坂口安吾

  • 萩柚月朗読「夜長姫と耳男」その1坂口安吾

    萩柚月朗読「夜長姫と耳男」その2坂口安吾

    夜長姫と耳男 坂口安吾 その3朗読萩柚月

    坂口安吾「夜長姫と耳男」4萩柚月朗読

    坂口安吾「夜長姫と耳男5」朗読萩柚月

    坂口安吾「夜長姫と耳男」六萩柚月朗読

    夜長姫と耳男

    坂口安吾

    オレの親方はヒダ随一の名人とうたわれたタクミであったが、夜長の長者に招かれたのは、老病で死期の近づいた時だった。親方は身代りにオレをスイセンして、
    「これはまだ二十の若者だが、小さいガキのころからオレの膝元に育ち、特に仕込んだわけでもないが、オレが工夫の骨法は大過なく会得している奴です。五十年仕込んでも、ダメの奴はダメのものさ。青笠アオガサ古釜フルカマにくらべると巧者ではないかも知れぬが、力のこもった仕事をしますよ。宮を造ればツギ手や仕口にオレも気附かぬ工夫を編みだしたこともあるし、仏像を刻めば、これが小僧の作かと訝かしく思われるほど深いイノチを現します。オレが病気のために余儀なく此奴を代理に差出すわけではなくて、青笠や古釜と技を競って劣るまいとオレが見込んで差出すものと心得て下さるように」
    きいていてオレが呆れてただ目をまるくせずにいられなかったほどの過分の言葉であった。
    オレはそれまで親方にほめられたことは一度もなかった。もっとも、誰をほめたこともない親方ではあったが、それにしても、この突然のホメ言葉はオレをまったく驚愕させた。当のオレがそれほどだから、多くの古い弟子たちが親方はモウロクして途方もないことを口走ってしまったものだと云いふらしたのは、あながち嫉みのせいだけではなかったのである。
    夜長の長者の使者アナマロも兄弟子たちの言い分に理があるようだと考えた。そこでオレをひそかに別室へよんで、
    「お前の師匠はモウロクしてあんなことを云ったが、まさかお前は長者の招きに進んで応じるほど向う見ずではあるまいな」
    こう云われると、オレはムラムラと腹が立った。その時まで親方の言葉を疑ったり、自分の腕に不安を感じていたのが一時に掻き消えて、顔に血がこみあげた。
    「オレの腕じゃア不足なほど、夜長の長者は尊い人ですかい。はばかりながら、オレの刻んだ仏像が不足だという寺は天下に一ツもない筈だ」
    オレは目もくらみ耳もふさがり、叫びたてるわが姿をトキをつくる※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)のようだと思ったほどだ。アナマロは苦笑した。
    「相弟子どもと鎮守のホコラを造るのとはワケがちがうぞ。お前が腕くらべをするのは、お前の師と並んでヒダの三名人とうたわれている青ガサとフル釜だぞ」
    「青ガサもフル釜も、親方すらも怖ろしいと思うものか。オレが一心不乱にやれば、オレのイノチがオレの造る寺や仏像に宿るだけだ」
    アナマロはあわれんで溜息をもらすような面持であったが、どう思い直してか、オレを親方の代りに長者の邸へ連れていった。
    「キサマは仕合せ者だな。キサマの造った品物がオメガネにかなう筈はないが、日本中の男という男がまだ見ぬ恋に胸をこがしている夜長姫サマの御身ちかくで暮すことができるのだからさ。せいぜい仕事を長びかせて、一時も長く逗留の工夫をめぐらすがよい。どうせかなわぬ仕事の工夫はいらぬことだ」
    道々、アナマロはこんなことを云ってオレをイラだたせた。
    「どうせかなわぬオレを連れて行くことはありますまい」
    「そこが虫のカゲンだな。キサマは運のいい奴だ」
    オレは旅の途中でアナマロに別れて幾度か立ち帰ろうと思った。しかし、青ガサやフル釜と技を競う名誉がオレを誘惑した。彼らを怖れて逃げたと思われるのが心外であった。オレは自分に云いきかせた。

