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第9回朗読コンサート 朗読カフェライブ 懇親会

2018年1月27日(土曜日)
録音会も同時開催


  • 刑事弁護士の尾形博士は法廷から戻ると、久しぶりにゆっくりとした気分になって晩酌の膳にむかった。庭の新緑はいつか青葉になって、月は中空にかかっていた。
    うっすらと化粧をした夫人が静かに入って来て、葡萄酒の瓶をとりあげ、
    「ずいぶん、お疲れになったでしょう?」と上眼使いに夫を見上げながら、ワイン・グラスになみなみと酒を注いだ。
    「うむ。だが、――長い間の責任をすましたので、肩の荷を下したように楽々した」
    「そうでしょう? 今日の弁論、とても素晴らしかったんですってね。私、傍聴したかった。霜山弁護士さんが先刻おいでになって、褒めていらしたわ、あんな熱のこもった弁論を聴くのは全く珍らしい事だ、あれじゃたとえ被告が死刑の判決を下されたって、満足して、尾形君に感謝を捧げながら冥土へ行くだろうって、仰しゃっていらしたわ」
    「霜山君はお世辞がいいからなアハ……。しかし、少しでも被告の罪が軽くなってくれればねえ、僕はそればっかり祈っている」
    「あなたに救われた被告は今日までに随分おおぜいあるんでしょうねえ。刑事弁護士なんて云うと恐い人のように世間では思うらしいけれど、ほんとは人を助ける仕事で、仏様のようなものなんですからね」
    「その代り金にならないよ。だから、いつでもピイピイさ」と笑った。
    「殺人犯だの、強盗だのなんかにはあんまりお金持ちはいないんですものねえ、でも、あなたは金銭にかえがたい喜びがあるから、と、いつも仰しゃいますが、減刑になったなんて聞くと私まで胸がすうっとしますわ。その人のために弁護なさるあなたの身になったらどんなに愉快だろうと思いますのよ」と云っているところに、玄関のベルが臆病らしくチリッと鳴った、まるで爪か、指先でもちょっと触れたように。
    「おやッ」と夫人は口の中でつぶやいた。
    ふたりは何という事なしに眼を見合せたのだった。すると、こんどはややしっかりしたベルの音がした。
    夫人は小首を傾げて、
    「普通のお客様のようじゃないわね、きっと何かまた」と、云いながら席を起って行ったが、間もなく引返して来ると、まるでおびえたような顔をして、
    「何んだか、気味が悪いのよ。まるで幽霊のような女の人が、しょんぼりと立っていてね、薄暗い蔭の方へ顔を向けているので、年頃も何もまるで分らないけれど、みなりは迚も立派なの。正面まともに私の顔も見ないで、先生に折入ってお願いしたい事がありまして夜中伺いましたって、この御紹介状を差出したんですが、その手がまたぶるぶると震るえて、その声ったらまるで泣いているよう、――」
    博士はその紹介状を受取って、封をきり、眼を通していたが、
    「不思議な人からの紹介だな」と云って、ぽいと夫人の手へ投げた。
    「まあ、ミシェル神父様からの御紹介状ですのねえ、あなた、神父様御存じなの?」
    「うむ。僕は若い頃熱心な天主教徒だったんだよ。いまは大なまけだが――、しかし、形式的のつとめこそ怠っているが、心は昔と少しも変らない信者なんだ。二十何年前僕はミシェル神父様の手で洗礼をさずけて頂いた。しかし、よくまあ神父様は覚えていられたものだなあ」と、博士は愉快そうに起って、自ら玄関に訪問客を迎え、横手の応接室に通した。
    「どんな御用件なんでしょうか?」と、ゆったりと煙草に火を点けた。
    女は夫人の言葉通りに小刻みに体を震わせながら、暗い隅に腰かけて顔も上げ得ないのだった。三十か、あるいは四五にもなっているかも知れないが、痩せた青い顔に憂慮と不安のいろが漂い、神経質らしい太い眉を深く寄せている。紹介状には川島浪子とだけ書いてあって、人妻か未亡人か、どういう身分の婦人であるかがまるでわからなかった。夜中、殊に突然飛び込んで来る客には何かしら深い事情のある人が多かったので、彼は心の中で仔細があるなとうなずいた。
    ややしばらくしてから、婦人は低い声で、
    「お願いがあって、突然上りまして」と云って、面を伏せた。
    「神父様の御紹介状にはただお名前だけしか書いてありません、委しい事は御当人から直接訊いてくれ、と、ありますが――」
    「はい。私はある小さな会社の重役をつとめている者の妻でございます。思いあまったことがありまして、教会へ告白にまいりましたところ、神父様が、先生にお縋りしてみよと仰しゃいましたので、恥を忍んでまいりました」と、割合にはっきりした口調で云って、はじめて顔を上げ、正面から彼を見た。その顔をじいと見ていた博士は、
    「あッ、あなたは――」思わずおどろきの叫び声をあげて、
    「秋田さん秋田浪子さんじゃありませんか?」
