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  • 刑事弁護士の尾形博士は法廷から戻ると、久しぶりにゆっくりとした気分になって晩酌の膳にむかった。庭の新緑はいつか青葉になって、月は中空にかかっていた。
    うっすらと化粧をした夫人が静かに入って来て、葡萄酒の瓶をとりあげ、
    「ずいぶん、お疲れになったでしょう?」と上眼使いに夫を見上げながら、ワイン・グラスになみなみと酒を注いだ。
    「うむ。だが、――長い間の責任をすましたので、肩の荷を下したように楽々した」
    「そうでしょう? 今日の弁論、とても素晴らしかったんですってね。私、傍聴したかった。霜山弁護士さんが先刻おいでになって、褒めていらしたわ、あんな熱のこもった弁論を聴くのは全く珍らしい事だ、あれじゃたとえ被告が死刑の判決を下されたって、満足して、尾形君に感謝を捧げながら冥土へ行くだろうって、仰しゃっていらしたわ」
    「霜山君はお世辞がいいからなアハ……。しかし、少しでも被告の罪が軽くなってくれればねえ、僕はそればっかり祈っている」
    「あなたに救われた被告は今日までに随分おおぜいあるんでしょうねえ。刑事弁護士なんて云うと恐い人のように世間では思うらしいけれど、ほんとは人を助ける仕事で、仏様のようなものなんですからね」
    「その代り金にならないよ。だから、いつでもピイピイさ」と笑った。
    「殺人犯だの、強盗だのなんかにはあんまりお金持ちはいないんですものねえ、でも、あなたは金銭にかえがたい喜びがあるから、と、いつも仰しゃいますが、減刑になったなんて聞くと私まで胸がすうっとしますわ。その人のために弁護なさるあなたの身になったらどんなに愉快だろうと思いますのよ」と云っているところに、玄関のベルが臆病らしくチリッと鳴った、まるで爪か、指先でもちょっと触れたように。
    「おやッ」と夫人は口の中でつぶやいた。
    ふたりは何という事なしに眼を見合せたのだった。すると、こんどはややしっかりしたベルの音がした。
    夫人は小首を傾げて、
    「普通のお客様のようじゃないわね、きっと何かまた」と、云いながら席を起って行ったが、間もなく引返して来ると、まるでおびえたような顔をして、
    「何んだか、気味が悪いのよ。まるで幽霊のような女の人が、しょんぼりと立っていてね、薄暗い蔭の方へ顔を向けているので、年頃も何もまるで分らないけれど、みなりは迚も立派なの。正面まともに私の顔も見ないで、先生に折入ってお願いしたい事がありまして夜中伺いましたって、この御紹介状を差出したんですが、その手がまたぶるぶると震るえて、その声ったらまるで泣いているよう、――」
    博士はその紹介状を受取って、封をきり、眼を通していたが、
    「不思議な人からの紹介だな」と云って、ぽいと夫人の手へ投げた。
    「まあ、ミシェル神父様からの御紹介状ですのねえ、あなた、神父様御存じなの?」
    「うむ。僕は若い頃熱心な天主教徒だったんだよ。いまは大なまけだが――、しかし、形式的のつとめこそ怠っているが、心は昔と少しも変らない信者なんだ。二十何年前僕はミシェル神父様の手で洗礼をさずけて頂いた。しかし、よくまあ神父様は覚えていられたものだなあ」と、博士は愉快そうに起って、自ら玄関に訪問客を迎え、横手の応接室に通した。
    「どんな御用件なんでしょうか?」と、ゆったりと煙草に火を点けた。
    女は夫人の言葉通りに小刻みに体を震わせながら、暗い隅に腰かけて顔も上げ得ないのだった。三十か、あるいは四五にもなっているかも知れないが、痩せた青い顔に憂慮と不安のいろが漂い、神経質らしい太い眉を深く寄せている。紹介状には川島浪子とだけ書いてあって、人妻か未亡人か、どういう身分の婦人であるかがまるでわからなかった。夜中、殊に突然飛び込んで来る客には何かしら深い事情のある人が多かったので、彼は心の中で仔細があるなとうなずいた。
    ややしばらくしてから、婦人は低い声で、
    「お願いがあって、突然上りまして」と云って、面を伏せた。
    「神父様の御紹介状にはただお名前だけしか書いてありません、委しい事は御当人から直接訊いてくれ、と、ありますが――」
    「はい。私はある小さな会社の重役をつとめている者の妻でございます。思いあまったことがありまして、教会へ告白にまいりましたところ、神父様が、先生にお縋りしてみよと仰しゃいましたので、恥を忍んでまいりました」と、割合にはっきりした口調で云って、はじめて顔を上げ、正面から彼を見た。その顔をじいと見ていた博士は、
    「あッ、あなたは――」思わずおどろきの叫び声をあげて、
    「秋田さん秋田浪子さんじゃありませんか?」
    「先生、よく覚えていて下さいました」と、彼女は淋しくほほ笑んだ。
    「随分変られましたな、すっかりお見それしてしまった、川島さんだなどと仰しゃるもんだから、なおわからなかったんです」
    「でも、私、川島へ再婚したんですの」
    「秋田さんなら、何も御紹介状をお持ちになる必要もなかった」
    「だって、もうお忘れになったろうと思って、――先生と御交際させて頂いていたのはもう二十年も音の事ですもの」
    「何十年たったって、あなたを忘れるなんて――」そんなことがあって、どうするものかと、つい口の先まで出かかったのをぐっと呑み込んで、
    「いくら健忘症の僕でも、あの頃のことだけは忘れませんよ」
    「じゃあ、いまでも怒っていらっしゃる? 私が結婚したことを――」
    博士は烈しく首を振って、
    「いいや。決して、――あなたは僕のような貧乏書生と結婚しては幸福になれないからいやだとはっきり云ってくれたから、僕は反って思い切れたんですよ。間もなく浪子さんが金持の後妻になったと聞いた時、その方があなたのためには幸福なんだろうと思って、祝福していた位ですもの、そのかたとは?」
    「死別しました。先妻の息子が相続人だったので、私は離婚して川島と再婚しました」
    「それで、――あなたは幸福に暮らしていられるんでしょうな」と云ったが、みなりこそ立派だが、見違えるほど面瘻れした彼女を見ては幸福な生活をしている者とはどうしたって思われなかった。
    彼女は悲しげに少時しょんぼりとうなだれていたが、
    「先生は、今朝の新聞を御らんになりましたか?」
    と、きっと顔を上げて訊いた。
    「見ましたが?」
    「あの、――ある青年が、あやまって赤ン坊を殺した記事をお読みになったでしょう?」
    博士はうなずいて、
    「無意識のうちに殺したという、あの事件ですか?」
    「私、その事で先生にお縋りに上ったんですの」
    「すると、あの青年は?」
    「私の従弟ですの」
    「なるほど、あなたの旧姓と同じですね、秋田弘とか云いましたね」
    「父の弟の息子です。秀才だったのですが、大学を出る一年前に応召して、戦争に行ってからすっかり人間が変ってしまいました。終戦と同時に帰還しましたが、もう大学へかえる気持ちもなく、それかと云って就職もせず、働く気もないという風で、前途に希望を全く失ってしまい、毎日ただぶらぶらと遊んでその日その日を送っているというようなので、親も段々愛想をつかし、最近では小遣銭にも不自由しておりましてね、度々私のところへ無心を云いに来るようになりました」
    「ちょいと待って下さい」
    博士はベルを鳴らして、夫人に今朝の新聞を持って来させ、もう一度その記事に眼を通してから、びっくりしたように、
    「殺人はあなたの家で行われたんですか?」
    「そうなんです」
    「ふうむ」
    彼は始めてこの訪問の容易ならぬことを知ったのだった。
    「して、その赤ン坊は?」
    「私の子なんですの」
    「えッ? あなたのお子さんが殺されたんだと仰しゃるんですか?」
    「ええ。ですけれど、――先生、弘さんは可哀想な青年なんですのよ。私、自分の赤ン坊が殺されたんですけれど、弘さんを恨む気にはなれません、それで、――それで実は私、先生にお願いするんです。どうぞ、あのひとを救ってやって下さいませ」と云って、手を合せ、
    「あの、先生、弘さんは死刑になるんでございましょう?」とおろおろ声で訊くのだった。
    「さあ」
    「もしも、弘さんが死刑にでもなるようでしたら、――私は生きていられませんの。あんまり可哀想で、――どうぞ、お願いです、助けてやって――」
    と、婦人は縋りつかないばかりに嘆願するのだった。
    「と、いって、僕がどうしようもないじゃありませんか。犯行がこうはっきりしていて、あなたの家を訪問し、あなたの赤ン坊を殺した、それをあなたは目撃していたが、どうにもとめようがなかった、というのでしょう?」
    「新聞に書いてあるのはそれだけです、が、それにはいろいろとわけがありまして――」
    「そのわけというのをすっかり話してみて下さい。その上で、僕の力に及ぶことなら何んとでもして上げますから」
    「ほんとにお願いします。恐らく私が先生にお願いすることの、これが最初で最後だろうと思います。先生、私の涙のお願い、きいて下さいね」と云って、婦人はむせび泣くのだった。
    「よろしい。その代り何もかもありのままを云って下さい。少しでもかくしたりしてはいけませんよ。嘘が交じると困ることになりますからね」
    「決して、誓って嘘は申しません、かくしだてもいたしません、すっかり洗いざらいお話しいたしてしまいますわ」

