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  • 芥川龍之介「或恋愛小説」田中智之朗読

    16.48
    May 01, 2018

    或恋愛小説

    ――或は「恋愛は至上なり」――

    芥川龍之介

    ある婦人雑誌社の面会室。
    主筆 でっぷりふとった十前後の紳士しんし
    堀川保吉ほりかわやすきち 主筆の肥っているだけにせた上にも痩せて見える三十前後の、――ちょっと一口には形容出来ない。が、とにかく紳士と呼ぶのに躊躇ちゅうちょすることだけは事実である。
    主筆 今度は一つうちの雑誌に小説を書いては頂けないでしょうか? どうもこの頃は読者も高級になっていますし、在来の恋愛小説には満足しないようになっていますから、……もっと深い人間性に根ざした、真面目まじめな恋愛小説を書いて頂きたいのです。
    保吉 それは書きますよ。実はこの頃婦人雑誌に書きたいと思っている小説があるのです。
    主筆 そうですか? それは結構です。もし書いて頂ければ、大いに新聞に広告しますよ。「堀川氏の筆に成れる、哀婉あいえんきわまりなき恋愛小説」とか何とか広告しますよ。
    保吉 「哀婉極りなき」? しかし僕の小説は「恋愛は至上しじょうなり」と云うのですよ。
    主筆 すると恋愛の讃美さんびですね。それはいよいよ結構です。厨川くりやがわ博士はかせの「近代恋愛論」以来、一般に青年男女の心は恋愛至上主義に傾いていますから。……勿論近代的恋愛でしょうね?
    保吉 さあ、それは疑問ですね。近代的懐疑かいぎとか、近代的盗賊とか、近代的白髪染しらがぞめとか――そう云うものは確かに存在するでしょう。しかしどうも恋愛だけはイザナギイザナミの昔以来余り変らないように思いますが。
    主筆 それは理論の上だけですよ。たとえば三角関係などは近代的恋愛の一例ですからね。少くとも日本の現状では。
    保吉 ああ、三角関係ですか? それは僕の小説にも三角関係は出て来るのです。……ざっと筋を話して見ましょうか?
    主筆 そうして頂ければ好都合こうつごうです。
    保吉 女主人公じょしゅじんこうは若い奥さんなのです。外交官の夫人なのです。勿論東京のやま邸宅ていたくに住んでいるのですね。せいのすらりとした、ものごしの優しい、いつも髪は――一体読者の要求するのはどう云う髪にった女主人公ですか?
    主筆 耳隠みみかくしでしょう。
    保吉 じゃ耳隠しにしましょう。いつも髪を耳隠しに結った、色の白い、目のえしたちょっとくちびるに癖のある、――まあ活動写真にすれば栗島澄子くりしますみこ役所やくどころなのです。夫の外交官も新時代の法学士ですから、新派悲劇じみたわからずやじゃありません。学生時代にはベエスボールの選手だった、その上道楽に小説くらいは見る、色の浅黒い好男子なのです。新婚の二人は幸福に山の手の邸宅に暮している。一しょに音楽会へ出かけることもある。銀座通りを散歩することもある。………
    主筆 勿論震災しんさい前でしょうね?
    保吉 ええ、震災のずっと前です。……一しょに音楽会へ出かけることもある。銀座通りを散歩することもある。あるいはまた西洋間せいようまの電燈の下に無言むごんの微笑ばかりわすこともある。女主人公はこの西洋間を「わたしたちの巣」と名づけている。壁にはルノアルやセザンヌの複製などもかかっている。ピアノも黒い胴を光らせている。鉢植えの椰子やしも葉を垂らしている。――と云うと多少気がいていますが、家賃は案外安いのですよ。
    主筆 そう云う説明はらないでしょう。少くとも小説の本文には。
    保吉 いや、必要ですよ。若い外交官の月給などはたかの知れたものですからね。
    主筆 じゃ華族かぞく息子むすこにおしなさい。もっとも華族ならば伯爵か子爵ですね。どう云うものか公爵や侯爵は余り小説には出て来ないようです。
    保吉 それは伯爵の息子でもかまいません。とにかく西洋間さえあればいのです。その西洋間か、銀座通りか、音楽会かを第一回にするのですから。……しかし妙子たえこは――これは女主人公じょしゅじんこうの名前ですよ。――音楽家の達雄たつお懇意こんいになった以後、次第にある不安を感じ出すのです。達雄は妙子を愛している、――そう女主人公は直覚するのですね。のみならずこの不安は一日ましにだんだん高まるばかりなのです。
    主筆 達雄はどう云う男なのですか?
    保吉 達雄は音楽の天才です。ロオランの書いたジャン・クリストフとワッセルマンの書いたダニエル・ノオトハフトとを一丸いちがんにしたような天才です。が、まだ貧乏だったり何かするために誰にも認められていないのですがね。これは僕の友人の音楽家をモデルにするつもりです。もっとも僕の友人は美男びなんですが、達雄は美男じゃありません。顔は一見ゴリラに似た、東北生れの野蛮人やばんじんなのです。しかし目だけは天才らしいひらめきを持っているのですよ。彼の目は一塊いっかい炭火すみびのように不断の熱をはらんでいる。――そう云う目をしているのですよ。
    主筆 天才はきっと受けましょう。
    保吉 しかし妙子は外交官の夫に不足のあるわけではないのです。いや、むしろ前よりも熱烈に夫を愛しているのです。夫もまた妙子を信じている。これは云うまでもないことでしょう。そのために妙子の苦しみは一層つのるばかりなのです。
    主筆 つまりわたしの近代的と云うのはそう云う恋愛のことですよ。
    保吉 達雄はまた毎日電燈さえつけば、必ず西洋間へ顔を出すのです。それも夫のいる時ならばまだしも苦労はないのですが、妙子のひとり留守るすをしている時にもやはり顔を出すのでしょう。妙子はやむを得ずそう云う時にはピアノばかりかせるのです。もっとも夫のいる時でも、達雄はたいていピアノの前へ坐らないことはないのですが。
    主筆 そのうちに恋愛に陥るのですか?
    保吉 いや、容易に陥らないのです。しかしある二月の晩、達雄は急にシュウベルトの「シルヴィアに寄する歌」を弾きはじめるのです。あの流れるほのおのように情熱のこもった歌ですね。妙子は大きい椰子やしの葉の下にじっと耳を傾けている。そのうちにだんだん達雄に対する彼女の愛を感じはじめる。同時にまた目の前へ浮かび上った金色こんじきの誘惑を感じはじめる。もう五分、――いや、もう一分たちさえすれば、妙子は達雄のかいなの中へ体を投げていたかも知れません。そこへ――ちょうどその曲の終りかかったところへ幸い主人が帰って来るのです。
    主筆 それから?
    保吉 それから一週間ばかりたったのち、妙子はとうとう苦しさに堪え兼ね、自殺をしようと決心するのです。が、ちょうど妊娠にんしんしているために、それを断行する勇気がありません。そこで達雄に愛されていることをすっかり夫に打ち明けるのです。もっとも夫を苦しめないように、彼女も達雄を愛していることだけは告白せずにしまうのですが。
    主筆 それから決闘にでもなるのですか?
    保吉 いや、ただ夫は達雄の来た時に冷かに訪問を謝絶しゃぜつするのです。達雄は黙然もくねんくちびるを噛んだまま、ピアノばかり見つめている。妙子は戸の外にたたずんだなりじっと忍び泣きをこらえている。――そののち二月ふたつきとたたないうちに、突然官命を受けた夫は支那しな漢口ハンカオの領事館へ赴任ふにんすることになるのです。
    主筆 妙子も一しょに行くのですか?
    保吉 勿論一しょに行くのです。しかし妙子は立つ前に達雄へ手紙をやるのです。「あなたの心には同情する。が、わたしにはどうすることも出来ない。お互に運命だとあきらめましょう。」――大体そう云う意味ですがね。それ以来妙子は今日までずっと達雄に会わないのです。
    主筆 じゃ小説はそれぎりですね。
    保吉 いや、もう少し残っているのです。妙子は漢口ハンカオへ行ったのちも、時々達雄を思い出すのですね。のみならずしまいには夫よりも実は達雄を愛していたと考えるようになるのですね。いですか? 妙子を囲んでいるのは寂しい漢口ハンカオの風景ですよ。あのとう※(「景+頁」、第3水準1-94-5)さいこうの詩に「晴川歴歴せいせんれきれき漢陽樹かんようじゅ 芳草萋萋ほうそうせいせい鸚鵡洲おうむしゅう」と歌われたことのある風景ですよ。妙子はとうとうもう一度、――一年ばかりたったのちですが、――達雄へ手紙をやるのです。「わたしはあなたを愛していた。今でもあなたを愛している。どうかみずかあざむいていたわたしを可哀かわいそうに思って下さい。」――そう云う意味の手紙をやるのです。その手紙を受けとった達雄は……
    主筆 早速さっそく支那へ出かけるのでしょう。
    保吉 とうていそんなことは出来ません。何しろ達雄は飯を食うために、浅草あさくさのある活動写真館のピアノをいているのですから。
    主筆 それは少し殺風景ですね。
    保吉 殺風景でも仕かたはありません。達雄は場末ばすえのカフェのテエブルに妙子の手紙の封を切るのです。窓の外の空は雨になっている。達雄は放心したようにじっと手紙を見つめている。何だかそのぎょうあいだに妙子の西洋間せいようまが見えるような気がする。ピアノのふたに電燈の映った「わたしたちの巣」が見えるような気がする。……
    主筆 ちょっともの足りない気もしますが、とにかく近来の傑作ですよ。ぜひそれを書いて下さい。
    保吉 実はもう少しあるのですが。
    主筆 おや、まだおしまいじゃないのですか?
    保吉 ええ、そのうちに達雄は笑い出すのです。と思うとまたいまいましそうに「畜生ちくしょう」などと怒鳴どなり出すのです。
    主筆 ははあ、発狂したのですね。
    保吉 何、莫迦莫迦ばかばかしさにごうやしたのです。それは業を煮やすはずでしょう。元来達雄は妙子などを少しも愛したことはないのですから。……
    主筆 しかしそれじゃ。……
    保吉 達雄はただ妙子のうちへピアノを弾きたさに行ったのですよ。云わばピアノを愛しただけなのですよ。何しろ貧しい達雄にはピアノを買う金などはないはずですからね。
    主筆 ですがね、堀川さん。
    保吉 しかし活動写真館のピアノでも弾いていられた頃はまだしも達雄には幸福だったのです。達雄はこの間の震災以来、巡査になっているのですよ。護憲運動ごけんうんどうのあった時などは善良なる東京市民のために袋叩ふくろだたきにされているのですよ。ただ山の手の巡回中、まれにピアノのでもすると、その家の外にたたずんだまま、はかない幸福を夢みているのですよ。
    主筆 それじゃ折角せっかくの小説は……
    保吉 まあ、お聞きなさい。妙子はその間も漢口ハンカオの住いに不相変あいかわらず達雄を思っているのです。いや漢口ハンカオばかりじゃありません。外交官の夫の転任する度に、上海シャンハイだの北京ペキンだの天津テンシンだのへ一時の住いを移しながら、不相変あいかわらず達雄を思っているのです。勿論もう震災の頃には大勢おおぜいの子もちになっているのですよ。ええと、――年児としご双児ふたごを生んだものですから、四人の子もちになっているのですよ。おまけにまた夫はいつのまにか大酒飲みになっているのですよ。それでもぶたのようにふとった妙子はほんとうに彼女と愛し合ったものは達雄だけだったと思っているのですね。恋愛は実際至上なりですね。さもなければとうてい妙子のように幸福になれるはずはありません。少くとも人生のぬかるみをにくまずにいることは出来ないでしょう。――どうです、こう云う小説は?
    主筆 堀川さん。あなたは一体真面目まじめなのですか?
    保吉 ええ、勿論真面目です。世間の恋愛小説を御覧なさい。女主人公じょしゅじんこうはマリアでなければクレオパトラじゃありませんか? しかし人生の女主人公は必ずしも貞女じゃないと同時に、必ずしもまた婬婦いんぷでもないのです。もし人のい読者のうちに、一人でもああ云う小説をに受ける男女があって御覧なさい。もっとも恋愛の円満えんまん成就じょうじゅした場合は別問題ですが、万一失恋でもした日には必ず莫迦莫迦ばかばかしい自己犠牲じこぎせいをするか、さもなければもっと莫迦莫迦しい復讐的精神を発揮しますよ。しかもそれを当事者自身は何か英雄的行為のようにうぬれ切ってするのですからね。けれどもわたしの恋愛小説には少しもそう云う悪影響を普及する傾向はありません。おまけに結末は女主人公の幸福を讃美さんびしているのです。
    主筆 常談じょうだんでしょう。……とにかくうちの雑誌にはとうていそれは載せられません。
    保吉 そうですか? じゃどこかほかへ載せて貰います。広い世の中には一つくらい、わたしの主張をれてくれる婦人雑誌もあるはずですから。
    保吉の予想の誤らなかった証拠はこの対話のここに載ったことである。

