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  • 夏目漱石「草枕」 十一 山口雄介朗読

    28.50 Jun 27, 2018

    十一

    山里やまざとおぼろに乗じてそぞろ歩く。観海寺の石段を登りながら仰数あおぎかぞう春星しゅんせい一二三と云う句を得た。余は別に和尚おしょうに逢う用事もない。逢うて雑話をする気もない。偶然と宿をでて足の向くところに任せてぶらぶらするうち、ついこの石磴せきとうの下に出た。しばらく不許葷酒入山門くんしゅさんもんにいるをゆるさずと云う石をでて立っていたが、急にうれしくなって、登り出したのである。
    トリストラム・シャンデーと云う書物のなかに、この書物ほど神の御覚召おぼしめしかのうた書き方はないとある。最初の一句はともかくも自力じりきつづる。あとはひたすらに神を念じて、筆の動くに任せる。何をかくか自分には無論見当がつかぬ。かく者は自己であるが、かく事は神の事である。したがって責任は著者にはないそうだ。余が散歩もまたこの流儀をんだ、無責任の散歩である。ただ神を頼まぬだけが一層の無責任である。スターンは自分の責任をのがれると同時にこれを在天の神にした。引き受けてくれる神を持たぬ余はついにこれを泥溝どぶの中にてた。
    石段を登るにも骨を折っては登らない。骨が折れるくらいなら、すぐ引き返す。一段登ってたたずむとき何となく愉快だ。それだから二段登る。二段目に詩が作りたくなる。黙然もくねんとして、吾影を見る。角石かくいしさえぎられて三段に切れているのは妙だ。妙だからまた登る。仰いで天を望む。寝ぼけた奥から、小さい星がしきりにまばたきをする。句になると思って、また登る。かくして、余はとうとう、上まで登り詰めた。
    石段の上で思い出す。昔し鎌倉へ遊びに行って、いわゆる五山ごさんなるものを、ぐるぐる尋ねて廻った時、たしか円覚寺えんがくじ塔頭たっちゅうであったろう、やはりこんな風に石段をのそりのそりと登って行くと、門内から、法衣ころもを着た、頭のはちの開いた坊主が出て来た。余はのぼる、坊主はくだる。すれ違った時、坊主が鋭どい声でどこへ御出おいでなさると問うた。余はただ境内けいだいを拝見にと答えて、同時に足をめたら、坊主はただちに、何もありませんぞと言い捨てて、すたすた下りて行った。あまり洒落しゃらくだから、余は少しくせんを越された気味で、段上に立って、坊主を見送ると、坊主は、かの鉢の開いた頭を、振り立て振り立て、ついに姿を杉の木の間に隠した。そのあいだかつて一度も振り返った事はない。なるほど禅僧は面白い。きびきびしているなと、のっそり山門を這入はいって、見ると、広い庫裏くりも本堂も、がらんとして、人影はまるでない。余はその時に心からうれしく感じた。世の中にこんな洒落しゃらくな人があって、こんな洒落に、人を取り扱ってくれたかと思うと、何となく気分が晴々せいせいした。ぜんを心得ていたからと云う訳ではない。禅のぜの字もいまだに知らぬ。ただあの鉢の開いた坊主の所作しょさが気に入ったのである。