    青空文庫より

  • 新美南吉「張紅倫」駒形恵美 朗読

    16.23
    Oct 03, 2017

    張紅倫

    新美南吉

    奉天(ほうてん)大戦争(一九〇五年)の数日まえの、ある夜中のことでした。わがある部隊の大隊長青木少佐は、畑の中に立っている歩哨(ほしょう)を見まわって歩きました。歩哨は、めいぜられた地点に石のようにつっ立って、きびしい寒さと、ねむさをがまんしながら、警備についているのでした。
    「第三歩哨、異状はないか」
    少佐は小さく声をかけました。
    「はっ、異状ありません」
    歩哨のへんじが、あたりの空気に、ひくく、こだましました。少佐は、また、歩きだしました。
    頭の上で、小さな星が一つ、かすかにまたたいています。少佐はその光をあおぎながら、足音をぬすんで歩きつづけました。
    もうすこしいくと、つぎの歩哨のかげが見えようと思われるところで、少佐はどかりと足をふみはずして、こおった土くれをかぶりながら、がたがたがた、どすんと、深いあなの中に落ちこみました。
    ふいをくった少佐は、しばらくあなのそこでぼんやりしていましたが、あたりのやみに目もなれ、気もおちついてくると、あなの中のようすがうすうすわかってきました。それは四メートル以上の深さで、そこのほうがひろがっている、水のかれた古井戸だったのです。
    少佐は、声を出して歩哨(ほしょう)をよぼうとしましたが、まてまて、深い井戸の中のことだから、歩哨のいるところまで、声がとおるかどうかわからない、それに、もし、ロシアの斥候(せっこう)にききつけられたら、むざむざところされるにきまっている、と思いかえし、そのまま、だまってこしをおろしました。
    あすの朝になったら、だれかがさがしあてて、ひきあげてくれるだろうと考えながら、まるい井戸の口でしきられた星空を見つめていました。そのうちに、井戸の中があんがいあたたかなので、うとうととねむりだしました。
    ふとめざめたときは、もう夜があけていました。少佐はううんとあくびをしながら、赤くかがやいた空を見あげたのち、
    「ちょっ、どうしたらいいかな」
    と、心の中でつぶやきました。
    まもなく、朝やけで赤かった空は、コバルト色になり、やがて、こい水色にかわっていきました。少佐は、だれかさがし出してくれないものかと、待ちあぐんでいましたが、だれもここに井戸があることさえ、気がつかないらしいけはいです。上を見ると、長いのや、みじかいのや、いろいろの形をしたきれぎれの雲が、あとから、あとからと、白く通っていくきりです。
    とうとうお昼近くになりました。青木少佐ははらもへり、のどがかわいてきました。とてもじれったくなって、大声で、オーイ、オーイと、いくどもどなってみました。しかし、じぶんの声がかべにひびくだけで、だれもへんじをしてくれるものはありません。
    少佐は、しかたなく、むだだとは知りながら、なんどもなんども、井戸の口からさがったつる草のはしにとびつこうとしました。やがて、「あああ」と、つかれはてて、べったりと井戸のそこにすわりこんでしまいました。
    そのうちに、とうとう日がくれて、寒いよいやみがせまってきました。ゆうべの小さな星が、おなじところでさびしく光っています。
    「おれは、このまま死んでしまうかもしれないぞ」
    と、少佐は、ふと、こんなことを考えました。
    「じぶんは、いまさら死をおそれはしない。しかし、戦争に加わっていながら、こんな古井戸の中でのたれ死にをするのは、いかにもいまいましい。死ぬなら、敵のたまにあたって、はなばなしく死にたいなあ」
    と、こうも思いました。
    まもなく少佐は、つかれと空腹のために、ねむりにおちいりました。それは、ねむりといえばねむりでしたが、ほとんど気絶したもおなじようなものでした。
    それからいく時間たったでしょう。少佐の耳に、ふと、人の声がきこえてきました。しかし、少佐はまだ半分うとうとして、はっきりめざめることができませんでした。
    「ははあ、地獄から、おにがむかえにきたのかな」
    少佐は、そんなことを、ゆめのように考えていました。すると、耳もとの人声がだんだんはっきりしてきました。
    「しっかりなさい」
    と、中国語でいいます。
    少佐は、中国語をすこし知っていました。そのことばで、びっくりして目をひらきました。
    「気がつきましたか。たすけてあげます」
    と、そばに立っていた男が、こういってだきおこしてくれました。
    「ありがとう、ありがとう」
    と、少佐はこたえようとしましたが、のどがこわばって、声が出ません。
    男は、井戸の口からつりさげたなわのはしで、少佐の胴体(どうたい)をしばっておいて、じぶんがさきにそのなわにつかまってのぼり、それから、なわをたぐって、少佐を井戸の外へひきあげました。少佐は、ぎらぎらした昼の天地が目にはいるといっしょに、ああ、たすかったと思いましたが、そのまま、また、気をうしなってしまいました。

    少佐がかつぎこまれたのは、ほったて小屋のようにみすぼらしい、中国人の百しょうの家で、張魚凱(ちょうぎょがい)というおやじさんと、張紅倫(ちょうこうりん)というむすことふたりきりの、まずしいくらしでした。
    あい色の中国服をきた十三、四の少年の紅倫は、少佐のまくらもとにすわって、看護してくれました。紅倫は、大きなどんぶりに、きれいな水をいっぱいくんでもってきて、いいました。
    「わたしが、あの畑の道を通りかかると、人のうめき声がきこえました。おかしいなと思ってあたりをさがしまわっていたら、井戸のそこにあなたがたおれていたので、走ってかえって、おとうさんにいったんです。それから、おとうさんとわたしとで、なわをもっていって、ひきあげたのです」
    紅倫(こうりん)はうれしそうに目をかがやかしながら話しました。少佐はどんぶりの水をごくごくのんでは、うむうむと、いちいち感謝をこめてうなずきました。
    それから、紅倫は、日本のことをいろいろたずねました。少佐が、内地に待っている、紅倫とおない年くらいのじぶんの子どものことを話してやると、紅倫はたいへんよろこびました。わたしも日本へいってみたい、そして、あなたのお子さんとお友だちになりたいと、いいました。少佐はこんな話をするたびに、日本のことを思いうかべては、小さなまどから、うらの畑のむこうを見つめました。外では、遠くで、ドドン、ドドンと、砲声がひっきりなしにきこえました。
    そのまま四、五日たった、ある夕がたのことでした。もう戦いもすんだのか、砲声もぱったりやみました。まどから見える空がまっかにやけて、へんにさびしいながめでした。いちんち畑ではたらいていた張魚凱(ちょうぎょがい)が、かえってきました。そして少佐のまくらもとにそそくさとすわりこんで、
    「こまったことになりました。村のやつらが、あなたをロシア兵に売ろうといいます。こんばん、みんなで、あなたをつかまえにくるらしいです。早くここをにげてください。まだ動くにはごむりでしょうが、一刻もぐずぐずしてはいられません。早くしてください。早く」
    と、せきたてます。
    少佐は、もうどうやら歩けそうなので、これまでの礼をあつくのべ、てばやく服装をととのえて、紅倫(こうりん)の家を出ました。畑道に出て、ふりかえってみると、紅倫がせど[#「せど」に傍点]口から顔を出して、さびしそうに少佐のほうを見つめていました。少佐はまた、ひきかえしていって、大きな懐中時計(かいちゅうどけい)をはずして、紅倫の手ににぎらせました。
    だんだん暗くなっていく畑の上を、少佐は、身をかがめて、奉天をめあてに、野ねずみのようにかけていきました。