    (大正十三年三月)

  • 芥川龍之介「鼻」磯貝葵朗読

    20.52
    Mar 27, 2018

    禅智内供ぜんちないぐの鼻と云えば、いけで知らない者はない。長さは五六寸あって上唇うわくちびるの上からあごの下まで下っている。形は元も先も同じように太い。云わば細長い腸詰ちょうづめのような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下っているのである。
    五十歳を越えた内供は、沙弥しゃみの昔から、内道場供奉ないどうじょうぐぶの職にのぼった今日こんにちまで、内心では始終この鼻を苦に病んで来た。勿論もちろん表面では、今でもさほど気にならないような顔をしてすましている。これは専念に当来とうらい浄土じょうど渇仰かつぎょうすべき僧侶そうりょの身で、鼻の心配をするのが悪いと思ったからばかりではない。それよりむしろ、自分で鼻を気にしていると云う事を、人に知られるのが嫌だったからである。内供は日常の談話の中に、鼻と云う語が出て来るのを何よりもおそれていた。
    内供が鼻を持てあました理由は二つある。――一つは実際的に、鼻の長いのが不便だったからである。第一飯を食う時にも独りでは食えない。独りで食えば、鼻の先がかなまりの中の飯へとどいてしまう。そこで内供は弟子の一人を膳の向うへ坐らせて、飯を食う間中、広さ一寸長さ二尺ばかりの板で、鼻を持上げていて貰う事にした。しかしこうして飯を食うと云う事は、持上げている弟子にとっても、持上げられている内供にとっても、決して容易な事ではない。一度この弟子の代りをした中童子ちゅうどうじが、くさめをした拍子に手がふるえて、鼻をかゆの中へ落した話は、当時京都まで喧伝けんでんされた。――けれどもこれは内供にとって、決して鼻を苦に病んだおもな理由ではない。内供は実にこの鼻によって傷つけられる自尊心のために苦しんだのである。
    池の尾の町の者は、こう云う鼻をしている禅智内供のために、内供の俗でない事を仕合せだと云った。あの鼻では誰も妻になる女があるまいと思ったからである。中にはまた、あの鼻だから出家しゅっけしたのだろうと批評する者さえあった。しかし内供は、自分が僧であるために、幾分でもこの鼻にわずらわされる事が少くなったと思っていない。内供の自尊心は、妻帯と云うような結果的な事実に左右されるためには、余りにデリケイトに出来ていたのである。そこで内供は、積極的にも消極的にも、この自尊心の毀損きそん恢復かいふくしようと試みた。
    第一に内供の考えたのは、この長い鼻を実際以上に短く見せる方法である。これは人のいない時に、鏡へ向って、いろいろな角度から顔を映しながら、熱心に工夫くふうらして見た。どうかすると、顔の位置を換えるだけでは、安心が出来なくなって、頬杖ほおづえをついたりあごの先へ指をあてがったりして、根気よく鏡を覗いて見る事もあった。しかし自分でも満足するほど、鼻が短く見えた事は、これまでにただの一度もない。時によると、苦心すればするほど、かえって長く見えるような気さえした。内供は、こう云う時には、鏡を箱へしまいながら、今更のようにため息をついて、不承不承にまた元の経机きょうづくえへ、観音経かんのんぎょうをよみに帰るのである。