  • 萩柚月朗読坂口安吾「行雲流水」

    行雲流水

    坂口安吾

    「和尚さん。大変でございます」
    と云って飛びこんできたのは、お寺の向いの漬物屋のオカミサンであった。
    「何が大変だ」
    「ウチの吾吉の野郎が女に惚れやがったんですよ。その女というのが、お寺の裏のお尻をヒッパタかれたあのパンスケじゃありませんか。情けないことになりやがったもんですよ。私もね、吾吉の野郎のお尻をヒッパタいてくれようかと思いましたけどネ。マア、和尚さんにたのんで、あの野郎に説教していただこうと、こう思いましてネ」
    「あの女なら、悪いことはなかろう。キリョウはいゝし、色ッぽいな。すこし頭が足りないようだが、その方が面白くて、アキがこないものだ」
    「よして下さいよ。私ゃ、パンスケはキライですよ。いくらなんでも」
    「クラシが立たなくては仕方がない。パンスケ、遊女と云って区別をすることはないものだ。吾吉にはそれぐらいで、ちょうど、よいな」
    「ウチの宿六とおんなじようなことを言わないで下さいよ。男ッて、どうして、こうなんだろうね。女は身持ちがキレイでなくちゃアいけませんやね。ウチノ宿六の野郎もパンスケだっていゝじゃないか、クラシが立たなくちゃアほかに仕方があるめえ、なんて、アン畜生め、いゝ年してパンスケ買いたいに違いないんだから。覚えていやがれ。和尚さんも、大方、そうでしょうネ。まったく、呆れて物が言えないよ」
    「だから拙僧に頼んでもムダだ。私だったら二人を一緒にしてしまうから、そう思いなさい。罪なんだ」
    「なにが罪ですか。いゝ加減にしやがれ。オタンコナスめ。けれども、ねえ。お頼みしますよ。吾吉の野郎をよこしますから、本堂かなんかへ引きすえて、仏様の前でコンコンと説教して下さいな」
    こういうワケで、和尚は吾吉と話をすることになったのである。
    「お前、裏の女の子と交ったかな」
    「ハ。すみません」
    「夫婦約束をしたのだな」
    「イエ。それがどうも、女がイヤだと申しまして、私は気違いになりそうでございます。私があの女にツギこんだお金だけが、もう三十万からになっておりますんで。いッそ、あのアマを叩き斬って、死んでくれようか、と」
    「コレコレ、物騒なことを言うもんじゃないよ。ハハア。してみると、お前さん、女を金で買ってみたワケだな」
    「そうでござんす。お尻をヒッパタかれたパンスケだと申しますから、あんなに可愛らしくッて、ウブらしいのに、金さえ出しゃ物になる女だな、とこう思いまして、取引してみたら、案の定でさア。けれども知ってみると冷めたくって、情があって、こう、とりのぼせまして、エッヘ。どうも、すみません。頭のシンにからみこんで、寝た間も忘れられたもんじゃ、ないんです。よろしく一つ、御賢察願いまして、仏力をもちまして、おとりもちを願い上げます」
    「バカにしちゃア口上がうまいじゃないか。冷めたくって、情があってか。なるほど。ひとつ、仏力によって、とりもって進ぜよう」
    ノンキな和尚であった。彼はドブロクづくりと将棋に熱中して、お経を四半分ぐらいに縮めてしまうので名が通っていたが、町内の世話係りで、親切だから、ウケがよかった。
    お寺の裏のお尻をヒッパタかれたパンスケというのは、大工の娘で、ソノ子と云った。終戦後父親が肺病でねついてしまって、ソノ子は事務員になって稼いだが、女手一つで、病父や弟妹が養えるものではない。いつとはなく、パンスケをやるようになった。外でやるぶんには、よかったが、時々、家へ男をひきこんでやる。
    とうとう病父がたまりかねて、ソノ子をとらえて、押し倒して、お尻をまくりあげて、ピシピシなぐった。なぐりつゝ、吐血し、力絶えて、即死してしまった。ソノ子はオヤジを悶死させた次第であった。