    戦争がおわって、少佐も内地へかえりました。その後、少佐は退役して、ある都会の会社につとめました。少佐は、たびたび張(ちょう)親子を思い出して、人びとにその話をしました。張親子へはなんべんも手紙を送りました。けれども、先方ではそれが読めなかったのか、一どもへんじをくれませんでした。
    戦争がすんでから、十年もたちました。少佐は、その会社の、かなり上役(うわやく)になり、むすこさんもりっぱな青年になりました。紅倫(こうりん)もきっと、たくましいわかものになったことだろうと、少佐はよくいいいいしました。
    ある日の午後、会社の事務室へ、年わかい中国人がやってきました。青い服に、麻(あさ)のあみぐつをはいて、うでにバスケットをさげていました。
    「こんにちは。万年筆いかが」
    と、バスケットをあけて、受付の男の前につきだしました。
    「いらんよ」
    と受付の男は、うるさそうにはねつけました。
    「墨(すみ)いかが」
    「墨も筆もいらん。たくさんあるんだ」
    と、そのとき、おくのほうから青木少佐が出てきました。
    「おい、万年筆を買ってやろう」
    と、少佐はいいました。
    「万年筆やすい」
    あたりで仕事をしていた人も、少佐が万年筆を買うといいだしたので、ふたりのまわりによりたかってきました。いろんな万年筆を少佐が手にとって見ているあいだ、中国人は、少佐の顔をじっと見まもっていました。
    「これを一本もらうよ。いくらだい」
    「一円と二十銭」
    少佐は金入れから、銀貨を出してわたしました。中国人はバスケットの始末をして、ていねいにおじぎをして、出ていこうとしました。そのとき、中国人は、ポケットから懐中時計(どけい)をつまみ出して、時間を見ました。少佐は、ふとそれに目をとめて、
    「あ、ちょっと待ちたまえ。その時計を見せてくれないか」
    「とけい?」
    中国人は、なぜそんなことをいうのか、ふ[#「ふ」に傍点]におちないようすで、おずおずさし出しました。少佐が手にとってみますと、それは、たしかに、十年まえ、じぶんが張紅倫(ちょうこうりん)にやった時計です。
    「きみ、張紅倫というんじゃないかい」
    「えっ!」と、中国人のわかものは、びっくりしたようにいいましたが、すぐ、「わたし、張紅倫ない」
    と、くびをふりました。
    「いや、きみは紅倫君だろう。わしが古井戸の中に落ちたのを、すくってくれたことを、おぼえているだろう? わしは、わかれるとき、この時計をきみにやったんだ」
    「わたし、紅倫ない。あなたのようなえらい人、あなに落ちることない」
    といってききません。
    「じゃあ、この時計はどうして手に入れたんだ」
    「買った」
    「買った? 買ったのか。そうか。それにしてもよくにた時計があるもんだな。ともかくきみは紅倫にそっくりだよ。へんだね。いや、失礼、よびとめちゃって」
    「さよなら」
    中国人はもう一ぺん、ぺこんとおじぎをして、出ていきました。
    そのよく日、会社へ、少佐にあてて無名の手紙がきました。あけてみますと、読みにくい中国語で、
    『わたくしは紅倫です。あの古井戸からおすくいしてから、もう十年もすぎましたこんにち、あなたにおあいするなんて、ゆめのような気がしました。よく、わたくしをおわすれにならないでいてくださいました。わたくしの父はさく年死にました。わたくしはあなたとお話がしたい。けれど、お話したら、中国人のわたくしに、軍人だったあなたが古井戸の中からすくわれたことがわかると、今の日本では、あなたのお名まえにかかわるでしょう。だから、わたくしはあなたにうそをつきました。わたくしは、あすは、中国へかえることにしていたところです。さよなら、おだいじに。さよなら』
    と、だいたい、そういう意味のことが書いてありました。

    青空文庫より

  • 夏目漱石「こころ」下 37 38 山口雄介朗読

    13.30
    Oct 03, 2017

    三十七

    「二人は各自めいめいへやに引き取ったぎり顔を合わせませんでした。Kの静かな事は朝と同じでした。わたくしじっと考え込んでいました。
    私は当然自分の心をKに打ち明けるべきはずだと思いました。しかしそれにはもう時機がおくれてしまったという気も起りました。なぜ先刻さっきKの言葉をさえぎって、こっちから逆襲しなかったのか、そこが非常な手落てぬかりのように見えて来ました。せめてKのあとに続いて、自分は自分の思う通りをその場で話してしまったら、まだ好かったろうにとも考えました。Kの自白に一段落が付いた今となって、こっちからまた同じ事を切り出すのは、どう思案しても変でした。私はこの不自然に打ち勝つ方法を知らなかったのです。私の頭は悔恨にられてぐらぐらしました。
    私はKが再び仕切しきりのふすまけて向うから突進してきてくれればいと思いました。私にいわせれば、先刻はまるで不意撃ふいうちに会ったも同じでした。私にはKに応ずる準備も何もなかったのです。私は午前に失ったものを、今度は取り戻そうという下心したごころを持っていました。それで時々眼を上げて、襖をながめました。しかしその襖はいつまでってもきません。そうしてKは永久に静かなのです。
    そのうち私の頭は段々この静かさにき乱されるようになって来ました。Kは今襖の向うで何を考えているだろうと思うと、それが気になってたまらないのです。不断もこんなふうにお互いが仕切一枚を間に置いて黙り合っている場合は始終あったのですが、私はKが静かであればあるほど、彼の存在を忘れるのが普通の状態だったのですから、その時の私はよほど調子が狂っていたものと見なければなりません。それでいて私はこっちから進んで襖を開ける事ができなかったのです。一旦いったんいいそびれた私は、また向うから働き掛けられる時機を待つよりほかに仕方がなかったのです。
    しまいに私はじっとしておられなくなりました。無理に凝としていれば、Kの部屋へ飛び込みたくなるのです。私は仕方なしに立って縁側へ出ました。そこから茶の間へ来て、何という目的もなく、鉄瓶てつびんの湯を湯呑ゆのみついで一杯呑みました。それから玄関へ出ました。私はわざとKの室を回避するようにして、こんな風に自分を往来の真中に見出みいだしたのです。私には無論どこへ行くというあてもありません。ただじっとしていられないだけでした。それで方角も何も構わずに、正月の町を、むやみに歩きまわったのです。私の頭はいくら歩いてもKの事でいっぱいになっていました。私もKをふるい落す気で歩き廻る訳ではなかったのです。むしろ自分から進んで彼の姿を咀嚼そしゃくしながらうろついていたのです。
    私には第一に彼がかいしがたい男のように見えました。どうしてあんな事を突然私に打ち明けたのか、またどうして打ち明けなければいられないほどに、彼の恋がつのって来たのか、そうして平生の彼はどこに吹き飛ばされてしまったのか、すべて私には解しにくい問題でした。私は彼の強い事を知っていました。また彼の真面目まじめな事を知っていました。私はこれから私の取るべき態度を決する前に、彼について聞かなければならない多くをもっていると信じました。同時にこれからさき彼を相手にするのが変に気味が悪かったのです。私は夢中に町の中を歩きながら、自分の室にじっすわっている彼の容貌ようぼうを始終眼の前にえがき出しました。しかもいくら私が歩いても彼を動かす事は到底できないのだという声がどこかで聞こえるのです。つまり私には彼が一種の魔物のように思えたからでしょう。私は永久彼にたたられたのではなかろうかという気さえしました。
    私が疲れてうちへ帰った時、彼の室は依然として人気ひとけのないように静かでした。

