石丸絹子

  • 芥川龍之介「妙な話」石丸絹子朗読

    17.13
    Nov 08, 2017

    妙な話

    芥川龍之介

    ある冬のわたしは旧友の村上むらかみと一しょに、銀座ぎんざ通りを歩いていた。
    「この間千枝子ちえこから手紙が来たっけ。君にもよろしくと云う事だった。」
    村上はふと思い出したように、今は佐世保させほに住んでいる妹の消息を話題にした。
    「千枝子さんも健在たっしゃだろうね。」
    「ああ、この頃はずっと達者のようだ。あいつも東京にいる時分は、随分ずいぶん神経衰弱もひどかったのだが、――あの時分は君も知っているね。」
    「知っている。が、神経衰弱だったかどうか、――」
    「知らなかったかね。あの時分の千枝子と来た日には、まるで気違いも同様さ。泣くかと思うと笑っている。笑っているかと思うと、――妙な話をし出すのだ。」
    「妙な話?」
    村上は返事をする前に、ある珈琲店カッフェ硝子扉ガラスどを押した。そうして往来の見える卓子テーブルに私と向い合って腰を下した。
    「妙な話さ。君にはまだ話さなかったかしら。これはあいつが佐世保へ行く前に、僕に話して聞かせたのだが。――」

    君も知っている通り、千枝子の夫は欧洲おうしゅう戦役中、地中海ちちゅうかい方面へ派遣された「A――」の乗組将校だった。あいつはその留守るすあいだ、僕の所へ来ていたのだが、いよいよ戦争も片がつくと云う頃から、急に神経衰弱がひどくなり出したのだ。その主な原因は、今まで一週間に一度ずつはきっと来ていた夫の手紙が、ぱったり来なくなったせいかも知れない。何しろ千枝子は結婚後まだ半年はんとしと経たない内に、夫と別れてしまったのだから、その手紙を楽しみにしていた事は、遠慮のない僕さえひやかすのは、残酷ざんこくな気がするくらいだった。
    ちょうどその時分の事だった。ある日、――そうそう、あの日は紀元節きげんせつだっけ。何でも朝から雨の降り出した、寒さの厳しい午後だったが、千枝子は久しぶりに鎌倉かまくらへ、遊びに行って来ると云い出した。鎌倉にはある実業家の細君になった、あいつの学校友だちが住んでいる。――そこへ遊びに行くと云うのだが、何もこの雨の降るのに、わざわざ鎌倉くんだりまで遊びに行く必要もないと思ったから、僕は勿論僕のさいも、再三明日あしたにした方が好くはないかと云って見た。しかし千枝子は剛情に、どうしても今日行きたいと云う。そうしてしまいには腹を立てながら、さっさと支度して出て行ってしまった。

