萩柚月

  • 萩柚月朗読坂口安吾「行雲流水」

    行雲流水

    坂口安吾

    「和尚さん。大変でございます」
    と云って飛びこんできたのは、お寺の向いの漬物屋のオカミサンであった。
    「何が大変だ」
    「ウチの吾吉の野郎が女に惚れやがったんですよ。その女というのが、お寺の裏のお尻をヒッパタかれたあのパンスケじゃありませんか。情けないことになりやがったもんですよ。私もね、吾吉の野郎のお尻をヒッパタいてくれようかと思いましたけどネ。マア、和尚さんにたのんで、あの野郎に説教していただこうと、こう思いましてネ」
    「あの女なら、悪いことはなかろう。キリョウはいゝし、色ッぽいな。すこし頭が足りないようだが、その方が面白くて、アキがこないものだ」
    「よして下さいよ。私ゃ、パンスケはキライですよ。いくらなんでも」
    「クラシが立たなくては仕方がない。パンスケ、遊女と云って区別をすることはないものだ。吾吉にはそれぐらいで、ちょうど、よいな」
    「ウチの宿六とおんなじようなことを言わないで下さいよ。男ッて、どうして、こうなんだろうね。女は身持ちがキレイでなくちゃアいけませんやね。ウチノ宿六の野郎もパンスケだっていゝじゃないか、クラシが立たなくちゃアほかに仕方があるめえ、なんて、アン畜生め、いゝ年してパンスケ買いたいに違いないんだから。覚えていやがれ。和尚さんも、大方、そうでしょうネ。まったく、呆れて物が言えないよ」
    「だから拙僧に頼んでもムダだ。私だったら二人を一緒にしてしまうから、そう思いなさい。罪なんだ」
    「なにが罪ですか。いゝ加減にしやがれ。オタンコナスめ。けれども、ねえ。お頼みしますよ。吾吉の野郎をよこしますから、本堂かなんかへ引きすえて、仏様の前でコンコンと説教して下さいな」
    こういうワケで、和尚は吾吉と話をすることになったのである。
    「お前、裏の女の子と交ったかな」
    「ハ。すみません」
    「夫婦約束をしたのだな」
    「イエ。それがどうも、女がイヤだと申しまして、私は気違いになりそうでございます。私があの女にツギこんだお金だけが、もう三十万からになっておりますんで。いッそ、あのアマを叩き斬って、死んでくれようか、と」
    「コレコレ、物騒なことを言うもんじゃないよ。ハハア。してみると、お前さん、女を金で買ってみたワケだな」
    「そうでござんす。お尻をヒッパタかれたパンスケだと申しますから、あんなに可愛らしくッて、ウブらしいのに、金さえ出しゃ物になる女だな、とこう思いまして、取引してみたら、案の定でさア。けれども知ってみると冷めたくって、情があって、こう、とりのぼせまして、エッヘ。どうも、すみません。頭のシンにからみこんで、寝た間も忘れられたもんじゃ、ないんです。よろしく一つ、御賢察願いまして、仏力をもちまして、おとりもちを願い上げます」
    「バカにしちゃア口上がうまいじゃないか。冷めたくって、情があってか。なるほど。ひとつ、仏力によって、とりもって進ぜよう」
    ノンキな和尚であった。彼はドブロクづくりと将棋に熱中して、お経を四半分ぐらいに縮めてしまうので名が通っていたが、町内の世話係りで、親切だから、ウケがよかった。
    お寺の裏のお尻をヒッパタかれたパンスケというのは、大工の娘で、ソノ子と云った。終戦後父親が肺病でねついてしまって、ソノ子は事務員になって稼いだが、女手一つで、病父や弟妹が養えるものではない。いつとはなく、パンスケをやるようになった。外でやるぶんには、よかったが、時々、家へ男をひきこんでやる。
    とうとう病父がたまりかねて、ソノ子をとらえて、押し倒して、お尻をまくりあげて、ピシピシなぐった。なぐりつゝ、吐血し、力絶えて、即死してしまった。ソノ子はオヤジを悶死させた次第であった。

