芥川龍之介

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    Aug 29, 2018

    むかし、むかし、大むかし、ある深い山の奥に大きいももの木が一本あった。大きいとだけではいい足りないかも知れない。この桃の枝は雲の上にひろがり、この桃の根は大地だいちの底の黄泉よみの国にさえ及んでいた。何でも天地開闢かいびゃくころおい、伊弉諾いざなぎみこと黄最津平阪よもつひらさかやっつのいかずちしりぞけるため、桃のつぶてに打ったという、――その神代かみよの桃の実はこの木の枝になっていたのである。
    この木は世界の夜明以来、一万年に一度花を開き、一万年に一度実をつけていた。花は真紅しんく衣蓋きぬがさ黄金おうごん流蘇ふさを垂らしたようである。実は――実もまた大きいのはいうを待たない。が、それよりも不思議なのはその実はさねのあるところに美しい赤児あかごを一人ずつ、おのずからはらんでいたことである。
    むかし、むかし、大むかし、この木は山谷やまたにおおった枝に、累々るいるいと実をつづったまま、静かに日の光りに浴していた。一万年に一度結んだ実は一千年の間は地へ落ちない。しかしある寂しい朝、運命は一羽の八咫鴉やたがらすになり、さっとその枝へおろして来た。と思うともう赤みのさした、小さい実を一つついばみ落した。実は雲霧くもきりの立ちのぼる中にはるか下の谷川へ落ちた。谷川は勿論もちろん峯々の間に白い水煙みずけぶりをなびかせながら、人間のいる国へ流れていたのである。
    この赤児あかごはらんだ実は深い山の奥を離れたのち、どういう人の手に拾われたか?――それはいまさら話すまでもあるまい。谷川の末にはおばあさんが一人、日本中にほんじゅうの子供の知っている通り、柴刈しばかりに行ったおじいさんの着物か何かを洗っていたのである。……

    桃から生れた桃太郎ももたろうおにしま征伐せいばつを思い立った。思い立ったわけはなぜかというと、彼はお爺さんやお婆さんのように、山だの川だの畑だのへ仕事に出るのがいやだったせいである。その話を聞いた老人夫婦は内心この腕白わんぱくものに愛想あいそをつかしていた時だったから、一刻も早く追い出したさにはたとか太刀たちとか陣羽織じんばおりとか、出陣の支度したく入用にゅうようのものは云うなり次第に持たせることにした。のみならず途中の兵糧ひょうろうには、これも桃太郎の註文ちゅうもん通り、黍団子きびだんごさえこしらえてやったのである。
    桃太郎は意気揚々ようようと鬼が島征伐ののぼった。すると大きい野良犬のらいぬが一匹、えた眼を光らせながら、こう桃太郎へ声をかけた。
    「桃太郎さん。桃太郎さん。お腰に下げたのは何でございます?」
    「これは日本一にっぽんいちの黍団子だ。」
    桃太郎は得意そうに返事をした。勿論実際は日本一かどうか、そんなことは彼にもあやしかったのである。けれども犬は黍団子と聞くと、たちまち彼の側へ歩み寄った。
    「一つ下さい。おともしましょう。」
    桃太郎は咄嗟とっさ算盤そろばんを取った。
    「一つはやられぬ。半分やろう。」
    犬はしばらく強情ごうじょうに、「一つ下さい」を繰り返した。しかし桃太郎は何といっても「半分やろう」を撤回てっかいしない。こうなればあらゆる商売のように、所詮しょせん持たぬものは持ったものの意志に服従するばかりである。犬もとうとう嘆息たんそくしながら、黍団子を半分貰う代りに、桃太郎のともをすることになった。
    桃太郎はそののち犬のほかにも、やはり黍団子の半分を餌食えじきに、さるきじ家来けらいにした。しかし彼等は残念ながら、あまりなかい間がらではない。丈夫なきばを持った犬は意気地いくじのない猿を莫迦ばかにする。黍団子の勘定かんじょう素早すばやい猿はもっともらしい雉を莫迦にする。地震学などにも通じた雉は頭のにぶい犬を莫迦にする。――こういういがみ合いを続けていたから、桃太郎は彼等を家来にした後も、一通り骨の折れることではなかった。
