西村俊彦

  • 中島敦「鏡花氏の文章」西村俊彦朗読

    13.97 Jul 23, 2017

    鏡花氏の文章

    中島敦

    日本には花の名所があるように、日本の文学にも情緒の名所がある。泉鏡花氏の芸術が即ちそれだ。と誰かが言って居たのを私は覚えている。併し、今時の女学生諸君の中に、鏡花の作品なぞを読んでいる人は殆んどないであろうと思われる。又、もし、そんな人がいた所で、そういう人はきっと今更鏡花でもあるまいと言うに違いない。にもかかわらず、私がここで大威張りで言いたいのは、日本人に生れながら、あるいは日本語を解しながら、鏡花の作品を読まないのは、折角の日本人たる特権を抛棄しているようなものだ。ということである。しかも志賀直哉氏のような作家は之を知らないことが不幸であると同様に、之を知ることも(少くとも文学を志すものにとっては)不幸であると(いささか逆説的ではあるが)言えるのだが、鏡花氏の場合は之と異る。鏡花氏の作品については之を知らないことは不幸であり、之を知ることは幸である。とはっきり言い切れるのである。ここに、氏の作品の近代的小説でない所以があり、又それが永遠に新しい魅力を有つ所以もある。
    鏡花氏こそは、まことに言葉の魔術師。感情装飾の幻術者。「芥子粒を林檎のごとく見すという欺罔けれんの器」と「波羅葦僧はらいその空をも覗く、伸び縮む奇なる眼鏡」とを持った奇怪な妖術師である。氏の芸術は一箇の麻酔剤であり、阿片であるともいえよう。
    事実、氏の芸術境は、日本文学中にあって特異なものであるばかりでなく、又世界文学中に於てもユニイクなものと言えるであろう。その神秘性に於て、ポオ(彼の科学性は全くなしとするも)にまさり、その縹渺たる情趣に於てはるかにホフマンを凌ぐものがあると考えるのは単なる私の思いすごしであろうか。空想的なるものの中の、最も空想的なもの、浪漫的なるものの中の、最も浪漫的なもの、情緒的(勿論日本的な)ものの中で、最も情緒的なもの、――それらが相寄り相集って、ここに幽艶・怪奇を極めた鏡花世界なるものを造り出す。其処では醜悪な現実はすべて、氏の奔放な空想の前に姿をひそめて、ただ、氏一箇の審美眼、もしくは正義観に照らされて、「美」あるいは「正」と思われるもののみが縦横に活躍する。そこに登場する女は、下女の末といえども、悉く、色が抜けるように白くなければならぬ。それは、全く、今の私達の眼から見て、時代錯誤に近い世界――髭の生えた官員様がえらかったり、色々な肩書が法外にものをいったりする世界――なのであるが、そういう時代錯誤的な観念さえもが(更に、氏の作品の構想の幼稚な不自然ささえも)ここでは「鏡花的な美」の不可欠の要素となっているのは不思議なことである。蝙蝠(湯女の魂)・蝦蟇・河童(飛剣幻なり)・蛭・猿(高野聖)等のかもし出す怪奇と、狭斜の巷に意気と張りとで生きて行く女性(婦系図のお蔦等・通夜物語の丁山・その他)純情の少女(婦系図のお妙・三枚続のお夏以下)勇み肌の兄哥(三枚続の愛吉)等のつくり出す情調と――この二つが、まぜあわされて、ここに、鏡花好みに統一された極楽浄土ともいうべき別乾坤ができ上るのである。読者は、それが、つくりもの――つくりものつくりもの、大変なつくりものなのだが――であることを、はじめは知っていながら、つい、うかうかと引ずりこまれて、いつの間にか、作者の夢と現実との境が分らなくなって了う。ここに氏の作品と、漱石の初期の作品――倫敦塔・幻影の盾・虞美人草等――との相違がある。これらの漱石の作品を読みながら読者は最後まで、それがつくりものであることを忘れないでいることができる。それが、鏡花氏の作品だと、読者は何時の間にか作者の夢の中にまきこまれていて、巻を終って、はじめてほっと息をついて、それが現実ではなかったことに気付くのである。思うにこれは、この二人の作家の才能の差ではなくして、その自らの夢に対する情熱の相違のしからしむるところであろう。