  • 西村俊彦,朗読「風博士」坂口安吾1935年版

    風博士

    坂口安吾

    諸君は、東京市某町某番地なる風博士の邸宅を御存じであろう? 御存じない。それは大変残念である。そして諸君は偉大なる風博士を御存知であろうか? ない。嗚呼ああ。では諸君は遺書だけが発見されて、偉大なる風博士自体はようとして紛失したことも御存知ないであろうか? ない。嗟乎ああ。では諸君は僕が其筋そのすじの嫌疑のために並々ならぬ困難を感じていることも御存じあるまい。しかし警察は知っていたのである。そして其筋の計算に由れば、偉大なる風博士は僕と共謀のうえ遺書を捏造ねつぞうして自殺を装い、かくてかの憎むべきたこ博士の名誉毀損をたくらんだに相違あるまいとにらんだのである。諸君、これは明らかに誤解である。何となれば偉大なる風博士は自殺したからである。果して自殺した乎? しかり、偉大なる風博士は紛失したのである。諸君は軽率に真理を疑っていいのであろうか? なぜならば、それは諸君の生涯に様々な不運をもたらすに相違ないからである。真理は信ぜらるべき性質のものであるから、諸君は偉大なる風博士の死を信じなければならない。そして諸君は、かの憎むべき蛸博士の――あ、諸君はかの憎むべき蛸博士を御存知であろうか? 御存じない。噫呼ああ、それは大変残念である。では諸君は、まず悲痛なる風博士の遺書を一読しなければなるまい。

  • 萩柚月朗読、桜の森の満開の下 坂口安吾

    桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子だんごをたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集って酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩けんかして、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。近頃は桜の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので、能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまう(このところ小生の蛇足だそく)という話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。
    昔、鈴鹿峠にも旅人が桜の森の花の下を通らなければならないような道になっていました。花の咲かない頃はよろしいのですが、花の季節になると、旅人はみんな森の花の下で気が変になりました。できるだけ早く花の下から逃げようと思って、青い木や枯れ木のある方へ一目散に走りだしたものです。一人だとまだよいので、なぜかというと、花の下を一目散に逃げて、あたりまえの木の下へくるとホッとしてヤレヤレと思って、すむからですが、二人連は都合が悪い。なぜなら人間の足の早さは各人各様で、一人が遅れますから、オイ待ってくれ、後から必死に叫んでも、みんな気違いで、友達をすてて走ります。それで鈴鹿峠の桜の森の花の下を通過したとたんに今迄仲のよかった旅人が仲が悪くなり、相手の友情を信用しなくなります。そんなことから旅人も自然に桜の森の下を通らないで、わざわざ遠まわりの別の山道を歩くようになり、やがて桜の森は街道をはずれて人の子一人通らない山の静寂へとり残されてしまいました。
    そうなって何年かあとに、この山に一人の山賊が住みはじめましたが、この山賊はずいぶんむごたらしい男で、街道へでて情容赦なく着物をはぎ人の命も断ちましたが、こんな男でも桜の森の花の下へくるとやっぱり怖しくなって気が変になりました。そこで山賊はそれ以来花がきらいで、花というものは怖しいものだな、なんだか厭なものだ、そういう風に腹の中ではつぶやいていました。花の下では風がないのにゴウゴウ風が鳴っているような気がしました。そのくせ風がちっともなく、一つも物音がありません。自分の姿と跫音あしおとばかりで、それがひっそり冷めたいそして動かない風の中につつまれていました。花びらがぽそぽそ散るように魂が散っていのちがだんだん衰えて行くように思われます。それで目をつぶって何か叫んで逃げたくなりますが、目をつぶると桜の木にぶつかるので目をつぶるわけにも行きませんから、一そう気違いになるのでした。
    けれども山賊は落付いた男で、後悔ということを知らない男ですから、これはおかしいと考えたのです。ひとつ、来年、考えてやろう。そう思いました。今年は考える気がしなかったのです。そして、来年、花がさいたら、そのときじっくり考えようと思いました。毎年そう考えて、もう十何年もたち、今年もまた、来年になったら考えてやろうと思って、又、年が暮れてしまいました。
    そう考えているうちに、始めは一人だった女房がもう七人にもなり、八人目の女房を又街道から女の亭主の着物と一緒にさらってきました。女の亭主は殺してきました。
    山賊は女の亭主を殺す時から、どうも変だと思っていました。いつもと勝手が違うのです。どこということは分らぬけれども、変てこで、けれども彼の心は物にこだわることに慣れませんので、そのときも格別深く心にとめませんでした。
    青空文庫より