  • 萩柚月朗読 銭形平次捕り物控 「迷子札5,6 」野村胡堂

    萩柚月朗読銭形平次捕り物「控迷子札7.8」野村胡堂

    「御免下さいまし」
    「誰ぢや」
    御徒町の吉田一學、御徒士頭おかちがしらで一千石をむ大身ですが、平次はその御勝手口へ、遠慮もなく入つて行つたのです。
    「御用人樣に御目に掛りたう御座いますが」
    「お前は何だ」
    「左官の伊之助の弟――え、その、平次と申す者で」
    「もう遲いぞ、明日出直して參れ」
    お勝手に居る爺父おやぢは、恐ろしく威猛高ゐたけだけです。
    「さう仰しやらずに、ちよいとお取次を願ひます。御用人樣は、屹度御逢ひ下さいます」
    「いやな奴だな、此處を何と心得る」
    「へエ、吉田樣のお勝手口で」
    どうもこの押し問答は平次の勝です。
    やがて通されたのは、内玄關の突當りの小部屋。
    「私は用人の後閑武兵衞こがぶへゑぢやが――平次といふのはお前か」
    六十年配の穩やかな仁體です。
    「へエ、私は左官の伊之助の弟で御座いますが、兄の遺言ゆゐごんで、今晩お伺ひいたしました」
    「遺言?」
    老用人は一寸眼を見張りました。
    「兄の伊之助が心掛けて果し兼ねましたが、一つ見て頂きたいものが御座います。――なアに、つまらない迷子札で、へエ」
    平次がさう言ひ乍ら、懷から取出したのは、眞鍮しんちうの迷子札が一枚、後閑こが武兵衞の手の屆きさうもないところへ置いて、上眼使ひに、そつと見上げるのでした。
    色の淺黒い、苦み走つた男振りも、わざと狹く着た單衣ひとへもすつかり板に付いて、名優の強請場ゆすりばに見るやうな、一種拔き差しのならぬ凄味さへ加はります。
    「それを何うしようと言ふのだ」
    「へ、へ、へ、この迷子札に書いてある、甲寅きのえとら四月生れの乙松といふ伜を引渡して頂きたいんで、たゞそれ丈けの事で御座いますよ、御用人樣」
    「――」
    「何んなもんで御座いませう」
    「暫らく待つてくれ」
    こまぬいた腕をほどくと、後閑武兵衞、深沈たる顏をして奧に引込みました。
    待つこと暫時ざんじ
    何處から槍が來るか、何處から鐵砲が來るか、それは全く不安極まる四半刻でしたが、平次は小判形の迷子札と睨めつこをしたまゝ、大した用心をするでもなくひかへて居ります。
    「大層待たせたな」
    二度目に出て來た時の用人は、何となくニコニコして居りました。
    「どういたしまして、どうせ夜が明けるか、斬られて死骸だけ歸るか――それ位の覺悟はいたして參りました」
    と平次。
    「大層いさぎよい事だが、左樣な心配はあるまい――ところで、その迷子札ぢや。私の一存で、此場で買ひ取らうと思ふ、どうぢや、これ位では」
    出したのは、二十五兩包の小判が四つ。
    「――」
    「不足かな」
    「――」
    「これつ切り忘れてくれるなら、此倍出してもよいが」
    武兵衞は此取引の成功をうたがつても居ない樣子です。
    「御用人樣、私は金が欲しくて參つたのぢや御座いません」
    「何だと」
    平次の言葉の豫想外よさうぐわいさ。
    「百兩二百兩はおろか、千兩箱を積んでもこの迷子札は賣りやしません――乙松といふ伜を頂戴して、兄伊之助の後を立てさへすれば、それでよいので」
    「それは言ひ掛りと言ふものだらう、平次とやら」
    「――」
    「私に免じて、我慢をしてくれぬか、この通り」
    後閑武兵衞は疊へ手を落すのでした。
    「それぢや、一日考へさして下さいまし。めひのお北とも相談をして、明日の晩又參りませう」
    平次は目的が達した樣子でした。迷子札を懷へ入れると、丁寧にいとまを告げて、用心深く屋敷の外へ出ました。