    所で、一体、阿片の快楽に慣れるためには、はじめ一方ならぬ不快と苦痛とを忍ばねばならぬという。しかも、一度それに慣れて了うと、今度は瞬時も離れられないほど、その愉楽にしばられて了うのであるという。丁度これと同様なことが鏡花氏の芸術についてもいえると私は考える。鏡花世界なる秘境に到達するためには先ず、その「表現の晦渋」という難関を突破しなければならない。これを通過しなければ、鏡花世界なる別乾坤は、ついに、覗くことができないのである。実際、氏の表現は奇峭であり、晦渋である。『凧刻んで夜の壁に描き得た我が霊妙なる壁画を瞬く間に擾して、越後獅子の譜の影は蠅になって舞踏する。蚯蚓も輪に刎ね蚰蜒ゲジゲジは反って踊る。』(隣の糸)なぞという文章にあっては、全くはじめての人は面喰うであろう。この表現の奇矯という点に於て、氏はまた後の大正時代になって現われた新感覚派なるものと一脈相通ずる所がある。大体、新感覚派といっても、その狙う所は「外界の刺戟を感受する方法の新しさ」というよりは、むしろ、「その感覚の表現法の新しさ」にあるように思われる。単に感覚の清新という点から見れば、文学史を遥かに遡って、「削り氷にあまづら入れて、新しき鋺に入れたる。水晶の数珠・藤の花・梅の花に雪の降りかゝりたる。いみじう美しき稚児の覆盆子など喰ひたる。」を「あてなる物」と見た枕草子の作者なぞも、立派な新感覚派だと思う。雑誌「文芸時代」に拠った新感覚派は、むしろ奇矯なる表現のみを重視していた。事実的には、表現法に努力することによって、逆に、そのもととなるべき感覚の尖鋭化への修練が積まれて行ったようである。
    「雄蘂の弓が新月のように青空へ矢を放った。」……「春景色」(川端康成)
    「栗毛の馬の平原は狂人をのせてうねりながら、黒い地平線をつくって、潮のように没落へと溢れて行った。」……「ナポレオンと田虫」(横光利一)
    鏡花氏も、単に、その感覚の新鮮と表現の斬新とから見るならば、決して、之等の新感覚派の人々に劣らないのである。
    『時雨に真蒼なのは蒼鬣魚かわはぎの鰭である。形は小さいが、三十枚ばかりずつ幾山にも並べた、あの暗灰色の菱形の魚を三角形に積んで、下積になったのは軒下の石に藍を流して、上の方は浜の砂をざらざらとそのままだから、海の底のピラミッドを影で覗く鮮しさがある。』(卵塔場の天女)
    『汽車はもう遠くの方で、名物焼蛤の白い煙を夢のように月下に吐いて、真蒼な野路を光って通る。』(歌行燈)なぞ、以下例を挙げれば限りもないが、決して新感覚派の人達に比して遜色ないと思われる。但し、横光氏等の当時の作品には、鏡花氏には見られない、作品全体の(もしくは、その中の一つの情景の)構成それ自らの中の新しさというものがあった。
    『父が突然死んで了った。私は海峡を渡るとバナナを四日間たべつづけて、まだ知らぬ街まで出かけて行った。母は、とある街角の三角形の奇怪な硝子張りの家の中で、ひとり、机のようにぼんやりと坐っていた。』「青い大尉」(横光利一)
    これは作者の現実を見る眼の相違からくるものであって、文学史的に考えて見て、表現派の洗礼を受けた新感覚派に之が見られ、表現派以前である鏡花氏に之が見られないのは当然のことである。
    併しながら、その新感覚派の作家達がわずか数年にして、その奇矯なる表現法を捨てて了った(あるいは、それを使いこなす力がなくなって了った。)に対して、鏡花氏は実に三十年一日の如く、その独自の表現法を固守して益々その精彩を加えてきているのである。これは、新感覚派の諸作家の表現法が、単なる一時の雷同ひょっとした思いつき、に止っていたのに反して(横光氏などの場合は、そうとばかりも言いきれないが)鏡花氏のそれが、何よりも、氏自身の中から生れた、身についた表現法であることの証拠であろう、と私は思う。実にかくの如く突兀・奇峭にして、又絢爛を極めた言葉の豪奢な織物でなくては、とても、氏の内なる美しい幻想を――奇怪な心象風景を――写し出すことは出来ないのである。氏の文章は、だから、他人の眼には如何に奇怪にうつろうとも、氏自らにとっては、他の何物をもっても之にかえることのできない、唯一無二の表現術なのである。かかる作者自身の感情や感覚の裏打ちがあればこそ、氏の文章は、かくも人をひきつけるのである。単なる、きまぐれ思いつきだけであったなら、三十年の長い年月の間に必ずや、化の皮を現わしたことに違いないと、私は考えるのである。