  • 萩柚月 朗読、坂口安吾「神サマを生んだ人々」


    神サマを生んだ人々
    坂口安吾
    二号の客引き
    大巻おおまき博士が途方にくれながら温泉都市の海岸通りを歩いていると、ポンと背中をたたいた者がある。
    「大巻先生じゃありませんか」
    振向いてみると、五十がらみの宗匠然とした渋いミナリの人物。見たような顔だ。
    「どなたでしたかな?」
    「芝の安福軒ですよ。それ、戦前まで先生の三軒向う隣りの万国料理安福軒。思いだしたでしょう。終戦後はこの温泉場でその名も同じ安福軒をやっております」
    「すると、君はこの温泉の住人ですか」
    「そうですとも。当温泉の新名物、万国料理安福軒」
    「ありがたい!」
    大巻先生が感きわまって叫んだから、安福軒は呆れ顔、まさかこの先生二三日食う物も食わずにいるわけではあるまいがと考えた。
    「当温泉はアベックの好適地、また心中の名所ですが、まさか先生、生き残りの片割れではありますまいな」
    「ヤ。そう見えるのも無理がない。実は当温泉居住の文士川野水太郎君を訪ねてきたのだが、あいにく同君夫妻は旅行中。このまま帰るのも残念だから久々に一夜温泉につかってノンビリしようと志したところが、今日は土曜日で全市に空室あきべやが一ツもないという返事じゃないか」
    「なるほど。わかりました。では御案内いたしましょう」
    「キミ、ホントですか。まさかパンパン宿ではあるまいね」
    「とんでもない。全市にこれ一軒という飛び切りの静寂境です。そこを独占なさることができます。お値段は普通旅館なみ。マ、ボクにまかせなさい」
    こう云って安福軒が案内したところは山の中腹の崖下の小さな家であった。
    「ネ。閑静でしょう」
    四隣大別荘にかこまれた一軒家、深山のように閑静には相違ないが、目当の家は炭焼小屋に毛の生えたような小さな家。
    「これ、旅館ですか」
    「ちかごろはシモタ家がそれぞれ旅館をやっております。わざと看板は出しませんが、この方が親切テイネイで、気分満点ですよ」
    玄関を一足はいると屋内の全貌が一目でわかる。座敷らしいのは一間しかない。あとは茶の間と女中部屋。これを独占できなければ、他に泊る部屋がありやしない。感心に小さいながらも温泉はついていた。安福軒はそこへ大巻博士を案内して、
    「ホレ、ごらんなさい。これが温泉ですよ。つまり、あなたの一室のために便所と浴室と台所と女中が附属しているようなものですよ。これに不足を云ったら罰が当りますぜ。どこにこんな至れり尽せりの旅館がありますか」
    「これで温泉気分にひたれというのかい」
    「今に分りますが、ここの内儀おかみは一流の板前ですよ。その他、サービス満点……」
    自信マンマンたる眼の色であるから、大巻博士も宿を得た気のユルミか、なんとなくたのもしくなってきた。
    青空文庫より