにある、礫川れきせん学校がっこうへ通っていました。私が、近所のお友達四五人と、礫川学校へ行く道で、毎朝納豆売の盲目めくらのお婆さんにいました。もう、六十を越しているお婆さんでした。貧乏なお婆さんと見え、冬もボロボロのあわせを重ねて、足袋たびもはいていないような、可哀かあいそうな姿をしておりました。そして、納豆のつとを、二三十持ちながら、あわれな声で、
    「なっと、なっとう!」と、呼びながら売り歩いているのです。つえを突いて、ヨボヨボ歩いている可哀そうな姿を見ると、大抵たいていいえでは買ってやるようでありました。
    私達は初めのうちは、このお婆さんとれ違っても、たれもお婆さんのことなどはかまいませんでしたが、ある日のことです。私達の仲間で、悪戯いたずらの大将と言われる豆腐屋の吉公きちこうという子が、向うからヨボヨボと歩いて来る、納豆売りのお婆さんの姿を見ると、私達の方を向いて、
    「おい、おれがお婆さんに、いたずらをするから、見ておいで。」と言うのです。
    私達はよせばよいのにと思いましたが、何しろ、十一二という悪戯盛いたずらざかりですから、一体吉公がどんな悪戯をするのか見ていたいという心持もあって、だまって吉公のあとからついて行きました。
    すると吉公はお婆さんのそばへつかつかと進んで行って、
    「おい、お婆さん、納豆をおくれ。」と言いました。すると、お婆さんは口をもぐもぐさせながら、
    「一銭のつとですか、二銭の苞ですか。」と言いました。
    「一銭のだい!」と吉公はしかるように言いました。お婆さんがおずおずと一銭の藁苞わらづとを出しかけると、吉公は、
    「それはいやだ。そっちの方をおくれ。」と、言いながら、いきなりお婆さんの手の中にある二銭の苞を、引ったくってしまいました。お婆さんは、可哀かあいそうに、眼が見えないものですから、一銭の苞の代りに、二銭の苞を取られたことに、気が付きません。吉公から、一銭受け取ると、
    「はい、有難うございます」と、言いながら、又ヨボヨボ向うへ行ってしまいました。
    吉公は、お婆さんから取った二銭の苞を、私達に見せびらかしながら、
    「どうだい、一銭で二銭の苞を、まき上げてやったよ。」と、自分の悪戯を自慢するように言いました。一銭のお金で、二銭の物を取るのは、悪戯というよりも、もっといけない悪いことですが、その頃私達は、まだ何のかんがえもない子供でしたから、そんなに悪いことだとも思わず、吉公がうまく二銭の苞を、取ったことを、何かエライことをでもしたように、感心しました。
    「うまくやったね。お婆さん何も知らないで、ハイ有難うございます、と言ったねえ、ハハハハ。」と、私が言いますと、みんなも声をそろえて笑いました。
    が、吉公は、お婆さんから、うまく二銭の納豆をまき上げたといっても、何も学校へ持って行って、べるというのではありません。学校へ行くと、吉公は私達に、納豆を一つかみずつ渡しながら、
    「さあ、これから、いくさごっこをするのだ。この納豆が鉄砲丸てっぽうだまだよ。これのぶっつけこをするんだ。」と、言いました。私達は二組ふたくみに別れて、雪合戦ゆきがっせんをするように納豆合戦をしました。キャッキャッ言いながら、納豆を敵に投げました。そして面白い戦ごっこをしました。
    あくる朝、又私達は、学校へ行く道で、納豆売のお婆さんに逢いました。すると、吉公は、
    「おい、誰か一銭持っていないか。」と言いました。私は、昨日きのうの納豆合戦の面白かったことを、思い出しました。私は、早速さっそく持っていた一銭を、吉公に渡しました。吉公は、昨日と同じようにして、一銭で二銭の納豆をだまして取りました。その日も、学校で面白い納豆合戦をやりました。