  • 中島敦「十年」西村俊彦朗読

    5.22 Jul 14, 2017

    十年前、十六歳の少年の僕は学校の裏山に寝ころがって空を流れる雲を見上げながら、「さて将来何になったものだろう。」などと考えたものです。大文豪、結構。大金持、それもいい。総理大臣、一寸ちょっとわるくないな。全くこの中のどれにでもぐになれそうな気でいたんだから大したものです。所でこれらの予想のほかに、その頃の僕にはもう一つ、極めて楽しい心秘かなのぞみがありました。それは「仏蘭西フランスへ行きたい。」ということなのです。別に何をしに、というんでもない、ただ遊びに行きたかったのです。何故特別に仏蘭西をえらんだかといえば、恐らくそれはこの仏蘭西という言葉の響きが、今でもこの国の若い人々の上にもっている魅力のせいでもあったでしょうが、又同時に、その頃、私の読んでいた永井荷風の「ふらんす物語」と、これは生田春月だか上田敏だかの訳の「ヴェルレエヌ」の影響でもあったようです。顔中到る所に吹出した面皰にきびをつぶしながら、分ったような顔をして、ヴェルレエヌの邦訳などを読んでいたんですから、全く今から考えてもさぞ鼻持のならない、「いやみ」な少年だったでしょうが、でもその頃は大真面目で「巷に雨の降る如く我の心に涙」を降らせていたわけです。そういうわけで、僕は仏蘭西へ――わけても、この「よひどれ」の詩人が、そこの酒場でアプサンをあおり、そこのマロニエの並木の下を蹣跚ばんさんとよろめいて行った、あのパリへ行きたいと思ったのです。シャンゼリゼエ、ボア・ド・ブウロンニュ、モンマルトル、カルチェ・ラタン、……学校の裏山に寝ころんで空を流れる雲を見上げながら幾度僕はそれらの上に思いを馳せたことでしょう。
    さて、それから春風秋雨、ここに十年の月日が流れました。かつて抱いた希望の数々は顔の面皰と共に消え、昔は遠く名のみ聞いていたムウラン・ルウジュと同名の劇団が東京に出現した今日、横浜は南京町のアパアトでひとり佗しく、くすぶっている僕ですが、それでも、たまに港の方から流れてくる出帆の汽笛の音を聞く時などは、さすがに、その昔の、夢のような空想を思出して、懐旧の情に堪えないようなこともあるのです。そういう時、机の上に拡げてある書物には意地悪くも、こんな文句が出ていたりする。

    ふらんすへ行きたしと思へど
    ふらんすはあまりに遠し
    せめては新しき背広を着て
    気ままなる旅にいでてみん……

    「ははあ、この詩人も御多分に洩れず、あまり金持でないと見えるな。」と、そう思いながら僕も滅入った気持を引立てようとこの詩人にならって、(仏蘭西へ行けない腹癒はらいせに、)せめては新しき背広なりと着て、――いや冗談じゃない、そんな贅沢ができるものか。せめては新しき帽子――いや、それでもまだ贅沢すぎる。ええ、せめては新しきネクタイ位で我慢しておいて、さて、財布の底を一度ほじくりかえして見てから、散歩にと出掛けて行くのです。丁度ちょうど、十年前憶えたヴェルレエヌの句そのまま、「秋の日のヴィヲロンの、溜息の身にしみて、ひたぶるにうらがなしい」気持にみたされながら。

    青空文庫より

  • 中島敦「悟浄出世」西村俊彦朗読

    73.30 Jul 03, 2017

    寒蝉敗柳かんせんはいりゅうに鳴き大火西に向かいて流るる秋のはじめになりければ心細くも三蔵さんぞうは二人の弟子にいざなわれ嶮難けんなんしのぎ道を急ぎたもうに、たちまち前面に一条の大河あり。大波湧返わきかえりて河の広さそのいくばくという限りを知らず。岸に上りて望み見るときかたわらに一つの石碑あり。上に流沙河りゅうさがの三字を篆字てんじにて彫付け、表に四行の小楷字かいじあり。
    八百流沙界はちひゃくりゅうさのかい
    三千弱水深さんぜんじゃくすいふかし
    鵞毛飄不起がもうただよいうかばず
    蘆花定底沈ろかそこによどみてしずむ

    ――西遊記――

    そのころ流沙河りゅうさがの河底にんでおった妖怪ばけものの総数およそ一万三千、なかで、かればかり心弱きはなかった。かれに言わせると、自分は今までに九人の僧侶そうりょった罰で、それら九人の骸顱しゃれこうべが自分のくび周囲まわりについて離れないのだそうだが、他の妖怪ばけものらには誰にもそんな骸顱しゃれこうべは見えなかった。「見えない。それは※(「にんべん+爾」、第3水準1-14-45)おまえの気の迷いだ」と言うと、かれは信じがたげな眼で、一同を見返し、さて、それから、なぜ自分はこうみんなと違うんだろうといったふうな悲しげな表情に沈むのである。他の妖怪ばけものらは互いに言合うた。「あいつは、僧侶そうりょどころか、ろくに人間さえったことはないだろう。誰もそれを見た者がないのだから。ふなざこを取って喰っているのなら見たこともあるが」と。また彼らはかれ綽名あだなして、独言悟浄どくげんごじょうと呼んだ。かれが常に、自己に不安を感じ、身を切刻む後悔にさいなまれ、心の中で反芻はんすうされるそのかなしい自己苛責かしゃくが、ついひとり言となってれるがゆえである。遠方から見ると小さなあわかれの口から出ているにすぎないようなときでも、実は彼がかすかな声でつぶやいているのである。「おれはばかだ」とか、「どうして俺はこうなんだろう」とか、「もうだめだ。俺は」とか、ときとして「俺は堕天使だてんしだ」とか。
    当時は、妖怪に限らず、あらゆる生きものはすべて何かの生まれかわりと信じられておった。悟浄がかつて天上界てんじょうかい霊霄殿りょうしょうでん捲簾けんれん大将を勤めておったとは、この河底で誰言わぬ者もない。それゆえすこぶる懐疑的な悟浄自身も、ついにはそれを信じておるふりをせねばならなんだ。が、実をいえば、すべての妖怪ばけものの中でかれ一人はひそかに、生まれかわりの説に疑いをもっておった。天上界で五百年前に捲簾大将をしておった者が今の俺になったのだとして、さて、その昔の捲簾大将と今のこの俺とが同じものだといっていいのだろうか? 第一、俺は昔の天上界のことを何一つ記憶してはおらぬ。その記憶以前の捲簾大将と俺と、どこが同じなのだ。身体からだが同じなのだろうか? それとも魂が、だろうか? ところで、いったい、魂とはなんだ? こうした疑問をかれらすと、妖怪ばけものどもは「また、始まった」といってわらうのである。あるものは嘲弄ちょうろうするように、あるものは憐愍れんびんの面持ちをもって「病気なんだよ。悪い病気のせいなんだよ」と言うた。