    三十八

    「私が家へはいると間もなくくるまの音が聞こえました。今のように護謨輪ゴムわのない時分でしたから、がらがらいういやひびきがかなりの距離でも耳に立つのです。車はやがて門前で留まりました。
    私が夕飯ゆうめしに呼び出されたのは、それから三十分ばかりったあとの事でしたが、まだ奥さんとお嬢さんの晴着はれぎが脱ぎてられたまま、次の室を乱雑にいろどっていました。二人は遅くなると私たちに済まないというので、飯の支度に間に合うように、急いで帰って来たのだそうです。しかし奥さんの親切はKと私とに取ってほとんど無効も同じ事でした。私は食卓に坐りながら、言葉を惜しがる人のように、素気そっけない挨拶あいさつばかりしていました。Kは私よりもなお寡言かげんでした。たまに親子連おやこづれで外出した女二人の気分が、また平生へいぜいよりはすぐれて晴れやかだったので、我々の態度はなおの事眼に付きます。奥さんは私にどうかしたのかと聞きました。私は少し心持が悪いと答えました。実際私は心持が悪かったのです。すると今度はお嬢さんがKに同じ問いを掛けました。Kは私のように心持が悪いとは答えません。ただ口がきたくないからだといいました。お嬢さんはなぜ口が利きたくないのかと追窮ついきゅうしました。私はその時ふと重たいまぶたを上げてKの顔を見ました。私にはKが何と答えるだろうかという好奇心があったのです。Kの唇は例のように少しふるえていました。それが知らない人から見ると、まるで返事に迷っているとしか思われないのです。お嬢さんは笑いながらまた何かむずかしい事を考えているのだろうといいました。Kの顔は心持薄赤くなりました。
    その晩私はいつもより早くとこへ入りました。私が食事の時気分が悪いといったのを気にして、奥さんは十時頃蕎麦湯そばゆを持って来てくれました。しかし私のへやはもう真暗まっくらでした。奥さんはおやおやといって、仕切りのふすまを細目に開けました。洋燈ランプの光がKの机からななめにぼんやりと私の室に差し込みました。Kはまだ起きていたものとみえます。奥さんは枕元まくらもとに坐って、大方おおかた風邪かぜを引いたのだろうから身体からだあっためるがいいといって、湯呑ゆのみを顔のそばへ突き付けるのです。私はやむをえず、どろどろした蕎麦湯を奥さんの見ている前で飲みました。
    私は遅くなるまで暗いなかで考えていました。無論一つ問題をぐるぐる廻転かいてんさせるだけで、ほかに何の効力もなかったのです。私は突然Kが今隣りの室で何をしているだろうと思い出しました。私は半ば無意識においと声を掛けました。すると向うでもおいと返事をしました。Kもまだ起きていたのです。私はまだ寝ないのかと襖ごしに聞きました。もう寝るという簡単な挨拶あいさつがありました。何をしているのだと私は重ねて問いました。今度はKの答えがありません。その代り五、六分経ったと思う頃に、押入おしいれをがらりと開けて、とこを延べる音が手に取るように聞こえました。私はもう何時なんじかとまた尋ねました。Kは一時二十分だと答えました。やがて洋燈ランプをふっと吹き消す音がして、家中うちじゅうが真暗なうちに、しんと静まりました。
    しかし私の眼はその暗いなかでいよいよえて来るばかりです。私はまた半ば無意識な状態で、おいとKに声を掛けました。Kも以前と同じような調子で、おいと答えました。私は今朝けさ彼から聞いた事について、もっと詳しい話をしたいが、彼の都合はどうだと、とうとうこっちから切り出しました。私は無論襖越ふすまごしにそんな談話を交換する気はなかったのですが、Kの返答だけは即坐に得られる事と考えたのです。ところがKは先刻さっきから二度おいと呼ばれて、二度おいと答えたような素直すなおな調子で、今度は応じません。そうだなあと低い声で渋っています。私はまたはっと思わせられました。

    青空文庫より

  • 夏目漱石「こころ」下 35 36 山口雄介朗読

    12.78
    Sep 28, 2017

    三十五

    「こんな訳でわたくしはどちらの方面へ向っても進む事ができずに立ちすくんでいました。身体からだの悪い時に午睡ひるねなどをすると、眼だけめて周囲のものが判然はっきり見えるのに、どうしても手足の動かせない場合がありましょう。私は時としてああいう苦しみを人知れず感じたのです。
    そのうち年が暮れて春になりました。ある日奥さんがKに歌留多かるたをやるからだれか友達を連れて来ないかといった事があります。するとKはすぐ友達なぞは一人もないと答えたので、奥さんは驚いてしまいました。なるほどKに友達というほどの友達は一人もなかったのです。往来で会った時挨拶あいさつをするくらいのものは多少ありましたが、それらだって決して歌留多かるたなどを取るがらではなかったのです。奥さんはそれじゃ私の知ったものでも呼んで来たらどうかといい直しましたが、私も生憎あいにくそんな陽気な遊びをする心持になれないので、い加減な生返事なまへんじをしたなり、打ちやっておきました。ところが晩になってKと私はとうとうお嬢さんに引っ張り出されてしまいました。客も誰も来ないのに、内々うちうち小人数こにんずだけで取ろうという歌留多ですからすこぶる静かなものでした。その上こういう遊技をやり付けないKは、まるで懐手ふところでをしている人と同様でした。私はKに一体百人一首ひゃくにんいっしゅの歌を知っているのかと尋ねました。Kはよく知らないと答えました。私の言葉を聞いたお嬢さんは、大方おおかたKを軽蔑けいべつするとでも取ったのでしょう。それから眼に立つようにKの加勢をし出しました。しまいには二人がほとんど組になって私に当るという有様になって来ました。私は相手次第では喧嘩けんかを始めたかも知れなかったのです。幸いにKの態度は少しも最初と変りませんでした。彼のどこにも得意らしい様子を認めなかった私は、無事にその場を切り上げる事ができました。
    それから二、三日ったのちの事でしたろう、奥さんとお嬢さんは朝から市ヶ谷にいる親類の所へ行くといってうちを出ました。Kも私もまだ学校の始まらないころでしたから、留守居同様あとに残っていました。私は書物を読むのも散歩に出るのもいやだったので、ただ漠然と火鉢のふちひじを載せてじっあごを支えたなり考えていました。となりへやにいるKも一向いっこう音を立てませんでした。双方ともいるのだかいないのだか分らないくらい静かでした。もっともこういう事は、二人の間柄として別に珍しくも何ともなかったのですから、私は別段それを気にも留めませんでした。
    十時頃になって、Kは不意に仕切りのふすまを開けて私と顔を見合みあわせました。彼は敷居の上に立ったまま、私に何を考えていると聞きました。私はもとより何も考えていなかったのです。もし考えていたとすれば、いつもの通りお嬢さんが問題だったかも知れません。そのお嬢さんには無論奥さんも食っ付いていますが、近頃ではK自身が切り離すべからざる人のように、私の頭の中をぐるぐるめぐって、この問題を複雑にしているのです。Kと顔を見合せた私は、今まで朧気おぼろげに彼を一種の邪魔ものの如く意識していながら、明らかにそうと答える訳にいかなかったのです。私は依然として彼の顔を見て黙っていました。するとKの方からつかつかと私の座敷へ入って来て、私のあたっている火鉢の前にすわりました。私はすぐ両肱りょうひじを火鉢の縁から取りけて、心持それをKの方へ押しやるようにしました。
    Kはいつもに似合わない話を始めました。奥さんとお嬢さんは市ヶ谷のどこへ行ったのだろうというのです。私は大方叔母おばさんの所だろうと答えました。Kはその叔母さんは何だとまた聞きます。私はやはり軍人の細君さいくんだと教えてやりました。すると女の年始は大抵十五日すぎだのに、なぜそんなに早く出掛けたのだろうと質問するのです。私はなぜだか知らないと挨拶するよりほかに仕方がありませんでした。