    青空文庫より

  • 青空文庫より萩柚月朗読 銭形平次捕り物控 迷子札1.2 野村胡堂

    萩柚月朗読 銭形平次捕り物控 迷子札 7.8 野村胡堂

    萩柚月朗読 銭形平次捕り物控 迷子札3,4 野村胡堂


    錢形平次捕物控

    +目次

    「親分、お願ひがあるんだが」
    ガラツ八の八五郎は言ひ憎さうに、長いあごを撫でて居ります。
    「又お小遣ひだらう、お安い御用みたいだが、たんとはねえよ」
    錢形の平次はさう言ひ乍ら、立ち上がりました。
    「親分、冗談ぢやない。又お靜さんの着物なんかいぢや殺生だ。――あわてちやいけねえ、今日は金が欲しくて來たんぢやありませんよ。金なら小判というものを、うんと持つて居ますぜ」
    八五郎はこんな事を言ひ乍ら、泳ぐやうな手付きをしました。うつかり金の話をすると、お靜の髮の物までもねない、錢形平次の氣性が、八五郎に取つては、嬉しいやうな悲しいやうな、まことに變てこなものだつたのです。
    「馬鹿野郎、お前が膝つ小僧を隱してお辭儀をすると、何時もの事だから、又金の無心と早合點するぢやないか」
    「へツ、勘辨しておくんなさい――今日は金ぢやねえ、ほんの少しばかり、智慧の方を貸して貰ひてえんで」
    ガラツ八は掌のくぼみで、額をピタリピタリと叩きます。
    「何だ。智慧ならあらたまるに及ぶものか、小出しの口で間に合ふなら、うんと用意してあるよ」
    「大きく出たね、親分」
    「金ぢや大きな事が言へねえから、ホツとしたところさ。少しは附合つていゝ心持にさしてくれ」
    「親分子分の間柄だ」
    「馬鹿ツ、まるで掛合噺かけあひばなし見たいな事を言やがる、手つ取り早く筋を申し上げな」
    「親分の智慧を借りてえといふのが、外に待つて居るんで」
    誰方どなただい」
    「大根畑の左官の伊之助親方を御存じでせう」
    「うん――知つてるよ、あの酒の好きな、六十年配の」
    「その伊之助親方の娘のお北さんなんで」
    ガラツ八はさう言ひ乍ら、入口に待たして置いた、十八九の娘をせうじ入れました。
    「親分さん、お邪魔をいたします。――實は大變なことが出來ましたので、お力を拜借に參りましたが――」
    お北はさう言ひ乍ら、淺黒いキリヽとした顏を擧げました。決して綺麗ではありませんが、氣性者きしやうものらしいうちに愛嬌があつて地味な木綿の單衣ひとへも、こればかりは娘らしい赤い帶も、言ふに言はれぬ一種の魅力でした。
    「大した手傳ひは出來ないが、一體どんな事があつたんだ、お北さん」
    「他ぢや御座いませんが、私の弟の乙松おとまつといふのが、七日ばかり前から行方不明ゆくへしれずになりました」
    「幾つなんで」
    「五つになつたばかりですが、智慧の遲い方で何にも解りません」
    「心當りは搜したんだらうな」
    「それはもう、親類から遊び仲間の家まで、私一人で何遍も/\搜しましたが、此方から搜す時は何處へ隱れて居るのか、少しも解りません」
    お北の言葉には、妙にからんだところがあります。
    「搜さない時は出て來るとでも言ふのかい」
    「幽靈ぢやないかと思ひますが」
    かしこさうなお北も、そつと後を振り向きました。眞晝の明るい家の中には、もとより何の變つたこともあるわけはありません。
    「幽靈?」
    「昨夜、お勝手口の暗がりから、――そつと覗いて居りました」
    「その弟さんが?」
    「え」
    「をかしな話だな、本物の弟さんぢやないのか」
    「いえ、乙松はあんな樣子をして居る筈はありません。芝居へ出て來る先代萩せんだいはぎの千松のやうに、たもとの長い絹物の紋附を着て、頭も顏もお稚兒ちごさんのやうに綺麗になつて居ましたが、不思議なことに、はかまの裾はぼけて、足は見えませんでした」
    お北は氣性者でも、迷信でこり固まつた江戸娘でした。かう言ふうちにも、何やらおびやかされるやうに襟をかき合せて、ぞつと肩をすくめます。
    「そいつは氣の迷ひだらう――物は言はなかつたかい」
    「言ひ度さうでしたが、何にも言はずに見えなくなつてしまひました」
    「フーム」
    平次もこれだけでは、智慧の小出しを使ひやうもありません。
    「私はもう悲しくなつて、いきなり飛出さうとすると、父親が――あれは狐か狸だらう、乙松はあんな樣子をして居る筈はないから――つて無理に引止めました。一體これはどうしたことでせう、親分さん」
    弟思ひらしいお北の顏は、言ひやうもない悲みと不安がありました。七日の間、相談する相手もなく、何彼と思ひ惱んだことでせう。