    青空文庫より

  • 渡辺温「シルクハット」西村俊彦 萩柚月 二宮隆朗読

    シルクハット

    渡辺温

     私も中村も給料が十円ずつ上がった。
    私は私のかぶり古した山高帽子を中村に十円で譲って、そしてそれに十五円足して、シルクハットを買った。
    青年時代に一度、シルクハットをかぶってみたい――と、私は永いことそう思っていた。シルクハットのもつ贅沢な[#「贅沢な」は底本では「贄沢な」]気品を、自分の頭の上に載せて見たくてたまらなかった。
    私は天鵞絨びろうどの小さなクッションで幾度もシルクハットのけばを撫でた。帽子舗の店さきの明るい花電燈を照り返している鏡の中で、シルクハットは却々なかなかよく私に似合った。
    また中村は自分の古ぼけた黒羅紗の帽子をカバンの中へおし込んで、山高帽子を冠った。ムッソリニのような顔に見えた。
    私共は、それから、行きつけの港の、砂浜にあるパブリック・ホテルへ女を買いに出かけた。その日は私共の給料日で私共は乏しい収入をさいて、月にたった一度だけ女を楽しむことにきめていたのである。
    シルクハットは果してホテルの女たちをおどろかした。私の女はとりわけ眼を瞠って、むしろドギマギしたように私を見た。彼女は一月の中に見違うばかり蒼くやつれてしまっていた。もとから病気持ちらしい彼女だったので、屹度ひどい病いでもしたのであろう。
    彼女は私と共に踊りながら、息を切らして、果は身慄いした。私はそれで、すぐに踊るのをやめることにした。小さい女は私の膝に腰かけた。
    「苦しそうだね。」と私はきいてみた。
    「もうよろしいの。――でも、死ぬかも知れませんわ。」女は嗄がれた声で答えた。
    中村は、なじみの男刈りにした肥っちょの娘と、独逸麦酒ドイツビールをしこたま飲んだあとで、アルゼンチン・タンゴを怪しげな身振りで踊っていた。その娘は眉根の※(「山+険のつくり」、第3水準1-47-78)しい悪党みたいな人相だったが、中村はいっそそこが気に入ったと云うのであった。
    寝室に入る前に、私達はめいめい金を払う。
    私は紙入れを女の目の前で、いっぱい開けて見せながら「今夜は未だ大分金があるぞ。」と云った。月々の部屋代と食費と洋服代との全部であった。女は背のびをして、紙幣の数をのぞきこむと、「まあ――」と云って笑った。
    女は少しばかり元気になったのかも知れなかった。
    女の部屋に入って、寝る時、女は枕元の活動役者の写真をべたべた貼りつけた壁に、私のシルクハットをそっと掛けて、そしてさて手を合せて拝む真似をした。シルクハットの地と云うものは、物がふれると直ぐケバ立ってしまうので、女は非常にこわごわと取扱わなければならなかった。