    三十六

    「Kはなかなか奥さんとお嬢さんの話をめませんでした。しまいにはわたくしも答えられないような立ち入った事まで聞くのです。私は面倒よりも不思議の感に打たれました。以前私の方から二人を問題にして話しかけた時の彼を思い出すと、私はどうしても彼の調子の変っているところに気が付かずにはいられないのです。私はとうとうなぜ今日に限ってそんな事ばかりいうのかと彼に尋ねました。その時彼は突然黙りました。しかし私は彼の結んだ口元の肉がふるえるように動いているのを注視しました。彼は元来無口な男でした。平生へいぜいから何かいおうとすると、いう前によく口のあたりをもぐもぐさせるくせがありました。彼の唇がわざと彼の意志に反抗するように容易たやすかないところに、彼の言葉の重みもこもっていたのでしょう。一旦いったん声が口を破って出るとなると、その声には普通の人よりも倍の強い力がありました。
    彼の口元をちょっとながめた時、私はまた何か出て来るなとすぐ疳付かんづいたのですが、それがはたしてなんの準備なのか、私の予覚はまるでなかったのです。だから驚いたのです。彼の重々しい口から、彼のお嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた時の私を想像してみて下さい。私は彼の魔法棒のために一度に化石されたようなものです。口をもぐもぐさせる働きさえ、私にはなくなってしまったのです。
    その時の私は恐ろしさのかたまりといいましょうか、または苦しさの塊りといいましょうか、何しろ一つの塊りでした。石か鉄のように頭から足の先までが急に固くなったのです。呼吸をする弾力性さえ失われたくらいに堅くなったのです。幸いな事にその状態は長く続きませんでした。私は一瞬間ののちに、また人間らしい気分を取り戻しました。そうして、すぐ失策しまったと思いました。せんを越されたなと思いました。
    しかしそのさきをどうしようという分別はまるで起りません。恐らく起るだけの余裕がなかったのでしょう。私はわきの下から出る気味のわるい汗が襯衣シャツとおるのをじっと我慢して動かずにいました。Kはそのあいだいつもの通り重い口を切っては、ぽつりぽつりと自分の心を打ち明けてゆきます。私は苦しくってたまりませんでした。おそらくその苦しさは、大きな広告のように、私の顔の上に判然はっきりした字でり付けられてあったろうと私は思うのです。いくらKでもそこに気の付かないはずはないのですが、彼はまた彼で、自分の事に一切いっさいを集中しているから、私の表情などに注意する暇がなかったのでしょう。彼の自白は最初から最後まで同じ調子で貫いていました。重くてのろい代りに、とても容易な事では動かせないという感じを私に与えたのです。私の心は半分その自白を聞いていながら、半分どうしようどうしようという念に絶えずき乱されていましたから、こまかい点になるとほとんど耳へ入らないと同様でしたが、それでも彼の口に出す言葉の調子だけは強く胸に響きました。そのために私は前いった苦痛ばかりでなく、ときには一種の恐ろしさを感ずるようになったのです。つまり相手は自分より強いのだという恐怖の念がきざし始めたのです。
    Kの話が一通り済んだ時、私は何ともいう事ができませんでした。こっちも彼の前に同じ意味の自白をしたものだろうか、それとも打ち明けずにいる方が得策だろうか、私はそんな利害を考えて黙っていたのではありません。ただ何事もいえなかったのです。またいう気にもならなかったのです。
    午食ひるめしの時、Kと私は向い合せに席を占めました。下女げじょに給仕をしてもらって、私はいつにない不味まずめしを済ませました。二人は食事中もほとんど口をきませんでした。奥さんとお嬢さんはいつ帰るのだか分りませんでした。

    青空文庫より

  • 片山廣子「お嬢さん」駒形恵美朗読

    5.77
    Sep 20, 2017

    花の里、吉原にその青年は初めて行つたのである。それから十日位すぎて私にその夜のてんまつを聞かしてくれた。彼と私とは年齢の差を越えての友達だつた。青年は古い紳士の家に生れて上品で神経質だつたが、同時に人のおもひもかけない突飛な真似もする人で、その吉原行きも、小説でも書きたい願ひを持つてゐるのだから、世間のうら街道も時々は歩いてみなければと思ひついた結果らしかつた。さてさういふ場所もどうせ行くなら一ばんとびきり上等の店へ行つてみたいと思つて行つたのださうで、たいへん古い立派な店であつたらしい。そこでやり手のをばさんに自分が初めて来た話をすると、彼女は、それではすつかりおまかせ下さい、あなたにちやうどよくつり合ふ人がをります、ここの店で預かり物のやうに大切にしてゐる人を出すやうに申しませうと言つたさうだ。青年の話ではそこの家では湯殿もトイレットもすべて病院のやうに清潔で、強い薬のにほひがしてゐるので、ぼくは遊びに行つたのでなく、入院したやうな気持になりましたと言つてゐた。さてその大切な預かり物みたいな娘といふのが二十位の非常におちついたお嬢さんらしい女性で、三越のウインドウにある物よりもつともつと美しい着物を着てゐた。すこしづつ話をしてゐるうち彼女がぽつんぽつん言つたところでは、東北の或る旧家で父親が事業熱で破産の一歩手前のところまで来てしまつて、彼女は二年間の約束でこの店に来たが、三万円位が父の手にはいつたのださうだ。(その頃の三万円だから、現代の二百万か三百万の値うちであつたらう。)こんなところに彼女が来たことは親類にも土地の人たちにも秘密で、東京の親類へ預けられて勉強してゐることになつてゐて、二年が過ぎたら何も知らん顔で田舎に帰り、無事におよめに行けたら、ゆくつもりだと言つてゐた、さういふ勤めの世界にはいろいろな穴があつて、無事に二年を二年だけで通りすぎることはむづかしい話だと彼は思つたが、彼女は単純にさう信じてゐるらしかつた。彼女は地方の女学校を出たのだが、母の生れた家が四谷の方だつたので、母につれられて東京に来たことはあつたが、母が亡くなつてからは叔父の家にも来ない。故郷では彼女がその叔父の家に来てゐることと思はせてあるのだつた。きれいな人でしたか? と私がきくと、さう、紫の上といつたやうなふんわりしたわかわかしい娘でした。紫の上よりは背が高いかもしれないと彼が言つた。紫の上だつてそんなに小さくはなかつたでせう? と私は言つた。それでも、源氏の君より小さかつたらしいと彼が言つたので、笑つてしまつた。私たちは物語の中の人をむかし生きてゐた人のやうに時々錯覚してしまふのである。
    彼女は彼に、お客さんはこんなところにいらつしやらない方がよろしいですね。それに、もし私に同情して下さるのなら、もういらつしやらないで下さいね。ここにゐるあひだは、人間でなくただ機械みたいにつとめてゐようと思ひます。いく度もお目にかかるとだんだんおなじみの気持になりさうですからと、まるで兄にでも意見するやうに言つたさうである。彼女はよほど強い気持の人か、それでなければごくうぶな心の娘であつたらう。青年はもうあすこには行きたくない、ひどく気がいたむと言つてゐた。そこの空気が彼が考へてゐたのとひどく違つてゐたので、それを誰かに話したく、私に話したのだらうと思ふ。彼の話は全部ほんとうだと思ふけれど、彼がきかされて来た話が全部ほんとうかどうかは分らない。人はだれしも小説を作つて物語りたい気もちを持つものだから。
    とにかく、その紫の上のやうにわかわかしい、そして少しも物怯ぢをしないお嬢さんが無事にふるさとに帰つて行つて、今頃は堅気な世界に落ちついてゐることを念じる。

     