    青空文庫より

  • 萩柚月朗読、桜の森の満開の下 坂口安吾

    桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子だんごをたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集って酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩けんかして、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。近頃は桜の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので、能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまう(このところ小生の蛇足だそく)という話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。
    昔、鈴鹿峠にも旅人が桜の森の花の下を通らなければならないような道になっていました。花の咲かない頃はよろしいのですが、花の季節になると、旅人はみんな森の花の下で気が変になりました。できるだけ早く花の下から逃げようと思って、青い木や枯れ木のある方へ一目散に走りだしたものです。一人だとまだよいので、なぜかというと、花の下を一目散に逃げて、あたりまえの木の下へくるとホッとしてヤレヤレと思って、すむからですが、二人連は都合が悪い。なぜなら人間の足の早さは各人各様で、一人が遅れますから、オイ待ってくれ、後から必死に叫んでも、みんな気違いで、友達をすてて走ります。それで鈴鹿峠の桜の森の花の下を通過したとたんに今迄仲のよかった旅人が仲が悪くなり、相手の友情を信用しなくなります。そんなことから旅人も自然に桜の森の下を通らないで、わざわざ遠まわりの別の山道を歩くようになり、やがて桜の森は街道をはずれて人の子一人通らない山の静寂へとり残されてしまいました。
    そうなって何年かあとに、この山に一人の山賊が住みはじめましたが、この山賊はずいぶんむごたらしい男で、街道へでて情容赦なく着物をはぎ人の命も断ちましたが、こんな男でも桜の森の花の下へくるとやっぱり怖しくなって気が変になりました。そこで山賊はそれ以来花がきらいで、花というものは怖しいものだな、なんだか厭なものだ、そういう風に腹の中ではつぶやいていました。花の下では風がないのにゴウゴウ風が鳴っているような気がしました。そのくせ風がちっともなく、一つも物音がありません。自分の姿と跫音あしおとばかりで、それがひっそり冷めたいそして動かない風の中につつまれていました。花びらがぽそぽそ散るように魂が散っていのちがだんだん衰えて行くように思われます。それで目をつぶって何か叫んで逃げたくなりますが、目をつぶると桜の木にぶつかるので目をつぶるわけにも行きませんから、一そう気違いになるのでした。
    けれども山賊は落付いた男で、後悔ということを知らない男ですから、これはおかしいと考えたのです。ひとつ、来年、考えてやろう。そう思いました。今年は考える気がしなかったのです。そして、来年、花がさいたら、そのときじっくり考えようと思いました。毎年そう考えて、もう十何年もたち、今年もまた、来年になったら考えてやろうと思って、又、年が暮れてしまいました。
    そう考えているうちに、始めは一人だった女房がもう七人にもなり、八人目の女房を又街道から女の亭主の着物と一緒にさらってきました。女の亭主は殺してきました。
    山賊は女の亭主を殺す時から、どうも変だと思っていました。いつもと勝手が違うのです。どこということは分らぬけれども、変てこで、けれども彼の心は物にこだわることに慣れませんので、そのときも格別深く心にとめませんでした。
    青空文庫より