  • O・ヘンリー 翻訳 山本ゆうじ「魔女のパン」石丸絹子朗読

    11.75
    Oct 18, 2017

    青空文庫より

  • O・ヘンリー 翻訳 山本ゆうじ「魔女のパン」石丸絹子朗読

    11.75
    Oct 18, 2017

  • 竹久夢二「おさなき燈台守」石丸絹子朗読

    6.43
    Sep 05, 2017

    おさなき燈台守

    竹久夢二

    この物語はさほど遠い昔のことでは無い。
    北の海に添うたある岬に燈台があった。北海の常として秋口から春先へかけて、海はいかったように暴狂あれくるい、波の静かな日は一日も無かった。とりわけこの岬のあたりは、暗礁の多いのと、潮流の急なのとで、海は湧立わきたちかえり、狂瀾怒濤きょうらんどとうがいまにも燈台をくつがえすかと思われた。
    しかし住馴すみなれた親子三人の燈台守は、何の恐れる景色もなく、安らかに住んでいた。
    今日も今日、父なる燈台守は、やぐらのうえに立って望遠鏡を手にし、霧笛きりぶえならしながら海の上を見戍みまもっていた。昼の間はあかりをつけることが出来ないからこの岬をまわる船のために、霧笛を鳴して海路の地理を示していたのであった。今日はわけても霧の深い日で、ポー、ポーとならす笛の音も、何となく不吉ふきちなしらせをするように聞かれるのであった。
    「姉さん、今日は何だかぼく、あの笛の音がさびしくて仕方が無いよ、そう思わない?」
    「そうね、あたしも先刻さっきからそう思っていたけれど、摩耶まやちゃんが淋しがると思って言わなかった。」
    「また難破船でもあるのじゃないかしら。」
    姉と弟とがこんな話をしているところへ、父はあたふたと階上にかいから降りて来て
    須美すみ、浜へ出て見ておで、何だか変な物が望遠鏡に映ったから」
    「はい」
    健気けなげな姉娘の須美は父の声のもと立上たちあがると
    「姉さん、僕も行くよ」
    と弟の摩耶はうしろについた。
    浜へ出て見ると、果して其処そこの砂浜の帆柱マストの折れたような木に、水兵の着る赤いジャケツが絡みついているのが見えた。二人はそれを持って急いで帰った。父はそれを見るや否や、
    「ああまたやられたか」と言って「おれはこうしては居られない。ぐに救いのボートを出すから、須美は村の者に直ぐこのことを知らせるよう、それから摩耶はやぐらの上で霧笛きりぶえを吹いているんだぞ、しっかり吹かないと、お父さんまで難船してしまうぞ。いか」
    「大丈夫お父さん」
    摩耶は元気よく答えた。
    「それじゃって来るぞ」
    そう言って父はもうボートを卸して、暗い波の上に乗り出した。
    「じゃ摩耶さん、あたしも村の方へ行ってきてよ。霧笛は大丈夫?……しっかり頼んでよ」
    「日本男児だ!」
    「本当にお父さんはじめ、難船した人達のためなのよ。しっかりやって頂戴ちょうだい
    姉は流石さすがに女の気もやさしく、父の身の上、弟のことを気づかいながら、村の方へ走って行った。この燈台とうだいから村へは、一里に余る山路である。
    父のボートは暗い波とはげしい風とにまれ乍ら、濃霧のうちを進んだ。やがて、船の最後と思われる非常汽笛の音をたよりに、つかれた腕に全力をこめて、ボートをやった。行って見ると、船の破片にすがった半死の人が五人だけ見えた。
    一人一人ボートへ助け入れたが、どの人も口を利くどころか、さえ見えぬようであった。ボートのかじを返して燈台とうだいの方へいだが、霧はいよいよ深くなり、海はますます暗くなり、ともすれば暗礁に乗り上げそうであった。半死の人を乗せたボートの重みと、つかれ切った腕にとったオールは、とかく波にさらわれがちであった。
    ここに燈台のやぐらでは、父のため、多くの難船した人のため、摩耶まやはあらん限りの力で霧笛きりぶえを吹いた。
    しかし今年十二の少年の力では容易でない。たちまちへとへとに労れてしまって、霧笛の音は、とぎれとぎれになった。
    しかしいま吹きやめたら、父はどんなに困るかも知れぬ。そう思うと死んでもめられない。ポーと吹いては休み、ブウと吹いては休んだ。しかし父のためだ! 多くの人人のためだ! それでこそ日本男児だ! 吹く吹く、死んでも吹く……
    また海の上では、かすかながらも鳴っている霧笛の音を聞いては、父は新しい力を腕にこめて、ボートを漕いだ。
    ようやくにして父のボートがみぎわへたどりついた。折もよし、村の人人は須美すみに連れられて走って来た。
    遭難の人人の手当は、村人にまかせて、須美は急いで櫓の上にあがって見た。摩耶は霧笛を唇にあてたままそこに死んだように倒れていた。
    「摩耶ちゃん、摩耶ちゃん」
    姉は泣声で呼んだ。すると勇敢なる日本男児はすぐよみがえった。
    五人の遭難者も死んではいなかった。