    その上猿は腹が張ると、たちまち不服をとなえ出した。どうも黍団子の半分くらいでは、鬼が島征伐の伴をするのも考え物だといい出したのである。すると犬はえたけりながら、いきなり猿をみ殺そうとした。もし雉がとめなかったとすれば、猿はかに仇打あだうちを待たず、この時もう死んでいたかも知れない。しかし雉は犬をなだめながら猿に主従の道徳を教え、桃太郎の命に従えと云った。それでも猿は路ばたの木の上に犬の襲撃を避けた後だったから、容易に雉の言葉を聞き入れなかった。その猿をとうとう得心とくしんさせたのは確かに桃太郎の手腕である。桃太郎は猿を見上げたまま、日の丸のおうぎを使い使いわざと冷かにいい放した。
    「よしよし、では伴をするな。その代り鬼が島を征伐しても宝物たからものは一つも分けてやらないぞ。」
    欲の深い猿はまるをした。
    「宝物? へええ、鬼が島には宝物があるのですか?」
    「あるどころではない。何でも好きなものの振り出せる打出うちで小槌こづちという宝物さえある。」
    「ではその打出の小槌から、幾つもまた打出の小槌を振り出せば、一度に何でも手にはいるわけですね。それは耳よりな話です。どうかわたしもつれて行って下さい。」
    桃太郎はもう一度彼等を伴に、鬼が島征伐のみちを急いだ。

    鬼が島は絶海の孤島だった。が、世間の思っているように岩山ばかりだったわけではない。実は椰子やしそびえたり、極楽鳥ごくらくちょうさえずったりする、美しい天然てんねん楽土らくどだった。こういう楽土にせいけた鬼は勿論平和を愛していた。いや、鬼というものは元来我々人間よりも享楽きょうらく的に出来上った種族らしい。こぶ取りの話に出て来る鬼は一晩中踊りを踊っている。一寸法師いっすんぼうし[#ルビの「いっすんぼうし」は底本では「いっすんぽうし」]の話に出てくる鬼も一身の危険を顧みず、物詣ものもうでの姫君に見とれていたらしい。なるほど大江山おおえやま酒顛童子しゅてんどうじ羅生門らしょうもん茨木童子いばらぎどうじ稀代きだいの悪人のように思われている。しかし茨木童子などは我々の銀座を愛するように朱雀大路すざくおおじを愛する余り、時々そっと羅生門へ姿をあらわしたのではないであろうか? 酒顛童子も大江山の岩屋いわやに酒ばかり飲んでいたのは確かである。その女人にょにんを奪って行ったというのは――真偽しんぎはしばらく問わないにもしろ、女人自身のいう所に過ぎない。女人自身のいう所をことごとく真実と認めるのは、――わたしはこの二十年来、こういう疑問を抱いている。あの頼光らいこう四天王してんのうはいずれも多少気違いじみた女性崇拝家すうはいかではなかったであろうか?
    鬼は熱帯的風景のうちこといたり踊りを踊ったり、古代の詩人の詩を歌ったり、すこぶ安穏あんのんに暮らしていた。そのまた鬼の妻や娘もはたを織ったり、酒をかもしたり、らんの花束をこしらえたり、我々人間の妻や娘と少しも変らずに暮らしていた。殊にもう髪の白い、きばけた鬼の母はいつも孫のりをしながら、我々人間の恐ろしさを話して聞かせなどしていたものである。――
    「お前たちも悪戯いたずらをすると、人間の島へやってしまうよ。人間の島へやられた鬼はあの昔の酒顛童子のように、きっと殺されてしまうのだからね。え、人間というものかい? 人間というものはつのえない、生白なまじろい顔や手足をした、何ともいわれず気味の悪いものだよ。おまけにまた人間の女と来た日には、その生白い顔や手足へ一面になまりをなすっているのだよ。それだけならばまだいのだがね。男でも女でも同じように、※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)うそはいうし、欲は深いし、焼餅やきもちは焼くし、己惚うぬぼれは強いし、仲間同志殺し合うし、火はつけるし、泥棒どろぼうはするし、手のつけようのない毛だものなのだよ……」

    桃太郎はこういう罪のない鬼に建国以来の恐ろしさを与えた。鬼は金棒かなぼうを忘れたなり、「人間が来たぞ」と叫びながら、亭々ていていそびえた椰子やしの間を右往左往うおうざおうに逃げまどった。
    「進め! 進め! 鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!」