  • 太宰治「女生徒」萩柚月朗読

    115.28
    Nov 03, 2017

  • 吉川英治「三国志」 義盟 朗読岡田慎平

    41.80
    Nov 01, 2017

    義盟ぎめい

    桃園へ行ってみると、関羽と張飛のふたりは、近所の男を雇ってきて、園内の中央に、もう祭壇を作っていた。
    壇の四方には、笹竹ささだけを建て、清縄せいじょうをめぐらして金紙きんし銀箋ぎんせんはなをつらね、土製の白馬をいけにえにして天を祭り、烏牛をほふったことにして、地神をまつった。
    「やあ、おはよう」
    劉備りゅうびが声をかけると、
    「おお、お目ざめか」
    張飛、関羽は、振向いた。
    「見事に祭壇ができましたなあ。寝る間はなかったでしょう」
    「いや、張飛が、興奮して、寝てから話しかけるので、ちっとも眠る間はありませんでしたよ」
    と、関羽は笑った。
    張飛は劉備のそばへきて、
    「祭壇だけは立派にできたが、酒はあるだろうか」
    心配して訊ねた。
    「いや、母が何とかしてくれるそうです。今日は、一生一度の祝いだといっていますから」
    「そうか、それで安心した。しかし劉兄、いいおっ母さんだな。ゆうべからそばで見ていても、うらやましくてならない」
    「そうです。自分で自分の母を褒めるのもへんですが、子に優しく世に強い母です」
    「気品がある、どこか」
    「失礼だが、劉兄には、まだ夫人おくさんはないようだな」
    「ありません」
    「はやくひとりめとらないと、母上がなんでもやっている様子だが、あのお年で、お気の毒ではないか」
    「…………」
    劉備は、そんなことを訊かれたので、またふと、忘れていた鴻芙蓉こうふようの佳麗なすがたを思い出してしまった。
    で、つい答えを忘れて、何となく眼をあげると、眼の前へ、白桃の花びらが、霏々ひひと情あるもののように散ってきた。
    「劉備や。皆さんも、もうお支度はよろしいのですか」
    厨に見えなかった母が、いつの間にか、三名の後ろにきて告げた。
    三名が、いつでもと答えると、母はまた、いそいそと厨房ちゅうぼうのほうへ去った。
    近隣の人手を借りてきたのであろう。きのう張飛の姿を見て、きゃっと魂消たまげて逃げた娘も、その娘の恋人の隣家の息子も、ほかの家族も、大勢して手伝いにきた。
    やがて、まず一人では持てないような酒瓶さかがめが祭壇のむしろへ運ばれてきた。
    それから豚の仔を丸ごと油で煮たのや、山羊の吸物の鍋や、干菜かんさい牛酪ぎゅうらくで煮つけた物だの、年数のかかった漬物だの――運ばれてくるごとに、三名は、その豪華な珍味の鉢や大皿に眼を奪われた。
    劉備さえ、心のうちで、
    「これは一体、どうしたことだろう」と、母の算段を心配していた。
    そのうちにまた、村長の家から、花梨かりんの立派な卓と椅子いすがかつがれてきた。
    「大饗宴だな」
    張飛は、子どものように、歓喜した。
    準備ができると、手伝いの者は皆、母屋へ退がってしまった。
    三名は、
    「では」
    と、眼を見合せて、祭壇の前のむしろへ坐った。そして天地の神へ、
    「われらの大望を成就させ給え」
    と、祈念しかけると、関羽が、
    「ご両所。少し待ってくれ」
    と、なにか改まっていった。

    青空文庫より

  • 島崎藤村「三人の訪問者」 物袋綾子朗読

    13.43
    Oct 29, 2017

    三人の訪問者

    島崎藤村

    「冬」が訪ねて来た。
    私が待受けて居たのは正直に言うと、もっと光沢つやのない、単調な眠そうな、貧しそうに震えた、醜く皺枯れた老婆であった。私は自分の側に来たものの顔をつくづくと眺めて、まるで自分の先入主となった物の考え方や自分の予想して居たものとは反対であるのに驚かされた。私は尋ねて見た。
    「お前が『冬』か。」
    「そういうお前は一体私を誰だと思うのだ。そんなにお前は私を見損なって居たのか。」
    と「冬」が答えた。
    「冬」は私にいろいろな樹木を指して見せた。あの満天星どうだんを御覧、と言われて見ると旧い霜葉はもうくに落尽して了ったが、茶色を帯びた細く若い枝の一つ一つには既に新生の芽が見られて、そのみずみずしい光沢のある若枝にも、勢いこんで出て来たような新芽にも、冬の焔が流れて来て居た。満天星ばかりではない、梅の素生すばえは濃い緑色に延びて、早や一尺に及ぶのもある。ちいさくなって蹲踞しゃがんで居るのは躑躅だが、でもがつがつ震えるような様子はすこしも見えない。あの椿の樹を御覧と「冬」が私に言った。日を受けて光る冬の緑葉には言うに言われぬかがやきがあって、密集した葉と葉の間からは大きな蕾が顔を出して居た。何かの深い微笑のように咲くあの椿の花の中には霜の来る前に早や開落したのさえあった。
    「冬」は私に八つ手の樹を指して見せた。そこにはまた白に近い淡緑の色彩の新しさがあって、その力のある花の形は周囲の単調を破って居た。
    三年の間、私は異郷の客舎の方で暗い冬を送って来た。寒い雨でも来て障子の暗い日なぞにはよくあの巴里の冬を思出す。そこでは一年のうちの最も日の短いという冬至前後になると、朝の九時頃に漸く夜が明けて午後の三時半には既に日が暮れて了った。あのボオドレエルの詩の中にあるような赤熱の色に燃えてしかも凍り果てるという太陽は、必ずしも北極のはてを想像しない迄も、巴里の町を歩いて居てよく見らるるものであった。枯々としたマロニエの並木の間に冬が来ても青々として枯れずに居る草地の眺めばかりは、特別な冬景色ではあったけれども、あの灰色な深い静寂なシャ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ンヌの「冬」の色調こそ彼地の自然にはふさわしいものであった。