  • 芥川龍之介「カルメン」西村俊彦 岡田慎平 二宮隆朗読

    カルメン

    芥川龍之介

     革命ぜんだったか、革命後だったか、――いや、あれは革命前ではない。なぜまた革命前ではないかと言えば、僕は当時小耳こみみはさんだダンチェンコの洒落しゃれを覚えているからである。
    ある蒸し暑いあまもよいの、舞台監督のT君は、帝劇ていげき露台バルコニーたたずみながら、炭酸水たんさんすいのコップを片手に詩人のダンチェンコと話していた。あの亜麻色あまいろの髪の毛をした盲目もうもく詩人のダンチェンコとである。
    「これもやっぱり時勢ですね。はるばる露西亜ロシアのグランド・オペラが日本の東京へやって来ると言うのは。」
    「それはボルシェヴィッキはカゲキ派ですから。」
    この問答のあったのは確か初日から五日いつか目の晩、――カルメンが舞台へ登った晩である。僕はカルメンにふんするはずのイイナ・ブルスカアヤに夢中になっていた。イイナは目の大きい、小鼻の張った、肉感の強い女である。僕は勿論カルメンにふんするイイナをることを楽しみにしていた、が、第一幕が上ったのを見ると、カルメンに扮したのはイイナではない。水色の目をした、鼻の高い、なんとか云う貧相ひんそうな女優である。僕はT君と同じボックスにタキシイドの胸を並べながら、落胆らくたんしないわけには行かなかった。
    「カルメンは僕等のイイナじゃないね。」
    「イイナは今夜は休みだそうだ。その原因がまたすこぶるロマンティックでね。――」
    「どうしたんだ?」
    なんとか云う旧帝国の侯爵こうしゃくが一人、イイナのあとを追っかけて来てね、おととい東京へ着いたんだそうだ。ところがイイナはいつのまにか亜米利加アメリカ人の商人の世話になっている。そいつを見た侯爵は絶望したんだね、ゆうべホテルの自分の部屋で首をくくって死んじまったんだそうだ。」
    僕はこの話を聞いているうちに、ある場景じょうけいを思い出した。それはけたホテルの一室に大勢おおぜい男女なんにょかこまれたまま、トランプをもてあそんでいるイイナである。黒と赤との着物を着たイイナはジプシイうらないをしていると見え、T君にほほみかけながら、「今度はあなたのうんを見て上げましょう」と言った。(あるいは言ったのだと云うことである。ダア以外の露西亜ロシア語を知らない僕は勿論十二箇国の言葉に通じたT君に翻訳して貰うほかはない。)それからトランプをまくって見たのち、「あなたはあの人よりも幸福ですよ。あなたの愛する人と結婚出来ます」と言った。あの人と云うのはイイナの側に誰かと話していた露西亜ロシア人である。僕は不幸にも「あの人」の顔だの服装だのを覚えていない。わずかに僕が覚えているのは胸にしていた石竹せきちくだけである。イイナの愛を失ったために首をくくって死んだと云うのはあの晩の「あの人」ではなかったであろうか?……
    「それじゃ今夜は出ないはずだ。」
    い加減に外へ出て一杯いっぱいやるか?」
    T君も勿論イイナ党である。
    「まあ、もう一幕見て行こうじゃないか?」
    僕等がダンチェンコと話したりしたのは恐らくはこの幕合まくあいだったのであろう。
    次の幕も僕等には退屈だった。しかし僕等が席についてまだ五分とたたないうちに外国人が五六人ちょうど僕等の正面に当る向う側のボックスへはいって来た。しかも彼等のまっ先に立ったのはまぎれもないイイナ・ブルスカアヤである。イイナはボックスの一番前に坐り、孔雀くじゃくの羽根の扇を使いながら、悠々と舞台を眺め出した。のみならず同伴の外国人の男女なんにょと(その中には必ず彼女の檀那だんなの亜米利加人もまじっていたのであろう。)愉快そうに笑ったり話したりし出した。
    「イイナだね。」
    「うん、イイナだ。」
    僕等はとうとう最後の幕まで、――カルメンの死骸しがいようしたホセが、「カルメン! カルメン!」と慟哭どうこくするまで僕等のボックスを離れなかった。それは勿論舞台よりもイイナ・ブルスカアヤを見ていたためである。この男を殺したことを何とも思っていないらしい露西亜のカルメンを見ていたためである。

    ×          ×          ×

    それから二三日たったある晩、僕はあるレストランの隅にT君とテエブルを囲んでいた。
    「君はイイナがあの晩以来、確か左の薬指くすりゆび繃帯ほうたいしていたのに気がついているかい?」
    「そう云えば繃帯していたようだね。」
    「イイナはあの晩ホテルへ帰ると、……」
    駄目だめだよ、君、それを飲んじゃ。」
    僕はT君に注意した。薄い光のさしたグラスの中にはまだ小さい黄金虫こがねむしが一匹、仰向あおむけになってもがいていた。T君は白葡萄酒しろぶどうしゅゆかへこぼし、妙な顔をしてつけ加えた。
    「皿を壁へ叩きつけてね、そのまた欠片かけらをカスタネットの代りにしてね、指から血の出るのもかまわずにね、……」
    「カルメンのように踊ったのかい?」
    そこへ僕等の興奮とは全然つり合わない顔をした、頭の白い給仕が一人、静にさけの皿を運んで来た。……

  • 泉鏡太郎「鳥影」西村俊彦朗読

  • 中島敦「盈虚」西村俊彦朗読

    盈虚

    中島敦

     えいの霊公の三十九年と云う年の秋に、太子※(「萠+りっとう」、第3水準1-91-14)※(「耳+貴」、第4水準2-85-14)かいがいが父の命を受けてせいに使したことがある。みちに宋の国を過ぎた時、畑に耕す農夫共が妙な唄を歌うのを聞いた。