    桃太郎は桃のはたを片手に、日の丸の扇を打ち振り打ち振り、犬猿雉いぬさるきじの三匹に号令した。犬猿雉の三匹は仲の家来けらいではなかったかも知れない。が、えた動物ほど、忠勇無双むそうの兵卒の資格を具えているものはないはずである。彼等は皆あらしのように、逃げまわる鬼を追いまわした。犬はただ一噛ひとかみに鬼の若者を噛み殺した。雉も鋭いくちばしに鬼の子供を突き殺した。猿も――猿は我々人間と親類同志の間がらだけに、鬼の娘を絞殺しめころす前に、必ず凌辱りょうじょくほしいままにした。……
    あらゆる罪悪の行われたのち、とうとう鬼の酋長しゅうちょうは、命をとりとめた数人の鬼と、桃太郎の前に降参こうさんした。桃太郎の得意は思うべしである。鬼が島はもう昨日きのうのように、極楽鳥ごくらくちょうさえずる楽土ではない。椰子やしの林は至るところに鬼の死骸しがいき散らしている。桃太郎はやはり旗を片手に、三匹の家来けらいを従えたまま、平蜘蛛ひらぐものようになった鬼の酋長へおごそかにこういい渡した。
    「では格別の憐愍れんびんにより、貴様きさまたちの命はゆるしてやる。その代りに鬼が島の宝物たからものは一つも残らず献上けんじょうするのだぞ。」
    「はい、献上致します。」
    「なおそのほかに貴様の子供を人質ひとじちのためにさし出すのだぞ。」
    「それも承知致しました。」
    鬼の酋長はもう一度ひたいを土へすりつけた後、恐る恐る桃太郎へ質問した。
    「わたくしどもはあなた様に何か無礼ぶれいでも致したため、御征伐ごせいばつを受けたことと存じて居ります。しかし実はわたくしを始め、鬼が島の鬼はあなた様にどういう無礼を致したのやら、とんと合点がてんが参りませぬ。ついてはその無礼の次第をおあかし下さるわけには参りますまいか?」
    桃太郎は悠然ゆうぜんうなずいた。
    日本一にっぽんいち[#ルビの「にっぽんいち」は底本では「にっぼんいち」]の桃太郎は犬猿雉の三匹の忠義者を召しかかえた故、鬼が島へ征伐に来たのだ。」
    「ではそのおさんかたをお召し抱えなすったのはどういうわけでございますか?」
    「それはもとより鬼が島を征伐したいと志した故、黍団子きびだんごをやっても召し抱えたのだ。――どうだ? これでもまだわからないといえば、貴様たちも皆殺してしまうぞ。」
    鬼の酋長は驚いたように、三尺ほどうしろへ飛びさがると、いよいよまた丁寧ていねいにお時儀じぎをした。

    日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹と、人質に取った鬼の子供に宝物の車を引かせながら、得々とくとくと故郷へ凱旋がいせんした。――これだけはもう日本中にほんじゅうの子供のとうに知っている話である。しかし桃太郎は必ずしも幸福に一生を送ったわけではない。鬼の子供は一人前いちにんまえになると番人の雉をみ殺した上、たちまち鬼が島へ逐電ちくでんした。のみならず鬼が島に生き残った鬼は時々海を渡って来ては、桃太郎の屋形やかたへ火をつけたり、桃太郎の寝首ねくびをかこうとした。何でも猿の殺されたのは人違いだったらしいといううわさである。桃太郎はこういうかさがさねの不幸に嘆息たんそくらさずにはいられなかった。
    「どうも鬼というものの執念しゅうねんの深いのには困ったものだ。」
    「やっと命を助けて頂いた御主人の大恩だいおんさえ忘れるとはしからぬ奴等でございます。」
    犬も桃太郎の渋面じゅうめんを見ると、口惜くやしそうにいつもうなったものである。
    その間も寂しい鬼が島のいそには、美しい熱帯の月明つきあかりを浴びた鬼の若者が五六人、鬼が島の独立を計画するため、椰子やしの実に爆弾を仕こんでいた。やさしい鬼の娘たちに恋をすることさえ忘れたのか、黙々と、しかし嬉しそうに茶碗ちゃわんほどの目の玉をかがやかせながら。……

    人間の知らない山の奥に雲霧くもきりを破った桃の木は今日こんにちもなお昔のように、累々るいるいと無数のをつけている。勿論桃太郎をはらんでいた実だけはとうに谷川を流れ去ってしまった。しかし未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。あの大きい八咫鴉やたがらすは今度はいつこの木のこずえへもう一度姿をあらわすであろう? ああ、未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。……