  • 江戸川乱歩「屋根裏の散歩者」朗読カフェ 青空文庫名作文学の朗読

    104.85
    Oct 27, 2017

    多分それは一種の精神病ででもあったのでしょう。郷田三郎ごうださぶろうは、どんな遊びも、どんな職業も、何をやって見ても、一向この世が面白くないのでした。
    学校を出てから――その学校とても一年に何日と勘定の出来る程しか出席しなかったのですが――彼に出来そうな職業は、片端かたっぱしからやって見たのです、けれど、これこそ一生を捧げるに足ると思う様なものには、まだ一つもでっくわさないのです。恐らく、彼を満足させる職業などは、この世に存在しないのかも知れません。長くて一年、短いのは一月位で、彼は職業から職業へと転々しました。そして、とうとう見切りをつけたのか、今では、もう次の職業を探すでもなく、文字通り何もしないで、面白くもない其日そのひ其日を送っているのでした。
    遊びの方もその通りでした。かるた、球突き、テニス、水泳、山登り、碁、将棊しょうぎ、さては各種の賭博とばくに至るまで、とてもここには書き切れない程の、遊戯という遊戯は一つ残らず、娯楽百科全書という様な本まで買込んで、探し廻っては試みたのですが、職業同様、これはというものもなく、彼はいつも失望させられていました。だが、この世には「女」と「酒」という、どんな人間だって一生涯飽きることのない、すばらしい快楽があるではないか。諸君はきっとそう仰有おっしゃるでしょうね。ところが、我が郷田三郎は、不思議とその二つのものに対しても興味を感じないのでした。酒は体質に適しないのか、一滴も飲めませんし、女の方は、無論むろんその慾望がない訳ではなく、相当遊びなどもやっているのですが、そうかとって、これあるがため甲斐がいを感じるという程には、どうしても思えないのです。
    「こんな面白くない世の中に生きながらえているよりは、いっそ死んでしまった方がましだ」
    ともすれば、彼はそんなことを考えました。しかし、そんな彼にも、生命いのちしむ本能けはそなわっていたと見えて、二十五歳の今日が日まで「死ぬ死ぬ」といいながら、つい死切れずに生き長えているのでした。
    親許おやもとから月々いくらかの仕送りを受けることの出来る彼は、職業を離れても別に生活には困らないのです。一つはそういう安心が、彼をこんな気まま者にして了ったのかも知れません。そこで彼は、その仕送り金によって、せめていくらかでも面白く暮すことに腐心しました。例えば、職業や遊戯と同じ様に、頻繁ひんぱんに宿所を換えて歩くことなどもその一つでした。彼は、少し大げさに云えば、東京中の下宿屋を、一軒残らず知っていました。一月か半月もいると、すぐに次の別の下宿屋へと住みかえるのです。無論その間には、放浪者の様に旅をして歩いたこともあります。あるいは又、仙人の様に山奥へ引込んで見たこともあります。でも、都会にすみなれた彼には、迚も淋しい田舎に長くいることは出来ません。一寸ちょっと旅に出たかと思うと、いつのまにか、都会の燈火に、雑沓ざっとうに、引寄せられる様に、彼は東京へ帰ってくるのでした。そして、その度毎たびごとに下宿を換えたことは云うまでもありません。

  • 刑事弁護士の尾形博士は法廷から戻ると、久しぶりにゆっくりとした気分になって晩酌の膳にむかった。庭の新緑はいつか青葉になって、月は中空にかかっていた。
    うっすらと化粧をした夫人が静かに入って来て、葡萄酒の瓶をとりあげ、
    「ずいぶん、お疲れになったでしょう?」と上眼使いに夫を見上げながら、ワイン・グラスになみなみと酒を注いだ。
    「うむ。だが、――長い間の責任をすましたので、肩の荷を下したように楽々した」
    「そうでしょう? 今日の弁論、とても素晴らしかったんですってね。私、傍聴したかった。霜山弁護士さんが先刻おいでになって、褒めていらしたわ、あんな熱のこもった弁論を聴くのは全く珍らしい事だ、あれじゃたとえ被告が死刑の判決を下されたって、満足して、尾形君に感謝を捧げながら冥土へ行くだろうって、仰しゃっていらしたわ」
    「霜山君はお世辞がいいからなアハ……。しかし、少しでも被告の罪が軽くなってくれればねえ、僕はそればっかり祈っている」
    「あなたに救われた被告は今日までに随分おおぜいあるんでしょうねえ。刑事弁護士なんて云うと恐い人のように世間では思うらしいけれど、ほんとは人を助ける仕事で、仏様のようなものなんですからね」
    「その代り金にならないよ。だから、いつでもピイピイさ」と笑った。
    「殺人犯だの、強盗だのなんかにはあんまりお金持ちはいないんですものねえ、でも、あなたは金銭にかえがたい喜びがあるから、と、いつも仰しゃいますが、減刑になったなんて聞くと私まで胸がすうっとしますわ。その人のために弁護なさるあなたの身になったらどんなに愉快だろうと思いますのよ」と云っているところに、玄関のベルが臆病らしくチリッと鳴った、まるで爪か、指先でもちょっと触れたように。
    「おやッ」と夫人は口の中でつぶやいた。
    ふたりは何という事なしに眼を見合せたのだった。すると、こんどはややしっかりしたベルの音がした。
    夫人は小首を傾げて、
    「普通のお客様のようじゃないわね、きっと何かまた」と、云いながら席を起って行ったが、間もなく引返して来ると、まるでおびえたような顔をして、
    「何んだか、気味が悪いのよ。まるで幽霊のような女の人が、しょんぼりと立っていてね、薄暗い蔭の方へ顔を向けているので、年頃も何もまるで分らないけれど、みなりは迚も立派なの。正面まともに私の顔も見ないで、先生に折入ってお願いしたい事がありまして夜中伺いましたって、この御紹介状を差出したんですが、その手がまたぶるぶると震るえて、その声ったらまるで泣いているよう、――」
    博士はその紹介状を受取って、封をきり、眼を通していたが、
    「不思議な人からの紹介だな」と云って、ぽいと夫人の手へ投げた。
    「まあ、ミシェル神父様からの御紹介状ですのねえ、あなた、神父様御存じなの?」
    「うむ。僕は若い頃熱心な天主教徒だったんだよ。いまは大なまけだが――、しかし、形式的のつとめこそ怠っているが、心は昔と少しも変らない信者なんだ。二十何年前僕はミシェル神父様の手で洗礼をさずけて頂いた。しかし、よくまあ神父様は覚えていられたものだなあ」と、博士は愉快そうに起って、自ら玄関に訪問客を迎え、横手の応接室に通した。
    「どんな御用件なんでしょうか?」と、ゆったりと煙草に火を点けた。
    女は夫人の言葉通りに小刻みに体を震わせながら、暗い隅に腰かけて顔も上げ得ないのだった。三十か、あるいは四五にもなっているかも知れないが、痩せた青い顔に憂慮と不安のいろが漂い、神経質らしい太い眉を深く寄せている。紹介状には川島浪子とだけ書いてあって、人妻か未亡人か、どういう身分の婦人であるかがまるでわからなかった。夜中、殊に突然飛び込んで来る客には何かしら深い事情のある人が多かったので、彼は心の中で仔細があるなとうなずいた。
    ややしばらくしてから、婦人は低い声で、
    「お願いがあって、突然上りまして」と云って、面を伏せた。
    「神父様の御紹介状にはただお名前だけしか書いてありません、委しい事は御当人から直接訊いてくれ、と、ありますが――」
    「はい。私はある小さな会社の重役をつとめている者の妻でございます。思いあまったことがありまして、教会へ告白にまいりましたところ、神父様が、先生にお縋りしてみよと仰しゃいましたので、恥を忍んでまいりました」と、割合にはっきりした口調で云って、はじめて顔を上げ、正面から彼を見た。その顔をじいと見ていた博士は、
    「あッ、あなたは――」思わずおどろきの叫び声をあげて、
    「秋田さん秋田浪子さんじゃありませんか?」
    「先生、よく覚えていて下さいました」と、彼女は淋しくほほ笑んだ。
    「随分変られましたな、すっかりお見それしてしまった、川島さんだなどと仰しゃるもんだから、なおわからなかったんです」
    「でも、私、川島へ再婚したんですの」
    「秋田さんなら、何も御紹介状をお持ちになる必要もなかった」
    「だって、もうお忘れになったろうと思って、――先生と御交際させて頂いていたのはもう二十年も音の事ですもの」
    「何十年たったって、あなたを忘れるなんて――」そんなことがあって、どうするものかと、つい口の先まで出かかったのをぐっと呑み込んで、
    「いくら健忘症の僕でも、あの頃のことだけは忘れませんよ」
    「じゃあ、いまでも怒っていらっしゃる? 私が結婚したことを――」
    博士は烈しく首を振って、
    「いいや。決して、――あなたは僕のような貧乏書生と結婚しては幸福になれないからいやだとはっきり云ってくれたから、僕は反って思い切れたんですよ。間もなく浪子さんが金持の後妻になったと聞いた時、その方があなたのためには幸福なんだろうと思って、祝福していた位ですもの、そのかたとは?」
    「死別しました。先妻の息子が相続人だったので、私は離婚して川島と再婚しました」
    「それで、――あなたは幸福に暮らしていられるんでしょうな」と云ったが、みなりこそ立派だが、見違えるほど面瘻れした彼女を見ては幸福な生活をしている者とはどうしたって思われなかった。
    彼女は悲しげに少時しょんぼりとうなだれていたが、
    「先生は、今朝の新聞を御らんになりましたか?」
    と、きっと顔を上げて訊いた。
    「見ましたが?」
    「あの、――ある青年が、あやまって赤ン坊を殺した記事をお読みになったでしょう?」
    博士はうなずいて、
    「無意識のうちに殺したという、あの事件ですか?」
    「私、その事で先生にお縋りに上ったんですの」
    「すると、あの青年は?」
    「私の従弟ですの」
    「なるほど、あなたの旧姓と同じですね、秋田弘とか云いましたね」
    「父の弟の息子です。秀才だったのですが、大学を出る一年前に応召して、戦争に行ってからすっかり人間が変ってしまいました。終戦と同時に帰還しましたが、もう大学へかえる気持ちもなく、それかと云って就職もせず、働く気もないという風で、前途に希望を全く失ってしまい、毎日ただぶらぶらと遊んでその日その日を送っているというようなので、親も段々愛想をつかし、最近では小遣銭にも不自由しておりましてね、度々私のところへ無心を云いに来るようになりました」
    「ちょいと待って下さい」
    博士はベルを鳴らして、夫人に今朝の新聞を持って来させ、もう一度その記事に眼を通してから、びっくりしたように、
    「殺人はあなたの家で行われたんですか?」
    「そうなんです」
    「ふうむ」
    彼は始めてこの訪問の容易ならぬことを知ったのだった。
    「して、その赤ン坊は?」
    「私の子なんですの」
    「えッ? あなたのお子さんが殺されたんだと仰しゃるんですか?」
    「ええ。ですけれど、――先生、弘さんは可哀想な青年なんですのよ。私、自分の赤ン坊が殺されたんですけれど、弘さんを恨む気にはなれません、それで、――それで実は私、先生にお願いするんです。どうぞ、あのひとを救ってやって下さいませ」と云って、手を合せ、
    「あの、先生、弘さんは死刑になるんでございましょう?」とおろおろ声で訊くのだった。
    「さあ」
    「もしも、弘さんが死刑にでもなるようでしたら、――私は生きていられませんの。あんまり可哀想で、――どうぞ、お願いです、助けてやって――」
    と、婦人は縋りつかないばかりに嘆願するのだった。
    「と、いって、僕がどうしようもないじゃありませんか。犯行がこうはっきりしていて、あなたの家を訪問し、あなたの赤ン坊を殺した、それをあなたは目撃していたが、どうにもとめようがなかった、というのでしょう?」
    「新聞に書いてあるのはそれだけです、が、それにはいろいろとわけがありまして――」
    「そのわけというのをすっかり話してみて下さい。その上で、僕の力に及ぶことなら何んとでもして上げますから」
    「ほんとにお願いします。恐らく私が先生にお願いすることの、これが最初で最後だろうと思います。先生、私の涙のお願い、きいて下さいね」と云って、婦人はむせび泣くのだった。
    「よろしい。その代り何もかもありのままを云って下さい。少しでもかくしたりしてはいけませんよ。嘘が交じると困ることになりますからね」
    「決して、誓って嘘は申しません、かくしだてもいたしません、すっかり洗いざらいお話しいたしてしまいますわ」