    既定爾婁豬
    盍帰吾艾※(「豕+暇のつくり」、第4水準2-89-3)
    牝豚はたしかに遣った故
    早く牡豚を返すべし

    衛の太子はこれを聞くと顔色を変えた。思い当ることがあったのである。
    父・霊公の夫人(といっても太子の母ではない)南子なんしは宋の国から来ている。容色よりもむしの才気で以てすっかり霊公をまるめ込んでいるのだが、此の夫人が最近霊公に勧め、宋から公子朝という者を呼んで衛の大夫に任じさせた。宋朝は有名な美男である。衛に嫁ぐ以前の南子と醜関係があったことは、霊公以外の誰一人として知らぬ者は無い。二人の関係は今衛の公宮で再び殆どおおっぴらに続けられている。宋の野人の歌うた牝豚牡豚とは、疑いもなく、南子と宋朝とを指しているのである。
    太子は斉から帰ると、側臣の戯陽速ぎようそくを呼んで事をはかった。翌日、太子が南子夫人に挨拶に出た時、戯陽速は既に匕首あいくちを呑んで室の一隅の幕の陰に隠れていた。さりげなく話をしながら太子は幕の陰に目くばせをする。急に臆したものか、刺客は出て来ない。三度合図をしても、ただ黒い幕がごそごそ揺れるばかりである。太子の妙なそぶりに夫人は気が付いた。太子の視線を辿り、室の一隅に怪しい者の潜んでいるを知ると、夫人は悲鳴を挙げて奥へ跳び込んだ。其の声に驚いて霊公が出て来る。夫人の手を執って落着けようとするが、夫人は唯狂気のように「太子がわたしを殺します。太子が妾を殺します」と繰返すばかりである。霊公は兵を召して太子を討たせようとする。其の時分には太子も刺客もうに都を遠く逃げ出していた。
    宋にはしり、続いてしんに逃れた太子※(「萠+りっとう」、第3水準1-91-14)※(「耳+貴」、第4水準2-85-14)かいがいは、人毎に語って言った。淫婦刺殺という折角せっかくの義挙も臆病な莫迦ばか者の裏切によって失敗したと。これも矢張衛から出奔した戯陽速が此の言葉を伝え聞いて、う酬いた。とんでもない。こちらの方こそ、すんでの事に太子に裏切られる所だったのだ。太子は私を脅して、自分の義母を殺させようとした。承知しなければ屹度きっと私が殺されたに違いないし、もし夫人を巧く殺せたら、今度は必ず其の罪をなすりつけられるに決っている。私が太子の言を承諾して、しかも実行しなかったのは、深謀遠慮の結果なのだと。