  • 芥川龍之介「捨児」石丸絹子朗読

    Aug 14, 2018

    浅草あさくさ永住町ながすみちょうに、信行寺しんぎょうじと云う寺がありますが、――いえ、大きな寺じゃありません。ただ日朗上人にちろうしょうにんの御木像があるとか云う、相応そうおう由緒ゆいしょのある寺だそうです。その寺の門前に、明治二十二年の秋、男の子が一人捨ててありました。それがまた生れ年は勿論、名前を書いた紙もついていない。――何でも古い黄八丈きはちじょうの一つ身にくるんだまま、の切れた女の草履ぞうりを枕に、捨ててあったと云う事です。
    「当時信行寺の住職は、田村日錚たむらにっそうと云う老人でしたが、ちょうど朝の御勤めをしていると、これもい年をした門番が、捨児すてごのあった事を知らせに来たそうです。すると仏前に向っていた和尚おしょうは、ほとんど門番の方も振り返らずに、「そうか。ではこちらへいて来るが好い。」と、さも事もなげに答えました。のみならず門番が、わその子を抱いて来ると、すぐに自分が受け取りながら、「おお、これは可愛い子だ。泣くな。泣くな。今日きょうからおれが養ってやるわ。」と、気軽そうにあやし始めるのです。――この時の事はのちになっても、和尚贔屓おしょうびいきの門番が、しきみや線香を売る片手間かたでまに、よく参詣人へ話しました。御承知かも知れませんが、日錚和尚にっそうおしょうと云う人は、もと深川ふかがわの左官だったのが、十九の年に足場から落ちて、一時正気しょうきを失ったのち、急に菩提心ぼだいしんを起したとか云う、でんぼう肌の畸人きじんだったのです。
    「それから和尚はこの捨児に、勇之助ゆうのすけと云う名をつけて、わが子のように育て始めました。が、何しろ御維新ごいしん以来、女気おんなけのない寺ですから、育てると云ったにした所が、容易な事じゃありません。りをするのから牛乳の世話まで、和尚自身が看経かんきんの暇には、面倒を見ると云う始末なのです。何でも一度なぞは勇之助が、風か何か引いていた時、折悪く河岸の西辰にしたつと云う大檀家おおだんかの法事があったそうですが、日錚和尚は法衣ころもの胸に、熱の高い子供をいたまま、水晶すいしょう念珠ねんじゅを片手にかけて、いつもの通り平然と、読経どきょうをすませたとか云う事でした。
    「しかしそのも出来る事なら、生みの親に会わせてやりたいと云うのが、豪傑ごうけつじみていてもじょうもろい日錚和尚の腹だったのでしょう。和尚は説教の座へ登る事があると、――今でも行って御覧になれば、信行寺の前の柱には「説教、毎月十六日」と云う、古いふださがっていますが、――時々和漢の故事を引いて、親子の恩愛を忘れぬ事が、即ち仏恩をも報ずる所以ゆえんだ、とねんごろに話して聞かせたそうです。が、説教日は度々めぐって来ても、誰一人進んで捨児の親だと名乗って出るものは見当りません。――いや勇之助が三歳の時、たった一遍、親だと云う白粉焼おしろいやけのした女が、尋ねて来た事がありました。しかしこれは捨児を種に、悪事でもたくらむつもりだったのでしょう。よくよく問いただして見ると、疑わしい事ばかりでしたから、癇癖かんぺきの強い日錚和尚は、ほとんど腕力を振わないばかりに、さんざん毒舌を加えた揚句あげく、即座に追い払ってしまいました。
    「すると明治二十七年の冬、世間は日清戦争の噂に湧き返っている時でしたが、やはり十六日の説教日に、和尚が庫裡くりから帰って来ると、ひんい三十四五の女が、しとやかにあとを追って来ました。庫裡には釜をかけた囲炉裡いろりの側に、勇之助が蜜柑みかんいている。――その姿を一目見るが早いか、女は何の取付とっつきもなく、和尚の前へ手をついて、震える声を抑えながら、「わたしはこの子の母親でございますが、」と、思い切ったように云ったそうです。これにはさすがの日錚和尚も、しばらくは呆気あっけにとられたまま、挨拶あいさつの言葉さえ出ませんでした。が、女は和尚に頓着なく、じっと畳を見つめながら、ほとんど暗誦でもしているように――と云って心の激動は、体中からだじゅうあらわれているのですが――今日こんにちまでの養育の礼を一々叮嚀ていねいに述べ出すのです。