    青空文庫より

  • 沖野岩三郎「硯箱と時計」田中智之朗読

    15.87
    Oct 12, 2017

    硯箱と時計

    沖野岩三郎

    石之助いしのすけが机にむかつて、算術をかんがへてゐますと、となりのきんさんが来て、
    佐太さださん。石さんはよく勉強するね。きつと硯箱すずりばこになりますよ。」と、言ひました。すると佐太夫は、
    「いいえ。石之助はとても硯箱にはなれませんよ。硯箱になるのは、あんたの所の茂丸しげまるさんですよ。」と、申しました。
    ふすまのこちらで、お父さまと金さんの話をきいてゐた石之助は、へんなことをいふものだなあと思ひました。
    しばらくして、金さんが帰つたので、石之助はすぐ、お父さまの所へ行つて、
    ぼくが、硯箱になれないつて、何の事ですか。」と、きいてみました。
    石之助が、あまり不思議さうな顔をしてゐるので、お父さまは、ひざをたたいて笑ひながら、
    たぬき茶釜ちやがまになつた話はあるが、人間が硯箱になつた話は、きいたことがない。こりやあ、私たちの言葉のつかひ方が悪かつた。硯箱になるのは、茂丸さんか、お前か、どつちだらうと言つたのは、かういふわけだ。」と、云つて、お父さまは、硯箱になるといふ話を説明しました。
    「石之助、お前は殿様のお名前を、知つてゐるだらう。」
    「知つてゐます。山野やまの紀伊きいかみです。」
    「さうだ。元は三万八千石の殿様で、今は子爵様だ。東京にゐらつしやる。」
    「馬に乗るのが上手でせう。」
    「その殿様は、もう、お亡くなりになつて、今は若殿様が子爵さまになつてゐられる。山野紀伊の守様が、東京へお引越になられてから、もう五十七年になる。その間に一度もこの町へお帰りにならないので、この町の人たちは、だんだんと、殿様の事を忘れてしまひさうだ。昨年若殿様が御病気なされた時、ひとりも、お見舞ひの手紙をさし上げたものがなかつた。それは町の人もわるいが、五十七年間、一度もこの町へおいでにならなかつた殿様も悪い。そこで、殿様とこの町の人たちが、もつと仲よくなるために、今年からこの町の学校を卒業する優等生に、殿様から御褒美ごはうびを下さることになつたのだ。中学校の優等生には鉄側時計、女学校の優等生には銀側時計、小学校の優等生には硯箱を下さるんだ。御定紋のついた硯箱だよ。」
    お父さまが、それだけ言つた時、石之助は、
    「わかつた、わかつた。僕その硯箱をほしいなあ。」と、云ひました。
    「うん、ほしからう。私もお前が、その硯箱をもらつてくれればよいがと思つてゐる。ところで今、六年生の一番は茂丸さんだといふぢやないか。茂丸さんは、あれは士族ぢやないんだ。出来ることなら、昔の家来であつた士族がもらひたいもんだ。ここは代代足軽といふ役をしてゐた士族だから、お前がその硯箱をもらつてくれたなら、殿様も、さぞお喜び下さるだらう。」
    お父さまの佐太夫は、さういつて涙ぐんでゐました。
    「お父さま大丈夫だ。僕、きつとその硯箱をもらつてみせる。」
    石之助は元気に、にぎりこぶしで、ひざをたたきながら言ひました。
    「さうか。そのかくごはよい。お前は茂丸さんに勝つ見こみがあるか。」
    お父さまは、心配さうに問ひました。
    「あります。僕きつと、一番になつてみせます。」
    石之助は、自信のあるやうに言ひました。
    そのあくる日から、石之助は、どうしても殿様から、硯箱をもらはなければならないと思つて、必死に勉強しはじめました。
    一月二月がすぎ、三月が来ました。卒業試験が近づいてきたのです。けれども正直に言ふなら、算術は茂丸の方がよく出来ます。習字も茂丸の方が上手です。どうも茂丸の方が一番になりさうです。だから何とかして、茂丸を二番にする方法はないものかと、考へてばかりゐました。
    茂丸は石之助よりも、からだが弱いので、あまり勉強はいたしません。お父さまの金太夫きんだいふさんが、いろいろと硯箱のことを言ひますが、茂丸はただにこにこ笑つてゐて、そんなものをほしいとも何とも言ひません。金太夫さんは、茂丸には勇気がなくていけない、やつぱり平民の子はだめだと、言つてゐました。
    いよいよ卒業試験が始まりました。ところが、二日目の算術と綴方の試験の日、茂丸はひどく熱を出したので、学校を休みました。
    石之助は試験がすむと、おうちへとんで帰りました。そして、
    「お父さま、大丈夫硯箱はもらはれますよ。」と、申しました。
    「大丈夫か。」と、佐太夫さだいふは申しました。
    「大丈夫です。今日は茂丸さんが、熱を出して休んだから、きつと僕が一番になるよ。」
    石之助は手をたたいて、ざしき中をはねまはりました。お父さんの佐太夫も喜びました。
    お隣の金太夫さんは、たうとう硯箱は石之助さんのものだと言つて、ほろほろ涙をこぼしてゐました。けれども茂丸は、
    「なあに、落第しつこはないよ。」と、言つて、おふとんの上で童話の雑誌を読んでゐました。