    世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、その上ずうずうしい、いやなやつうずまっている。元来何しに世の中へつらさらしているんだか、しかねる奴さえいる。しかもそんな面に限って大きいものだ。浮世の風にあたる面積の多いのをもって、さも名誉のごとく心得ている。五年も十年も人のしり探偵たんていをつけて、人のひる勘定かんじょうをして、それが人世だと思ってる。そうして人の前へ出て来て、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと頼みもせぬ事を教える。前へ出て云うなら、それも参考にして、やらんでもないが、うしろの方から、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと云う。うるさいと云えばなおなお云う。よせと云えばますます云う。分ったと云っても、屁をいくつ、ひった、ひったと云う。そうしてそれが処世の方針だと云う。方針は人々にんにん勝手である。ただひったひったと云わずに黙って方針を立てるがいい。人の邪魔になる方針はひかえるのが礼儀だ。邪魔にならなければ方針が立たぬと云うなら、こっちも屁をひるのをもって、こっちの方針とするばかりだ。そうなったら日本も運の尽きだろう。
    こうやって、美しい春の夜に、何らの方針も立てずに、あるいてるのは実際高尚だ。興きたれば興来るをもって方針とする。興去れば興去るをもって方針とする。句を得れば、得たところに方針が立つ。得なければ、得ないところに方針が立つ。しかも誰の迷惑にもならない。これが真正の方針である。屁を勘定するのは人身攻撃の方針で、屁をひるのは正当防禦ぼうぎょの方針で、こうやって観海寺の石段を登るのは随縁放曠ずいえんほうこうの方針である。
    仰数あおぎかぞう春星しゅんせい一二三の句を得て、石磴せきとうを登りつくしたる時、おぼろにひかる春の海が帯のごとくに見えた。山門を入る。絶句ぜっくまとめる気にならなくなった。即座にやめにする方針を立てる。
    石をたたんで庫裡くりに通ずる一筋道の右側は、岡つつじの生垣いけがきで、垣のむこうは墓場であろう。左は本堂だ。屋根瓦やねがわらが高い所で、かすかに光る。数万のいらかに、数万の月が落ちたようだと見上みあげる。どこやらで鳩の声がしきりにする。むねの下にでも住んでいるらしい。気のせいか、ひさしのあたりに白いものが、点々見える。ふんかも知れぬ。
    雨垂あまだれ落ちの所に、妙な影が一列に並んでいる。木とも見えぬ、草では無論ない。感じから云うと岩佐又兵衛いわさまたべえのかいた、おに念仏ねんぶつが、念仏をやめて、踊りを踊っている姿である。本堂のはじから端まで、一列に行儀よく並んでおどっている。その影がまた本堂の端から端まで一列に行儀よく並んで躍っている。朧夜おぼろよにそそのかされて、かね撞木しゅもくも、奉加帳ほうがちょうも打ちすてて、さそあわせるや否やこの山寺やまでらへ踊りに来たのだろう。
    近寄って見ると大きな覇王樹さぼてんである。高さは七八尺もあろう、糸瓜へちまほどな青い黄瓜きゅうりを、杓子しゃもじのようにしひしゃげて、の方を下に、上へ上へとあわせたように見える。あの杓子がいくつつながったら、おしまいになるのか分らない。今夜のうちにもひさしを突き破って、屋根瓦の上まで出そうだ。あの杓子が出来る時には、何でも不意に、どこからか出て来て、ぴしゃりと飛びつくに違いない。古い杓子が新しい小杓子を生んで、その小杓子が長い年月のうちにだんだん大きくなるようには思われない。杓子と杓子の連続がいかにも突飛とっぴである。こんな滑稽こっけいはたんとあるまい。しかも澄ましたものだ。いかなるこれぶつと問われて、庭前ていぜん柏樹子はくじゅしと答えた僧があるよしだが、もし同様の問に接した場合には、余は一も二もなく、月下げっか覇王樹はおうじゅこたえるであろう。青空文庫より