    「それがややしばらく続いたのち、和尚は朱骨しゅぼね中啓ちゅうけいを挙げて、女の言葉をさえぎりながら、まずこの子を捨てた訳を話して聞かすように促しました。すると女は不相変あいかわらず畳へ眼を落したまま、こう云う話を始めたそうです――
    「ちょうど今から五年以前、女の夫は浅草田原町あさくさたわらまちに米屋の店を開いていましたが、株に手を出したばっかりに、とうとう家産を蕩尽とうじんして、夜逃げ同様横浜よこはまへ落ちて行く事になりました。が、こうなると足手まといなのは、生まれたばかりの男の子です。しかも生憎あいにく女には乳がまるでなかったものですから、いよいよ東京を立ち退こうと云う晩、夫婦は信行寺の門前へ、泣く泣くその赤子を捨てて行きました。
    「それからわずかの知るべを便りに、汽車にも乗らず横浜へ行くと、夫はある運送屋へ奉公をし、女はある糸屋の下女になって、二年ばかり二人とも一生懸命に働いたそうです。その内に運が向いて来たのか、三年目の夏には運送屋の主人が、夫の正直に働くのを見こんで、その頃ようやく開け出した本牧辺ほんもくへんの表通りへ、小さな支店を出させてくれました。同時に女も奉公をやめて、夫と一しょになった事は元より云うまでもありますまい。
    「支店は相当に繁昌はんじょうしました。その上また年が変ると、今度も丈夫そうな男の子が、夫婦のあいだに生まれました。勿論悲惨な捨子の記憶は、この間も夫婦の心の底に、わだかまっていたのに違いありません。殊に女は赤子の口へ乏しい乳を注ぐ度に、必ず東京を立ち退いた晩がはっきりと思い出されたそうです。しかし店はいそがしい。子供も日に増し大きくなる。銀行にも多少は預金が出来た。――と云うような始末でしたから、ともかくも夫婦は久しぶりに、幸福な家庭の生活を送る事だけは出来たのです。
    「が、そう云う幸運が続いたのも、長い間の事じゃありません。やっと笑う事もあるようになったと思うと、二十七年の春※(「勹<夕」、第3水準1-14-76)そうそう、夫はチブスにかかったなり、一週間とはとこにつかず、ころりと死んでしまいました。それだけならばまだ女も、あきらめようがあったのでしょうが、どうしても思い切れない事には、せっかく生まれた子供までが、夫のひゃっにちも明けない内に、突然疫痢えきり歿くなった事です。女はその当座昼も夜も気違いのように泣き続けました。いや、当座ばかりじゃありません。それ以来かれこれ半年はんとしばかりは、ほとんど放心同様な月日さえ送らなければならなかったのです。
    「その悲しみが薄らいだ時、まず女の心に浮んだのは、捨てた長男に会う事です。「もしあの子が達者だったら、どんなに苦しい事があっても、手もとへ引き取って養育したい。」――そう思うと矢もたてもたまらないような気がしたのでしょう。女はすぐさま汽車に乗って、懐しい東京へ着くが早いか、懐しい信行寺しんぎょうじの門前へやって来ました。それがまたちょうど十六日の説教日の午前だったのです。
    「女は早速庫裡くりへ行って、誰かに子供の消息しょうそくを尋ねたいと思いました。しかし説教がすまない内は、勿論和尚にも会われますまい。そこで女はいら立たしいながらも、本堂一ぱいにつめかけた大勢の善男善女ぜんなんぜんにょまじって、日錚和尚にっそうおしょうの説教にうわそらの耳を貸していました。――と云うよりも実際は、その説教が終るのを待っていたのに過ぎないのです。
    「所が和尚はその日もまた、蓮華夫人れんげふじんが五百人の子とめぐり遇った話を引いて、親子の恩愛がたっとい事を親切に説いて聞かせました。蓮華夫人が五百の卵を生む。その卵が川に流されて、隣国の王に育てられる。卵から生れた五百人の力士は、母とも知らない蓮華夫人の城を攻めに向って来る。蓮華夫人はそれを聞くと、城の上のたかどのに登って、「わたしはお前たち五百人の母だ。その証拠はここにある。」と云う。そうして乳を出しながら、美しい手にしぼって見せる。乳は五百すじの泉のように、高い楼上の夫人の胸から、五百人の力士の口へ一人もれず注がれる。――そう云う天竺てんじく寓意譚ぐういたんは、聞くともなく説教を聞いていた、この不幸な女の心に異常な感動を与えました。だからこそ女は説教がすむと、眼に涙をためたまま、廊下ろうか伝いに本堂から、すぐに庫裡へ急いで来たのです。