    卒業式の日が来ました。いろいろの式があつたあとで、山野やまの紀伊きいかみの家老を務めてゐたといふひげの白い老人が、殿様の代理で、
    「本年から優等生に、旧藩公山野子爵閣下より、御定紋付の硯箱を下さることになりました。」と、申しました。そしで、校長さまから、
    粉白石之助こしろいしのすけ……」と、呼ばれた時の石之助の喜びは、口にも筆にも現はせないほど大きなものでした。
    式が終つて、おうちへ帰りますと、佐太夫は、早速の硯箱を仏壇の前にそなへて、
    「お父さま。お母さま。おぢいさま。おばあさま。喜んで下さい。今度せがれの石之助は、殿様から御定紋付の硯箱を頂きました。どうぞ石之助をほめてやつて下さい。」と、申しました。おつ母さんも、仏壇の前でほろほろと、うれしなみだを流してゐました。

    三月の終に、石之助も茂丸も中学校の入学試験を受けました。石之助が一番、茂丸が三番で入学しました。それを見た金太夫さんは、中学校の鉄側時計も、石之助さんのものだと、思ひました。
    中学の一年から二年になる時、石之助が一番で、茂丸が五番でした。三年になつた時、石之助が一番で、茂丸が七番でした。四年になつた時、石之助が一番で、茂丸が九番でした。
    いよいよ卒業の時が来ました。卒業式には県知事さんが来ました。髯の白い家老さんも来ました。そして殿様の定紋を刻みつけた鉄側時計は、石之助に下さいました。
    町の小い新聞には、大きな活字で、石之助のことを、ほめてほめて書いてありました。
    茂丸は十番で卒業しました。身体からだが弱くて時時休んだからでした。けれども、東京へ出て、高等学校の入学試験を受けますと、石之助も茂丸も入学は出来ましたが、どうしたものか、今度は石之助が五番で、茂丸が一番でした。
    石之助は何だか、殿様に申しわけがないやうに思ひましたが、国を出る時お父さまの佐太夫から、
    「試験がすんだなら、すぐ殿様の所へ、お礼に行くんだぞ。」と、言はれてゐたので、田端たばたの丘の上にある、山野やまの子爵家に、たづねて行きました。
    表げんくわんから取次を頼みますと、ひとりの老人が出て来て、住所姓名を尋ねた上、
    「旧藩時代の御身分は。」と、むつかしいことを問ひました。そこで、石之助は、
    「おぢいさまの時まで、足軽といふ役を勤めてゐたさうでございます。」と、答へますと、
    「さうですか。では表げんくわんから、入つてはいけません。あちらの小玄関からお入り下さい。」と、申しました。
    石之助は、へんだなあと思ひながら、小玄関へ行つてみますと、短いはかまをはいた書生さんが出て来て、
    「こちらの応接室へお入り下さい。」と、言ひました。
    石之助は、ほこりまみれになつたくつをぬいで、げんくわんへ上りました。書生さんが、どあをあけてくれました。見れば応接室の奥に、色の白い青年が椅子にかけてゐました。その青年が、殿様の山野子爵だつたのです。
    石之助は顔をまつかにして、応接室へ入つて行きました。そして、硯箱と時計とのお礼を申しますと、殿様は、
    「不思議だね、ぼくはそんなものを、君にあげた覚えはありませんよ。第一僕と君とは、今はじめて会つたのではないか。」と、申しました。
    石之助は、小学校卒業の時に、硯箱をいただいたこと。中学校卒業の時に、時計をいただいたことを、申し上げますと、殿様は腹をかかへて、笑ひました。
    「僕は知らないよ。僕はそんなものを、君達きみたちにあげた覚えはないよ。多分山野家が、だんだんと、昔の家来たちに、忘れられて行くのを苦しく思つて、家令どもが、そんな事をはじめたのだらう。へえん、さうかなあ。僕の名前で硯箱だの時計だのを、君に上げたのかい。実はね、僕は身体からだがよわくて、学習院の中学部で、二度も落第したんだぜ。だから、たうとう高等部に入学できないで、かうして毎日、ぶらぶら遊んでばかりゐるんだよ。世間には、僕のやうな落第生から、賞品をもらつて喜んでゐるやつがあるのかい。」
    殿様はそんな事を言つて、また大きな声で笑ひました。
    石之助はびつくりして、ぼんやりしてゐました。すると殿様は、
    「粉白石之助君。君は今まで僕を君よりえらい人間だと思つてゐたんだらうね。昔は殿様がえらくて、足軽は、ひくい役人だつたが、今は中学の落第生よりも、高等学校の学生さんの方がえらいんだよ。だから、君の方が僕より二倍も三倍もえらいんだよ。」と、申しました。
    石之助は、ますます、びつくりするばかりでした。殿様はまた申しました。
    「君、硯箱だの時計だのを、もらひたさに、勉強するやうではだめだぜ。学問を勉強しなくてはならないよ。本当の学問を……」
    そのとき石之助は、この落第生の殿様を、何だかえらい人のやうに思ひました。
    それから石之助は、勉強の目的をかへました。今までのやうに、褒美をもらつたり、一番になつたりするための勉強ではなく、自分の志したお医者になるための学問を、必死に勉強しました。
    大学を出る時、茂丸は理科の一番でした。石之助も医科の一番でした。
    落第生の殿様は、そのころすつかり、からだが達者になつて、北海道で牧畜をして大成功してゐました。
    「殿様の牛乳配達」といふ記事が、日本中の新聞にのつたのは、二人が大学を卒業した年の夏でした。

    青空文庫より

     