    「先生、よく覚えていて下さいました」と、彼女は淋しくほほ笑んだ。
    「随分変られましたな、すっかりお見それしてしまった、川島さんだなどと仰しゃるもんだから、なおわからなかったんです」
    「でも、私、川島へ再婚したんですの」
    「秋田さんなら、何も御紹介状をお持ちになる必要もなかった」
    「だって、もうお忘れになったろうと思って、――先生と御交際させて頂いていたのはもう二十年も音の事ですもの」
    「何十年たったって、あなたを忘れるなんて――」そんなことがあって、どうするものかと、つい口の先まで出かかったのをぐっと呑み込んで、
    「いくら健忘症の僕でも、あの頃のことだけは忘れませんよ」
    「じゃあ、いまでも怒っていらっしゃる? 私が結婚したことを――」
    博士は烈しく首を振って、
    「いいや。決して、――あなたは僕のような貧乏書生と結婚しては幸福になれないからいやだとはっきり云ってくれたから、僕は反って思い切れたんですよ。間もなく浪子さんが金持の後妻になったと聞いた時、その方があなたのためには幸福なんだろうと思って、祝福していた位ですもの、そのかたとは?」
    「死別しました。先妻の息子が相続人だったので、私は離婚して川島と再婚しました」
    「それで、――あなたは幸福に暮らしていられるんでしょうな」と云ったが、みなりこそ立派だが、見違えるほど面瘻れした彼女を見ては幸福な生活をしている者とはどうしたって思われなかった。
    彼女は悲しげに少時しょんぼりとうなだれていたが、
    「先生は、今朝の新聞を御らんになりましたか?」
    と、きっと顔を上げて訊いた。
    「見ましたが?」
    「あの、――ある青年が、あやまって赤ン坊を殺した記事をお読みになったでしょう?」
    博士はうなずいて、
    「無意識のうちに殺したという、あの事件ですか?」
    「私、その事で先生にお縋りに上ったんですの」
    「すると、あの青年は?」
    「私の従弟ですの」
    「なるほど、あなたの旧姓と同じですね、秋田弘とか云いましたね」
    「父の弟の息子です。秀才だったのですが、大学を出る一年前に応召して、戦争に行ってからすっかり人間が変ってしまいました。終戦と同時に帰還しましたが、もう大学へかえる気持ちもなく、それかと云って就職もせず、働く気もないという風で、前途に希望を全く失ってしまい、毎日ただぶらぶらと遊んでその日その日を送っているというようなので、親も段々愛想をつかし、最近では小遣銭にも不自由しておりましてね、度々私のところへ無心を云いに来るようになりました」
    「ちょいと待って下さい」
    博士はベルを鳴らして、夫人に今朝の新聞を持って来させ、もう一度その記事に眼を通してから、びっくりしたように、
    「殺人はあなたの家で行われたんですか?」
    「そうなんです」
    「ふうむ」
    彼は始めてこの訪問の容易ならぬことを知ったのだった。
    「して、その赤ン坊は?」
    「私の子なんですの」
    「えッ? あなたのお子さんが殺されたんだと仰しゃるんですか?」
    「ええ。ですけれど、――先生、弘さんは可哀想な青年なんですのよ。私、自分の赤ン坊が殺されたんですけれど、弘さんを恨む気にはなれません、それで、――それで実は私、先生にお願いするんです。どうぞ、あのひとを救ってやって下さいませ」と云って、手を合せ、
    「あの、先生、弘さんは死刑になるんでございましょう?」とおろおろ声で訊くのだった。
    「さあ」
    「もしも、弘さんが死刑にでもなるようでしたら、――私は生きていられませんの。あんまり可哀想で、――どうぞ、お願いです、助けてやって――」
    と、婦人は縋りつかないばかりに嘆願するのだった。
    「と、いって、僕がどうしようもないじゃありませんか。犯行がこうはっきりしていて、あなたの家を訪問し、あなたの赤ン坊を殺した、それをあなたは目撃していたが、どうにもとめようがなかった、というのでしょう?」
    「新聞に書いてあるのはそれだけです、が、それにはいろいろとわけがありまして――」
    「そのわけというのをすっかり話してみて下さい。その上で、僕の力に及ぶことなら何んとでもして上げますから」
    「ほんとにお願いします。恐らく私が先生にお願いすることの、これが最初で最後だろうと思います。先生、私の涙のお願い、きいて下さいね」と云って、婦人はむせび泣くのだった。
    「よろしい。その代り何もかもありのままを云って下さい。少しでもかくしたりしてはいけませんよ。嘘が交じると困ることになりますからね」
    「決して、誓って嘘は申しません、かくしだてもいたしません、すっかり洗いざらいお話しいたしてしまいますわ」