    委細いさいを聞き終った日錚和尚は、囲炉裡いろりの側にいた勇之助ゆうのすけを招いで、顔も知らない母親に五年ぶりの対面をさせました。女の言葉が嘘でない事は、自然と和尚にもわかったのでしょう。女が勇之助を抱き上げて、しばらく泣き声をこらえていた時には、豪放濶達ごうほうかったつな和尚の眼にも、いつか微笑を伴った涙が、睫毛まつげの下に輝いていました。
    「そのの事は云わずとも、大抵御察しがつくでしょう。勇之助は母親につれられて、横浜の家へ帰りました。女は夫や子供の死後、なさけ深い運送屋主人夫婦のすすめ通り、達者な針仕事を人に教えて、つつましいながらも苦しくない生計を立てていたのです。」
    客は長い話を終ると、ひざの前の茶碗をとり上げた。が、それに唇は当てず、わたしの顔へ眼をやって、静にこうつけ加えた。
    「その捨児が私です。」
    私は黙ってうなずきながら、湯ざましの湯を急須きゅうすいだ。この可憐な捨児の話が、客松原勇之助まっぱらゆうのすけ君の幼年時代の身の上話だと云う事は、初対面の私にもとうに推測がついていたのであった。
    しばらく沈黙が続いたのち、私は客に言葉をかけた。
    阿母おっかさんは今でも丈夫ですか。」
    すると意外な答があった。
    「いえ、一昨年歿くなりました。――しかし今御話した女は、私の母じゃなかったのです。」
    客は私の驚きを見ると、眼だけにちらりと微笑を浮べた。
    「夫が浅草田原町あさくさたわらまちに米屋を出していたと云う事や、横浜へ行って苦労したと云う事は勿論うそじゃありません。が、捨児をしたと云う事は、嘘だった事が後に知れました。ちょうど母が歿くなる前年、店の商用を抱えた私は、――御承知の通り私の店は綿糸の方をやっていますから、新潟界隈にいがたかいわいを廻って歩きましたが、その時田原町の母の家の隣に住んでいた袋物屋ふくろものやと、一つ汽車に乗り合せたのです。それが問わず語りに話した所では、母は当時女の子を生んで、その子がまた店をしまう前に、死んでしまったとか云う事でした。それから横浜へ帰って後、早速母に知れないように戸籍謄本をとって見ると、なるほど袋物屋の言葉通り、田原町にいた時に生まれたのは、女の子に違いありません。しかも生後三月目みつきめに死んでしまっているのです。母はどう云う量見りょうけんか、子でもない私を養うために、捨児の嘘をついたのでした。そうしてその後二十年あまりは、ほとんど寝食さえ忘れるくらい、私に尽してくれたのでした。
    「どう云う量見か、――それは私も今日こんにちまでには、何度考えて見たかわかりません。が、事実は知れないまでも、一番もっともらしく思われる理由は、日錚和尚の説教が、夫や子に遅れた母の心へ異常な感動を与えた事です。母はその説教を聞いている内に、私の知らない母の役をつとめる気になったのじゃありますまいか。私が寺に拾われている事は、当時説教を聞きに来ていた参詣人からでも教わったのでしょう。あるいは寺の門番が、話して聞かせたかも知れません。」
    客はちょいと口をつぐむと、考え深そうな眼をしながら、思い出したように茶をすすった。
    「そうしてあなたが子でないと云う事は、――子でない事を知ったと云う事は、阿母おっかさんにも話したのですか。」
    私は尋ねずにはいられなかった。
    「いえ、それは話しません。私の方から云い出すのは、余り母に残酷ざんこくですから。母も死ぬまでその事は一言いちごんも私に話しませんでした。やはり話す事は私にも、残酷だと思っていたのでしょう。実際私の母に対するじょうも、子でない事を知ったのち、一転化を来したのは事実です。」
    「と云うのはどう云う意味ですか。」
    私はじっと客の目を見た。
    「前よりも一層なつかしく思うようになったのです。その秘密を知って以来、母は捨児の私には、母以上の人間になりましたから。」
    客はしんみりと返事をした。あたかも彼自身子以上の人間だった事も知らないように。