  • 江戸川乱歩「押絵と旅する男」田中智之朗読

    65.18
    Sep 27, 2017

    この話が私の夢か私の一時的狂気のまぼろしでなかったならば、あの押絵おしえと旅をしていた男こそ狂人であったに相違そういない。だが、夢が時として、どこかこの世界と喰違くいちがった別の世界を、チラリとのぞかせてくれるように、また狂人が、我々のまったく感じ得ぬ物事を見たり聞いたりすると同じに、これは私が、不可思議な大気のレンズ仕掛けを通して、一刹那いっせつな、この世の視野の外にある、別の世界の一隅いちぐうを、ふと隙見すきみしたのであったかも知れない。
    いつとも知れぬ、ある暖かい薄曇った日のことである。その時、私は態々わざわざ魚津へ蜃気楼しんきろうを見に出掛けた帰りみちであった。私がこの話をすると、時々、お前は魚津なんかへ行ったことはないじゃないかと、親しい友達に突っ込まれることがある。そうわれて見ると、私は何時いつの何日に魚津へ行ったのだと、ハッキリ証拠を示すことが出来ぬ。それではやっぱり夢であったのか。だが私はかつて、あのように濃厚な色彩を持った夢を見たことがない。夢の中の景色けしきは、映画と同じに、全く色彩を伴わぬものであるのに、あのおりの汽車の中の景色けは、それもあの毒々しい押絵の画面が中心になって、紫と臙脂えんじかった色彩で、まるでへびの眼の瞳孔どうこうの様に、生々しく私の記憶にやきついている。着色映画の夢というものがあるのであろうか。
    私はその時、生れて初めて蜃気楼というものを見た。はまぐりの息の中に美しい龍宮城りゅうぐうじょうの浮んでいる、あの古風な絵を想像していた私は、本物の蜃気楼を見て、膏汗あぶらあせのにじむ様な、恐怖に近い驚きに撃たれた。
    魚津の浜の松並木に豆粒の様な人間がウジャウジャと集まって、息を殺して、眼界一杯の大空と海面とを眺めていた。私はあんな静かな、唖の様にだまっている海を見たことがない。日本海は荒海と思い込んでいた私には、それもひどく意外であった。その海は、灰色で、全く小波さざなみ一つなく、無限の彼方かなたにまで打続く沼かと思われた。そして、太平洋の海の様に、水平線はなくて、海と空とは、同じ灰色に溶け合い、厚さの知れぬもやに覆いつくされた感じであった。空だとばかり思っていた、上部の靄の中を、案外にもそこが海面であって、フワフワと幽霊の様な、大きな白帆しらほが滑って行ったりした。
    蜃気楼とは、乳色ちちいろのフィルムの表面に墨汁ぼくじゅうをたらして、それが自然にジワジワとにじんで行くのを、途方とほうもなく巨大な映画にして、大空に映し出した様なものであった。
    はるかな能登のと半島の森林が、喰違くいちがった大気の変形レンズを通して、すぐ目の前の大空に、焦点のよく合わぬ顕微鏡けんびきょうの下の黒い虫みたいに、曖昧あいまいに、しかも馬鹿馬鹿しく拡大されて、見る者の頭上におしかぶさって来るのであった。それは、妙な形の黒雲と似ていたけれど、黒雲なればその所在がハッキリ分っているに反し、蜃気楼は、不思議にも、それと見る者との距離が非常に曖昧なのだ。遠くの海上に漂う大入道おおにゅうどうの様でもあり、ともすれば、眼前一尺に迫る異形いぎょうの靄かと見え、はては、見る者の角膜かくまくの表面に、ポッツリと浮んだ、一点の曇りの様にさえ感じられた。この距離の曖昧さが、蜃気楼に、想像以上の不気味な気違いめいた感じを与えるのだ。
    曖昧な形の、真黒な巨大な三角形が、塔の様に積重なって行ったり、またたく間にくずれたり、横に延びて長い汽車の様に走ったり、それが幾つかにくずれ、立並たちならひのきこずえと見えたり、じっと動かぬ様でいながら、いつとはなく、全く違った形に化けて行った。
    蜃気楼の魔力が、人間を気違いにするものであったなら、恐らく私は、少くとも帰り途の汽車の中までは、その魔力を逃れることが出来なかったのであろう。二時間のも立ち尽して、大空の妖異を眺めていた私は、その夕方魚津を立って、汽車の中に一夜を過ごすまで、全く日常と異った気持でいたことはたしかである。しかしたら、それは通り魔の様に、人間の心をかすめおかす所の、一時的狂気のたぐいででもあったであろうか。
    魚津の駅から上野への汽車に乗ったのは、夕方の六時頃であった。不思議な偶然であろうか、あの辺の汽車はいつでもそうなのか、私の乗った二等車は、教会堂の様にガランとしていて、私のほかにたった一人の先客が、向うのすみのクッションにうずくまっているばかりであった。
    汽車はさびしい海岸の、けわしいがけや砂浜の上を、単調な機械の音を響かせて、はてしもなく走っている。沼の様な海上の、靄の奥深く、黒血くろちの色の夕焼が、ボンヤリと感じられた。異様に大きく見える白帆が、その中を、夢の様に滑っていた。少しも風のない、むしむしする日であったから、所々開かれた汽車の窓から、進行につれて忍び込むそよ風も、幽霊ゆうれいの様に尻切れとんぼであった。沢山たくさんの短いトンネルと雪けの柱の列が、広漠こうばくたる灰色の空と海とを、縞目しまめに区切って通り過ぎた。
    親不知の断崖を通過する頃、車内の電燈と空の明るさとが同じに感じられた程、夕闇が迫って来た。丁度その時分向うの隅のたった一人の同乗者が、突然立上って、クッションの上に大きな黒繻子くろじゅす風呂敷ふろしきを広げ、窓に立てかけてあった、二尺に三尺程の、扁平へんぺいな荷物を、その中へ包み始めた。それが私に何とやら奇妙な感じを与えたのである。
    その扁平なものは、多分がくに相違ないのだが、それの表側の方を、何か特別の意味でもあるらしく、窓ガラスに向けて立てかけてあった。一度風呂敷に包んであったものを、態々わざわざ取出して、そんな風に外に向けて立てかけたものとしか考えられなかった。それに、彼が再び包む時にチラと見た所によると、額の表面に描かれた極彩色の絵が、妙に生々しく、何となく世のつねならず見えたことであった。
    私はあらためて、このへんてこな荷物の持主を観察した。そして、持主その人が、荷物の異様さにもまして、一段と異様であったことに驚かされた。
    彼は非常に古風な、我々の父親の若い時分の色あせた写真でしか見ることの出来ない様な、えりの狭い、肩のすぼけた、黒の背広服を着ていたが、しかしそれが、背が高くて、足の長い彼に、妙にシックリと合って、はなは意気いきにさえ見えたのである。顔は細面ほそおもてで、両眼が少しギラギラし過ぎていた外は、一体によく整っていて、スマートな感じであった。そして、綺麗きれいに分けた頭髪が、豊に黒々と光っているので、一見四十前後であったが、よく注意して見ると、顔中におびただしいしわがあって、一飛びに六十位にも見えぬことはなかった。この黒々とした頭髪と、色白の顔面を縦横にきざんだ皺との対照が、初めてそれに気附いた時、私をハッとさせた程も、非常に不気味な感じを与えた。
    彼は叮嚀ていねいに荷物を包み終ると、ひょいと私の方に顔を向けたが、丁度私の方でも熱心に相手の動作を眺めていた時であったから、二人の視線がガッチリとぶっつかってしまった。すると、彼は何か恥かしそうくちびるの隅を曲げて、かすかに笑って見せるのであった。私も思わず首を動かして挨拶あいさつを返した。
    それから、小駅を二三通過する間、私達はおたがいの隅に坐ったまま、遠くから、時々視線をまじえては、気まずく外方そっぽを向くことを、繰返していた。外は全く暗闇になっていた。窓ガラスに顔を押しつけて覗いて見ても、時たま沖の漁船の舷燈げんとうが遠く遠くポッツリと浮んでいる外には、全く何の光りもなかった。際涯はてしのない暗闇の中に、私達の細長い車室けが、たった一つの世界の様に、いつまでもいつまでも、ガタンガタンと動いて行った。そのほの暗い車室の中に、私達二人丈けを取り残して、全世界が、あらゆる生き物が、跡方あとかたもなく消えせてしまった感じであった。
    私達の二等車には、どの駅からも一人の乗客もなかったし、列車ボーイや車掌も一度も姿を見せなかった。そういう事も今になって考えて見ると、甚だ奇怪に感じられるのである。
    私は、四十歳にも六十歳にも見える、西洋の魔術師の様な風采ふうさいのその男が、段々怖くなって来た。怖さというものは、ほかにまぎれる事柄のない場合には、無限に大きく、身体からだ中一杯に拡がって行くものである。私はついには、産毛うぶげの先までも怖さが満ちて、たまらなくなって、突然立上ると、向うの隅のその男の方へツカツカと歩いて行った。その男がいとわしく、恐ろしければこそ、私はその男に近づいて行ったのであった。
    私は彼と向き合ったクッションへ、そっと腰をおろし、近寄れば一層異様に見える彼の皺だらけの白い顔を、私自身が妖怪ででもある様な、一種不可思議な、顛倒てんとうした気持で、目を細く息を殺してじっと覗き込んだものである。