    その翌日です。私達は、又学校へ行く道で、納豆売のお婆さんにいました。その日は、吉公きちこうばかりでありません。私もつい面白くなって、一銭で二銭のつとだまして取りました。すると、ほかの友達も、
    おれにも、一銭のをおくれ。」と、言いながら、みんな二銭の苞を、騙して取りました。お婆さんが、
    「はい、有難うございます。」と、言っているうちに、お婆さんの手の中の二銭の苞は、見るに二つ三つになってしまいました。
    そのあくる日も、そのあくる日も、私達はこのお婆さんから、二銭の苞を騙して取りました。人のいお婆さんも、うちへ帰って売上げ高を、勘定かんじょうして見ると、お金が足りないので、私達に騙されるのに、気がついたのでしょう。そっと、交番のお巡査まわりさんに、言いつけたと見えます。
    お婆さんが、お巡査さんに言ったとは、夢にも知らない私達は、ある朝、お婆さんに出くわすと、いつもの吉公が、
    「さあ、今日きょうも鉄砲丸を買わなきゃならないぞ。」と、言いながら、お婆さんのそばへ寄ると、
    「おい、お婆さん、一銭のを貰うぜ。」と、言いながら、何時いつものように、二銭の苞を取ろうとしました。すると、丁度その時です。急に、グッグッというくつの音がして、お巡査さんが、急いでけつけて来たかと思うと、二銭の苞を握っている吉公の右の手首を、グッと握りしめました。
    「おい、お前は、いくらの納豆を買ったのだ。」とお巡査さんが、おそろしい声で聞きました。いくら餓鬼大将の吉公だといって、お巡査さんに逢っちゃたまりません。あおくなって、ブルブルふるえながら、
    「一銭のです、一銭のです。」と、泣き声で言いました。すると、お巡査さんは、
    「太いやつだ。これは二銭の苞じゃないか。この間中から、このお婆さんが、納豆を盗まれる盗まれると、こぼしていたが、お前達が、こんな悪戯いたずらをやっていたのか。さあ、交番へ来い。」と、言いながら、吉公を引きずって行こうとしました。吉公は、おいおい泣き出しました。私達も、吉公と同じ悪いことをしているのですから、みんな蒼くなって、ブルブル顫えていました。すると、吉公はお巡査さんに引きずられながら、「私一人じゃありません。みんなもしたのです。私一人じゃありません。」と言ってしまいました。するとお巡査まわりさんは、こわい眼で、私達をにらみながら、
    「じゃ、みんなの名前を言ってご覧。」と言いました。そう言われると、私達はもう堪らなくなって、
    「わあッ。」と、一ぺんに泣き出しました。
    すると、そばにじっと立っていた納豆売のお婆さんです。私達が、一緒に泣き出す声を聞くと、急に盲目めくらの眼を、ショボショボさせたかと思うと、お巡査さんの方へ、手さぐりに寄りながら、
    「もう、旦那だんなさん、勘忍かんにんして下さい。ホンのこの坊ちゃん達のいたずらだ。悪気わるぎでしたのじゃありません。いい加減に、勘忍してあげておんなさい。」と、まだ眼を光らしているお巡査さんをなだめました。見ると、お婆さんは、眼に一杯涙をたたえているのです。お巡査さんは、お婆さんの言葉を聞くと、やっと吉公の手を離して、
    「お婆さんが、そう言うのなら、勘弁かんべんしてやろう。もう一度、こんなことをすると、承知をしないぞ。」と、言いながら、向うへ行ってしまいました。すると、お婆さんは、やっと安心したように、
    「さあ、坊ちゃん方、はやく学校へいらっしゃい。今度から、もうこのお婆さんに、悪戯いたずらをなさるのではありませんよ。」と言いました。私は、お婆さんの眼の見えない顔を見ていると穴の中へでも、這入はいりたいような恥しさと、悪いことをしたという後悔とで、心のうちが一杯になりました。
    このことがあってから、私達がぷっつりと、この悪戯をめたのは、申すまでもありません。その上、餓鬼大将の吉公さえ、前よりはよほどおとなしくなったように見えました。私は、納豆売のお婆さんに、恩返しのため何かしてやらねばならないと思いました。それでその日学校から、うちへ帰ると、
    「家では、納豆を少しも買わないの。」と、おっかさんに、ききました。
    「お前は、納豆をべたいのかい。」と、おっかさんがきき返しました。
    「喰べたくはないんだけれど、可哀かあいそうな納豆売のお婆さんがいるから。」と言いました。
    「お前が、そういう心掛こころがけで買うのなら、時々は買ってもいい。お父様とうさまは、お好きなほうなのだから。」と、おっかさんは言いました。それから、毎朝、お婆さんの声が聞えると、お金をもらって納豆を買いました。そして、そのお婆さんが、来なくなる時まで、私は大抵たいてい毎朝、お婆さんから納豆を買いました。

     