    青空文庫より

  • 江戸川乱歩 少年探偵団23「美術室の怪」別役みか朗読

    18.85
    Oct 14, 2017

    美術室の怪

    二十面相がドアをあけて、玄関のホールに立ちますと、その物音を聞きつけて、ひとりの部下が顔を出しました。頭の毛をモジャモジャにのばして、顔いちめんに無精ぶしょうひげのはえた、きたならしい洋服男です。
    「お帰りなさい……。大成功ですね。」
    部下の男はニヤニヤしながらいいました。何も知らないらしいのです。
    「大成功? おやいや、何を寝ぼけているんだ。おれはマンホールの中で夜を明かしてきたんだぜ。近ごろにない大失敗さ。」
    二十面相はおそろしいけんまくでどなりつけました。
    「だって、黄金塔はちゃんと手にはいったじゃござんせんか。」
    「黄金塔か、あんなもの、どっかへうっちゃっちまえ。おれたちは、にせものをつかまされたんだよ。またしても、明智のやつのおせっかいさ、それに、こにくらしいのは、あの小林という小僧だ。お手伝いに化けたりして、チビのくせに、いやに知恵のまわる野郎だ。」
    部下の男は、首領のやつあたりにヘドモドしながら、
    「いったいどうしたっていうんですか? あっしゃ、まるでわけがわかりませんが。」
    とふしん顔です。
    「まあ、すんだことはどうだっていい。それより、おれはねむくってしかたがないんだ。何もかもねむってからのこと。それから、新規しんきまきなおしだ。あーあ……。」
    二十面相は大きなあくびをして、フラフラと廊下をたどり、奥まった寝室へはいってしまいました。
    部下の男は、二十面相を送って、寝室の外まで来ましたが、中からドアがしまっても、そこのうす暗い廊下に、長いあいだたたずんで、何か考えていました。
    やや五分ほども、そうしてじっとしていますと、つかれきった二十面相は、服も着かえないでベッドにころがったものとみえ、もうかすかないびきの音が聞こえてきました。
    それを聞きますと、ひげむじゃの部下は、なぜかニヤニヤと笑いながら、寝室の前を立ちさりましたが、ふたたび玄関に引きかえし、入り口のドアの外へ出て、向こうの林のしげみへ向かって、右手を二三度大きくふりうごかしました。なんだか、その林の中にかくれている人に、あいずでもしているようなかっこうです。
    夜が明けたばかりの、五時少しまえです。林の中は、まだゆうべのやみが残っているように、うす暗いのです。こんなに朝早くから、いったい何者が、そこにかくれているというのでしょう。
    ところが、部下の男が手をふったかと思うと、その林の下のしげった木の葉が、ガサガサと動いて、その間から、何かほの白い丸いものが、ぼんやりとあらわれました。うす暗いのでよくわかりませんが、どうやら人の顔のようにも思われます。
    すると、建物の入口に立っている部下の男が、こんどは両手をまっすぐにのばして、左右にあげたりさげたり、鳥の羽ばたきのようなまねを、三度くりかえしました。
    いよいよへんです。この男はたしかに何か秘密のあいずをしているのです。相手は何者でしょう。二十面相の敵か味方か、それさえもはっきりわかりません。
    その奇妙なあいずが終わりますと、こんどはいっそうふしぎなことがおこりました。今まで林のしげみの中にぼんやり見えていた、人の顔のようなものが、スッとかくれたかと思うと、まるで大きなけだものでも走っているように、木の葉がはげしくざわめき、何かしら黒い影が、木立ちの間を向こうのほうへ、とぶようにかけおりていくのが見えました。
    その黒い影はいったい何者だったのでしょう。そして、あのひげむじゃの部下はなんのあいずをしたのでしょう。
    さて、お話は、それから七時間ほどたった、その日のお昼ごろのできごとにうつります。
    そのころになって、寝室の二十面相はやっと目をさましました。じゅうぶんねむったものですから、ゆうべのつかれもすっかりとれて、いつもの快活な二十面相にもどっていました。まず浴室にはいって、さっぱりと顔を洗いますと、毎朝の習慣にしたがって、廊下の奥のかくし戸をひらいて、地底の美術室へと、おりていきました。
    その洋館には広い地下室があって、そこが怪盗の秘密の美術陳列室になっているのです。読者諸君もごぞんじのとおり、二十面相は、世間の悪漢のように、お金をぬすんだり、人を殺したり、傷つけたりはしないのです。ただいろいろな美術品をぬすみあつめるのが念願なのです。