  • 海野十三「成層圏飛行と私のメモ」田中智之朗読

    8.47
    Sep 18, 2017

    成層圏飛行と私のメモ

    海野十三

    成層圏飛行について、なにか書けという注文である。
    素人しろうとの私に、なにが書けるわけのものでない。が、素人をむき出しにして、専門家のいわないことをのべてみるのも、一興いっきょうであろうと思い、ペンをとりあげた。
    一体、成層圏とは、どんな高さの空で、そこではどんなことが特徴になっているのか、これは素人のわれわれが一番初めに知りたいところである。これについては、何べんか調べて、そのときは憶えているくせに、間もなく忘れてしまう。身につかないことは、仕方のないものである。
    私の調べによって、素人の一等知りたいところをべると、成層圏の高さは、まず海面から測って、十キロメートル以上五十五キロ以下の空中をいうのである。この成層圏の性質は、もちろん、空気は稀薄きはくであり、水蒸気は殆どなく、温度も摂氏せっしの氷点下五十何度という寒冷さにおかれ高層にのぼるほど多少温度が上昇する傾向がある。それから高気圧も低気圧もあらわれず、風はいつもしずかに一定方向に吹いていると云う。
    下から成層圏へのぼっていくと、白昼はくちゅうでもまず十キロのあたりでは、空が暗青色あんせいしょくとなり、それからだんだん暗さを増して、暗紫色となり、二十キロをえるころには黒紫色となり、それ以上は黒灰色になって、われわれが普段見ている晴れた夜空と同じようになる。
    以上が、成層圏についての私の常識である。
    さてこの成層圏を飛行することであるが、なぜこんな高いところをとぶかというと、それは空気の抵抗がすくないため、相当のスピードが経済的に出せるところを狙ったものである。また、低空では、とても出せないようなスピードも、成層圏では比較的楽に出せる。
    そういうわけで、遠距離へとぶときには、一旦いったん成層圏へとびあがって、そこを飛行するのが時間的にも燃料消費の上にも経済である。
    そういうわけなら、大いに成層圏飛行が行われてもいい筈であるが、これがまだあまり行われていないのは、どういうわけであるか。その答は、きわめて簡単である。成層圏飛行は目下研究中に属していて、われわれの目にふれるところまでに発達していない。
    今日各国は、それぞれ秘密裡ひみつりに、この成層圏飛行の研究をすすめているが、ドイツとアメリカが最もさかんのようであり、ソ連でも中々やっているようである。が、われわれの目にふれるものは、成層圏よりも幾分低いところを飛ぶ亜成層圏飛行であるらしい。その高度は六千メートル附近であるらしいから、もう四千メートルぐらい上に、成層圏があるわけである。
    このような亜成層圏飛行でも、やはり右にのべた恩沢おんたくはある程度あるらしい。そこでは、いつも西風が吹いているという。そして、この亜成層圏でも、空中に酸素が少いから、呼吸がかなり困難であり、また前にのべたように、摂氏の氷点下五十何度とか、ところによると八十何度のところもあるので、この寒さにもたねばならず、それぞれ特別の用意が必要となる。
    酸素問題は、酸素のボンベをもっていって、いよいよ苦しくなったら、せんをひらき、酸素をゴムかんで出し、それを口にくわえるとか鼻にあてるとかする。しかしもっといいのは、搭乗者の座席を、空気のれない、いわゆる気密室にして置き、ちょうど潜航中の潜水艦内に於けると同じような空気清浄装置や酸素放出器などをそなえることだ。気密室にすることは、本当の成層圏飛行となれば、いよいよ必要のものであるから、亜成層圏飛行にもつけておくのがいいことは分っているが、ただ問題は、気密にするのはいいが、そのためにいろいろの器械を持ちこまなければならないので、飛行機がだんだん複雑大仕掛のものとなる。
    寒さをしのぐ方は、軍用機その他でも既にやっていることだから、さまでむつかしい問題ではない。しかし、短時間の戦闘や偵察のときとはちがい、遠距離へ飛ぶこととなれば、長時間寒冷の中を行くこととて、保温装置も大仕掛にしておく必要がある。
    さて、話の方向をかえ、成層圏飛行の研究はなぜ大切かという問題であるが、これはまず第一に、前にも述べたように、遠距離飛行には、成層圏を飛ぶのがいいことは、よく分る。太平洋を越えるのに、今日ではいくら早く飛行艇で行っても、二日とか三日とかかかるが、これを理想的に完成された成層圏機でもって成層圏飛行をすると、一、二時間でいけるというような時代が来るのではあるまいか。いや、この時間は、もっと短縮できるかもしれない。
    しかし、成層圏飛行の研究の目標は、やがてわれわれ人類が、はるかに月に飛行し、火星に飛行するための前提ぜんていとして、宇宙飛行の技術を完成することにあるのだと云ってよろしいと思う。別言すると、成層圏飛行は、やがて宇宙飛行にまで発展するであろう。そしてわれわれ人類は、既に宇宙飛行の技術習得に手をめたのだとも云えると思う。そしてこれと並行して、新動力の研究が完成すると、われわれ人類は、どんどん宇宙飛行に出かけるであろう。そういう時代になったら、火星と地球との間を、一週間で往復することが出来るかもしれないし、それとともに、大宇宙にむ他の高等生物とめぐり合って、奇妙な交際が始まるかもしれない。そういう未来を考えると、われわれは、飛行技術といわず、あらゆる科学について、どんなに馬力ばりきをかけ金をかけて研究を急いでも、決して早すぎる、やりすぎる、ということはないのである。
    次に話は、また現在に逆もどりするが、飛行機の無電操縦が既に可能なる今日、多数の爆弾を抱いて無人の成層圏機の大群たいぐんを無電操縦で敵国てきこくめがけて飛ばし、無人であるがゆえに、勇猛果敢ゆうもうかかん(?)なる自爆的じばくてき爆撃をやらせることも可能ではないかと思う。それが出来るなら、空襲警報も間に合わないほどの急襲きゅうしゅうをやることが出来、殊に雨夜の空襲をかけると、敵の防空隊の照空灯も届かず、聴音機も間に合わず、従って高射砲で狙い撃つ方法もなく、大いに戦果をあげることが出来ようと思う。が、これも例の素人考えである。

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