  • 萩柚月朗読、銭形平次捕物控 城の絵図面 









    錢形平次捕物控
    城の繪圖面
    野村胡堂

    「親分、大變な野郎が來ましたぜ」
     ガラツ八の八五郎は、拇指おやゆびで自分の肩越しに指し乍ら、入口の方へ頤あごをしやくつて見せます。
    「大變な野郎――?」
     錢形の平次は、岡つ引には過ぎた物の本に吸付いて、顏を擧げようともしません。
    「二本差りやんこが二人――」
    「馬鹿野郎、御武家を野郎呼ばはりする奴があるものか、無禮討にされても俺の知つたことぢやないぜ」
    「でもね親分、立派なお武家が二人、敷居を舐なめるやうにして、――平次殿御在宿ならば御目にかゝりたい、主人姓名の儀は仔細あつて申兼ねるが、拙者は石津右門いしづうもん、大垣伊右衞門と申すもの――てやがる。まるでお芝居だね、へツ、へツ、へツ、へツ」
     ガラツ八は、箍たがの拔けた桶をけのやうに、手の付けやうのない馬鹿笑ひをするのです。
    「御身分の方だらう、丁寧にお通し申すんだ。――その馬鹿笑ひだけなんとか片附けろ、呆れた野郎だ」
     小言をいひ乍ら平次は、取散らかした部屋の中を片附けて、少し煎餅せんべいになつた座蒲團を二枚、上座らしい方角へ直します。
    「これは、平次殿か、飛んだ邪魔をいたす。拙者は石津右門――」
    「拙者は大垣伊右衞門と申す者」
     二人の武家は開き直つて挨拶するのです。――石津右門といふのは、五十前後の鬼が霍亂くわくらんを思つたやうな惡相の武家、眼も鼻も口も大きい上に、澁紙しぶがみ色の皮膚、山のやうな兩肩、身扮みなりも、腰の物も、代表型テイピカルな淺黄あさぎ裏のくせに、聲だけは妙に物優しく、折目正しい言葉にも、女のやうな柔かい響があります。
     大垣伊右衞門といふのは、それより四つ五つ若く、これは美男と言つてもいゝでせう、秀ひいでた眉、高い鼻、少し大きいが紅い唇、謠うたひの地があるらしい錆さびを含んだ聲、口上も江戸前でハキハキして居ります。
    「私が平次でございますが――御用は?」
     平次は靜かに顏をあげました。
    「外ではない。町方の御用を勤める平次殿には、筋違ひの仕事であらうが、人間二人三人の命に係はる大事、折入つて頼みたいことがあつて參つた――」
     石津右門は口を切るのです。
    「拙者はさる大藩の國家老、こゝに居られる大垣殿は江戸の御留守居ぢや。耻を申さねば判らぬが、三日前、當江戸上屋敷に、不測ふそくの大事が起り、拙者と大垣殿は既に腹まで掻切らうといたしたが、一藩の興廢こうはいに拘かゝはる大事、一人や二人腹を切つて濟むことではない。――兎やかう思案の果、さる人から平次殿の大名たいめいを承はり、良き智慧を拜借に參つたやうなわけぢや――」
     四角几帳面きちやうめんな話、聽いて居るだけでも肩の凝りさうなのを、ガラツ八はたまり兼ねて次の間へ避難しました。――平次殿の大名――から――良き智慧を拜借――が可笑しかつたのです。
    「旦那、お言葉中でございますが、あつしは町方の御用聞で、御武家や御大名方の紛紜いざこざに立ち入るわけには參りません。承はる前に、それはお斷り申上げた方が宜しいやうで――」
     平次が尻ごみしたのも無理はありません。腹を切り損ねて飛込んで來た武家などには、どうも附き合ひ切れないと思つたのです。石津右門の辭色じしよくは、何樣以て容易のことではなかつたのでした
    青空文庫より