    以前の巣くつは、国立博物館事件のとき、明智探偵のために発見され、ぬすみあつめた宝物を、すっかりうばいかえされてしまいましたが、それからのち、二十面相は、また、おびただしい美術品をぬすみためて、この新しいかくれがの地下室に、秘密の宝庫をこしらえていたのです。
    そこは二十畳敷きぐらいの広さで、地下室とは思われぬほど、りっぱな飾りつけをした部屋です。四ほうの壁には、日本画の掛け軸や、大小さまざまの西洋画の額などが、ところせましとかけてありますし、その下にはガラスばりの台がズッとならんでいて、目もまばゆい貴金属、宝石類の小美術品が陳列してあります。また、壁のところどころには、古い時代の木彫りの仏像が、つごう十一体、れんげ台の上に安置されています。それらの美術品は、どれを見ても、みな由緒ゆいしょのある品ばかり、私設博物館といってもいいほどのりっぱさです。
    地下室のことですから、窓というものがなく、わずかに、天井のすみに、厚いガラス張りの天窓のようなものがあり、そこからにぶい光がさしこんでいるばかりですから、美術室は昼間でも、夕方のようにうす暗いのです。
    部屋の天井には、りっぱな装飾電燈がさがっていますけれど、二十面相は、新しい宝物を手に入れたときででもなければ、めったに電燈をつけません。大寺院のお堂の中のような、おもおもしいうす暗さが大すきだからです。そのうす暗い中でながめますと、古い絵や仏像がいっそう古めかしく尊く感じられるからです。
    二十面相は、いま、その美術室のまんなかに立って、ぬすみためた宝物を、さも楽しそうに見まわしていました。
    「フフン、明智先生、おれの裏をかいたと思って、得意になっているが、黄金塔がなんだ、あんなもの一つぐらいしくじったって、おれはこんなに宝物を集めているんだ。さすがの明智先生も、ここにこんなりっぱな美術室があろうとは、ごぞんじあるまいて、フフフ……。」
    怪盗はひとりごとをいって、さもゆかいらしく笑うのでした。
    二十面相は部屋のすみの一つの仏像の前に近づきました。
    「じつによくできているなあ。なにしろ国宝だからね。まるで生きているようだ。」
    そんなことをつぶやきながら、仏像の肩のへんをなでまわしていましたが、なにを思ったのか、ふと、その手をとめて、びっくりしたように、しげしげと仏像の顔をのぞきこみました。
    その仏像はいやになまあたたかかったからです。あたたかいばかりでなく、からだがドキンドキンと脈うっていたからです。まるで息でもしているように、胸のへんがふくれたりしぼんだりしていたからです。
    いくら生きているような仏像だって、息をしたり、脈をうったりするはずはありません。なんだかへんです。お化けみたいな感じです。
    二十面相は、ふしぎそうな顔をして、その仏像の胸をたたいてみました。ところが、いつものようにコツコツという音がしないで、なんだかやわらかい手ごたえです。
    たちまち、二十面相の頭に、サッと、ある考えがひらめきました。
    「やいっ、きさま、だれだっ!」
    彼はいきなり、おそろしい声で、仏像をどなりつけたのです。
    すると、ああ、なんということでしょう。どなりつけられた仏像が、ムクムクと動きだしました。そして、まっ黒になったやぶれ衣の下から、ニューッとピストルの筒口があらわれ、ピッタリと怪盗の胸にねらいがさだめられたではありませんか。
    「きさま、小林の小僧だなッ。」
    二十面相は、すぐさまそれとさとりました。この手は以前に一度経験していたからです。
    しかし、仏像は何も答えませんでした。無言のまま、左手をあげて、二十面相のうしろを指さしました。
    そのようすがひどくぶきみだったものですから、怪盗は思わずヒョイと、うしろをふりむきましたが、すると、これはどうしたというのでしょう。部屋中の仏像がみな、れんげ台の上で、むくむくと動きだしたではありませんか。そして、それらの仏像の右手には、どれもこれも、ピストルが光っているのです。十一体の仏像が、四ほうから、怪盗めがけて、ピストルのねらいをさだめているのです。
    さすがの二十面相も、あまりのことに、アッと立ちすくんだまま、キョロキョロとあたりを見まわすばかりです。