  • 中島敦「妖氛録」西村俊彦朗読

  • 西村俊彦田中智之朗読「指輪」江戸川乱歩

    A 失礼ですが、いつかも汽車で御一緒になった様ですね。
    B これは御見おみそれ申しました。そういえば、私も思い出しましたよ。やっぱりこの線でしたね。
    A あの時は飛んだ御災難でした。
    B いや、お言葉で痛み入ります。私もあの時はどうしようかと思いましたよ。
    A あなたが、私の隣の席へいらしったのは、あれはK駅を過ぎて間もなくでしたね。あなたは、一袋の蜜柑みかんを、スーツケースと一緒に下げて来られましたね。そしてその蜜柑を私にも勧めて下さいましたっけね。……実を申しますとね。私は、あなたを変に慣れ慣れしい方だと思わないではいられませんでしたよ。
    B そうでしょう、私はあの日はほんとうにどうかしていましたよ。
    A そうこうしている内に、隣の一等車の方から、興奮した人達がドヤドヤと這入はいって来ましたね。そして、その内の一人の貴婦人が一緒にやって来た車掌にあなたの方を指して何かささやきましたね。
    B あなたはよく覚えていらっしゃる、車掌に「一寸ちょっと君、失敬ですが」と云われた時には変な気がしましたよ。よく聞いて見ると、私はその貴婦人のダイヤの指環ゆびわったてんですから、驚きましたね。
    A でも、あなたの態度は中々お立派でしたよ。「馬鹿な事をってはいけない。そりゃ人違いだろう。何なら私の身体をしらべて見るがいい」なんて、一寸あれけの落着いた台詞せりふは云えないもんですよ。
    B おだてるもんじゃありません。
    A 車掌なんてものは、ああした事に慣れていると見えて、中々抜目なく検査しましたっけね。貴婦人の旦那という男も、うるさくあなたの身体をおもちゃにしたじゃありませんか。でも、あんなに厳重に検べても、とうとう品物は出ませんでしたね、みんなのあやまり様たらありませんでした。ほんとに痛快でした。
    B 疑いがはれても、乗客が皆、妙な目附で私の方を見るのには閉口しました。
    A しかし、不思議ですね。とうとうあの指環は出て来なかったというじゃありませんか。どうも、不思議ですね。
    B …………
    A …………
    B ハハハハハハ。オイ、いい加減にしらばくれっこは止そうじゃねえか。この通り誰も聞いているものはいやしねえ。いつまでも、左様然さようしからばでもあるまいじゃないか。
    A フン、ではやっぱりそうだったのかね。
    B おめえも中々隅へは置けないよ。あの時、俺がソッと窓から投げ出した蜜柑のことを一言も云わないで、見当をつけて置いて、後から拾いに出掛けるなんざあ、どうして、玄人くろうとだよ。
    A 成程、俺は随分すばしっこく立廻った積りだ。それが、ちゃんとおめえに先手を打たれているんだからかなわねえ。俺が拾ったのはただの腐れ蜜柑が五つよ。
    B 俺が窓から投げたのも五つだったぜ。
    A 馬鹿云いねえ。あの五つは皆無傷だった。指環を抜き取った跡なんかありゃしなかったぜ。いわくつきの奴あ、ちゃんとおめえが先廻りして拾っちまったんだろう。
    B ハハハハハハ。はからんや、そうじゃねえんだからお笑い草だ。
    A オヤ、これはおかしい。じゃ、何の為にあの蜜柑を窓からほうり出したんだね。
    B まあ考えても見ねえ。折角せっかく命懸けで頂戴した品物をよ。仮令たとい蜜柑の中へ押込んだとしてもよ。誰に拾われるか分りもしねえ線路のわきなぞへ抛られるものかね。おめえがノコノコ拾いに行くまで元の所に落ちていたなぞは、飛んだ不思議と云うもんだ。
    A それじゃやっぱり蜜柑を抛った訳が分らないじゃないか。
    B まあ聞きねえ、こういう訳だ。あの時は少々どじを踏んでね、亭主野郎に勘ぐられてしまったものだから、こいつは危いと大慌てに慌てて逃げ出したんだ。どうする暇もありゃしねえ。だが、おめえの隣の席まで来て様子を見ると、急に追っかけて来る様でもねえ。さては車掌に知らせているんだな、こいつは愈々いよいよ油断がならねえと気が気じゃないんだが、さて一件の物をどう始末したらいいのか、咄嗟の場合で日頃自慢の智慧も出ねえ。恥しい話だが、ただもうイライラしちまってね。
    A なる程。
    B すると、フッとうまい事を考えついたんだ。というのが、例の蜜柑の一件さ。よもやおめえが、あれを見て黙っていようたあ思わなかったんだ。きっと手柄顔てがらがお吹聴ふいちょうするに違いない。そうして俺が蜜柑の袋を投げたと分りゃ、皆の頭がそっちへ向かうというもんじゃねえか。蜜柑の中へ品物をしのばせて置いて後から拾いに行くなんざあ古い手だからね。誰だって感づかあね。そうなるてえと、仮令検べるにしてからが、この男はもう品物を持っちゃいねえと云う頭で検べるんだから、自然おろそかにもなろうてもんだ。ね、分ったかね。
    A 成程、考えやがったな。こいつあ一杯喰わされたね。
    B ところが、おめえが知って居ながらなんとも云い出さねえ。今に云うか今に云うかと待ち構えていても、ウンともスンとも口を利かねえ。とうとう身体検査の段取りになっても、まだ黙っていやあがる。俺あ「さては」と思ったね「こいつは飛んだ食わせものだぞ。このままソッとして置いて、後から拾いに行こうと思っていやがる」あの場合だが、俺あおかしくなったね。
    A フフン、ざまあねえ……だが待ちねえ。するってえと、おめえはあれを一体どこへ隠したんだね。車掌の奴随分際どい所まで検べやあがった。口の中から耳の穴までくまなく検べたが、でも、とうとう見つからなかったじゃないか。
    B お前も随分お目出度めでてえ野郎だな。
    A はてね。こいつは面妖めんようだね。こうなるてえと、俺あどうも聞かずにゃ置かれねえ。そう勿体ぶらねえで、後学の為に御伝授に預かり度いもんだね。
    B ハハハ……まあいいよ。
    A よかあねえ、そうらすもんじゃねえやな。俺にゃどうも本当とは受取れねえからな。
    B 嘘だと思われちゃしゃくだから、じゃ話すがね。怒っちゃいけないよ。実はね、おめえが腰に下げていた煙草たばこ入れの底へソッとしのばせて置いたのさ。それにしても、あの時お前の身体はまるで隙だらけだったぜ。ハハハハハハ、エ、いつその指環を取戻したかって、いうまでもねえ、おめえが、早く蜜柑を拾いに行こうと、大慌てで開札口を出る時によ。