  • 萩柚月 朗読、坂口安吾「神サマを生んだ人々」


    神サマを生んだ人々
    坂口安吾
    二号の客引き
    大巻おおまき博士が途方にくれながら温泉都市の海岸通りを歩いていると、ポンと背中をたたいた者がある。
    「大巻先生じゃありませんか」
    振向いてみると、五十がらみの宗匠然とした渋いミナリの人物。見たような顔だ。
    「どなたでしたかな?」
    「芝の安福軒ですよ。それ、戦前まで先生の三軒向う隣りの万国料理安福軒。思いだしたでしょう。終戦後はこの温泉場でその名も同じ安福軒をやっております」
    「すると、君はこの温泉の住人ですか」
    「そうですとも。当温泉の新名物、万国料理安福軒」
    「ありがたい!」
    大巻先生が感きわまって叫んだから、安福軒は呆れ顔、まさかこの先生二三日食う物も食わずにいるわけではあるまいがと考えた。
    「当温泉はアベックの好適地、また心中の名所ですが、まさか先生、生き残りの片割れではありますまいな」
    「ヤ。そう見えるのも無理がない。実は当温泉居住の文士川野水太郎君を訪ねてきたのだが、あいにく同君夫妻は旅行中。このまま帰るのも残念だから久々に一夜温泉につかってノンビリしようと志したところが、今日は土曜日で全市に空室あきべやが一ツもないという返事じゃないか」
    「なるほど。わかりました。では御案内いたしましょう」
    「キミ、ホントですか。まさかパンパン宿ではあるまいね」
    「とんでもない。全市にこれ一軒という飛び切りの静寂境です。そこを独占なさることができます。お値段は普通旅館なみ。マ、ボクにまかせなさい」
    こう云って安福軒が案内したところは山の中腹の崖下の小さな家であった。
    「ネ。閑静でしょう」
    四隣大別荘にかこまれた一軒家、深山のように閑静には相違ないが、目当の家は炭焼小屋に毛の生えたような小さな家。
    「これ、旅館ですか」
    「ちかごろはシモタ家がそれぞれ旅館をやっております。わざと看板は出しませんが、この方が親切テイネイで、気分満点ですよ」
    玄関を一足はいると屋内の全貌が一目でわかる。座敷らしいのは一間しかない。あとは茶の間と女中部屋。これを独占できなければ、他に泊る部屋がありやしない。感心に小さいながらも温泉はついていた。安福軒はそこへ大巻博士を案内して、
    「ホレ、ごらんなさい。これが温泉ですよ。つまり、あなたの一室のために便所と浴室と台所と女中が附属しているようなものですよ。これに不足を云ったら罰が当りますぜ。どこにこんな至れり尽せりの旅館がありますか」
    「これで温泉気分にひたれというのかい」
    「今に分りますが、ここの内儀おかみは一流の板前ですよ。その他、サービス満点……」
    自信マンマンたる眼の色であるから、大巻博士も宿を得た気のユルミか、なんとなくたのもしくなってきた。
    青空文庫より