  • 芥川龍之介「東京に生まれて」駒形恵美 朗読

    3.90
    Sep 15, 2017

    東京に生れて

    芥川龍之介

    変化の激しい都会
    僕に東京の印象を話せといふのは無理である。何故といへば、或る印象を得るためには、印象するものと、印象されるものとの間に、或る新鮮さがなければならない。ところが、僕は東京に生れ、東京に育ち、東京に住んでゐる。だから、東京に対する神経は麻痺し切つてゐるといつてもいゝ。従つて、東京の印象といふやうなことは、ほとんど話すことがないのである。
    しかし、こゝに幸せなことは、東京は変化の激しい都会である。例へばつい半年ほど前には、石の擬宝珠ぎぼしのあつた京橋も、このごろでは、西洋風の橋に変つてゐる。そのために、東京の印象といふやうなものが、多少は話せないわけでもない。殊に、僕の如き出不精なものは、それだけ変化にも驚き易いから、幾分か話すたねも殖えるわけである。

    住み心地のよくないところ
    大体にいへば、今の東京はあまり住み心地のいゝところではない。例へば、大川にしても、僕が子供の時分には、まだ百本杭もあつたし、中洲界隈は一面の蘆原だつたが、もう今では如何にも都会の川らしい、ごみ/\したものに変つてしまつた。殊にこの頃出来るアメリカ式の大建築は、どこにあるのも見にくいものゝみである。その外、電車、カフエー、並木、自(ママ)車、いずれもあまり感心するものはない。
    しかし、さういふ不愉快な町中でも、一寸した硝子ガラス窓の光とか、建物の軒蛇腹のきじゃばらの影とかに、美しい感じを見出すことが、まあ、僕などはこんなところにも都会らしい美しさを感じなければ外に安住するところはない。

    広重の情趣
    もっとも、今の東京にも、昔の錦絵にあるやうな景色は全然なくなつてしまつたわけではない。僕は或る夏の暮れ方、本所の一の橋のそばの共同便所へ入つた。その便所を出て見ると、雨がぽつ/\降り出してゐた。その時、一の橋とたてがはの川の色とは、そつくり広重だつたといつてもいゝ。しかし、さういふ景色に打突ぶつかることは、まあ、非常に稀だらうと思ふ。

    郊外の感じ
    ついでに郊外のことを言へば、概して、郊外は嫌ひである。嫌ひな理由の第一は、妙に宿場じみ、新開地じみた町の感じや、所謂いわゆる武蔵野が見えたりして、安直なセンチメンタリズムが厭なのである。さういふものゝ僕の住んでゐる田端もやはり東京の郊外である。だから、あんまり愉快ではない。

  • 夏目漱石「こころ」下 33 34 山口雄介朗読

    13.73
    Sep 05, 2017

    三十三

    「十一月の寒い雨の降る日の事でした。わたくし外套がいとうらして例の通り蒟蒻閻魔こんにゃくえんまを抜けて細い坂路さかみちあがってうちへ帰りました。Kの室は空虚がらんどうでしたけれども、火鉢には継ぎたての火が暖かそうに燃えていました。私も冷たい手を早く赤い炭の上にかざそうと思って、急いで自分の室の仕切しきりを開けました。すると私の火鉢には冷たい灰が白く残っているだけで、火種ひだねさえ尽きているのです。私は急に不愉快になりました。
    その時私の足音を聞いて出て来たのは、奥さんでした。奥さんは黙って室の真中に立っている私を見て、気の毒そうに外套を脱がせてくれたり、日本服を着せてくれたりしました。それから私が寒いというのを聞いて、すぐ次のからKの火鉢を持って来てくれました。私がKはもう帰ったのかと聞きましたら、奥さんは帰ってまた出たと答えました。その日もKは私よりおくれて帰る時間割だったのですから、私はどうした訳かと思いました。奥さんは大方おおかた用事でもできたのだろうといっていました。
    私はしばらくそこにすわったまま書見しょけんをしました。宅の中がしんと静まって、だれの話し声も聞こえないうちに、初冬はつふゆの寒さとびしさとが、私の身体からだに食い込むような感じがしました。私はすぐ書物を伏せて立ち上りました。私はふとにぎやかな所へ行きたくなったのです。雨はやっとあがったようですが、空はまだ冷たい鉛のように重く見えたので、私は用心のため、じゃを肩にかついで、砲兵ほうへい工廠こうしょうの裏手の土塀どべいについて東へ坂をりました。その時分はまだ道路の改正ができないころなので、坂の勾配こうばいが今よりもずっと急でした。道幅も狭くて、ああ真直まっすぐではなかったのです。その上あの谷へ下りると、南が高い建物でふさがっているのと、放水みずはきがよくないのとで、往来はどろどろでした。ことに細い石橋を渡って柳町やなぎちょうの通りへ出る間が非道ひどかったのです。足駄あしだでも長靴でもむやみに歩く訳にはゆきません。誰でもみちの真中に自然と細長く泥がき分けられた所を、後生ごしょう大事だいじ辿たどって行かなければならないのです。その幅はわずか一、二しゃくしかないのですから、手もなく往来に敷いてある帯の上を踏んで向うへ越すのと同じ事です。行く人はみんな一列になってそろそろ通り抜けます。私はこの細帯の上で、はたりとKに出合いました。足の方にばかり気を取られていた私は、彼と向き合うまで、彼の存在にまるで気が付かずにいたのです。私は不意に自分の前がふさがったので偶然眼を上げた時、始めてそこに立っているKを認めたのです。私はKにどこへ行ったのかと聞きました。Kはちょっとそこまでといったぎりでした。彼の答えはいつもの通りふんという調子でした。Kと私は細い帯の上で身体をかわせました。するとKのすぐ後ろに一人の若い女が立っているのが見えました。近眼の私には、今までそれがよく分らなかったのですが、Kをやり越したあとで、その女の顔を見ると、それがうちのお嬢さんだったので、私は少なからず驚きました。お嬢さんは心持薄赤い顔をして、私に挨拶あいさつをしました。その時分の束髪そくはつは今と違ってひさしが出ていないのです、そうして頭の真中まんなかへびのようにぐるぐる巻きつけてあったものです。私はぼんやりお嬢さんの頭を見ていましたが、次の瞬間に、どっちかみちを譲らなければならないのだという事に気が付きました。私は思い切ってどろどろの中へ片足みました。そうして比較的通りやすい所をけて、お嬢さんを渡してやりました。
    それから柳町の通りへ出た私はどこへ行っていか自分にも分らなくなりました。どこへ行っても面白くないような心持がするのです。私は飛泥はねの上がるのも構わずに、ぬかの中を自暴やけにどしどし歩きました。それからぐ宅へ帰って来ました。