  • 菊池寛「身投げ救助業」二宮 隆朗読

    24.80 Aug 05, 2017

    身投げ救助業

    菊池寛

    ものの本によると、京都にも昔から自殺者はかなり多かった。
    都はいつの時代でも田舎よりも生存競争が烈しい。生活に堪えきれぬ不幸が襲ってくると、思いきって死ぬ者が多かった。洛中洛外に激しい飢饉ききんなどがあって、親兄弟に離れ、可愛い妻子を失うた者は世をはかなんで自殺した。除目じもくにもれた腹立ちまぎれや、義理に迫っての死や、恋のかなわぬ絶望からの死、数えてみれば際限がない。まして徳川時代には相対死などいうて、一時に二人ずつ死ぬことさえあった。
    自殺をするに最も簡便な方法は、まず身を投げることであるらしい。これは統計学者の自殺者表などを見ないでも、少し自殺ということを真面目に考えた者には気のつくことである。ところが京都にはよい身投げ場所がなかった。むろん鴨川では死ねない。深いところでも三尺ぐらいしかない。だからおしゅん伝兵衛は鳥辺山とりべやまで死んでいる。たいていはくびれて死ぬ。汽車に轢かれるなどということもむろんなかった。
    しかしどうしても身を投げたい者は、清水の舞台から身を投げた。「清水の舞台から飛んだ気で」という文句があるのだから、この事実に誤りはない。しかし、下の谷間の岩に当って砕けている死体を見たり、またその噂をきくと、模倣好きな人間も二の足を踏む。どうしても水死をしたいものは、お半長右衛門のように桂川まで辿って行くか、逢坂山おうさかやまを越え琵琶湖へ出るか、嵯峨の広沢の池へ行くよりほかに仕方がなかった。しかし死ぬ前のしばらくを、十分に享楽しようという心中者などには、この長い道程もあまり苦にはならなかっただろうが、一時も早く世の中を逃れたい人たちには、二里も三里も歩く余裕はなかった。それでたいていは首をくくった。聖護院の森だとか、ただすの森などには、椎の実を拾う子供が、宙にぶらさがっている死体を見て、驚くことが多かった。
    それでも、京の人間はたくさん自殺をしてきた。すべての自由を奪われたものにも、自殺の自由だけは残されている。牢屋にいる人間でも自殺だけはできる。両手両足を縛られていても、極度の克己をもって息をしないことによって、自殺だけはできる。
    ともかく、京都によき身投げ場所のなかったことは事実である。しかし人々はこの不便を忍んで自殺をしてきたのである。適当な身投げ場所のないために、自殺者の比例が江戸や大阪などに比べて小であったとは思われない。
    明治になって、槇村京都府知事が疏水そすい工事を起して、琵琶湖の水を京に引いてきた。この工事は京都の市民によき水運を備え、よき水道を備えると共に、またよき身投げ場所を与えることであった。

  • 海渡みなみ朗読、菊池寛「極楽」


    極楽
    菊池寛
     京師室町姉小路下る染物悉皆商近江屋宗兵衛の老母おかんは、文化二年二月二十三日六十六歳を一期として、卒中の気味で突然物故した。穏やかな安らかな往生であった。配偶の先代宗兵衛に死別れてから、おかんは一日も早く、往生の本懐を遂ぐる日を待って居たと云ってもよかった。先祖代々からの堅い門徒で、往生の一義に於ては、若い時からしっかりとした安心を懐いて居た。殊に配偶に別れてからは、日も夜も足りないようにお西様へお参りをして居たから、その点では家内の人達に遉さすがはと感嘆させたほど、立派な大往生であった。
     信仰に凝り固まった老人としよりの常として、よく嫁いじめなどをして、若い人達から、早く死ねよがしに扱われるものだが、おかんはその点でも、立派であった。一家の者は、此の人のよい、思いやりの深い親切な、それで居て快活な老婦人が、半年でも一年でも、生き延びて呉れるようにと、祈らないものはなかった。従って、おかんが死際に、耳にした一家の人々の愁嘆の声に、微塵虚偽や作為の分子は、交って居ない訳だった。
     おかんは、浄土に対する確かな希望を懐いて、一家の心からの嘆きの裡に、安らかな往生を遂げたのである。万人の免れない臨終の苦悶をさえ、彼女は十分味わずに済んだ。死に方としては此の上の死に方はなかった。死んで行くおかん自身でさえ、段々消えて行く、狭霧のような取とめもない意識の中で、自分の往生の安らかさを、それとなく感じた位である。
     宗兵衛の長女の今年十一になるお俊の――おかんは、彼女に取っては初孫ういまごであったお俊を、どんなに心から愛して居たか分らなかった――絶え間もない欷すゝり泣の声が、初はじめは死にかけて居るおかんの胸をも、物悲しく掻き擾さずには居なかった。が、おかんの意識が段々薄れて来るに従って、最愛の孫女の泣き声も、少しの実感も引き起さないで、霊を永い眠にさそう韻律的な子守歌か何かのようにしか聞えなくなってしまって居た。枕許の雑音が、だん/\遠のくと同時に、それが快い微妙な、小鳥の囀か何かのように、意味もない音声に変ってしまって居た。その中うちに、鉦の音が何時とはなく聞えて来た。その鉦の音が、彼女の生涯に聞いた如何なる場合の鉦の音と比べても、一段秀れた微妙なひびきを持って居た。御門跡様が御自身叩かれた鉦の音でも、彼女をこうまで有難く快くはしなかった。その鉦の音が後あとの一音は、前の一音よりも少しずつ低くなって行った。感じられないほどの、わずかな差で段々衰えて行った。それが段々衰えて行って、いつしか消えてなくなってしまったと同時に、おかんの現世に対する意識は、烟のように消失してしまって居た
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