  • 錢形平次捕物控
    朱塗りの筐
    野村胡堂

    「親分、美い新造が是非逢はしてくれつて、來ましたぜ」
     とガラツ八の八五郎、薄寒い縁にしやがんで、柄にもなく、お月樣の出などを眺めてゐる錢形の平次に聲を掛けました。
     平次はこの時三十になつたばかり。江戸中に響いた捕物の名人ですが、女の一人客が訪ねて來るのは、少し擽ぐつたく見えるやうな好い男でもあつたのです。
    「何て顏をするんだ。――何方だか、名前を訊いたか」
    「それが言はねえ」
    「何?」
    「親分にお目にかゝつて申上げますつて、――滅法美い女だぜ、親分」
    「女が美くつたつて、名前も仰しやらない方にお目にかゝるわけには參りません。と言つて斷つて來い」
     平次は少し中ツ腹だつたでせう。名前も言はない美い女と聞くと、妙に頑固なことを言つて、ガラツ八を追つ拂はうとしました。
    「惡者に追つ驅けられたとか言つて、蒼い顏をして居ますよ、親分――」
    「馬鹿ツ、何だつて冒頭つからさう言はないんだ」
     平次はガラツ八を掻き退けるやうに、入口へ飛出して見ました。格子戸の中、灯から遠い土間に立つたのは、二十三――四の年増、ガラツ八が言ふほどの美い縹緻ではありませんが、身形も顏もよく整つた、確り者らしい奉公人風の女です。
    「お前さんか、あつしに逢ひたいといふのは?」
    「あ、親分さん、私は惡者に跟けられてゐます。どうしませう」
    「此處へ來さへすれば、心配することはない。後ろを締めて入んなさるがいゝ」
     唯ならぬ樣子を見て、平次は女を導き入れました。奧の一間――といつても狹い家、行燈を一つ點けると、家中の用が足りさうです。
    「親分さん、聞いて居る者はありませんか」
    「大丈夫、かう見えても、御用聞の家は、いろ/\細工がしてある。小さい聲で話す分には、決して外へ洩れる心配はない。――尤も外に人間は二人居るが、お勝手で働いてゐるのは女房で、今取次に出たのは、子分の八五郎と言ふものだ。少し調子ツ外れだが、その代り内證の話を外へ漏らすやうな氣のきいた人間ぢやねえ」
     平次は碎けた調子でさう言つて、ひどく硬張つて居る相手の女の表情をほぐしてやらうとするのでした。
    「では申上げますが、實は親分さん、私は銀町の石井三右衞門の奉公人、町と申す者で御座いますが」
    「えツ」
     石井三右衞門といへば、諸大名方に出入りするお金御用達、何萬兩といふ大身代を擁して、町人ながら苗字帶刀を許されて居る大商人です。
    「主人の用事で、身にも命にも替へ難い大事の品を預かり、仔細あつて本郷妻戀坂に別居していらつしやる若旦那のところへ屆けるつもりで、其處まで參りますと、豫てこの品を狙つて居る者の姿を見かけました。――いえ、逢つたに仔細は御座いませんが、――私の後を跟けて來たところを見ると、どんなことをしてもこの品を奪ひ取るつもりに相違御座いません」
     お町は、かう言ひながら、抱へて來た風呂敷包を解きました。中から出て來たのは、少し古くなつた桐柾の箱で、その蓋を取ると、中に納めてあるのは、その頃明人の飛來一閑といふ者が作り始めて、大變な流行になつて來た一閑張の手筐。もとより高價なものですが、取出したのを見ると、虞美人草のやうな見事な朱塗り、紫の高紐を結んで、その上に、一々封印をした物々しい品です。
    「フーム」
     錢形の平次も、妙な壓迫感に唸るばかりでした。石井三右衞門の使といふのが一通りでない上、朱塗の一閑張の手筐で、すつかり毒氣を拔かれて了つたのでせう。このお町とかいふ確り者らしい年増の顏を、次の言葉を待つともなく眺めやるのでした。
    「丁度通り掛つたのは、お宅の前で御座います。捕物の名人と言はれながら、滅多に人を縛らないといふ義に勇む親分にお願ひして、この急場を凌がうとしたので御座います。後先も見ずに飛び込んで、何とも申譯御座いません」
     お町は改めて、嗜みの良い辭儀を一つしました。
    「で、何うしようと言ふのだえ、お町さんとやら」
    「この樣子では、とてもこの手筐を妻戀坂までは持つて參れません。さうかと言つて、この儘引返すと、一晩經たないうちに、盜まれることは判り切つて居ります。御迷惑でも親分さん、ほんの暫く、これを預つて置いて下さいませんでせうか」
    「それは困るな、お町さん。そんな大事なものを預つて萬一のことがあつては――」
     平次も驚きました。命がけで持つて來たらしいこの手筐を、そんなに輕々しく預つていゝものかどうか、全く見當も付かなかつたのです。
    「親分のところへ預つて置いて危ないものなら、何處へ置いても安心な處は御座いません。どうぞ、お願ひで御座います」
     折入つての頼み、平次もこの上は沒義道に突つ放されさうもありません。
    「それは預らないものでもないが、少しわけを話して貰はうか。中に何が入つてるか見當も付かず、後でどんなことになるかもわからないやうなことでは、どんなに暢氣な私でも心細い」
    「それでは、何も彼も申上げませう。親分さん、聞いて下さい、かういふわけで御座います」
    青空文庫より