    三十四

    「私はKに向ってお嬢さんといっしょに出たのかと聞きました。Kはそうではないと答えました。真砂町まさごちょうで偶然出会ったから連れ立って帰って来たのだと説明しました。私はそれ以上に立ち入った質問を控えなければなりませんでした。しかし食事の時、またお嬢さんに向って、同じ問いを掛けたくなりました。するとお嬢さんは私の嫌いな例の笑い方をするのです。そうしてどこへ行ったかててみろとしまいにいうのです。そのころの私はまだ癇癪かんしゃくちでしたから、そう不真面目ふまじめに若い女から取り扱われると腹が立ちました。ところがそこに気の付くのは、同じ食卓に着いているもののうちで奥さん一人だったのです。Kはむしろ平気でした。お嬢さんの態度になると、知ってわざとやるのか、知らないで無邪気むじゃきにやるのか、そこの区別がちょっと判然はんぜんしない点がありました。若い女としてお嬢さんは思慮に富んだほうでしたけれども、その若い女に共通な私の嫌いなところも、あると思えば思えなくもなかったのです。そうしてその嫌いなところは、Kが宅へ来てから、始めて私の眼に着き出したのです。私はそれをKに対する私の嫉妬しっとしていいものか、または私に対するお嬢さんの技巧と見傚みなしてしかるべきものか、ちょっと分別に迷いました。私は今でも決してその時の私の嫉妬心を打ち消す気はありません。私はたびたび繰り返した通り、愛の裏面りめんにこの感情の働きを明らかに意識していたのですから。しかもはたのものから見ると、ほとんど取るに足りない瑣事さじに、この感情がきっと首を持ち上げたがるのでしたから。これは余事よじですが、こういう嫉妬しっとは愛の半面じゃないでしょうか。私は結婚してから、この感情がだんだん薄らいで行くのを自覚しました。その代り愛情の方も決して元のように猛烈ではないのです。
    私はそれまで躊躇ちゅうちょしていた自分の心を、一思ひとおもいに相手の胸へたたき付けようかと考え出しました。私の相手というのはお嬢さんではありません、奥さんの事です。奥さんにお嬢さんをれろと明白な談判を開こうかと考えたのです。しかしそう決心しながら、一日一日と私は断行の日を延ばして行ったのです。そういうと私はいかにも優柔ゆうじゅうな男のように見えます、また見えても構いませんが、実際私の進みかねたのは、意志の力に不足があったためではありません。Kの来ないうちは、ひとの手に乗るのがいやだという我慢が私をおさえ付けて、一歩も動けないようにしていました。Kの来たのちは、もしかするとお嬢さんがKの方に意があるのではなかろうかという疑念が絶えず私を制するようになったのです。はたしてお嬢さんが私よりもKに心を傾けているならば、この恋は口へいい出す価値のないものと私は決心していたのです。恥をかせられるのがつらいなどというのとは少し訳が違います。こっちでいくら思っても、向うが内心ほかの人に愛のまなこそそいでいるならば、私はそんな女といっしょになるのは厭なのです。世の中では否応いやおうなしに自分の好いた女を嫁にもらってうれしがっている人もありますが、それは私たちよりよっぽど世間ずれのした男か、さもなければ愛の心理がよくみ込めない鈍物どんぶつのする事と、当時の私は考えていたのです。一度貰ってしまえばどうかこうか落ち付くものだぐらいの哲理では、承知する事ができないくらい私は熱していました。つまり私は極めて高尚な愛の理論家だったのです。同時にもっとも迂遠うえんな愛の実際家だったのです。
    肝心かんじんのお嬢さんに、直接この私というものを打ち明ける機会も、長くいっしょにいるうちには時々出て来たのですが、私はわざとそれを避けました。日本の習慣として、そういう事は許されていないのだという自覚が、その頃の私には強くありました。しかし決してそればかりが私を束縛したとはいえません。日本人、ことに日本の若い女は、そんな場合に、相手に気兼きがねなく自分の思った通りを遠慮せずに口にするだけの勇気に乏しいものと私は見込んでいたのです。

    青空文庫より

  • 新美南吉「鍛冶屋の子」駒形恵美朗読

    11.70
    Sep 05, 2017

    何時まで経つてもちつとも開けて行かない、海岸から遠い傾いた町なんだ。
    ――街路はせまい、いつでも黒くきたない、両側にぎつしり家が並んでゐる、ひさしに白いほこりが、にぶい太陽の光にさらされてゐる、通る人は太陽を知らない人が多い、そしてみんな麻ひしてゐる様だ――
    新次は鍛冶屋にのんだくれの男を父として育つた少年であつた。母は彼の幼い時に逝つた。兄があつたが、馬鹿で、もういゝ年をしてゐたが、ほんの子供の様な着物をつけて、附近の子供と遊んでばかしゐた。兄の名は馬右エ門と云つた。併し誰も馬右エ門と云はず、「馬」と呼んだ。
    「馬、お前は利口かい」
    「利口だ」
    「何になるんだ」
    「大将」
    小い少年が、訊ねるのに対して、笑はれるとも知らないでまじめに答へてゐる兄を見る時、新次は情なくなつた。兄はよく着物をよごして来た。小い少年にだまされて、溝なんかに落ちたのであつた。その度に新次は着物を洗濯せなければならなかつた。
    「兄さん」新次がかう呼びかけても馬右エ門は答へないのを知つてゐたけれど(馬右エ門は誰からでも「馬」と呼ばれない限り返事をしなかつた)度々かう呼びかけた。がやはりきよろんとしてゐて答へない兄を見ると、「兄さん」と云ふと「おい」と答へる兄をどんなに羨しく思つた事か。
    新次は去年小学校を卒業して、今は、父の仕事をたすけ、一方、主婦の仕事を一切しなければならなかつたのである。何時でも彼は、彼の家庭の溝の中の様に暗く、そしてすつぱい事を考へた。
    炊事を終へて、黒くひかつてゐる冷たいふとんにもぐつてから、こんな事をよく思つた――
    せめておつかあが生きてゐて呉れたらナ。せめて馬右エ門がも少ししつかりしてゐておつあんの鎚を握つてくれたらナ、
    せめてお父つあんが酒をよしてくれたらナ――
    けれど、直、「そんな事が叶つたら世の中の人は皆幸福になつて了ふではないか」とすてた様にひとり笑つた。
    まつたくのんだくれの父だつた。仕事をしてゐる最中でもふらふらと出て行つては、やがて青い顔をして眼を据へて帰つて来た。酒をのめばのむ程、彼は青くなり、眼はどろーんと沈澱して了ふ彼の性癖であつた。葬式なんかに招かれた時でも、彼は、がぶがぶと呑んでは、愁に沈んでゐる人々に、とんでもない事をぶつかける為、町の人々は、彼をもてあましてゐた。彼は六十に近い老人で、丈はずばぬけて高かつた。そして、酒を呑んだ時は必つとふとんをかぶつて眠つた。併し、大きないびきなんか決して出さなかつた。死んだ様に眠つてゐては、時々眼ざめてしくしく泣いた。そんな時など、新次はことにくらくされた。
    学校の先生が、一度新次の家に来た時、若い先生は、酒の身躯によくない事を説いた。新次の父は、
    「酒は毒です、大変毒です、私はやめ様と思ひます、まつたくうまくないです、苦いです、私はやめ様と思ひます、それでもやつぱりあかんです」と云つて、空虚な声で「ハッハッハッ」と笑つた。
    馬右エ門がふいと帰つて来て、鉄柵にする太い手頃の鉄棒を一本ひつぱり出して、黙つて火の中にさし込んだ。一人で仕事をしてゐた新次は不思議に思つてするがまゝにして置いた。真赤になつた棒を、馬右エ門は叩き始めた。鎚をふり下さうとする瞬間瞬間に、赤くやけたくびの筋肉がぐつとしまるのを、新次はうれしく思つて見つめてゐた。手拭を力一ぱいしぼる様な快さが新次の体の中を流れた。馬右エ門にだつて力があるんだ! 力が!――
    「何を造るんけ?」
    「がだな」よだれの中から馬右エ門は云つた。
    「かたな? かたなみたいなものを」
    木の実だと思つて拾つたのがやつぱりからにすぎなかつた時の様に新次は感じた。ふと、思切りなぐりつけてやらうかと思つたが、ぼんやりして、馬右エ門のむくれ上るくびを見てゐた。
    町の横を通る電車道の工事に多くの朝鮮人がこの町にやつて来て、鍛冶の仕事が増して来ると、新次の家も幾分活気づいた。
    父も新次もよく働いた。けれど、父は依然として酒にひたつた。
    「お父つあん、ちつと酒をひかへてくれよ、酒は毒だで、そして仕事もはかどらんで」
    新次は、父に云つた。
    「まつたく酒は毒だ、酒は苦い、けれど俺はやめられん、きさまは酒のむ様になるなよ」父は云つた。
    ふつと眼を開いて見ると、すゝけた神棚の下で、酒を飲んでゐる馬右エ門の姿が、五燭の赤い電燈の光に見えた。新次は、泥棒を見つけた以上にはつとして、頭が白くなる様な悪寒に近い或物におそはれた。馬鹿に静かな赤い光の中に、馬右エ門ののどがごくごく動いた。少し今夜は具合が悪いと云つて、父が残して置いた酒の徳利を馬右エ門の左手はしつかり掴んでゐた。
    「馬エ!」
    新次のすぐ隣に今まで寝てゐた父が、むつくり頭を拾げた。
    馬右エ門は、
    「うッ」と赤い顔をこちらへ向けて、しまりのない口を見せた。
    父のせーせーと肩を上下して呼吸してゐるのが新次には恐ろしかつた。父の眼は、ぢつと白痴の馬右エ門を見つめ、静脈のはつきり現はれてゐる手はわなゝいてゐた。
    「馬エ、おぬしは酒を飲むか――」父はふらふらと立上つて馬右エ門に近づいた。
    「この野郎!」父は叫んで、ニヤニヤしてゐる馬右エ門の横面にガンとくらはせた。馬右エ門は笑ふのをハタと止めた。父の苦しげな呼吸はますます烈しくなつた。
    そして又、殴らうとした。新次は我知らず跳出して行つて、父を止めた。
    「お父つあん、馬は阿呆ぢやねえか、打つたつてあかんだ」
    父は眼を落して、
    「ん、馬エは阿呆だつたナ」とふるへ声で云つて、元の寝床へ帰つて、ふとんをかむつて了つた。その騒ぎで酒はこぼれて了つたので、馬右エ門も床に這入つた。新次は一寸片付けて、ふとんにむぐり込んだけれど、どうしても眠られなかつた。
    「新」父が小い声で呼んだ。
    「ん」
    「俺あ酒を止めるぞ」ふとんの中から云つた。
    父は酒を飲まなくなつて了つた。併し、それからは何処か加減が悪くて床を出られなくなつた。
    新次は、一人で鎚をふりあげた。父は眼立つて面やつれがして行つた。それでも、日ごろ酒の為没交渉の父には、見舞に来て呉れる人とては一人となかつた。
    鎚をふりあげ乍ら、新次は、父はこのまゝ死んで了ふのではないかしらと思つた。――父が死んだらどうするのだ、馬右エ門は白痴だし――
    酒を買つて来た新次が、父の枕元に坐つて、
    「お父つあん」と呼んだ。父は重たげに首をうごかして、
    「ん」と答へた。
    「酒買つて来たで飲んでくれよ」
    「酒を買つて来た? 新、何故酒なんか買つて来たんだ」
    力のない声で、新次を叱つたけれど、父は、きらりと涙を光らした。
    「お父つあん飲んでくれよ」
    新次は、そつと父の枕元を去つて、仕事場へ来ると、黒い柱に顔をすりつけて泣いた。泣いた。
    何時まで経つてもちつとも開けて行かない海岸から遠い傾いた町なんだ。