    「夢をみているんじゃないかしら。それともおれは気でもちがったのかしら。十一体の仏像が十一体とも、生きて動きだして、ピストルをつきつけるなんて、そんなばかなことが、ほんとうにおこるものかしら。」
    二十面相は、頭の中がこんぐらかって、何がなんだかわけがわからなくなってしまいました。フラフラと目まいがして、今にもたおれそうな気持です。
    「おや、どうかなすったのですかい。顔色がひどく悪いじゃございませんか。」
    とつぜん声がして、けさのひげむじゃの部下の男が、美術室へはいってきました。
    「ウン、少し、目まいがするんだ。おまえ、この仏像をよくしらべてみてくれ、おれにはなんだかみょうなものに見えるんだが……。」
    二十面相は頭をかかえて、弱音よわねをはきました。
    すると部下の男は、いきなり笑いだして、
    「ハハハ……、仏さまが生きて動きだしたというんでしょう。天罰てんばつですぜ。二十面相に天罰がくだったんですぜ。」
    と、みょうなことをいいだしました。
    「エッ、なんだって?」
    「天罰だといっているんですよ。とうとう二十面相の運のつきが来たといっているんですよ。」
    二十面相は、あっけにとられて相手の顔を見つめました。木彫りの仏像が動きだしたばかりでなく、信じきっていた部下までが、気でもちがったように、おそろしいことをいいだしたのです。いよいよ、何がなんだかわからなくなってしまいました。
    「ハハハ……、おいおい、二十面相ともあろうものが、みっともないじゃないか、こんなことでびっくりするなんて。ハハハ……、まるでハトが豆鉄砲をくらったような顔だぜ。」
    部下の男の声が、すっかりかわってしまいました。今までのしわがれ声が、たちまちよく通る美しい声にかわってしまったのです。
    二十面相は、どうやらこの声に聞きおぼえがありました。ああ、ひょっとしたら、あいつじゃないかしら。きっとあいつだ。ちくしょうめ、あいつにちがいない。しかし、彼はおそろしくて、その名を口にだすこともできないのでした。
    「ハハハ……、まだわからないかね。ぼくだよ。ぼくだよ。」
    部下の男は、ほがらかに笑いながら、顔いちめんのつけひげを、皮をはぐようにめくりとりました。
    すると、その下から、にこやかな青年紳士の顔があらわれてきたのです。
    「アッ、きさま、明智小五郎!」
    「そうだよ、ぼくも変装はまずくはないようだね。本家本元のきみをごまかすことができたんだからね。もっとも、けさは夜が明けたばかりで、まだうす暗かったし、この地下室も、ひどく暗いのだから、そんなにいばれたわけでもないがね。」
    ああ、それは意外にもわれらの明智探偵だったのです。
    二十面相は、一時はギョッと顔色をかえましたが、相手が化けものでもなんでもなく、明智探偵とわかりますと、さすがは怪人、やがてだんだん落ちつきをとりもどしました。
    「で、おれをどうしようというのだね。探偵さん。」
    彼はにくにくしく言いながら、傍若無人に地下室の出口のほうへ歩いていこうとするのです。
    「とらえようというのさ。」
    探偵は二十面相の胸を、グイグイとおしもどしました。
    「で、いやだといえば? 仏像どもがピストルをうつというしかけかね。フフフ……、おどかしっこなしだぜ。」
    怪盗は、たかをくくって、なおも明智をおしのけようとします。
    「いやだといえばこうするのさ!」
    肉弾と肉弾とがはげしい勢いでもつれあったかと思うと、おそろしい音をたてて、二十面相のからだが床の上に投げたおされていました。背負い投げがみごとにきまったのです。
    二十面相は投げたおされたまま、あっけにとられたように、キョトンとしていました。明智探偵にこれほどの腕力があろうとは、今の今まで、夢にも知らなかったからです。
    二十面相は少し柔道のこころえがあるだけに、段ちがいの相手の力量がはっきりわかるのです。そして、これではいくら手むかいしてみても、とてもかなうはずはないとさとりました。
    「こんどこそはおれの負けだね。フフフ……、二十面相もみじめな最期をとげたもんさねえ。」
    彼は、にが笑いをうかべながら、しぶしぶ立ちあがると、「さあ、どうでもしろ。」というように、明智探偵をにらみつけました。

    青空文庫より

     

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