  • 西村俊彦朗読「名人伝」中島敦

    名人伝

    中島敦

    ちょう邯鄲かんたんの都に住む紀昌きしょうという男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた。おのれの師とたのむべき人物を物色するに、当今弓矢をとっては、名手・飛衛ひえいおよぶ者があろうとは思われぬ。百歩をへだてて柳葉りゅうようを射るに百発百中するという達人だそうである。紀昌は遥々はるばる飛衛をたずねてその門に入った。
    飛衛は新入の門人に、まずまたたきせざることを学べと命じた。紀昌は家に帰り、妻の機織台はたおりだいの下にもぐんで、そこに仰向あおむけにひっくり返った。とすれすれに機躡まねきが忙しく上下往来するのをじっと瞬かずに見詰みつめていようという工夫くふうである。理由を知らない妻は大いにおどろいた。第一、みょうな姿勢を妙な角度から良人おっとのぞかれては困るという。いやがる妻を紀昌はしかりつけて、無理に機を織り続けさせた。来る日も来る日もかれはこの可笑おかしな恰好かっこうで、瞬きせざる修練を重ねる。二年ののちには、あわただしく往返する牽挺まねき睫毛まつげかすめても、絶えて瞬くことがなくなった。彼はようやく機の下から匍出はいだす。もはや、鋭利えいりきりの先をもってまぶたかれても、まばたきをせぬまでになっていた。不意にが目に飛入ろうとも、目の前に突然とつぜん灰神楽はいかぐらが立とうとも、彼は決して目をパチつかせない。彼の瞼はもはやそれを閉じるべき筋肉の使用法を忘れ果て、夜、熟睡じゅくすいしている時でも、紀昌の目はカッと大きく見開かれたままである。ついに、彼の目の睫毛と睫毛との間に小さな一ぴき蜘蛛くもをかけるに及んで、彼はようやく自信を得て、師の飛衛にこれを告げた。
    それを聞いて飛衛がいう。瞬かざるのみではまだしゃを授けるに足りぬ。次には、ることを学べ。視ることに熟して、さて、小を視ること大のごとく、を見ることちょのごとくなったならば、きたって我に告げるがよいと。
    紀昌は再び家にもどり、肌着はだぎ縫目ぬいめからしらみを一匹探し出して、これをおのかみの毛をもってつないだ。そうして、それを南向きの窓にけ、終日にららすことにした。毎日毎日彼は窓にぶら下った虱を見詰める。初め、もちろんそれは一匹の虱に過ぎない。二三日たっても、依然いぜんとして虱である。ところが、十日余り過ぎると、気のせいか、どうやらそれがほんの少しながら大きく見えて来たように思われる。三月目みつきめの終りには、明らかにかいこほどの大きさに見えて来た。虱をるした窓の外の風物は、次第に移り変る。煕々ききとして照っていた春のはいつかはげしい夏の光に変り、んだ秋空を高くがんわたって行ったかと思うと、はや、寒々とした灰色の空からみぞれが落ちかかる。紀昌は根気よく、毛髪もうはつの先にぶら下った有吻類ゆうふんるい催痒性さいようせいの小節足動物を見続けた。その虱も何十匹となく取換とりかえられて行くうちに、早くも三年の月日が流れた。ある日ふと気が付くと、窓の虱が馬のような大きさに見えていた。めたと、紀昌はひざを打ち、表へ出る。彼は我が目を疑った。人は高塔こうとうであった。馬は山であった。ぶたおかのごとく、※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)城楼じょうろうと見える。雀躍じゃくやくして家にとって返した紀昌は、再び窓際の虱に立向い、燕角えんかくゆみ朔蓬さくほう※(「竹かんむり/幹」、第3水準1-89-75)やがらをつがえてこれを射れば、矢は見事に虱の心の臓をつらぬいて、しかも虱を繋いだ毛さえれぬ。
    紀昌は早速さっそく師のもとおもむいてこれを報ずる。飛衛は高蹈こうとうして胸を打ち、初めて「出かしたぞ」とめた。そうして、直ちに射術の奥儀秘伝おうぎひでんあますところなく紀昌に授け始めた。
    目の基礎訓練に五年もかけた甲斐かいがあって紀昌の腕前うでまえの上達は、驚くほど速い。
    奥儀伝授が始まってから十日の後、試みに紀昌が百歩を隔てて柳葉を射るに、すでに百発百中である。二十日の後、いっぱいに水をたたえたさかずきを右ひじの上にせて剛弓ごうきゅうを引くに、ねらいにくるいの無いのはもとより、杯中の水も微動だにしない。一月ひとつきの後、百本の矢をもって速射を試みたところ、第一矢がまとあたれば、続いて飛来った第二矢は誤たず第一矢のやはずに中って突きさり、さらに間髪を入れず第三矢のやじりが第二矢の括にガッシとい込む。矢矢しし相属し、発発はつはつ相及んで、後矢の鏃は必ず前矢の括に喰入るが故に、絶えて地にちることがない。瞬く中に、百本の矢は一本のごとくに相連なり、的から一直線に続いたその最後の括はなおげんふくむがごとくに見える。傍で見ていた師の飛衛も思わず「善し!」と言った。
    二月ふたつきの後、たまたま家に帰って妻といさかいをした紀昌がこれをおどそうとて烏号うごうの弓に※(「棊」の「木」に代えて「糸」、第3水準1-90-9)きえいの矢をつがえきりり引絞ひきしぼって妻の目を射た。矢は妻の睫毛三本を射切ってかなたへ飛び去ったが、射られた本人は一向に気づかず、まばたきもしないで亭主ていしゅののしり続けた。けだし、彼の至芸による矢の速度と狙いの精妙さとは、実にこの域にまで達していたのである。