  • 全編通し

    その3

    その2

    その1
    朗読カフェSTUDIO 萩柚月 朗読、岡本綺堂「指輪一つ」
    指輪一つ

    岡本綺堂

        一

    「あのときは実に驚きました。もちろん、僕ばかりではない、誰だって驚いたに相違ありませんけれど、僕などはその中でもいっそう強いショックを受けた一人で、一時はまったくぼうとしてしまいました。」と、K君は言った。座中では最も年の若い私立大学生で、大正十二年の震災当時は飛騨ひだの高山たかやまにいたというのである。

     あの年の夏は友人ふたりと三人づれで京都へ遊びに行って、それから大津のあたりにぶらぶらしていて、八月の二十日はつか過ぎに東京へ帰ることになったのです。それから真っ直ぐに帰ってくればよかったのですが、僕は大津にいるあいだに飛騨へ行った人の話を聞かされて、なんだか一種の仙境のような飛騨というところへ一度は踏み込んでみたいような気になって、帰りの途中でそのことを言い出したのですが、ふたりの友人は同意しない。自分ひとりで出かけて行くのも何だか寂しいようにも思われたので、僕も一旦は躊躇したのですが、やっぱり行ってみたいという料簡りょうけんが勝を占めたので、とうとう岐阜で道連れに別れて、一騎駈けて飛騨の高山まで踏み込みました。その道中にも多少のお話がありますが、そんなことを言っていると長くなりますから、途中の話はいっさい抜きにして、手っ取り早く本題に入ることにしましょう。
     僕が震災の報知を初めて聞いたのは、高山に着いてからちょうど一週間目だとおぼえています。僕の宿屋に泊まっていた客は、ほかに四組ありまして、どれも関東方面の人ではないのですが、それでも東京の大震災だというと、みな顔の色を変えておどろきました。町じゅうも引っくり返るような騒ぎです。飛騨の高山――ここらは東京とそれほど密接の関係もなさそうに思っていましたが、実地を踏んでみるとなかなかそうでない。ここらからも関東方面に出ている人がたくさんあるそうで、甲の家からは息子が出ている、乙の家からは娘が嫁に行っている。やれ、叔父がいる、叔母がいる、兄弟がいるというようなわけで、役場へ聞き合せに行く。警察へ駈け付ける。新聞社の前にあつまる。その周章と混乱はまったく予想以上でした。おそらく何処の土地でもそうであったでしょう。
     なにぶんにも交通不便の土地ですから、詳細のことが早く判らないので、町の青年団は岐阜まで出張して、刻々に新しい報告をもたらしてくる。こうして五、六日を過ぎるうちにまず大体の事情も判りました。それを待ちかねて町から続々上京する者がある。僕もどうしようかと考えたのですが、御承知の通り僕の郷里は中国で今度の震災にはほとんど無関係です。東京に親戚が二軒ありますが、いずれも山の手の郊外に住んでいるので、さしたる被害もないようです。してみると、何もそう急ぐにも及ばない。その上に自分はひどく疲労している。なにしろ震災の報知をきいて以来六日ばかりのあいだはほとんど一睡もしない、食い物も旨くない。東京の大部分が一朝にして灰燼に帰したかと思うと、ただむやみに神経が興奮して、まったく居ても立ってもいられないので、町の人たちと一緒になって毎日そこらを駈け廻っていた。その疲労が一度に打って出たとみえて、急にがっかりしてしまったのです。大体の模様もわかって、まず少しはおちついた訳ですけれども、夜はやっぱり眠られない。食慾も進まない。要するに一種の神経衰弱にかかったらしいのです。ついては、この矢さきに早々帰京して、震災直後の惨状を目撃するのは、いよいよ神経を傷つけるおそれがあるので、もう少しここに踏みとどまって、世間もやや静まり、自分の気も静まった頃に帰京する方が無事であろうと思ったので、無理におちついて九月のなかば頃まで飛騨の秋風に吹かれていたのでした。
    青空文庫より

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