  • 江戸川乱歩「灰神楽」二宮 隆朗読

    59.80 Jun 25, 2018

    アッと思う間に、相手は、まるで泥でこしらえた人形がくずれでもする様に、グナリと、前の机の上に平たくなった。顔は、鼻柱がくだけはしないかと思われる程、ペッタリと真正面に、机におしつけられていた。そして、その顔の黄色い皮膚ひふと、机掛つくえかけの青い織物おりものとの間から、椿つばきの様に真赤な液体が、ドクドクと吹き出していた。
    今の騒ぎで鉄瓶てつびんがくつがえり、大きなきり角火鉢かくひばちからは、噴火山の様に灰神楽はいかぐらが立昇って、それが拳銃ピストルの煙と一緒に、まるで濃霧の様に部屋の中をとじ込めていた。
    覗きからくりの絵板が、カタリと落ちた様に、一刹那いっせつなに世界が変ってしまった。庄太郎しょうたろうはいっそ不思議な気がした。
    「こりゃまあ、どうしたことだ」
    彼は胸のうちで、さも暢気相のんきそうにそんなことをっていた。
    しかし、数秒間の後には、彼は右の手先が重いのを意識した。見ると、そこには、相手の奥村一郎おくむらいちろう所有の小型拳銃ピストルが光っていた。「おれが殺したんだ」ギョクンとのどがつかえた様な気がした。胸の所がガランどうになって、心臓がいやに上の方へ浮上って来た。そして、あごの筋肉がツーンとしびれて、やがて、歯の根がガクガクと動き始めた。
    意識の恢復かいふくした彼が第一に考えたことは、いうまでもなく「銃声」についてであった。彼自身には、ただ変な手答えのほか何の物音も聞えなかったけれど、拳銃ピストルが発射された以上、「銃声」が響かぬはずはなく、それを聞きつけて、誰かがここへやって来はしないかという心配であった。
    彼はいきなり立上って、グルグルと部屋の中を歩きまわった。時々立止っては耳をすました。
    隣の部屋には階段の降り口があった。だが庄太郎には、そこへ近づく勇気がなかった。今にもヌッと人の頭が、そこへ現れそうな気がした。彼は階段の方へ行きかけては引返した。
    併し、しばらくそうしていても、誰も来る気勢けはいがなかった。一方では、時間がつにつれて、庄太郎の記憶力がよみがえって来た、「何をこわがっているのだ。階下には誰もいなかった筈じゃないか」奥村の細君さいくんは里へ帰っているのだし、ばあやは彼の来る以前に、可也かなり遠方へ使つかいに出されたというではないか。「だが待てよ、しや近所の人が……」ようやく冷静を取返した庄太郎は、死人のすぐ前に開け放された障子しょうじから、そっと半面を出してのぞいて見た。広い庭をへだてて左右に隣家の二階が見えた。一方は不在らしく雨戸が閉っているし、もう一方はガランと開け放した座敷に、人影もなかった。正面は茂った木立を通して、へいの向うに広っぱがあり、そこに、数名の青年が鞠投まりなげをやっているのがチラチラと見えていた。彼等は何も知らないらしく、夢中になって遊んでいた。秋の空に、鞠を打つバットの音がえて響いた。
    彼は、これ程の大事件を知らぬ顔に、静まり返っている世間が、不思議でたまらなかった。「ひょっとしたら、俺は夢を見ているのではないか」そんなことを考えて見たりした。併し振り返ると、そこにはあけそまった死人が無気味な人形の様にもくしていた。その様子が明らかに夢ではなかった。
    やがて彼は、ふとある事に気づいた。丁度稲の取入れ時で、附近の田畑たはたには、鳥おどしのから鉄砲があちこちで鳴り響いていた。さっき奥村との対談中、あんなに激している際にも、彼は時々その音を聞いた。今彼が奥村を打殺うちころした銃声も、遠方の人々には、その鳥おどしの銃声と区別がつかなかったに相違ない。
    家には誰もいない、銃声は疑われなかった。とすると、うまく行けば彼は助かるかも知れないのである。
    「早く、早く、早く」
    耳の奥で半鐘はんしょうの様なものが、ガンガンと鳴り出した。
    彼はその時もまだ手にしていた拳銃ピストルを、死人のそばへ投げ出すと、ソロソロと階段の方へ行こうとした。そして、一歩足を踏み出した時である。庭の方でバサッというひどい音がして、樹の枝がザワザワと鳴った。
    「人!」
    彼は吐き気の様なものを感じて、その方を振り向いた。だが、そこには彼の予期した様な人影はなかった。今の物音は一体何事であったろう。彼は判断を下しねて、むしろ判断をしようともせず、一瞬間そこに立往生たちおうじょうをしていた。
    「庭の中だよ」
    すると、外の広っぱの方から、そんな声が聞えて来た。
    「中かい。じゃ俺が取って来よう」
    それは聞き覚えのある、奥村の弟の中学生の声であった。彼はさっき広っぱの方を覗いた時に、その奥村二郎じろうがバットを振り廻しているのを、頭のすみで認めたことを思出した。
    やがて、快活な跫音あしおとと、バタンと裏木戸のく音とが聞え、それから、ガサガサと植込みの間を歩き廻る様子が、二郎のはげしい呼吸いきづかいまでも、手に取る様に感じられるのであった。庄太郎には殊更ことさらそう思われたのか知れぬけれど、ボールを探すのは可也手間取った。二郎は、さも暢気相に口笛など吹きながら、いつまでもゴソゴソという音をやめなかった。
    「あったよう」
    やっとしてから、二郎の突拍子とっぴょうしもない大声が、庄太郎を飛上らせた。そして、彼はそのまま、二階の方など見向きもしないで、外の広っぱへと駈け出して行く様子であった。
    「あいつは、きっと知っているのだ。この部屋で何かがあったことを知っているのだ。それをわざとそ知らぬ振りで、ボールを探す様な顔をして、その実は二階の様子をうかがいに来たのだ」
    庄太郎はふとそんな事を考えた。
    「だが、あいつは、仮令たとい銃声をうたぐったとしても、俺がこのうちへ来ていることは知る筈がない。あいつは、俺が来る以前から、あすこで遊んでいたのだ。この部屋の様子は、広っぱの方からは、杉の木立が邪魔じゃまになってよくは見えないし、たとえ見えたところで、遠方のことだから、俺の顔まで見別みわけられる筈はない」
    彼は一方では、そんな風にも考えた。そして、その疑いを確めるために、障子から半面を出して、広っぱの方を覗いて見た。そこには、木立の隙間すきまから、バットを振り振り走って行く、二郎の後姿うしろすがたが眺められた。彼は元の位置に帰るとすぐ、何事もなかった様に打球の遊戯を始めるのであった。
    「大丈夫、大丈夫、あいつはにも知らないのだ」
    庄太郎は、さっきのおろか邪推じゃすいを笑うどころではなく、いて自分自身を安心させる様に、大丈夫、大丈夫と繰返くりかえした。

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