  • 竹久夢二「おさなき燈台守」石丸絹子朗読

    6.43
    Sep 05, 2017

    おさなき燈台守

    竹久夢二

    この物語はさほど遠い昔のことでは無い。
    北の海に添うたある岬に燈台があった。北海の常として秋口から春先へかけて、海はいかったように暴狂あれくるい、波の静かな日は一日も無かった。とりわけこの岬のあたりは、暗礁の多いのと、潮流の急なのとで、海は湧立わきたちかえり、狂瀾怒濤きょうらんどとうがいまにも燈台をくつがえすかと思われた。
    しかし住馴すみなれた親子三人の燈台守は、何の恐れる景色もなく、安らかに住んでいた。
    今日も今日、父なる燈台守は、やぐらのうえに立って望遠鏡を手にし、霧笛きりぶえならしながら海の上を見戍みまもっていた。昼の間はあかりをつけることが出来ないからこの岬をまわる船のために、霧笛を鳴して海路の地理を示していたのであった。今日はわけても霧の深い日で、ポー、ポーとならす笛の音も、何となく不吉ふきちなしらせをするように聞かれるのであった。
    「姉さん、今日は何だかぼく、あの笛の音がさびしくて仕方が無いよ、そう思わない?」
    「そうね、あたしも先刻さっきからそう思っていたけれど、摩耶まやちゃんが淋しがると思って言わなかった。」
    「また難破船でもあるのじゃないかしら。」
    姉と弟とがこんな話をしているところへ、父はあたふたと階上にかいから降りて来て
    須美すみ、浜へ出て見ておで、何だか変な物が望遠鏡に映ったから」
    「はい」
    健気けなげな姉娘の須美は父の声のもと立上たちあがると
    「姉さん、僕も行くよ」
    と弟の摩耶はうしろについた。
    浜へ出て見ると、果して其処そこの砂浜の帆柱マストの折れたような木に、水兵の着る赤いジャケツが絡みついているのが見えた。二人はそれを持って急いで帰った。父はそれを見るや否や、
    「ああまたやられたか」と言って「おれはこうしては居られない。ぐに救いのボートを出すから、須美は村の者に直ぐこのことを知らせるよう、それから摩耶はやぐらの上で霧笛きりぶえを吹いているんだぞ、しっかり吹かないと、お父さんまで難船してしまうぞ。いか」
    「大丈夫お父さん」
    摩耶は元気よく答えた。
    「それじゃって来るぞ」
    そう言って父はもうボートを卸して、暗い波の上に乗り出した。
    「じゃ摩耶さん、あたしも村の方へ行ってきてよ。霧笛は大丈夫?……しっかり頼んでよ」
    「日本男児だ!」
    「本当にお父さんはじめ、難船した人達のためなのよ。しっかりやって頂戴ちょうだい
    姉は流石さすがに女の気もやさしく、父の身の上、弟のことを気づかいながら、村の方へ走って行った。この燈台とうだいから村へは、一里に余る山路である。
    父のボートは暗い波とはげしい風とにまれ乍ら、濃霧のうちを進んだ。やがて、船の最後と思われる非常汽笛の音をたよりに、つかれた腕に全力をこめて、ボートをやった。行って見ると、船の破片にすがった半死の人が五人だけ見えた。
    一人一人ボートへ助け入れたが、どの人も口を利くどころか、さえ見えぬようであった。ボートのかじを返して燈台とうだいの方へいだが、霧はいよいよ深くなり、海はますます暗くなり、ともすれば暗礁に乗り上げそうであった。半死の人を乗せたボートの重みと、つかれ切った腕にとったオールは、とかく波にさらわれがちであった。
    ここに燈台のやぐらでは、父のため、多くの難船した人のため、摩耶まやはあらん限りの力で霧笛きりぶえを吹いた。
    しかし今年十二の少年の力では容易でない。たちまちへとへとに労れてしまって、霧笛の音は、とぎれとぎれになった。
    しかしいま吹きやめたら、父はどんなに困るかも知れぬ。そう思うと死んでもめられない。ポーと吹いては休み、ブウと吹いては休んだ。しかし父のためだ! 多くの人人のためだ! それでこそ日本男児だ! 吹く吹く、死んでも吹く……
    また海の上では、かすかながらも鳴っている霧笛の音を聞いては、父は新しい力を腕にこめて、ボートを漕いだ。
    ようやくにして父のボートがみぎわへたどりついた。折もよし、村の人人は須美すみに連れられて走って来た。
    遭難の人人の手当は、村人にまかせて、須美は急いで櫓の上にあがって見た。摩耶は霧笛を唇にあてたままそこに死んだように倒れていた。
    「摩耶ちゃん、摩耶ちゃん」
    姉は泣声で呼んだ。すると勇敢なる日本男児はすぐよみがえった。
    五人の遭難者も死んではいなかった。

  • 小津安二郎「ここが楢山〈母を語る〉」駒形恵美朗読

    2.32
    Sep 05, 2017

    母は明治八年生れ。三男二女をもうけて、僕はその二男に当る。他の兄妹は、それぞれ嫁をもらい、嫁にゆき、残った母と僕との生活が始まってもう二十年以上になる。
    一人者の僕の処が居心地がいいのか、まだまだ僕から目が放せないのか、それは分らないが、とにかく、のんきに二人で暮している。
    母は、朝早く夜早く、僕はその反対だから家にいても滅多にめしも一緒に食わない。
    去年頃までは、なかなかの元気で、一人で食事の支度から雨戸の開けたて、僕の蒲団の上げおろしまでやってくれたが、今年から、いささか、へばって家政婦さんに来てもらっている。無理もない。八十四である。人間も使えば使えるものだと、つくづく思う。それにしても、五十五や六十の定年は早すぎる。
    今住んでいる家は、北鎌倉の高みにあり、出かけるのも坂があるので、母は滅多に家から出ない。ここがもう楢山だと思っているらしい。
    若いころの母は大女の部類で、今でも年の割には大婆の方である。負ってはみないが重そうである。

    たらちねの母を背負いてそのあまり
    重きに泣きて楢山にゆく

    ここが楢山なら、いつまでいてもらってもいい。負って行く世話がなくて、僕も助かる。

    (「週刊朝日」昭和33年8月10日号)